島根富士通で初のタブレット組み立て教室

31 組の親子が参加し、Ruby プログラミングも学ぶ

富士通および島根富士通は、2016 年 8 月 6 日、島根県出雲市の島根富士通において、小中学生の親子を対象にした「第 11 回富士通パソコン組み立て教室」を開催した。 島根富士通は、ノート PC やタブレットなどを生産。 メインボード製造から組み立て、出荷試験までの一貫生産体制を敷いており、同社によると、「日本一のパソコン出荷台数を誇る生産拠点」としている。

今回は初めてタブレットの組み立てに挑戦。 さらに、プログラミング学習については、島根県で生まれたソフトウェア言語「Ruby」を使用。 「簡単なゲームを作成することで、今後の ICT 社会に必要なソフトウェアに関する基礎を学ぶ機会も提供。 小中学生のモノづくりと、プログラミングを通して、ICT 技術に対する興味や関心の育成、地域への社会貢献を目的にしている」と位置付けている。

島根富士通の宇佐美隆一社長は、「今年(2016 年)前半に島根県の地場企業の交流会に出席した際に、ソフトウェア関連企業の方とお話する機会があり、その時に今年の組み立て教室では、プログラミング学習をやろうと閃いた。 それに合わせて、教育現場への導入が期待されるタブレットの組み立てを行なおうと決めた。 今回の経験を活かして、子供向けだけでなく、シニア向けやミドル層向けといったプログラミング教室を開くことも考えたい。 今後、富士通グループとも連携して検討していくことになるだろう。」などとした。

今回、組み立てたのは「arrows Tab WQ2/X (WEB MART 限定モデル)」。 防水・防塵機能に加えて、振動にも強い 10.1 型プレミアムタブレットで、OS には Windows 10 Home (64bit 版)を搭載。 CPU には Atom x5-Z8500 (4 コア/4 スレッド/1.44 - 2.24GHz)、メモリは 4GB、ストレージは 64GB フラッシュメモリ搭載となっている。 スリムキーボード付が 60,000 円、スリムキーボードなしが 53,000 円の特別価格で参加でき、組み立てたタブレットは検査後に自宅に配送される。クレードルは無料で提供した。

会場には 31 組の親子が参加。 当初は 20 組の募集としていたが、申し込みが多かったことから、申込者全員が参加できるようにした。 学年別内訳は、小学校 5 年生が 9 組、6 年生が 4 組、中学校 1 年生が 4 組、2 年生が 6 組、3 年生が8組。 島根県内からの参加が 25 組のほか、福岡、大阪、広島、岡山、兵庫、鳥取からの参加もあった。 男子が 25 人、女子が 6 人となった。

午後 1 時から開始した組立教室で、島根富士通の宇佐美隆一社長は、「今年から趣向を変えた。 もともとはモノづくり体験を通じ、モノづくりを理解してもらうことを目的としてきたが、昨今では、クルマの中にもソフトウェアが入っているように、単純にハードウェアを組み立てるだけではモノづくりとは言えなくなってきた。 そこで今回は、作った PC で、プログラミングを体験してもらうことにした。」

「しかし、時間が限られているため、体験そのものがさわりの部分だけになる。 つまり、お寿司に例えれば、しゃりの上に、用意されているネタを乗せるといったようなもの。 だが、プログラミングの学習に興味を持ったら、家で、その先を進めることができる。 今日をきっかけにモノづくりに興味を持ってもらいたい。 多くの人が、プログラミングに興味を持つことは、日本の国にとってもいいことだと言える。」と挨拶した。

43 点の部品を使って組み立てたタブレット

組立作業は、午後 1 時 25 分頃から始まった。 島根富士通としては、タブレットの組み立て教室を開催するのは初めてとなり、1 組に 1 人のスタッフがついて、参加者の組み立てをサポートした。 通常の組立では 172 点の部品を使うが、今回の組み立て教室では 43 点の部品(そのうちネジが 4 種類 29 本)を使用。 約 1 時間をかけて組み立てたが、細かいケーブルの接続や配線処理が多かったり、防水仕様となっているために、ネジの数が多く、防水シートを取り付ける作業が加わるなど、例年より難易度の高いものとなった。 生産工程では 1 台あたり約 15 分で組み立てるが、組み立て教室では約 60 分をかけて組み立てた。

ネジ締め競争で匠と勝負

続いて、午後 3 時からは、工場見学と工場体験を行なった。 A 棟 1 階の基板実装ラインの見学では、アームロボットやゲンコツロボットが、基板に CPU を実装したり、基板を分割してトレイに並べる自動化装置を見学。 また、「匠とネジ締め競争」では、3 人の匠の中からネジ締めの競争をする相手を電子ルーレットで選択。 匠が 20 本のネジを締める間に、10 本のネジを締めることができたら勝利となり、賞品をもらうことができた。

さらに、富士通が持つ新たな技術を体験できる場を用意。 3 次元データを立体的に表示する体験型ディスプレイ「zSpace」や、フラットなディスプレイに触ると感触が伝わってくるタブレット、マーカーをタブレットのカメラで映すと、そこにはない画像が表示される仮想現実技術などを実際に体験することができた。

Smalruby を使用したプログラミング学習

また、午後 4 時からは、「プログラミング学習」を実施。 Ruby をベースに、小学生でもプログラミングできるようにした「Smalruby (スモウルビー)」を使って、ゲームの開発などを行なった。 Ruby は、島根富士通がある島根県の県庁所在地・松江市に在住する、まつもとゆきひろ氏が開発したものだ。

また、今回のプログラミング学習の講師を務めた高尾宏治氏は、Smalruby の開発者であり、まつもと氏と同じく松江市に在住。 NPO 法人 Ruby プログラミング少年団の代表でもある。 「はじめのいっぽ」と題した 1 日 Ruby プログラミング体験教科書を使用して、クルマが追いかけっこするゲームプログラムの体験のほか、命令ブロックを組み合わせて自らプログラミングを行なうことで、Smalruby によるプログラミングを学んだ。

高尾氏は、「算数などのこれまでの学校の授業では、答えが 1 つであることが多いが、プログラミング学習の特徴は、答えがいくつもあり、どれが正しいというものはないという点。 先生の言う通りにやるのではなく、自由な発想でプログラミングして欲しい。 結果として、子供たちが、いろいろなことを考える材料にもなる。 そこにプログラミング学習の魅力がある。 プログラミングの楽しさを伝えていく活動をしていきたい。」などとした。

第 1 回参加者が島根富士通の社員に

教室終了後のアンケートでは、PC の組み立てについては、全員が「よかった」と回答。 プログラミング学習は 12 人が「もっとやりたい」と回答。 高い関心が集まっていることが分かった。 島根富士通の宇佐美社長は、「今回は、モノづくりの原点に戻るということを前提に企画した。 アンケートの結果からも、子供たちに喜んでもらうことができたと考えている。 今回の経験を活かして、また来年(2017 年)もモノづくり体験をしてもらえる企画として開催したい。」と述べた。

今回の組み立て教室では、第 1 回目のパソコン組み立て教室に参加した経験を持つ島根富士通の社員が挨拶するというシーンもあり、同社の取り組みが、モノづくり人材の育成に繋がっていることも裏付けられた。 (大河原克行、PCwatch = 8-8-16)


島根の味 瑞風と走れ 来春運行寝台列車 料理人 2 人

JR 西日本が来春運行を始める豪華寝台列車「トワイライトエクスプレス 瑞風(みずかぜ)」で提供される食事を監修する料理人ら「食の匠」 7 人に、県内から松江市の原博和さん (39) と、益田市の上田幸治さん (43) が選ばれた。 2 人は、「地域の食材の魅力を伝えたい」などと意気込みを語った。

◇ 「食材の魅力広めたい」 ル・レストラン ハラ・オ ナチュレール 原博和さん

「山陰の食材を、全国、世界に紹介したい。」 松江市の「ル・レストラン ハラ・オ ナチュレール」のオーナーシェフ、原博和さんは、食の匠に選ばれた喜びをこう話す。 鳥取県米子市出身。 そば屋でアルバイトをしていた高校時代、原さんの丁寧な仕事ぶりを見た店主に料理の道を勧められた。 その後、京都の料理専門学校を経て、米子市のフランス料理店に就職。 「フランスのことをもっと知ろう」と、約 2 年で店を辞めて渡仏し、帰国後、知人の紹介で松江市にあったフランス料理店「エルミタージュ」に入った。

同店のオーナーは、フランスの三つ星店で修業した経験があり、指導は厳しかった。 冷蔵庫を毎日掃除することや、腐敗を防止するため、ソースなどが入った容器は、量が減ればすぐに別の容器に移し替えることなど、衛生面を徹底的に教え込まれた。 「エルミタージュの経験があるから、今の自分がある」と話す。 2010 年 4 月、松江市に自分の店をオープン。 東京での出店も考えたが、「松江なら取れた食材を新鮮なまま提供できる。 その方が面白いし、松江でしか、田舎でしかできないことを考えた。」

瑞風では、1 泊 2 日の山陰線下り列車で、昼食を担当する。 「料理を通じて、できるだけ多くの生産者を紹介したい。 お客さんが瑞風を降りた後に、車内で提供した島根の野菜を買ってもらえるようになってほしい。」と願う。 まだメニューは正式に決まっていないが、シラウオやシジミ、天然のウナギやイワガキなど、松江の食材を使って季節に合わせた料理を考えているという。 「山陰には誇るべき食材がたくさんある。 その魅力を、お客さんに存分に感じてもらえるような仕事をしたい。」と力を込める。

◇ 「生産者の意欲高める」レストラン ボンヌママン ノブ 上田幸治さん

「食材や生産者にスポットが当たる機会にしたい。 高級列車に自ら作った材料が乗ることで生産者の意欲も上がるはず。 益田を元気にしたい。」 日本海を一望する益田市のフランス料理店「レストラン ボンヌママン ノブ」のオーナーシェフ、上田幸治さんは意気込んでいる。 同市の老舗料亭で生まれ育った。 和食ではなくフランス料理の道を志したのは中学生の頃で、テレビ番組で放映されたフランス料理を見て「食べてみたい」と思ったのが動機だった。

高校卒業後は東京のフランス料理専門校へ進学。 フランス研修中に田舎町の小さなレストランで、友人らと食事をした経験が転機となり、地元での開店を決意した。 「大きな木の下のテラスでゆったりと食事をし、ぜいたくさを感じた。 東京で有名シェフになろうと思っていたが、田舎で『非日常』のぜいたく感を味わえる店を開きたいと思うようになった。」と振り返る。 東京のレストランでの修業を経て、2001 年に開店。 地元産の野菜や日本海産の魚などをふんだんに取り入れ、素材の味を楽しめるシンプルな料理にこだわっている。

瑞風では、山陰線上り列車のランチの監修を引き受ける。 従来の取引量では足りないことから、西洋野菜の種を購入して益田市真砂地区の農家に栽培を依頼。 同市匹見町のワサビや高津川産のアユなど、地元の産品を織り交ぜた四季折々のメニューを考えている。 運行が始まると、列車は店のすぐそばを走ることになる。 「瑞風で使うことによって、地域の食材を多くの人に知ってもらえる。 食材だけでなく、生産者の思いも含めて紹介し、販路拡大にもつながるようお手伝いをしたい。」と目標を語った。 (熊谷暢聡、井上絵莉子、yomiuri = 5-29-16)

瑞風> 京都、大阪 - 下関間の山陽か山陰側を走る片道コースと、京都、大阪を出発し、下関を経由して戻る周遊コースの計 5 ルートを運行。 10 両編成、定員約 30 人で、山陽や山陰の食材を主に使ってオープンキッチンの食堂車で料理を提供する。 料金は未定。

◇ ◇ ◇

JR 西「瑞風」の料理開発・監修、島根県内の 2 人参加

中国地方を 2017 年春から走る JR 西日本の豪華寝台列車「トワイライトエクスプレス瑞風(みずかぜ、10 両編成)」で、車内で提供する料理の開発や献立の監修などにあたる料理人として、県内でフランス料理店を営む 2 人が追加された。 同社が 17 日に発表した。

米子支社によると、フランスやスイスで腕を磨いた松江市の「ル・レストラン ハラ・オ ナチュレール」の原博和さん (38) = 鳥取県米子市出身 = と、フランスや東京で修業を重ねた益田市の「レストラン ボンヌママン ノブ」の上田幸治さん (43)。 瑞風は大阪、京都、下関の各駅を発着し、1 泊 2 日の片道と 2 泊 3 日の周遊の 2 コースがある。 山陰両県も走り、地元食材を生かした季節の料理を提供する。 2 人は地域事情にも明るいことから選んだという。 (杉山匡史、asahi = 12-21-15)


UI ターン急増 人口減から拡大へ、島根・益田市の挑戦

島根県西部にある益田市は、日本海に面し、春には鮎が遡上する自然豊かな町である。 他の地域と同様に、益田市も人口が減少しており、2011 年からは 5 万人を下回っている。 ピーク時には 7 万人を超えていたので、約 3 割の減少だ。 こうした状況を踏まえ、市は 2015 年 2 月に「人口拡大計画」を作成、施策をまとめた。 人口拡大課を設置して、「ひとづくり」、「しごとづくり」、「地域づくり」に取り組んでいる。

日経 BP クリーンテック研究所が主催する「地域創生研究会」は、2016 年 1 月に益田市を訪問した。 この研究会は、地域創生に関心を寄せる企業と一緒に自治体を訪問し、市内を視察するほか、自治体の課題を直接聞き、ディスカッションを通して解決方法を探るプロジェクトである。 これまで富山市、荒尾市、南アルプス市を訪問してきた。 ここでは、益田市の取り組みについて報告する。

人材育成が最重要

益田市では、「人口の社会増」、「人口の自然増」、「交流人口の拡大」について施策を打ち出している。 社会増では、「UI ターン(U は出身地に戻ること、I は出身地とは無関係に地方に転入することを指す)」の促進や転出減のための産業振興や生活しやすい町づくりに力を入れている。 自然増では、合計特殊出生率を 2035 年までに 2.17 に引き上げることを目標に子育て環境の整備を進め、医療体制を充実させることで高齢者の健康づくりをサポートしている。 交流人口は歴史や文化を生かし、萩・石見空港を最大限に活用して増やしていく考えだ。

社会増と自然増、交流人口拡大のどれか一つに偏るのではなく、全体で推し進めないと人口拡大どころか、人口減少ペースを緩和することもできない。 そして、人口が増えることを考えるならば、それだけ働く場が必要であり、住む地域の環境を整備しなければならない。 この時、人材の育成が重要になる。 市が何か施策を考えても、その受け皿となる人材がいなければ何も起こらないからだ。 例えば、起業支援の補助金制度は、起業する人がいて初めて意味がある。 主体性を持って行動する人材が、まちづくりには何より必要である - -。 これらが益田市の取り組みの基本的な考えである。

2014 年に UI ターン数が急増

定住支援の取り組みとして、益田市はふるさと島根定住財団が主催する「しまね UI ターンフェア」や「しまね UI ターン相談会」に参加している。 2015 年に UI ターンフェアは、東京、大阪、広島の 3 カ所で開催され、益田市のブースには合計で 57 組 72 人が相談に訪れた。 UI ターン相談会は東京と大阪で行われ、22 組 30 人が相談に来た。 また、移住してきた人を受け入れるために、空き家情報を整備して、Web サイトで公開している。

空き家については、流通がスムーズに行われるように益田市空き家バンク推進事業者会に仲介を委託している。 推進事業者会は、協力の意思を表明した民間事業者で構成され、空き家関連の調査、査定などを実施し、交渉・契約時のトラブルを事前に回避して、利用者が安心して空き家を使えるようにしている。

空き家バンクの利用状況は、この 10 年間で入居件数が 62 件、入居した人の数は 138 人に達した。 市内から移動してきた人もいるが、約 7 割は市外からの転入である。 また、「最初から定住に踏み切るのはハードルが高いので、まずは体験したい」というニーズに対応して、田舎暮らし体験施設を 2009 年から、しまね暮らしお試し体験施設を 2015 年 8 月から運用している。 しまね暮らしお試し体験施設は開始から間もないのでまだ利用は 2 組だけだが、田舎暮らし体験施設はこれまでに 12 組 21 人の利用があった。

こうした定住支援の制度のおかげで、ますだ暮らし相談窓口対応による UI ターン者数は 2010 年の 1 人から 2014 年には 213 人まで増えた。 特に、補助金などの制度が充実した 2014 年の増加幅が大きかった。 目標には達していないものの、こうした支援策が効果を発揮することも分かった。

地域のことは地域で決める

益田市は、地域のことは地域で連携し、話し合いで決める仕組みを構築し、行政との役割を明確にしている。 そのための最初のステップは、準備委員会を立ち上げること。 その際、女性の意見を取り入れるために女性にもメンバーに加わってもらうようにしている。 そして、地区の実態の把握、まちづくりプランの作成と進めていく。 地域創生研究会では、地域づくりが最も進んでいる二条地区を視察した。 二条地区では、まちづくりプランに向けて活動を開始しており、次世代を育成する子育てプロジェクトや空き家調査、UI ターンサポート、高齢者のための支えあいマップ作成などの活動が行われている。

しごとづくりではものづくり産業を振興し、企業誘致を推進している。 具体的には、萩・石見空港の近くにある石見臨空ファクトリーパークで工場向けの分譲を進めている。 視察で現地を回ったが、まだ空いた土地が多く、誘致に向けたテコ入れが必要であることを感じた。 関西など大きな経済圏までの距離を考えると他の工業団地に比べて不利なことは否めない。 ネット通販で直接、全国の家庭向けに販売するような商品の生産に特化し、そのための補助金制度を用意するといった、この地域にあった政策で工場誘致につなげたいところだ。

知られていない魅力の活用を

地域創生研究会の議論では、特産物のメロンやわさび、ゆず、海の幸などをもっと前面に出して、益田市そのものをアピールしていくことが大事であるといった指摘もあった。 また、日本一の清流と言われる高津川や雪舟、柿本人麻呂のゆかりの地であること、市の大半を占める林野を観光業や働く場づくりに活用してはどうかといった意見も聞かれた。

研究会に参加した IT (情報技術)企業であるサクシードの梅田正文 システム開発本部ビジネス戦略部部長は「益田市には、魅力的なものが多い。 空港の滑走路を走れるマラソンなどユニークなイベントもあり、アイデア次第で魅力ある町づくりがもっとできる。」と話す。 人口拡大は簡単なことではないが、高い目標を掲げて活動することは、現状を打破する新たな発想を産み出す原動力となるかもしれない。 (日経 BP クリーンテック研究所 菊池珠夫、nikkei = 2-3-16)


島根県(40 位) 遷宮終わり若者離れ 起死回生の手段は?

「縁結びの神様」として知られる大国主大神をまつる出雲大社。 2013 年 5 月に行われた「平成の大遷宮」は、1744 年に造営された本殿の改修にともなう 60 年ぶりの遷宮で、5 月には大祭礼、10 月には神迎祭、11 月には神在祭などが催されたほか、特別参拝なども行われた。

出雲大社への 13 年の参拝者は 804 万人で、12 年の 348 万人から 2 倍以上の増加となったほか、周辺の観光地にも大きな波及効果があった。 例えば松江市の松江城への 13 年の来場者は前年比 46% 増の 40 万人、松江しんじ湖温泉は 82% 増の 33 万人、玉造温泉は同 28% 増の 75 万人、出雲市の島根ワイナリーは 37% 増の 116 万人、安来市の足立美術館は 50% 増の 66 万人と、いずれも大幅に増えた。

こうした理由から、13 年の島根県の観光客数は延べ 3,682 万人となり、12 年の 2,919 万人から 26% 増となった(いずれも島根県観光動態調査より)。 一方、遷宮後の 14 年には出雲大社の参拝客は 665 万人と 13 年より 17% 減となったほか、上記の観光施設の来場者はいずれも数 % の減少となった。 島根県全体では 14 年の入込観光客数は 3,320 万人で、前年より 10% 減となっている。

地域ブランド調査の結果でも 15 年の魅力度は前年より大きく低下している。 また、魅力度以外の評価項目や、イメージ項目が前年と比べると軒並み低下している。 このように、島根県の観光は遷宮後の反動という大きな局面に面しており、遷宮後の巻き返しが緊急課題となっている。

若い女性の人気が低下

ただし、遷宮後に観光客数が減少したといっても、遷宮前に戻ったわけではない。 出雲大社の表参道「神門通り」の入口に 12 年に新たにオープンした「ご縁横丁」のほか、新たに物産展や飲食店などが続々と誕生し、活気を帯びている。 「美肌の湯」として人気の玉造温泉では恋叶い橋や願い石・叶い石などに若い女性が夢中になっている。

地域ブランド調査の結果から、20 代と 60 代の観光意欲を比較すると、島根県に「ぜひ行ってみたい」と答えた人は 20 代の方が多い。 つまり、若い島根ファンは増えているということには間違いがない。 ところが 20 代で「機会があれば行ってみたい」と答えた人は 60 代と比べて大幅に少ない。 しかも 14 年 (33%) より半減以下になっている。 これはブームに左右されやすい多くの若い女性の興味が薄らいでいるということだろう。

食の魅力も十分には伝わっていない?

女性に限らず、島根県の魅力を高めるのに必要なのは、出雲大社以外にも豊富にある地域資源の魅力を多くの人に伝えることだ。 島根県は冬の松葉ガニや、紅ズワイガニ、宍道湖のシジミなどの海産物が豊富にある。 日本の棚田百選に選ばれ、食味ランキングでも最高位の特 A に評価される「仁多米」や、松江藩主で茶人の松平治郷(雅号・不昧)に由来する松江の和菓子、出雲が発祥の地である「ぜんざい」など特徴のある産品や食がたくさんある。

しかし地域ブランド調査における島根県の「食事がおいしい」のイメージは全国 38 位と低い。 豊富な食材や食文化の魅力が消費者には十分に伝わっているとは言えないという事実が垣間見れる。 いま、島根県は「島根県には本物がある」とのキャッチフレーズで展開しているが、島根県の豊富な海産物や農産品などを生かした商品化を進めることで、食品産業の創出や、飲食業などの活性化を高めることも不可欠だろう。

石見地方の活性化を

もうひとつの課題は県西部にあたる石見地方の活性化だ。 世界遺産に登録されている石見銀山や、演劇性が強く、市民の生活に根付く石見神楽、小京都と称される津和野町の町並みなど、県東部の出雲や松江とは違った魅力がある。 しかし、残念ながら県西部にある市町村の魅力度は決して高くはない。 つまり、県西部の魅力が消費者に十分には伝わっていないということだ。

もし、島根県が県西部にある地域資源や、市町村をうまく融合させて打ち出すことができれば、出雲や松江のイメージとは違った魅力として消費者に伝えることができるだろう。 そうすることで、島根県がもっと魅力的と感じる人が増えるのは間違いないだろう。 (田中章雄・ブランド総合研究所社長、地域ブランド NEWS = 12-28-15)

島根県の主要項目 (かっこ内は昨年の順位 △ は上昇した項目)

認知度47位(38 位)
魅力度40位(26 位)
情報接触度42位(34 位)
居住意欲度47位(33 位)
観光意欲度35位(27 位)
産品購入意欲度45位-
愛着度46位(28 位)

島根県の主要なイメージ

おもてなしがよい8位(23位)
街並みや歴史建造物18位(12位)
自然が豊か20位(16位)
食材が豊富29位(31位)
伝統芸能、祭り35位(21位)
食事がおいしい38位(32位)
伝統技術39位(28 位)

島根・奥出雲の仁多米、冷めぬ評価 ブランド戦略 行政粘る

「たたら製鉄」の伝統を今に伝える島根県奥出雲町が「仁多米」の産地として知名度を高めている。 2014 年度には米・食味分析鑑定コンクールの国際部門で 5 年連続の金賞に輝いた。 新しいブランド米の誕生には、農業復活の切り札として立ち上げた第三セクターが大きく貢献している。

◇ ◇

9 月 20 日、秋晴れに恵まれた大原新田(島根県奥出雲町)で、農家の糸原信雄さん (62) がコシヒカリ「仁多米」の刈り取り作業を始めた。 「堆肥をたっぷり入れた仁多米は、冷めてもおいしい」と糸原さんは胸を張る。 「東の魚沼(新潟県)、西の奥出雲(島根県)。」 食味の優れたコシヒカリ「仁多米」は消費者に高く評価されている。 島根県特有の気候と稲作文化が、おいしい米を育んだ。 標高 300 メートル以上の田んぼを潤す中国山地からの伏流水と夏の昼夜の寒暖差がうまみを作り出す。

確かに自然条件は重要だが、国内においしい米作りに適した土地は多数ある。 仁多米が売れたもう一つの理由は「三セク」経営によるブランド戦略だ。 時代遅れの感もある「行政主導」の発想で品質管理と販路拡大に取り組んだ。 合併前の旧仁多、旧横田 2 町が 1998 年、2 億円を出資して「奥出雲仁多米株式会社」を設立した。 「出雲国仁多米」と名付けた地産のコメを、どうすれば高く売れるか - -。 まず取り組んだのが年間を通じての、おいしいコメの安定供給だ。

コメは通常、効率性を考えて収穫直後に玄米に精米してから冷蔵施設のカントリーエレベーターで保存する。 奥出雲仁多米の経営陣は、出荷する直前にモミずりを施し、精米して産地から消費地に直送する「今摺(ずり)自慢」という方式を採用した。 鮮度の高さを首都圏の舌の肥えた消費者にアピールするためだ。 モミ米での保存は玄米状態よりもかさばる。 そこで国の助成を受け、奥出雲町のコメ年間生産量の 6 割にあたる約 3,000 トンのモミ米を収納できる大型のカントリーエレベーターを新設した。

商品の差別化による付加価値向上のためには、地元で盛んな和牛飼育と稲作を結びつけた。 4 億 5,000 万円を投じて堆肥センターを建設。 牛の堆肥を半年以上かけて発酵させ、田に施肥して土を作る。 牛ふんを肥料にした田んぼで収穫した稲わらを今度は畜産の飼料に利用する「循環型農業」が話題となり、販売増につながった。

高速道路網の整備が遅れ、新幹線も接続していない島根県でも、中山間地の奥出雲は特に交通の便が悪い。 「基幹産業である稲作を守るためには、行政が主導権を取る以外になかった。 手をこまぬいていれば、高齢化や過疎化で地域の衰退は目に見えていた。」 奥出雲仁多米で長年役員を務めた三沢又三郎氏 (65) はこう振り返る。

◇ ◇

持続可能な稲作農業には、農家の安定収入が不可欠だ。 そこで所得補償を導入した。 買い入れ基準価格を 30 0キロあたり 1 万円に設定。 農協の買い入れ価格との差は、町独自の「ブランド加算」という補助金で穴埋めした。 販売面では安売りしない方針を徹底した。 老舗百貨店や高級スーパーに限定して売り込みをかけた。 販売促進には補助金をあてて、苦しい時代をしのいだ。 当初はなかなか売れなかったが、04 年にようやく黒字が出た。 その後は順調に売り上げを伸ばしている。

新米のおいしい季節がやってきた。 奥出雲町で出雲横田駅前の老舗、浪花旅館では、実りの秋だけでなく四季を通じておいしい仁多米の朝ご飯が供される。 女将の森山美和さん (47) に炊き方を聞くと「とぎすぎないよう気をつけることと、水の量を若干少なめにすることくらい。 普通の電気釜でもおいしく炊きあがるのが、仁多米の良さです。」と笑う。

泊まり客に人気のおかずには地元の食材が並ぶ。 タケノコやベビーリーフなど地物の野菜と、宍道湖のシジミの味噌汁。 出雲地方の郷土食、自家製のフキ味噌の甘みと苦みが炊きたてごはんにとても合う。 記者は朝から 3 杯おかわりして、あっという間におひつが空になった。 「ごちそうさまでした。」

マメ知識> 「藻塩米」など後続も登場

「仁多米に続け」と、島根県ではコメのブランド化が活発になってきた。 2015 年 2 月、品質検査などを手掛ける財団法人日本穀物検定協会は 14 年産米の食味ランキングで島根県の「つや姫」を最高の「特 A」と評価した。 隠岐の島町では 03 年に栽培を始めた「藻塩米」が首都圏で引っ張りだこだ。 マグネシウム成分の多い土壌で育てるコシヒカリに地元で精製した藻塩の水溶液を散布する独特の米作りだ。 海の幸と合わさることでコメの香りと甘みが増すという。 (松江支局長 若杉敏也、nikkei = 10-13-15)


島根には「法事パン」があるって本当!? 種類豊富でパン屋のセンスがきらり

法事や仏事の引き出物といえば、饅頭をはじめとする和菓子が一般的だろう。 しかし、島根県松江市では少々事情が異なる。 なんと法事の際にパンが配られるというのだ。 しかもその種類は実にバラエティ豊かで、あんパンもあれば、メロンパンやクリームパンまであるんだとか。 一体なぜそのような風習が一般的になったのだろうか?

ある工夫でいろんなパンが「法事パン」に早変わり!

饅頭からパンに変わった理由は …

今回、その疑問に答えてくれたのは、島根県松江市に 2 店舗を持つ「kitchen okada (キッチンおかだ)」。 自家製酵母パンから無添加食パン、菓子パン、調理パンにいたるまでの焼きたてパンの他、焼き菓子や手作りジャムまでをそろえる地元の人気店だ。 早速、同店で働く島貫有加さんに、法事にパンが使われるようになった経緯についてうかがったところ、「もともと饅頭だったのがいつの頃からかパンになったようです。 饅頭よりパンの方が喜ばれたからと聞いたこともありますね。」と実にふんわりした回答。

しかも、「チョコレート会社がバレンタインデーを盛り上げたように、この地方のパン屋さんがパンの売上増のために企画したのではないかと密かに思っています」という楽しい意見まで聞かせてくれた。 島貫さんによるとこの地域では法事パンを扱うパン屋は多く、とりわけ経営年数が長い店ほど、法事パンを販売している傾向にあるのだとか。 しかし、普通のパンと法事パンの違いってなんだろう?

すると再び、「違いは特にありません。 蓮の花の絵柄が付いた袋にいれて箱詰めすれば法事パンになります」となんともざっくりだ。 さらに、「法事パンはこうあるべき」などの定義も特にないというが、強いて言うなら、当日食べられるとは限らないため日持ちするパンを選ぶことが多いのだとか。

「包装する際、日持ちを考えて添加物を入れる店もあるようですね。 でも、当店では何も入れていないので日持ちしません。」と島貫さん。 キッチンおかだが法事パンとしても販売しているパンは、苺ジャムパン(140 円)、メロンパン(150 円)、たなべのたまごと木次牛乳のクリームパン(150 円)、無添加あんぱん(150 円)、ヨーグルトパン(150 円)、キッチンマドレーヌ(180 円)など。

カレーパンやヨーグルトパンも法事パンに

「法事パン」は昔からの風習のため、他店でも同様にあんパンやメロンパンなどの王道パンが使われることが多いのだとか。 また、これといった定義がないからこそ、故人が好きだったパンを採用することもあるそうで、「カレーパンやヨーグルトパンを蓮の花の絵柄が付いた袋にいれてお渡ししたこともありますね」と島貫さん。 キッチンおかだでは、蓮の花の絵柄入り袋にいれた後は白い箱に詰め、のしをつけて「法事パン」を完成させるが、のしには字入れもできるという。

最後に、この風習の展望について尋ねてみると、「松江近隣の風習に留まることなく、全国に広まってパン業界の活性化につながってくれたらとの淡い期待を抱いております」と明かしてくれた。 「パンが好きでない人は少ないと思うし、いろんな種類があればきっと喜ばれるはず。 パン屋側の事情はさておき (笑)、お渡しする方に喜んでいただきたいとの想いで始まった風習だと思うので、これからもたくさんの人に喜んでもらいたいですね。」 島貫さんのメッセージに共感を覚えるという人は、これからは贈り物の機会がある度、パンも候補にいれてみてはいかが? (観月陸、MyNavi = 9-27-15)


三洋頼み 崩れたピラミッド 鳥取三洋電機 鳥取市

グローバル化の波は地方の「企業城下町」を容赦なく襲う。 「城」として頂点にあった大手メーカーの縮小・撤退によって、下請け・孫請けへと連なるピラミッドが崩れ、「町」そのものが沈みつつある。 JR 鳥取駅(鳥取市)から南東約 1 キロの県道沿いに、広大な空き地がある。 三洋電機の工場跡地(約 5.1 ヘクタール)で、サッカー場が 7 面入る大きさだ。 2012 年まで、三洋の炊飯器やホームベーカリーなどをつくっていた工場だったが、13 年までに解体された。 空き地の前にあるバス停の看板は「三洋前」のまま。 だが、敷地内にあった工場や社員寮は取り壊され、当時の面影はない。

「朝は工場に向かう従業員の車が連なり、渋滞になることもあった。」 元三洋社員 (61) は懐かしむ。 三洋が鳥取に進出したのは、高度成長期の 1966 年。 働き口を求める若者の県外流出を止めようと、地元の強い要望を受けたのがきっかけだった。 事業拡大を進める三洋にとっても、「大都市圏では従業員の確保が難しくなりつつあった(鳥取三洋電機 30 年史)」という事情があった。 鳥取の三洋はピークの 90 年代後半に従業員数が約 3 千人、売り上げは 2 千億円に達した。 三洋と関連会社の製造品出荷額は、鳥取県全体の 2 割ほどを占めた。 「トリサン」と愛称で呼ばれた鳥取三洋は、若者の人気就職先だった。

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しかし、長らく地元経済を牽引してきたピラミッドは崩壊する。 半導体事業の不振や不正決算などで経営難に陥った三洋は、09 年にパナソニックの子会社に、11 年には完全子会社になった。 パナソニックは三洋が得意な太陽電池などを取り込む一方、海外勢との競争に向け「経営の効率化」を図った。 両社の重複事業の整理や拠点の統廃合が加速した。 その影響は、鳥取の三洋にも及ぶ。 11 年末には大規模なリストラが行われ、三洋と関連会社で働く社員約 1,200 人のうち約 3 分の 1 が希望退職に応じた。 残る社員の多くも県外の拠点に配置転換となった。

親の介護のため希望退職を選んだ元社員は「悩み抜いた結果、家族を残し、県外で働く道を選んだ人たちも多い」と話す。 三洋撤退は、周辺の下請け業者を直撃した。 「月 400 万円ほどあった三洋の仕事が消えた。」 家電製品の下請けをしていた鳥取市内の町工場の経営者 (68) は言う。 仕事がなくなり、3 年前に工場閉鎖に追い込まれた。

三洋のカーナビを製造し、年間売上高が 100 億円を超えていた大山電機(鳥取県大山町)は 13 年に工場を閉じた。 パナソニックが生産拠点を中国に移すことを決めたためだった。 関連会社を含め約 170 人が解雇され、町にとっても「多くの町民を雇用し、盤石な経営だと思っていただけに、衝撃は大きかった。(観光商工課)」 経済産業省の工業統計調査によると、鳥取県の製造品出荷額はピークの 99 年に 1 兆 2,194 億円にのぼったが、13 年には 6,552 億円とほぼ半減した。

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三洋を頂としたピラミッドには、もっと前から「異変」が起こりつつあった。 85 年の主要 5 カ国によるプラザ合意を受け、円高が急速に進んだ。 国内の家電大手は、日本製品を海外に輸出して稼ぐビジネスモデルの見直しを迫られた。 三洋の協力工場として、67 年に大阪から鳥取に進出した精密金型メーカー、安田精工の安田晴雄会長 (71) は「生産拠点が海外に移り始め、三洋頼みでは厳しい状況に追い込まれかねない」と、80 年代後半から危機感を抱くようになり、取引先を自動車関連に広げて生き残りを図った。

予感は的中する。 90 年代に入ると、三洋やパナソニックなど電機大手は「売れる市場の近くでつくる」という方針で、消費地としても期待された中国などへの生産拠点シフトを加速させた。 現地での部品調達を進め、国内では「産業の空洞化」が叫ばれた。 地方の繁栄モデルだった企業城下町は、大手頼みなだけに、その動向に振り回されるもろさがある。 鳥取以外でも、三洋の群馬県大泉町などで工場が縮小し、打撃を受けた。 企業が集まる東京へ若者が向かう流れも止まらない。

地域経済に詳しい京都大学大学院経済学研究科の岡田知弘教授は、こう指摘する。 「企業誘致は公共事業と並び、戦後の地域活性化策の柱だった。 今は企業城下町の構造が、中小企業の廃業や失業率の上昇、税収減など様々な面でマイナスに働いている。 企業誘致頼みではなく、地域内で投資が回る好循環を生む施策が必要だ。」 (近藤郷平、asahi = 8-26-15)


出雲・商店街に無料の貸しスペース、開設 1 年

JR 出雲市駅に近い中町商店街に、だれでも無料で使えるオープンスペースがある。 空き店舗を地元の若手がシックなデザインに改装し、開設 1 年で稼働率は 8 割。 全面が黒板の壁を生かした「塾」やトークライブなど、定期的な催しも根付き始めている。 「オープンスペース ichi」は床面積約 14 坪。 大型店に押され、活気を失いつつある商店街に人の流れを呼び戻そうと、出雲商工会議所が空き店舗を借り、月 6 万円の家賃や光熱費、インターネットの無線 LAN 通信費などを負担して貸し出している。 運営には、地元商店街の若手メンバーもかかわる。

元々は、新規出店を目指す人が実績づくりに挑む「チャレンジショップ」だった。 10 年間ほど運営したが、出店につながるケースはあまり増えなかった。 「時間や数日単位で誰でも借りられる仕組みの方が効果的では」と方針を変更。 昨年 8 月、ichi として生まれ変わった。 使えるのは午前 9 時 - 午後 10 時。 1 時間単位で、最長 1 週間借りられる。 飲食や、政治・宗教に関する催し以外なら、目的は自由。 近接する有料駐車場の割引券も使える。 地元の高齢者グループが毎週、体操教室として使っているほか、展示会や会議室の利用が多い。

昨年 10 月から、県内外で活躍する経済人や文化人を囲むトークライブ「ヨル活@イズモ」が、月 1 回のイベントとして加わった。 今年 4 月からは、中高生向けに、「学校では学べないことを社会人の経験談から学ぶ」という週 1 回の塾「つながる学び舎(や)」も始まった。 いずれも、壁の黒板が有効活用されている。 商工会議所の布野(ふの)直美・産業振興課長補佐は、「一時的な催ししか想定しておらず、根付く活動が生まれたのは予想外」と喜ぶ。 今月初め、フリーマーケットがあった。 出店者は中町商店街のメンバーでもある松本尚子(しょうこ)さん (32) や U・I ターン者ら 5 人だ。

かつては出雲で一番のにぎわいだった商店街。 今は閉店した店舗が目立ち、人通りも少ない。 「暮らしは続いており、つながりは消えていない」と松本さん。 「商店街のつながりを生かして ichi に人を呼び込む努力を続ければ、活気を取り戻せるのでは。」 (木脇みのり、asahi = 8-14-15)