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中国当局がひた隠すスラム街の存在

<新興国の大都市には付き物のスラムが、北京には見当たらない。 見つけたのは日本の山谷のような労働者街だったが、山谷とは大きな違いがある。 行政に存在を無視されているのだ。>

1 人あたり GDP が 5,000 ドルから 1 万ドルぐらいの水準にある国では大都市の周囲にほとんど必ずといっていいほどスラム街が存在する。 10 月に訪れたブラジルのリオデジャネイロやサンパウロ、ペルーのリマにもスラム街があった。 リオでは、カルロス・ゴーンさんの別荘があるというコパカバーナ海岸から裏山の方角に目をやれば、そこにファヴェーラと呼ばれるスラム街がみえる。 リオのそこかしこにある小高い丘はおおかたレンガ積みの小屋に覆われたスラム街である。 ペルーのリマでも大統領府やリマ大聖堂がある美しい広場から大通りに出れば、道のかなたの丘に貧民区が見える。

コパカバーナ海岸のマンションに住む富裕層といえども、視界のなかにファヴェーラが必ず目に入るから貧困から目を背けることができない。 それだけではない。 リオのファヴェーラでは麻薬ギャングどうしの抗争が絶えず、毎日のように発砲や殺人が起きるので、時には流れ弾も飛んでくる。 リオでは発砲があった場所をスマホ上に知らせるアプリまであるほどだ。 アハスタォン(本来の意味は地引網)といって、ファヴェーラから出撃した盗賊団が海岸などで一斉に強盗することもあるらしい。

中国に「スラムはない」?

中国の一人当たり GDP は 8,827 ドル(2017 年)と、まさにスラムがありそうな水準にある。 だが、北京を歩いてもスラム街は目に入ってこない。 北京市民に貧民街はどこですか、と尋ねても、たぶん「そんなものはない」とか「知らない」という答えが返ってくるだろう。 ある程度事情が分かっている人でも「去年まではあったが市政府が取り締まった結果、消滅した。」というだろう。

去年まであったスラム街というのは、2017 年 11 月にアパート火災で 19 人が亡くなる事件が起きた西紅門鎮新建村のことを指す。 北京市政府は火災の後、このスラム街に住んでいた 4 万人ともいわれる出稼ぎ労働者たちに直ちに立ち退くよう命令し、スラム街は火災の 2 週間後に廃墟になった。 12 月末に私がその場所を訪れたときにはもう半分取り壊されてがれきの山になっていた。

だが、北京の生活を少しでも体験すれば、この町の経済が出稼ぎ労働者たちによって支えられていることがわかるだろう。 外食産業の従業員、ビルの警備員など街で働く人の多くが出稼ぎ労働者である。 北京市内には自動車や電気製品の工場も多数あり、大勢の労働者が働いているが、その多くも出稼ぎ労働者である。 北京では 80 平米のアパートの価格が平均的な年収の 50 年分以上となっている。 出稼ぎ労働者が普通のアパートに住めるはずはない。 ではどこに住んでいるのだろうか。

今年の 8 月、私は偶然にスラム街を一つ見つけた。 それは去年つぶされた新建村と同じく北京市の中心から 20 キロぐらい離れたところにある。 具体的にどこにあるのかは、新建村のこともあるので伏せておきたい。 出稼ぎ労働者たちが集住している地域は東西が 1.3 キロ、南北が 1.3 キロぐらいあるが、やや複雑な形をしているので、面積は 1.34 平方キロメートルである。 そこは北京市郊外の農村地帯で、もともとは 6 つの村と 3 つの住宅団地が混在する場所であった。 その間を埋めるように出稼ぎ労働者が住む 2 階建てぐらいの簡易宿泊所がぎっしりと建ち並んでいる。

つぶされた新建村は面積が 1.1 平方キロメートルだった。 そこに 4 万人が住んでいたという情報が正しければ、私が発見したスラム街の人口は 5 万人近くに及ぶであろう。 その至るところに「貸間あります」という張り紙や看板を目にする。 家賃は月 1 万円ぐらいで、インターネット設備を備えたアパートもあるようだ。 この街には中国各地の風味の食堂、商店、医院、理髪店、携帯ショップなど、基本的な商業やサービス業が備わっている。 人々が集まってくると必ず誰かが食堂や商店を経営して儲けようとするたくましさは、中国のスラム街が胸を張っていいところかもしれない。

私がそのスラム街に滞在したのはほんの 2 時間ほどなので本当のところは不明だが、治安が悪いようには思えなかった。

山谷との大きな違いは

街では求人広告もかなり目にした。 短期の警備員の仕事は食事と宿舎が会社持ちで日給 170 元(2,800 円)。 但し犯罪歴がないことが条件だという。 近くの工場団地での工場の仕事はいろいろあって、だいたい 1 日 8 時間労働、週休 2 日で月 4,500 元(7 万 3,000 円)ぐらいが相場のようだった。 こうしてみると、ここはスラム街というよりも低賃金の出稼ぎ労働者が集まる簡易宿泊所街で、東京の山谷や大阪の釜ヶ崎の同類のようにも見えてくる。 だが、ここには都市の公共サービスが決定的に欠けており、その点は山谷や釜ヶ崎と大きく異なる。

下水道が不十分にしか整備されていないことは、街のところどころに「ここに尿を捨てたら罰金」とか「ここに大便を捨てる者には死あれ」という張り紙があることから想像できた。(気分が悪くなるのが怖かったので、この問題については想像しただけで、調査はしておりません。 次回行く機会があれば、鼻をつまんでもっとそのあたりをきちんと見てきます。)

つぶされた新建村も工業団地に隣接していて、工場で働く労働者たちが住んでいた。 スラム街であっても、そこが犯罪や麻薬の巣窟にならないのは、そこの住民が工場労働や商業・サービス業などまともな職業についているからである。 であるならば北京市政府もそこの住民たちを北京市民として遇し、下水道、ゴミ収集、交通、学校といった公共サービスを提供するべきであろう。 スラム街の住人たちは北京市の工業生産に貢献することを通じて、市の財政にも貢献している。 だが、北京市は出稼ぎ労働者たちの労働力を利用しながら彼らに対する公共サービスを何も提供してしない。

さらに気になるのは、こうした出稼ぎ労働者の境遇に対して政府ばかりでなく、社会も無関心であることである。 リオにファヴェーラがあることは誰でも知っているが、北京にスラム街があることを知る人は少ない。 私が今回見つけたスラム街に関してネットで情報を集めようとしたが、さっぱり情報がない。 スラム街はある鎮のなかにあって、その鎮についてはもちろん情報があるが、それによると「人口 4 万 3,216 人、うち農業人口が 2 万 9,536 人、非農業人口が 1 万 3,680 人」と書かれている(「百度百科」より)。

これは明らかにこの鎮に戸籍を置く人だけをカウントしており、5 万人とも推計される出稼ぎ労働者の存在は一切無視されているのである。 このスラム街に関する学者の研究も見当たらない。 1990 年代には、北京市郊外にあった「浙江村」に関してかなり詳細な報道や研究が行われたが、今日のスラム街に対しては学者たちの関心も薄れてしまったようである。

北京の手前に「関所」

北京市は出稼ぎ労働者たちの労働力だけをむしり取って、彼らを人間として受け入れようとしていない。 こうした「首都の身勝手」ともいうべき事例をもう一つ見つけたので、ここでついでに報告しておきたい。 北京市とその外(天津市と河北省)との境界にいつの間にか「関所」が設けられているのである。

日本では、高速道路で例えば東京都から埼玉県に入るとき、私の車のカーナビは「埼玉県に入りました」と伝えてくれるが、それ以外には特段境界を越えたことを意識することはない。 中国だって普通はそうである。 ところが、天津市と河北省から北京市に入るところでは、境界をまたぐ高速道路の車線が閉鎖されていて、車はわざわざサービスエリアみたいなところを迂回させられ、そこで一台ごとにチェックを受ける。 チェックといっても、代表者の身分証を見せるぐらいのことで済むのであるが、北京市以外のナンバーの車はもっと細かい検査もあるようだった。 いずれにせよ、この「関所」があるために渋滞が発生し、少なくとも 20 分ぐらい到着が遅れる。

もう一つ、いささか呆れたのは、河北省から長距離バスで北京市に行った時の経験だ。 乗車前に警察官が乗客の身分証をチェックしたが、それはバスジャックみたいな事件もあるのでしょうがないかなと思う。 驚いたのはバスが北京市のバスターミナルに到着して下車し、ターミナルの外へ出るときに荷物チェックがあったことだ。 まるで「入り鉄砲に出女」を取り締まった江戸のようである。

北京市が自分たちに都合のいい人間と都合のいいモノ以外入ってくるのを拒むというのは一国の首都としてどうなのかと思う。 中国は、国としては対外開放をいっそう推し進めるのだと言っており、私もその言葉を信じたいと思う。 だが、その足元の北京市が国内に対してむしろ閉鎖の度合を高めていることについて、中国の心ある人たちがもっと意識を高めてほしいものである。 (丸川知雄、NewsWeek = 12-10-18)


もう中国に学ぶ時代? 現地で見た中国イノベーション

「中国のイノベーションからビジネスモデルを学び、日本に持ち帰って活用しようとしている人がいる。」 今年初め、記者仲間からそんな話を聞いていた。 1978 年の改革開放から今年で 40 年、中国の国内総生産は今や日本の 2 倍以上だ。 続々とインターネットサービスを中心としたユニコーンが生まれている。 「そうか、もう中国から学ぶ時代なのか。」 そう再認識しながら、すでに帰国していたというその人に会いに行った。

六本木ヒルズの 43 階。 ネット企業の「メルペイ」で中国インターネット研究所の所長を務めるのが家田昇悟(いえだ・しょうご)だ。 メルペイはスマートフォン上でフリーマーケットのアプリを運営する「メルカリ」のグループ会社。 メルカリでは売上金は現金化しない限り、システム上にどんどんたまっていく。 それを決済サービスを軸にした金融ビジネスにつなげるという新規事業を託された会社だ。

家田の仕事は少し特殊だ。 対話ソフトの「スラック」を使い、中国で起こっているイノベーション事情を、親会社のメルカリを含めたグループ全体に発信している。 現在 27 歳の家田は、17 年 10 月から 18 年 3 月までの半年間、イーコマース関連のイノベーション企業が多い上海市と、人工知能 (AI) 関係の企業が多い北京市に滞在。 イノベーション動向をウォッチし、ベンチャー経営者と面談を重ねた。 メルカリから受けたミッションは「中国初のサービスが色々出てきているので、定期的に報告して欲しい。 インサイトにするというか、新規事業のネタになるようなものを欲しいような感じだった。」と明かす。

中国での半年の生活で得られた最大の知見は「フィンテックだった」と言う。 「中国で一番盛り上がって、産業として大きくなったから。」 帰国して配属されたメルペイでのビジネスに、中国のフィンテックをどう生かせるのか。 「楽しみにしてください」と家田。 メルペイは「信用を創造して、なめらかな社会を創る」とうたう。 中国発のフィンテックの一つに、キャッシュレス決済で蓄積された個人の信用スコアに応じ、サービスを受ける場合の保証金が免除されたり、優待を受けられたりする仕組みがある。 日本でも、そんなシステムが生まれる可能性があるのかもしれない。 家田はそんな将来性を秘めたメルペイの創業に参画した。

家田は岐阜県で生まれ、奈良県で育った。 両親とも日本人の家田が中国に興味を持ち始めたきっかけは「三国志」。 好きな武将は曹操だ。 「一番強いのが強いというあの世界観が好きだった」と話す。 小説を読み、漫画を読み、三国志が舞台のゲーム「三国無双」も愛好した。 11 年春に同志社大学のグローバルコミュニケーション学部に入学。 中国語学科を選んだ。 そして 12 年夏から、交換留学で 1 年間、上海市にある復旦大学に留学することになった。

当時、尖閣諸島の問題があり、日中関係は悪かった。 だが、「中国の時代が来るのかなという感じで」留学を決断。 「当時の報道でも中国経済崩壊論はあったが、自分は単純に考えて伸びるだろうと思った。」 GDP はすでに日本を抜いていた。 都市部には高層ビルが林立。 発展のスピードが早く、人が多かった。 「みんなルールを守らずにカオスな感じは衝撃であり、雑多な感じが自分に合っている気がした」と言う。

留学を終えて日本に戻ると、就職活動が待ち受けていた。 だが、すぐに中国で働いてみたいと考え、1 年間休学。 上海で日本酒の販売代理店でインターンを始めた。 元々卸会社だったが、消費者向けの販売を始めようとして、家田がネット販売を担当。 そのとき興味を持ったのが、中国のインターネットやベンチャーキャピタル、ネット業界、スタートアップだった。

日本語になっていない中国語のベンチャー事情をブログで発信し始めた。 15 年 3 月に日本に帰国後、8 月にツイッターで知り合ったベンチャーキャピタルのパートナーから「メルカリに似たようなサービスを中国で調べて欲しい」と声をかけられ、メルカリで調査を始め、最終的に入社を誘われた。 現在の仕事は、当時手がけていた調査の延長上にある。 中国のイノベーションやベンチャーブームは 17 年の春ごろから、日本でも広く注目されるようになった。 だが、それにさかのぼること 3 年ほど前から、市場をウォッチしてきた家田が思うのは、中国のイノベーションを語る日本国内の論調への「違和感」だという。

「色々見方があると思うが、日本が中国に遅れているという論調は、かなり違和感がある。 中国でイノベーションといわれているものは、日本で実現しているのがほとんどだ。」 家田が「例えば」と語り出したのが、中国で流行する決済事業者による小売業への進出だ。 スマートフォン決済の業者が、小売店と連携して販売増に取り組む「新小売り」。 中国メディアは 1 年ほど前から盛んに取り上げてきた。 ただ、家田から見ればこうだ。 「丸井はずっと戦後、小売りと金融が一体化したビジネスをやってきた。 それは世界最先端だったと思う。」

もう一点が、キャッシュレス決済に対する見方だ。 「Suica が 2000 年のアタマからやっている。 あんなに早い読み取りは世界でもまれだ。」と言う。 中国のキャッシュレス社会化に一役買い、現在日本でも普及が進み始めた QR コードも「もともと技術は日本発祥だ。」 その上で家田は言う。 「もちろん中国による技術発から生まれたイノベーションはあるが、『中国のイノベーションはすごい』とひとくくりに言うと、色々なところを見落として、本質的ではない議論になってしまう。」

そうした前提で、家田は中国のイノベーションをどう評価しているのか。 「マーケティングはすごい。 あと人の多さを生かした人工知能 (AI) の世界はデータを集めたもの勝ち。 個人情報の集めやすさやデータの数で世界的に見ても中国が勝つのは自明で、産業的に有利だ。」 マーケティング力を評価する家田は、中国でイノベーションが盛んになった理由を「課題の多さ」に見いだしている。

「コンビニも日本に比べて少ないし、移動が不便だからシェア自転車が使われる。 単純に人が多いし、国土が広い。 お店もサービス精神が全くない。 棚に物がないこともある。 そう思うと、店員は働いていない。 ただ、働いていないからこそ、そこにイノベーションの余地、改善の余地がある。 優秀じゃない人がいっぱいいるからこそ、改善に取り組む優秀な人が生まれるのではないか。 解決すべき課題は日本よりはるかに多く、起業するためのネタは無限にある。」

中国のイノベーションやベンチャーブームは、2014 年秋、李克強首相が夏季ダボス会議で提唱した「大衆創業、万衆創新」政策など、国策がリードしてきたと考えられている。 ただ、家田の見方は政策のほかにも様々な要素が複雑にからみあった結果、偶然起きたという見方だ。

「タイミングがよかったと思う。 クラウドが広まり、ベンチャーキャピタルからお金が集められるようになり、簡単に起業ができるようになった。 ちょうど中間層が伸びて来る時期にもあたっていて、2010 年代に入ってから政府が投資主導ではなく、消費主導の経済に変えようとしていた。 すべてがマッチングした。 インターネットの発達以外の色んな要素がからんで、奇跡的にこの起業家、色んなユニコーンが生まれている。」

ただ、やはり中核にあるのはネットの発達、とりわけスマートフォン化が「一番大きなビッグウェーブだった」と言う。 「(配車大手の)滴滴出行や(出前大手がモバイルでクーポンをばらまいたりして、サービスを大きくする。 それで、モバイル自体も便利になっていく。スマホ化に乗っかって、お金も起業家もゴーッと来ている」という感触だ。 中国のイノベーションやベンチャーをテーマにした日本からの視察は、日中関係の改善が拍車をかける形で相次いでいる。 それでも、単に「中国」というだけで毛嫌いし、取引そのものに消極的な経営者も依然多い。

そこで家田は「冷静な視点」を持つことを呼びかける。 「もうちょっと冷静に中国ってものを見て、そこにビジネスチャンスがあるなら、別に食わず嫌いをせずにビジネスを始めればいい。 その結果、難しかったならば、それは中国のせいにするのではなくて、ただ単にビジネスとして難しかったということを、淡々と語ればいいのではないか。」

後に最高実力者になるケ小平が、経営の神様・松下幸之助に「近代化をお手伝いいただきたい」と依頼してから 40 年。 中国が進めた改革開放路線で、日本が果たした役割は大きかった。 そして今、中国で勃興したイノベーションは世界中の注目を集めている。 教える時代から、競争する時代、そして学ぶこともある時代へ。 その変化を、身をもって実践した家田はどう考えているのか。

「もっとも昔に話を戻せば、日本は遣唐使を派遣した。 近代化した後は中国が日本を学ぶ流れがあったが、それって何か行ったり来たり揺れ戻しがある。 お互い、色々学ぶところはあると思う。」と、悠久の歴史に立脚して見ている。 そして、発想の転換がカギだという。 「『学ぼう』という視線で中国に行ったらいろいろ変わるのではないか。 QR コードについて、『日本の方がすごい』と言って終わるのか、それを組み合わせてキャッシュレス決済に使った中国から『学べる』と思うのか。 多分、それをどうとらえるかだけなのかな、という気もする。」 (福田直之、asahi/globe = 11-12-18)


中国潜入取材 僕たちの受けてきた "意識低い系" 尋問・拘束を語ろう

とりあえずスパイ扱いされるってどんな国だよ

中国の IT の進歩や経済力は魅力的だ。 だが、一方で中国共産党の専制体制のもとで、社会の言論の自由は制限され、海外メディアによる自由な取材活動も限界がある。 これは、同国で大きなタブーである政治分野だけではなく、一般的な話題についての取材も同様だ。 記者証を持たないフリーランスにとっては、なおさら大変である。

そんな中国を舞台に、深センのネトゲ廃人村などディープな取材を手がけてきた「文春オンライン」でもおなじみの安田峰俊さん。 5 月 18 日発売の新刊『八九六四』は、"中国最大のタブー" 六四天安門事件に挑んだ大型ルポだ。

一方、週刊誌の仕事などで数多くの現場密着取材や潜入取材を手がけてきたのが、フリーライターの西谷格さん。 3 月に西谷さんが刊行した『ルポ 中国「潜入バイト」日記(小学館新書)』は、上海の寿司屋、抗日ドラマの撮影スタジオ、パクリキャラクターの着ぐるみが踊りまくる遊園地などなど、中国の数々の「怪しい職場」に潜入して働いてみた日々をつづった怪著であった。

奇しくも安田さんと西谷さんは 1981 年生まれと同じ年齢で同学年で、かつ同業種。 互いにディープな取材を繰り返してきた者同士で、中国の潜入事情をぞんぶんに語ってもらった。

ただの観光でもプチ拘束される新疆

安田 最初からいきなりヘビーな話でいこうと思います。 中国でよくあるのが、特に政治的な問題を調べていないにもかかわらず、公安に尋問されたり連れていかれたり、という事態です。

西谷 あー。 特に田舎だとありがちですよね。 僕も何度かあります。

安田 私も何度かありました。 ただ、2015 年の夏からはもうないですね。 習近平体制がいよいよ固まって「本気でシャレにならない」という肌感覚を覚えたので、ちょっとでも危なそうなことはやらなくなりまして。 逆に捕まらなくなりました。

西谷 実は僕もそうです。 2015 年までは上海に住んでいたこともあって、日本の雑誌の依頼できわどい取材をすることがあり、何回か尋問されたんですが、最近はない。 『潜入バイト日記』でも、そういうトラブルはありませんでした。 ちなみに安田さんの過去の尋問で記憶に残っているのは?

安田 例えば 2014 年に新疆ウイグル自治区のポスカム県で、午後の 6 時間くらいの間に 4 回もやられたことです。 ちなみにこのとき、新疆に行ったのは中国の国内問題とは全然関係ない理由です(『境界の民(KADOKAWA)』参照)。 ポスカム県については、本当に普通に旅行で行ってみただけだったんですが。

西谷 あれって本来、日本国内のウイグル人のある事件を追ってウルムチに行っただけですよね。 あとは普通に旅行していたと。

安田 ええ。お昼にバスで県の中心部に着いて、適当に近所のホテルに入ったら、受付のお姉さんに問答無用で公安局に連れて行かれて、パスポートをコピーされて 30 分くらい尋問。 そのあと、公安が提携しているホテルに強引に泊まらせられて、部屋にいたらフロントの女性に「お客さんです」とロビーに呼び出されて、アサルトライフルを装備したウイグル人の公安 3 人に囲まれながら、漢族の女性の公安からもう一度尋問されます。

西谷 新疆ってウイグル人が弾圧されているイメージがありますが、ウイグル人の公安も多いんですね。

安田 そうなんですよ。 公安や武装警察として雇っちゃえば反乱を起こさないという理屈なのか、ウイグル人の若い男性は治安要員になっている人も多いんです。

西谷 なるほど。それで?

安田 その後、県政府のウェブサイトを見て郊外に古いモスクがあることを知って、観光に行こうとタクシーに乗ったら途中で別の公安局に連れて行かれて、顔に傷跡があるいかつい漢人のおっさん公安とシュッとしたウイグル人公安が強引にタクシーに乗り込んできて、3 人でモスク巡り。 帰路、別の検問でも止められて第三の公安局に連れて行かれて、ずっと尋問 …、みたいな感じでした。

中国の公安に尖閣諸島はどこの領土だと聞かれて

西谷 中国の公安って、同じことを何度もねちっこく尋ねますよね。 あと、無意味だけれどムカつくことを聞いてくるとか。

安田 でしたね。 ちなみに釣魚島(尖閣諸島)はどこの領土だと聞かれたときは、「俺が尖閣に土地持ってるなら怒るけど、そうじゃないし」と返事したら、向こうが反応に困ってました。 「貴様は問題だと思わないのか!」、「自分の土地じゃないからマジどうでもいいです!」みたいなやりとりをした記憶があります。

ホワイトハウスのパクリ建築取材で警察を呼ばれる

西谷 向こうもそういう質問のときは、適当に絡んできているだけですもんねえ。 そういえば、2013 年春に中国の「パクリ建築」の取材をしていたときにも、訳のわからない理由で拘束されました。 ホワイトハウスをパクった地方政府の建物の近くで、通行人の男性に「なんであんな形なの?」、「これはひょっとしてアメリカ崇拝ですかね?」と質問してみたところ、突如激昂して腕をつかまれ、警察を呼ばれてしまったんです。

安田 え、そんな理由で?

西谷 そうなんです。 彼が言うには「この日本人は我々の政府を侮辱している」と。 警察署に連行されて事情を聞かれ、警察官からは「お前の考えは幼稚だ。 自分でもわかるだろう。」とみっちり説教されました。 釈然としませんでしたが、3 時間後にようやく解放されて、ホッとしたのを覚えています。

安田 いやそれ、冷静に考えたら「どっちが幼稚だよ!?」って思いません?

西谷 ホントですよ! (笑)

キツネ肉を調べたら軟禁された!

西谷 あと 2013 年ごろに、山東省でキツネ肉の取材をしたときがヤバかったです。 ヒツジ肉だと言って、キツネの肉をしゃぶしゃぶか何かで出していた事件があったんですよ。 いざ食べてみるとあまり違いがわからないらしくて。

安田 羊頭狗肉ならぬ羊頭狐肉。 でも、ヒツジよりもキツネのほうが供給が大変っぽくないですか。

西谷 毛皮を取ったあとの肉を横流ししたとかいう話でした。 で、日本のニュースでも話題になったので、ある週刊誌から「調べてきて」と言われまして。 そこで噂があった山東省の精肉所に行って「キツネ肉ありますか?」って聞いたら、「ちょっと待ってろ」と言われたんです。

安田 ストレートに質問ぶつけますね …。 それで?

西谷 椅子があったので座って待っていた。 そうしたら、実は精肉所の人がこっそり通報していて、15 分くらいしたら警察がやってきました。 で、来た警官に「アンタ何やってるの?」と聞かれたので「旅行です。」、「こんな田舎に見るものは何もないよ」、「何もないところが逆に落ち着くんです」みたいなやり取りをして。

チャラ男にラブホに連れ込まれる女子大生のような状況に

安田 マニュアルがあるのかと思うほど、ありがちなやりとりですね。

西谷 はい。 それで、「ひょっとして取材なの? 記者なの?」、「いや違います」、「もし記者だったら、役所に来たら他の記者もいていろいろ説明もしている。 来ないか?」と。 そこで、何か教えてくれるのかなーと思って「じゃあ、お願いします」と公安の車に乗ったところ、「記者証は?」、「ないです」、「記者証ないならダメだよ」みたいな話になり、彼らが提携しているホテルにぶちこまれました。 ホテルで言われるわけです。 「ちょっと休んでいきなさい。」

安田 車に乗せられたのは完全にワナだったんですね。 サークルの新歓でチャラ男に騙されて、気がつけばラブホに連れ込まれる大学 1 年生女子みたいな状況になってる。

西谷 そうですよ。 で、部屋にはずっと屈強な男 2 人がいて、やがて「メシの時間だよ」、「食べなさい飲みなさい」と言われて、異常な量の酒を飲まされて。 ぐでんぐでんになって、眠りかかったところでいきなり尋問がはじまりました。 いまから考えると、そういうマニュアルがあったんでしょうね。 泥酔状態で尋問するみたいな。

安田 ちょっと笑えなくなってきました。

西谷 で、スマホとパソコンの中身や、着信履歴、メールなんかを全部見られて。 日本の出版社となにかつながりがあるのはバレたみたいです。 「この、頻繁に連絡を取っているやつは誰だ?」みたいな質問もされましたから。 尋問は未明に終わったんですが、その後もずっとホテルの部屋に軟禁。 いつ終わるのかわからなくて、緊張状態ですごく疲れましたね。 翌日の夕方くらいに、とりあえず山東省から出ていけばそれでいい、みたいな話になって、上海へ戻りました。

安田 パソコンの中身を調べるのに 1 日かかったということなんでしょうかね。 ともかく、無事で済んでよかった。

「ソーリーソーリー」と中国語ができないフリ

西谷 そういえば 2010 年に反日デモが起きたときも、四川省綿陽でデモ現場の写真を撮っていたら公安にパトカーで公安局まで連れて行かれました。 とりあえず「ソーリーソーリー」とか言って、中国語がまったくできないフリをしたら 1 時間くらい放置され、それから日本語ができる女性が通訳にやってきた。

安田 2010 年だと、尖閣沖で漁船衝突事件が起きたアレですね。 YouTube で海保巡視船の動画が流出した事件もありました。 結果的に反日デモも起きたやつ。

西谷 そうです。 で、どこから何のためにここに来たのか、デモのことはどうやって知ったのかなどと詳細に聞かれましたが、「旅行者です」、「興味があってちょっと来てみた」と言い続けました。 結局、すぐに飛行機のチケットを取って上海に戻れと言われました。 後年のキツネ肉のときも「近くの駅まで送るから、そこから高速鉄道に乗ってすぐに上海に帰れ」と言われましたし、中国では「省の外に出る」というのが軽微な犯罪者に対する処遇らしいですね。

安田 縦割り行政というか、官僚国家・中国らしい話ですよね。「とりあえず俺たちの持ち場から出ていってくれれば、俺たちは責任負わなくて済むからそれでいいや」みたいな。

西谷 そうですね。 印象に残っているのは、取り調べが終わったあとに「私は終始、紳士的な扱いを受け、警察官からの対応にとても満足しています」みたいなことが書かれた書類にサインを求められたこと。 これも、ある意味で責任逃れみたいな目的もあるのかもしれません。

とりあえずスパイ扱いされるってどんな国だよ

安田 中国で取材って、やりやすいのかやりにくいのかわからないですよね。 政治面では尋問や拘束みたいな面倒臭さがあるいっぽうで、現地の人たちのカルチャーとしては、直前に微信(中国のチャットソフト)で取材のアポを送っても「オッケー」みたいなノリで済んだりするし。 あくまでも、ビジネスや文化関連の取材の話ですが、この速度感は正直言って楽です。

西谷 ですね。 拘束とか尋問みたいな話ばかりしていると怖いんですが、一般人は割とみんなノホホンとしていますよね。 あと、「記者」、「取材」だと言うとなにも喋らないのに、雑談に応じる人はやたら多い。

安田 そういや、中国って「スパイ」という概念がめっちゃ身近ですよね。 足裏マッサージのお姉さんや田舎のタクシーの運転手さんに「日本人だ」と言うと「日本人なのに中国語が話せるなんてスパイか?」、「記者だ」と話してもやはり「スパイなのか?」とか聞かれる。

西谷 どんな国だよって感じですよね(笑)。 日本で日本語が上手な外国人とか、海外メディアの記者に会って、二言目に「スパイか?」って聞く人いないですもん。

安田 でも、彼らがそう言う理由は、別に「中国では庶民レベルにおいても防諜意識が高いから」とかじゃないですしね。 あまり身近じゃない属性の相手に会ったので、そこから連想した質問をひとまず口にしてみる的な感じ。 「俺の地元は青森なんだ」、「えっ、じゃあリンゴがおいしいの?」みたいな会話に近いノリで「えっ、じゃあスパイなの?」って聞いてくる。

西谷 あるあるですね。 ある意味でめっちゃカジュアルというか、ユルいというか。 いっぽうで、「記者」だと名乗っても無事なケースもあります。 以前、「北京大学女子大生の処女率チェック」みたいな取材をした際は、「大学生のライフスタイル調査をしておりまして」とか声を掛けて話を聞きましたが、通報されませんでした。

安田 むしろ、こちらのほうが本来の意味で通報してしかるべき案件じゃないですかね。(笑)

こんな取材者にマジになっちゃってどうするの

安田 でも、正直言って中国で取材妨害をされたりスパイ扱いをされるのって違和感がありますよね。 私も西谷さんも、イデオロギーとかないじゃないですか。 「中国はもっと民主的で自由になるべきだ」、「中国政府の問題点は広く伝えられるべきだ」みたいな考えすら、多少は感じてもそこまで確固として思っているわけではない。

西谷 ですよね。 中国政府としては、「取材活動」をすべて自分たちの管理下に置きたいってことなんでしょうけど …。 普段取材するときには、そんな堅苦しいことまで考えてないですね。

安田 「ジャーナリズムの責務」とか「ノンフィクションの未来」みたいなものを絶対的な正義みたいに考えることも一種のイデオロギーに近いと思うんですが、そういうのもあんまり持ってない。

西谷 そうですね。 そういうのはちょっと頭でっかちすぎる気がしますね。

安田 なにかを追いかけているときに考えるのって、せいぜい「面白いから」ぐらいですよね。 あとは「空振りしたら次の仕事が来ないからなんとかしなきゃ」くらい。

西谷 ネタ取って帰らないと取材費が自腹になっちゃうからヤバい(笑)、とかですね。

安田 ゆえに、中国のしかるべき機関に対して感じるのは、「俺たちは実際のところ、こんなに適当なスタンスでウロウロしているだけなのに、なぜ彼らはあんなに必死に対処して、隠そうとするのか」なんです。 中国を責めるとすれば、私はこの点を最も責めたい。

それでも「面白い」中国を追え!

西谷 でも、安田さんの今度の本は際どいじゃないですか。 テーマが天安門事件で、タイトルが『八九六四』でしょ? 日本国内の中華料理店ですら、タイトルを小声で言わなきゃいけない本とか、ヤバいですよ(注 : この対談は神保町の中華料理店でおこなった。 1989 年 6 月 4 日に起きた天安門事件は、今も中国国内では「口にしてはならない言葉」であり、毎年 6 月 4 日前後の中国では治安警備が強化され、スマホ決済の送金すら「六四」、「八九六四」元の金額指定が不可能になるほどなのである)。

安田 テーマは思い切りタブーなんですが、内容は結構シンプルなんですよ。 50 歳前後の中国人って、酔っ払ったりすると「俺も天安門の頃はヤンチャして」とか、武勇伝をやたらに語りたがるじゃないですか。 その彼らに「じゃあ、なんでいまはやらないんですか?」、「本当はあのとき何をやっていたんですか」と聞いていくという。

西谷 理由は「面白いから」ですか?

安田 ですよ。 最初は「若い頃の俺たちは輝いていた」とめちゃくちゃイキっていた人が「でも、いまは女房子どもがいるし会社経営しているし不動産持ってるし …」とショボショボっとなっていったり、逆に「俺は明日デモが起きても行く!」と豪語する人が、天安門事件当時はなにもやっていない人だったり。 純粋な意味で、現代の中国のおっさんおばはんの素顔や、天安門事件がもう起きそうにない理由がディープに垣間見られて「面白い。」

西谷 中国あるあるですね。 普通の報道ではあまり拾われない、意識の低い証言という。 でも、そこにリアルがありそうな。

安田 西谷さんの『ルポ 中国「潜入バイト」日記』もそうじゃないですか。 パクリ遊園地の同僚の女の子のヤンリンちゃんが、明らかに著作権法違反の「七人の小人」の着ぐるみを本気でカワイイものとして扱っている様子とか、すごく生々しい中国社会のリアルですよ。意識の低いリアル。

西谷 確かにパクリ遊園地は、働くときも「はいはーい」みたいな謎の二つ返事で採用されたりとか、全体的にユルい感じが最高でしたね。 やっぱり、メディアにはなかなか出てこない姿というか。 でも、むしろ中国の泥臭い社会にはああいうノリの人たちのほうが多い。

安田 最近は中国のニュースって、習近平の独裁とか北朝鮮問題とかのめっちゃカタい話か、中国のイノベーションすごい、深センのベンチャーすごいみたいな意識の高い話が多いじゃないですか。 でも、現地に行くともっとグダグダしているというか、ほどよくダメな感じも混じっているのが実際の中国なわけで。

西谷 それを伝えるのは確かに「面白い」仕事ですよね。 (文春オンライン = 5-14-18)

安田峰俊 (やすだ・みねとし)/1982 年滋賀県生まれ。 ルポライター、立命館大学人文科学研究所客員研究員。 中国の歴史や政治ネタから IT・経済・B 級ニュースまでなんでもあつかう雑食系だが、本業はハードなノンフィクションのつもり。 著書に『和僑』 & 『境界の民』(KADOKAWA)、『野心 郭台銘伝』(プレジデント社)、編訳書に『「暗黒・中国」からの脱出』(文春新書)など。 なお、『八九六四』刊行を前にツイッターのプロフィールを習近平主席礼賛アカウントに変更した。

西谷格 (にしたに・ただす)/1981 年神奈川県生まれ。フリーライター。 早稲田大学社会科学部卒。 地方新聞の記者を経て、フリーランスとして活動。 『SAPIO』、『週刊ポスト』、『週刊新潮』など、各種雑誌媒体でも活躍中。 著書に『この手紙、とどけ! 106 歳の日本人教師が 88 歳の台湾人生徒と再会するまで』(小学館)など。 2009 年から 2015 年まで上海に在住し、中国の現状をレポートした 。 なお、シャツは『ルポ 中国「潜入バイト」日記』の刊行後に特注で作った。

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