需要があっても、お金をかけても、まかなえぬ人手 迫られる取捨選択

「8がけ社会」と参院選

6 月半ばの水曜昼、新宿まで電車で最速 30 分の小田急線鶴川駅行き路線バスは、60 人近い私立和光高校(東京都町田市)の生徒ですしづめ状態だった。 住宅地にある高校前のバス停には長い列ができ、10 分後に続いたバスもまた満席だった。 毎週水曜は午後に職員会議などがあり、全学年一斉で昼過ぎに授業が終わる。 全校生徒約 700 人の半数が使う午後 1 時前後のバスは生徒であふれ、近隣住民から「バスに乗れない」との苦情が相次ぐ。

混雑に拍車をかけたのは、4 月に平日午後 0 - 1 時台のバスが 1 本減便されたことだ。 バスを運行する会社の一つ、神奈川中央交通はその理由に「運転手不足」を告げた。 参院選の多くの争点と底流でつながっているのが、人口減少と人手不足です。 現役世代が今より 2 割減る 2040 年の「8 がけ社会」の入り口に立ついま、従来の「常識」が通用しない現実に政治はどう向き合うべきでしょうか。 現場から考えます。

今年度の授業計画が固まった段階でのバス減便で、水曜午後の混雑は限界近くに達した。 たまらず学校側はこの時間帯の増便を求め、バス 1 便あたり約 1 万円の費用を負担する契約を同社と結び、6 月末までは臨時便が運行された。 それでも運転手の確保が難しい現実は変わらず、同社は 9 月以降の臨時便運行はできないとした。 都内と神奈川県などでバスを運行する同社は運転手が全体で 10% ほど足りない。 神奈川県相模原市西部の山間部では、11 路線の廃止を検討している。 相模原市は赤字バス路線に補助金を出して支援してきたが、路線継続は困難な状況だ。

つり合わない需要と供給

どんなに旺盛な需要があってもバスを運行できない。 そんな事態が人口の一極集中が続く都内で生じている。 神奈川中央交通は、運転手の高齢化で 2030 年度には 23 年度比で約 25% の要員不足を見込む。 困難をみこして今春から初任給を 2 万 5 千円引き上げ、経験者採用の初任給も加算するなど手は打ってきた。 だが、外国人観光客の増加で観光バス需要も拡大。 運転手が減りつつ奪い合う状態が生じ、サービス縮小を余儀なくされている。

「8 がけ社会」では、需要があれば賃金が上がり、雇用が調整されて供給に見合う「常識」は通用しない。 担い手不足が決定要因となり、どれほど需要があってもお金をかけても、生活維持サービスがいきづまる現実が間近に迫る。

都内の満席のバスも減便 見直す時間割

従来の常識では解決しない問題に、和光高校ではバスの便数に学校の日程を合わせる「発想の転換」を急ぐ。 塩原健一副校長は、教育への影響を極力抑えつつ「今後はバスにあわせて時間割をはじめ全体のスケジュールを柔軟に変えることを検討しないといけない」と語り、今年度から定期試験の時間割を変え、登下校を分散させた。 担い手不足で縮小するサービスの量にあわせ、当たり前だった日常を見直す。 8 がけ社会を乗り越える解決策の模索が続く。

「目玉」大型公共事業で相次ぐ入札不調

首都圏の一角を占め、今も居住人口が増えている自治体の一つ、さいたま市(人口 135 万人)で、公共事業をめぐる異常事態が頻発している。  今年度が始まってまもなくの 5 - 6 月、三つの「目玉」大型公共事業の入札が相次いで不調に終わり、市関係者の間に衝撃が走った。 タワーマンションが林立する JR 武蔵浦和駅(さいたま市南区)周辺。 児童生徒の急増に対応するため、市は駅から徒歩 10 分にある、約 50 年にわたって愛されてきた市民プールを閉鎖し、跡地に小中一貫校を建設する事業(予定価格 163 億円)を計画した。

受け入れ余力が限界に達しつつある周辺小中学校を再編する形で 2028 年 4 月の開校をめざしたが、入札は 2 回連続で不調となり、予定通りの開校を見送った。 当面の間、既存の学校に子どもたちが入りきれるかどうかも含め、市教委は対応策作りに追われている。

ゼネコンの参入、期待するもかなわず

入札に関わった市職員は「学校建設で 100 億円を超えるような発注は今までなかった。 ひょっとしてゼネコンが参入してくるのではと思った。」と期待し、巨大事業だけに受注業者には困らないだろうと当て込んでいた。 ところが、1 月に予定価格 148 億円で公告した 1 回目の入札に参加を申請した共同企業体 (JV) はゼロ。 市は予定価格を 163 億円に上げ、4 月に再度公告した。 今度は市建設業協会の役員に名を連ねる業者を代表とする二つの JV が参加を申請したが、入札期間に入ったところでいずれも辞退した。

続く 6 月には、築 57 年の旧与野市役所を使っていた中央区役所を図書館、老人福祉センターなどと併せて一新する公共施設再編事業(予定価格 314 億円)、地域活性化の「エンジン」と期待し、プロバスケットボールの試合などができるメインアリーナを含めた JR 与野本町駅近くの「次世代型スポーツ施設整備事業(同 130 億円)」でも、いったん手上げした企業グループが入札を辞退した。

予算を増やしても解決しない問題

いずれも、資材価格の高騰に加えて厳しい人手不足が理由だったとみられる。 地元の建設業関係者は「人手の面で特に不足しているのは工事現場を管理する技術者。 会社としてどんなに受注したくてもできない状況に陥っている。」と語る。 新区役所とスポーツ施設は、完成後の運営も落札業者に委ねるPFI 事業として一括発注した。 市にすれば、業者側の「うまみ」を増し、受注の動機になると期待していた面もある。 両事業の入札予定価格は、市が当初示した事業費から新区役所は 1.8 倍、スポーツ施設は 2.5 倍に増えた。 それでも引き受け手はいなかった。

大きすぎる規模は「事業期間が長くなり、仕事の種類も増える分、人件費もかかり、経営上のリスクが高まる(建設業者)」と入札のハードルを上げる要因となった。 市は、発注方法の見直しなどの対策を講じて、いずれの事業も実現をめざす考えだが、予算の増額には限りもある。 選挙や議会を通じた民主的な手続きを経て、長期的な計画と予算をもとに描く行政の「ビジョン」が、それを形にする担い手の不足によって大きく見直しを迫られている。

待遇改善も答えにならず 「ないものはない」

南西諸島の北端にある鹿児島・種子島の西之表市(人口 1 万 4 千人)。 2024 年度の職員数が初めて計画数を 5 人下回る 203 人にとどまった。 5 回の募集をかけた 25 年度も計画数を割り込んだ。 とくに土木や建築、保健師などの技術職の受験数が低迷。 庁内で 1 - 2 人の建築職は昨年度、14 年ぶりに 1 人採用できたが、公共工事の発注や災害復旧に不可欠な要員の確保で「綱渡り」が続く。 「サービス低下を招かない範囲で、従来の業務をやめる勇気も …。」 採用を担当する春田義隆総務課長 (50) には、そんな考えがよぎる。

全国で広がる公務員の採用難。 背景には民間の賃上げがあるが、市内では 23 年に着工した無人島・馬毛島への自衛隊基地整備で、賃金相場がはね上がった。 6 千人もの工事関係者がおし寄せ、現場作業や建設事務所のスタッフ、仮設宿舎の管理業務のほか、日用品の販売も急増し、もともとあった働き手不足が一気に進んだ。

直近 1 年の有効求人倍率は、全国平均(約 1.25 倍)を大きく上回る約 1.90 倍の水準で推移する。 ハローワークの求人票では、基地工事の重機オペレーターが月収 100 万円で募集されていた。 事務所の電話番も島の水準からは「破格の高賃金」で、限られた人手は工事関連に流入し、漁港の水揚げは減少、仕出し弁当は頼めず、電気工事は数カ月待ちといった状況だ。

社会福祉法人「百合砂(ゆりさ)」の田上道子事務局長 (73) は、入浴介護のパートを増員しようと、介護報酬の制約があるなかで「できる限り高い金額」として時給 1,500 円で求人を出すと、島内のドラッグストアのバイトと同じ水準だった。 田上さんは「ないものはない離島での人の奪い合いに先が見えない」とため息を漏らす。

待遇改善が「答え」にならない中、市が運行を民間委託している公共バスの維持にも懸念が横たわる。 市は新規就職者への奨励金や家賃補助を出す支援の対象に交通事業者も加えたが、改善の手応えは乏しい。 ある市職員は「(工事関係の仕事は)あれだけの良い給料。 私だって移りたいですよ。」と漏らした。 西之表市が直面する出口の見えない人手不足問題は、数年先の鹿児島の「未来」にも通じる。

24 年度は、鹿児島県内市町村の 7 割が採用予定数を下回った。 県職員の採用試験も 12 年度に約 10 倍だった倍率が約 2 倍に低下。 特に技術職は 2 倍を切り、24 年度の採用数は予定の半分に届かなかった。 行政の採用数も職員数も、「8 がけ社会」にむかう今後、さらに縮減しても増えるとは考えにくい。 くらしの基盤を支える公務の維持は可能なのか。 県人事課の又木寿文課長 (52) は「生活保護や児童相談など、どうしても減らせない対人業務がある」とした上で、不要な業務を削減できなければ、替えが利かない行政サービスを守ることすらできなくなると危機感を強める。

当面の人手不足対策中心の各党の公約

人手不足が都市か地方かに関係なく深刻化し、それが人口減少に伴う長期かつ構造的な問題であるにもかかわらず、参院選では主な争点になっていない。 各党とも現役世代が今後 2 割減り、さらなる高齢化で生活支援サービスを必要とする人が増える「8 がけ社会」に真正面から向き合う姿勢は乏しい。

自民、公明両党は、福祉サービスの公定価格の引き上げや建設業の労務費の価格転嫁を通じて賃上げし、エッセンシャルワーカーを確保するとしている。 立憲民主党は地方公務員の「総人件費を十分に確保」、国民民主党は介護職や看護師、保育士の賃金を 10 で「倍増」、共産党は国費 1.3 兆円を投入して介護職の賃上げを図るとするなど、与野党問わず対策は当面の人手不足分野の処遇改善が中心となっている。

ドローンや自動運転などデジタル技術の活用や技術革新で人手不足を補う政策を掲げる政党も多い。 だが、人手不足は今後本格化していくと受け止め、担い手やサービスが減っても適応できる地域のあり方や仕組み作り、縮小社会への道筋を描く骨太の議論には至っていない。

見方は 求められる縮小のビジョン、政治がメッセージ伝えるとき

労働市場に詳しいリクルートワークス研究所の坂本貴志研究員 (39) の話 : 不足は今後本格化し、人件費の上昇も加速するなかで、行政や企業の業務見直しや生産性向上の努力はますます必要になる。 利用者も高い価格を受け入れ、代替手段を考える対応が求められる。 市場を通じて何を調達し、何を自分の力でまかなうか取捨選択をせまられる。

それでも立ちゆかない地域は確実に出てくる。 各地でつづく入札不調は、いずれ予算の引き上げ競争におちいり、財政基盤が弱い自治体はどこかであきらめざるを得ない局面が来るだろう。 新しいサービスやハコモノはあきらめ、縮小にむかわざるを得ない流れの前触れが、いま各地で起きている。 人口減少がこの先何十年続く中で、各地で人手不足が慢性化し、国の支援も限界がくる。 機能を維持するまちと縮小を前提とするまちを分け、幸せに縮小する方法を考えないといけない。 その長期ビジョンを国や自治体が示すべきだ。

人手不足で地域が追い詰められるずっと手前で、軟着陸させる見通しを住民に示すことが大切となる。 ただ、縮小に向けた合意形成をはかるのは非常に難しい。 痛みをともなう決断でも、政治家がメッセージをしっかり伝え、それを受け止める住民の意識も重要となる。 今回の参院選を、これからの人口減少時代に地域がどうあるべきかを正面から問う機会とすべきだ。 (寺沢知海、加治隼人、吉沢龍彦、asahi = 7-16-25)


「10 年で消滅」から変化 小学校再開の「奇跡の島」が育んだ包容力

休校していた唯一の小学校が 6 年ぶりに再開した離島がある。 実はこの島、多くの地域と同様に少子高齢化が進み、無人島になる心配さえあった。 昔から海上交通が交わる場として開放的だった島は移住者が 4 割を占めるようになり、「復活の島」、「奇跡の島」と呼ばれている。 瀬戸内海に浮かぶ男木島(高松市)。 商業施設が集まる高松港(高松市)からフェリーで 40 分、8 キロ沖にある。

周囲 5 キロのおにぎり形の島で、木造住宅が斜面に密集して並ぶ。 開発を逃れ、迷路のように路地がのび、石垣が残る。 ここに約 150 人が住む。 灯台を守る夫婦を描いた 1957 年公開の映画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台にもなった。 サワラ漁や麦作で生計を立て、当時は 1 千人が住んでいた。 ところが、次第に働き場を求めて若者が去った。 お年寄りも病気やけがをすると、島外の病院や島を離れた子どもたちの家に身を寄せるために離れていく。 島は衰退の一途だった。

瀬戸内国際芸術祭で知った故郷の衰退

転機は 2010 年、人口約 200 人に減ったこの島が瀬戸内国際芸術祭(瀬戸芸)の舞台の一つとなったことだ。 白い貝のような港の高松市男木交流館は、建物そのものがスペインの現代美術家による芸術作品だ。 島の素朴さと作品が織りなす風景が注目され、いまも国内外から観光客が訪れる。 島出身で大阪で IT 関連会社を営む福井大和さん (47) は、13 年の瀬戸芸の時に仕事で島を訪ねた。 子どもは消え、学校は展示場になっていた。 当時 35 歳。 「老後は島で」と思っていたが、「あと 10 年で消滅する」と危機感を覚えた。

島を気に入った妻と小学生だった娘と帰郷を決意した。 学校の再開を申し出たが、校舎は老朽化し、市教育委員会の反応は芳しくない。 帰郷を希望する他の家族や島内外から 881 筆の署名を集めて働きかけた。

「乗っ取る気か」と批判されても

すると、市も動いた。 14 年に仮設校舎で小中学校が再開され、福井さんら U ターン移住した 3 家族の子ども 6 人が通うことに。 16 年には鉄骨 2 階建ての新校舎も誕生した。 のり面の改修なども含めて総事業費は 7 億 1 千万円になる。 ただ、島で様々な活動を始めると、批判も耳にした。

「島を乗っ取る気か。」 「数人のために何億円も使って。 また休校になるんだろう。」

でも、それがまた心に火をつけた。 島での生活を存続させるため、地域活動に力を入れていく。

ニューヨークや渋谷からも移住先に

夏祭りの担当になって早速、物議を醸した。 獅子舞は、伝統的に男の子 2 人が一緒に踊る。 福井さんも幼い頃に務めた役だ。それが年頃の男の子がいないことで、中止が話題にのぼっていた。 「女の子がいる」と提案したところ、伝統を重んじる島民とぶつかった。 長年染みついた考え方を変えるのは簡単ではない。 それでも「祭りが継続できないのと、どちらがいいか」と根気よく説得。 女の子も参加して獅子舞は継続された。 しきたりは時代にあわせて柔軟に変える一方、踊り方など守るべきは守ろうと試みるのだ。

続いて若い世代の定住促進と地域の交流を核とする NPO 法人「男木島生活研究所」も設立した。 島の移住情報や活動を SNS で発信し、島内外のひとともつながって特産品作りにも挑む。 妻の順子さん (50) も学習と、移住者と島民をつなぐ場にしようと、空き家だった古民家を改装して私設図書館を開いた。 共感した高松にある香川大の学生グループが運営に携わり、地域と関わる関係人口も増えた。

時間と思い出を共有

学校再開後、米国、オーストラリアを含めて国内外から約 100 人が移住し、このうち約 60 人が定着した。 福井さんはその多くをサポートした。 そんな一人が、イタリア系アメリカ人で日本国籍も有するダモンテ海笑(かいしょう)さん (40) だ。 ミラノ、バルセロナ、ニューヨーク …。 移住先を求めて、名だたる街を巡った末に男木島を選んだ。

「島のデザインが徒歩を基本にしていて、広告もないことが気に入った。」

16年に妻と移住し、ベーカリーカフェを開く。 島のお年寄りたちと信頼関係を築き、畑を借りて養鶏にも挑む。 2 人の子にも恵まれた。 福井さんは移住者が来ると、祭りや草刈りといった島の催しに誘う。 島の雰囲気や人となりが分かる大事なコミュニケーションの場と思うからだ。 強制ではなく、楽しく集まりたい。 そのために弁当を一緒に作って食べて、時間や思い出を共有することを大切にする。

島からリモート「メリットしかない」

そんな男木島もコロナ禍に襲われた。 催しが中止になり、マスクの着脱をめぐりトラブルが起きて島全体がぎくしゃくしたという。 感染の拡大もあった。 それでも瀬戸芸に参加して、島を閉ざすことはしなかった。 一定のルールのもとで、観光客が来てくれると考えたからだという。z,/p>

東京・渋谷から 22 年に移住した広告制作会社員の碓井真理子さん (37) は「仕事も生活も充実して、メリットしかない」と話す。 コロナ禍の東京で保育園が休園になり、「ステイホーム」の掛け声のもと、在宅勤務で何とかしのぐ日々。 子どもが必ずしも歓迎されない雰囲気も気になっていた。 移住した頃、島民の要望に応えて島に光ケーブルが通った。 システムエンジニアの夫と同様、リモートワークで東京の会社に勤める。

小学校の運動会は島全体のイベント

いま男木小・中学校には 11 人が通う。 このうち 8 人が移住者の子になる。 教職員は非常勤を含めて 22 人いる。 子どもたちは島を PR するため、貝殻で飾り付けた写真立てや島の景色を描いた缶バッジをつくる。 瀬戸芸の今夏の開催期間に向けてカフェのオープンも思案中だ。 「島民も家族のようにあたたかく子どもたちに接してくれます」と入谷知世校長は話す。

5 月になると、瀬戸内海に臨む校庭で運動会が開かれる。 2 年前に訪ねると、子どもたち、移住した親たち、お年寄り、島で活動する大学生ら島民の人口を上回る 200 人ほどが参加し、歓声をあげていた。 昼には、瀬戸内産サワラが入った弁当を一緒にほお張った。 そして最後は、みんなで輪になって伝統の男木島の盆踊りを踊ることが定番だ。 「もっと上手になりたい」と、移住者の男性が締めくくると、笑いに包まれた。 今年も島内外から多くのひとが参加して盛り上がったという。

多様なひとびと、共存は手探り

島の保育所には子どもたち 4 人が通う。 このうち 3 人が男木島生まれで、春には赤ちゃんも誕生した。 ただ、順風満帆にみえる島だが人口減少は続き、意見が対立することもある。 多様な人が共存して暮らす試みが手探りで進む。

京都から家族とともに移って 10 年目になる美容師の山口憲太郎さん (44) は、昨年末から「単身赴任」をしている。 子どもたち 2 人は島になじみ、隣の高齢夫婦宅にお邪魔してテレビを見るほどだが、同年代の友だちと過ごしたいと、妻と高松に移って街中の小学校に通う。 島と高松の 2 拠点生活は、島で宿泊施設を始めた山口さんにとっても「島内外の両方の視点を持つことで、客観的に島の魅力を捉えやすくなるのでは」と話す。

島のコミュニティ協議会の会長になった福井さんは定期的に話し合いを開いている。 島ではいま、島外の人とのつながりをさらに深めようと、旧郵便局舎を再生したり、島の環境を意識した循環型にこだわったりする宿泊施設が移住者たちによって相次いでオープンした。 福井さんは島を「交流の島」と表現する。 「男木島らしさとは何かを一番に考え、島の持つ懐の深さを『余白』として残しながら、古い歴史や文化、新しい人たちをうまく受け入れていきたい。 島が生きていくために、風通しの良さも大事にしたい。 そして、島に幸福感がこぼれていれば、訪れたいと思う人も増えるはず。」と話す。 (張春穎、asahi = 7-13-25)


「おしん」の町、10 年余りで約 70 人移住 「住みたい田舎」上位に

山形県大江町は、県のほぼ中央にある人口約 6,900 人の町だ。 新規就農者の受け入れに力を入れ、2025 年版「住みたい田舎」ランキングの上位に入った。 山形市から車で約 40 分。 町の東側に最上川が流れ、江戸時代は最上川舟運の港町として栄えた。 サクランボやラ・フランス、リンゴなど果樹栽培が盛んだ。 スモモ畑で、日焼け対策を万全にした角田愛理さん (45) は、仲間や JA、県の担当者らの視察を受けていた。 東京都板橋区から移住して農業を始め、4 年目になる。 「自然を感じながら農作業ができるのが魅力です。」

1960 年に 1 万 5 千人を超えていた町の人口は、今年 4 月 30 日の集計で 6,989 人。 人口減少が止まらない。 ただ、この 10 年あまりで角田さんを含む 26 人が新たに就農し、家族を含めて約 70 人が町に移り住んだ。 人口の約 1% にのぼる。 大きな役割を果たしているのが、町の就農研修生受入協議会、通称「OSIN の会」だ。 移住して農業を始めたい人が、地元の農家から 2 年間研修を受ける。 町がドラマ「おしん」のロケ地になったことと、大江町 (O)、就農者 (S)、受け入れの IN から名付けたという。

高齢化や後継者の確保に危機感を感じた農家の人たち自らが、2013 年に立ち上げた。 町も、手厚く支援する。 たとえば、高額な農業機械を共同で管理する農機具バンクを設け、購入する場合は費用を補助する。 戸建ての新規就農者住宅が 5 棟あり、独身者には無料の宿泊施設を用意している。 空き家の物件を常時公開し、家族で賃貸住宅に住む場合は家賃と光熱費を補助する。 ほかにも、国の規定にあてはまらない 0 - 2 歳児の保育料無料、保育園や小中学校の給食費無料、18 歳までの医療費無料など、子育て支援にも力を入れる。

東京で開かれる就農イベントでは、移住や就農を希望する人の相談に熱心に応じる。 「最初は千葉の房総あたりを考えていた」という角田さんもそこで「大江町」と出会った。 寒河江市での農業アルバイトを経て、OSIN の会の会長でスモモ農家の渡辺誠一さん (59) の手ほどきでスモモ栽培を習得した。 新規就農者は、同様にスモモ農家になった人のほか、米やブドウ、桃、リンゴ、野菜、花を育てている人もいる。 独立後も、わからないことがあればいつでも、会のメンバーからアドバイスを受けられる。 角田さんが住む地区では毎月 1 回ほど、それぞれ手料理 1 品を持ち寄っての宴会があり、地域にもとけ込むことができたという。

会社員の夫は、移住にあたって離職を考えたが、リモートワークで勤め続けられることに。 子どものアトピーやぜんそくの症状は、町に住むようになって落ち着いた。 冬の時期のせんていなどを、家族も手伝ってくれる。 「家族の時間も増え、移住して良かったと思っています。」 スモモのブランド化に情熱を注ぐ渡辺さんは「もっと多くの人に就農してほしいし、町に来てほしい」と話す。

OSIN の会や町の取り組みについて、県西村山農業技術普及課の高橋哲史課長は「OSIN の会は新規就農者を受け入れているすぐれた組織。 スモモでのまちおこしと町支援の住宅政策などは全国的にも珍しい。 指導する農家がいて研修し、終わったら畑のあっせんもする。 仲間のつながりもいい。」と話している。 宝島社の「田舎暮らしの本」では「住みたい田舎ベストランキング」を毎年発表している。 2025 年版は、▽ 移住者の受け入れ実績、▽ 移住者歓迎度、▽ 移住者への支援、▽ 生活の利便性 - - など 314 項目のアンケートについて、自治体の回答を集計して順位を決めている。 全国 547 自治体が回答した。

「人口 5 千人以上 1 万人未満のまち」で大江町は総合部門 8 位にランクイン。 ほかに「5 万人以上 10 万人未満のまち」で酒田市が 6 位、「10 万人以上 20 万人未満のまち」で鶴岡市が 5 位、「20 万人以上のまち」で山形市が 9 位(いずれも総合部門)などとなっている。 (大谷秀幸、asahi = 6-21-25)