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日本は「ルビコン川渡った」 台湾問題を直視する意味

16 日午後(日本時間 17 日未明)に開かれた菅義偉首相とバイデン米大統領の首脳会談。 会談後に発表された共同声明には、「台湾海峡の平和と安定の重要性」が明記された。 この会談をどう評価するか。 3 人の識者に聞いた。

日米と中、冷戦時の米ソと違う 元外務事務次官の竹内行夫さん

現在、国際社会は「米中競争」時代に入っている。 中国の強権主義による自由民主主義的な国際秩序への挑戦が、国際社会全体の課題だ。 香港で示された強権的統治が他国の統治モデルとされるおそれがあるし、新疆ウイグル自治区などでの人権侵害問題もある。 南シナ海などでの国際法違反の動きも看過できない。 尖閣周辺海域での活動は、日本の安全保障を含む、国益に関わる。

地政学上、中国の強国化で国際政治の重心が欧州から東アジアに移った。 東アジアには北大西洋条約機構 (NATO) のような多数国による同盟の枠組みはない。 米国の安全保障に関わる同盟国も日本、韓国、豪州に限られる。今回の会談は米国にとっても、「同盟国の足元固め」という意味で重要だった。 だが、日米ともに、中国との経済関係においては、相互利益の面があり、冷戦時の米国とソ連のように「敵に回して損なし」という間柄ではない。 気候変動のような問題では中国の協力も必要だ。

菅義偉首相に覚悟があったかは不明だが、今回の中国への意思表明は「ルビコン川を渡った」とも言える。 今後、中国の「報復措置」も考えられる。 だが、腰砕けになってはいけない。 確固とした覚悟としたたかな対応が必要だ。 共同声明に記された「台湾海峡の平和と安定の重要性」についての記述は、きわめて常識的だ。 中国側が「内政干渉だ」と目くじらを立てるほどのものではない。

今回の会談では、国際協調の原則の下で、気候変動や新型コロナウイルス対策など、世界の課題の解決に向けた日米協力も話し合われた。 このように、日米同盟が「グローバルな国際公共財」と世界に示すことができたことも重要だ。 (聞き手・半田尚子)

中国の挑戦、対処する連合を アメリカン・エンタープライズ研究所のザック・クーパー研究員

最初の首脳会談はスムーズに行われたようだ。 バイデン政権が最初の対面での会談相手に菅首相を選んだのは理由は複数ある。 一つ目は日米同盟が重要だということ。 二つ目は米国がアジアを重要度の高い地域とみなしていること、三つ目は日米同盟が強固なことから、会談の成功に自信を持っていたことだ。 米国と日本は、中国の挑戦に対処するため、安全保障、経済、テクノロジー、ガバナンスといった課題で連合作りを進めるべきだ。 たとえば安全保障では、台湾有事での日米協力は優先課題の一つだ。 経済では、オーストラリアのような経済的な威圧を受けている国々を守るため、日米がどう協力できるかも今後の課題となる。

日本が新疆や香港といった地域の人権や民主主義の問題で声を上げることは重要だ。 ただ、米国と多少異なるアプローチを取っても問題はないだろう。 日米の対中政策は基本的には足並みがそろっている。 今回の会談は今後の取り組みに向けたステージをつくった。 今後の会談は、中国の威圧的な振る舞いを押し返すための連合を実際に築き、拡大できるかどうかで評価されるだろう。 (聞き手・大島隆)

台湾問題、対日政策転換も 北京大学国際関係学院の帰泳濤副教授

台湾は中国にとって特に重要な「核心的利益」だ。 日米の首脳共同声明に「台湾海峡の平和と安定の重要性」を明記したことは中国にとっては内政干渉で、反発は必至だ。 近年は「友好」に向かっていた中国の対日政策は、転換するかどうかの瀬戸際を迎えることになるだろう。

米トランプ前政権は台湾を外交カードに利用してきたが、バイデン政権ではさらにイデオロギー闘争の要素が加わった。 イデオロギー闘争では問題を善か悪かの二項対立化してしまうため、複雑な問題のあいまいな解決が許されない。 対立の悪化を招く恐れがある。 この悪循環に日本は巻き込まれようとしている。 中米間で台湾問題が激化した場合、最前線に立つのは日本だ。 日本が米国に近づけば近づくほど、安全保障上のリスクを抱えるというジレンマを、日本自身がもっと認識すべきだ。 (聞き手・高田正幸、asahi = 4-18-21)

〈編者注〉 中国は、「国の核心的利益」との言葉を軽々しく使いますが、民主主義体制の下では、「基本的人権の確立と保護」に勝るものではないことを、認識する必要があります。 そして、いずれの場所であれ基本的人権が侵害されるようなことになれば、日本のみならず多くの国が立ち上がるであろうことも、併せて認識しなければいけません。


「マスク 500 万枚売った」 中国人業者が明かした事情

新型コロナウイルスの感染拡大で、マスクをめぐる日本の状況は一変した。 大手小売店で続く品薄、国内メーカーの増産、中国の大量生産と原料不足 …。 販売の現場で、いま何が起きているのか。 最前線に立つ、輸入卸業を営む 40 代の中国人男性は「この 1 カ月で 500 万枚を売りさばいた」と語り、業界の事情を明かした。

「誰も不当にもうけていない」

- - - ドラッグストアやコンビニ、スーパーではマスクは品薄が続いています。 その一方でタピオカドリンクの店など、まったく関係のないところで取り扱っているのはなぜですか?

「簡単に言うと、在日中国人の間で(マスク販売が)はやっているんです。 もともと他の商売をやっていた人もいるし、私のように以前から中国との間で輸入卸業をやっていた人もいます。 例えば飲食業をやっていた人は、本業を休業しています。 仕事はないが、時間はある状態です。 3 月末から 4 月初めごろに、『あいつはマスクの輸入を商売にして、うまくいっているらしい』といううわさが在日中国人の間で一気に広がりました。 それでみんな始めたんです。」

- - - どうやって仕入れているんですか?

「人それぞれですが、私の場合、仕入れは中国にいる知り合いに頼んだり、最近は現地の工場と直接やりとりしたりしています。 中国の SNS 『微信(ウィーチャット)』でのやりとりが多いです。」

「既に報道されているとおり、中国ではいろんな企業がマスク生産に参入しました。 沿岸部の企業が多いですが、内陸部にも広がっています。 小規模の会社も合わせれば、全部で 2 万社という話もあります。 生産量が急増したので、それだけ原料の不織布は奪い合いになっています。 不織布の仕入れにお金が必要なこともあり、マスク取引は原則として前払いです。」

- - - 仕入れ値はどれぐらいですか?

「不織布の値段は急騰しています。 マスクの売り先はあるのに、不織布を仕入れられず稼働を止めている工場もあるくらいです。 1 枚あたりだと、仕入れ値がだいたい25 - 35 円。 それを輸入して、卸値が 40 - 50 円。 なので小売価格が 60 - 80 円になるのも仕方ないんです。 誰かが不当にもうけているわけではありません。 工場によっては 2 千 - 3 千枚の発注から対応してくれるところもありますが、だいたい万単位、10 万単位で仕入れます。」

「今の問題は、輸送用の航空便の手配が難しいこと。 順番待ちです。 中国側の輸出時の品質チェックも厳しくなっています。 発注から日本に到着するまで 7 日から 10 日かかります。」

さすがプロだと恐れ入った

- - - 売り先はどうやって開拓を?

「もともと取引がある会社や病院、地方自治体に卸す場合が多いです。 私はこの 1 カ月で 500 万枚ほど卸しました。 既存の取引先を持たない人が飛び込みで繁華街の店に営業をかけることもあります。 なので、タピオカ屋にマスクが並んでいるんです。 こちらも在庫を抱えないよう真剣ですし、客の減った繁華街の店にとっても、貴重な収入源です。」

「先日、ある病院に 4 種類のマスクを持ち込みました。 品質や値段はバラバラです。 見た目がいちばん良いのは品質がいま一つな安いものだったんですが、対応してくれた医師と臨床検査技師の方は、見事に品質の高いものを見分け、購入しました。 さすがプロだなと恐れ入りました。」

- - - スーパーやドラッグストアに並ばないのはなぜでしょう?

「いろんな理由があると思います。 一つは品質、もう一つは値段です。 初めて取引する相手だと、本当にちゃんとした品質か不安ですよね。 なので、ブランド力のある大手の小売店はなかなか手を出しにくい。 私も、輸入してみたらボロボロで売り物にならないものだった、という経験が複数回あります。 『1 箱 50 枚入りのはずなのに、数えたら 48 枚だった』という話も聞きました。 クレームを入れても交渉に時間がかかるので、とりあえず気持ちを入れ替えて次の取引へいく、というのが現状です。」

「もう一つの理由は、値段が高いことでしょう。 日本の、特に大手の小売店は、消費者からの『この非常時に、こんな値段でマスクを売るなんて!』という批判をおそれている面があると思います。 最近は少しずつ大手の小売店でも見かけるようにもなってきましたが、まだおそるおそるだと思います。 だからこそ、繁華街の異業種の店が販売に乗り出しました。」

シャープの値段が基準になった

- - - とはいえ最近、値段は徐々に下がってきています。 数週間前は 50 枚入りで 4 千円だったものが、いまや 3,500 円とか。少し繁華街から離れると 3 千円ほどになっているのも見かけます。

「最近は、シャープのマスクの値段が基準になっています。 50 枚入りで、送料込みで 4 千円弱です。 みんなこれを見ながら、シャープより少し安い価格で売ろうとしています。 そうすれば消費者に受け入れられやすいので。 もちろん、輸入業を始める人が増えて、業者間で競争が起きているのも値下がりの要因です。」

- - - この先、さらに値段は下がりますか?

「ある程度は下がると思います。 東京や大阪など大都市の繁華街でのマスク販売はそろそろ終わりが近づいています。 売れ残ったマスクは、5 月になれば地方都市にも広がっていくでしょう。 でも、以前のように 1 枚 10 円ほどに下がることはないと思います。 欧米やアジアの国もマスクを欲しがっていて、中国の業者も日本だけを相手に生産しているわけではありません。 生産側が強いんです。」

「ただ、日本では国内業者のマスクの増産が始まっていて、これから本格化します。 そうなると、さらに値段は下がり、むしろ質の勝負になると思っています。 日本製のマスクに匹敵する品質を確保しながら、日本製より少し安い、そんな中国製マスクが求められることになると思います。」 (聞き手・真海喬生、江口英佑、asahi = 4-30-20)


「日本のおじさんはスケベ」聞いて育った私、来日したら

日本と中国の民間交流はどうすれば深まるか。 15 年間にわたって「中国人の日本語作文コンクール」を主催してきた日本僑報社(東京都豊島区)が 11 月、両国の相互理解の促進について話し合う「日中ユースフォーラム」を開いた。 過去の作文コンクールに参加した両国の若者 9 人が集まり、言葉を学んだきっかけや将来の夢について語った。

日本語を学ぶきっかけは、成績が足りなかったから - -。 「まるか」さんはそう切り出した。 まっすぐ切りそろえた黒い前髪に丸い顔。 「顔が丸いアニメのちびまる子ちゃんが好き。 『まるか』と呼んで下さい。」と話した。 本名は朱杭珈さん (25)。 「まる子」ではなく「まるか」なのは、名前の日本語読み「こうか」にかけたものだ。 中国浙江省の自然豊かな農村の出身。 貧しい家で両親は共に病を患っており、幼い頃から医者になることを夢みていた。 大学入学の際、希望した学科に進むには点が足りず、日本語学科に振り分けられた。 日本語の勉強を始めたのは仕方なくだった。

故郷では「日本のおじさんはスケベだらけ」、「日本人は歴史を反省していない」と偏った話ばかり聞かされていた。 だが、大学で 65 歳の女性の日本語教師に出会い、中国で働く日本人に中国語を教える機会にも恵まれると、偏見は興味へと変わった。 可愛いお土産においしい料理。 「日本はどんなところだろう。 この目で見て確かめたい。」と思うようになった。 貧しい親の援助はあてにできない。 留学のための奨学金を得るために挑んだのが、「中国人の日本語作文コンクール」だった。

1 度目は落選。 2 度目は入賞したものの、奨学金をもらうには点数が足りなかった。 「もう後がない」と臨んだ大学 4 年の時の試験で、やっと奨学金を獲得。 昨春、奨学生として来日した。 今は一橋大学大学院で経営学を専攻する。 ただ、グループワークでは自分の主張が理解してもらえず、「中国人の私を最初から排除しているのかな」と自信をなくしたこともあった。 なぜ理解してもらえないのか考えてみた。 ふと「自分だって、知らない時は偏見を持っていたじゃないか」と気付いた。 「『空気を読む』スタイルはまだ理解できませんが、無視されても少しずつ議論します。 時間をかけると、だんだん理解し合えるようになりました。」 将来は日本の医療技術を中国で生かす事業に関わりたいという。

早稲田大 3 年の高橋稔さん (21) は、今夏までの 1 年間、北京大に留学した。 野球が得意で、中国人とのプレーを通じて「心の距離を縮められた」と振り返った。 高橋さんは、日中の相互理解を深めるためにこう提案した。 「ネットやニュースだけで判断するのではなく、一緒に何かに打ち込めば、化学反応が起きる。 日中の若者でスポーツ交流がもっと盛んになるといい。」 (今村優莉、asahi = 12-25-19)


中国人の日本語作文コン、最優秀賞に潘さん 五輪テーマ

第 15 回「中国人の日本語作文コンクール(主催・日本僑報社、メディアパートナー・朝日新聞社)」の表彰式が 12 日、北京の日本大使館で開かれた。 最優秀賞(日本大使賞)には、上海理工大学院の潘呈さん (26) の「東京五輪で誤訳をなくすため、私にできること」が選ばれた。 コンクールは日本に半年以上の留学経験がない中国人学生が対象。 東京五輪・パラリンピックを来年に控えた今回は「東京 2020 大会に、かなえたい私の夢!」などが募集テーマで、中国各地から計 4,359 作品の応募があった。

最優秀賞の潘さんは、今春、日本を訪れた際、街頭のゴミ箱に書かれていた中国語が間違っているのを発見した経験を通じ、人工知能による自動翻訳が普及しても、東京五輪ではまだまだ人の手による翻訳が重要であると考えたことを作文にした。 潘さんは表彰式で「翻訳者の卵の私にもできることがあると考えている」と日本語でスピーチし、ボランティアとして東京五輪に関わる目標を語った。 (北京 = 高田正幸、asahi = 12-12-19)

最優秀賞(日本大使賞)を受賞した上海理工大学院の潘呈さんの作品「東京五輪で誤訳をなくすため、私にできること」の全文は次の通り。

2020 年オリンピックの開催地が決定された 2013 年 9 月、私はその様子をニュースで見ながらこう思った。 東京で五輪が開催される暁には、中国語と日本語の翻訳品質を向上させるボランティアの仕事をしたい。 以来、私はこの夢を心の中に抱き続けてきた。

あの日からもう 6 年近く経つ。 この間、人工知能がいよいよ発達し、自動翻訳ソフトの正確さも増してきた。 日常生活でよく使われる挨拶くらいなら問題なく訳されるため、現在では多くの訪日外国人がスマホなどで使える自動翻訳ソフトを用いて、言語の壁をやすやすと乗り越えている。 翻訳者の仕事は近い将来、コンピューターの機能に取って代わられるのだろうか?

今年 4 月、東京へ行った。 私がスカイツリー付近でゴミ箱を探していると、面白いことを発見した。 あるゴミ箱に「ぺットボトル」という表示があったが、その下の中国語訳が「寵物・瓶子」になっていた。 文字通りならここに「ペット」を捨てていいことになる。 日本の街角で見かけた誤訳はこれだけでなかった。 その後大阪に行った時も、大阪メトロの駅名や路線名の誤訳を目にした。

勿論、この種の誤訳は日本のみならず中国でもよく見られる。 中国のある観光地では「安全出口」という表示が、「安全に輸出します」という日本語に訳されていた。 日本語の「出口」の意味が中国語への直訳で「輸出」となり、両者が混同されていたのである。 これらの誤訳はおそらく自動翻訳ソフトの使用によるものだ。 確かにこういったソフトを使えば翻訳効率はアップするが、逆に混乱や誤解の原因にもなってしまう。 現代の異文化コミュニケーションにはこうした意外なバリアが生み出されている。

例えば日本語の「いただきます」は、自動翻訳ソフトを使うと「我開動了」となる。 これは「これから食事を始めます」の意味だが、それだと単にご飯を食べ始める合図に過ぎない。 そもそも日本語の「いただきます」には「命をいただいてありがとう」という感謝や、「命を奪って申しわけない」という謝罪の気持ちが含まれる。

この一言に日本人の生命観や社会観が色濃く反映されているのである。 翻訳とは言語 A を言語 B に変換するだけのものではない。 文脈の適切な理解と、文化への深い造詣が必要だ。 このことに気がついた私は、まだまだ人間の翻訳者の生存空間はある、と思い直すようになった。

2020 年東京五輪では非常に多くの観戦客が東京に来る。 彼らは五輪会場以外もあちこち見て回るだろう。 彼らが翻訳に由来するトラブルに遭わないように、翻訳者の卵である私にも何かできるのでないか。 具体的な提案として、オリンピックの公式サイトや SNS のアカウントを利用し、日本文化や東京五輪に関する用語の正確な翻訳を提供するサービスを実施してはどうだろう。

一例として、馬術競技に「ジャンプ」と呼ばれるハードルレースがある。 これを「跳躍」と中国語に直訳したら、単に「跳ぶ」の意味となるし、下手をすると日本の有名漫画週刊誌を連想させてしまう。 別な例として、日本に「ジェット桐生」というあだ名の陸上選手がいる。 「桐生」と「気流」をかけた言葉遊びであるが、中国語には直訳できない。

こうした翻訳上の問題点や課題をクリアするために、ネットを通した情報発信を活用できるはずだ。 またネット技術を使い、広範な人々に協力してもらえば、誤訳が見つかるたびにそれを正しい訳文に直すサービスも可能だろう。

今年は令和元年である。 「令和」という元号には人々が美しく心を寄せ合うという思いが込められている。 この令和 2 年目に開催される東京オリンピックを成功させるためのボランティアとして、私は上記のようなサービスの中で中日翻訳の能力を生かし、お手伝いしたい。

それに、五輪を機に訪日する人々に翻訳を通して正しい情報を提供することは、五輪精神にも適うし、中日関係をはじめとする国際交流にも貢献できる。 今の私はこの夢が実現することを願っている。

第 15 回「中国人の日本語作文コンクール(主催・日本僑報社、メディアパートナー・朝日新聞社)」の主な受賞者は以下の通り(敬称略)。

【最優秀賞】 潘呈(上海理工大学院)



中国で「黄帝祭典」盛大に行うもネット民は無反応 - - 「令和」との違い

4 月 7 日、中華民族の始祖で最初の帝王とされる黄帝祭典が中央政府の主催により、河南省新鄭市で盛大に行われた。 愛国主義教育の一環だが、中国のネット民は無反応だ。 「令和」に対してはまだ関心が高いのはなぜか?

「黄帝故里拝祖大典」とは

中国古代の神話伝説的な「三皇五帝」の内の一人である黄帝(紀元前 2717 年〜紀元前 2599 年)を中華民族の始祖として祭ることが、愛国主義教育の一つとして、江沢民時代に始まった。 以来、黄帝の誕生日とされている旧暦 3 月 3 日になると、河南省新鄭市でその祭典が行われるようになった。 もっとも、2002 年には「炎黄文化節(炎 : 炎帝。 三皇五帝の一人。)」として河南省レベルで行なわれていたが、2004 年からは新鄭市を「黄帝の故里」と位置付け「黄帝讃歌」まで歌うようになり、2006 年からは「黄帝祭典」が国家行事に格上げされている。

結果、河南省人民政府以外に「国務院僑務弁公室、国務院台湾弁公室」などの中央政府が主催者側に入るようになった。 ということは、中国国内の人民だけでなく、世界中の華僑華人や台湾の国民をも対象として、台湾統一の目的を同時に兼ねていることが分かる。 中華民族の始祖を祭ることによって、「すべて同胞だ」と言いたいのだろう。 事実、「黄帝故里拝祖大典」のスローガンの一つに「同根、同祖、同源」がある。 いずれにしても愛国主義教育基地の一つに位置付けられているので、愛国主義の精神を植え付けようとしているのは明らかだ。

今年の黄帝祭典を動画で観よう

たとえば今年の「黄帝故里拝祖大典」に関して、4 月 8 日付の人民日報海外版には、「2019 年は、まさに、新中国(中華人民共和国)成立 70 周年記念であり、五四運動の 100 周年記念である。 したがって始祖を祭る祭典では "愛国" 主題と "国家" 意識を強化することが、テーマとして流れていた。」とある。 旧暦の 3 月 3 日は、今年は 4 月 7 日に当たる。 例年になく報道が華々しいのは、70 周年や 100 周年など節目の年ということだけではなく、「令和」への中国ネット民(ネットユーザー)の熱狂的な反応を意識しているというニュアンスを個人的には感じないではない。

先ずは当日の中央テレビ局 CCTV の報道を新華網が動画で流しているので、そちらをご覧いただこう(画像が出てくるまでに沈黙の時間があるが、辛抱していると出てくるので、少しお待ち願いたい)。

黄帝を中華民族の始祖として敬うというのは、「中国共産党が全てであり、最高峰の存在であるはずの現在の中国」においては、何とも違和感を与える。 しかし愛国主義教育というのは、1989 年 6 月 4 日の天安門事件が西側諸国に憧れた若者たちによる民主化運動であるとして、「中国にも中国独自の伝統的な文化遺産がある」から「自分自身の祖国である中国を愛しなさい」という教育でもあるので、この矛盾から離れることができない。

毛沢東による文化大革命で中国の伝統的な文化を破壊しつくしておきながら、今度は一転、中国の伝統的文化を讃え、習近平政権になってからは、それを「中華民族の偉大なる復興」と結び付けようというのだから、違和感がない方がおかしい。

ところで、動画のタイトルには「己亥年」という文字があることにお気づきだろうか。 2019 年の干支(えと)は「己亥(つちのと・い)」だ。 中国では今や、日本の元号に当たる年号はなくなったものの、干支はそのまま用いている。 この辺に中国のネット民が多少の反応を示すかというと、これくらいのことには「萌えない。」 こちらの動画(河南ラジオ・テレビ局と鄭州テレビ局が撮影したものを The Paper が編集した動画)でも観ることができるが、これは長すぎて中国語の解説が長いので、面倒かもしれない。 しかし中国語解説の部分を飛ばしていただくと、1 時間半にわたる全過程を詳細に観ることができる。

スピーチでは「習近平新時代の中国の特色ある社会主義思想」や「中華民族の偉大なる復興」などを讃え、まるで全人代の挨拶のようだ。 最後まで観るには忍耐力を要するが、それでも中国の一側面を知る上では、面白いかもしれない。 何しろ荘厳な音楽が流れる中、中国政府の高官らが首に黄帝の象徴である黄色のタイを掛けながら、5000 年前の帝王に恭しく頭を下げるのだから。

中国のネットには、さまざまな種類の華々しい動画や静止画面の写真付き解説などが掲載されているが、こんなにまで中華民族の始祖を讃える行事であるにもかかわらず、ネット民のコメントをただの一つも見つけることができなかった。 唯一、「人民網(人民日報電子版)」の「強国論壇」にコメントが一本だけあったが、それは当局が五毛党に書かせたものであることが明らかな内容だ。

なぜ「黄帝」に関心を示さないのか

なぜなのか、北京にいる中国の若者を念のため取材してみた。 すると、以下のような回答が戻ってきた。

- - ああ、黄帝ですか …。 あれは、そもそも歴史が確かでないのに、あたかも確かであるかのごとく強引に歴史を創りあげて、ま、言うならば歴史の捏造のようなものですからねぇ。 あんなものを使って「中華民族の偉大なる復興」と言われても、気持ちは引いてしまいますよ。 かと言って、政府の意図はわかってるので、面倒なことになるからツッコミを入れるわけにもいかないし …。 私の周りでも、日本の新年号「令和」に燃える人は数多くいますが、黄帝祭典に関心を持つ人は一人もいません。

ほう、そんなものなのか …。 政府が主導するものには燃えないのが、若者の心情らしい。

ならば、「なぜ日本の令和に燃えるのか」と聞いてみると、「まあ、脱中国化などと報道されたので、一時は一種のナショナリズムが渦巻きましたが、それが過ぎると、何と言いますか、自由にツッコミを入れてもいいので、ツッコミが楽しいという気持ちになってきたような感じがないではありません。 あと、日本人の反応がおもしろいかな …。 そこには現在の日本文化がストレートに反映されているので、なんだか "萌えます。"」とのこと。

「令和」に燃える方が楽しい?

たしかに 4 月 1 日付の「世界説」は、実に自由闊達に「令和」に関する日本のネットユーザーの情報を発信しているし(4 月 1 日の 19:02 発で、よくここまで日本の情報を拾ったと思うほど臨場感あふれる情報満載。 このページの最後まで写真だけでもご覧いただくと分かる。)、4 月 3 日付けの湖北衛視 (BS) もまた、生き生きとした語り口で詳細に、しかもかなり正確に、日本の新年号「令和」に関して解説している。 4 月 4 日付の中国共産党系の「参考消息」さえ、クッキーやマグカップの「令和」を見せたりして、楽しそうではないか。

驚いたのは中国版ツイッターの「微博(ウェイボー)」において、4 月 7 日になっても、まだ「令和」に関するコメントが続いていたことだ。 中には「もしあなたが 1995 年 6 月 5 日(平成 7 年)生まれなら、これまでは H7、6、5 と書けばよかったんだけど、2036 年に生まれる子供は "R18" (18 禁)になっちゃうんだよね! どうするの?」といったものもあり、「ハハハハハ …」と笑いで反応する者がいたりする。 あちこちのサイトで、こんなことをずっと「堪能」しているようにさえ見える。

流暢な日本語を交えた「好看視頻」などは、画面上にある文字が繁体字であることから、台湾の動画を切り取って大陸のサイトに貼り付けたものだろう。 いやに親日的だ。 それを許すほど、「令和」に関してなら、けなそうと褒めようと、全く自由だということかもしれない。 4 月 4 日付のコラム <「令和」に関して炎上する中国ネット> で触れた、4 月 1 日と 2 日の間に炎上した「令和」の典拠に関する議論は、今ではすっかり落ち着いてしまって、「黄帝祭典」に対する冷たい反応と好対照を成している。

もっとも、4 月 5 日か 6 日頃だったかに、次のようなやや長いコメントがあった。

- - 本歌取りと言っても、何もあそこまで類似形が明確な張衡の「帰田賦」から取ったものを採用する必要はなかったのではないか。 それを以て「漢籍からではなく日本の国書を典拠とした」などと仰々しく区別して強調するから、漢民族としては黙っていられずナショナリズムを刺激してしまったのだ。 そうでなかったら、日本は中国から伝来した文化を完全に消化して、まさに日本独自の文化を創りあげてきている。 それを使うなら日本独自の典拠と言われても納得するが、令和が典拠とした万葉集のあの個所は漢詩そのものだ。 どうせ「日本の国書」と強調したいのなら、なぜもっと工夫をしなかったのだろうか。 安易だ。 それこそ日本独自のものを見せてほしかった。

以上、中国のネットにおける「黄帝」事情と「令和」に関する現状をご紹介した。 ここから中国の新たな、別の側面を垣間見ることができれば幸いだ。 (遠藤誉、NewsWeek = 4-9-19)

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「令和」に関して炎上する中国ネット

清王朝以来「年号」を失ってしまった中国の民の、日本の新元号「令和」に対する関心の熱さは尋常ではない。 元号発表の数分後からネットは反応し、「令和」の由来が東漢の張衡の『帰田賦』にあると燃え上がった。

『帰田賦』と「万葉集」巻五「梅花三二首の序」の類似点

中国のネットユーザーたちが書いている内容からご紹介する。

まず、張衡(西暦 78 年 - 139 年)は東漢時代の天文学者・数学者であると同時に文学者・歴史学者・思想家でもあり、中国では、学校教育で必ず学ぶ偉人の一人である。 彼に関する映画もあればテレビドラマもあり、また多くの伝記も著されている。 そのため、中国の多くのネットユーザーは張衡の『帰田賦』に馴染みが深く、詳細に知っているのである。

日本で 4 月 1 日午前 11 時 41 分ごろに菅官房長官が、新年号が「令和」に決まったと発表し、典拠は日本最古の古典「万葉集(西暦 780 年頃)」の「梅花三二首」の序文であると述べた。 具体的には「初春の令月にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉(を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす」という文言から引用したという説明があった。

口頭では「ひらがな」を交えて説明があったが、万葉集の「梅花三二首」の序文は漢字だけで書かれており、漢字だけを並べると以下のようになる。

初春令月、気淑風和。 梅披鏡前之粉、蘭薫珮後香。

これを見た瞬間、中国のネットユーザーが反射的に連想したのが張衡の『帰田賦』にある次の句だ。

仲春令月、時和気清。 原湿郁茂、百草滋栄。

さて、前半の 8 文字を見てみよう。

万葉集 : 初春令月、気淑風和。
帰田賦 : 仲春令月、時和気清。

最初の 2 文字は万葉集より遥か前にあった『帰田賦』における「仲春」が「初春」に置き換えられているだけだ。 「仲春」は「春半ば」の意味で、それが「初春」と表現されているが、「令月」 = 「佳い月(2 月)」であることに変わりはない。

次に「気淑風和」と「時和気清」を比較してみよう。 「気淑」は「気淑く(= きよく)」と、ひらがなを交えて菅官房長官も安倍首相も説明しているが、「気淑」は「気清」に対応しており、「清く(= きよく)」なのである。 残りの 2 文字は、万葉集では「風和」となり、「帰田賦」では「時和」となっている。

「風和」は「風和らぎ」と説明されている一方、張衡が用いた「時和」の意味は「時和らぎ」なので、万葉集では張衡の「時」を「風」に置き換えたことになる。 「時」は「流れゆく時間」、「流れゆく季節」でもあるので、それは「流れる風」と対応させることは容易だろう。

以上は、何万とも言える中国におけるネットユーザーたちのコメントをまとめたものだ。

省略された「於是」に相当する「于(於)時」

菅官房長官の発表や安倍首相の説明において、意図的か否かは分からないが、省略された文字がある。 それは万葉集の「初春令月、気淑風和」の前にある「于時」という 2 文字だ。 原典では「于時、初春令月、気淑風和」となっているようで、この「于時」は日本では「時に」と読まれているようだ。

この「于」は「於」と同じ文字で、「于」は「於」の、中国における現在の簡体字。 中国では今では「于」という文字しか使わないが、昔は「於」を用い、時に簡略的に「于」を用いることもあった。 張衡の『帰田賦』では、「仲春令月、時和気清」の前に同様に「於是」という 2 文字がある。 中国人なら誰でもわかるが、「于時」も「於是」も発音は [yu shi] だ。 同じ発音なのである。 [yu] は同じ文字でもある。

万葉集を詠んでいた頃の歌人は中国語の発音や漢文を非常によく理解していたことだろう。 だから『帰田賦』の「於是 (yu shi)」を万葉集では同じ発音の「于時 (yu shi)」に置き換えたのかもしれない。 中国のネットユーザーの多くは、1980 年後に生まれた「80 后(バーリンホウ)」たちで、彼らは日本のアニメと漫画で育った世代である。 日本語を読める者が多い。

多くのネットユーザーが、菅官房長官の発表や安倍首相の説明において、この「于時」を省いたことを指摘している。 万葉集に関してあまり知らない筆者は、後追いで当該部分の原文を画像などで検索してみたところ、たしかに「初春令月、気淑風和」の前に「于時(時に)」があるのを発見した。

すなわち、

万葉集 : 于時 (yu shi)、初春令月、気淑風和。
帰田賦 : 於是 (yu shi)、仲春令月、時和気清。

と、10 文字がきれいな対を成しており、明らかに「本歌取り」であったことは否めないだろう(中国のネットでは「盗作」とか「剽窃」という言葉が目立つ)。 残りの文字も、内容的にはほぼ類似の趣旨である。詳細は省く。

「脱中国と言いながら」という批判

日本では一言も、「脱中国」などと言ってはいないが、中国では中国共産党の機関紙「人民日報」の姉妹版「環球時報」がこの度の新元号「令和」に関して「去中国化(脱中国)」という言葉を使ったのである。

というのも、安倍首相などの説明では「初めて日本の国書(日本古典)を典拠とした」ことが強調されたため、中国では、これまで漢籍(中国古典)から採用されてきたのに「なぜ初めて日本の国書なのか?」という議論が湧きあがっていた。 結果、「日本のオリジナルな古典などというものが存在するのか」という視点が中国のネットユーザーを刺激し、張衡に依拠しているという議論が炎上したものと考えられる。

コメントの中には「日本には、平成時代に初めて中国に追い越されたという焦りがあり、漢籍などを典拠にしてなるものかというナショナリズムが、日本の国書に典拠を求める動きへと向かわせていったのだろう」という類の分析が数多く見られた。 「環球時報」の「多かれ少なかれ、中国の影響から逃れることは出来ない」という趣旨の論評も、ネットユーザーを刺激している。

菅官房長官にしても安倍首相にしても、「日本の国書」に典拠したと言っただけで、中国古典を排除したとは言ってないのだから、こういった中国側の批判的コメントは迷惑ではある。 中国政府あるいは中国共産党側が「脱中国化」と自ら言っておきながら「脱中国化なんてできるものか!」と日本を誹謗するのは、少々滑稽な構図と映る。

それでも、中国のネットユーザーが指摘する、「なぜ『于時』をカットして発表したのか?」というコメントには、日本国民の一人としても「知りたい」という気持ちがあるのを否定することはできない。 まさか、新元号に関する有識者懇談会のメンバーが、張衡の『帰田賦』には「於是」があり、万葉集の当該部分には同じ発音の「于時」があるのをご存じなかったわけではあるまい。 ご存じの見識者たちであると信じている。

となれば、「于時」まで入れて典拠を公表すれば、あまりに『帰田賦』との類似性が明瞭になってくるから、わざと省略したのだろうという、中国のネットユーザーたちの批判的指摘が、多少の正当性を持ってしまう。 中国人が何と言おうと気にすべきではないのは言うまでもないが、不愉快ではないか。 神聖な新年号であるだけに、そういう疑念は残したくないので、元号選定に関わった関係者が明らかにして下さるとありがたい。

特に 4 月 3 日に共同通信が、<「令和」最終段階で追加 政府要請で中西氏提出か>という見出しで、以下のような記事を報道している。

"政府が新元号に決定した「令和」は、選定作業が最終段階を迎えた 3 月中旬以降、候補名に追加されたことが分かった。 (中略)政府は有識者懇談会で国書(日本古典)の採用を事実上促し、令和に決定した。 複数の関係者が 3 日、明らかにした。 (中略)政府関係者によると、令和は 3 月上旬の段階では候補名になかった。(ここまで引用)"

このような報道を見ると、なおさらのこと、ここに書いた疑念を晴らしてほしいという気持ちが強くなる。 筆者は個人的には「令和」は良い年号だと思っているし、この音の響きが好きだ。 しかし、4 月 3 日の共同通信のこの報道が事実なら、それは多くの日本国民が抱いているであろう「清々しく、澄んでいた純粋な気持ち」に水を差すのではないだろうか。

年号を失った民の喪失感か

もっとも、中国のネットユーザーのコメントを、かなり時間をかけて考察したのだが、どうやら、清王朝以来「年号」を失ってしまった民の喪失感が、逆に、まだ元号を持っている日本への羨望として暗く渦巻いているのを感じないでもない。 「昭和」に対して同じ発音 [zhao he] の「招核(核兵器を招く)」と揶揄したり、「令和」に対しては同じ発音 [ling he] である「領核(核兵器を領有する)」という文字を当てはめるなど、そこまでひねくれるのかと思われるほど、日本を誹謗したがっている。

ただし、数少ないが「韓国よりはいいんじゃないか」というコメントがあり、笑いを誘った。 「だってさ、韓国だったら、中国の歴史さえ、それは韓国のものだって言うんだから、まあ、日本はそのレベルに行っているわけではないから、いいんじゃないのか」ということらしい。 たしかに「年号」という概念自身、中国から始まったものであり、漢字も中国から来たものである。 日本はそのようなことを否定したりはしていない。

ただ、拙著『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす(2008 年)』に書いたように、日本が長年にわたって育んできた日本独自の文化に、中国の若者は夢中になり、酔いしれてきた。 「80 后」の中で、日本のアニメと漫画を見ずに育った者はまずいないと言っていいほど、1980 年代初期には「日本の文化」が中国を席巻したのである。

暗くて長い鎖国状況と殺気に満ちた文化大革命を終えて、遂に改革開放が始まったとき、日本の映画や歌、テレビドラマやアニメ・漫画は、怒涛のように中国大陸に上陸し、子供から大人までを魅了した。 その事実を否定できる中国人は一人もいないだろう。 文化というのは、もともとの起源や発祥地がどこであったかも地政学的あるいは人類学的には重要だろうが、いかなる体制の中で、どれだけの自由度を以て精神を育んでいくことができるのかによって、その価値や豊かさが決まってくるものだ。

たしかに悠久の歴史を持つ、かつての「古き良き時代」の中国には、注目に値する精神的豊かさがあったかもしれないが、中華人民共和国が誕生した 1949 年以来、中国共産党による一党支配体制で言論を弾圧され統一されてきた中国では、精神的自由度の高い「文化」が育まれてきたとは決して言えない。 「令和」に対する中国のネットユーザーによる膨大なコメントの中に、その「哀しさ」が滲み出ているようにも感ぜられた。 (遠藤誉、NewsWeek = 4-4-19)

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