島根の高校への "地域留学" から東大へ
「田舎だからこそ得られたリアリティが僕の夢の源」

都道府県の枠を超えて、全国の高校に進学する「地域みらい留学」というネットワークがある。 都会にはない広大な自然、その地域特有の文化にふれながら、充実した 3 年間を送るというものだ。 最近では、少人数教育、親元を離れての寮生活、独自のカリキュラムに魅せられ、都会から進学する生徒たちが増えている。 今回は、その制度を利用し、神奈川県の高校から島根県立津和野高校に再入学。 卒業後は、東京大学に進学した鈴木元太さんにインタビュー。 きっかけをはじめ、島根の 3 年間で彼が得たこと、未来につながる糧など、あれこれお話を伺った。

きっかけは「震災ボランティア」 地元の高校生たちに刺激を受ける

「この地域への留学を選んだきっかけは?」と聞かれれば、やはり高校 1 年のときの震災ボランティアだったと振り返る鈴木さん。 「ここまで復興していないなんて」、「まだまだ手付かずなんだ」とリアルな現場を目の当たりに。 その後、何度も被災地に足を運んだ。 そんななか、最も印象的だったのは、同世代の高校生たちが、自分たちの街のために奮闘している姿だった。 「例えば、高校生カフェをしたり、大阪の物産展で販売しようと地元の商品を自分たちで仕入れをしたり、街を舞台にファッションショーをしたり、街の大人たちを巻き込みながら行動している様子を見て、高校生でも地域や社会に働きかけることができるんだと思ったんです。」

そうして「学校を休んで何度も被災地を訪れる生活」をしているうち、通っていた神奈川県の進学校での留年が決定。 もう一度1年からやり始めるという選択もあったが、「大学受験のための高校生活にしたくない。 もっと地域や社会にリアルに関わるような学びがしたい。」と、「地域みらい留学」実践校である島根県の津和野高校に再入学した。

親や先生以外の大人が身近に 田舎だからこその距離感が新鮮

「前の高校と一番違うことは、とにかく関わる大人が多いこと」だった。 例えば、地域の人たちが先生役、指導役になって、高校生たちが興味を持ちそうなテーマで、より実践的に学べるカリキュラムを 1 年間通して設けている。 そのコースは 20 以上。 「例えばドローン入門だったり、津和野の建築や食だったり、空き店舗をなんとかしようだったり、何でもあり。 今では、"T-プラン" と名付けられ、猫カフェやアイドル入門といったものもあります。 生徒のほうから提案もできます。」 津和野高校の 1 学年の生徒数は 60 人程度と少人数。 地域の人たちと生徒たちがお互いに顔と名前が分かる環境で、交流を深めていく。 大人と生徒との距離感がとても近いのが都会との大きな違いだ。

「竹林を守る」活動を通して得られた体験が、将来への座標に

鈴木さんが高校生活で積極的に取り組んだのが「竹林」だ。 まちに入り込んでフィールドワークをする地域系部活動「グローカルラボ」の一環として、地域の行事に参加して地域の人たちと顔見知りになったり、自分たちが借りた畑で作物を育てるために地元の農家さんたちの協力を得るなか、鈴木さんは「津和野では放置した竹林が増えており、景観や生態系に悪影響を及ぼす危険がある」ということを知る。 「どうにかならないかなと思い、学校と地域を結ぶ高校魅力化コーディネーターにお願いし、竹林の持ち主の方や役場の方に会って、話を聞きました。」

その後、たけのこを掘る企画を立ち上げたり、竹を割って器にしたタケノコご飯をしたり、小学生と竹馬をつくるワークショップをしたりと、「鈴木くんといえば竹」と高校でも一目置かれる存在になったそう。 「とにかく、"こんなことを考えているんだけど …" と相談したら、"だったら、この人に話を聞けばいいんじゃない。 連絡してみよう。" とか、"じゃあ、私が車を出そう" と、いろんな大人たちが協力してくれました。」

「普通の高校生じゃ、なかなか会えないような人と話す機会が得られて、視野が広がりました。 また、自分で考えて動けば、誰かが応えてくれる。 竹には興味がない同級生も、ごはんづくりなら、と参加してくれたり、子ども好きな友人は小学生向けの教室を手伝ってくれたり、そのコミュニケーションの在り様がとても楽しかった。 それはこれからのやりたいことにつながっています。」

もし津和野に行かなかったら、今の自分はいなかった

「もっと地域に関わる学びをしたい」と、現在は、推薦入試で東京大学の理科 1 類(工学部建築学科に進学予定)に入学した鈴木さん。 学力に加え、神奈川県の高校時代から続けてきた衛星を使った画像分析の研究(北海道大学と共同)、さらに津和野高校での竹林の保全活動が評価されたのだ。

「神奈川県で在籍していた高校は進学校で、僕は高校受験で燃え尽き症候群になってしまったんです。 そのままそこで高校生活を続けて、学ぶモチベーションを保てたかどうか分かりません。 当時の僕の将来のビジョンは "グローバルに働く"、"サイエンスで問題を解決" など、どこかふわふわしたものでした。 でも津和野での経験で、課題は目の前にあるし、それを解決していくには自分が動くべきだという意識が芽生えました。 そこにあるのは圧倒的なリアリティでした。」

現在は、かつての自分のような情報弱者の受験生をサポート

行動力、決断力、周囲の人を巻き込む人たらし力 (?) のある鈴木さん。 漠然と自分が進みたい道の輪郭がクリアになっていったものの、目の前にある "大学進学" に対しては不安で仕方がなかったそうだ。 「そもそも、津和野には、都会のような受験特化の進学塾はありません。 四年制の大学の進学率も 3 - 4 割です。 大学進学にはセンター試験対策の受験勉強も必要ですが、それを独学でするのは、正直、強い意志が必要でした。 情報格差もあります。」

そうした不安を持っていた鈴木さんは、東京大学ではいわゆる非進学校出身のメンバーによるサークル UTFR に加入。 過疎地の高校生に対し、情報提供や進学サポートをする活動を行っている。 取材日の週末も、友人の大学生たちと津和野に帰り、母校を訪問、ワークショップを開く予定だ。 「都会では当たり前なことが田舎では難しいことは多々あります。 でも、地元の人たちは気づいていないだけで、田舎だからこその強みもたくさんありますから。」 自ら考え、自ら行動する。 津和野で培った行動原理を卒業後も実践し続ける鈴木さん。 今後の活躍が楽しみだ。 (SUUMO ジャーナル = 2-21-20)


「島根にすごい町がある。」 地域住民が自ら決める人口減少時代の「しくみづくり」

「島根にすごい町がある」と聞いて初めてその町を訪れたのは、2018 年の春だった。 公民館に年配者や地区の T シャツを着た女性、若者など幅広い層が集まってにぎわっている。 各地区の住民が、来場者に自分の地域のことを熱心に説明している。 一見どこにでもある移住フェアのようで、行政担当者ではなく地区住民自らが地域の PR を行っていることに衝撃を受けた。 これは、島根県邑南町(おおなんちょう)で 2016 年度に始まった「地区別戦略事業(通称、ちくせん)」の中間報告会の場。

邑南町は、もう 20 年近く前から「自分たちの地域を自分たちの手でつくる」を実践し、小規模の地区単位でボトムアップ式に自治に取り組んできた。 地域法人による事業展開や、住民同士が福祉の助け合うしくみをつくってきた。 いま各自治体はあの手この手で移住者を惹きつける策を練っている。 その時「住みやすさ」は、制度ではかられがちだ。 子育てをするのにどんな助成があるのか。 家は、仕事は。 もちろん、そうした条件で移住先を選ぶのは自然かもしれないが、その地の本来のよさともいえる気風や活気、雰囲気は、数字や制度でははかれない。

一方、都会でも人口が減る可能性が高いこれから、まちの規模をダウンサイズしながらスムーズに維持していけるしくみが求められている。 そうした地域社会の自主的な運営のしくみ、住んで楽しいのはどんなまちか? を考えるヒントに、2019 年秋、再び邑南町を訪れた。

ボトムアップの政策で、自治意識が育まれた

島根県邑南町は、2004 年に旧羽須美村・旧瑞穂町・旧石見町が合併してできた、広島寄りの山間地に位置する人口 1 万 1 千人のまち。 一時は消滅可能性都市 896 の一つに挙げられたものの、わずか 5 年後には人口の減少率が大幅に改善。 2011 年度以降、移住世帯数は増え続け、8 年連続で 20 - 30 世帯越え。 ここ 5 年間の移住定住者数は 63、49、65、67、48 人。 2015 年以降、20 代後半 - 30 代前半の子育て世代が転入増となっている。

移住定住対策として掲げられ、邑南町を一躍有名にしたのが「日本一の子育て村構想」と「A 級グルメ」だ。 「日本一子育て村構想」とは子育て世代への金銭的負担を軽くすることを主眼に、2 人目以降の保育料が無料、中学生までの医療費が無料になるといった制度で、ソフト面も合わせてほかの地域に先がけて始まった。 また A 級グルメとは、当時流行っていた B 級グルメに対して、ここの食材は A 級ですよという意味を込めて本格イタリアンレストランを開業。 邑南町で生産される良質な農産物を用いて「ここでしか味わえない食や体験」を提供し、それを担う生産者やシェフを育成することも含めて、地域産業振興の対策として実績を上げた。

ところが、子育て施策にも携わった現・地域みらい課、まち・ひと・しごと創生戦略推進室室長の田村哲さんはこう話す。

「子育て支援は、始めた時期が 9 年前と全国的にも早かったことが成功要因にあります。 確かに問い合わせは増えましたが今ではどの地域も同じような支援を始めていますし、財源さえあれば真似できること。 うちのまちの特徴と言えるものではないんです。」

「それより移住者を受け入れるのは地域の方々。 各地区がしっかり迎え入れて歓迎してあげる雰囲気がなければ、定住してもらえない。 そこがうちの町の大きな強みです。 田舎では周りの人たちのサポートなしでは生活が難しいですから、地域が自立していないと難しいんです。」

子育て村構想を掲げた当初は、お年寄りから「自分たちにはどんな見返りがあるのか」といった声もあがった。 住民自らに、より地域の未来を自分ごととして考えてもらわなければならない。 そうして 2016 年度から 4 年間の事業として始まったのが、「地区別戦略事業(以下、ちくせん)」である。 外部のコンサルに頼むのではなく、住民自らが時間をかけて課題を考え議論し、地区別に必要なプランを作成し、実践する。

ただし、住民主体の地域づくりは、ちくせんに始まったわけではない。 さかのぼること約 10 年。 2005 年からの「夢づくりプラン」に始まり、その後には「地域コミュニティ再生事業」、その延長上にちくせんがある。 中国山地では、昭和から平成の大合併にかけて、急速に人口流出が進んだ。 瀬戸内に工業地帯が発展し、交通の便がよくなったことも過疎化をあと押しし、全国に先駆けて、小さな地区単位でのコミュニティの機能再生が必要になったのである。

現在邑南町で核となっている 12 の公民館区も、昭和の大合併前の町村単位。 問題は山積みでも「自分たちで何とかしなければ集落の存続が厳しい」という危機感を共有してきたことが、その後につながっている。 ちくせんでは 12 の公民館区ごとに、年 300 万円の事業費が用意される (*1)。 この事業をきっかけに、ある地区では移動スーパーが始まったり、ある地区では古民家を改修して宿泊事業が始まったり、15 年ぶりに運動会が再開した地区も。 (*1 財源は国による地方創生推進交付金。 最長 4 年間。)

求められることをやるのが、地域活動の第一歩

まず、最初に訪れたのは町内でもっとも人口の少ない布施地区(174 人)。 案内された公民館の一室にはプレゼンテーション用のスライドが用意されていた。 職員が依頼したのではなく、地域住民によって用意されたもの。

地区別戦略実行委員長の品川隆博さんの説明によれば、布施地区の活動は、「健康福祉」、「定住促進」、「農林振興」と大きく三つに分けられる。 なかでも大きいのは古民家を改修して開かれた「銭宝の寄り合い処」の存在。 週一度の健康チェックや体操、昼食会としての「サロン田屋」などが、この寄り合い処で開催される。 月に一度はお年寄りを対象にして食事会や体操を行う「いきいきサロン」も行われるため、集落には引きこもりのお年寄りが一人もいない。 さらに若い人や子どもも集まる「長ぐつ Cafe」では、フリーマーケットやワークショップなどの企画が催され、サロン田屋は、地域の人たちにとってなくてはならない場所になっている。

生活面ではまだ力のある 60 代が中心となり、「くらし応援隊」チームを結成。 草刈りや配食サービスなど、ひとり暮らしの後期高齢者をサポートするサービスを提供する。

品川さんはこう話す。

「布施地区は旧瑞穂町の頃から、率先して地域の課題を話し合ってきた地域です。 当時の人たちが 10 年後、20 年後を考えて実践して … と積み上げてきたことが今役に立っている。 たとえばここは高齢者は多いけれど、耕作放棄地は少ないんです。 夢づくりプランの頃から、集落営農といって、みんなで田畑を管理する生産法人のしくみがあるためです。 新規就農者の支援にもその頃から力を入れていて、地区内の農家で研修することもできます。」

2020 年の 4 月には田屋の加工所を使って集落の女性が中心になり配食サービスも始まる。 中心メンバーの三上富子さんは、こう話した。

「つい先日、地区の方たちに声をかけて立ち上げの会をやったんです。 10 名ほどの有志の中に 84 歳の男性もいらして。自分もこのサービスが始まったら利用したいから、できることがあれば手伝いたいって。驚いたけど嬉しかったですねぇ。」

やりたい人がいるからやるのではなく、必要とする人がいるからやる。 布施地区の人たちにとって、地域づくりとは、自分の生活、将来に直結すること。 一人暮らしのお年寄りが週に一度みんなと笑い合える日をどれほど楽しみにしていることか。 きっとカレンダーには大きな丸が付けてあるに違いない。 配食サービスを女性の仕事と片づけず「手伝えることがあれば」と足を向ける老人がいる。

今まで行政がカバーしていた仕事の多くを、地域できめ細やかに対応している。 ただしすべてボランティアになると、住民の負担が大きく続かないため、時給 400 円のお小遣い程度であっても、有償ボランティアとして運営される。 ちくせんの事業費なしでもその費用を捻出できるよう、自走することを目指している。

移住定住促進にどうつなぐか?

地元の人たちの暮らしに役立てるだけでなく、ちくせんの大きな目的には「移住定住促進」がある。 外の人へのアプローチには、どうつながっているのだろう。

品川さん「地域コミュニティ再生事業の頃から、地元出身者との交流や、新規就農支援を積極的に行ってきました。 集落営農でできた農業生産法人での研修制度や雇用、空き家の改修により、ここ数年でも幾人かは就農者が増えています。 ただし、ここに 10 人、20 人も移住者が増えることは現実的ではないと思っていて。 まずここの人たちが楽しく暮らしていけることが大事。 一緒に楽しんでくださる人たちとご縁ができれば関係人口が増えます。 そうしてみんなで協力し合っているところを見た娘さんや息子さんが戻ってくることは実際にあって。 ちくせんの目標数値は各世代 1 世帯程度だったのに、実際は 8 人も増えているんです。」

布施地区では、大学生の受け入れにも積極的だ。 田屋で行われる交流事業などのマネージメントを担うのが、「地域マネージャー」の松崎恵さん。 若手移住者の一人であり、定住促進の活動を進めている。 印象的だったのは、松崎さんが、地区で行われていることを記した「銭宝地区別つうしん」を地区を出た出身者や、地区に滞在・交流したことのある関係者約 140 名に定期的に送っていること。 通信には、地区で行われたカフェでの催しや、子どもたちも一緒に行ったイベントなどの様子が楽しそうに綴られている。

元公民館長・森田さんの息子さん、三上さんの娘さんともこの地域へ U ターンで帰ってきた。 事情はそれぞれだが、人生の岐路にさしかかった時、このまちへ戻ってもいいなと思う気持ちと、家族や地域の人たちがいきいきと支え合っている様子は無関係ではないだろう。

若い地元住民の参画が一気に進んだ地区

一方、ちくせんをきっかけに若手の参画が一気に進んだ地域もある。 青年部さえ存在しなかったところから、新しいお祭り「騒祭(そうずきんさい)」が始まるに至ったのが、日和地区。 高校卒業後、14 年間大阪で働いていた中井大介さんが地元へ戻って「何か面白いことしようや」と声をかけたのを機に、みんなが応じる形で始まった。 はじめに中井さんと話した役場職員の湯浅孝史さんはこう話す。

「中井さんは自分が中学校 1 年生の時の 3 年生で、めっちゃ怖い先輩やったんですよ(笑)。 驚いたのは、青年部をやろうと話して、もう次の時には 30 人くらい集まっていたこと。 僕一人やったら絶対ムリでした。」

青年部からちくせん事業の一貫としてお祭りをやることを提案し、地区の人たちも応援してくれることに。 祭りは、打ち上げ花火や屋台を出すなどして町内外から人が集まり盛況に終わった。 以来、今年で 3 回目を迎える。 お祭りが成功したことで、青年部の存在感は増した。 その後も地区に唯一ある商店の一部を改修してつくった交流スペース「ヒワココ」でビアガーデンを企画したり、グッズをつくって販売するなど、少しでも祭りの費用を自主的に捻出しようと動き始めている。

「今まであまり話したことがなかった人から、あれ青年部がやったんやろ? すごいなぁって声かけられるようになったり」と話すのは、家業の酪農を継いだ森原真也さん。 「青年部がなかったら、今も知り合いはほとんどいなかったと思います」とは、4 年前に東京から移住してきて役場に勤める藤彌葵実(ふじやあみ)さん。 今ではみんな仲がよく、毎晩のように誰かと会っていると言う。 ちくせん事業は「何かやろうや」という一人の気持ちを後押しし、青年部の活動につながった。 U ターン者、I ターン者、地元組の 20 - 30 代を結びつける大きなきっかけになっている。

それにしても、本業がある現役世代がそこまで地域のためにできるものだろうか。 そう聞くと、みんなが口を揃えて子どもの頃の思い出を語った。

中井さん「僕らの地域は子どもの数が少なくて、小学校 1 年から 6 年生までの男子が全員参加せんとサッカーができんくらいやったんで、みんなが知り合い以上の関係なんです。」

月森さん「俺らの親の世代が熱心に活動していた青年部で、子どもの頃、行事がめちゃくちゃ多かったんですね。 キャンプに行ったり、林間合宿に行ったりして、それがすごく楽しかった。 自分たちも子どもをもつようになって、同じことをしてあげたいなって。」

「地元の神楽がなくなるんはやっぱり嫌やし」、「小学校がなくなった時も、日和大丈夫かなと心配になったり」。 出てくる言葉は、町というより「日和地区」への思い。 子どもの頃の思い出を共有できる地元出身者同士がつながり、外からの I ターン者も入りやすい雰囲気ができている。 田舎だからという土地性とは関係なく、子どもの頃に地域と関わる機会がどれほどあったかで、地域への思いは変わるのではないかと思えた。

地元出身者との交流も

もう一つ、若手が地域活動に積極的に携わるのが阿須那(あすな)地区。 2017 年、ちくせんを機に 15 年間途絶えていた運動会が復活した。 この時、運動会の企画メンバーをあえて若手のみに絞ったと話すのが、「YUTA かプロジェクト」事務局の松島道幸さん。

「その方が地域が活気づくでしょう? 毎年新しい競技を考えるんですが、毎年 5 回ほど行う企画会議が楽しくてね。 みんなで運動場で実践して大笑いしながら進めています。 お年寄りは何もせんでいいということではなくて、後方支援をお願いしています。 競技に使う小道具は、時間のある年寄りでつくろうやって。 それも一つの遊びになるんです。 こちらもみんな熱心でね。 運動会って、当日だけでなくて、そこに至るまでの過程が大事なんです。」

当日は、よそに出ている地元出身者も数多く帰ってくる。  さらにはちくせん事業で、古民家を改修しバーにする話も持ち上がった。 この改修後の建物で、いまゲストハウス「mikke」を営むのが I ターン者の内藤直子さん。 知人を訪ねて阿須那へ遊びに来ていたところ、今度改修する家でゲストハウスをやってみないかと声がかかり、やってみることにしたのだそう。 そんなふうにちくせんが外から人が訪れる機会を増やし、働く場を提供することにもつながっている。

地域課題を解決するための法人が増加

地区別戦略の大きな目的の一つは定住促進だが、もう一つ、地域の活力を維持するために、地区主導の法人を立ち上げることも目的にある。 民間企業のように利益第一主義でなくても、手を貸す住民にいくらかの報酬を支払えるようになること。

田村さん「実際に、ちくせんの成果として、町内に NPO や社団法人など法人組織が新しく 5 つできました。 バリバリ稼いで雇用を生んで … という民間企業でなくても、地域の活動が助成金に頼らず自走できるようになるのが理想です。」

差し迫った地域課題を解決するための事業も生まれている。 中野地区で始まった移動スーパー「にこ丸くん」。 買い物に困っているお年寄りのためのサービスとして始まった。 中心的な人物、飛弾智徳(ひだとものり)さんは、この事業を始めるにあたって、ずいぶん勉強したと、ぶ厚い資料の束を見せてくれた。

「中野地区にはまだ 3 軒ほど店があるんですが、北部には店がなくなってしまって、それで移動スーパーを始めようと。 徳島の『とくし丸』というスーパーを参考にさせてもらいながらですが、今のところは地元のスーパーと連携して、委託販売ではなく買取方式を取っています。 実験的に始めたつもりが、毎回お年寄りが待っとるんですよ。 それで止められんようになって。 中野地区以外にも行くので一日の売上が 5 - 6 万円は立ちます。 ただ運営側の人手が不足していて、今のままでは続けていくのが難しい。 それが課題です。」

阿須那地区と口羽(くちば)地区をまたぐ旧羽須美(はすみ)地域では、「デマンド交通」という、地元住民がドライバーとなり有償で送迎する、バスとタクシーの間のようなサービスも始まっている。 現在は交通空白地内のみに限られるためまだ本格化していないが、来春には公共バスが走らなくなることが決まっており、より必要性が高まる。 前日の 17 時までに予約をすれば、自宅まで迎えに来てくれて目的地まで乗せてくれる。 乗り合いも OK だが、料金は一人ずつかかり、運賃は 200 - 500 円。 ドライバーも地域住民が担っており、現在 16 名が登録。 ちょっとしたお小遣い稼ぎができるしくみである。

こうした、生活に必要なサービスを、利益優先ではなく、住民サポート優先で、支払いやすい価格で提供していくことが、地域主体の法人に期待されている。

地域力とは

都会に暮らしていると、こうした話は一見遠いことのように思えるが、日本全体で人口が減り、行政活動が縮小せざるをえないこれから、都市部でも地域力によって住みやすさに差が生まれることは容易に想像できる。 ちくせん事業で行われている内容は、地区によって異なる。 それぞれの地区に何が必要か、何が足りないかを住民が考えた上で実践。 肝心なのは住民が主体的に進めることのできるしくみにある。

邑南町でも地区ごとにばらつきがあり、活動に住民全員が納得しているわけではないかもしれない。 ちくせん事業のみで「これだけ移住者が増えた」と言える明確な数字があるわけでもない。 地域づくりはつねに過渡期。 しかし地域の人たちが自分の手で課題解決しようとしている姿や、楽しそうな様子は、訪れた者の目にいきいきと映る。 それがこのまちの魅力であり、地域力。 外のものにもここなら安心して暮らせると思わせる、一つの理由なのかもしれない。 (甲斐かおり、Yahoo! = 2-18-20)


"美肌" 日本一!島根「玉造温泉街」注目スポットや食べ歩きグルメ、歴史薫る街・松江の観光名所も

島根県の観光名所「玉造温泉」と、歴史ある街並みが残る松江エリアのおすすめスポット & グルメを紹介。 前半は「玉造温泉」、後半は松江エリアにフォーカスしていく。

"日本一の美肌県" として知られる島根県。 「ニッポン美肌グランプリ」全 7 回開催した中の 5 回グランプリに輝いており、その名は全国区に広まっている。 そんな名誉ある功績を島根県が打ち出せた理由の一つが、「玉造(たまつくり)温泉」や「斐乃上(ひのかみ)温泉」といった "美容温泉" の名所が県内に複数存在しているということ。

今回はその中から、"日本最古の美肌の湯" として名高い「玉造温泉」をピックアップ。 県内屈指の観光名所でもある温泉街のおすすめ温泉や足湯、カフェ、食べ歩きグルメなど、「玉造温泉」を満喫するためのスポット & アイテムを一挙に紹介していく。

<その 1> お湯自体が高級化粧水!? "奇跡の成分" の温泉

「玉造温泉」の最大の特徴は、温泉を構成する成分にある。 一見無色透明、何の変哲もない「玉造温泉」のお湯だが、そのお湯が持つ "潤い補給率" は高級化粧水と同レベルの 165%。 つまり、「玉造温泉」のお湯に浸かれば、高級化粧水にそのまま浸かっているのと同じ効果を得ることが出来るのだ。

さらに、硫酸イオン、メタケイ酸、ナトリウム、カルシウムなど美容に良いイオンが "黄金バランス" で溶け込んでいる点もポイント。 スキンケア用品を開発する業界でも難しいとされるイオンの配合比率が、自然によって作り上げられている、まさに "奇跡の成分" の温泉なのだ。

お得に「玉造温泉」を満喫! 「湯巡りチケット」がおすすめ

玉造温泉街には、個性豊かな 16 の温泉施設が存在。 どこへ行くか迷ってしまう時におすすめなのが、「姫神さまの湯めぐり」チケット。 一綴り 1,000 円(税込)で購入できるこちらのチケットは、宿泊した旅館の温泉を含む、玉造温泉街 8 か所の温泉を巡ることが出来る。 利用可能時間は 15:00 から 21:30 までとなっているので、午後から夜にかけてずっと温泉に滞在することも可能だ。

美肌温泉をお持ち帰り、お湯を汲めるスポットも

さらに、玉造温泉街には、高級化粧水と同等の効果を誇る温泉をボトルに汲んで持ち帰ることが出来るスポット「湯薬師広場」も。 1 本 200 円(税込)でボトルを購入して誰でも "美肌の湯" をテイクアウト。 お風呂上りに自宅で一吹きするだけで、最高の保湿効果を得ることが出来る。

<その 2> 川で足湯! 温泉街に点在する 3 つの足湯スポット

宿のチェックイン前やチェックイン後など、次の旅程までのスキマ時間でも気軽に楽しめるのが、足湯。 玉造温泉街には 3 つの足湯スポットが点在しており、その内 2 つは川沿いに位置。 自然の空気や風情ある街並みを感じながら、のんびりと開放的な時間を過ごしてみて。

残りの 1 か所は、温泉街中程に位置する「姫神広場」内の屋根付き足湯。 雨の日でも天気を気にせずゆっくりと足湯を楽しむことが可能だ。 なお、こちらでは足ふき用タオルが 100 円(税込)で用意されているので、手ぶらで訪れても OK。

<その 3> 縁結びや美肌祈願、ユニークなご利益のある寺院 & 神社

玉造温泉街の南側には、「玉作湯神社」と「清厳寺」の 2 つの寺社が。いずれも由緒正しき寺社である一方で、お祈りの仕方やご利益がユニークな点に注目だ。 玉作湯(たまつくりゆ)神社は、温泉の神様や勾玉作りの神様を祀る神社。 境内には、触って祈ると願いが叶うとされている "願い石" があり、近年はパワースポットとしても人気だ。

また、社務所では "願い石" のパワーを持ち帰ることが出来るお守り "叶い石" を販売。 "叶い石" には、願い事を書く紙と、お守りとして持ち運ぶための小さな和柄の巾着がセットになっている。 「清巌寺」には、自分の肌の気になる箇所と同じ場所におしろいを塗ると美肌になると言われてる "おしろい地蔵さま" が鎮座。 お祈り用の札は、"おからだ用" と "お顔用" の 2 つから選んでみて。

<その 4> 古き良き建物が建ち並ぶ街並み

玉造温泉街には、古民家を改装した風情のあるお店や、中央を流れる川を渡る橋が多数並ぶ。 そんな情緒ある街並みの中を歩くだけでも、忙しい日々や都会の喧騒から解き放たれた、リラックスした時間を過ごせる。

温泉を原料にしたスキンケアショップ「姫ラボ」

街歩きの際に立ち寄ってみて欲しいのが、温泉スキンケアブランド「姫ラボ」のショップ。 美容効果の高い「玉造温泉」のお湯をベースにした人気のスキンケア用品は是非お土産として買っておきたい。 店内では、「姫ラボ」人気ナンバーワン商品「姫ラボ石けん」のもちもちきめ細やかな泡立ちを体験することも。

玉湯名物 "勾玉" アクセサリーショップ「たまゆら」

玉造は古代 "三種の神器" である勾玉を作り献上してきたことでも知られる地域。 そんな勾玉を使ったアクセサリーを販売するショップ「たまゆら玉造店」も玉造温泉街に軒を連ねる。 店内には、ネックレスやブレスレット、チャームなど、手作りのアクセサリーの数々がずらりと並ぶ。 スタッフに声を掛けるとしてくれる、無料の 10 秒ラッキーカラー診断もおすすめ。

<その 5> キュート & 絶品! 充実の食べ歩きグルメ

温泉街と言えば食べ歩き。 ゆっくりとお湯につかって、ご当地のグルメを食べながらまた次の温泉へと向かう … なんて楽しみ方も。 中でも、ガレージを改装したオシャレな店舗の「Yori 荘」が作る "ネコ" 型のコッペパン「ネコッペ」は、ワンハンドで楽しめるキュートな食べ歩きグルメ。 ふわっとしたパン。 パン生地には、スイーツ系からデリ系まで様々な食材を合わせている。

また、玉造のご当地デザイン事務所「あしたの為の Design」が手掛けるバラエティーショップ「よけいなお世話 玉造」では、まるでスイーツの様な甘さの焼き芋を販売。 "飲める焼き芋" と称されるほどトロトロ食感の焼き芋は是非一度味わってみたいところ。

<その 6> カフェや茶屋などおしゃれ一休みスポットが盛りだくさん

街歩きにとって "一休みスポット" は必要不可欠な要素。 玉造温泉街は、そんな "一休みスポット" も充実。 温泉街の北側に位置する複合施設「玉造アートボックス」 2 階の「マメカフェ」の窓側の席では玉湯川を見下ろしながらゆっくりカフェタイムを満喫。 座敷席があるのも嬉しい。

「玉造アートボックス」とは逆方面、「玉作湯神社」に程近い場所にあるのが、休憩処「おすそわけ茶屋」。 200 円(税込)というリーズナブルな価格で、抹茶と和菓子のセットを提供する。 飲み終わった後には、煎茶と沢庵をサービスしてくれる。 その他詳細および最新の「玉造温泉」の観光情報は公式 HP (http://tamayado.com/) を参照。

松江エリア

ここからは松江エリアの観光名所を紹介。 様々なスポットがある中でも、今回は松江市街地の松江城付近のおすすめスポットと 2005 年に合併し松江市となった美保関町エリアをピックアップ。

松江城付近のおすすめスポット

「喫茶きはる」 "現代の名工" が作る上生菓子を楽しめる茶房

松江歴史館内の「喫茶きはる」は、厚生労働大臣賞 "現代の名工" を受賞した職人による上生菓子を楽しむことが出来る茶房。 店内では、テーブル席 20 席のほか、約 30 畳のたたみの大広間があり、晴れた日は "濡れ縁" に、たたみを敷き和のオープンカフェも開設する。

"現代の名工" が手掛ける上生菓子はどれも精緻な作りで、可愛らしいものばかり。 四季をモチーフにしたものから、ご当地の人気キャラクターを模ったものまで、どれも思わず食べるのが勿体なくなってしまうような仕上がりだ。

「興雲閣」明治期のロマンを肌で感じて

松江城内に佇む「興雲閣」は、島根県指定有形文化財に登録されている明治期の館。 明治天皇の行在所として建設され、館内は華やかな装飾や彫刻で彩られている。 館内では、廊下や階段、扉など全ての要素から明治期のロマンを感じることが出来る。 カフェ「亀田山喫茶室」も内包しているため、松江城周辺散策の合間に一息つく休憩スポットとしても利用可能だ。

「堀川遊覧船」 "こたつ" に入りながら城下町を巡る

松江城を囲む堀川を周遊する「堀川遊覧船」は、冬になると "こたつ" が船の中に設置されることでも有名。 暖かい "こたつ" に入りながら、松江城下の歴史ある街並みを船頭による解説付きで楽しめる。

美保関のおすすめスポット

"古き良き港町" そんな肩書きがぴったりな街・美保関(みほのせき)。 山と海に挟まれた街の風景は、まるで映画のワンシーンに出てきそうな風情が漂う。 松江市街地からは、車で約50分と少々離れるにも関わらず多くの人が足を運ぶ理由が、「美保神社」、「美保館」、「青石畳通り」といった数々の名所の存在だ。

恵美須様の総本宮「美保神社」

美保関の港から直ぐ近くの「美保神社」は、全国の恵美須様を祀る神社の中でも "総本宮" とされる神社。 海上安全・大漁満足・商売繁昌・音楽・学業にご利益があるとされており、多くの人が参拝に訪れる。 また、五穀豊穣・夫婦和合・安産・子孫繁栄・音楽の守護神 "三穂津姫命(みほつひめのみこと)" も恵美須様とならんで祀られており、2 つの神様に共通する音楽のご利益を願い、地元では数々の有名アーティストが足を運んでいることでも知られる。

情緒たっぷりな「青石畳通り」

「美保神社」の鳥居のすぐ傍には江戸時代の情緒が残る「青石畳通り」がある。 江戸時代後期に海石を敷き詰めたとされるこの通りは、雨など水に濡れると "緑(= 青)" に染まることから命名され、晴れの日はもちろん、雨の日に見れる風景もまた趣がある名所だ。

そんな「青石畳通り」に建つ老舗旅館・料亭「美保館」は是非訪れておきたいスポット。 明治 38 年建設、100 年以上の歴史を持ち国登録有形文化財に指定されている本館では、マグロ、松葉ガニ、紅ズワイガニ、岩牡蠣、白イカなど季節の海鮮を使った豪華な懐石、コース料理を楽しむことが出来る。

コースメニューは、美保館名物「かに三昧」シリーズ。 「かにかに会席」、「お手軽 蟹三昧」、「満喫 蟹三昧」、「横綱フルコース」の 4 つの種類を用意。 お得な宿泊とのセットプランはもちろん、食事のみでの利用も可能となっている。

中でも「満喫 蟹三昧」は、「松葉蟹 大鍋」、「松葉蟹 蒸蟹」、「焼き蟹」など合計 3 杯の蟹を使った料理を堪能できる人気コース。 プリプリの身が詰まった蟹を、思う存分楽しめる大満足なコースはまさに美保関という土地だからこそ。 蟹だけでなく「活魚 御造り」など、新鮮な魚介類を味わうことが出来るのも嬉しい。

また、重厚で複雑な歴史ある建築空間も魅力。 施設中央部は、旅館の中庭を屋根と天窓を付けて改装。日差しが降り注ぐレトロな雰囲気の館内はうっとりするほど美しく、時間が経つのを忘れてしまいそう。 (FashionPress = 12-28-19)


島食の寺子屋 離島まるごと、日本料理の学び場

四季を敬い、その日を形にする : 日本料理とは本来、その土地、その季節に自然から頂戴したものを料理すること。 その日、島で採れた食材のみを用いることで、料理人としての創造力を育みます。

海・山・里、すべての食材を知る : 水・米・野菜・漁業・畜産など、島にはあらゆる食材が揃っています。 毎日、旬を感じながら、味や香り、色、食感など、食材に対する五感を磨くことができます。

生産者と触れ合い、体験する : 漁師や農家の方の生の声を聞きながら、食材の目利きが学べます。 さらに、料理人として生産現場の課題と向き合うことで、料理の未来をも考えるきっかけとなります。

季節を届ける料理人を育てる : その土地、その季節に自然から頂戴したもので料理をするという、当たり前のようで世の中からなくなりつつある和食本来の心や技術を、島での暮らしを通じて学びます。 和食の入口に正しく立ち、料理人としての原点を身に付けることができます。

1 年間、少人数で生徒一人一人の技術や目標を把握しながらの密度の濃い授業。 ひたすら料理に集中できる環境です。 初心者も経験者も料理を基礎から学びたい人はもちろん、経験者の方は、一日一品、365 のメニュー開発を指導します。

観光地での実践 : 島のホテルやキッチンなど、観光客に接する現場で実際に料理をし、学びを深めます。

島食の寺子屋で育った料理人

今じゃないと、できないことを

一般的に料理人になる方は、18 歳ぐらいから経験を積んでいるので、人の倍以上の努力はしないといけないと思って、島食の寺子屋に入りました。 食というのは、いろいろな分野が関わってくるので、料理の技術はもちろん、料理業界のことを知れる時間ができたのは、とてもよかったですね。 あと、体験として一番嬉しかったのは、山に入った時のこと。 季節問わず一年を通して新しいものを見ることは多くて、みかん狩りも楽しかったです。 (松崎千香さん : 福岡県の大学で栄養学を学んだのちに、2018 年 4 月に島食の寺子屋に入学。 現在は、東京・銀座の「六雁」で研修を積んでいる。

料理への愛情を感じる授業

広島の日本食レストランで働いていましたが、元々都会より田舎の景色が好きで、そういう生活を大事にしたくて海士町に移住しました。 多くの料理店は、既に決まっているメニューがあって、それに沿って食材を発注しますが、島食の寺子屋は全くその逆。 その日に島で獲れたものだけでメニューを考える。 すごく大変なことだけど、料理人にとって非常に勉強になりましたね。 生産者との触れ合いも他では経験できないことで、ここの魅力の一つだと思います。 (松本ダビッドさん : フランス生まれ。 広島の日本食「雅庭」で 1 年間の経験を積んだのち、海士町に移住。 現在は、マリンポートホテル海士で料理人として働いている。)

海士町とは?

島根県、隠岐諸島の中のひとつ、海士町。 この島は、海も山も里も、自然や郷土の恵みが豊富です。 生きるために必要なものは充分にあり、今あるものの良さを上手に活かしながら、この島らしい暮らしを営んでいます。

海士町の島びと

フランク・ムラーさん[農家] : 私自身も海士町の魅力にはまって、ドイツから移住してきました。 1 年を通じて、鶏の飼育といろいろな有機野菜を育てています。 やはり、ここでは旬のものを一番大切にしたいですね。

アモウさん[漁師] : 白イカ漁を体験したり、定置網漁を見学したり、海に潜ってサザエやアワビを採ったりと、様々な経験ができます。 目利き、活〆・神経〆など、何でも私たち漁師に聞いてください。

丹後さん & 白石さん[みかん農家] : 甘酸っぱくておいしい「崎みかん」を島の産業にするために、頑張っています。 このみかんを使った料理も挑戦してほしいですね。 みかんの収穫も体験できますよ。

掛谷さん[畜産農家] : ここの牛たちはみんな、島生まれ島育ちです。 海士町の地形を活かして放牧され、のびのび暮らしています。 隠岐牛として東京にも出荷され、A5 ランクの評価も受けているんですよ。

校長からのメッセージ 校長 恒光一将

島での暮らしから、世界で活躍する料理人へ

流通技術が発達した今、料理店では既に決まっているメニューがあって、それに沿って食材を発注することができてしまいますが、島食の寺子屋は全くその逆。 豊富な湧き水にも恵まれている海士町では、離島というコンパクトな環境の中に海・山・里のものがギュっと詰まっていて、四季を通じて料理人自らが食材の現場に赴くことができます。 自然から与えられる食材に均一なものはなく、変化していく食材と向き合うからこそ、一つ一つの食材を見極める環境でもあります。

一人前になるには 10 年かかる料理の世界。 その 10 年のうちのどの 1 年を島食の寺子屋で過ごしたとしても、その土地、その季節に自然から頂戴したもので料理をするという、当たり前のようで世の中からなくなりつつある和食本来の心や技術を身に付け、必ず「料理の入口に正しく立つ」ことができるようになります。 島での暮らしを通じて、日本のみならず世界で活躍する料理人になってほしいと思います。 (PR サイト = 2-24-19)