「鳥取だから」できた医療シミュレーターロボット テムザック技術研究所
・「mikoto」は、経鼻・経口からの気管挿管などの手技のトレーニングが行えるヒューマノイド型ロボット
・革新的な医療機器を表彰する「Medtec イノベーション大賞2017」で「チャレンジ賞」を受賞した「mikoto」
・下顎の強さや睡眠時、覚醒時など、各種設定が行え、より人間に近い状態を再現できるようになっている
・カメラで内部を見ることもできる
・検査操作を点数で表示 評価ができる
■ 精巧な人型ロボットで注目集める
4 月 19 - 21 日、東京・江東区の東京ビッグサイトで開催されたアジア最大級の医療機器展示会「MEDTEC Japan 2017」で、ひときわ異彩を放っていたブースがあった。 医療サポートシミュレーターロボット「mikoto」を展示していたテムザック技術研究所だ。 この「mikoto」製作には、産学連携、地域創生など、さまざまなプロジェクトが関わっているという。 「mikoto」はどのように作られたのか、同研究所の檜山康明代表取締役社長に話を聞いてみた。
同社は、ロボット技術・事業実績のある (株) テムザック(福岡県)と鳥取大学医学部附属病院との連携をきっかけに、鳥取県米子市で医療・福祉分野に特化したロボット会社として 2014 年に設立。 「mikoto」は、経鼻・経口からの気管挿管などの手技のトレーニングが行えるヒューマノイド型ロボット。 姿形が人間型、しかも皮膚や表情も精巧とあって、テムザック技術研究所のブースには多くの人が集まっていた。
■ トレーニング用ロボットで拙い操作には「オエッ」と反応する
「『mikoto』は、気管挿管、内視鏡検査、たん吸引といったトレーニングができるシミュレーターロボットです。 皮膚がシリコン製で人体の感覚に近く、生体反応と近い反応を見せてくれます。」
たとえば人間は緊張状態だと顎に力が入り、口を開けるのに力が必要だが、弛緩している状態だと力は必要ない。 「mikoto」では、この両パターンを制御でき、より人間に近い状態を再現できるようになっている。 また、内部にセンサーが取り付けられており、器具が挿し込まれた際、こういった部分に当たると減点するなど、検査時の動作評価も行える。 人間にとって「痛い」と思う部分に当たると、「オエッ」といった反応も見せ、まさに人間に施術しているのと同じことが起こる。
「mikoto」は、もともとテムザックが開発した歯科用のシミュレーターロボットをベースに鳥取大学医学部附属病院シミュレーションセンターとの共同研究で開発。 麻酔科、耳鼻咽喉・頭頚部外科等の診療科からの意見も取り入れられている。
■ 鳥取の「産学官金」が結集して開発された「mikoto」
「『mikoto』開発には、鳥取大学医学部、そして鳥取県、そして地元の金融機関という産学官金という 4 つが深くかかわっています。 『とっとり発医療機器開発支援事業』という、県内中小企業と鳥取大学が共同で取組む医療機器開発プロジェクトを県が支援する鳥取県の助成事業があるのです。 これに採択され、この『mikoto』の開発費の支援を受けました。 こういった医療目的のロボット開発には、行政の支援は欠かせないものです。」 「mikoto」は、鳥取県だからこそ開発できたともいえる。
檜山社長は、鳥取という大都市圏から離れたところで事業を展開することのデメリットに関してはこう言う。 「やはり近くに医療機器メーカーがあるといいですね。 当社では医療関連機器を中心に開発・製造・販売していきます。 商圏が近くにあれば、いいなと思うことがあります。 また、人材募集の際も少し大変だったりしますね。」
しかし、それでも「鳥取だったからこそできたことのメリットのほうがはるかに大きい」と檜山社長は強調する。 「地方だからこそ、こういった産学官金の協力が得られたのではないでしょうか。医療関連機器はロット数が見込めるものではないので、どうしても開発費、そして製品自体も高価になりがちです。 それでも必要なものは開発したい、そんな思いが実現したのは鳥取だったからだと思います。」
同社の「mikoto」には海外からの問い合わせも多いという。 「mikoto」は現在は上半身に機能をもたせたモデルのみだが、将来的には全身に機能をもたせる構想もあるという。 そして要望があるのは臓器を備えたものですね。」 地方の思いを乗せた「mikoto」。 革新的な医療機器を表彰する「Medtec イノベーション大賞 2017」にノミネートされ、「チャレンジ賞」を受賞した。 これからもこんな地方発の「注目すべき製品」が続々と登場していくことだろう。 (HanjoHanjo = 5-10-17)
何のご縁? 出雲でブラジル人急増中 全国的に減少なのに
出雲大社で知られる島根県出雲市で、ブラジル人住民が急増している。 この 3 年で倍増し、2 千人に達した。 全国的にはリーマン・ショックから減り、ようやく下げ止まったところ。 人口 17 万人の山陰の街で何が起きているのか。 ポルトガル語が響き、煮込んだ豆をご飯にかけたブラジル料理が皿に盛られていく。 出雲市東部の工業団地の一角にある出雲村田製作所の食堂はにぎやかだ。
電子部品を作る村田製作所(京都府)の子会社で、敷地は甲子園球場 6 個分。 市内に住むブラジル人の大半が、ここで働く従業員と家族だ。 山内エミリオ・マサハルさん (58) もその一人。 両親は熊本出身の日系 2 世。 ブラジルで農業を営んでいたが、稼げる仕事を求めて 8 年前に来日した。 妻子と 4 人暮らし。 「体はまだまだ大丈夫。 子どもの教育を考えると、このまま出雲で暮らそうと思う。」
ブラジル人従業員約 1,500 人は、請負契約を結ぶ派遣会社 2 社の社員。 うち 1 社、愛知県でブラジル人雇用を続けるアバンセコーポレーションが約 20 年前、村田製作所に営業をかけ、出雲で雇用が始まった。 給料は日本人と同水準。 出雲村田の人事担当者は「辞めてしまう割合が少なく、出勤日数も多い。 近年の労働者不足の中で欠かせない存在だ。」と言う。
村田製作所は、携帯電話などに使われるセラミックコンデンサーのシェア世界一。 その生産を担う出雲村田は世界的な需要を受け、昨年から新生産棟を稼働。 工場用地も買い、急拡大したブラジル人の雇用をさらに増やす方針だ。 アバンセ社は通訳ができる社員約 20 人を出雲に置き、住宅あっせんや、送迎、病院の付き添い、ごみの分別指導までする。 それでも、地域住民からごみ出しや騒音の苦情がくることも。 林隆春社長 (66) は「地域との摩擦をどう防ぐか、常に悩んでます。」
市のブラジル人の人口は景気の波に翻弄されてきた。 2000 年の IT バブル崩壊、08 年のリーマン・ショックの際は半減。 林社長によると、「アパートの空き部屋が増えて困る」といった不満の声も地元からあがったという。 国内全体では 07 年の 31 万人から 16 年には 18 万人まで減った。
地元はどう対応しているのか。 市立小、中学校で日本語指導が必要な子は昨年末 111 人(ブラジル 78 人)で、27 人だった 13 年の 4 倍。 市教委は昨年度、各校派遣の日本語指導員を 6 人から 12 人に増やした。 外国出身児童が 65 人(ブラジル 49 人)いる市中心部の塩冶小(児童 829 人)には日本語担当の教員が 10 人いるが、個別指導のためには先生も教室も足りない。 来日 3 年の 6 年生の女児 (11) は当初、言葉がわからず誰にも話しかけられなかった。 すると、同級生が日本語とポルトガル語を窓に貼って話そうとしてくれた。 「今は日本人の友達の方が多いよ。」
市は昨年、全国でも珍しい外国人定住の数値目標を策定。 15 年 3 月に市内に住む外国人住民の 3 割が 5 年以上住み続けることを目指す。 住宅を安くあっせんする計画も検討。 地元の NPO は子らの放課後教室を続ける。 代表の住職、堀西雅亮さん (46) は「街がコンパクトで行政、企業、市民がうまく連携できている」と話す。 市役所近くの「MK BAR (バー)」は、ブラジル人の憩いの場だ。 店主の北沢幸子さん (23) は、夫が出雲村田で働く日系 3 世。 店ではブラジル料理を出す。 「いろんな場所から出雲に来た人のご縁がつながれば。」 「縁結び」で知られる出雲大社になぞらえ、そう願う。
■ 派遣会社会長「『労働者』としてだけでなく」
日系ブラジル人の雇用を 30 年間続けてきた、派遣会社アバンセコーポレーション(愛知県)の林隆春社長 (66) に聞いた。
- - ブラジル人を雇用し始めたきっかけは?
1970 年に会社を立ち上げ、工場構内の請負業を始めました。 85 年、知人がブラジルの出稼ぎから帰国し、現地の話を聞いた。 おもしろそうな国だなと思って遊びに行き、日系人の存在を知りました。 当時は軍事政権から民政へ移管する政変の時期で、インフレの前兆があった。 日系人の間にも不安が広がり、日本に行きたいという 1 世に仕事を紹介しました。 派遣先は東海や北関東の自動車産業が多く、そこから日系人の雇用を広げていきました。
90 年、日系 3 世に定住資格が認められ、来日するブラジル人は増加。 しかし 2000 年の IT バブル崩壊、08 年のリーマン・ショックの際は急減した。 00 年と 08 年、この二つの時期は受注が急激に減って、本当に大変でした。 特に 08 年は約 3 千人いた外国人従業員が 650 人まで落ち込み、この仕事をやめようかとも思った。
従業員に何とか食いつないでもらおうと、失業給付を受けながら IT や介護の職業訓練をやりました。 それでも日本に嫌気がさして、政府の帰国支援費を受けて帰国した人が多かった。 出雲でも従業員が一斉に去り、「アパートの空き部屋が増えて困る」、「スーパーの売り上げが激減した」と、現地へ行く度に不満の声をいただきました。
- - その後の景気回復で、ブラジル人従業員はまた増えていますね。
2 - 3 年前まで上向きだったブラジルの景気は、また悪化している。 日本に親類がいる人も増え、来日希望者は多くいます。 リーマン・ショックで帰国した従業員向けに、ブラジルで人材派遣や紹介の現地法人を立ち上げた。 そのネットワークを活用して来日希望者を募り、面談や適性検査で選抜しています。
- - 日本に住む日系人社会の課題は?
世代別では 40 - 50 代が増え、高齢化が進んでいます。 日系人家族の結びつきも以前に比べると弱くなった。 工場勤務ができなくなると、生活保護を受けざるを得ない人が増える恐れがあります。 孤立化が進まないよう、日系人向けの高齢者施設を数年後につくりたいと考えています。 ブラジル人が多く住む群馬県大泉町では、ブラジル商品のショッピングセンターだった建物を買い取り、交流や支援の核にしようと動いています。
- - 労働者不足から、日系人の定住者資格を 4 世に広げる議論もあります。
これまでのべ約 5 万人の日系人を雇用してきました。 日本生まれの祖父母と接してきた 3 世に比べ、4 世は日本語に触れた経験がなく、考え方も完全にブラジル式です。 3 世と 4 世の違いは想像以上に大きい。 定住者資格を広げれば、来日を希望する 4 世はかなりいると思いますが、人手が足りないから単純に受け入れようという考えは、問題も多いと私は思います。
日本の政府は「移民政策はとらない」という姿勢を続けています。 そのため日本では、外国から来た人々は一定期間働いて、そのうち帰国するという考え方が根強い。 しかし、日系人雇用が本格化して 30 年がたち、永住権を取る人も増えている。 「労働者」としてだけではなく、「人」として接することで、どうにか共生のような格好でやっていけんかなということは、ずっと考えています。 (玉置太郎、asahi = 4-20-17)
田園回帰をたどって 島根の「田舎」でなにが?
都会から地方に移住する若者が増えている。 その現象に「田園回帰」と名付けたのは、山陰地方のひとりの研究者だった。 島根県中山間地域研究センターの藤山浩 (57) が「異変」に気づいたのは 2006 年のことだ。 県内の自治体ごとの各世代人口について、05 年国勢調査データと、その 5 年前のデータを比較していた藤山は首をひねった。 日本海に浮かぶ隠岐諸島にある町や村で 20 代や 30 代の人口が増えていたのだ。 松江市などの都市近郊ではなく、離島である知夫村(ちぶむら)や海士町(あまちょう)といった「田舎の中の田舎」の町村だった。
これは、どういうことだろう。 早速、島に渡った藤山が目にしたのは、首都圏や関西などの都会から I ターンした若者たちだった。 当時、過疎問題の研究者の間で祈るように言い交わす言葉があった。 「中山間地域にあすはない。 しかし、あさってはある。」 今は顧みられない自然豊かな地域も遠い将来は再生する可能性はある。 でも、10 年、15 年という短いスパンでは難しい。 藤山もそう考えていた。 だから一部の一時的な現象かも知れないと思っていたのだ。
しかし、06 年から 2 年をかけた「限界集落」の調査で中国山地に分け入って考えが変わる。 美郷町(みさとちょう)、邑南町(おおなんちょう)といった山間部にも飛び火していたからだ。 「都会から地方に向かう若者のうねりが確実に起きている。 ゾクゾクしたのを覚えています。」 ところが講演で話しても誰も信じない。 だが、10 年代に入ると移住者は一段と増えた。 人の出入りは転入から転出を差し引いた「社会増減」で分かる。 その増減が 08 - 13 年に 1 年だけでもプラスに転じた自治体が島根県内で 8 市町村に上った。
若者たちと話すうちに藤山は彼らの共通点に気づく。 「都会が上位で田舎が下位」という意識が希薄なこと。 煩わしいと敬遠されがちな田舎のコミュニティーを顔の見える関係として受け止めていること。 そして自然や人とつながり、手応えのある人生を求めていた。 高収入の大企業を辞めてきた人も、有名大学の大学院を出た人もいる。 女性の多さも目立つ。 旧来の移住者像とは明らかに違う。 区別するために「田園回帰」と名付け、講演や論文執筆で使うようになったのは 10 年ごろからだ。
その後、若者たちのうねりは全国に広がった。 藤山がつけた「田園回帰」という言葉も 14 年度の政府の農業白書が採用し、傾向が高まっていると追認した。 人口減の中で注目を浴び、一般用語になった感がある。 でも、なぜ「回帰」なのだろう? 15 年前、私が初めて藤山の自宅を訪ねたとき、当時住んでいた飯南町(いいなんちょう)の古民家の庭で暖房のためのまきを割っていた。 自身、手作りの暮らしをしようと都会から U ターンした男なのだ。 「自然や人のつながりの中で暮らす、本来あるべき姿に帰っているという思いを込めました。」 若者たちの新たなうねりをたどりたい。 = 敬称略 (編集委員・神田誠司、asahi = 3-6-17)
育もう人と大地 島根に生まれ 島根で生きる 黒川愼司
2007 年 9 月中旬、「明日、引退が新聞に出ますので事前に連絡させてもらいました」との電話がありました。 広島東洋カープの佐々岡真司投手からです。 報道ではなく、本人の口から進退を聞き、うれしく思いました。 佐々岡投手は「先発 100 勝、100 セーブ」という、日本球界には 2 人しかいない素晴らしい記録を打ち立てています。 1990 年、新人の年に、私の手で創刊した季刊の広報誌の取材で出会いました。
私は 70 年 3 月に大学を卒業して、島根で社会人となりました。 65 年に大学進学で上京した時には、この場所で生きることが自分の人生だと考えていました。 ですから就職して数年は、これは違う、違うという毎日でした。 「都落ち感覚」を断ち切り、島根に生きるという気持ちになれたのは、就職して 5 年目に農業青年組織の事務局を担当し、県内各地の農業青年との出会いがあったからです。 彼らは厳しい環境の中でも、生まれ育った地にしっかりと根を張り、生きていました。 根なし草のようにふらふらとした自分が恥ずかしくなりました。
そんな農業青年との絆を強固にするために、77 年に「島根青年農業まつり」を斐伊川河川敷で開きました。 オープニングは「育もう人と大地」という幟(のぼり)を掲げた竹いかだの川下り。 会場入り口には、安来市伯太町の盟友が起草した「百姓宣言」の掲示。 かがり火をたき、徹夜での石見神楽。 隠岐から闘牛も来ました。 歌手の岡林信康さん、友川かずきさん、和太鼓の鬼太鼓座のライブも行いました。 1 泊 2 日の「まつり」は大成功に終わりました。
歌手のさだまさしさんにも取材させてもらいました。 さださんに「石見人という自覚がありますか」と聞いたところ、「祖父が三隅町(浜田市)出身。 私にも石見の血が流れています。 妻も浜田市の出身です。」との答えでした。 この他にも、野球の梨田昌孝さん、大野豊さん、和田毅さん、ゴルフの大西久光さん、シンボリ牧場の和田共弘さん、孝弘さん、農民画家の池田一憲さん、映画監督の錦織良成さんなど島根出身の多くの方々を取材させてもらいました。
「ダメもと」という言葉がありますが、これで実現したのが、森英恵さんへのマーク制作依頼です。 広告代理店の担当者に「島根の農産物のシンボルマークを作ってもらったらどうだろう」と軽い気持ちで話しました。 実現するとは思いませんから、「森さんから OK が出ました」との話に本当に驚きました。 「自分のルーツである島根のために、今まで何かしたかと、自問している時に依頼がありました。 ふるさとのお役に立てるなら。」との返事です。 「世界の森英恵さん」の快諾ですから、会長の許可もすぐに出て、チョウと出雲大社のしめ縄のイメージを織り込んだマークが出来上がりました。
島根で生きるという決意表明でもあった、「育もう人と大地・島根青年農業まつり」から今年で 40 年が経過します。 この間、河井寛次郎記念館、水上勉さん、梅原猛さん、野坂昭如さん、立花隆さん、山下惣一さん、和泉雅子さんらと仕事をさせてもらいました。 若い時は、東京にしか仕事はない、東京でしか仕事はできないと考えていました。 しかし、顧みると、島根だからこそ、多くの仕事ができたと思います。 この日本の片隅で「あさはこわれやすいがらすだから 東京へゆくな ふるさとを創(つく)れ」という詩を胸に抱いて。 (山陰中央新報 = 2-26-17)
くろかわ・しんじ 1946 年、江津市波子生まれ。 早稲田大卒。 JA 島根中央会で青年組織、農政、広報などを担当。 JA 退職後、2016 年 3 月末まで JC 総研客員研究員。
ものづくりは「匠の技術」 - "おもてなし" ロボも製造する島根富士通の取り組みを追う
国内最大規模の PC 生産拠点
富士通のノート PC の生産拠点が、島根県出雲市の島根富士通である。 国内最大規模を誇る PC の生産拠点でもあり、先頃、富士通研究所が開発したメディエイタロボット「ロボピン」の生産も同社が行った。 島根富士通を訪れ、ノート PC の生産の様子や同社の取り組みを追った。
島根富士通は、1990 年に、富士通製 PC の生産拠点として操業。 当初は、FM TOWNS を始めとするデスクトップ PC の生産も行なっていたが、1995 年にノート PC の生産に特化。 2000 年には B 棟を増築したほか、2002 年からはカスタマイズサービスを開始するなど事業を拡大。 さらに、2003 年からはトヨタ生産方式をもとにした生産革新運動をスタートし、効率化を推進してきた。
海外生産へのシフトが進展するなか、国内生産ならではの品質、納期などを特徴とすることで、国内最大規模の PC 生産量を維持することができた背景には、この取り組みを抜きにしては語れないだろう。 実際、この生産革新運動の成果は、製造コスト 50% 削減、リードタイムの 80% 改善などの実績につながっている。 2011 年には、島根富士通が立地していた斐川町が、出雲市に編入したことで、同年から、島根富士通で生産された PC を「出雲モデル」としてブランド展開を開始し、現在は、出雲市のふるさと納税の返礼品のひとつに、島根富士通で生産したノート PC が用意されている。
2013 年には、島根富士通での累計生産台数が 3,000 万台を突破。 タブレットの生産が可能な混流ラインを持つなど、柔軟な生産体制を確立しているのも特徴で、2016 年秋には、富士通研究所が開発したメディエイタロボット「ロボピン」の生産を行い、PC 以外の生産にも対応できることを示してみせた。 また、富士通のデスクトップ PC は、福島県伊達市の富士通アイソテックで生産しているが、事業継続性の観点から島根富士通でも生産を行えるような体制を構築しており、定期的に試験生産を実施。 生産品目を問わない柔軟性が、島根富士通の隠れた強みになっている。
柔軟な基板製造に対応
島根富士通の特徴は、ひとつは、基板実装ラインを有していることだ。 同工場では、10 本の基板実装ラインを持ち、50 x 50mm から 410 x 360mm までの基板サイズの生産が可能。 0603 (0.6mm x 0.3mm) と呼ばれる微細な部品の搭載から、異形の大型コネクタの搭載にまで対応。 BGAにも対応することが可能で、最新の生産設備により、柔軟な基板づくりを可能にしている。 ノート PC やタブレットは、小型、軽量化を追求するため、それにあわせてカスタマイズした専用基板を使用することが多い。 基板実装ラインを持つという強みは、こうしたモノづくりにおいて効果を発揮することになる。
最新の基板実装ラインにより、試作段階から量産段階まで対応。 富士通のノート PC やタブレットに最適化した基板を開発、生産し、短期間に製品化につなげることができるというわけだ。 この基板実装の開発、生産ノウハウは、富士通のスマホの生産にも生かされており、兵庫県加東市の富士通周辺機において生産されているスマホの基板製造も、島根富士通で行っている。 現在、ひとつの基板から 2 機種分のマザーボードやサブボードを生産する仕組みとすることで効率化を実現している。
ロボットによる自動工程
2 つめは、自動化において先進的であるという点だ。 基板の生産では、検査工程までを含めて、全自動の一貫生産ラインを構築。 はんだ印刷機や高速マウンター、リフロー炉などによる部品実装の自動化だけでなく、実装が完了した基板分割や最終検査も自動化。 アームロボットと、パラレルリンクロボットを活用することで、人の手が動くような形で作業を行うことができる。
基板の分割および検査工程の自動化では、現在、第 2 世代のラインへと進化させており、これにより、完全な自動化を実現。 複数のアームロボットを組み合わせて、基板の分割、検査作業を行った後、トレイに基板を移動。 シートを敷いて、2 層にしてマザーボードとサブボードを収納するという作業までを、すべてロボットで行っている。
自動化の取り組みは、基板実装ラインだけに留まらず、PC組み立てラインでも積極的に推進している。 当初は検査工程の自動化から始まり、カメラとマイクを用いて、画質やスピーカーの正常動作の確認、ラベル貼付位置などを確認する「VST (Visual Sound Tester)」や、キーボードが正しく動作することを確認するキーボード打鍵検査機などを導入。 現在では、複数のネジを正確に締めることができる自動ネジ締め機や、複雑な形状の段ボール緩衝材を自動組立する緩衝材自動組立機などもラインに導入している。
組立ラインにおいては、タブレット向けのポートリプリケータの組み立てを自動化することに成功している。 これまでは、屋台型の作業台とし、一人の作業者が複数の作業をこなしていたが、これを完全自動化した装置を導入した。 これにより、ネジ締めや検査工程などにかかる時間を半減するといった効果が生まれているという。 これは工場だけの工夫だけで実現するものではなく、設計段階から、自動化装置での組み立てが行ないやすいように開発をしている点が影響している。 国内に開発、設計、生産拠点があるからこそ実現するものだといっていいだろう。
だが、島根富士通では、ラインを完全に自動化することが目的ではないとする。 とくに、組立ラインでは、「人と機械の協調生産」が島根富士通の基本姿勢であり、低コストであり、小ロットの混流生産可能な生産ラインの実現を目指しているという。
3 つめには、カスタマイズに柔軟に対応できる点だ。 富士通では、カスタムメイドプラスサービスと呼ぶカスタマイズサービスを行っている。 専用のマスタ PC を開発して、これを展開用 PC にインストールしたり、各種 I/O 機器の組み込みやソフトウェアインストール、個別設定などのほか、天板などへの企業ロゴの印刷、起動時のロゴ変更などのカスタマイズなどを行うことができる。 PC の生産台数は縮小傾向にあるが、その一方で、ユーザー企業からは、それぞれの仕様に合わせた PC の生産が求められていたり、導入時の工数を削減したいという要求が高まっている。
実は、あるユーザーでは、新たに導入したノート PC に、1 台ずつ管理用のラベルを貼る作業を行っていたが、これを島根富士通の量産ライン上で対応し、1 台ずつのノート PC に異なる管理ラベルを貼付。 さらに、これを 1 台ずつの梱包ではなく、リターナブル集合梱包を行うことで、余計な段ボール梱包を無くし、マニュアルなどの付属品を必要数量だけに削減することで、コストダウンを実現するといったサービスも行っている。 また、量産ラインにクリーンルームを作り、画面に傷が付かないようにする「スクリーンプロテクター」を貼付するサービスも提供している。
こうした細かいカスタマイズにも対応し、ユーザー企業のニーズに応えることができる体制を整えているのが、島根富士通の特徴だといえる。
タブレットやロボットの製造に対応
4 つめには、ノート PC だけでなく、タブレットやロボットなどの生産にも柔軟に対応できる点だ。 17 本の生産ラインのうち、6 本の生産ラインで、PC とタブレットの両方が生産できる混流ラインとなっており、すでに島根富士通で生産する製品の約 2 割がタブレットになっている。 これは、カスタマイズなどに細かく対応してきたこれまでの経験を生かして、進化を遂げてきたもので、小ロット混流製造ラインの構築だけに留まらず、デバイスの枠を超えた多品種生産へと広げている。
こうした生産ラインの構築には、生産工程のシミュレーションによる効率的な生産手順や、最適な機器および人の配置などを仮想検証する仕組みを導入している点も見逃せない。 事前にシミュレーションを行うことで、生産性の高いラインの構築を可能にしている。 もうひとつ、島根富士通の特徴といえるのが、同工場で導入している仕組みを、他の工場に対して外販しているという点だ。 先にも触れたように、島根富士通は、10 年以上に渡って実施してきた生産革新運動によって、製造コスト 50% 削減、リードタイムの 80% 改善などの実績を持つ。 これらの成果につながったノウハウ、設備を、サービスとして提供する自主ビジネスにも取り組んでいる。
具体的には、
部品のピッキングミスを削減するストアピッキングカートや製造ラインの稼働状況を把握する電子アンドンシステム、
複雑な形状の段ボール緩衝材を自動組立する緩衝材自動組立機、
現場の隠れた異常を顕在化し、改善につなげる組立コンベアラインなどの「ものづくりツール」、
プリント基板や小型機器組立における「EMS (製造受託)」、
製品のカスマイタイズやキッティングを工場内で行い、倉庫費用の削減やリードタイム短縮を図る「カスタマイズ・キッティングサービス」、
機器診断や修理、ユニット再生、メインボード部品交換などを行う「リペアサービス」、
製造リードタイムの短縮や生産性向上などのものづくり現場の改善を支援する「エキスパートサービス」
など多岐に渡る。
「これまで培ったものづくり力を生かした、島根富士通ならではのサービスを提供することで、『MADE IN JAPAN』を要望する企業の要望にフレキシブルに対応していく」という。
では、島根富士通におけるPCの生産ラインの様子を見てみよう。
生産ラインの横に配置された部品倉庫では、ストアピッキングシステムを導入しており、カートにつけられたタブレットの画面に、必要となる部品のピッキングリストを表示。 それに則って、部品棚から部品を調達することになる。 作業者は、腕にウェアラブル型の RFID リーダーを装着。 異なる部品を取ったり、必要な部品がピッキングされなかった場合には、音や振動で警告する。 これにより、正確に部品を調達し、生産ラインに供給することができ、1 台ずつ異なる仕様の PC も生産できるようにしている。
生産ラインでは、作業台ひとつひとつに主要部品が置かれるが、混流生産が可能なラインでは、ノート PC を生産したあとにタブレットの組立が行われ、そのあとにまたノート PC が生産されるといったように、1 台ごとに異なる製品が生産され、それにあわせて異なる部品がひとつひとつの作業台に置かれることになる。 生産ライン上に設置されている HDD コピー機は、1台ごとに異なる Windows を、ラインと同期してインストールすることが可能であり、こうした仕組みも混流生産を支えることになる。
作業台はベルトコンベア式、10 人で組み立て
作業台は、ベルトコンベアにより移動。 これを約 10 人で組み立てることになる。 今後は、5 人で作業できる組立ラインの構築にも取り組む考えであり、1 人の作業工数を増やすことで、需要変動にも対応しやすいラインづくりにつなげる考えだ。 また、生産ラインにおいては、電子アンドンの採用により、各工程を見える化するとともに、集計ツールと連動して、稼働分析を行ったり、工程の改善を実現。 作業遅れや品質問題が発生するとベルトコンベアが停止し、その場で課題を解決する仕組みになっている。
主要部品は作業台の上に最初から置かれているが、大型部品は、作業台の後方から投入。 さらに共通部品などは、前方から投入される形になっている。 作業は手作業で行われることが多いが、専用治具を使って、効率性を高めたり、作業精度を高めたりしているほか、1 台ずつ異なるシール(メーカーから提供されている OS や CPU のロゴマーク)を正確な位置に貼ることができるラベル貼り付け機をはじめ、自動ネジ締め機、VST、キーボード打鍵検査機などの自動装置を導入。 さらに、コンパクトブースにより、PC 固有の情報を自動で取得したり、エージングを行ったりする。
コンパクトブースは、生産ラインの後ろ側に設置されており、Windows の認証などに関わる作業時間が増加していることにあわせて、一度に作業が行える台数を増やしている。 また、同社独自ともいえる防水仕様のタブレット用には、バッテリ部の防水シートを圧着する装置を導入するといったことも行われている。
組み立てが完了したノート PC やタブレットは、最終試験が行われるが、すべての試験が正常に完了しないと、銘板やラベル、保証書などが発行されない仕組みとなっている。 正常に試験が終了すると、バーコードが画面に表示され、それを読みとると、次の梱包工程に進ことができる。 最終試験完了後は、添付品とともに、完成品を段ボールの箱に梱包。出荷されることになる。
ものづくりは「匠の技術」、自前の工場が強み
こうしてみると、島根富士通は、国内最大のノート PC の生産拠点として、常に改善に取り組んでおり、それが富士通ブランドの PC の品質などにつながっている。 また、柔軟なカスタマイズ対応により、細かいニーズにも応えることができるといえる。
富士通クライアントコンピューティング・齋藤邦彰社長は、「富士通は、PC ビジネスを 35 年間やってきており、要望に応じて、オーダーメイドで製造、設計が可能。 そして、顧客が望むリードタイムで提供することができる。 だが、これは自前の工場があるからこそ実現できること。 自前の工場がないと富士通のパソコンの強みは発揮できない。」と語る。 そのものづくりを「富士通ならではの匠の技術」と表現する。
島根富士通の取り組みをみると、まさに匠の技ともいえる部分を感じることができる。 島根富士通の存在は、富士通が PC 事業を推進する上で、我々が思う以上に重要なものとなっている。 富士通が、国内生産にこだわる意味もここにある。 (大河原克行、MyNavi = 1-31-17)
富士通が島根でロボット生産に踏み切った理由
富士通の PC 生産子会社の島根富士通が、ロボットの生産に乗り出した。 PC 製造で培ったノウハウなどを生かすことで、新たな事業として立ち上げ、今後のビジネス成長のドライバーにしたい考えだ。
富士通の PC 生産子会社である島根富士通は、新たにロボットの生産に乗り出す。 2016 年 11 月に、ロボット専用の生産ラインを新設して、試作段階にある富士通研究所のメディエーターロボット「RoboPin (ロボピン)」を約 40 台生産。 今後、富士通グループ以外からもロボット生産を受託し、新たなビジネス成長の柱にしたい考えだ。 PC の生産拠点におけるロボット生産では、既に VAIO が、同社安曇野工場で受託生産を開始している。 世界的に PC 需要が低迷する中、富士通でも PC の国内生産拠点の新たな利活用として、ロボット生産が浮上してきたのが背景にある。
AI 技術も組み合わせたロボティクスサービス
島根県出雲市にある島根富士通は、富士通ブランドのノート PC を年間約 200 万台生産しており、PC の生産拠点としては国内最大規模を誇る。 生産された製品は、「出雲モデル」と呼ばれており、国内生産ならではの品質と迅速な出荷体制を実現しているのが特徴だ。
島根富士通では、富士通研究所が開発したロボピンの生産を 11 月中旬に行った。 ロボピンは、人と ICT をつなぐロボティクスサービスの実現を目指し、富士通が打ち出した新コンセプト「ロボット・フューチャー・ビジョン」を基に開発されたロボット。 両腕や顔、胴など 6 つの間接構造と、LED による表示と音声発話、カメラによる認識技術を活用することにより、オフィスやイベント会場などでの誘導などに利用できるほか、観光案内所や役所、コンタクトセンターのフロントデバイスとしての利用を想定。 富士通の人工知能 (AI) 技術「Human Centric AI Zinrai」と組み合わせたサービスも視野に入れている。
高さは、本体が 30 センチメートル。 さらにコントローラなどが入る円形の台座部分が高さ 15 センチメートル、直径 29 センチメートルとなっている。 ロボピンは、今年 5 月に開催した同社のプライベートイベント「富士通フォーラム 2016」で初公開。 10 月に開催された IT 分野の国際展示会「CEATEC JAPAN 2016」の富士通ブースでも 5 台のロボピンを展示して、デモストレーションを行っていた。
今回、島根富士通で生産したのは、量産前の製品。 主要顧客に対して試験的に導入してもらい、その成果をヒアリングしたり、実証実験を行ったりするためのもので、約 40 台を生産した。 島根富士通では、過去にロボットを生産した経験はないが、PC 向けアクセサリーの生産ラインを改良して、ロボットの生産体制を構築した。 「本体と台座を合わせて 45 センチの高さは、PC の生産ラインの作業台に乗せることができ、背が低い女性の作業者でも組み立てができる。 ノート PC もヒンジ部の稼働部があり、ロボットの稼働部の組み立てにも応用できる。 今回の生産によって、ロボットの量産対応にも手応えを感じている。」と、島根富士通の宇佐美隆一社長は力を込める。
1 人の作業員がすべてを組み立てるセル生産で行い、1 台あたり約 5 時間で組み上げた。 ロボピンは、量産を前提に開発されたものではないため、製造図面が存在しておらず、島根富士通では製造図面を引くところから着手。 駆動する際に最適なケーブルの長さなども島根富士通が決め、部品の選定にもかかわった。 島根富士通では、PC の開発拠点である富士通川崎工場に、技術者を「社内留学」させる制度を数年前から実施。 約 5 年間の社内留学研究経験者などが、ロポピンの製造図面を製図した。
「工場は、開発および設計部門で作られた製造図面を基に生産をするのが一般的だが、開発、設計の業務に携わった経験者が在籍しているのが島根富士通の特徴の1つ。 今回のロボピンの生産においても、製造図面を引くところから対応できたのは、そうした人材が社内に在籍しているため。(宇佐美社長)」とする。 設計まで行える体制はロボット生産には有効だ。 アイデアはあるものの、量産ノウハウを持たないベンチャー企業などが、ロボットを製品化する際の支援サービスとしても展開できるようになるからだ。 ここにも島根富士通がロボット生産を行える理由がある。
さらに、島根富士通には、基板製造ラインを有していることから、ロボットに最適化した基板作りが可能であることに加えて、1 台ごとに異なる仕様にカスタマイズしたノート PC の生産ができる体制を既に整えている点も、今後のロボット生産にはプラス要素となりそうだ。 島根富士通の宇佐美社長は、「今回の経験を踏まえて、富士通グループ以外からも、ロボット生産を受託したい」として、今後さらにロボット生産に積極的に乗り出す姿勢を見せる。
国内メーカーがロボット生産に乗り出すわけ
国内メーカーの PC の生産拠点がロボットの生産に乗り出すのにはわけがある。 最大の原因は、PC 市場の縮小だ。 IT 調査会社の米ガートナーによると、2016 年における全世界の PC 出荷台数は約 2 億 3,200 万台と予測されており、2012 年の 3 億 4,300 万台の約 3 分の 2 に減少。 これは日本においても同様で、MM 総研によると、2016 年の国内 PC 出荷予測は 933 万台。 2012 年の 1,521 万 2,000 台に対して、約 4 割減へと縮小している。 PC 市場の縮小とともに、PC の生産拠点が存続するためには、PC 以外の生産品目を模索する必要が出てきたというわけだ。
そうした厳しい状況は富士通にとっても他人事ではない。 10 月 27 日に世界最大の PC メーカーであるレノボグループと戦略的提携を検討していることを発表。 事業統合も視野に入れた検討が進められている模様だ。 既にレノボグループの傘下で PC 事業を行っている NEC パーソナルコンピューテイングは、山形県米沢市の米沢事業場で PC を生産。 富士通が持つデスクトップ PC の生産拠点である福島県伊達市の富士通アイソテックを加えると、国内の生産拠点が過剰になるとみられる。 そうした点でも、PC の生産拠点自らが存続のための新たな道を模索する必要に迫られているのだ。
既に先行事例も出ている。 ソニーから PC 事業を分離して、国内外で PC 事業を展開している VAIO は、既に富士ソフトのコミュニケーションロボット「Palmi (パルミー)」や、トヨタ自動車の「KIROBO mini (キロボミニ)」などを、本社がある長野県安曇野市の安曇野工場で受託生産している。 安曇野工場は、ソニー時代に、犬型ロボット「AIBO」を生産した経緯があり、ロボットの受託生産には、そのノウハウを活用しているという。 なお AIBO は、1999 年の発売から、2006 年の生産終了まで、15 万台を出荷。 2014 年春のサポートを終了している。
VAIO の大田義実社長は、「2017 年度には、PC 事業の収益と、ロボットを軸とした新規事業の収益を同等規模にまで引き上げたい」としており、ロボットの受託生産を、PC 事業と並ぶ経営の柱に育てる考えを示している。 メーカー各社にとって、PC の国内生産拠点の新たな活路として、ロボット生産は重要な事業戦略になりそうだ。 (大河原克行、ITmedia = 11-17-16)
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