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中国をたたえ続けたテドロス氏の誤算 伏線は 10 数年前に 人類が半年前に知ったばかりのウイルスは、世界の1千万人以上に感染し、50万人を超える犠牲者を出している。災禍はどう始まり、どう広がっていったのか。感染の拡大が始まった中国・武漢を歩き、謎のウイルスの存在を捉えるまでの道筋や、ヒトヒト感染の認定に二の足を踏んだ中国の初期対応を検証する。 「感染症は魔物だ。 魔物を隠すことはできない。」 1 月 28 日、中国国家主席の習近平(シーチンピン)は北京の人民大会堂で世界保健機関 (WHO) 事務局長のテドロスを迎え、こう強調した。 新型コロナウイルスの感染拡大で重要指示を出してから、習が最初に会った外国要人がテドロスだった。 春節の連休中にトップが自らもてなした事実が、中国がテドロスの訪中をいかに重視していたかを物語る。 「中国は一貫して透明性をもって情報を提供している」と語る習に、テドロスも「中国の対応の素早さ、規模の大きさはまれに見るものだ」と持ち上げた。 中国衛生当局関係者はこの時のテドロス訪中について、「彼は訪中前、中国にとって大きな役割を果たしていた。 習氏が出迎えたのは、そのねぎらいの意味もあった。」と明かす。 中国を喜ばせたテドロスの役割とは何だったのか。 中国に甘い態度をとり続けたテドロス氏は、やがてその代償を払うことになります。 記事後半で解説します。 新型ウイルスのヒトからヒトへの感染が判明した段階で中国が懸念したのは、WHO が「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言し、中国との人の往来や貿易の制限を各国に勧告することだった。 そこで中国政府は 1 月 20 - 21 日に WHO の専門家グループを武漢に案内し、空港の検査や病院の隔離は万全だとアピール。 22 日からの WHO 緊急委員会に向け、ウイルスの封じ込めは可能だと訴えた。 行き詰まった会議の末に「時期尚早」 ジュネーブで 22 日に始まった緊急委員会は、宣言を出すかどうかで委員の意見が割れた。 会議後の記者会見で、テドロスは中国からの報告について「詳細さと深さに感心した」と評価したが、会議に出席した専門家の一人によると、委員からは中国の情報や分析の精度を疑問視する見方が出ていた。 中国当局が説明する「感染者」には無症状の人が入っていない上、ヒトからヒトへの感染は少数の疑い例を認めただけだったという。 この時までに中国では 600 人近い感染が確認され 17 人が死亡していたが、専門家の間では 1 週間以上前からヒトからヒトへの感染があった可能性が指摘され、もっと多くの感染者がいるとの見方もあった。 ある委員から「中国の説明をもとに議論はできない。 1 週間以内に、確かな情報をそろえた上で議論を再開するべきだ。」という趣旨の発言も出た。 結論は出ず、テドロスは「もっと情報が必要だ」として、会議の 1 日延長を決めた。 ジュネーブの会議が行き詰まっていたちょうどそのころ、WHO の背中を押すように中国が踏み切ったのが「武漢封鎖」だった。 1 千万人都市のロックダウンという前例のない措置が、WHO の判断にどう影響したかははっきりしない。 しかし、封鎖から数時間後に再開した会合で、テドロスは「緊急事態宣言は時期尚早」との結論を下した。 終了後の記者会見で「昨日と同じく、委員の意見が分かれていた」ことを理由に挙げ、中国の外での感染リスクが非常に高いとは言い切れないとの認識を示した。 「情報引き出したい」思いが裏目に 1 週間後の 1 月 30 日、結局、WHO は国際世論に押される形で緊急事態宣言を出したが、貿易や渡航を制限する勧告は回避した。 中国は胸をなで下ろし、WHO の対応を称賛した。 しかし、WHO はこの間の動きで大きな代償を払うことになる。 後に中国を大幅に上回る感染者を出し、批判を集めた米大統領のトランプは、WHO が「中国寄りだ」と批判を強め、WHO からの離脱表明に踏み切った。 結果として新型ウイルスが世界的に蔓延したこともあり、WHO にはその判断の是非に加え、立場の中立性にまで厳しい目が向けられた。 今回の WHO の対応の伏線として、WHO が抱える二つの「トラウマ」を指摘する声がある。 09 年の新型インフルエンザでパンデミックを宣言し、結果的に過剰反応だったと批判された経験と、02 - 03 年の SARS (重症急性呼吸器症候群)の際の教訓だ。 中国から広がった SARS は 29 の国と地域に広がり、8 千人を超える感染者と 800 人近い死者を出した。 WHO は現地調査を申し出たが、受け入れに長い時間を要した。 当時の事務局長だったブルントラントは今年 6 月、記者団の取材に「中国は本当に閉鎖的で、WHO 事務局長の私にさえ話すことを拒絶した」と振り返る。 ブルントラントは当時、情報提供に後ろ向きだった中国の姿勢に憤り、協力を得てからも「あまりに長い時間がかかった」などと公の場で何度も批判した。 それが中国政府を硬化させ、交渉に影響したのではないか - -。 そういう反省が語られてきたと WHO 関係者は明かす。 そもそも、WHO は予算も情報も政策実行も加盟国頼み。 WHO 関係者は「個別の国を名指しで批判しても何もいいことがない」と言う。 テドロスは足りない情報を中国から引き出す役割を担いながら、その顔色をうかがい、褒め続けた。 もし WHO が「台湾方式」をとっていたら … WHOと世界がたどれたかもしれない別のシナリオを示唆するのが、中国の政治的な圧力で WHO から排除されている台湾だ。 WHO への加盟が認められず、保健衛生をめぐる情報の遅れに敏感な台湾は、昨年末、原因不明の肺炎の発生が公表された直後、WHO に問い合わせをする一方、中国側に対しても武漢の状況を直接見せるよう強く要請。 中国は拒否しきれず、1 月 12 - 15 日に台湾の医師らが武漢の病院などを視察することを認めた。 この時、中国はまだ「ヒトからヒトへの感染」を認定しておらず、WHO からも満足な回答はなかったが、台湾衛生当局者は「武漢から報告を受けた時点で、ヒトからヒトへの感染が起きていると判断した」と、朝日新聞の取材に証言する。 台湾は翌 16 日から武漢への渡航注意レベルを引き上げるなど素早い水際対策を講じ、感染の封じ込めに成功。 6 月末までの感染者は累計 447 人、死者は 7 人に食い止めている。 (ジュネーブ = 吉武祐、北京 = 冨名腰隆、高田正幸、asahi = 7-3-20) ◇ ◇ ◇ 知らされなかったヒトヒト感染 春節の団地、宴に 4 万人 医師は防護服の着用を提案したが … 中国政府の専門家グループが新型コロナウイルスの検出を明らかにしたのは、1 月 9 日の朝のことだ。 政府や専門家の次の課題は、そのウイルスが「ヒトからヒトに感染するのか」の判断だった。 武漢市衛生健康委員会はこの段階で、「疑わしい現象は報告されていない」との見解を示していた。 しかしその時、現場の医師からは違う見方も出ていた。 8 日、武漢大学人民病院の呼吸内科副主任、余昌平 (53) は、別々の地域に暮らす患者から共通の症状が出ていることに気づいた。 余は朝日新聞の取材に、「医師ならば誰もがヒトからヒトへの感染を疑う状況だった。 私も心の中でそう思った。」と証言する。 医師たちはヒトヒト感染に気づきましたが、政府の公表は遅れました。 なぜでしょうか。 その内幕を追いました。 病院内では「感染予防策を強化しよう」との声が上がり、医療マスク「N95」が配られた。 それでも政府発表がない以上、「ヒトからヒトへの感染が起きている」とは言い出せなかったと余は話す。 余は後に自らも感染して入院。 病室から新型ウイルスの怖さを動画配信で訴え続けた。 医師として、初期に警鐘を鳴らせなかった罪滅ぼしだったという。 武漢市中心病院の急診科主任・艾芬も、当時のもどかしさを中国メディアに語っている。 華南海鮮卸売市場とその周辺にとどまっていた感染の範囲が、1 月に入って急拡大した。 家庭内感染と見られるケースも相次ぎ、11 日には看護師の感染が報告された。 艾はヒトからヒトへの感染を確信したが、家族にさえそれを伝えられなかった。 年末に「SARS 型肺炎だ」と SNS で仲間に伝えたことを、病院幹部から叱責されていたからだ。 同じ頃、別の医師が防護服の着用を提案すると、病院側は「パニックになる」と却下した。 艾にできたのは、白衣の下に着るよう部下に伝えることくらいだった。 新型ウイルスが検出されて以降の政府の動きは、中央も武漢も鈍かった。 武漢市当局が発表する感染者の数は、11 日に 41 人の感染を発表した後、17 日まで 1 人も増えなかった。 因果関係は不明だが、その間、武漢では 3 月の全国人民代表大会につながる重要な政治イベントである湖北省人民代表大会が開かれていた。 ヒトからヒトへの感染については 15 日に「可能性は排除できない」とやや踏み込んだが、それでも「証拠はなく、リスクは低い」と認定を避けた。 結局、北京でヒトからヒトへの感染が公表されたのは、ウイルス検出から約 2 週間たった 1 月 20 日のことだ。 春節を控えて人の行き来も増える時期、武漢市民は特別の危機意識も持たぬまま過ごし、感染は制御不能な状況に陥っていた。 「知っていたら絶対行かなかった」 春節を間近に控えた 1 月 18 日、武漢市漢口地区北部の団地・百歩亭のコミュニティーセンターは、早朝から大勢の住民でごったがえしていた。 この時期の団地の恒例行事「万家宴」がこの日、開催された。 約 13 万人が暮らす巨大団地の一大イベント。 住民たちが手作りの料理を持ち寄り、センター前には人々が列をなした。 センターのほか 9 つの分会場に住民約 4 万人が集い、歌や踊りを楽しんだ。 「団地には私のような独り暮らしの年寄りが多い。 万家宴は一番の楽しみなんだ。」 参加した住民の男性 (71) は振り返る。 市民の間でも新型コロナウイルスの存在は明らかになっていたが、男性は「気にもしなかったし、マスクをする人は一人もいなかった」と話す。 しかし、ただならぬ事態が迫っていることを察知していた人も、わずかながらいたようだ。 別の男性 (66) は、後になって仲の良いコミュニティーセンターの職員に告げられたと明かす。 「職員の中には、感染はすでに深刻だと知っていた人がおり、万家宴の開催を見直すよう上司に進言したそうだ。 その職員は家族や親しい友人を参加させなかったらしい。」 万家宴の 2 日後、北京でヒトからヒトへの感染が明らかにされた。 団地内では、発熱を訴える人が広がり始めていた。 発熱者が出た建物には「発熱門棟」と書かれた赤い紙が貼られ、住民は外出を禁じられた。 母親が万家宴に参加し、感染したという男性 (35) は、怒りを込めて話す。 「ヒトからヒトに感染するなんて誰も知らなかった。 知っていたら、絶対に行かせなかったのに。」 そして23 日、人口 1 千万人を超える武漢市全体が封鎖された。 春節は 2 日後に迫り、すでに約 500 万人が帰省や旅行で武漢を離れていた。 「ウイルスの理解、まだ足りない」と二の足 中国でヒトからヒトへの感染を判断し、公表する責務を負うのは国家衛生健康委員会だった。 しかし、その後の報道や証言からは、一貫して判断に慎重だった様子が浮かんでくる。 国営新華社通信によると、同委員会は 1 月 14 日、全国の衛生当局とのテレビ会議を招集。 武漢に派遣していた専門家グループの報告を元に対応を協議した。 参加した北京の専門機関の男性は、専門家グループがこの時すでに「ヒトからヒトへの感染の可能性に言及していた」と証言する。 しかし、同委員会は「ウイルスに対する理解はまだ足りない」として判断を保留。 副主任の曽益新は後に「潜伏期間、感染の仕方、感染力などが不明だった。 結論を出すレベルに達していなかった。」と釈明した。 二の足を踏み続ける委員会を動かしたのは、感染症分野の泰斗とされる 2 人の専門家だ。 政府直属の最高研究機関・中国工程院の院士である李蘭娟と鍾南山は 18 日夜、委員会が派遣した専門家グループのメンバーとして武漢に入った。 一行は翌日午前から現地を視察し、午後に非公開会議を開いた。 そこで最初に発言した李の訴えが全てだった。 「すでにヒトからヒトに感染している。 医療従事者の感染が何よりの証明だ。 春節の帰省がピークを迎える。 手を打たなければ、全国に広がってしまう。」 委員会主任の馬暁偉主任は鍾らに、政府上層部に直接報告するよう求めた。 すぐに北京にもどった鍾と李は、翌朝、中国の指導者が執務する中南海に呼ばれ、首相の李克強(リーコーチアン)に状況を伝えた。 鍾が国営中央テレビの報道番組に出演し、「ヒトからヒトへの感染が証明された」と初めて明かしたのは、その夜だった。 習氏は外遊、視察 … 危機感薄かった最高指導部 この間、中国の指導者たちはどう動いていたのか。 習は武漢で感染が広がった当初から問題意識を持っていた - -。 これが党や政府の公式見解だ。 共産党最高指導部の政治局常務委員会が 1 月 7 日に開いた会議で対応の徹底を求め、14 日の国家衛生健康委員会のテレビ会議でも感染阻止の指示を伝えたという。 しかし、これらの発言は、いずれも 2 月中旬以降になって、事後的に発表された「事実」だ。 当時の最高指導部の動きをたどると、危機感は薄かった様子が浮かび上がる。 武漢で原因不明の肺炎が発表された昨年 12 月 31 日、中国の伝統劇を鑑賞して新年の到来を祝った習は、その後も中央財経委員会(1 月 3 日)、退役軍人幹部新春あいさつ(同 13 日)など、感染とは無関係の仕事をこなした。 17 - 18 日にはミャンマーを公式訪問。 北京には戻らず、春節前の恒例となっている地方視察のため、19 - 21 日は雲南省にいた。 武漢から戻った李蘭娟と鍾南山が首相の李克強に「ヒトからヒトへの感染が起きている」と伝えた 20 日、習は「人民の生命の安全と健康を最優先に感染を断固抑え込め」と指示を出したが、これは雲南省から発出されたことになる。 その指示で国家的な危機という認識は広がったが、この時すでに新型ウイルスは武漢から市外、そして国外にも広がっていた。 この間の対応について、衛生当局関係者は「おそらく情報が上層部には十分上がっていなかった。 組織の面でも問題があった。」と指摘する。 一つは、中国の巨大な行政システムで、実情を知る医療機関が持つ権限があまりに弱いことだ。 危機を察知しても勝手に公表できず、中央に直接通報することも許されない。 地元レベルで情報の目詰まりが起きれば、その声は北京には届かない。 2 月、湖北省と武漢市のトップが相次ぎ解任された一因は、感染状況の過小報告だったとされる。 国家衛生健康委員会が抱える問題もある。 同委員会は過去 7 年で 2 度、組織再編をしており、「明確な指揮系統が確立していなかった」という。 党の最高指導部が早く状況をつかんでいれば結果は違ったのではないか。 衛生当局関係者にそう問うと、「中央も危機感が足りなかったと言われれば、その通りだ」と話した。 (武漢 = 宮嶋加菜子、平井良和、北京 = 冨名腰隆、asahi = 7-21-20) ◇ ◇ ◇ 口閉ざすエビ売りの女性 武漢で最初の一人を探した 年末のかきいれ時、喧騒の中の「異変」 湖北省武漢市の都市封鎖が解け、間もなく 3 カ月になる。 魏、呉、蜀の三国時代をはじめ中国史の舞台となってきた長江中流域の 1 千万都市は、ようやく活気を取り戻そうとしている。 中心部の大通りにも絶え間なく車が行き交うが、漢口駅近くの道の両側には約 200 メートルに及ぶ青いバリケードが残る。 隙間からのぞく看板はほこりまみれで、その下に「魚」や「蟹(かに)」といった字が読み取れる。 半年前に閉鎖されるまで、ここに華南海鮮卸売市場があった。 5 万平方メートルの敷地に魚介、干物、食肉などを売る店が千軒以上ひしめく巨大市場だった。 世界をのみこんだ新型コロナウイルスの最初の集団感染は、ここで発生した。 昨年 12 月 31 日、市当局は初めて「原因不明の肺炎患者が 27 人いる」と発表。 その多くが市場の関係者だとした。 リストを入手したという中国メディアは、一番早い発症は 50 代女性の 12 月 11 日だったと伝えていた。 新型ウイルスはどこから来たのか。 最初の感染者だったかもしれないその女性を探した。 「最初の感染者」を探して、記者は現場を訪ね歩きました。 取材を進めると、どのように感染が広がっていったのか、少しずつわかってきました。 市場周辺の住民から市場で働いていた人たちの行方を聞き、一人一人訪ね歩くうち、「最初に発病したのは彼女だと思う」と言う人に行き着いた。 地元の長江流域で採れる魚を扱っていた丁長生 (66) は、12 月 10 日ごろ、市場内でエビを売っていた親戚の女性が体調不良を訴えたのを覚えていた。 女性は「熱が出た」と言い、軽いせきもしていた。 市場近くの小さな診療所で点滴を受けたが、なかなか治らなかった。 丁は「単なる風邪だと思ったのに、だんだん心配になった」と振り返る。 1 週間後、女性の容体は悪化し、近くの病院に入院した。 市場はかきいれ時だった。 元旦や春節を控え、どの店も普段の何倍も仕入れ、店先に箱を山積みにしていた。 女性の後も体調を崩す人が続いたが、喧騒のなかで異変を感じとれた人はほとんどいなかった。 冷凍食品を売っていた男性は「忙しくて周りの人の体調なんて気にする余裕はなかった」と言う。 退院したエビ売りの女性は、郊外の別の市場で商売を再開していた。 新しい看板を掲げた店を探し当てたが、女性はめったに顔を出さず、注文は電話で取っているらしかった。 1 週間近く通っても会うことができず、電話をかけてみたが、「今さらそんな話をしてどうなるの」と口を閉ざされた。 彼女に限らず、市場で働いていた人の多くは当時を語りたがらない。 調味料を売っていた女性 (47) は「私たちの市場が悪者のように言われ、傷ついている」とつぶやいた。 その後の中国当局の調査で、女性より早い 12 月 8 日に発症した男性の存在も確認された。 男性は「市場には行っていない」と話しているという。 今も多くの謎を残すウイルスは年の瀬の市場で静かに広がり、そして世界をのみ込んでいった。 「毛先生」の診療所、深夜まで行列が続いた 華南海鮮卸売市場で地元の魚を売る丁長生が、親戚の女性の容体を気にし始めたころ、新型ウイルスはすでに市場の外にも広がっていたようだ。 市場から歩いて数分の距離に、多くの市場の関係者が住む一画がある。 細い路地が続き、安値のアパートや売店が軒を連ねる。 無造作に張り巡らされた電線にぶら下げられた洗濯物の下を住民たちは肩をぶつけ合いながら行き交った。 ここに暮らす約 5 千人の半数以上は、武漢に戸籍を持たない出稼ぎなどの労働者だ。 昨年 12 月、その路地に連日、人の列ができた。 行列の先にあったのは、古びたビルの 1 階の小さな診療所だ。 「毛先生」と呼ばれる 40 代の男性が看護師と 2 人で営んでいた。 近くで食堂を営む女性 (47) は「ちょっとした病気に時間と金をかけたくない人にとって、毛先生はありがたい存在だった」と言う。 丁の親戚の女性も、最初は毛の診療所を頼ったようだ。 中国の病院では予約手続きや検査に長い時間がかかる上、貧しい人々に過重な費用がかかる問題が指摘されてきた。 日々の稼ぎが重要な労働者たちは、これといった設備もないが 40 元(約 600 円)払えばすぐに点滴が受けられる毛の診療所を頼りにしていた。 例年、混み合う季節ではあったが、この冬は少し様子が違った。 住民らによると、行列は連日、早朝から深夜まで絶えなかった。 午後 10 時を過ぎても続くこともあり、小さな部屋で 20 人近い人が同時に点滴を受けた。 多くの患者の症状は発熱で、軽いせきをする人もいた。 近くの男性 (61) は「毛先生は普通の風邪だと思って応対していた。 政府も気がつかなかったことに、1 人の医者が気づくはずがない。」と言う。 同じような状況は、市場の周囲に点在していたほかの診療所でも起きていた。 中国メディアによると、12 月末に市が「原因不明の肺炎患者」としてリストアップした 27 人の多くが、最初は病院ではなく、こうした地元の診療所を頼った。 専門の医師や設備のある病院ならば得られた多くの知見が、小さな診療所で埋もれた可能性がある。 1 月 1 日に市当局が華南海鮮卸売市場の封鎖に踏み切った直後、周辺の各診療所に「診療をやめ、発熱者の対応は病院に任せよ」と当局側から通告が出た。 住民らによると、毛は通告の後もひそかに診療を続けたが、やがて当局によって強制的に閉鎖された。 中国メディアによると、毛の診療所があった地区では 2 月末までに 30 人の感染が確認され、うち 3 人が死亡。 「感染の疑い」とされた人も 55 人おり、うち 2 人が亡くなった。 「SARS で隔離されている人が …」 ネットで拡散 市場を中心に広がった奇妙な病。 武漢市内の拠点病院の医師たちが異変に気付き、原因解明に向けて動き出したのは、年の瀬も迫ってからのことだ。 12 月 27 日、華南海鮮卸売市場に近い中西医結合病院の医師が、ウイルス性肺炎が疑われる 4 人の患者に共通する特異な症状を地元の疾病コントロールセンター (CDC) に報告した。 後に中国政府がまとめた新型ウイルス対策の白書も、CDC が同病院の通報を受けた時の記述から始まっている。 その 2 日後には原因不明の肺炎患者 7 人が、武漢の感染症対策の拠点だった金銀潭病院に集められた。 当時の院長だった張定宇 (56) は「伝染病の集団感染は毎年あり、普段通りの対処をした。 これほど大きな事態になるとは、この時はまだ想像できなかった。」と振り返る。 中国メディアによると、武漢中心病院も 12 月 27 日、原因不明の肺炎患者の検体を北京の検査会社に送った。 3 日後に届いた回答は、「SARS (重症急性呼吸器症候群)だ」というものだった。 院内に緊張が走り、医師らは「気を付けよう」と声をかけ合ったという。 その中の一人が、眼科医の李文亮だった。 李はすぐに、SNS のグループチャットに「SARS にかかった人が私たちの病院に隔離されている」と書き込んだ。 それがネット上で拡散し、ネットメディアが採り上げ始めた。 ざわめく世論に押されるように、武漢市が原因不明の肺炎患者の存在を公表したのが翌 31 日のことだ。 李はその後、「デマを流した」として警察から処分を受け、その後、自らも感染して亡くなった。 いち早く未知のウイルスへの警鐘を鳴らしながらその犠牲となった李は、当局による情報統制のひずみを示す象徴になった。 未知の肺炎の原因を突き止める作業は、年をまたいで続いた。 各病院から患者の検体が次々と北京や上海などの分析機関に送られた。 中国メディアによると、1 月 5 日ごろまでにウイルスの遺伝子配列が判明し、1 月 7 日には政府の CDC が感染した細胞からウイルスを分離した。 専門家らが SARS や MERS (中東呼吸器症候群)とも違うコロナウイルスであることを確認し、中国政府が「新型」の検出を正式に公表したのは、1 月 9 日だった。 ウイルスの起源、謎のまま 確認されている最初の集団感染は華南海鮮卸売市場で起きたが、新型コロナウイルスが、いつどこで生まれたのかは謎のままだ。 コロナウイルスはコウモリなどの哺乳類を宿主とした後にヒトへ感染することがあるため、当初は市場で売られていた野生動物が発生源と疑われた。 だが、市場の野生動物から採取された検体からはウイルスは検出されなかった。 中国政府は今年 2 月、4 万人余りの感染者への聞き取りなどから、確認できるなかで最も早い発症は 12 月 8 日だとした。 しかし、その男性は当局の調査に「市場には行っていない」と証言。 華南海鮮卸売市場にもヒトからヒトへの感染で入り込んだ可能性がある。 世界各地の専門家からは、ウイルスの遺伝情報の分析などから、最初の感染は昨年の秋や夏までさかのぼると推定する論文も出ている。 トランプ米大統領が「武漢のウイルス研究所から漏出した」と主張し、中国が激しく反論するなど、起源を巡る論争は決着を見ない。 最初の感染者がわからない以上、最初の犠牲者の特定も難しい。 中国政府が確認した中で最も早い死者が出たのは、1 月 9 日だ。 ただ、華南海鮮卸売市場で魚を売っていた唐立軍 (47) は、店に毎日仕入れに来ていた斉という名の 50 代くらいの男性のことを思い出す。 屈強な体格で冬でもシャツの袖をまくり上げていた。 12 月の初め、斉は突然、市内の病院に入院した。 何の病気かわからないまま高熱を繰り返しているらしいと聞いたが、年の瀬に訃報が届いた。 斉が亡くなった時、新型ウイルスの存在は知られていなかった。 唐は「彼が最初の犠牲者ではないかと思う」と話すが、確かめるすべはない。 (武漢 = 平井良和、宮嶋加菜子、asahi = 7-1-20) 北京南方で事実上のロックダウン 安新県 40 万人対象か 新型コロナウイルスの再流行を受け、中国の北京中心部から南に約 100 キロの位置にある河北省の県が 27 日夜、住民の外出を制限する措置を新たに始めた。 約 40 万人の住民が対象になるとみられる。 最近の感染者は 10 人程度だが、感染の本格的な再拡大を防ぐために地元当局が強い措置をとった形だ。 事実上のロックダウン状態になっている。 外出制限を新たに始めたのは同省安新県で、各世帯が 1 日 1 回、生活必需品の買い物に出かける以外、外出を禁止すると発表した。 県外からの車両の進入も禁止。 外出規制を破った場合は「法に従って厳しく処分する」としている。 中国では今月 11 日以降、北京市の「新発地卸売市場」の関係者に感染が拡大し、同市だけで 300 人を超える発症者が出ている。 市は感染者が確認された市場近くの団地を封鎖。 市内の全小中高校の登校も取りやめた。 安新県の住民も 2 千人以上がこの市場で店を経営するなどしていたといい、11 日以降に少なくとも 10 人が感染した。 安新県は習近平(シーチンピン)国家主席が肝いりで建設を進める新都市「雄安新区」の一角をなす重要な地域でもあり、地元当局が抑え込みに躍起になっている形だ。 (北京 = 高田正幸、asahi = 6-29-20) 第 2 波の北京「まるで監獄だ」 政権の威信かけ徹底対策 新型コロナウイルスの感染「第 2 波」が発生した北京では、当局が「戦時状態に入った」として大規模な移動規制や膨大な PCR 検査などの強い措置に再び出ている。 規制緩和に踏み切った東京と新規感染者の数は大差ないが、政治的な背景もあり、あくまで完全制圧を目指す構えだ。 市場隣接、団地も封鎖 「全関係者を検査するため営業を休止します。」 18 日、市中心部の天陶紅蓮菜市場は人の姿もまばらで、入り口にこんな貼り紙があった。 この市場では関係者から感染が出て、14 日に閉鎖された。 感染者は、クラスターが発生した新発地卸売市場にも出入りしていたという。 隣の団地の門も閉ざされた。 内側にいた 20 代の男性は「この辺の団地は全部封鎖された。 買い物にも行けない。 まるで監獄だ。」と苦笑し、門を隔てて宅配員から飲料水を受け取った。 近くの居住区に設けられた検問所では、外出を求める中年男性が「おれにも生活がある。 待ち続けるわけにいかない。」と憤り、防護服を着た担当者が「あなたの家で感染者が出たら大変なことになる」と必死で制止していた。 洋服店の女性店員は「2 カ月休業して 4 月からやっと客足が戻ってきたのに、また一人もこなくなった」とあきらめ顔だ。 「第 1 波」を上回る勢いの「第 2 波」 北京では 4 月 16 日以降、56 日間、感染が確認されなかった。 だが、今月 11 日の感染確認以降、13 日の 36 人など連日 20 人以上の新規感染が出て、19 日までの累計は 205 人に達した。 重症者も 13 人いる。 中国で感染が深刻だった 2 月上旬、北京の感染者は 1 日最大 29 人。 「第 2 波」の勢いは当時を上回る。 市当局は大規模な措置を次々と打ち出している。 感染者が確認された三つの市場近くでは 40 の居住区を封鎖し数万の住民の外出を禁じた。 市内の小中高校の登校も取りやめオンライン授業に戻した。 20 日夕までに市場関係者や周辺住民らを中心に約 230 万人に PCR 検査を行い、今後も検査態勢を強化する構えで、市内の至るところで検査に並ぶ人や車の列を見かける。 最大でも 1 日 2 千人程度の東京都とは桁違いの規模だ。 長距離バスも運行停止し、北京に発着する航空便も連日、千便以上が欠航。 北京は半ば封鎖状態となりつつある。 輸入食材にウイルス付着? 「第 2 波」の経路について、中国疾病予防コントロールセンター疫学首席専門家の呉尊友氏は、@ 市外から新発地卸売市場に持ち込まれた肉類や海鮮品の表面にウイルスが付着していた、A 感染者が市場を訪れて感染を広げた、という二つの可能性を指摘する。 同センターは遺伝子の分析結果からウイルスは欧州経由とし、「現在欧州で流行しているものよりも古い」と指摘。 世界的な流行の早い段階で輸入された食材にウイルスが付着しており、低温多湿などの条件下で生存し続けていた可能性を示唆する。 国家衛生健康委員会は食品を介した感染説について「科学的根拠はない」と慎重な立場だが、北京では海産品の提供をやめる店が続出。 記者が 18 日に訪れたスーパーでは海鮮売り場から商品が消えていた。 「置いているだけで不安がられる」と、刺し身をメニューから外した日本料理店もある。 北京由来の感染者が確認された遼寧省や四川省などでも水産品の販売を取りやめる動きが出ている。 首都の再燃、当局も神経質に 「第 2 波」は社会に動揺を与えているが、連日万単位の感染者を出す米国やブラジルと比べその数は限定的で、東京と比べても少ない。 日本ではある程度の感染者が出ることも前提に規制緩和が進むなか、中国の強い対応は際立つ。 背景の一つには、感染状況が政権の威信と結びついている事情がありそうだ。 習近平国家主席は感染の抑え込みに成功したことを強調し、「共産党の指導と社会主義制度の優位性をはっきりと見せた」と国内外にアピール。 政治の中枢である北京を最初に感染拡大が始まった湖北省と並ぶ特別な地と位置づけ、徹底的な対策を命じた。 首都の感染再燃は習氏の顔に泥を塗る事態でもある。 公安当局はネットで「2,500 人が陽性」などと発信した市民 10 人を「デマを流した」として拘束。 北京の党関係者が「重圧は大きい」と認める通り、当局側も神経質になっている。 (北京 = 西村大輔、高田正幸、asahi = 6-21-20) ◇ ◇ ◇ 北京のコロナ感染、計 137 人に - 首都封鎖を回避したい中国は綱渡り
新型コロナウイルスの再拡大による北京市の感染例が 16 日までに累計で 130 件を超えた。 中国は首都・北京を封鎖せずに感染拡大をどう食い止めるか、綱渡りの対応を余儀なくされている。 北京市衛生健康委員会は 17 日、新型コロナ感染症例が 16 日に 31 件増えたと発表。 これで再拡大後の感染例は 137 件に達した。 北京のクラスター(感染者集団)に関連した感染は南東部・浙江省にまで広がっている。 17 日からは全ての学校が閉鎖され、住宅地区では出入りする人々の検温や強制的な登録が実施されている。 コロナ再拡大のきっかけとなった北京の新発地市場と接触歴がある人は市外に出ることが禁じられ、他の北京住民も市外に出る場合はコロナ検査で陰性証明が必要だ。 約 2 カ月にわたり新型コロナ感染者が確認されなかった北京で、再び感染が発生した原因は依然不明。 幅広い権威主義的な権力を持つ国であってもコロナ根絶がいかに難しいかを浮き彫りにしている。 中国は北京発の新たな集団感染を受けて規制を強化しているが、武漢市や東北部で起きた感染拡大に比べれば対応は限定的だ。 人口 2,000 万人超を抱える政治・文化の中心である北京の当局者が迫られる難しいかじ取りを示している。 (Bloomberg = 6-17-20) ◇ ◇ ◇ 中国税関、輸入肉全てにコロナ検査実施 - サーモンも店頭から姿消す
北京市の食品卸売市場から集団感染が広がる状況を受け、中国の税関当局は全ての輸入肉の積み荷について新型コロナウイルスの検査を開始し、一部大都市の当局も国内市場で肉製品の検査を実施している。 扱いに慎重を要する問題だとして商社幹部が匿名を条件に語ったところでは、港湾当局は輸入肉の全ての積み荷の拡散検査を行っている。 税関当局はサンプル検査ではなく、積み荷の中の全ての委託品の検査を開始したという。 食品卸売市場の集団感染は、輸入サーモンの販売業者が使用したまな板が感染源と特定され、これに伴い検査態勢が強化された。 サーモンは主要都市のスーパーや食料品店から姿を消した。 税関の公式統計によると、中国の 4 月の食肉および内臓肉の輸入は 86 万 2,000 トン。 1 - 4 月では 300 万トンと前年同期比 82% 急増した。 ブリック・アグリカルチャー・グループのシニアアナリスト、リン・グオファ氏は「一部のバイヤーは新たな注文を出すのに慎重になる可能性がある」と指摘した。 (Bloomberg = 6-17-20) ◇ ◇ ◇ 北京のコロナ集団感染、100 人超に WHO 中国・北京で新たに発生した新型コロナウイルスの集団感染について、世界保健機関 (WHO) は 15 日、100 人以上の感染が公式に確認されたと発表した。 WHO は、北京市内で新たな死者は確認されていないものの、都市の規模と接続性を考えると今回の集団感染は懸念材料になるとしている。 WHO のテドロス・アダノム・ゲブレイェスス事務局長はインターネットを通じた記者会見で「ウイルスの感染抑制に成功した国でも、感染が再び拡大する可能性に注意を払わなければならない」と指摘。 「北京では 50 日以上にわたり新規感染者が出ていなかったが、中国は先週、同市で新たに発生したクラスター(感染者集団)を報告した。 これまでに 100 人以上の感染が確認されている」と説明し、「集団感染の起源と範囲は調査中」だと述べた。 (AFP/時事 = 6-16-20) ◇ ◇ ◇ 北京で週末、新たに 72 人発症 中国全土に拡散の懸念も 新型コロナウイルスの感染者が再び増加している北京市で 13、14 日、計 72 人の発症者が新たに確認された。 北京で 11 日に約 2 カ月ぶりの感染者が確認されて以降、遼寧省や河北省でも感染者が確認されており、全国的な再流行への懸念が強まっている。 中国政府によると、北京では 13、14 日にそれぞれ 36 人の発症を確認した。 また 13 日に遼寧省で 2 人、14 日には河北省で 3 人が新たに発症した。 遼寧省と河北省の発症者はいずれも北京市で発症した人物と関わりがあり、北京から感染が広まった形だ。 北京市は感染者の多くが勤務している「新発地卸売市場」や付近の団地を封鎖。 市場を最近、訪れたことのある人に対しても、PCR 検査を受けて外出をしないよう要求している。 中国メディアによると、北京市内の病院前には 14 日、検査を待つ人びとの行列ができた。 吉林省や四川省などは、北京の感染リスクの高いとされる地域から訪れた人に対し 14 日間の隔離を要求すると発表した。 中国政府は北京で 15 日に予定していた記者会見の中止を決めた。 (北京 = 高田正幸、asahi = 6-15-20) ◇ ◇ ◇ 北京で 2 カ月ぶりに感染者 計 53 人、全員が市場関係者 新型コロナウイルスの感染抑止に力を入れていた中国北京市で 11 日以降、新たな感染者が 53 人(うち発症者は 7 人)確認された。 北京で新たな感染者が確認されるのは約 2 カ月ぶり。 市当局は事態を重く見て、クラスターが発生した可能性のある農水産品市場やその周辺を封鎖するなど大がかりな措置に乗りだしている。 市当局によると、北京では 4 月 16 日以降、56 日間、感染者が確認されなかった。 しかし、今月 11 日に 1 人、12 日に 6 人と新たな感染を相次ぎ確認。 7 人はいずれも発熱や肺炎などの症状があり、1 人は重症だ。 さらに、接触が疑われる人を PCR 検査したところ 46 人から陽性反応が出た。 いずれも症状はないという。 遼寧省で 12 日に確認された感染者 2 人も北京の感染者の濃厚接触者だった。 発症者は全員、市内の「新発地卸売市場」に勤めたり立ち寄ったりしたか、その濃厚接触者だという。 報道によると、市当局が市場を検査したところ、魚介類を切るまな板などから新型ウイルスを検出。 当局は 13 日未明に市場を閉鎖し消毒を始め、市場関係者ら 1 万人以上を対象に PCR 検査を進めている。 この市場は市内で流通する農産品の 8 割を扱うとされ、当局は出荷先の小売店や飲食店への検査も広範囲に行う構えだ。 市場近くにある 11 の団地や長距離バスターミナル、高速道路の入り口も閉鎖された。 習近平(シーチンピン)指導部は首都の感染防止を重視し、住民の移動制限や旅客機の国際便受け入れ停止など厳しい管理を続けてきた。 経済の再建に向けて規制を緩めた矢先に新たな集団感染が発生したことへの焦燥感は強く、「第 2 波」の拡大を防ぐためにさらに厳しい措置に乗り出す可能性もある。 (北京 = 西村大輔、高田正幸、asahi = 6-13-20) 中国、新型コロナ白書を発表 「情報隠し」指摘に反論 中国政府は 7 日、新型コロナウイルスをめぐる自国の対応についてまとめた初の白書を発表した。 昨年末から迅速に感染を抑え込み、透明性のある公開に努めたと主張し、米国などが指摘する「情報隠し」に反論した。 一方、会見した幹部は、国への通報システムなどに不備があった点は認め、改善をアピールした。 白書は「中国は生命と安全を第一に最も厳しい措置を取り、ウイルス感染を有効に遮断した」と強調した。 会見した国務院新聞弁公室の徐麟主任は、5 月末までに治癒率が 94・3% に達した点を踏まえ「経験の共有には価値がある」と白書発表の狙いを語った。 米国や国外メディアが指摘する通報の遅れや情報隠しについて、白書は「歴史や国際社会に責任ある態度で対応した」と主張。 中国への責任の押しつけや政治問題化する動きに「断固反対する」とした。 国家衛生健康委員会の馬暁偉主任も会見で「データ公開が遅れて感染が広がったという指摘は事実に反し、同意しない。 現在まで人類が理解していることは、非常に限られている。」と述べた。 ただし、現場の医師や研究者らの権限が弱く、通報システムなどに問題があった点は認め、「重大伝染病の早期発見につながるよう改善を図っていく」とした。 (北京 = 冨名腰隆、asahi = 6-7-20) |