在日中国人が「真の日本」を発信する SNS が中国で大人気
今、在日中国人が発信する SNS が中国で大人気だ。 手掛けているのは「網紅」と呼ばれるインフルエンサーたち。 中には広告も発信し、ビジネス的に成功している人もいる。 人気の秘密は、その内容にあった。 1995 年に日本で創刊された中国語の新聞『東方新報』の取材班が取材した記事をご紹介しよう。
在日インフルエンサー発信の SNS が中国人に大人気
「網紅」とは、ネット上の発言が世間に大きな影響を与える人物、インターネットセレブリティやインフルエンサーのことだ。 そんな「網紅」の一人、林羊羊さんは、112 万人のフォロワーを持つ微博の「林萍在日本」の管理者で、生放送も行っており、中国のインターネット上で大きな影響力を持っている。 3 月 27 日、彼女が秋葉原の電気街でカメラを選んで購入する様子を生放送したところ、視聴回数は 186 万回に上った。
一方、3 万人の会員を持つ一般社団法人「美麗媽媽協会(美ママ協会)」は、当初、中国人ママたちの子育て相談プラットフォームだった。 それが、今では在日中国人社会で影響力を持つ「網紅」となっており、日本の有名化粧品会社やマタニティ・ベビー商品、食品メーカーなどが、中国国内へ "本物の情報" を届けてもらいたいと、こぞって彼女たちに提携を持ちかけている。
「日本」は中国のネット上で大人気 多くが在日中国人「網紅」の発信情報
今や、中国の微博や微信 (WeChat)、生中継のプラットフォームなどで、「日本」はいつも人気キーワードに上がっている。 中国のインターネット上は、日本の衣食住に関するさまざまな情報で満ちあふれており、日中間の時間的、空間的距離はほぼなくなってきている。 その多くが、在日中国人「網紅」が発信する情報だと言っても過言ではない。 日中両国の人の行き来が盛んで、爆買いのブームの最中に誕生した存在の彼らは、両国民の相互理解を促進する架け橋となり、両国を結ぶ市場繁栄の綱となっているのだ。
現在、日本には 80 万 - 90 万人の華僑・華人が住んでおり、その購買力と発言力は無視できなくなってきた。 それに加え、毎年押しかける訪日中国人観光客の「爆買い」や「弾丸ツアー」の熱に、日本企業や各地方自治体が、在日中国人に意見を求めるケースも増えてきた。 美ママ協会創設者の佳霖さんは、「中国人が日本に興味を持ち始めたことは、中国の経済が発展してきたことと、文化面でも周辺国家の影響を受け始めてきたことが関係している。 中国人の趣向が世界に向いてきたことがある。」と話す。
つまり、在日中国人社会から「網紅」が誕生したのは、今の時代が必要としていたからとも言えるのだ。 冒頭で紹介した林さんが、毎朝起きてすぐにすることは、各新聞サイトやツィッターなどのソーシャルネットワーキングサービス (SNS) を閲覧し、最新の話題があればすぐに微博で拡散することだ。 毎日最低 5 回は更新し、話題はフォロワーが興味のありそうな話題を選ぶ。 「フォロワーの層は広く、エンターテインメント性があるもの以外に、政治、経済の速報などはいち早く伝えるようにしている。(林さん)」
日本の真実の姿を 直接中国人に紹介
「林萍在日本」は 2012 年に誕生した。 当初は日中両国で起こった話題のニュースを発信していたが、「哈日(日本が大好きな若者)」のフォロワーが増え、「日本にいすぎて身についた 60 の『悪習慣』」で人気が爆発、フォロワー数も一気に増え、有名になった。 その頃から林さんは、日本での生活の細かい部分を発掘していくスタイルを確立した。 「私が日本で見聞きして感じたものが、日本に興味を持っている中国人の視聴者の客観的かつ本物の理解へつながれば。 フォロワーが見たいものだけを作っていきたい。(林さん)」
このような在日中国人の「網紅」がどんどん増えて、日本の真実の姿を直接中国人に紹介している。 有名なメディアとは違って、彼らが目にした日本は最も自然で、いい部分も悪い部分もある。 つまり、在日中国人の目を通した "真の日本" の姿を伝えているわけだ。 微博の「ここは日本」は、2012 年 1 月から発信を開始、フォロワーは 150 万人以上だ。 創設者兼運営者の陳寧欣さんは今年 27 歳。 日本に 4 年以上暮らしている。 仕事は別にあり、微博の運営はその合間にやっている。
「ここは日本」を創設した際、彼女は京都で留学していた。 京都は観光名所が多いし、彼女自身旅行が好きだったため、自分が撮影した風景やグルメの写真を微博に掲載していた。 フォロワーはじわじわと増え始め、その後、その影響力を利用して企業の広告を打つなど商業化の道が開けた。 「このアカウントを作った目的は、実際に日本で生活し、日本を理解していることを強みとして、自分たちが体験してよかったものをみんなに勧めるため。 日本をもっと直接的に、リアルに知ってもらいたかった。(陳さん)」
目下、日本の企業や政府機関の広告や宣伝は、テレビや新聞、雑誌などの伝統的メディアが主流だが、中国市場では SNS などの新しい媒体で展開する方が効果的だ。 それこそが、在日中国人「網紅」にとっての大きなチャンスとなった。 在日中国人「網紅」のビジネス活動は主に訪日旅行市場で、顧客は訪日中国人や中国国内消費者だ。 「ここは日本」は現在、主にデパートやメーカー、地方政府の広告を発信している。 最近ではデパートの生放送が多く、一部のデパートとは長期提携を結んでおり、月 1 回のペースで放送する。 デパートで行われる季節のイベントやセール、限定商品やサービスを紹介しているという。
日本で長年、情報発信ビジネスに従事している在日中国人の一人は、「『網紅』のような新しい形式、新媒体の力に驚くとともに、『網紅』たちがこのメディアの力をうまく利用してくれることを期待している。 それにより市場化され、ルールができ、日本の企業もその効果を認めれば、投資するだろう。 在日中国人『網紅』はこれからも進化し続けるだろう。」と話している。 (『東方新報』 取材班、Diamond = 4-19-18)
中国の若者たちに性を教えた日本のポルノ女優
日本の女優で元ポルノ女優の蒼井そら氏が婚約をインターネット上で発表すると、中国のソーシャルメディアで熱狂の渦が巻き起こった。 なぜなのか。 それは、蒼井氏が中国のネットユーザーに驚くほど重要な役割を果たしたからなのだ。 ことし元旦、蒼井氏はソーシャルメディアで婚約指輪をつけた写真を投稿し、世界中のファンたちに喜ばしいニュースを報告した。
中国版ツイッター「微博(ウェイボー)」への投稿には 48 時間で 17 万件以上のコメントが寄せられ、83 万件以上の「いいね」がつけられた。 あるファンは「僕たちはあなたの映画を見ながら成長した。 いつでもあなたを応援しています。」とコメントしていた。 別のユーザーは「あなたはずっと僕の女神。 (中略)幸せを願っています。」と書いた。
「蒼井先生」
蒼井氏は 2000 年代始めにポルノ女優としてのキャリアを始めた。 成人向け映画の出演作は推計 90 本以上で、2003 年から 2005 年にかけては毎月新作が発表されていた。 中国ではポルノは違法だ。 それでも、中国の男性たちが蒼井氏に夢中になるのを止められなかった。 27 歳のリュー・キャンさん(仮名)は BBC に対し「思春期にまともな性教育を受けられなかった多くの中国人男性にとっては、蒼井そらが僕たちの先生になりました」と語った。
中国のインターネットが破竹の勢いで発展した頃、蒼井氏の人気は急上昇した。 新たなポータルサイトやオンライン・コミュニティー、動画配信サイトが次々と登場し、様々な情報の拡散を容易にした。 違法のポルノコンテンツもその一つだった。 リューさんは高校生時代、友人たちと一緒に MP4 プレイヤーを使って蒼井氏のポルノ映像を見たり、共有していた。 しかしテクノロジーが発展していくにつれ、これまでより「ずっと簡単に」動画配信サイトでポルノを見るようになったと言う。
香港中文大学の日本研究学科に務める呉偉明教授は「中国での知名度を上げる良いタイミングを蒼井そらは捉えた」と指摘する。 「彼女が自分の国で人気が出た時期は、ちょうど中国が性を含めたあらゆる面において外の世界とつながるようになった時期と重なっている。」 中国の若者にとって、ポルノは性について知る重要な情報源だ。 学校では性教育は限られており、ほとんどの親は性について子供たちに教えるのを尻込みしている。
2009 年に北京大学が 15 歳から 24 歳の若者 2 万 2,000 人以上を対象に、調査を行った。 リプロダクティブ・ヘルス(性と生殖に関する健康)について 3 つの質問をしたところ、全問正解できたのは回答者のわずか 4.4% だった。 また研究者たちは、多くの若者が性について「自分で」学んだと追記していた。
しかし中国初の性科学者である李銀河氏はポルノが性教育のツールに利用されることについて懸念している。 BBC の取材に対し李氏は、ポルノは性を誇張して表現しており、中には自分をポルノ男優と重ねて「勘違い」する男性も出る可能性があると指摘した。 またポルノが若者たちの性行為への態度をゆがめたり、性の健康問題につながる恐れがあるとする専門家もいる。
「蒼井そらナイト」
ポルノがここまで自由に、そして手軽に入手できるなか、なぜ蒼井氏が抜きんでたのだろうか。 アジア社会において性は依然としてタブーだが、蒼井氏はポルノで築いたキャリアについて「自分を見下したことは一度もない」とした。 海外で世界中のファンと交流できるので常に「仕事を楽しんできた」と蒼井氏はいう。 ネット上で名誉を傷つけるコメントに直面しても、蒼井氏は礼儀正しく温かく対応する。 開かれた心と率直さにゆえに、蒼井氏はファンから尊敬され評価されている。
蒼井氏は 2010 年 4 月 11 日にツイッターアカウントを開設した。 そのニュースはツイッターが禁止されている中国でも拡散し、大勢の中国人ファンは、VPN を使って当局の検閲システム「グレート・ファイア・ウォール」を乗り越え、蒼井氏をフォローした。 アカウントが開設された日の夜は、中国人ファンたちの間では「蒼井そらナイト」と呼ばれている。
7 カ月後、蒼井氏はウェイボーのアカウントを開設した。 蒼井氏は今までに 1,800 万人以上のフォロワーを獲得しており、これはテイラー・スウィフトとデビッド・ベッカムの「いいね」より多い数字だ。 蒼井氏は 2011 年にポルノから正式に引退し、女優・歌手の新たな道を歩んでいる。 音楽シングルをリリースし、オンラインビデオや映画に出演しており、中国は蒼井氏にとって巨大なマーケットだ。
蒼井氏は中国文化に慣れ親しむために多大な努力を注いでいるようだ。 同氏のマネージャーが BBC に語ったところにによると、ウェイボーの投稿は蒼井氏自身が中国語で書いているという。 中国語以外にも、蒼井氏は中国書道を習い始めた。 2013 年に蒼井氏による書が 60 万元(約 1,035 万円)で売れたといわれている。
「世界に帰属する」
蒼井氏が幅広く中国人ファンに愛されているというのは、波風が絶えない日中関係を考えると矛盾しているように思える。 中国では第二次世界大戦中の日本の残虐行為に対して長年にわたる苦い感情があり、中国では釣魚島と呼ばれ日本では尖閣諸島と呼ばれる群島について領有権を争っている。 しかし、日本に住む中国人作家、黄文葦さんは蒼井氏が中国と日本の関係を民間レベルで緩和する役割を果たしていると考えている。
「以前に中国のネット上で『釣魚島は中国に帰属するが、蒼井そらは世界に帰属する』という言い回しが流行っていた。 こうやって蒼井氏は政治的、そして市民間の緊張関係を和らげてきた。」 呉教授は、中国における蒼井そら現象は、グローバル化時代に人々が自分をどう定義するかは、国籍だけでなくどのようなメディアのコンテンツを消費しているかで形作られるということを象徴しているという。
「蒼井そらを好きな人々は、出身国に関わりなく同じグループに属していると感じる。」 蒼井氏はおそらく、アジア全域の若者たちに、国籍や政治観が異なっても共通点は思ったより多いということを思い出させてくれるものなのだろう。 (ファン・ワン、BBC = 1-16-18)
中国人が "日本の産婦人科" に殺到する理由
日本のレディースクリニックに多くの中国人が受診に訪れているという。 なぜ中国ではなく、日本での受診を望むのか。 自らも不妊治療を経験した生殖医療専門医で、オーク銀座レディースクリニックで診療を行う田口早桐氏は「中国での不妊治療は必ずしも環境がよくない。 不妊に悩む女性へのサポートでは、日本のほうが先行しています。」と語る - -。
■ 「銀座なら通いやすい」
銀座にレディースクリニックを開院して、まる 1 年がたちました。 もともと、私は大阪にあるオーク住吉産婦人科で、不妊などを専門に診察をしています。 オーク会は他に大阪の梅田となんばにレディースクリニックを開いている在阪のグループです。 ですので、私は現在、大阪から東京まで通って、診察を行っています。 平たく言うと、「東京進出」したわけです。
大阪で「銀座にクリニックを開院した」と話すと、「儲かってますな」と言われます。 でも、この場所に決めたのにはある理由があるのです。 ひとつは、関東から大阪のクリニックに通院されている方々の負担を減らすことです。 そしてもう一つが、海外から訪れる相談者や患者に対応するため。特に近年増えているのが、中国人の方々です。 中国籍の相談者のなかには、日本在住の方もいらっしゃいますが、中国から受診にいらっしゃる方のほうが圧倒的に多くなっています。
銀座にはたくさんの産婦人科があり、まさに「不妊クリニック銀座」なのです。 それだけ集中する背景には、海外での知名度が高く、羽田空港からのアクセスも確立されている点があると思います。 大阪のクリニックに訪れる方からも、「東京にあれば通いやすいのに」という声がとても多かったのです。
■ 背景にある「一人っ子政策」廃止
ここ数年、中国人の相談者は驚くほど増えています。 大きな要因は 2015 年 12 月に、「一人っ子政策が廃止」されたことです。 中国では長らく「一人っ子政策」が行われていたため、産婦人科への関心そのものが低かったように思います。 ただ、中国には結婚すると女性が財産を持って嫁ぐ文化があるので、「男の子がほしい」と思う人は多く、男女の「産み分け法」について尋ねられることもありました。
「一人っ子政策」が廃止になり、中国でも不妊などの悩みを抱える女性が顕在化し、産婦人科のニーズは高まりました。 それまで、中国では不妊や高齢出産など妊娠に悩む方の相談を受け付ける場所がほとんどなかったのです。 現在でも女性の要望に応えられる「レディースクリニック」は圧倒的に足りません。 そこで、比較的近く、医療の質が高い日本のレディースクリニックに多くの方が訪れるようになった、というわけです。
■ 産婦人科は「中国語ができる人を採用したい」
弊院のデータを見ると、その急増ぶりは明らかです。 10 年ほど前、2007 年当時、新規に来院される中国人は月平均 1 - 2 人でした。 それが現在は 10 - 15 人になっています。 産婦人科には、継続的に相談や治療で通われる方が多いため、現在は 100 人ほどの中国人が弊院に通っているということになります。
あくまでも、これは私たちのクリニックという小さな世界の話で、公的な統計があるわけではありません。 しかし、私の知る限り、ほかのクリニックでも中国人の来院が増えているようです。 最近では、産婦人科医の仲間が集まると「中国語で対応できる人を採用したい」という話をよくします。 ただし、だからといって、言葉の問題以外に、ことさらに「中国向け」の診療をしようとしているわけではありませんし、その必要もありません。 ただ、医療の質を上げていくだけです。
■ 女性の悩みは日中同じ
日本では「爆買い」でも、中国人のマナーの悪さを指摘する報道が目立ちます。 しかし、私には違和感があります。 レディースクリニックを訪れる中国人の態度は、日本人とまったく変わりません。 国籍は違っても、悩める女性の胸中はみな同じということだと思います。 例えば、上海からいらした李晨晨さん(36 歳、仮名)。 年上の旦那さんは、上海で働くビジネスパーソンで、安定した収入があるそうです。 李さんからは、こんな相談を受けました。
「結婚して 8 年経つけれども、子供ができないんです。 そもそも、結婚後 1 年経たずにほとんどセックスレスになっています。 しかし、義母からのプレッシャーはすごくて、どこで調べたのか『妊娠しやすくなる方法』をいろいろ伝授してくれる。ですが、私にとっては負担になるだけ。 主人も精液検査を受けようともせず、性交渉を試みようともせず、それなのに親戚などが集まる場所では『子供がほしい』と言っています。 でも、私と本気で妊娠の話をしてくれることはありません …。」
■ 「一人の女性として扱われない」
「性交渉はなくなっているけれど、子供がほしい」という方は、日本でも数多くいます。 他にも、夫婦の性の関係や不妊への悩み、シングルマザーになることの不安など、悩みは日本人と同じ。 もちろん生殖器の疾病など、抱えている病気も、日中で同じです。 年齢も、平均すると 35 歳前後。 日本人の相談者と共通しています。
ただひとつ違う点は、中国の方からは、産科事情の遅れについての嘆きを聞くことが度々あるということです。 上海在住の陳東華さん(40 歳、仮名)は、「中国の産婦人科では、ひとりの人として、女性として扱われない」というのです。 陳さんが、昨年、月経痛で診察を受けたところ、子宮筋腫が見つかりました。 心配になり、「妊娠に影響しませんか?」と男性医師に尋ねたところ「その年では子宮は要らない、取ったほうがいいよ」と、冷たく言われたそうです。
中国ではこのように男性医師が、女性を傷つけるような失礼な言葉を投げかけることが、よくあるようです。 日本でもかつては、高圧的な医師が女性を傷つけることがありました。 そうした被害を受け、精神的に傷ついた女性を受け入れるのも、私たちの役目でした。 まだ日本にもひどい医師はいるかもしれませんが、いまレディースクリニックが日本各地に広がっているのは、かつてそうした状況があったからです。 つまり中国はまだその歴史を経ていないということでしょう。
もちろん、中国にも、女性の悩みに誠実に向き合う医師はいるでしょう。 ただ、その数はじゅうぶんではないようです。 医療の質も、全体のレベルとしてはまだ発展途上と言えるのかもしれません。 日本のレディースクリニックのなかには、そのような状況を見て、中国に進出しているところも出てきています。 そうした動きは今後も増えていくかもしれません。
しかし、誤解されたくはないのですが、私はただ「日本の産婦人科はすごい」と言いたいわけではないのです。 すでに医療の質という観点から見れば、日本は「技術」の高さにおいて最先端ではありません。 特に、私たちが関わる高度生殖医療と言われる領域で、それは顕著に表れています。
■ 日本の医療技術は後れをとっていく
研究の規模の問題・資本力の問題や、日本の医師や研究者が、技術の研鑽や勉強に費やせる環境が世界に比べて劣っていることなど、さまざまな背景があります。 さらに「倫理的な問題についての議論が不十分だ」という理由で研究が進まないという事例もあります。 「どこまで遺伝子解析・操作が許されるのか。」 、「新たな技術は自然な人の生殖といえるのか。」 もちろん、そうした議論は必要です。 しかし、日本で「議論を重ねている」と言っても、この数年間でどれだけ進展があったでしょうか。 その間にも、世界では研究がどんどん進んでいるのです。
この 10 年の間に、中国は遺伝子解析の分野において世界でトップクラスの先進国になっています。 今年 3 月、中国の研究所が「ゲノム編集」の技術を、人の正常な受精卵に対して使い、病気の原因となる遺伝子の修復に成功したことがニュースになりました。 また、北京に本社がある BGI は、遺伝子解析の分野で世界トップレベルの研究を行っています。
最先端の医療技術という意味では、もはや中国のほうがはるか先を行っているのです。 なかには倫理面で疑問を抱かざるをえない技術もあります。 実際に、日本では、「倫理的な問題」で行うことができない技術が多い。 ただ、日本とは倫理観そのものが異なっているという事情も考えなければいけません。 純粋な「技術」の面で、日本が追いつけるかというと、悲観的にならざるをえません。 そして、先端医療の裾野は、中国でどんどん広がっていくでしょう。
■ 産科医療の将来像とは
訪日する中国の方に話を聞くと、日本のいいところは、「静かなところ、清潔なところ、安全なところ」と口をそろえます。 そして、どこにいってもサービスが優れているとも言います。 日本の医療に求められるのも、同じような「安心感」だと思います。 最先端のものは、医療だけでなく、経済や産業も、すでに中国にあるわけですから、そう答えるのは理解できます。
これからも、日本のレディースクリニックは女性の安心 - - 技術面だけではなく、精神の安心を含めて - - を大事にしていくでしょう。 それが中国の女性にも受け容れられ、日本のクリニックの来院者を増やし、もしかすると将来的には中国で「日本流の産婦人科医院」が次々と開院することになるかもしれません。 対して、高度な生殖医療を受けたい場合に、日本人が中国の病院を訪ねることもあるでしょう。 両国が「得意なこと」ですみ分けていく。 そんな未来が訪れるかもしれません。
医療技術も、人の移動も、どんどん国境はなくなり、グローバルになっています。 いまの日本的なレディースクリニックの「安心」と、中国の医療技術の「先進性」を、どのようにミックスすればいいのか。 議論を重ねるだけでなく、女性の具体的な悩みに応えていくことが、必要ではないでしょうか。 (President = 1-10-18)
田口早桐 (たぐち・さぎり) : 産婦人科医、生殖医療専門医。 1965 年大阪市生まれ。 1990 年川崎医科大学卒業後、兵庫医科大学大学院にて、抗精子抗体による不妊症について研究。兵庫医科大学病院、府中病院を経て、大阪・東京で展開する医療法人オーク会にて不妊治療を専門に診療にあたっている。 自らも体外受精で子どもを授かった経験を持つ。 著書に『ポジティブ妊活 7 つのルール』、『やっぱり子どもがほしい! 産婦人科医の不妊治療体験記』。
日中「死刑観」の違いを浮き彫りにした「中国人留学生殺害事件」の判決
日本ではほとんど知られない事件が、中国全土の関心を圧倒的に集めるトップニュースに化けた。
中国人の男が、中国人留学生の女性を殺害する事件が、2016 年 11 月に東京で起きた。 すぐに犯人の男は警察に逮捕された。 単純な殺人事件として、注目されないまま終わってもおかしくない話だ。 しかし、それが中国全土の関心を圧倒的に集めるトップニュースに化けた。 一方、日本ではほとんど事件のことは知られていない。 この日中間の巨大な温度差には、「死刑」に対する日中の司法制度や価値観、考え方の大きな違いが横たわっている。
「東日本大震災以来」
殺されたのは、山東省出身の江歌さん(当時 24)という若い留学生の女性だった。 犯人は事件当時江さんと同居していた女性・劉さんの恋人だった陳世峰被告 (26)。 都内の大学院で学んでいた留学生だ。 陳被告は、劉さんの自宅前で待ち伏せし、復縁を迫ろうとした。 劉さんをかばって立ちはだかった江歌さんの首や胸を、陳被告は何度もナイフでメッタ刺しにして殺した。
12 月 20 日、東京地裁で判決公判が行われた。 東京駐在、あるいは、中国から駆け付けた中国メディアのレポーターが地裁前に陣取って、判決前から中継を繰り返す熱の入れようだった。 当日、法廷前にいた中国の記者は、「これだけ中国の記者が日本にやってきたのは、東日本大震災以来かもしれない」と語った。 確かにそうかもしれない。
35 席分の一般傍聴券を求めて、294 人の人々が列を作った。 私は抽選に外れてしまったが、知人の中国メディアの記者から、運良く当選券を分けてもらった。 並んだ人の 9 割以上は中国人。 恐らく過去にはない珍しい状況に、地裁側も戸惑っている様子で、地裁職員を多数動員した法廷内外では、厳戒態勢が敷かれていた。
判決は、検察の求刑通りの懲役 20 年となった。 その判決を聞く間、犠牲者の母親である江秋蓮さんは、被告をじっと凝視しながら、拳を握りしめていた。 途中で何度も深いため息をつき、目を潤ませ、震えているようにも見えた。 裁判員裁判であり、裁判官が陳被告の「殺意はなかった」という主張を覆す判決文を読み上げていくなか、時折天井を見上げた。
報道の違いに温度差
この事件が、中国で全国ニュースに「昇格」したのは、被害者の母親の江秋蓮さんの力に負うところが大きい。 母子家庭でたった 1 人の娘を失った彼女は、中国版ツイッター『微博』で陳被告の死刑を求める署名活動を展開し、400 万人を超えるネット署名を集めた。 多額の寄付も集まり、江秋蓮さんは一気に有名人となった。 江秋蓮さんがその主張で掲げたのは、陳被告の「死刑」であった。 日本では、殺した人数が 1 人では、通常、死刑判決は出ない。 だが、彼女はこう訴えた。
「娘は私の人生のすべてだった。 日本の量刑基準では死刑は出ないという話だが、殺した人の数で量刑が決まるのは、おかしいのではないでしょうか。 陳は全く罪がない娘を、残忍な方法で殺したのです。 それで極刑にならない方がおかしい。 私も陳に殺されたに等しい。 一家皆殺しのようなものです。」
このアピールは、中国社会の広い同情を集めた。 そして、「日本ではなぜ死刑にならないのか」、「犯人を中国で裁けないのか」など、多くの議論を呼び、殺人事件は一躍国民的ニュースになったのである。 一方的な死刑賛成論だけではなく、日本の法制度との違いを指摘する冷静な意見もあった。 江秋蓮さんが、江歌さんの友人の劉さんに対して、「娘を見殺しにした」と厳しく批判したことにも、賛否両方の意見が激しく交わされた。
しかし、日本での事件についての報道は、初公判、判決ともに報じた社はあっても、目立つ扱いとはいえなかった。 判決後は、日中の報道の違いに焦点を当てたメディアも出てきたが、最後まで日中間の温度差は解消しなかったといっていい。 この事件について、日本人が関心を持たないことを疑問視する意見も、中国側からは少なからず聞こえてきた。 その心情は理解できないことはないが、やむをえなかったいくつかの点がある。
1 つは、事件自体に「社会性」が乏しい、という点だ。 日本における事件報道の価値判断で重視されるのは「社会性」である。 「社会性」とは報道する公益があるということで、大量殺人や誘拐殺人、著名人が絡んだ殺人などはその「社会性」が高いとみなされ、ニュース価値が上がる。
しかし、今回は関係者の 3 人全員が中国からの若い留学生であり、基本的には、男女間の感情のもつれを原因として、江さんが不幸にも巻き込まれたという構図もはっきりしている。 中国人だから日本のメディアは報じないというよりも、本質的に「社会性」 = 「ニュース性」の低い殺人事件であるから、報道の分量がおのずと小さくなったのである。
一方、中国においては、被害者の母親である江秋蓮さんの積極的な行動によって、「社会性」が獲得された。 ただ、彼女の言動はあくまでも中国社会における影響にとどまっており、日本とのギャップを埋めるものではなかった。
中国では「聖域」である死刑制度
江さんの殺人事件については、事件そのものよりも、日中における死刑に対する考え方や制度の違いを改めて浮かび上がらせるという意味で、興味深い部分が少なくなかった。 基本的に、日本も中国も、昨今の世界ではむしろ少数派に属する死刑制度存置国だ。 死刑制度の維持については、世論の多数が支持している。 だが、その死刑制度の運用面に関する実態には、大きな隔たりがある。
日本では、戦後の裁判で死刑判決が下され、執行されたケースは1,000 件に満たない。 死刑判決自体が少ないうえ、本来ならば、刑事訴訟法上は 6 カ月以内に執行しなければならないが、実際は 5 年以上執行されないという遅延が日常化しており、死刑囚が執行前に獄中死するケースも珍しくない。 現在も 100 人以上の未執行死刑囚が存在しているが、年間の執行数は通常 2 桁には達しない。
死刑廃止が優勢である国際潮流に加え、再審請求などで冤罪が判明するケースもあるため、運用に慎重さを求める世論は根強く、執行が遅いことで政府を批判する声は強くはあがっていない。
中国では、現在、正確な死刑執行の数は公開していないが、かつては年間万単位での死刑執行があったとされる。 現在は「少殺(死刑を減らす)」方針のもとで数はかなり減っているとはいえ、毎年 1,000 人以上が処刑されていると見られている。 世界トップの「死刑大国」であることは、国際的に一致した見方だ。 死刑制度の高いレベルの運用は、共産党政権の治安政策とも密接に結びき、中国では、死刑はある種の「聖域」となっている。
薬物犯罪でも死刑
ただ、日本の司法制度に慣れている私にとっては、この種の事件で、求刑通りの有罪判決が出たことに「思ったより重いな」という意外さすらあった。 被告が明確に殺意を否定していることで、求刑 20 年に対して、法廷は 15 年ぐらいの判決とし、バランスをとると想定していたからだ。 しかし、江秋蓮さんは判決後の会見で、「日本の司法に対して失望した」と語っている。 その背後に、日本に比べて中国では、死刑に対してハードルが相当に低いことが関係している。
事件をめぐって特に私が想起したのは、中国での薬物関連事件における一連の日本人の死刑判決であった。 中国では薬物の密輸や製造は、死刑を含めた重罪に問われる確率が高い。 アヘン戦争以来の歴史的な要素もあるのか、薬物に対する厳罰主義があり、2010 年には密輸などの容疑で逮捕された日本人が、死刑判決・執行を受けるケースが続いた。
日本では薬物関係の犯罪は死刑に処されることがなく、日本の世論でも疑問視する声が相次いで、当時の民主党政権は中国に対して懸念を表明した。 中国側は「薬物関係の犯罪は重大なものである」との態度を崩さず、日本人に対する死刑を執行した。 これに対して、日本側も最終的には、中国の主権に属する問題だとして正式な抗議は行わなかったとされている。
前述のように、日本の法律では殺人に対する死刑の適用はあるが、単純殺人で 1 人を殺した今回のケースに、死刑判決が出る確率は極めて低い 。実際、検察の求刑も死刑や無期懲役ではなく、懲役 20 年だった。
そのため、中国では国内で陳被告を裁くことができるかどうか熱心に議論され、私も中国のメディアや知人からその点を何度も聞かれた。 中国の法律では海外で起きた重大事件について、原則的には中国政府も管轄権を有するとしているが、刑事事件は発生地の司法で裁かれるという国際的な常識のもと、1つの事件を 2 つの場所では審理しない原則には従ってきた。
「摩擦」のリスク
ちょうど今回の殺人事件の判決直前に、日中双方で死刑に関するニュースが流れた。 12 月 19 日、上川陽子法相は、殺人事件の死刑囚 2 人に対する死刑執行を命令し、同日執行された。 各メディアは速報で扱い、大手各紙の 1 面トップは、この死刑執行のニュースとなった。 日本は「どのような犯人が死刑にされたか」ではなく、「死刑執行」自体がトップニュースになる国なのである。
他方、中国の広東省陸豊市では、薬物や殺人の罪に問われた被告たちに対して、公開判決公判が行われた。 なんと、大きなスタジアムで市民に参加を呼びかけたのだ。 被告らは手錠をつけて陸上トラックを歩かされ、拡声器によって判決が読み上げられた。 現地の報道によると、10 人に死刑判決が言い渡され、さすがにスタジアムでは刑の執行までは行われなかったものの、そのまま連行されてすぐに執行されたという。
この 2 つのニュースほど、日中の死刑に関する「隔たり」を象徴するものはないだろう。
刑事事件は基本、各国の主権問題として処理されていることは変わらない。 が、中国人の留学生やビジネスマン、あるいは観光客として日本を訪れる中国人が急激に増えているなかで、彼らが絡んだ事件は、今後も増えていくに違いない。 今回の事件では、日中の犯罪観や死刑観の違いが、想像以上に大きいことが浮き彫りになった。 本来は単純な「事件」が、日中世論の摩擦のタネとなりえるリスクを秘めていることを肝に銘じたい。 (野嶋剛、Huffpost = 12-23-17)
最優秀賞に河北工業大の宋さん 中国人日本語作文コン
第 13 回「中国人の日本語作文コンクール(主催・日本僑報社、メディアパートナー・朝日新聞社)」の表彰式と受賞者のスピーチ大会が 12 日、北京の日本大使館で開かれた。 日中国交正常化 45 周年の節目の年に、中国各地の 189 校から 4031 本の応募があった。
最優秀賞(日本大使賞)には、周囲に呼びかけて東日本大震災の復興支援ソングを歌った体験をつづった河北工業大の宋●(= 奸の右に干)さん (22) の「『日本語の日』に花を咲かせよう」が選ばれた。 宋さんは「日本のために何かしたいと思っている人はたくさんいる。 無数の仲間たちの心が伝わればうれしい。」と話した。 横井裕大使は受賞者たちを前に「日本の同世代の若者と交流して、将来の日中友好の担い手になってくれるよう期待している」と話した。 (北京 = 延与光貞、asahi = 12-12-17)
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第 13 回「中国人の日本語作文コンクール(主催・日本僑報社、メディアパートナー・朝日新聞社)」の主な受賞者は次の通り(敬称略)。
【最優秀賞(日本大使賞)】 宋●(= 奸の右に干)〈河北工業大〉
【一等賞】 ▽ 邱吉〈浙江工商大〉、▽ 張君恵〈中南財経政法大〉、▽ 王麗〈青島大〉、▽ 黄鏡清〈上海理工大〉、▽ 林雪●(= 女偏に亭)〈東北大秦皇島分校〉
【二等賞】 ▽ 王曽芝〈青島大〉、▽ 劉偉●(= 女偏に亭)〈南京農業大〉、▽ 孫夢瑩〈青島農業大〉、▽ 汝嘉納〈同済大〉、▽ 王静●(= 日偏に堰j〈中国人民大〉、▽ 余催山〈国際関係学院〉、▽ 李思萌〈天津科技大〉、▽ 李師漢〈大連東軟信息学院〉、▽ 劉淑●(= 女偏に曼)〈武昌理工学院〉、▽ 賀文慧〈武昌理工学院〉、▽ 杜●(= 王偏に文)君〈ハルビン工業大〉、▽ 王智群〈江西財経大〉、▽ 趙景帥〈青島職業技術学院〉、▽ 欧嘉文〈華僑大〉、▽陳艶〈上海交通大〉
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最優秀賞(日本大使賞)を受賞した河北工業大の宋●(= 奸の右に干)さんの作品「『日本語の日』に花を咲かせよう」の全文は次の通り。
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去年 11 月、日本人の先生と大学の食堂へ食べに行ったときの出来事だ。 お店の前で、先生と日本語でやり取りしていると、中国人の調理師さんが興味津々でこちらをジロジロ見ていて、突然「あのう、日本人ですね。 この牛肉ラーメンが一番美味しいですよ。 お勧めですよ。」 「こちらでゆっくりお待ちください。 出来上がったら、お呼びしますよ。」と親切にゆっくりとした中国語で先生に話してくれた。 以前は珍しい光景だったが、昨今このような優しい対応が増えている現状に、先生は驚きというよりは、むしろ喜びを感じているように見えた。 「日本人とペラペラ話すなんてすごいじゃん。 私にも簡単な日本語を教えてくれない?」と調理師の彼は丁寧に私に頼むやいなや、日本についていろいろ聞いてきた。 なるほど、日本に興味を持っている人は少なくないのだ。
今日、日中貿易が盛んになっているため、中国に進出した日本人や、日本に第一歩を踏み出して日本文化を味わう中国人が次第に多くなっている。 頻繁な日中交流の流れのおかげで、中国人の日本人に対する印象も徐々に良くなってきただろう。 のみならず、日本語や日本人をもっと知りたいという中国人も多くなってきているようだ。 だが、残念なことに、日本や日本語に触れ合える場が少ないという問題がある。 「日本語の日」は、これを打開するのに、まさにうってつけの火付け役に違いない。
ある日の授業で見たビデオで、東日本大震災で被災者がどれだけ大きな被害にあったのか身にしみるほど感じた。 そして、NHK で「100 万人の花は咲く」のミュージックビデオの活動も知った。 日本人はもちろん、オーストラリア人までもビデオを投稿した。 外国人が歌うと、メロディーにあまり合っていない子どもみたいな歌声だったが、いつの間にか、励ましの声が心の底に届き、私もやりたい思いにかられ、職業を問わず、大学構内にいる人に声をかけて誘ってみた。 予想外に、歌ってくれる人は多かった。
最も印象に残ったのは、大学の食堂で働いている青年だ。
「あのう、すみません。 日本語が全然わかりませんが、参加してもいいですか?」と私は調理師の服装をした彼に声をかけられたので、「はい! もちろんできますよ。 教えますから。」と答え、日本語の五十音図からメロディーまで教えた。 発音はそれほど正しくなかったが、彼は心を込めて大声で歌ってくれた。
彼のお母さんはお金を稼ぐため、現在日本で働いている。 残念なことに、2011 年お母さんは日本で地震に遭ってしまった。 もともとお母さんとの連絡は少なかったが、その時通信が完全に途絶えてしまったので、心配でいてもたってもいられなかったと教えてくれた。 幸いなことに、日本人のボランティアは、彼のお母さんを助けてくれ、地震発生から数日後、彼は連絡が取れた。 母を助けてくれた恩返しをずっとしたいと思っていた彼は、今回の活動はちょうどいい機会だと語ってくれた。
今年の母の日に、彼は撮影した動画をお母さんに送ると、受け取ったお母さんは、そんな彼を誇りに思い、すぐに周りの日本人に見せたそうだ。 みんな「いいね」と言ってくれた。 小さなことかもしれないが、その価値はみんなに認められた。 この一人の青年のおかげで、参加者が増え、中国人の運転手さんやケニア人の院生も参加してくれた。 参加者の幸せな笑顔は、まるで花が鮮やかに咲き誇っているようだ。
「日本語の日」に私一人では大したことができないが、日本語を学びたい中国人や、日本の何かの役に立ちたい中国人など、日本語や日本に触れ合いたい一人でも多くの人と共に、日本語を学びながら、「花は咲く」という歌を歌えば、日本人の心を癒やすことがきっとできるはずだ。 今、私の大学の人々は「花は咲く」を歌っている。 今はまだ小さな活動だが、これが中国全土に広がり、いつか国境を越え、山を通り抜け、日本人の心に届くと信じている。
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