島根の特殊繊維「神ノ糸」を配合した独自の綿生地を開発したきもの屋が、あえて「洗える布製マスク」を製造

株式会社むらたや

初めまして。 株式会社むらたやで社長をしている村上徹と申します。 むらたやは、島根県益田市の駅前町で 1937 年に祖父が着物を中心に扱うお店として創業し、成り立ちからいうと私で四代目になります。 実は私は次男なのですが長男が家業を継がないため、私しかいないといった理由で、私が跡を継ぐ決心をして会社に入社しました。 2012 年に父から会社を引き継ぎ社長に就任しました。 株式会社といっても、田舎の呉服店ですが「より良いものを、より安く」という理念をモットーとしていた祖父や父が大事にしていた事を私も大切に引き継いで日々頑張っています。

「着物産業の凋落で会社の環境がおおきく変化したので自社商品を開発」

私が会社に入って時期は着物業界全体が悪くなったと言われながら、まだブライダル産業の部類に入っており、お嬢様の嫁入りの際に着物を持たせる慣習での着物需要があり、田舎にある当社でもなんとか経営が成り立っていたのですが、景気の後退と、きもの離れの進行が激しく、呉服店は着物等の販売だけでは経営の維持が困難となりました。 そこで弊社は会社の維持存続するための方策として、着物ではない自社製品の開発に乗り出しました。

まず島根県に唯一生地を織る設備を持っている会社が出雲にあると紹介され、すぐにその大和紡績出雲工場を訪れました。 その時工場長のから「このような糸を開発したのですが何か商品化できませんか?」と見せて頂いたのが「神ノ糸」でした。 オーガニックの麻から紙を作り、裁断してねじりをかけて出来上がった糸は強靭で、軽く、摩擦にも強いと聞きました。 また大和紡績グループでも生地を織る織機は出雲工場だけしかないと聞き、直感的に「これだ」と思い、弊社独自の生地の開発が始まりました。

問題は綿糸と「神ノ糸」との混合比率でした。 「神ノ糸」は固いので、この糸の混合の比率が多いと生地の手触りが悪くなる。 反面、綿糸の比率を高くすると摩擦による毛羽立ちや擦れによる色落ちが多くなる。 まさに試行錯誤が続きました。 綿糸と「神ノ糸」の混合比率の異なる試作品を何度も作っては、社員と何回も風合いを検討し、ついに理想的な比率の生地の開発に成功。 それを使って弊社のオリジナル商品を作ろうと、この生地と東京都伝統工藝「江戸小紋」染色技術とをコラボさせたものを作ろうと考えていました。

「製品化に向かっての道のり!」

絹以外のものでも染める唯一の技術を持っている江戸小紋染め工房の社長に頼み込み染めて頂ける事になり、生地の縫製に唯一熟練の職人さんがいる小さな会社にお願いする事になりました。 そして島根県石見地方の石州瓦、またユネスコの無形文化財に認定された石州半紙の工房で、私の話を快く聞いて引き受けて頂いた各工房に部材製作をお願いする運びになり、製品は軽くて丈夫な生地なので、これからの新しい形のバッグやショルダーポシェット等の製品化を進め、販路開拓の糸口を掴み、本年 1 月末から開催される東京の有名な結婚式場でのイベントに出品する企画に採用され 1 月 24 日から開催され、これを足掛かりとして販路開拓に弾みをつけようと考えていました。

「コロナ禍ですべてが白紙になり、すべてが中止に!」

ところが本年 1 月に横浜に寄港した客船の乗客からあっという間に拡散したコロナウイルスによる影響で世の中がひっくり返てしましました。 コロナウィルス騒動で 1 月に出品したイベントは即閉鎖、また政府による緊急事態措置の全都道府県へのお願いによって弊社が毎年 2 月に開催するきものの展示会の中止など、全ての人が動かなくなり経済活動がストップしてしまいました。

弊社も資金ショートを防ぐため政府の持続化給付金の支援獲得に必死になり、また資産売却による自己資金の捻出で、何とか営業は継続出来ましたが、売り上げはほとんど無い状態に陥りました。 そのような時、晒の生地を買いに来られるお客様がいてすぐに売りきれ、その後「教材用の安いゆかたはありませんか?」と来られたお客様に、デットストックの教材用浴衣を買って頂いた折り、そのお客様に私は「何にお使いになるのですか?」と伺った所、「マスクが全く手に入らないため、これで綿の洗えるマスクを作るんです」と聞き、初めてマスク不足の深刻さを身近に感じました。

聞けば市内にある大手ドラッグストアに週一回紙マスクが入荷するという情報が入った人が朝 6 時から多くの行列になって並び、10 時開店でお一人一枚限りの販売という状態をお客様から聞きました。 地元の多くの人がマスク不足で苦しんでいる、このような状況の中で何か弊社にできることはないか社員みんなで考えました。 大学に行っている娘から、「綿のマスクは 5 - 6 回も洗うと生地の表面が起毛して肌を刺激して使いにくい」と聞き、弊社の生地ならば「神ノ糸」の効果により、

  1. 綿マスクより毛羽が起きにくい
  2. 「神ノ糸」の効果により洗濯回数が多くても型崩れなく耐久性が長いので経済的
  3. 「神ノ糸」は麻を原材料にしているため熱がこもりにくい、これなら息苦しさや毛羽による不快感が軽減できる

まさにマスクに適しているのではないかと考えました。

そこでお客様のご子息で都会から U ターンされてモノづくりプロデュース会社を立ち上げた方にすぐ相談しました。 その頃市内にある縫製工場も仕事がなく困っていたので、そういう所に話を持って行って頂きとりあえずサンプルを 200 枚作ってもらい地方新聞に掲載してもらった所、松江市や出雲市、また市内からも問い合わせがあり郵便で送ったりして完売しました。 メールで、ジョギングされている方から「口周りに熱がこもらなくていいです。」といった感謝の言葉を頂きました。

しかしある時ネットの記事で「綿のマスクは細かい起毛があるため、洗濯してもウィルス菌の残留率が高い」という記事を読みショックを受けました。 マスクには商品的に自信があったのですが、この記事を読んで落ち込んでしまいました。 「もっと改善せねば」という思いで必死に情報を集めました。

その中に「光触媒による抗菌・抗ウィルス加工」という記事を見つけて調べ上げ連絡を取った所、工務店で壁紙に塗る薬剤と聞き落胆しましたが、それでもダメもとで弊社がバッグ類の撥水加工をお願いしている京都の会社に電話してみたところ、「最近そういった問い合わせが多いので、当社でも薬剤は違いますが同等の効果があるガード加工をしています。」と聞きました。 すぐに弊社が保有している「神ノ糸」を含有した白生地反を送って加工していただきました。 そして白生地が返ってきたので、早速プロデュース会社の社長様に地元の縫製工場でマスクの縫製を依頼してもらいました。

こうして出来上がったのが、「K-iwami (きわみ)製抗ウィルス対応の布製洗えるマスク」です。 純日本製、抗ウイルス抗菌加工済みなので何回洗っても安心。 毛羽が起きにくいし熱もこもりにくい。 耐久性が高いので 50 回くらい洗っても使用可能なのでまさに経済的。 新聞各社にこのマスクのことをお伝えしたところ、朝日新聞の経済面の記事に掲載をして頂きました。 もともと弊社が開発したバッグやショルダーポシェットを、世の出すために使うはずの生地が、形をかえて多くの皆さんのお役に立ちたい気持ちで先に転用をして、「k-iwami 製洗える布マスク」を開発したのです。

現在、弊社きもののむらたや公式オンラインショップ内で 1 枚 1,760 円(送料・税込み)で販売を開始したところです。 きもの屋がこだわり抜いて心を込めて作った安全性の高い自信作のマスクです。 洗える布マスクの落とし穴を知ってもらうための「安全な布製洗えるマスク」を使ってもらいたい気持ちで一杯です。

島根県の製造商品は多いのですが、食品以外の製品を作る企業が多くありません。 今回のコロナ禍で洋服やきものに限らず多くの物販店は来客が少ないため苦しんでいます。 私どもの取り組みを知って、少しでも物販店等が自分の所の経営資源を見直して新たな道を開拓するような取り組みに挑んでもらえれば、まだまだ地方でも別の分野の道で活性化につながっていくと、私は願っています。

またこれをきっかけに島根の「神ノ糸」のすばらしさを知って頂くきっかけになり、そして、その先に、この「神ノ糸」を使って弊社が開発したバッグやショルダーポシェット、化粧ポーチなどに関心を広げて頂けたら幸いです。

【株式会社むらたや K-iwami 事業部】
所在地 : 島根県益田市駅前町 11-16
代表者 : 代表取締役 村上 徹
ウェブサイト : https://k-iwami.com/ (PR Times Story = 10-26-20)


JR 西「銀河」 学生の "痛烈な一言" が開発の引き金
古い 117 系のスタイルを維持しつつも大変身

鉄道ジャーナル社の協力を得て、『鉄道ジャーナル』 2020 年 12 月号「WEST EXPRESS 銀河? 憧れを引き寄せ運転開始」を再構成した記事を掲載します。

「WEST EXPRESS 銀河(以下、銀河)」は JR 西日本が、クルーズトレインや従来の新幹線でも昼行特急でもない「新たな長距離列車」と標榜して運転を開始した特急列車である。

本来は 5 月 8 日に運転開始のはずだったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で運休が続き、GoTo キャンペーンも始まり人々の動きもようやく許容されてきた 9 月、4 カ月遅れでスタートとなった。 車両は 117 系を大胆に改装した 6 両 1 編成だけのため、11 月末までは京都 - 出雲市間を伯備線経由で週 2 回、京都発が月・金、出雲市発が水・土を基本とする夜行運転(上りは大阪行き)で、12 月からは路線を変えて下関への昼行特急として来年 3 月までが予定されている。

この列車はどのような考えから生まれたのか、今年 1 月に吹田総合車両センターで行われた報道公開時の聞き取り取材を振り返ってみる。

車窓を眺めるゆったりした旅を提供

この列車のキーワードは、「多様性」、「カジュアル」、「くつろぎ」と説明された。 一人旅からグループ・家族、若者からシニア、そして男女とさまざまな層に向けた設備を用意する。 そして新幹線や在来の特急のように画一的なスタイルでスピードを重視してきた旅行とは異なり、また高価格のぜいたくさを売る「瑞風」や、流行のレストラン列車でなくても、ゆったり眺める車窓が最高の味わいと考え、そのような長旅が選択肢としてあるのを示すことを目指した。

カジュアル・気軽さを体現する施策の 1 つとして、JR 西日本はネット予約システムを改修し、窓口販売でしか買えなかった個室を、サンライズを含めて「e5489」等のネット経由でも購入できるようにした。 列車名の "銀河" は、西日本に点在する魅力ある土地の集まりを銀河になぞらえたもので、それらが流れる車窓、とくに夜景を楽しむ列車として命名された。 こうしたコンセプトから、車体色には往年の寝台特急を連想させる青を現代風にアレンジしたという瑠璃紺に塗られている。 各車とも京都方の乗降ドアが塞がれて客室スペースに充てられているので、元車両の骨組みの関係から窓のレイアウトが一様でないが、一方でスマートさを醸すために雨樋は屋根の肩へと持ち上げられて、見えなくなった。

ゆったりと旅をする列車として、JR 西日本にとっての最大マーケットである京阪神から少し距離があるエリア、山陰や山口・下関方面が考えられ、まずは 2018 年のデスティネーションキャンペーン (DC) で関係が築かれ、観光素材も整えられた山陰方面で幕を開ける。 次いで 2020 年秋は広島せとうち DC が展開されることから、山陽方面への運転となった。夜行運転を前提にしたような名前や設備内容だが、山陽方面では観光拠点が倉敷から尾道、広島、岩国、山口と幅広くつながっているため、昼間に運転する。

往年を思い出させる楽しい仕掛けのかずかず

デザインについては、ブルネル賞に輝いた土佐くろしお鉄道中村駅のリノベーションをはじめ、これまでにえちごトキめき鉄道「雪月花」や一般車両のデザインを手掛けてきた建築家・デザイナー、ICHIBANSEN/nextstations の川西康之氏が受け持った。 特急のシンボルとして頭にライトを追加する一方、タイフォンカバーや尾灯を整理するなどの手を加えながら 117 系の基本的造形を活かしてヘッドマークを掲げ、いかにも夜行を彷彿とさせる塗装などの要点は、車内とともに高い前評判を呼んでいた。

フリースペースごとに付けた名前は 4 号車の「遊星」は新規だが、3 号車は「明星」、6 号車は「彗星」と、忘れられない列車愛称であり、それぞれのシンボルマークをヘッドマークのデザインに仕立てたことや、4 号車「遊星」の壁仕切りに往年の 100 系新幹線食堂車よろしく精緻な車両イラストを描いている。 加えて今般、新型コロナのために設けた透明アクリル仕切りに、「距離」、「マスク」の文字までヘッドマーク状の絵柄にして描き込んでおり、その鉄道に対するオマージュが大いに人々の目を楽しませていた。

その川西氏に、「銀河」に込めたポイントを聞いた。

そもそも JR 西日本から伝えられた、「銀河」の構想の発端は、クルーズトレイン「瑞風」あってのこと。 「豪華列車の客しか相手にしないのか」といった声に、リーズナブルに鉄道旅を楽しめるサービスも忘れていないと伝える必要があったからだ。

それともう 1 つのエピソード。 JR 西日本の役員が講義に出向いた大学で、学生から「旅行に新幹線は高いし、通学の満員電車では不快な思いもするし、私は電車なんて乗りません」と、聞かされたのだ。 会社としては都市圏輸送も主要都市間輸送も充実させて、それなりに堅固な基盤が築けたとの自負を持っていたところなので、痛烈なパンチだったらしく、「ぜひ、彼女たちの心に響く列車を作ってほしい」という強い意思を伝えられたと言う。

そこで川西氏は、だれもが心に持っている想いを汲み、「遠くへ行きたい、を叶える列車」のキャッチフレーズを提案、その考えに沿ってデザインしたと言う。 9 月 11 日の出発式のあいさつでも、「(新型コロナに見舞われた状況でも)人々は太古の昔・万葉の時代から遠くにいる恋人を想い、家族を想い、会いたい、行きたいという本能的な欲求を持ち合わせている。 その想いを実現する電車が WEST EXPRESS 銀河である」とメッセージを述べた。

1 つだけに縛らないための設備と工夫

しかし、このような手探りのカスタムメイドの列車には新車を充てないのが常。 117 系 6 両編成が充てがわれ、リーズナブルな列車としてオール座席車、接客に携わる乗務員は基本的に車掌 1 人で車内販売等の要員はなし、というのが最初からの条件となった。

117 系は車齢 40 年に達して廃車も進んでいるが、国鉄時代の車両はすべてが頑丈に作られているので、大改造に耐えられる。 車体構造の見直しが進んだ JR 世代の高性能気動車を差し置き、40 系気動車改造の観光列車が各地に多いのもそのためだ。 JR 西日本ではすでに 681 系の廃車も出ており、それを転用して改造すれば金沢方面への運転もできるはずだが、そうならなかったのは車体の基本構造ゆえなのだろうか。

さまざまな旅行者の構成、嗜好に応じられるよう多様な座席を設けること、1 つの座席に縛らないことも、新幹線や在来の特急にない旅を提唱するフラッグシップとしての役割であった。 そこで各種の座席や、いくつものフリースペースを設けることとした。 長距離・長時間を前提とする列車として、足を伸ばして過ごせる席も欲しい。 そこで、サンライズエクスプレス 285 系電車に連結された大部屋 2 段構造を念頭にノビノビ座席も設けることとなった。

ところが、117 系を利用する改造車ゆえの制約もそこにある。サンライズより長時間の乗車になることや 117 系の天井が一般の通勤・近郊電車より 20cm も低い点が「ほぼ寝台」のクシェットへと導いた。 つまり、昼間の乗車時間も長いのでサンライズのノビノビ座席より広いスペースが欲しかった。 しかも荷棚を設けることが困難なので、代わる収納場所としても必要だった。 そこから、床面にスペースを取った 2 段ベッドで挟む区画を設ける寝台車スタイルになり、さらに特徴的な姿に連鎖してゆく。

上段の頭がつかえないようにするためには、下段の席を低くするしかなく、床面から 15cm まで下げた。 それに伴って下の席からも寝そべりながら外が見えるよう、窓の下辺を下げている。 それが、通常より大きな窓が並ぶ部分となって、外観上でもアクセントになった。

また、改造車両の宿命として、空調装置も車内の姿を左右している。 元来が通勤用車両として 1 両全体に仕切りがない構造のため、空調ダクトもワンルーム構造に合わせて中央で吸気して前後へ送り出す形になっている。 それを無理に仕切ると、著しい寒暖のムラを生じてしまう。天井の低さからダクトを改造することもできず、したがって空気を全体に対流させる構造は変えられず、クシェット区画も通路との目隠しの仕切りをルーバーにして空気が通り抜けるようにした。

個室内でも自由な姿勢のくつろぎを

クシェットにはカーテンも設けなかった。 仕切ってしまうと、乗客は「銀河」の意図として最も大事にしている車窓に目をくれず、結果的に閉じこもってしまい、加えて空調のムラが快適さを損なう。 そのため、グリーン個室とした 6 号車を除いてあえて個々を隠さず、全体を開放する方向で間違いなしと判断した。 開放することや間接照明で適度に照らすことで人目が行き届き、治安的にもかえって担保できると考えられている。 もちろん今どきの列車なので、車内に防犯カメラも新設された。

こだわりの構造という点では、6 号車個室にも最たるものが現れている。 個室という閉ざされた空間で長時間を過ごす際、車窓を見るのも食事をするのも同じ座席、同じ角度では窮屈このうえない。 そこで同じ面積でも台形に変形させると、長い辺の側なら足も伸ばせるし2人で並ぶこともできる。 狭い辺を活用すれば、車窓をワイドに楽しむこともできれば 2 人で向き合うこともできる。 2 人で寝転がるにも余裕が生まれる。 限られた空間で体勢の自由を確保するため、ぜひとも欲しかった構造であると言う。個室の外に出れば通路は "への字" になるので先が隠れ、奥行き感を出すのにも役立っている。 (鉄道ジャーナル/東洋経済 = 10-24-20)


駅から歩いて、鳴き砂の浜と世界遺産の港へ 島根県・馬路駅

島根県の出雲市駅からおよそ 1 時間。 日本海沿いの静かな集落の中に、馬路(まじ)という無人駅がある。 実はここ、日本でも珍しい二つのスポットに歩いて行ける最寄り駅。 ホームでの海の観賞もほどほどに、ちょっと足を伸ばして、駅にはない魅力を探しに出かけてみた。

鳴き砂の浜が見える駅

2012 年 10 月、からっとした秋晴れの日。 馬路駅のホームにひとり降り立つと、青空を映したすがすがしい日本海が迎えてくれた。 家々のすき間からは、ちらりと白い砂浜が顔を出す。 この浜が、一つ目のスポット。 その名も「琴ケ浜」だ。 全国的にも珍しい、歩くと砂がこすれて音の鳴る「鳴き砂(地元では「鳴り砂」と呼ばれる)」の浜で、日本の「三大鳴き砂」の一つとも言われる。 2017 年 10 月には国の天然記念物にも指定された。

砂浜には何度も訪れてきたが、鳴き砂の浜は初めてだ。 しかも駅の目と鼻の先にある。 となれば、行かない手はない。 さっそく駅前の急坂を降り、集落のメインロードでもある細い県道を歩く。 趣ある木造の家屋や商店が端々に生活感を漂わせながら、軒を連ねている。 懐かしい家々を横目に、海へと続く細い路地を抜ければ、琴ケ浜に着く。 駅を出てわずか 5 分。 いきなり視界いっぱいに広がった砂のまぶしさに、思わず目を細めた。

琴ケ浜の全長はおよそ 1.4km。 集落を中心に、二つの岬の間で弧を描くように広がる。 これだけきれいな浜なのに、左右を見渡す限り、誰も遊びに来ている様子がない。 せっかくなので、ひとりで砂を鳴らしてみる。 波打ち際まで行き、かかとから押し込むように力を加えると、小気味よく「キュッ」という高い音が聞こえた。 コツをつかめば、歩くたびに砂が鳴る。 これは … ちょっと楽しい。 しかし、砂が鳴るためには、石英の含有量、不純物の少なさ、砂粒の大きさなど、いくつもの条件がある。

その繊細さは「茶碗一杯の砂の中に耳かき一杯のチョークの粉を入れただけで鳴らなくなる」と例えられるほど。 琴ケ浜の鳴り砂も、500 万年もの歳月が奇跡的に生み出したとされている。 砂を間近で見てみると、その一粒一粒がきめ細かで、透き通るように美しい。 地球のもたらした偶然に感謝しながら、渚を思うままに歩く。 どこまでも続く、なめらかな砂浜。 足元で奏でる、潮騒と鳴き砂の音。 いつになく五感が喜んでいる気がした。

誰にも出会わなかった、世界遺産の港

二つ目のスポットは、鞆ケ浦(ともがうら)という小さな港。 この港はなんと、世界遺産に登録されている。 海ばかり見ているとあまり意識しないが、馬路駅から見て山のほう、直線距離で南東におよそ 5km の場所に、石見銀山がある。 16 世紀の戦国時代から栄え、日本産の銀が世界のおよそ 3 分の 1 を占めると言われた頃、そのかなりの部分を産出したといわれる、日本最大の銀山だった。

鞆ケ浦は、石見銀山で採掘した銀を積み出すために使われた最初の港。 2007 年に「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成資産の一つとして、世界遺産となった。 そんな鞆ケ浦を見るべく、馬路駅を再訪したのは、2018 年 11 月。 鳴き砂のまぶしい琴ケ浜を右手に、海沿いをひたすら歩く。 前回は鳴き砂に夢中であまり気に留めなかったが、改めて見ると海水の透明度が高い。 まるで水槽を上からのぞき込んでいるかのように、海の底までくっきりと見える。 美しすぎる道のりだ。

道はやがて 1 本のトンネルに行き着く。 暗がりをおそるおそる抜けると、そこはもう鞆ケ浦。 馬路駅からは、歩いて 15 分ほどの距離になる。 リアス式海岸の深い入り江にあり、ひっそりした、まさに天然の良港。 世界遺産とはいえ、観光客はおろか、人の姿が見えない。 2 匹の子猫だけがこちらのことなど意に介さず、道端でたわむれているのが印象的だった。 港の奥には数えるほどの民家があり、その間を縫うように1本の細い坂道が伸びている。

およそ 500 年前、石見の銀はこの細い坂道を通り、目の前の小さな港に運ばれ、やがては世界へと渡っていったのか - -。 ひとり、道の真ん中でじっと景色を見つめ、歴史に思いをはせる。 誰もいないからこその、ちょっとしたぜいたくだ。 ホームから出なくても、美しい日本海を望める馬路駅。 しかし、駅を出てちょっと歩けば、地球や先人がもたらした貴重な遺産が待っていた。 駅の外に目を向けてみると、旅の楽しみはぐっと広がる。 今まで駅ばかり巡ってきた私に、馬路駅はそんなことをようやく気づかせてくれた。 (村松拓、asahi = 10-5-20)


島根のビールメーカー コロナで工場移転し、販路拡大成功

移転先は大自然に囲まれた温泉リゾート地の中。温泉あがりの一杯が楽しめると人気

コロナ禍によって中小企業の倒産、飲食店の閉店、個人事業主の仕事の減少など、暗い話はあとを絶たない。 しかし、コロナの逆境をむしろ経営判断の材料にする大胆な行動力で、生産や販売を回復させた企業も存在する。

醸造ゼロから再起 工場移転で販路拡大

「石見麦酒」は島根県石見地方にあるクラフトビールメーカーだ。 2015 年の創業以来、年間 30 種類以上のクラフトビールを造り、商売は順風満帆。 潮目が変わったのは 2 月下旬。 新型コロナウイルス感染拡大の影響で予定していたビール販売イベントがすべて中止になり、さらにビールを卸している飲食店は休業や時短営業で、売り上げが半分以下に。 それまでは毎日醸造していたが、4 - 5 月には醸造する日が 1 日もなくなり、時間だけが余った。

そこで工場長の山口厳雄さんは、空いた時間を有効活用しようと、2021 年 2 月に予定していた工場移転を 8 か月前倒しで行うことにした。 「そもそも、移転するには醸造をストップさせる必要があった。 幸か不幸か、その機会が訪れた。 絶好のチャンスだと思いました。(山口さん・以下同)」 本来、ピンチのはずの醸造ゼロ期間を、チャンスととらえたのだ。

時は金なり!  利益はあと!! とにかく行動あるのみ

醸造をしていないといっても、ビールの在庫は倉庫に眠っていた。 在庫を抱えたまま移転しては、莫大な労力と資金が必要になる。 そこで在庫を減らすため、地元の飲食店と組んでビールとおつまみをセットにして販売する "クラウドファンディング" を行うことに。 これが大成功し、在庫一掃どころか足りなくなり、急遽醸造するまでに。  さらにその間、取引のある飲食店のランチデリバリーもかって出た。 「醸造作業がないから時間は余る。 その時間で飲食店のランチをバイクで配達しました。 もちろん無償です。 困ったときはお互いさまですから。」

ほかにも、フードとビールのドライブスルー販売も実施。 利益になるかならないかは別として、とにかく行動することで可能性を見出した。 「行動力の源には、リーマン・ショック時の失敗があるんです。 あのときは建築業を営んでいましたが、休業補償や助成金に頼って、嵐が過ぎるのを待っていた。 いざ出口が見えても、行政に頼るばかりで準備をしていなかったから、すぐに行動ができなかった。 だから今回は、立ち止まらないと決めていたんです。」 無償で協力した配達のおかげで販路が拡大し、移転した新工場で行っているオンライン工場見学も貴重な収益源に。数々の成功は、挑戦の積み重ねが礎になっているのだ。 (New Post/Seven = 9-23-20)

【住所】 島根県江津市桜江町長谷 2696-9 温泉リゾート 風の国内
【ビールの種類】 151、282、307、520、744、960 など
【営業時間】 10 時 - 17 時 30 分
【定休日】 日・月曜日


風の盆の 362 日を発信 U ターンで気づいた粋な暮らし

町屋が並ぶ富山市八尾(やつお)町。 そのうち一つは、来春オープン予定の一棟貸しの宿泊施設で現在改装中だ。 旅行先で働きながら休暇をとるワーケーションや、企業の福利厚生の利用でもいい。 経営するオズリンクス代表の原井紗友里さん (32) は「観光という枠を離れ、いかに町の滞在者数を増やすかという目線で計画しました。」 利用は定員 8 人で 1 週間を 1 口とし、年間で約 50 口販売したいという。

歌われよ〜わしゃ囃(はや)す〜。 三味線や胡弓(こきゅう)の音色にあわせて八尾地区の各町ごとに男女が踊る祭り「おわら風の盆」は、今年はコロナ禍で中止となったが、例年は 9 月 1 日から 3 日間、約 20 万人の観光客が訪れる。 1980 年代に石川さゆりの「風の盆恋歌」やドラマのヒットで人気に火が付いた。 だが、1 年のうち、祭りの期間以外の 362 日間の「おわらの町」を観光客は知らない。 市中心部の出身で U ターンした原井さんも知らなかった。 「衝撃でした。 7 月には私以外だれもいない。 でも、通りでは稽古する三味線の音色が聴こえ、玄関先には花があり、水路の音もする。 実は、町の人が粋な暮らしをしている。 もったいない。 ここの 362 日間が価値だなと気づいたんです。」

原井さんは東京の大学を卒業後、中国の日本人学校で働き、富山に戻って再就職した。 時期は北陸新幹線が開通したのと同じ 2015 年で、駅前にはインバウンド(訪日客)もいた。 8 年ぶりに地元で食べたコメのうまさに感激し、故郷の変容にも驚いた。 「富山の豊かな暮らし、分かって帰ってきてるのかな。」 仕事で自信もつき、独立心が芽生えたころ、単純な疑問から観光にも興味がわいた。

県主催の塾に通い、飛?古川の旅行コンサルティング会社に研修に行った。 「そこが転機だった」と原井さん。 目にしたのはインバウンドの自転車ツアー。 田んぼのあぜ道をただ走り、喜んでいる。 農家男性がキュウリを洗って手渡し、食べてまた感動している。 「仕込んでいない日常が心を動かし、お金になっている。 これは富山でもできる。」 富山の商工関係者らと「日常が美しい場所」を求めて見つけた「おわらの町」。 市所有の蔵を借りて 1 日 1 組の宿「越中八尾ベース OYATSU」を開いた。

ただ、八尾では自分は「よそ者」。 連携が重要だと感じ、八尾出身者に入社してもらった。 宿を構えて何を見せたいのかを地元向けの説明会で訴えた。 「結局、見せるのは町の日常。 地元が、何をやっているのかと不思議にならないようにしたかった。」 通り沿いの立て看板に、その日の宿泊者名を記し、同じ町内の約 120 戸に手書きの新聞「月刊おやつうしん」を配って宿泊状況などを伝えた。 宿で夕食は出さずに、近隣の飲食店を紹介。朝食のパンは近くのベーカリーのものだ。

接点も出てきた。 インバウンド向けの着物体験で、マレーシア人家族が着付けの体験を希望した。 ただ、子供用の着物がない。 併設するカフェにいた地元民に話すと、近所から子供用が届けられた。 「SNS よりも早かった。」 この展開に感動した家族は再訪。 訪れた飲食店では、出会った男性から三味線の稽古に招かれた。 一方で、大人気の祭りには陰りも見え始めていた。 全国区で観光客を集めてきたが、引きつけていた世代の高齢化が進み、年間 20 万人の水準だった来場者数は昨年は 17 万人台に減少。 今年はコロナで中止となった。

それだけに、ほかの取り組みの活気は希望になる。 八尾出身で活性化に取り組んできた県商工会連合会事務局長の田代忠之さん (60) は「新型コロナで価値観も旅行も大転換している。 原井さんが今やろうとしていることは、うまくその価値観に結びつくような気がする。」という。 八尾では今、日常に魅力を感じた原井さんが宿を開き、その日常を求めて旅行者も訪れ始めた。 「商店の担い手も減る中、外からの視点で新しい価値を提案している。 彼らが連携して既存の価値と違う楽しみ方を提供できるんじゃないかと。」

OYATSU にはコロナ禍でも県内から客が宿泊しに来る。 今後はワーケーションといった新たなニーズもとらえたいという。 「滞在時間の長い訪問や、定住者を増やしたい。 長くいてもらうことがお金を落とすことになり、富山の宝だと思う八尾を守ることにつながる。」と原井さん。 さらに今、地元や移住者と連携し、空き家となっていた町屋にアーティストを呼んで、生活しながら創作活動をしてもらおうと計画中だ。 (鳴澤大、asahi = 9-22-20)



隠岐諸島の自然観光を満喫できる電動アシスト自転車周遊サービス
『E-BIKE ADVENTURE OKI』を始動

隠岐観光協会(島根県隠岐郡)、株式会社ヤマップ(福岡県福岡市)、パナソニック サイクルテック株式会社(大阪府柏原市)は、再活性化する国内観光並びに行楽シーズンの本格化を前に、2020 年 9 月 8 日より、島根県・隠岐諸島の自然観光を満喫できる電動アシスト自転車周遊サービス『E-BIKE ADVENTURE OKI』の提供を開始いたします。(提供期間 : 2020 年 12 月 7 日迄)

E-BIKE ADVENTURE OKI

『E-BIKE ADVENTURE OKI』の周遊コースは、行きたい島と滞在時間に合わせてお選び頂けます。 全 19 種のコースがあり、いずれも隠岐諸島の魅力を存分に味わえる内容となっています。 さらに、景勝地などのランドマーク情報・現在位置・ルート・所要時間等の情報も、すべて「YAMAP」アプリの地図上でご確認いただけます。

『E-BIKE ADVENTURE OKI』では、パナソニック サイクルテックの「XM1」がご利用いただけます。
【要・事前予約】 なお、レンタル料金、各種付属品<無料>に関する詳細は、特設サイトをご確認ください。

参考:隠岐諸島について

隠岐諸島は、島根半島の北方約 80km に位置し、大小 180 を超える島々で構成される群島です。 人が住む大きな島は 4 つあり、そのうち知夫村・海士町・西ノ島町を「島前(どうぜん)」、隠岐の島町を「島後(どうご)」と呼びます。 人口は全島合せて約 21,000 人。 その貴重な生態系、気候風土から、昭和 38 年には「大山・隠岐国立公園」に指定、2013 年には「大地の世界遺産」である世界ジオパークに認定されています。

背景 : 着地型旅行商品の開発並びに個人客・グループ客の受け入れ態勢拡充に向けた実証実験

島根県・隠岐諸島は、豊かな自然に恵まれた地域であると同時に、多くの歴史・文化スポットも存在し、世界的にみても貴重な観光資源を有しており、エコ・ツーリズムの本格的な推進・強化に適した環境にあります。 『E-BIKE ADVENTURE OKI』は、そうした背景に基づく実験的なサービスです。 隠岐諸島の新たな体験型観光コンテンツ並びに「着地型旅行商品」の企画・開発を加速させ、個人客・グループ客の受け入れ体制充実を図るため、そして新たな旅行商品を造成するための実証実験を兼ねています。

今後も、隠岐観光協会・ヤマップ・パナソニック サイクルテックは、2021 年 3 月を目処に、本サービスで得られた様々な結果・知見を分析・評価し、地域資源を活かした観光消費の拡大と、中長期的な観光振興ビジョンに資する新たな観光振興モデルの開発を目指し、協働を図ってまいります。 (PR Times = 9-8-20)


島根のしょうゆ会社の奇跡 1 日でフォロワー 1 千倍「壊れたのかな」
応援の輪に「恐れおののいている」

「フォロワー 40 人もいて、メッチャバズってるじゃん!」 上司にそうほめられたというほのぼのエピソードをつぶやいた島根県のしょうゆ会社が、ツイッターで話題になっています。 「応援したくなった」など、フォローする人が続出し、わずか 1 日でフォロワーは 2 桁から 4 万人超に激増。 一躍「時の人」になったしょうゆ会社の「中の人」に話を聞きました。

メッチャバズってるじゃん

話題になっているのは、島根県松江市にある「やすもと醤油 (@yasumotoshoyu)」がツイッターに投稿したつぶやきです。 「(一応)企業アカウントなので成果がないと twitter を辞めさせられてしまう厳しい世界です。」 悲しい絵文字付きで、窮状を吐露する投稿かと思いきや、文章は続きます。

「うちのアカウントを見た上司と同僚が、『フォロワーが 40 人もいて、いいねもたくさんついててメッチャバズってるじゃん!』と言っていました。 当分の間は大丈夫そうです。」

この投稿に「ほのぼのした」、「上司かわいい」、「頑張ってください」とフォローやリツイートが相次ぎ、本当に「バズった」状態に突入。 「フォロワーが 3,000 人になってる!」、「もうじき 1 万」と激増ぶりを中継する人、「行く末が気になる」、「上司と同僚はびっくりしているだろうなぁ」など、フォロワー 40 人からの大躍進に目を見張る声が相次ぎました。 日をまたぐころには、リツイートは 3 万超、いいねも 13 万超にのぼり、フォロワーは 4 万人超へ。 40 人から一気に 1,000 倍です。

恐れおののいている

やすもと醤油の公式ページによると、1885 年に創業、従業員数は 9 人とのこと。 同社に取材を申し込むと、「中の人」が対応してくれました。

- - 今回は「中の人」の率直な感想をお聞きしたいと思います。

「あ、そういう呼ばれ方なんですね。 そうです! 私が『中の人』です。」

- - ツイッター、すごい反響ですね。

「いやー、恐れおののいているんです。 どうしたら、いいのか全くわからず。 教えてください。 どうしたらいいですか?」

聞くと、中の人は 30 代で「ただの製造・営業担当のヒラ社員」とのことです。

初めての「エゴサ」

会社は今年 6 月、ホームページを刷新しました。 それに併せて「ウェブ関係を頑張ろうか」とかじを切ったそうです。 ツイッター担当を探していたときに、9 人の従業員の中から「君が適任じゃない?」と白羽の矢が立ったのが「中の人」でした。

「僕自身、SNS はやったことがないんですが。 社内全員、いまいち分かっている人がいなくて。 たまたま僕が、ほかの従業員よりも、ツイッターをいじる時間があったからというだけなんです。」

「さぞかし練られた戦略の上の投稿だったのでは?」と想像もしましたが、「狙ってあんなことできる人っているんですか?」と苦笑する中の人。 「ツイッターとはなんぞや」と一から勉強して「中の人」が見いだしていたという「ツイッターの戦略」は、「ファンの人を見つけて、やりとりをする」というものだったそうです。 初めて覚えた「エゴサ」をしながら、自社の商品を紹介してくれるアカウントに「いいね」したり、製造作業の合間に、日常をつぶやいたりしていました。

あのやりとり

そんな「中の人」の仕事ぶりを気にかけたのが社長と、事務で会社を一緒に切り盛りする社長夫人でした。 ある日、「ツイッター更新しているらしいね。 どんな感じ?」と聞いてきました。 中の人は堂々と報告しました。

「フォロワー 40 人です。 ある投稿には『いいね』が 20 もつきました。」

中の人は振り返ります。

「いや、僕の中でも奇跡的な数だったんです。 『けっこうバズってる』って周りにも言ってました。」

ツイッターを知らない同僚や上司は盛り上がり、社長や、社長夫人は「40 人もいるの! すごいね! バズっているね!」とたたえてくれたそうです。

バズっても製造作業

本当にバズった時、会社は「大変な騒ぎ」になりました。 社長たちとのやりとりを投稿したのが 26 日夕方。 27 日の昼前、「中の人」がツイッターを見ると、フォロワーは前日より倍の 80 人になっていました。 感動した中の人は「皆様ありがとうございます。 中の人の励みになります。」と投稿しました。 そうつぶやいて、昼休憩に一度帰宅した中の人。 しかし昼を境に様相が一転します。

昼食後にアカウントを見ると「フォロワー 800」。

「壊れたのかな、と。」

それが故障ではないことが、会社への注文が殺到したことで明らかになります。 これまでは、公式サイトを通じての注文は、日に 1 件あったらいいというぐらいでしたが、一気に 30 件に。 「いまいち SNS についてわかっている人がいない」という社内でしたが、ことの重大さが伝わりました。 記者が取材したときは、中の人も「会社中、大騒ぎになっています」と驚きを隠しません。 気になる社長の反応ですが、「今日は社外に出ていて、社長はまだ知らないんですよ」とのこと。 宝くじ級の大フィーバー。 これをどう宣伝に生かすのか? 中の人もさぞ対応に大わらわだろうと思っていましたが …。

「いや、普通に製造作業せんといけんのです。」

- - え、製造作業って何か作っていたんですか?

「今日はうちの売れ筋ナンバーワンの『くんせいナッツドレッシング』を、かき混ぜていましたよ! サラダにももちろん合うんですけど、お肉との相性がいいんですよ。 棒々鶏(バンバンジー)なんか最高です!!」

熱く語り出した中の人。 バズっていることは、どこへやら。 商品への愛が止まりません。

「うちはナッツだけなく、しょうゆなど液体も全部燻製しているんですよ!」

ツイッターのあたたかさに感謝

「これから何をしていきたいですか?」と聞くと、「いや、本当になにすればいいのかわからない。 参考意見が聞きたいです。」と苦笑しました。 「バズったら宣伝」みたいなものなのかと思っていましたが、中の人は「まず、宣伝っていうのはあまり考えていないですね。 それよりも、たくさんメッセージをいただいているので、一つ一つ返したいんです。 でも兼務なので時間が …」と、どこまでも欲がありません。

今後も製造・営業、ツイッターを兼務するようです。 この日も粛々とドレッシングを作り、午後 6 時前には、「就業時間がきてしまったので、今日はこれで帰ります」という帰宅ツイートをしていました。 「バズっても定時で帰してくれる、いい会社ですね!」と、マイペースで実直な中の人と会社の雰囲気に、ファンは増えるばかりです。 中の人は「改めて twitter の凄さと温かさを感じました」と感激していました。 (松川希実・朝日新聞記者、withnews = 8-28-20)