城崎温泉、外国人観光客が "8 年間で 45 倍" 急増 …" 外国人リピーター 7 割" の旅館も

情緒あふれる街並みが人気の城崎温泉では、外国人観光客が、わずか 8 年で 45 倍にも急増しました。 外国人を魅了する秘密とは何なのでしょうか。 宿泊客の 9 割が外国人、はるばる海外からのリピーターも殺到する宿では、「家族のような」おもてなしが大人気となっています。 外国人観光客が "常連" になる城崎温泉の魅力を追跡しました。

なぜ外国人急増? … 弱点部分が大きく関係

日本海に面した、兵庫県豊岡市。 情緒あふれる街並みが人気の城崎温泉。 しだれ柳が立ち並ぶ大谿川を中心に 1.6 キロの範囲に、およそ 190 軒の旅館や飲食店の歴史ある建物が集まる温泉街です。

「今は関西圏を旅行しているので、大阪や京都から城崎温泉まで移動距離が短くて、2 時間くらいで着けるから来たんだよ。(カナダからの観光客)」

2011 年に城崎温泉に泊まった外国人は 1,118 人でしたが、わずか 8 年でおよそ 45 倍の 5 万人以上に膨れ上がりました。 海洋採掘に関する仕事をしているという、アメリカ人のサラさん (30)。 日本のアニメが大好きで、今回初めて来日しました。

「インドで 1 週間仕事をしていて、アメリカに戻る前に休暇で日本に来たの。(サラさん)」

10 日間の休暇で日本にやってきたというサラさん。 日本の数ある温泉の中から城崎温泉を選んだ理由は?

「リラックスして温泉に入りたいの、疲れているから。 ここにいる間はプランを立ててないの。 小さな街で温泉に入ってゆっくり休みたいのよ。(サラさん)」

城崎温泉の最大の特徴は、外湯と呼ばれる 7 つの公共温泉施設です。 2 週間や 3 週間の長期休暇を取り、日本を訪れている外国人観光客。 京都や大阪からアクセスが良いため、旅の疲れを癒やす休息場所として城崎温泉が選ばれているようです。 そして、外国人観光客にとっては、意外と重要な理由がこれ!

「私はタトゥーがあるから、それでも入れる温泉を探したのよ。(サラさん)」

実は 7 つの外湯すべてが、タトゥー OK なんです。

「コロナ前の状況に戻ってきている。 特に外国人のお客さんが現在 8 割を占めています。(Utsuroi Tsuchiya Annex 館長 山田一輝さん)」

外国人が急増している背景には、城崎温泉の元々弱点だった部分が大きく関わっていました。

「城崎温泉は家族経営の(小さな)宿が多く、団体客を受け入れるのが難しい。 欧米の客は個人で来る人が多いので、(個人客に)ターゲットを絞ってきた。(山田さん)」

この城崎温泉の特徴が、欧米のインバウンド客が急増している現状とうまく歯車がかみ合った格好です。 この機を逃すまいとアメリカのハリウッドなどで、積極的な PR 活動も行っています。 では、今訪れている外国人観光客が、城崎温泉を知ったきっかけは何なのでしょうか?

「いろんな人がインスタグラムで城崎温泉のことをあげていて、それで調べて来ました。(アメリカからの観光客)」
「浴衣を着て温泉巡りをし、柳並木とのどかな雰囲気の街を散策して、今すぐにでもまた行きたい場所。(ハンガリーからの観光客 = インスタグラムから)」

外国人リピーター 7 割の旅館「オーナーが素晴らしい」

江戸時代から続いているという、森津屋旅館。 いまや宿泊客のおよそ 9 割が外国人観光客だそう。 さらに、その客には驚きの特徴がありました。

「セカンドタイム ドゥーユーリメンバー? (スイスからの観光客)」
「イエス! (森津屋 代表・蜂須賀貴之さん)」

外国人のリピーター客がとっても多いんです。 スイスから来た夫婦は、4 年前にも、この旅館に泊まったといいます。

「この旅館に来たのは 2 回目だよ。 とにかくオーナーが素晴らしい! とってもフレンドリーなんだ! (スイスからのリピーター)」

この日は、外国人宿泊者 6 組のうち、半分の 3 組がリピーターでした。

「特に春、紅葉の秋はリピーターが本当に多い。 半数近くがリピーター(蜂須賀さん)」 「(Q. 多い日は?)(リピーターが) 7 割くらい。(同)」

なんと多い日には客の 7 割が外国人リピーターだというこの旅館。 人々をそこまで惹きつけるワケは一体何なのでしょうか?

店主が決まって行う "写真撮影" 口コミにも …

旅館の自慢は、貸し切りで使える露天風呂。 さらに、但馬牛のステーキやベニズワイガニなどを使った会席料理。 1 泊 2 食付きで、1 人 2 万 2,000 円からです。 店主の蜂須賀さんは、客が来ると決まって行うことがあります。 それは写真撮影。 しかも場所を変えて、何枚も撮影するんです。

「ベリー プリティー(蜂須賀さん)」
「とても素晴らしいサービスです。感動しました。(アメリカからの観光客)」

旅行サイトの口コミには、こんなコメントが書かれています。

「オーナーは街中で本格的な写真撮影をしてくれました。 桜の木と一緒に素晴らしいショットを何枚も撮ってくれました。(ニュージーランドからの観光客)」
「海外旅行をされて思い出に残る写真を撮りたいじゃないですか、誰でも。 ずっとセルフで撮っているので、私は背景を入れたり全身、下駄まで写真に残してあげたい。(蜂須賀さん)」

夕食のお店探しが難航 店主どう対応する?

アメリカから来た4人組の女性が、夕食の店になかなか入れず困っていた時は…。

「ベジタリアンの方もおられるので、対応できるレストランが空いているのか。(蜂須賀さん)」

知り合いのお店に直接確認に行くこともあります。

「マイフレンド オーナー、オンリーワンショップ オープン(蜂須賀さん)」
「アリガトウゴザイマス(アメリカからの観光客)」

無事に 4 人は、望み通りの夕食を取ることができたそうです。

「こんな体験したよ、日本で。 それも城崎はとても良かったよ。(蜂須賀さん)」 「(Q. それを見た人がまた?)結局その循環ですよね。 ファンを作るということは。(同)」

カナダからの観光客「家族や友人のようにもてなしてくれる」

「ワー、もう支度ができている。 カニだわ、ここの特産なのよ。(カナダからの観光客 プラビーナさん = 29)」

カナダから日本に新婚旅行でやってきた、プラビーナさんとエルドリッチさん (35)。

「料理の盛り付けがとても繊細だ。(エルドリッチさん)」
「そうね。 盛り付けがとても上手。(プラビーナさん)」

日本が大好きだという妻のプラビーナさんが、インターネットで森津屋旅館を探したといいます。

「この旅館は、家族や友人のようにもてなしてくれる。 とても親切で、いつも幸せそうで、ゲストに何かしてあげたいって思ってくれている感じね。(プラビーナさん)」

食事の後、街を散歩するという 2 人にちょっと同行させてもらいました。

「こんな景色が見られるなんて夢にも思わなかったでしょ。(エルドリッチさん)」
「そうね。 みんな浴衣を着ているのがいいわね。(プラビーナさん)」

古い建物に町の中心を流れる小さな川。 日本の伝統的な温泉街の風景が 2 人にとっては新鮮に映るようです。

店主流のおもてなし "客の要望をかなえる"

翌日のチェックアウトの時、電車の時間まで荷物を預かってもらうことに。 すると …。

「もしよければ駅に私が荷物を持って行きますよ。(蜂須賀さん)」
「オー、イイですか? (プラビーナさん)」

プラビーナさんは、最後にどうしても買いたいものがあるそうです。 それは…。

「電車に乗り遅れるのが怖いから、急いでお弁当を探さなきゃ。(プラビーナさん)」

これから京都に行くという 2 人。 帰りの電車でカニの弁当を食べたいそうです。 しかし…。

「(弁当が)イナイ …。(プラビーナさん)」

駅の売店は、すでに売り切れていました。 そこに、2 人の荷物を運んできた蜂須賀さんがやってきました。

「カニのオベントウはドコでモラエマスカ? (その売店は)ノーモア、おわった。(プラビーナさん)」
「終わった? ちょっと待って。(蜂須賀さん)」

すると蜂須賀さんが急いでどこかに向かいました。 電車の時間まで、もう 15 分しかありませんが …。

「きょう、カニのちらしってできますか?(蜂須賀さん)」
「はい。(店主)」
「OK!(蜂須賀さん)」

顔馴染みのおすし屋さんにお願いして、急いでカニ弁当を作ってもらいました。

「ありがとうございます。(プラビーナさん)」

客の要望をできる限りかなえてあげるのが、蜂須賀さん流のおもてなしです。

「大勢の人が森津屋にリピーターとしてくる理由が分かるわ。 家族や友達全員に城崎温泉と森津屋旅館を勧めるわ。」 「ホントウにアリガトウゴザイマス。(プラビーナさん)」

一人ひとりの観光客が自分の国に帰り、周りの人に勧めることで、ここに外国人観光客が絶えず訪れているようです。 (テレ朝 = 7-1-23)


JR が去り、線路は山にのまれた 「ノーモア」住民が動かすトロッコ

「線路が山の一部になってしまった」

島根県江津市の山あいで旧石見川越駅を見て、加藤哲さん (78) が話した。 駅舎が取り壊され、いまは雑草と樹木がホームを覆う。 「5 年でこんなになってしまった」と肩を落とした。 三江線はかつて、市の日本海側と広島の山間部の三次市をつないでいた。 1975 年に全線開通、全長 108.1 キロ。 利用者の減少は止まらず、JR 西日本が「持続可能な公共交通の実現に向けた検討」を自治体側に申し入れ、2018 年 4 月に廃線となった。

加藤さんは旧駅から 200 メートルほど離れた集落に住む。 線路を挟むように 10 軒ほどの民家が集まる。 廃線後、JR 西は線路内の除草作業をしなくなったという。 「集落の真ん中なので、ほっておけない。」 老骨にむち打ち、草むしりに励む。 荒れ地はイノシシやシカの隠れる場所となり、畑の獣害を招いている。 だが、JR 西の担当者は「列車が運行している路線の管理が優先。 旧三江線も適時除草などを行っているが、追いついていない。」という。

解決に動き出した自治体もある。 島根県美郷町は 3 月末、JR 西と協定を結んだ。 JR 西は年 1 回以上、町内の 10 の旧駅や全線の状況を確認し、除草や伐採の計画を立てる。 自治会が除草を担った場合、JR 西が費用を支払う - -。 このような協定を沿線自治体が結ぶのは初めてだ。 実効性は不確かだが、町の担当者は「計画が見えることで、住民のストレスが解消されるのでは」と期待する。

タクシーがいない場所で

肝心の住民の「足」は、鉄道なき後にどうなったのか。 5 月 31 日朝、島根県の山間部の邑南(おおなん)町の細い道を、白色の軽自動車がゆっくりと走り抜けた。 80 代の女性は「これがあって、とても助かる」と乗り込む。 事前に日時を予約し、指定した場所まで送迎してくれる有料の「デマンド交通」だ。 地元の NPO 法人「はすみ振興会」が運営し、年間で延べ約 3 千人が利用する。 乗車賃は距離別で 1 回あたり 1 人 200 - 500 円。 往復でも最大 1 千円と割安だ。 町からの補助金で成り立つ交通システムで、運行エリアは羽須美(はすみ)地区に限定されている。 地区にはタクシー事業者がなく、民間と競合しないからこそ運行できている。

地区は人口約 1,200 人で、65 歳以上が 57% を占める。 廃線直後の 18、19 年度は路線バスと事前予約制の区域運行バスを走らせた。 だが、路線バスの利用者は平均で 1 日 1 人以下と低迷。 町は年間 1,700 万円以上の赤字を垂れ流していたバス事業を見直し、デマンド交通に切り替えた。 いま、町の補助金は年 1 千万円以内に抑えられている。 運転手の時給は 1,500 円。 はすみ振興会の小田博之理事長 (70) は「利用者が乗れば乗るほど赤字になる。 補助金頼みの状態だ」という。 ただ、町の担当者は「バスだと空気を運んでいることが多かったが、デマンドは必ず利用者がある。 地域交通の要として運行を続けてもらいたい。」と強調する。

島根と広島の沿線自治体は廃線直後、計 14 の路線と区域でバスを走らせた。 いまは 10 に減った。 利用者が伸び悩み、補助金頼みの傾向が続く。 例えば、島根で日本海側の江津市と山あいの川本町の 46 キロを結ぶバス路線「江津川本線」。 民間の石見交通が運行を担っている。 1 日 6 往復で、通学・通院の貴重な足になっているという。 ただ、21 年度は約 1,300 万円の収入に対し、運行経費は約 4,200 万円。 赤字は過去最大の約 2,900 万円に上り、沿線自治体と県、国が穴埋めしている。 自治体側は「三江線の代替輸送路線として必要(江津市の担当者)」としており、補?は廃線に対応するための「必要経費」との認識を示す。

鉄道には「人を引きつける力が」 「出発進行!」

車掌を務める森田一平さん (54) が合図を出すと、乗客 8 人が声をそろえた。 今月 3 日、邑南町の旧口羽(くちば)駅。 3 両編成のトロッコ(10 人乗り)が低速でトコトコと走り出した。 JR 西から町に譲渡された駅や線路は貴重な観光資源となっている。 トロッコのコースは約 2 キロ。 トンネルを抜け、県境の川にかかる鉄橋を渡り、戻ってくる。 途中で降りて周りを見学する時間もある。 この日、計 5 便が運行され、27 人が乗車。 広島市から来た家族連れは、夜に近くでキャンプをする計画という。

運行は地元の NPO 法人「江の川鉄道」が担う。 森田さんをはじめ廃線前に路線存続を求めてきた沿線の人々らが結成した。 交流を重視しており、この日に切符の販売を担当したのは松江市から来た母子だった。 昨年度は 49 日間運行し、乗客は約 1,700 人。 廃止前の口羽駅の1年間の利用者に匹敵する数だ。 活動を通じ、森田さんは「鉄道には人を引きつける魅力がある」と再認識したという。 「廃止前に住民と行政と JR が力を合わせて頑張っていれば、無くさずに済んだかもしれない。 ほかの路線では同じ過ちを繰り返さないでほしい。 ノーモア三江線です。」と話す。 (榊原織和、野田佑介、西本秀、asahi = 6-17-23)


島根県松江市の町おこし、起爆剤は「まつもとさん」 IT 企業など 40 社を誘致

町おこしといえばどのような手段を思いつくだろうか。 分かりやすいところとしては観光業だろう。 名物イベントや町を象徴する建造物があれば毎年一定の観光客を確保できるし、海や山などの豊かな自然や食もアピールポイントになりうる。

まつもとさんが開発したプログラミング言語「Ruby」

しかし、観光以外の町おこしはどうすればいいのだろうか。 松江城や穴道湖などで知られる島根県松江市は "意外な方法" で地方創生に取り組む。 それはプログラミング言語「Ruby」の活用だ。 企業誘致との相性も良く、2009 - 21 年度の累計企業誘致件数は 40 社に上った。 プログラミング言語で町おこし - - 本来、対極にありそうな要素を組み合わせ、松江市は 06 年から「Ruby City MATSUE プロジェクト」を推進している。 「Ruby の街」として新たな地域ブランドの創生を目指す。

松江市産業経済部まつえ産業支援センターで IT 産業支援・企業支援を担当する曽田周平氏は「当プロジェクトは、松江市職員が雑誌でまつもとさんと Ruby の存在を知ったことをきっかけにスタートしました」と説明する。 まつもとさんとは、プログラミング言語・Ruby の作者であるプログラマーのまつもとゆきひろ氏だ。 「知人の会社にジョインする」という理由で 1997 年に松江市に移住したという。 まつもと氏を巻き込んだ Ruby City MATSUE プロジェクトはどのようなものなのか。

人を育てる → 雇用を生む → 人が育つ

当プロジェクトでは、「人を育てる」、「雇用を生む」、「人が育つ」の循環を意識している。 小中高大生への Ruby 授業や学生向けハッカソンを通じて IT 人材を育成し、誘致施策により IT 企業を呼び込み、呼び込んだ技術者がエンジニアコミュニティに参加したり、IT 教育に協力したりすることで人が育っていく - - というサイクルだ。

産官学が連携し、冒頭の企業誘致数 40 社を実現している。 IT 企業がエンジニアの雇用を目的に開発拠点として松江市に集まっているのだ。 松江市は企業誘致の受け皿として、オープンソースソフトウェア(以下、OSS)に特化した、研究・開発・交流のために「松江オープンソースラボ」を市街地の中心部に設置。 OSS に関わる企業や技術者、研究者、学生が集い、勉強会やイベントなどを定期開催しているという。

「Ruby をキーワードしたコミュニティができあがってきています。 企業主体で学生に向けた合同説明会が実施されています。 そのほか、人材育成の面では技術者が勉強会の講師を務めたり、システム開発に関する大学の講義などにも関わってくれています。(曽田氏)」

IT 人材の流出につながるのでは?

産官学の強固な連携により、松江市内に IT 人材が生まれる好循環が作れているように感じる。 しかし、ここで一つの懸念が生まれる。 手塩にかけた IT 人材が県外に流出してしまうのではないか? という点だ。 経済産業省は 19 年に公開した調査の中で、2030 年に最大 79 万人の IT 人材が不足すると報告している。 昨今のニュースからも明らかなように、IT 人材争奪戦は激化しており、せっかく育てた人材が高い給料につられ都心部や海外に流出する可能性は否定できない。

「人材流出の懸念は松江市に限らず、地方の企業だとよくある話だと思います。 給与面で人材流出を防ぐのは難しいと思う一方、生活のステージで考えると人によって価値観は変わってくるのではないでしょうか。 子育て世代はどこで暮らすかをベースにキャリアを考える人も一定数いると思います。 年収から生活の場所に優先順位を変えた人が松江市に移り住んでいる印象です。(曽田氏)」

移住者の心理的な変化はあるものの、人材流出を防ぐために島根県と連携し IT エンジニア専用の UI ターン転職を支援している。 特設サイトでは、島根 IT 企業訪問ツアーのレポートや IT 関係の移住者へのインタビュー記事なども公開しているほか、UI ターン経験者を招いたイベントの告知などの情報を発信している。 人材流出を食い止める施策として、曽田氏は今後の企業誘致においてもできることがあると話す。 現在、同市が誘致できている企業は受託開発系が多くを占めている。 今後は自社サービスを持っている企業の誘致や松江市での起業を考える人の支援も強化していく。

「現在、市内で就職するとしたら地元企業か受託開発系の企業が多くなります。 市内の学生を対象にアンケートを取ったところ、ゲーム会社で働きたいという声もありました。 働き方の選択肢を増やすという点で、自社サービスを開発している会社などの誘致や起業支援にも力を入れていきたいです。(曽田氏)」 Ruby はプログラミング言語として圧倒的な地位を確立している。 その実績は、国内だけでなく、Airbnb や GitHub、hulu など海外の有名企業がサービス開発に活用していることからも分かる。 地方創生というと、有形資産に目がいきがちかもしれないが、無形資産をうまく活用することで松江市のように大きな成果を生み出せるかもしれない。 (ITmedia = 10-4-22)


島根の過疎地域に再エネの波 「町の生き残りかけ」新電力会社設立

広島県との県境に位置する島根県邑南(おおなん)町。 山あいの小さな町が 4 月、環境省の「脱炭素先行地域」に県内で唯一、選ばれた。 国は 2021 年 10 月のエネルギー基本計画で、太陽光や風力などの再生可能エネルギーについて最優先で取り組むとしている。 中国地方でも再エネ導入の動きが進むが、課題も見える。

04 年、2 町 1 村の合併で町が誕生した当時、約 1 万 3,500 人だった人口は、この 15 年余りで 1 万人ほどに減った。 高齢化率は 38.5% から 45.2% に上昇。 ほかの中山間地域と同様、過疎と少子高齢化に悩まされている。 町中心部には田んぼが広がり、昼間でも人影はまばらだ。 「家があっても住んでいるのは高齢者ばかり。」 地元の LED ランプメーカー「トリコン」社長、上田康志さん (64) は、町の現状に危機感を持つ 1 人だ。 2 月、町は民間事業者 10 社との共同出資で新電力会社「おおなんきらりエネルギー」を設立。 上田さんも共同出資に参加している。 「町が残っていくためには必要な取り組み」と考える。

新会社は、町内の公共施設や一般家庭から再エネで発電した電力を買い取り、町内で販売する。 5 年目で年間約 3 億 6,000 万円の売り上げを目指すという。

事業の目玉は「オンサイト PPA」。 住宅や事業所の屋根に無償で太陽光パネルを設置し、維持管理費なども同社が負担する。 契約者はしばらくは電気料金を支払うが、一定期間が過ぎれば太陽光パネルが無償で譲渡されるという仕組みだ。 契約者にとってはパネル設置の初期投資が不要となるため、再エネ導入促進が見込める。 同町地域みらい課の田村哲課長は「環境問題に真剣に取り組むイメージが定着すれば、関心のある人が町に移り住んでくれるかもしれない。 さまざまな波及効果が期待できる。」と力を込める。

町内ではこれまで、年間約 6 億円の電気料金が支払われていた。 再エネ導入は脱炭素化促進の他にも、エネルギーの地産地消で電気料金が町外に流出するのを食い止めたり、発電施設の維持管理などで新たな雇用を生み出し、地域振興につなげたりする狙いもある。

だが再エネは気候の影響を受けやすく、安定供給に課題を残す。 島根県出雲市の日本海沿いには市営「キララトゥーリマキ風力発電所(総出力 1,700KW)」が建つ。 2 基の風車を備え、03 年 2 月に運転を開始した。 設備利用率を年度別に見ると、▽ 12 年度 13.6%、▽ 14 年度 12.7%、▽ 16 年度 7.6% - - と年によってばらつきがある。 18 年 11 月以降、2 号機は老朽化による不具合でほとんど動いていない。 月別設備利用率(21 年度)を見ても、風が強い冬場は高めで 12 月は 16.2% だが、9 月はわずか 0.2%。 施設の立地状況や気候の影響が大きいことを示している。

資源エネルギー庁によると、日本の発電電力量に占める比率(20 年度)は、▽ 天然ガス約 39%、▽ 石炭約 31%、▽ 再エネ約 20%、▽ 原子力約 4% - -。 大半を化石エネルギーに頼っているのが現状だ。 国の基本計画は、30 年度の電源構成の目標として再エネは 36 - 38%、原子力は 20 - 22% を掲げており、両者の利用を推し進めようとしている。

だが原発には事故リスクへの不安がつきまとう。 島根県の丸山達也知事は 6 月 2 日、中国電力島根原発 2 号機(松江市)の再稼働に同意する際、再エネの電力供給の不安定さと原発の必要性を強調した。 一方で「原発がない方がよく、なくしていくべき」とも述べ、原発依存度を下げるためにも国に再エネの導入促進を求めている。 脱炭素社会の実現や原発事故への不安をなくすため、再エネの導入促進と課題克服が鍵になる。 (目野創、mainichi = 6-24-22)


国境の島の高校、韓国語教育 20 年 全国から入学、卒業生たちはいま

長崎・対馬の県立対馬高校に公立高校としては珍しい韓国語を本格的に学べるカリキュラムができて、今年で 20 年目を迎える。 そこで学ぶ多くは、「離島留学制度」を使って 15 歳の春に親元を離れて来た子たち。 そのまま韓国の大学に進学する生徒も少なくない。 対馬、そして韓国で学んだ卒業生は、日韓関係の荒波を体験しながらも、韓国との接点を失わず、何よりも自立心に富んでいた。

筆箱や下敷きに K ポップのシール

新年度が始まって間もない 4 月 21 日、対馬高校の国際文化交流科 1 年生の教室。 教壇に立つのは今年度で 7 年目の金京児(キムキョンア)先生だ。 「韓国語は息の吐き方で強弱をつけます。」 生徒たちは本格的に体験する韓国語の授業に緊張気味。 圧倒的に女子が多い。 筆箱や下敷きにはお気に入りの K ポップのスターの写真やシールが貼ってある。

「全国から生徒が来ています。 これほど意欲のある子たちはいませんよ。」 金先生はそう言った後、こう付け加えた。 「きっかけは K ポップにドラマですね。」 1 年生の水鳥川(みどりかわ)リーチさんは韓国発多国籍ガールズグループ「TWICE」のファンになったのをきっかけに、韓国語を学ぼうと佐賀県唐津市から来た。 父は豪州出身。 韓国の大学に進学し、英語も含めて 3 カ国語を話せるようになりたいという。

長崎県教委は 2003 年度に離島の高校に島外の生徒を受け入れる離島留学制度を設け、釜山まで 50 キロ、「国境の島」の対馬高校には韓国語や韓国文化を学ぶ国際文化交流コースができた。 19 年度には国際文化交流科に昇格し、金先生ら 2 人の韓国人教員が 3 年間で韓国の大学に留学できる水準まで指導する。 昨春までに九州や関東、近畿などから 363 人が入学。卒業生のうち 70 人余が韓国の大学に進んでいる。

踏まれる日の丸、ヘイトスピーチ

長崎市出身の三谷佳菜子さん (34) はその 1 期生。 父はソウル駐在経験があり母の実家は対馬。 だから父が「こんな制度ができるぞ」と勧めると、すんなり受け入れた。 「対馬高校はおばあちゃんちに行く感じでした。」 釜山の東亜大に進み、在学中にカナダに留学。 韓国商社の東京支社や大手 IT 企業を経て、いまは夫の郷里の北九州市の会社で働く。 取引先とは英語も韓国語も使う。 15 歳の春の選択が今も生きている。

対馬高校に国際文化交流コースができたのは、日韓両国がサッカーのワールドカップを共催した時代だったが、その後、両国関係は次第に悪化。反日と嫌韓の応酬となった。 卒業生もその荒波と無縁ではない。 日本でチェーン展開する韓国系化粧品会社の課長を務める平片あすかさん (33) もそんな一人だ。 長崎県島原市から対馬高校に離島留学し、釜山の釜慶大に進学した。

釜山ではちょうど竹島問題が過熱していたころ。 地面に日の丸が敷かれ、それを踏みつける人たちを見て衝撃を受けた。 卒業後、韓国系企業に就職し、東京・新大久保にある韓国化粧品販売店の店員だったときには、ヘイトスピーチのデモに襲われた。 看板が蹴られ、従業員がけがをし、売り上げは急降下した。 どちらにも不快感を覚える。 「韓国の人は日本が好きだし、日本でも K ポップや韓国コスメが広まっている。 私の周りには反日も嫌韓もいないですね。」

ベンチャー精神を体得

福岡県うきは市で養鶏場を営む卒業生の森智寛(ともひろ)さん (32) は、習得したのは韓国語よりもむしろ「高校生のころに 1 人で生きていけると実感できたこと」と振り返る。 長崎市の港町出身だが「他人と違う人生を送りたい」と地元の高校に進学せず、対馬高校、そして釜慶大に進んだ。 「行ってから勉強が大変で、日本語が上手な向こうの学生に勉強を手伝ってもらいました。 窮地に陥ったとき折衝して助けてもらうことを学びました。」 その韓国人学生が妻となる。

帰国後は大手就職情報会社で働き、終電で帰宅する日々。 過労で倒れ、救急車で運ばれた。 「お願い。 家族を考えて。」と妻。 2 人の娘といられる仕事をと考え、農業にいきついた。 ケージに入れず、「平飼い」といって鶏舎内で放し飼いする養鶏業を営む。 「鶏にストレスがなく健康に育つ。 だから薬がいらないんです。」 できた卵の黄身は淡い黄色で、上品な味わい。 アニマルウェルフェアや健康に関心の高い人に人気だ。 対馬で体得したのは、こうしたベンチャー精神だった。

韓国企業の九州支社で働く伊藤万希子さん (32) は「自立心がないと続かない。」 北九州市出身で 4 人きょうだいの末っ子。 「早く家を出たくて」離島留学し、釜慶大に進学した。 「でも対馬では寂しさに耐えられない子がいました」と打ち明ける。 毎年 10 人前後が韓国に留学する一方、1 年間に 10 人ほどが中退する年もある。

コロナで状況暗転も「いつか観光の仕事を」

人口 3 万人の対馬に 18 年には 41 万人の韓国人観光客が訪れたが、冷え込んだ日韓関係とコロナ禍で 20 年以降はゼロに。 韓国語を学んで対馬で観光の仕事に携わりたいと希望した生徒は将来設計が大きく崩れた。 対馬の受け入れ先企業が事業縮小や休業に追い込まれたからだ。 いま釜慶大 2 年生の柳朱夏(あやか)さん (19) も、インバウンド客であふれる時期に対馬高校で過ごした。 状況は暗転したが「対馬が大好きだから、いつか対馬で空港や観光の仕事をしたい」と希望する。

同級生 13 人は鹿児島、東京、横浜など全国から来ていた。 多様性が刺激になる半面、異なる環境で育った仲間と衝突することもある。 しかし、それこそが地元の高校にそのまま進んでは味わえなかった醍醐味だと思う。 振り返って、こう言った。 「もう一回したいな、対馬高校。」 (編集委員・大鹿靖明、asahi = 6-3-22)

韓国語科目設置の高校、増加

文部科学省によると、2018 年 5 月時点で英語以外の外国語科目の設置状況を調べたところ、韓国・朝鮮語の科目を設置している高校は全国に 342 校あり、中国語に次ぐ。 1999 年は 131 校だったが、最近の K ポップブームによって増える傾向にある。 長崎県教委は、その中でも対馬高校は「韓国語を本格的に学べる全国に類のない公立高校」としている。


プログラミングで町おこし、島根県松江の大変化
IT 人材育つ、16 年で 40 社がオフィス開設の軌跡

近年よく耳にする「地方創生」という言葉。 これは、人口減少や超高齢化による課題に対し、地域の特徴を生かして持続可能な社会をつくることを指す。 全国でさまざまな地方創生が行われる中、島根県松江市ではプログラミング教育が学校で必修化されるずっと以前から、プログラミングを核に町おこしを進めている。

松江でプログラミングといえば、「Ruby (ルビー)」。 松江市在住の Ruby の開発者まつもとゆきひろ氏の協力を得て「Ruby City MATSUE プロジェクト」を 2006 年に立ち上げて以来、島根大学や松江工業高等専門学校をはじめ、市内の高等学校や中学校、小学校でも「Ruby」に親しんできた。 地域の産業や文化、教育にも大きな変化をもたらした地方創生プロジェクトの今を取材した。

島根県の県庁所在地・松江市。 約 20 万人の人口規模は山陰地方でもトップクラスを誇る。 その松江市に激震が走ったのは、2000 年代前半のことだった。 松江市 産業経済部 まつえ産業支援センターの曽田周平氏は、その理由をこう語った。 「2005 (平成 17)年の国勢調査で松江市の人口が初めて減ったのです。 人口流出を防ぐため、新たな産業を生み出して若者の働く場をつくることは、差し迫った課題でした。 松江市は松江城や宍道湖などの観光資源に恵まれており、観光が産業の柱でした。 当時、市の商工課では、こうした観光に加えて、松江がオンリーワンとなって若者の働く場となる産業をつくろうと考えたのです。」

しかし、松江市は予算規模が小さい地方都市であるうえに、山々や湖に囲まれて広い土地を確保することができないため、大規模工場の誘致は難しい。 そんな時、ある職員が雑誌記事に目を留めた。 それは世界的なプログラミング言語「Ruby (ルビー)」開発者のまつもとゆきひろ氏が松江市在住だと伝えるものだった。 「Ruby などの OSS を活用した IT 産業振興なら工場をつくる必要もなく、東京と離れた場所でも世界の第一線で働くことができます。 前例のない挑戦ではありましたが、早速まつもとさんに協力をお願いし、Ruby と OSS を軸にした『Ruby City MATSUE プロジェクト』が始まったのです。」

プロジェクトは、06 年 7 月に JR 松江駅前に松江オープンソースラボが設置されたことで幕を開けた。 エンジニアが集い、一緒に開発できる交流拠点で、松江市は IT 産業をさらに盛り上げるために企業誘致も進めた。 その結果、これまで 40 超の企業誘致に成功。 総務省が昨年 10 月に公表した「地方公共団体が誘致したサテライトオフィス開設状況」調査では松江市が 4 位となっている。

しかし、誘致した企業に定着してもらうには、地元からエンジニアを供給し続ける必要がある。 そこで松江市では産学官で人材育成に取り組んでいる。 まつもと氏や Ruby 開発に関わるエンジニアなどを講師とする「Ruby プログラミング講座」を、島根大学では 07 年から、松江工業高等専門学校では 08 年から実施している。

「市が主催するハッカソンでは、高専生や大学生がエンジニアと一緒に開発を体験しています。 エンジニアの方も地元の IT 企業と誘致した IT 企業、松江市近隣の IT 企業から派遣された方などさまざま。 そのため、学生さんは『松江でこういう働き方ができるんだ』と実感できますし、企業さんにとっては採用活動の一環にもなっています。 さらに、各企業が高校・専門学校・高専・大学と直接つながって開発や授業などを行う例もあります。」 企業と学校の連携が進む松江市内では、IT 企業の雇用人数も右肩上がりで増えているという。

ハードルを下げたビジュアルプログラミング「Smalruby」

2012 年からは中学校の技術・家庭科で「プログラムによる計測・制御」が必修化されることになった。 必修化に備えて、市とともにプログラミング教育にいち早く取り組んだのが、当時、松江市立第一中学校で技術・家庭科を教えていた兼折泰彰氏だ。 兼折氏は大学時代、プログラミングを使って研究を行った経験を持つ。

「私たちは普段、何も考えずに炊飯器やエアコンなどを使っていますが、そこにはソフトウェアやセンサー、それらを動かす技術などが詰まっています。 これまで精密機器に強かった日本だからこそ、これらは知っておくべきリテラシーとなるはず。 私がプログラミング教育に取り組むようになったのは、プログラマーを育てたいというより、仕組みを理解して賢い日本人になってほしいという思いがあったのです。」

しかし、英語を習い始めたばかりの中学生にとっては、ソースコードを書くプログラミング教育はハードルが高かった。 そこで、松江市内の IT 企業のエンジニアで「中学生 Ruby 教室」の講師を務める高尾宏治氏が開発した「Smalruby (スモウルビー)」を授業で取り入れることにしたという。 Smalruby は、Ruby をブロックなどで視覚的に構築できるビジュアルプログラミング言語だ。

「当時の学習指導要領ではプログラミングで模型の車を動かすという実践が多く行われていました。 そこで、高尾さんにお願いして Smalruby にハードとソフトをつなげる機能を加えてもらったのです。 Smalruby はハードルが低く、直感でブロックを組み合わせることでプログラムを組むことができますし、それをソースコードに変換することもできます。 Smalruby を使ってみると、生徒たちは『車をこう動かしたい』、『もっとプログラムをわかりやすくしたい』という問題解決やアルゴリズムに集中できるようになりました。」

現場ならではの視点とエンジニアの技術によって、学校教育で導入しやすい形になった Smalruby。 16 年からは松江市内のすべての中学校で授業に取り入れられている。 では、実際のカリキュラムはどうなっているのだろうか。 「技術科としての問題解決の難易度の高さを考慮して、プログラミングは 2 年生以降とし、2 年生で 14 - 15 時間、3 年生で 17.5 時間をプログラミングに充てています。 近年は小学校でもプログラミング教育が行われていますし、Smalruby は幼稚園でもできるようになるでしょう。 そうなれば、中学校のプログラミング教育もレベルアップを求められるようになるはず。」

そう語る兼折氏は、プログラミングを通じて、生徒に学んでほしいことがあるという。 「生徒たちは、成長するにつれていろいろな壁や問題にぶつかるでしょう。 そんな時、自分で乗り越えられるようになってほしいのです。 そのためにも、プログラミングの授業を通じて自分で考え、解決する力を身に付けてもらえたらと思います。」

島根県・松江を「挑戦したい人」に選ばれる町に

Ruby を基盤としたプログラミング教育が進む松江市。 まつえ産業支援センターの曽田氏は、市内の学校教育における Ruby の影響力の大きさをこう説明する。 「義務教育課程のどこかで Smalruby に触れ、松江が Ruby の町だと先生方に教えていただいているからか、松江市の高校生の多くは、Ruby 開発者のまつもとさんの名前とお顔を知っているように感じています。 松江市内の工業高校や商業高校でも情報系学科の人気は高まっていると、現場の先生方からは伺っています。」

まさに「Ruby の町」となった松江市は、今後どのように変化していくのだろうか。 「成長意欲の高い学生さんほど、『成長したいから、都会の企業に行く』という選択をしているようです。 しかし、今後は『成長したいから、松江のこの企業を選ぶ』と思えるよう、チャレンジングな企業群づくり・環境づくりをさらに積極的に進めたいと考えています。 これらに取り組むため、22 年度には『Ruby City MATSUE プロジェクト 2.0 構想』を具体的に検討する予定です。」

熱意ある自治体職員、プログラミング言語の開発者、エンジニア、教員。さまざまなプレーヤーが共創することで、市の産業や教育、若い世代の雇用やライフスタイルにも影響を与えた松江市の「Ruby City MATSUE プロジェクト」。エンジニアを育てるその取り組みは、この地域の子どもたちにさまざまな将来の選択肢を示しながら、今後も進化していくことだろう。 (東洋経済 = 2-28-22)

前 報 (10-27-17)