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自販機うどん、「うまい」と常連客 島根のドライブイン 島根は出雲そばに代表される、そば文化圏だが、うまいうどんがあると聞いた。 それも、自動販売機だという。 とにかく行ってみよう。 浜田市中心部から益田方面へ国道 9 号を走ると、JR 山陰線折居駅近く、「ドライブイン日本海」の看板が見えてくる。 名前の通り、日本海がすぐそこだ。 昭和を思い出させるレトロな店内に入ると、パンなどの自販機に並んで ・・・。 あった。 「うどん そば」の字体も電飾も古めかしい 1 台。 普通の自販機より大きい。 メニューは天ぷらうどんと肉そばの 2 種類だ。 ボタンを押すと、待ち時間のカウントダウンが表示される。 25 秒後、「チン」。 自販機の下部にある取り出し口に、白い容器がスッと現れた。 温かいだしに白い麺がうねり、10 センチほどのエビ天、ネギ、カマボコが入っている。 柔らかめの麺が、関西風の薄味のだしとよく合う。 エビはプリプリした歯ごたえだ。 勢いがついて、肉そばも食べてみた。 甘辛に味付けられた牛肉はしっかりした歯応えで、その味が、少し太めのそばになじんでいて、これもおいしい。 どちらも、300 円。 ◇ 自販機の横には、厨房(ちゅうぼう)が見えるカウンターがあり、日中はそこで直接、ラーメンなどを注文できる。 中の人に声をかけると、ドライブインの営業を始めた浜田洋さん (78) の長女の宇野洋子さん (50) だった。 洋子さんと夫の克生さん (50) によると、ドライブインは 1970 年ごろ、トラック運転手向けの食堂として開店。 85 年ごろ、24 時間営業の自販機レストランに衣替えした。 うどんもそばも、洋子さんが厨房で作って器に入れ、自販機にセットしている。 天ぷらを揚げ、牛肉を煮込む。 麺とそばは益田市内の製麺会社、カマボコは地元産を使う。 機械の中で、器がめぐる間に 2 回湯通しされ、だしが注がれる仕組み。 1 日約 80 食が売れる。 自販機は 30 年以上前からあり、今のは「5 代目」か「6 代目」。 10 年ほど前から使っているという。 毎日来る常連客が多いが、ここ 5 - 6 年は古い機械が珍しいらしく、全国からわざわざ食べに来る人もいるほど。 「昔からあったのに、急に注目されてびっくり。 おいしいと言われるとうれしいです。」と洋子さん。 ◇ 2 年前からドライブイン日本海の経営に携わる益田市の田中康一さん (64) は、県西部と山口県に 15 台ほどある「うどん自販機」の面倒を見続けている。 機械は 10 年以上前に製造が中止され、今では入手できない部品も。 「全国に 100 台くらいしかないと思う。 他の機械の部品を代用したり、特注で作ったりする。」という。 手作りのよさ半分、機械のおもしろさ半分。 「形ある限り機械を動かし続けて、独特の味を守りたい。」 (鈴木芳美、asahi = 4-6-14) ベニズワイ、エコ漁法で 境港、漁獲制限で資源量上向き ズワイガニといえば日本海の味覚の王様。 ところが、その前に「ベニ」をつけると、値段はその 1 割程度と懐にも優しくなる。 クリームコロッケなどで口にする機会が増えたが、乱獲が問題に。 水揚げ量日本一の鳥取県境港市では、業者が対策に乗り出し始めた。 1 月の午前 5 時すぎ。 境漁港に真っ赤なベニズワイガニが次々と水揚げされてきた。 2 隻の漁船がおろした 30 キロのケース計 1,940 個が競りにかけられたのは約 2 時間後。 地元の水産加工場で棒肉やカニみそに加工されて出荷され、全国でコロッケの具材などとして使われる。 境漁港には、島根 6 隻、鳥取 3 隻、新潟 2 隻の 11 隻の漁船が水揚げしている。 50 メートル間隔で 150 個のかごをつけたロープを 1 隻で 6 - 9 本深海に沈める。 漁期は 9 月から翌年 6 月末まで。 2013 年の漁獲量は約 8,700 トンと全国の約半分を占める。 そもそも、日本海でベニズワイガニ漁が本格的に始まったのは、海底にえさを入れたかごを沈めて取る「かにかご漁法」が開発された 1960 年代。 ピークの 84 年に 3 万 1 千トンを超えた。 しかし、その後、取り過ぎもあって漁獲量が激減。 2003 年には 4 分の 1 ほどまで落ち込んだ。 危機感を抱いた境港の漁業者たちは小さなカニが逃げやすくなるよう、かごに三つの脱出口をつけた。 07 年には、前年の漁獲量から 1 割減を目安に、漁船ごとに年間の漁獲量の上限を定める個別割り当てを導入した。 成果も少しずつ表れている。 水産総合研究センター日本海区水産研究所(新潟市)によると、ベニズワイの資源量は 08 年度の調査から増加に転じた。 そんな漁業者らの取り組みを応援する仕組みが水産エコラベルだ。 境漁港に水揚げしている 11 隻が加盟する日本海かにかご漁業協会は 08 年 12 月、大日本水産会(東京)が中心になって設立した「マリン・エコラベル・ジャパン」から第 1 号の認証を受けた。 ただ、産地やブランドに比べると、消費者の関心はまだ低い。 ベニズワイは加工向けが多いため、食べる人が直接ラベルを見る機会が少ないのも痛手だ。 食材の産地やメニュー偽装が全国で相次ぐ中、ラベルを追い風にできないかという模索も始まっている。 産地を明確に示せない限りラベルはもらえないからだ。 「飲食店にも、出元がはっきりした食材だとアピールしてもらうなど、地道に努力していく。」 年 1 千トン以上のベニズワイを加工する境港センター冷蔵の森脇寛社長 (63) は話す。 コンビニ大手のローソン(東京)が境港のベニズワイに注目。 12 年 11 月から「紅ずわいがにのクリームコロッケ(100 円)」を売り出した。 昨年 12 月にはカニ飯でカニの身を包んだ「鳥取のうまい! ごっついうめぇがな かにめし」と名付けたおにぎり(240 円)を期間限定で発売し、好調な売れ行きだったという。 (山崎聡、asahi = 4-5-14)
30 歳過ぎて目指した靴職人 … 島根・出雲で 5 年 「靴工房 grandpa YOSHIO (グランパ・ヨシオ)」で、開店 5 周年を迎えた。 30 歳を過ぎて靴職人を目指した店主、久家(くや)明子さん (44) は「手作りの良さが地元で分かってもらえるようになった。 これからも新しい仕事に挑んでいきたい。」と意気盛んだ。 久家さんが職人を志したきっかけは、医療事務をしていた 2001 年の春。 仕事中、近所の人から「おじいさんの作った靴を 20 年も履いたがね ・・・」と聞いた。 靴店を経営し、10 年ほど前に亡くなった祖父、良夫よしおさんのことだ。 祖父の靴がそんなに愛され、長持ちするとは - -。 同じ道に進もうと決心したが、両親は猛反対。 その中で 1 年間かけて資金をため、東京の専門学校に入った。 さらにプロ職人を養成する塾に入って技を磨き、修理やベビー靴の職人として自立できるようになった。 ミシンや革素材であふれた都会のアパートで暮らしていた頃、石見銀山周辺の暮らしを紹介した本に出会った。 「古里の島根で仕事がしたい」との思いが募り 07 年に帰郷、母が継いでいた「久家靴店」を衣替えし、08 年に「グランパ・ヨシオ」をオープンした。 店名はもちろん祖父にあやかった。 開店当初は客が少なかったが、口コミなどで徐々に評判が広がった。 手作りのバッグや小銭入れなどの小物を目立つ場所に置き、気軽に入れる店作りも心がけた。 オーダーメード関係はベビー向けのサンプルと大人用の足型を置いた。 ベビー用で 1 万円程度からと、決して安くはない。 しかし、「赤ちゃんの成長には、きちんと足に合った靴がいい。 最近は職場でお金を出し合ってプレゼントする人も増えてきている。」と、手応えを語る。 1 月には、東京・銀座で開かれたベビー靴の展示会に出品し、商品を全国発信できないか模索を始めた。 今は約 4 万円からとしている大人向けも、もう少し安い価格のセミオーダーにできないか検討している。 地元の学校から依頼され、小銭入れやアクセサリー制作の出前授業もしている。 「忙しくなるばかりだが、職人として今も成長し続けている実感がある。」 手作りのぬくもりを広めるため、6 年目も充実した日々を送る。 問い合わせは同店 (0853・62・2417、http://www.kuyacchi.com/)。(高田史朗、yomiuri = 3-19-14) スタバ「ゼロ」鳥取の屈辱、山陰 2 号店は再び「島根」で鳥取 "コケ" 日本人の心の故郷にやってくる "欧米文化の象徴" という話題性の一方、スタバにまつわる山陰の因縁も注目を集めている。 島根、鳥取はスタバの都道府県別の店舗進出で 46 番目のいすを争った間柄で、昨年島根に店舗ができた結果、鳥取は唯一 "スタバがない県" となった。 山陰 2 号店も再び島根となり、鳥取は複雑な思いのようだが、独自のコーヒー文化が根付く土地だけに地元では「出店する時は覚悟して来い」といった声も。 山陰の地で再燃した "スタバ騒動" の行方は -。 ■ 止まらぬ「遷宮効果」、出雲大社のブランド力を欧米文化の象徴も認めた 「自然と文化が融合した『出雲』のブランド力に魅力を感じた。 世界で 1 番良い店を作りたい.。」 出店発表のため、昨年 12 月上旬に出雲市を訪れたスタバの店舗開発担当、松村壱仁執行役員はこう語った。 スタバが出雲大社前への出店を構想したのは 4、5 年前。 当時から平成の大遷宮に伴う集客効果などは期待されていたが、実際も予想を上回る好調ぶり。 島根県によると、昨年 1 - 9 月の出雲大社の観光入り込み客数は 532 万 3 千人で、前年同期の 2.3 倍に。 大遷宮のクライマックスとなった 5 月の本殿遷座祭のあとも、例年より 2 倍以上多い入り込み客数が続いている。 こうした背景もあって、出雲大社正門前の通りに店を構えた天然石・アクセサリー製造販売の「めのや(松江市)」が近くに整備する新店舗へのスタバ出店が、とんとん拍子に決まっていった。 「和」の世界の源への出店だけに、「洋」の象徴も配慮をのぞかせる。 鉄骨 3 階建て、延べ床面積約 500 平方メートルの「めのや」の新店舗は、伝統的な街並みにあわせた和風外観の長屋式。 スタバは半分強を活用する予定で、松村さんは「店内に大きなテーブルを配置するなど、ゆったりした空間にしたい。 コーヒー教室を開くなど、地元とのコミュニティーを大切にし、一緒に町を良くしていきたい。」と意気込む。 ■ 「スタバ狂想曲」再び … 島根、鳥取の出店争いは新たな局面に 昨年 3 月 27 日、JR 松江駅近くにオープンしたスタバの店舗は、山陰地方にとって一つの「事件」となった。 同店はスタバの国内店舗のオープン初日の売り上げとして過去最高を記録し、新聞やテレビのニュースで大きく取り上げられた。 松江の店舗はスタバの山陰 1 号店で、新しいもの好きの松江っ子たちが一挙に押し寄せたのだ。 また 47 都道府県単位でみると、島根は 46 番目の出店となり、隣の鳥取がスタバのない唯一の県となってしまった。 テレビのバラエティー番組などでは、島根に出店したことよりも、鳥取にスタバがないことのほうが大きく取り上げられるケースがあった。 地域性からして、同じ山陰地方で隣同士の島根と鳥取の人は何かとライバル意識が強いとされる。 それだけに、スタバがあるかないかという話であっても、地元は敏感に反応するという。 こんな例がある。 鳥取県は昨年 11 月下旬、人気アイドルグループ「AKB48」のヒット曲「恋するフォーチュンクッキー」に合わせて踊る動画を作製、都道府県で 3 例目の「AKB 公認動画」として公開した。 その冒頭、平井伸治知事が「鳥取にはスタバはないですけれども、日本一のスナバ(砂場)があります」と、スタバ不在をかなり意識したメッセージを披露しているのだ。 一方、鳥取は独特のコーヒー文化がある土地としても知られている。 総務省の家計調査によると、鳥取県は平成 22 - 24 年の平均で豆や粉などコーヒーの購入数量(1 世帯当たり)が全国トップで、購入額も 4 位。 自分で抽出して飲むこだわりの愛好家が多いことがうかがえる。 鳥取発祥のコーヒーチェーンの人気店もあり、「スタバの出店時は、覚悟して来てほしいですね」と話す関係者も。 県民のスタバへのイメージもさまざまだ。 若い世代にはやはり出店待望論が多いようだ。 「松江市に行ったら必ずスタバに寄る友達がいる。 スタバはセンスが良く、ひとつのブランド。 スタバだけでなく、他県にはあって鳥取にないものが多く、それらへの憧れもあって鳥取を離れ、都会へ出ていく人も多い。」と倉吉市の女性会社員 (26)。 一方、コーヒー文化県としての "意地" もうかがえ、鳥取市内の男性会社員 (34) は「スタバができれば話題になるとは思うが、熱しやすく冷めやすい県民性からいって長続きするかどうか」とし、「『これが鳥取だ』というコーヒー店の方が喜ばれる」と話す。 ■ いつまで続く「客在月」!! 遷宮効果とスタバ効果に期待 スタバ出店が決まった出雲大社周辺では、地域の再浮揚への期待が高まっている。 いまや遷宮効果で観光客らで活気にあふれる出雲大社前の神門通りだが、つい 10 年ほど前には空き店舗が目立つ通りだった。 門前町として栄えた出雲大社周辺も都市機能の集中などの影響で訪れる人が減り、商店や土産物店が並んだ神門通りでも店をたたむ人が増えていた。 平成 20 年夏、にぎわい復活を目指そうと、商店主らが「神門通り甦りの会」を設立。 昨年 5 月の出雲大社大遷宮のクライマックス、本殿遷座祭に向け、県や市の協力なども得て道路の石畳化などの整備を進めてきた。 その結果、7 年前の 25 店舗が現在、70 店舗まで増え、空き店舗はほとんど解消されたという。 本殿遷座祭を終えた 5 月以降も、伊勢神宮(三重県伊勢市)の式年遷宮との相乗効果もあって都市部からの出雲詣では続いている。 全国から神々が出雲に集う「神在月(旧暦 10 月)」になぞらえて、人々が出雲に集う様子を「客在月」と呼ぶ人も。 出雲市や隣接の松江市の宿泊施設は、冬になっても週末を中心に予約がとれない状態だ。 出雲観光協会の計測によると、神門通りの通行者数は 10、11 月にはそれぞれ約 13 万 5 千人に達した。 休日には 1 万人を超える歩行者でにぎわうことも珍しくなくなった。 関係者は、この勢いがスタバ登場でさらに持続していくことを期待する。 神門通りの近くでは、東京のホテル事業者による和風旅館と女性専用ホテルの進出計画もある。 小野篤彦・出雲観光協会事務局長は「地域としての『出雲』の知名度が上がり、有名企業にも認められてきた。」 宮本交治・出雲商工会事務局長も「集客力が上がるのは確実。 スタバさんと地元で共存共栄を図っていきたい。」と話す。 都会のカフェ文化を象徴するスタバの空白地域への店舗進出は近畿の各県や福井県などでも話題になり、出店後は行列ができる人気となった。 山陰各地でも出雲大社前に出店する今春に向け狂想曲が続きそうだ。 (山崎泰弘、坂下芳樹、sankei = 1-12-14) 教育 2014 : 生活の中に生きる力 江津 キリスト教愛真高校の朝は早い。 まだ暗い午前 6 時前。 鶏の鳴き声が響き、全校生徒 41 人が寝起きする寮に明かりがともる。 2 年の江原南さん (17) は朝食を済ませると、鶏舎に向かう。 掃除と餌やりが日課。 「養鶏班」の一員として、22 羽の鶏の面倒をみている。 ケガしたりしていないかな。 小屋は汚れていないかな。 気にしながら、産卵箱をのぞく。 夏なら 20 - 30 個、冬ならば 10 個。 卵が並んでいるとホッ。 餌が目当てかもしれない。 でも、スコップでわらを集めていると、「コッコッ」と後ろをついてくる鶏は、いつも温かく迎えてくれている気がする。 卵は何よりの「贈り物」だ。 アルコールで殻を拭き、そっとバケツに入れて、食堂の冷蔵庫へ。 レタスとトマトに溶き卵を加えた「ふわふわスープ」が食卓に上るのが楽しみだ。 三度の食事は生徒がコック。 日替わりの当番 6、7 人が、手際よく料理する。 朝の食パンは「製パン班」が石窯で焼く。 薪(まき)は「水田山林班」が切る。 パンに塗るマーマレードは「保存食品班」が作り、夜のスープに入れるピーマンは「菜園班」が育てた。 肥料だって、みんなでトイレからくみ取って作る。 ほかにも「園芸班」、「修繕班」、「リサイクル班」の八つの作業班に分かれて、毎週月曜と金曜の放課後に働く。 1 年ごとに班を替われるが、3 年間、同じ班を続ける生徒が多い。 ◇ 「学ぶべきものは天然、なすべきことは労働。」 今年度、創立 25 周年を迎えた愛真が指針としてきたキリスト教思想家、内村鑑三の言葉だ。 受験競争や学歴社会への危機感から、創設者の故・高橋三郎さんは、自ら汗を流す「労働」を教育の柱に据えた。 栗栖達郎教頭 (54) は「人は何のために生きるのか。 生活を通して学ぶことが大きな目標。 自ら働くことを、いとわない人になってほしい。」 最初は危なげな手つきでも、1 年もすれば、プロも顔負けの職人並みに。 高さ 3 メートルほどの木に、のこぎりを持ってよじ登る子だっている。 「水田山林班」担当の小田弘平教諭 (69) は言う。 「ものを作ったり、生き物を育てたりするのは、生の営みの基本を教えてくれる。 たとえ木が倒れてきても、それをよけるのも、また学びですよ。」 ◇ 大好きな鶏たちに、江原さんは名前を付けない。 毎年 9 月の文化祭で、数羽を絞めて、みんなに振る舞うから。 名前をつけると、絞めるのが余計につらくなるから。 「今まで育ててきたんだから、自分の手でやらないと」と、2 年続けて手を挙げた。 首から血を抜く。 湯で毛穴を開き毛を抜く。 まだ温かい体をさばく。 バッと羽ばたく瞬間が怖い。 そして、出来たチキンカレーをちゃんと残さず頂く。 「食べるって、そういうことなんだな」と思う。 一昨年の夏休み。 同級生 2 人を誘って、東日本大震災の被災地、宮城県でのボランティアに参加した。 牡鹿半島の漁村で 1 週間、漁師を手伝った。 漁の後、絡まった網をほどく地道な作業。 海水や泥で汚れた網を触るのに抵抗はなく、あいさつや手際を褒められた。 接客や国際協力の仕事。 愛真に来て、学びたい選択肢が増えた。 「まだ何をしたいか決まらないけど、ここでの経験が、自然に役に立つと思う。」 普段の生活での「手触り」が、いろんな夢へとつながっている。 (小早川遥平、asahi = 1-3-14) のう! なんかしょう / 地元自立資本主義を提言 友人の経営する農場に若い研修生が来場した時のことです。 研修生が「農業ではお金になりません。 食べられません。」と話したそうです。 その時、友人はポケットにあった 1 万円札を取り出して、「この札を食べて腹がいっぱいになるか。 食べてみろ。」と一喝。 「お金はいくらあっても、食べ物がないと空腹はみたされない。 その大切な食べ物の自給が農業だ。」ということを教えたかったとのことです。 友人の自給の話を思い出し、「里山資本主義」という本を購入しました。 中国山地を舞台とする番組を活字化したもので、NHK 広島放送局取材班と日本総合研究所・調査部主席研究員の藻谷浩介氏との共著です。 「里山資本主義」とは、先に放送された「マネー資本主義」という番組に対峙(たいじ)する概念として造語されたようです。 番組制作の契機は、広島県庄原市での、ある男性との出会い。 その男性が「私はね、のうなんかしょうなんですがね」と語るので、「脳軟化症ですか」と聞くと、「いつも、のう! 何かしょうって、何か始めるんですよ」との返事。 番組は、過疎・高齢化の先進地である中国山地で、「のう! なんかしょう」の人のような前向きな営為にスポットを当てています。 里山資本主義とは、自分の周囲にあるものを、資源として価値付与する取り組みの尊称です。 ないものねだりはやめて、自給できるものは自給する、あるもの生かしという、きわめて単純な原理です。 ところが、高度経済成長や金融工学による新たな資本主義 = マネー資本主義に毒され、安いからと食料まで輸入に頼り、さらに外国製が並ぶディスカウントショップでの購入に依存し、身近にある伝来の地元資源を切り捨ててきたのです。 さて毎朝を楽しませてくれたドラマ「あまちゃん」で、主役のあきは、あの大震災を契機に、東京でのアイドルの座を捨てて地元に帰り、海女として生きることを選択します。 若い時、ふるさとを捨てた、小泉今日子さん演ずるママも地元を見直し、北三陸は大嫌いと語っていた親友ユイも地元で生きる決意を固めます。 まさに、ある詩人の「東京へ行くな ふるさとをつくれ」です。 「あまちゃん」は、本当の夢が足元にあることを教えてくれるドラマでした。 本当の食べ物(ウニ、まめぶ)が目の前にあり、心通う言葉(じぇじぇじぇ)が暮らしの中にあることを教えてくれるドラマでした。 このドラマで展開された「本筋」を、"地元自立資本主義" とわたしは名付けます。 「里山資本主義」では、岡山県真庭市での木質バイオマス発電や、広島県庄原市での雑木を活用するエコストーブの取り組み、同市で空き家をデイサービスセンターとして活用する事例や島根県邑南町の耕作放棄地を再利用する「耕すシェフ」など、多くの実践を紹介しています。 藻谷氏は「里山資本主義とは、己の行動によって安心を作りだす実践」と規定し、「さわやかな風の吹きぬける未来は、もう、里山のふもとから始まっている」と結びます。 わたしは、この概念が山村に限らず、農村にも、漁村にも通用するものとして、「地元自立資本主義」と呼びます。 そして、県外の島根出身者に向け、「地元へかえろう」と歌い、さらに「のう! なんかしょう」と呼びかけます。 (JC 総研客員研究員 黒川愼司、山陰中央新報 = 11-30-13)
「ないものはない」離島・島根県海士町に人が集まる秘密とは?
「ないものはない。」 日本海の島根半島沖合約 60 キロに浮かぶ隠岐諸島、その島のひとつである島根県海士町(あまちょう)を訪れると、まず迎えてくれるのはこの言葉だ。 2011 年に「海士町らしさ」を表現しようと宣言されたもので、島の玄関口である菱浦港の施設「キンニャモニャセンター」には、「ないものはない」と書かれたポスターがあちらこちらに貼られている。 コンビニエンスストアがない。 ショッピングモールもない。 本土から船で 2、3 時間かかる離島の暮らしは都市に比べ、確かに便利ではない。 それにも関わらず、人口約 2,400 人のうち、島外から移住してきた人は 1 割に及び、その多くが 20 代から 40 代の働き盛り。 少子化で統廃合寸前だった高校にも、全国から生徒が入学し、2012 年度から異例の学級増となっている。 離島の異変はそれだけではない。 魚介の鮮度を保ったまま都市に出荷できる「CAS システム」を第三セクターに導入、豊富な海の幸を商品化して全国で人気に。 島で育てた隠岐牛やブランド化した「いわがき・春香」なども都市の市場で高い評価を得ている。 現在、全国から視察が絶えない自治体となっているが、10 年前は財政破綻や過疎化の危機にひんし、「島が消える」寸前だった。 その窮状をどのように脱したのか。 役場を「住民総合サービス株式会社」と位置づけ、大胆な行財政改革と産業創出に取り組んできた山内道雄町長に、"ないものはない離島にあるもの" を聞いた。 ■ 「2008 年には財政再建団体になる」 2007 年、北海道夕張市が財政再建団体へ移行するというニュースは話題を呼んだが、山内町長は驚かなかったという。 どの地方自治体も、程度の差はあれども財政は苦しく、海士町も例外ではなかったのだ。 山内町長が当選した 2002 年、海士町は平成の大合併の嵐が吹き荒れる中で離島が合併してもメリットがないと判断し、単独の道を選んだ。 ところが、2003 年の三位一体改革による「地財ショック」で地方交付税が削減され、国からの補助金も減少、公共事業を島の建設業が請け負って雇用を確保するというやり方が成り立たなくなってしまう。 「2008 年には海士町は財政再建団体へ転落する。」 これが、当時のシミュレーションだった。 徹底した行財政改革を断行するには、自ら身を削らなければならない。 そう考えた山内町長は当選後にまず、自分の給与カットに踏み切った。 すると、職員たちが「自分たちの給与もカットしてほしい」と申し出てくれた。 町議、教育委員も続いた。 2005 年、町長の給与は 50%、助役、町議、教育委員は 40%、職員は 16% から 30% とそれぞれカットし、2 億円の人件費削減に成功した。 海士町は「日本一給料の安い自治体」となったが、小さく守りに入ったわけではなかった。 生き残りをかけ、ここから攻めに転じる。 「前の民主党の時代だったでしょうか。 官から民へということがいわれた。 それは理想的な言葉なんですが、私たちのように民力がない小さなところだと、やっぱり官が本気にならないといけない。 漁師も農家も自分たちだけで営業できるわけではない。」という山内町長。 しかし、海士町には離島というハンデがあった。 「うちには市場がないですから、漁師が魚を捕ったら漁協へ渡して、漁協が境港(鳥取県)の魚市に出す。 今日捕ってきたものでもあくる日の船で行けば、鮮度が落ちて買い叩かれる。 この流通機構を変えて漁師が儲けられる仕組みをつくらないと、後継者は育ちません。」 ■ 都市のお客さんに海士町を "売る" そこで海士町では第三セクター「ふるさと海士」を立ち上げ、細胞組織を壊すことなく冷凍、鮮度を保ったまま魚介を出荷できる「CAS システム」という最新技術を導入した。 海士町で一貫生産に成功したブランド「いわがき・春香」や、特産の「しろイカ」などを直接、都市の消費者に届けることがねらいだ。 システムそのものは 1 億円しなかったが、建物まで含めて 5 億円が必要だった。 「県議会はなんでそんなにお金がかかるのか、絶対に黒字にならないと批判しましたが、あれが海士町のものづくりの一大革命だった」と山内町長は振りかえる。 背水の陣だったが、産地直送の新鮮な魚介は人気となり、首都圏の外食チェーンをはじめ、百貨店やスーパー、米国や中国など海外にも販路を広げていった。 山内町長が社長を兼ねた「ふるさと海士」は見事に黒字化。 2012 年度には売上高 2 億円、595 万円の黒字決算となり、4 期連続で黒字が続いている。 「運ぶための氷代や汽船運賃、漁協の手数料、魚市場の手数料をすべて抜いた。 でも、町が儲けているわけではありません。 今、しろイカの最盛期ですが、一番儲けた漁師さんだとふた月半ぐらいで 600 万円。 漁師さんからすれば、ありがたい話です。 ようやくそれがわかってもらえました。」 「目標は外貨獲得」と笑って話す山内町長だが、「島の中だけで経済をまわしてもだめ。 島の外からいかにお金を持ってくるか、それが大事です。」と話す。 「それまでは予算ありきで、国から補助金が下りて終わり。 自ら役場が企画しなかった。 これからの行政は、特に我々のように小さいところは、営業もやらないと。」 ■ 建設業者が挑戦する「隠岐牛」ブランド化 海士町を訪れると、のんびりと草をはむ隠岐牛に出会う。 隠岐特有の黒毛和種。 急峻な崖地で放牧されながら、ミネラルを含んだ牧草を食べて育つため、足腰の強くおいしい肉質牛が育つという。 これまで海士町では子牛のみが生産され、本土で肥育されて松阪牛や神戸牛となって市場に出ていた。 しかし、公共事業が減ったことで売上が激減した建設業の経営者が、2004 年に異業種だった畜産業へ進出。 「隠岐潮風ファーム」を立ち上げて、島生まれ島育ちの隠岐牛のブランド化を目指した。 2 年後に 3 頭を初出荷、すべて高品位の格付けを得て、肉質は松阪牛並みの評価を受ける。 現在、月間 12 頭を品質の厳しい東京食肉市場に絞って出荷しているが、今後は新しい牛舎を建設して、出荷頭数を倍の 24 頭に増やす計画だ。 インタビューした日、山内町長は東京に出張中だった。 東京都中央卸売市場食肉市場(港区)で 10 月に開かれていたイベント「東京食肉市場まつり 2013」で、隠岐牛を PR するためだ。 イベントでは、海士町の職員がしろイカを始めとする島の特産品を、声を上げて販売していた。 町長以下、職員全員で海士町を売りだしているのだ。 「東京のお客さんは舌が肥えているので、良いものは買ってくれます。 東京で認められれば、ブランドになる。 一見、短絡的な考え方ですが、間違いではなかったなと。 また、東京の人たちに食べてもらえるというのが、漁師や農家の人たちの誇りにもなる。」 ■ 「島留学」で異例の学級増をした高校 海士町の快進撃は、ビジネスだけではない。 最近、特に注目を集めているのが、島外からの高校の入学者や I ターン、U ターンによる住民の増加だ。 山内町長は、離島が生き残るために産業を立ち上げ「島をまるごとブランド化」する戦略をとった。 「では、そもそも島が生き残るとは何か。 それは、この島で人々が暮らし続けること。」という。 そのために必要なのが、「地域活性化のための交流」。 海士町では、島外から人を呼ぶため、さまざまなプロジェクトを行ってきた。 たとえば、隠岐諸島の島前地域で唯一の高校である島根県立隠岐島前高校は、少子化と過疎化で 2008 年度には生徒数が 30 人を切っていた。 このままでは高校は統廃合され、島の子供たちは 15 歳で島外に出なくてはいけなくなる。 人口が流出、その仕送りも島民にとって負担となる。 だったら、島外の子供たちを高校へ呼ぶしか存続の道はない。 「島前高校魅力化プロジェクト」が立ち上がった。 難関大学進学を目指す「特別進学コース」や地域づくりを担うリーダーを育てる「地域創造コース」などを新設、島外からの "留学生" に旅費や食費を補助する制度を作り、「島留学」を銘打った。 この取り組みは評判を呼び、2012 年度からは異例の学級増、2013 年度も 45 人が入学、島外からの生徒は 22 人だった。 「22 人のうち、19 人が県外です。 しかも、東京あたりから。 ドバイから帰国した子もいます。 19 人のうち 15 人は学校長推薦を受けた優秀な子たちです。 今年も東京と大阪で高校の説明会をやったのですが、201 人の親子が参加されていました。 ただ、建物が手狭な関係で、島外から入学できるのは 24 人ぐらい。 今、島外からの子供たちにとっては狭き門になっています。 島の子供たちとの間で、摩擦は生まれないか始めは心配していました。 でも、島の子供たちは刺激を受けているし、うまく同化もしている。」 ■ キャリアを持つ現役世代の I ターンで島が変わる 子供だけではない。 大人もなぜか海士町に集まっている。 その数、246 世帯、361 人(2012 年度末)で、一流大学の卒業者や、一流企業でキャリアを持つ 20 代から 40 代の現役世代が続々と I ターンしているのだ。 海士町教育委員会で島前高校魅力化プロジェクトを手がけるプロデューサーは、ソニーで働いていた岩本悠さん。 一橋大学を卒業後、海士町で「干しナマコ」の加工会社を立ち上げ、中国に輸出を始めた宮崎雅也さん。 他にも、島の活性化に一役買うような人の枚挙にいとまがない。 一体、なぜ? 「町は I ターンの人たちに直接的なお金の援助はしません。 ただ、本気で頑張る人には本気でステージを与えようと思っています。 若い人たちは、都会の生活に疲れたり、海士町に仕事があったりしたから来たのではなく、新しい仕事を作りに来ている。 友達が友達を呼んで、次々に縁によって来ている人たちです。 逆に言えば、彼らをお金で引き止めることは絶対にできません。 彼らが島の閉鎖性とどう向き合うか心配しましたが、島民と良い化学反応を起こして、活性化につながっています。」 ■ 「ないものはない」けれど、海士町にあるもの 山内町長の持論は、「役場は住民総合サービス株式会社」だ。 町長は社長、副町長は専務、管理職は取締役、職員は社員で、税金を納める住民は株主で、サービスを受ける顧客でもあるという。 「2012 年は全国の自治体などから 1,400 人ほどの視察が来ましたが、CAS システムや島前高校を見ながら、最終的には職員の動きを見ていました。 『町長、ここは役場じゃないですね』って言われます(笑)。 私は社長のつもりでやってきましたが、トップひとりのアイデアでは成功しません。 職員に恵まれて、その意識も変わりました。 そして、役場が変われば、町民も変わります。 町政座談会にいくと、以前は何を造ってほしいという声ばかりでしたが、最近は違いますね。」 現在、海士町で取り組んでいることのひとつが、海藻資源の活用だ。 2012 年に「海士町海藻センター」を 3 億円で建設、海藻をバイオ燃料として生産する研究などを行っている。 東日本大震災による福島第一原子力発電所事故で再生可能エネルギーの必要性が高まる中、注目を集めている。 「新しい藻も発見もしています。 私たちは島で暮らしていますから、海抜きでは生きられない。 海を大事にしないと。」 海士町のさまざまな取り組みは、高い評価を受けている。 島前高校魅力化プロジェクトは 7 月、地域の課題解決のモデルとなるような取り組みを表彰する「プラチナ大賞」で、124 件のエントリーの中から見事、大賞・総務大臣賞を受賞した。 「プラチナ大賞をいただいたことで、この間、総務大臣が海士町に来ると言ってたんですが、台風 24 号で船が出なくてとりやめになりました」と山内町長は笑う。 海士町は確かに不便な離島だが、「ないものはない」というその言葉にはこんなメッセージが込められているという。 「地域の人どうしの繋がりを大切に、無駄なものを求めず、シンプルでも満ち足りた暮らしを営むことが真の幸せではないか? 何が本当の豊かさなのだろうか? 東日本大震災後、日本人の価値観が大きく変わりつつある今、素直に『ないものはない』と言えてしまう幸せが、海士町にはあります。」 (猪谷千香、The Huffington Post = 11-8-13) 森林率 78% が生み出す木質バイオマス、日本海の風は 77 基の大型風車へ 強い風が吹く日本海側には風力発電に適した地域が多い。 島根県もそのひとつで、77 基の大型風車が集結する。 さらに県を挙げて取り組むのが木質バイオマスと太陽光発電だ。 県内にある原子力発電所の再稼働をめぐって住民の反対運動が起こる中、自然エネルギーの導入拡大を急ぐ。 島根県の日本海側には、東西に長く宍道湖が広がる。 湖の西側近くには日本最大の「新出雲風力発電所」が稼働する一方、北側には日本で唯一の県庁所在地に立地する「島根原子力発電所」が出番を待つ状態にある。 新旧の巨大な発電所が相対する周辺で、風力を中心にバイオマスや太陽光の発電設備が勢いを増している。 中国地方全体の風力発電所は運転見込みの設備を含めると 400MW (メガワット)の規模に達する。 そのうち半分近くを島根県が占める。 発電能力が 1.5MW 以上の大型風車だけで 48 基が稼働中だ。 さらに計画中の大規模な発電所を加えると、77 基を擁する風力発電の先進県に発展する。 新たに建設が始まる風力発電所は「ウインドファーム浜田」で、日本海から 10 キロメートルほど内陸に入った丘陵に 29 基の大型風車を稼働させる計画だ。 1 基あたりの発電能力は 1.67MW、29 基の合計で 48MW を発揮する。 新出雲の 78MW には及ばないものの、国内で有数の大規模な風力発電所になる。 年間の発電量は 8,500 万 kWh を見込み、一般家庭で 2 万 4,000 世帯分の使用量に相当する規模がある。 風力を中心に国内外で発電事業を推進するグリーンパワーインベストメントがソフトバンクグループや三井物産と共同で進めるプロジェクトで、2015 年度中に運転を開始する予定だ。 島根県の風力発電の導入量は全国で第 6 位にランクされていて、西日本では鹿児島県に次いで 2 番目に多い。 ウインドファーム浜田が稼働すれば、ランクアップも期待できる。 さらに最近では太陽光とバイオマス発電の伸びも顕著になってきた。 2013 年に入ってから、木質バイオマスを燃料に利用する発電所の建設計画が相次いでいる。 代表的な例は文具メーカーのナカバヤシが松江市内の自社工場で実施するプロジェクトだ。 業務で紙を大量に扱うことから、島根県産の木質バイオマスを活用した発電事業を開始することにした。 発電規模は 6.25MW で、年間の発電量は 4,300 万 kWh を想定している。 一般家庭で 1 万 2,000 世帯分の供給量になる。 固定価格買取制度を通じて 1kWh あたり 32 円で売電して、年間に 13 億円強の収入を見込んでいる。 設備投資額は 30 億円。 運転開始は 2015 年 4 月を予定している。 島根県は面積の 78% を森林が占める "森林県" である。 県内で発生する間伐材や林地残材などには未利用のものが多く、2010 年度の時点ではわずかに 0.5% しか活用されていなかった。 この比率を 2020 年度には 45% まで高める計画で、バイオマス発電を重要な施策に位置づけている。 支援策のひとつが「島根 CO2 吸収・固定量認証制度」である。 島根県が 2010 年度に開始した制度で、森林の整備に貢献した企業や個人に認証書を発行して、寄付と同等の行為とみなす。 これまでに 30 以上の企業・団体や個人が認証を受けた。 この制度を通じて木質バイオマスの供給量を拡大する狙いがある。 バイオマス発電では原材料を安定かつ長期にわたって確保することが大きな課題になっているため、森林整備を促進して木質バイオマスを増やしていく。 ナカバヤシの場合は年間に 8 万 8,000 トンの未利用木材を発電に使う予定で、そのうち 4 分の 3 は島根県産でまかなう方針だ。 太陽光発電に関しても、県を中心に自治体の取り組みが活発になってきた。 自治体が所有する未利用の土地の中からメガソーラーに適した場所を選んで、発電事業者に貸付あるいは売却して導入を支援する。 すでに 4 カ所で建設が決まり、合計すると 10MW 近い規模になっている。 そのうちのひとつが「宍道湖東部浄化センター」の空き地を利用したメガソーラーである。 この浄化センターは松江市など周辺地域の家庭や工場から出る下水を浄化するための施設で、3 万平方メートルの敷地に 1.9MW の太陽光発電設備を導入する。 地元の建設会社が島根県から用地を賃借して発電事業に挑む。 宍道湖の隣に広がる中海の干拓地でも、新しいタイプのメガソーラーの計画が進んでいる。 干拓地の中に灌漑用の大きな調整池があって、その水面にフロート式のメガソーラーを建設する試みだ。 広さが 5 万平方メートルあることから、2MW クラスの発電設備を想定できる。 干拓地を所有する安来市は 2013 年 11 月末までに事業者を決めて、2014 年の早い時期に運転を開始したい考えである。 (石田雅也、スマートジャパン = 11-5-13) |