中国 5 県鉄道旅・往路 鳥取から山口へ、垣間見えたローカル線の現実

酷暑となった 8 月の週末、鉄道好きの記者は、鳥取市を始終着点に中国 5 県を JR 線で反時計回りに旅してみた。 往路は日本海を眺めながら山口県下関市へ、復路は中国山地を越える。 乗車を愛好する「乗り鉄」にとって最高のルートだ。 車窓を彩る美しい海と山々を堪能できた半面、各地で存続が議論されるローカル線の厳しい現状も垣間見えた。

午前 6 時 35 分、山陰線の鳥取発米子行きの快速列車でスタート。 非電化・単線の線路が、米子(鳥取県米子市)の手前、中国地方の最高峰大山を望む伯耆大山(同)で様相を変える。 岡山からの伯備線と合流して複線になり、さらに頭上には架線が走る。電化の証しだ。 「乗り鉄」はこういった「異変」に敏感だ。 伯耆大山から西出雲(島根県出雲市)まで約 70 キロは、鳥取以西の山陰線では唯一の電化区間。 さらに計約 4 割が複線化されている。 この区間も含む岡山 - 出雲市間では今春から新型特急も導入されており、JR が山陰と山陽を結ぶ動脈路として重視している証しと言えるだろう。

松江 - 西出雲の途中にある宍道(松江市)で、駅員が教えてくれた。 「この区間は出雲市までの電車と浜田方面に向かうディーゼル車、複線と単線が混在する、珍しい区間です。」 鉄道ファンにとっては興味深い区間なのだ。 宍道は木次線への乗換駅でもある。 木次線は備後落合(広島県庄原市)まで約 82 キロを結ぶ。 島根と広島を結ぶ現在唯一の路線だが、全線を通して走る列車は 1 日上下 2 本ずつしかない。 途中には松本清張の小説「砂の器」に登場する亀嵩(島根県奥出雲町)もあるが、存続が危ぶまれている。

宍道 - 備後落合の輸送密度(1 キロあたりの 1 日平均利用者数)は 189 人(2023 年度)。 中でも出雲横田(島根県奥出雲町) - 備後落合は 72 人(同)と、JR 西日本の赤字ローカル線の中で 2 番目に利用が少ない線区。 JR 西は「大量輸送という鉄道の特性が発揮できていない。 持続可能な公共交通の在り方について議論したい」と、沿線自治体に呼びかけている。

中国地方には 1 年以上も全線不通の路線も

以前は、島根と広島を結ぶ路線は他にもあった。 次に降り立った江津(島根県江津市)は 2018 年まで、三次(広島県三次市)と三江線(延長約 108 キロ)で結ばれていた。 だが、利用低迷から廃線に。 沿線にはまだまだ駅舎などが数多く残されている。 江津駅近くでは橋脚跡がにょきにょきと立っていた。 駅周辺を案内してくれたタクシー運転手の濱松茂さん (57) は「廃線間近に母親と記念に乗りました。 素晴らしい景色の路線だったのにもったいないですよね。」と残念そうだった。

浜田、益田を越えて山口県へ。 車窓から望む家々の石州瓦の赤褐色と、空の青さのコントラストが印象的。 そして山陰線で魅力的なのは何と言っても日本海の光景だ。 白浜、断崖、漁港、小島の神社 …。 群青、紺、藍、緑 …。 海岸のあらゆる光景、あらゆる色が楽しめる。 乗り合わせた大学生の関根晴十郎さん (19) は鳥取からキャンプを楽しむため山口・角島まで向かっていた。 「道中で一番心に残っているのは日本海。 一日中、海を眺めていてあきませんでした。」 午後 8 時前、長門市(山口県長門市)に到着。 案内板の貼り紙にまたしてもローカル線の厳しい現状を目の当たりにする。

長門市と厚狭(同県山陽小野田市)を結ぶ 46 キロの美祢(みね)線は昨夏の豪雨で大きな被害を受け、1 年以上も全線不通のままだ。 JR 西は今年 5 月、「仮に復旧させたとしても、利用状況の推移などを踏まえると、単独で運行を行っていくのは困難」などと表明。 バスによる代行輸送が続き、復旧の見通しは立っていない。

あまり知られていないが、山陰線でもバス代行区間がある。 長門市から三つ先の人丸(同県長門市)では駅前にバスが待っていた。 乗り込んだのは 3 人。 ここから滝部(同県下関市)までも、昨夏の豪雨被害の復旧作業中だ。 バスは滝部の先の小串(同)近くのバス停に到着。 駅まで歩いて戻り、しばらく待って下関(同)行きに乗る。 駅舎にはヤモリが数匹、乗ったのは記者 1 人。 下関到着は午後 11 時 8 分。 夜のとばりが下りて、海峡の町はすでに眠りについていた。 (斉藤勝寿、asahi = 9-5-24)

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中国 5 県鉄道旅・復路 「許容できない」廃線危機への思いに触れる

中国 5 県をめぐる鉄道旅の復路は、山口県下関市から中国山地を抜けて鳥取市に戻るルートだ。 午前 5 時 55 分に下関を出発。 中国山地を抜けるローカル線は本数が少なく、緻密な計画が必要で、「乗り鉄」の腕の見せどころでもある。 道中での取材を考えると午前 11 時前には三次(広島県三次市)に到着したい。 そのため、新山口(山口市)から広島までは山陽新幹線を使うことにした。 新幹線だと風光明媚な瀬戸内の景色を堪能できないうえ、「乗り鉄」として何となくずるをしている気分になる …。

広島から芸備線で、鵜飼いで有名な中国山地の玄関口・三次へ。 芸備線は三次より先の備後庄原(広島県庄原市) - 備後神代(岡山県新見市)は利用者が少なく、廃線が取りざたされている。 JR 西日本は昨年 8 月、この区間の再構築協議会の設置を国に要請。 今年 3 月に、第 1 回の協議会が開かれ、国も参加する形で存廃や利用の促進、バスへの転換など芸備線の将来像を話し合い、3 年以内を目安に存廃の方針をまとめることになった。 駅前にある三次市交通観光センターで会った政森進さん (74) は、三次と江津(島根県江津市)を結ぶ三江線が廃線になったときの三次市観光協会の専務理事だった。

みすみす三江線を廃線にしてしまったという悔いをずっと持ち続けている。 現在は三次観光推進機構の代表理事を務め、「(芸備線で)三次は廃線の対象ではないが、地域全体のことを考えれば絶対に許容できない」と強調する。 そんな言葉を胸に刻み、三次から備中落合(広島県庄原市)に向かう。 普段は乗客が少ないというが、この日は夏休みの週末とあって 30 人ほどの乗客で 1 両編成の列車はほぼ満席。 乗り合わせた広島市在住の瀬戸山等さん (68) は「普段からこうならいいんだけどね。」

酷暑で線路が …、思わぬハプニングも体験

途中の備後西城(同)でハプニングが起こった。 この日の三次市の最高気温は 38.5 度。 レール温度が上昇し、ゆがみが脱線を起こす恐れがあるということで運転見合わせになってしまったのだ。 運転士が申しわけなさそうに説明するが、安全第一なら仕方ない。 乗客は車両から降りて携帯をかけたり、自動販売機で飲み物を購入したり。 「いつ再開するかわからないのであまり遠くに行かないでくださいね」と運転士。 約 1 時間で再開、備後落合では代行バスを用意するとのこと。 「こんなことは初めて。 いい経験になったね。と瀬戸山さんはうれしそうだが、乗り鉄としては「バスかぁ」と内心がっかり。

到着した備後落合には「有名人」がいる。 ボランティアでガイドをしている元国鉄機関士の永橋則夫さん (81) だ。 バスを待つ間、永橋さんが同駅の歴史などを自分の経験を交えて語ってくれた。 交通の要衝として、かつては 100 人以上の職員が勤務していたが、今は無人。 廃駅のおそれもあるという。 最後には「もうからないと言って切り捨てていいのか」とチクリ。 代行バスでたどりついた新見(岡山県新見市)は中国山地の中心部だ。 伯備線で鳥取、島根、岡山へ、芸備線で広島へ、姫新線で兵庫へと、鉄道の結束地でもある。

駅前にある観光案内所では鉄道コーナーを設けて、過去の写真を展示。 特急やくも T シャツや鉄道観光証など様々な鉄道グッズ販売もしている。 新見市観光協会の田中隆博事務局長 (61) は「特産の千屋牛やピオーネだけでなく四方に伸びる鉄道も大きな観光資源。 鉄道のまちを PR していきたい。」 新見到着が遅れたため、その日のうちに鳥取に戻る予定が不可能に。 姫新線で津山(岡山県津山市)まで行くのが限界だった。

翌日、津山から午前 6 時 47 分発の因美線智頭行きに乗る。 芸備線、姫新線、因美線の車窓を一言でいえば「分け入っても、分け入っても、青い山。」 山頭火の句を思い起こした。 特に早朝の因美線は朝霧が山々にかかり、幻想的な光景が広がっていた。 智頭(鳥取県智頭町)を経由して、午前 8 時 36 分、予定から 10 時間遅れて鳥取に到着した。 出発から 50 時間、そのうち 30 時間以上は移動していた計算だが、不思議と疲れはなかった。 美しい海と山々 …、このルートの魅力を満喫できたからだろう。 その陰で垣間見えたローカル線の危機。 この「車窓」は失われてしまうのだろうか。 (斉藤勝寿、asahi = 9-6-24)


大使館からパン会社に突然の電話 つないだのは「イギリストースト」

7 月初旬、青森市のパンメーカー「工藤パン」の本社に 1 本の電話がかかってきた。 受付の女性が出ると、相手の男性は「イギリス大使館の者です」と日本語で名乗った。 驚いた女性は、総務部の青山忍さん (51) に電話を回した。 用件を聞くと、「(ジュリア・ロングボトム)大使が青森に行く予定があるので、工藤パンさんの本社と工場を訪ねたい」という。 これまで外国の大使が来たことなどなく、青山さんは冗談と思いながら、会長の工藤恭裕さん (61) に報告した。

工藤パンは、青森県むつ市で 1932 年に創業した小さなパン店が発祥だ。 看板商品は「イギリストースト」。 食パンにマーガリンを塗り、グラニュー糖をまぶして挟んだもので、使っている山型食パンが「イギリスパン」と呼ばれることから名付けた。 同社では、イギリストーストを 67 年ごろに売り出したあと、商品の特徴を出すため、76 年にイギリス国旗をデザインしたパッケージに変えた。 ところが、商品を卸し先に持っていくと、思わぬ指摘を受けた。

「それ、イギリスから許可をもらっているの?」

おそるおそるかけた電話、大使館の答えは …

当時の総務部長がおそるおそる大使館に電話し、パッケージに国旗を使ってもいいか尋ねた。 「全く問題ないですよ。 どんどん使ってください。」 そう快諾され、胸をなで下ろしたという。 その後、工藤パンと大使館の間でやりとりが生じることもなく、月日が流れた。 イギリストーストはこの間、中学や高校の売店で売られていたこともあり、学生から人気に火が付いた。 バリエーションは、小倉あんやカスタードクリーム入りなど、これまで販売したものを含め延べ 300 種類以上にのぼり、年間におよそ 400 万食を売り上げる、青森のソウルフードに育っていた。

そして約束した今年 9 月、工藤パンの本社に、ロングボトム大使が職員を連れてやってきた。 大使館によると、工藤パンから国旗を使っていいか問い合わせがあって以降、大使館内ではイギリストーストのことが知られており、イギリス「ゆかり」の場所として、今回の訪問が実現したという。 大使は、工藤さんの案内で工場を見学。 早朝にできたばかりのイギリストーストをおいしそうにほおばり、笑みを浮かべてこう話した。

「イギリスのことを広めてくれてありがとう。 これからもおいしいイギリストー ストとイギリスの名をどんどん広めてください。」

工藤さんは感動した。

「うちのイギリストーストをイギリスが認めてくれた。 歴史的なことだし、いままで以上に自信をもって売っていきたい。」

会長を喜ばせた、もう一つのサプライズ

だが驚きは、それで終わらなかった。

大使は帰り際、工藤さんにプレゼントだと言って、大使公邸のシェフが作ったマーマレードを手渡した。 そして会社を出たあと、自身の X (旧ツイッター)でこう呼びかけた。

「大使館とのコラボ商品はいかがでしょうか?」

イギリストーストは県内では有名とはいえ、県外、ましてや、国外ではほとんど知られていない。 「まだ何も決まっていないが、本当にコラボできたらうれしい。 青森から世界に羽ばたけるかもしれない。」 工藤さんは期待に胸を膨らませている。 (野田佑介、asahi = 11-5-23)