レナウン清算へ 「ダーバン」など小泉グループに

民事再生手続き中のアパレル大手、レナウンの管財人は 21 日、主要ブランドを同業の老舗、小泉グループ(大阪市)に売却すると発表した。 レナウンは清算される見通し。 かつて総合アパレル最大手だった名門が消滅することになる。 当初 6 月末をめざしていた、グループ全体の再生を支援するスポンサーの選定は、ブランド価値の低下などで難航。 小泉グループの 2 社が主なブランドを取得することで決着した。 残るブランドは廃止する方向だ。 交渉には、事業会社や投資ファンドなど複数が名乗りをあげていた。 レナウン側は各社の資金力などについて検討した結果、小泉グループを選んだもようだ。

小泉グループは主に婦人服を手がけ、創業 300 年を超える。 売上高は 400 億円規模。 量販店を中心に販売する「小泉アパレル」と、百貨店を主な販路とする「オッジ・インターナショナル」が、レナウンの主な 5 ブランドを取得する。 小泉アパレルは、カジュアル系の「シンプルライフ」など 2 ブランドを、オッジは、紳士服の「ダーバン」や高級衣料の「アクアスキュータム」など 3 ブランドを、それぞれ引き受ける。 売上高は小泉アパレルが 100 億円規模、オッジが 30 億円規模だという。 売却額は非公表。 売却には民事再生法に定められた裁判所の許可が必要となる。 許可が得られた場合には 9 月 30 日の売却を予定している。

小泉グループは、知名度のあるブランドと既存事業の相乗効果を狙う。 持ち株会社「小泉」の郷原文弘社長は「レナウンのブランドの認知度は高く、事業を継ぐことにはメリットがあると考えた」と話す。 だが、レナウンは民事再生の手続き入りして以降、運転資金を確保するため、大幅なセールを実施するなどしており、ブランド価値の毀損は避けられない見通しだ。 加えて、コロナ禍による在宅勤務の浸透などでスーツの需要は落ち込んでおり、ブランド力をどこまで生かせるかは未知数だ。

10 ブランドは廃止の方向

家族向けの「アーノルドパーマータイムレス」など売却対象に含まれない 10 ブランドは廃止する方向だ。 レナウン本体の従業員はもともと 600 人近くいたが、希望退職などの実施で、9 月 1 日時点で 250 人ほどになる。 このうち、売却されるブランドの従業員は、小泉グループが引き受ける方向だという。 レナウンはかつては総合アパレル最大手だったが、バブル崩壊で業績が悪化。 2010 年に中国の繊維大手、山東如意科技集団の傘下に入り再建しようとしたが立て直せず、コロナ禍で行き詰まった。 約 140 億円の負債を抱えて、5 月 15 日に再生手続きの開始決定を東京地裁から受けていた。 (中島嘉克、佐藤亜季、asahi = 8-23-20)

前 報 (5-29-20)


見限られた日米の名門アパレル 「新陳代謝怠ったツケ」

レナウン、さよならセール - -。 8 月 1 日、東武宇都宮百貨店(宇都宮市)で、紳士服「インターメッツォ」や婦人服「シンプルライフ」などレナウンブランドの店が最終セールを終えると一斉に閉店した。 だが、レナウン本社の担当者はセールはもちろん閉店さえ知らなかった。 「社内が混乱し、誰もコントロールできていない。」 かつて売上高で日本一のアパレルだった名門のレナウンだが、いまやリストラ策の決断はおろか、重要情報の共有すらままならない。

東京地裁に民事再生法の適用を申請し、事実上破綻した 5 月 15 日の直後。 前会長の北畑稔はワールド社長の上山健二(現会長)に電話をかけた。 「レナウンの面倒を見てもらえませんか。」 北畑はスポンサーがすぐに見つかると楽観視していた。 自分たちは 100 年超の歴史を誇る名門アパレルだ - -。 スポンサー候補には全てのブランドと雇用の維持が前提と伝えたが、その自信と世間の評価には大きな開きがあった。

かつて 20 - 40 代の憧れだった紳士服「ダーバン」やインターメッツォ、シンプルライフの主要顧客は 60 代になった。 ブランド力が落ちる中、強気な価格設定も変わらなかった。 「今のレナウンを引き受けるのは難しいな。」 こう周囲に漏らした上山は申し出を断った。 その後、社長の毛利憲司がルックホールディングスなど複数の会社に接触したが、いずれも成果は出なかった。 あるレナウン幹部は「日本一だったというプライドが邪魔をし、ブランドを新陳代謝しなかったツケだ」と吐き出す。

再建の主導役は北畑ら首脳陣から管財人に代わったが、それでもうまくいかない。 「引受先は決まらないのか。」 スポンサー探しの期限だった 6 月末を過ぎ、毛利の表情には日に日に焦りの色が濃くなった。 結局、最後はブランドや子会社を切り売りする「解体」しかなかった。 大半のブランドは廃止し、「ダーバン」や「アクアスキュータム」などは 8 月中旬に入札をかけて売却する。 連結で約 900 人いた従業員は 300 人前後に減らす。 8 月 17 日に予定していた東京地裁への再生計画の提出は遅れた。 「8月末までには売却のメドがつくだろう。 ただ、レナウンの看板は消える。」 毛利は苦渋の表情で周囲に話した。

7 月、米国でも紳士ブランドとして 200 年以上スーツを提供していた名門ブルックス・ブラザーズが経営破綻した。 「もう何年も買っていない」、「在宅勤務でもうスーツはいらないよ。」 SNS (交流サイト)には突き放すような書き込みが並んだ。 保守的なスタイルと機能性を備えたブルックスのスーツはオフィス勤務者に支持されたが、変化への対応が遅れた。 1990 年代以降、ジャケット不要の「ドレスダウン」が普及しスーツ離れが広がった。

調査会社スタティスタによれば、米国の紳士スーツ売上高は 2012 年に約 25 億ドル(約 2,600 億円)あったが、20 年には 21 億ドルまで減る見通しだ。 ブルックスもポロシャツなどカジュアル品を増やしたが、ファンは「品質の劣化」とみなした。 ネット通販への対応も遅れた。 「とどめを刺したのは新型コロナウイルスだが、破綻は必然だった。」 大手商社幹部はこう分析する。

「これ以上賃料は下げられません。」 6 月、女性向けブランド「セシルマクビー」を運営するジャパンイマジネーション会長兼社長の木村達央は出店する商業施設の責任者から伝えられた。 「もうブランドは続けられないな。」 悟った木村は 7 月 20 日、90 年代から 10 - 20 代女性のあこがれで平成アパレルの代表格だったセシルマクビーの全店閉店を発表した。 06 年度のピークから時代の変化に合わせようともがき続けたが販売減は止まらない。 そこに新型コロナが襲った。 もはや賃料削減など小手先では対応できなかった。 「規模が大きいだけのブランドはもう生き残れない。」 (nikkei = 8-17-20)


ワールド 350 店舗余閉店 「アクアガール」など 5 ブランド廃止へ

アパレル大手の「ワールド」は、新型コロナウイルスの感染拡大でファッション業界での経営環境が大きく変わる中、収益力の抜本的な向上を図る必要があるとして、「アクアガール」や「オゾック」など 5 つのブランドを廃止したうえで、国内にある 350 店舗余りを閉店し、200 人程度の希望退職を募集することになりました。 発表によりますとワールドは、若い世代をターゲットにした「アクアガール」や「オゾック」など、5 つのブランドについて、収益の改善が見込めないとして販売を終了し、このほかのブランドについても今後、絞り込みを行うとしています。

また、収益性の低い店舗を整理するためショッピングセンターなどに出店している 358 の店舗を来年 3 月までに閉店させるほか、9 月には、40 歳以上の社員を対象に、200 人程度の希望退職を募集します。 ワールドは、感染拡大による臨時休業や営業時間の短縮などの影響で、業績が悪化し、5 日発表したことし 4 月から 6 月までの第 1 四半期の決算では、売り上げが去年の同じ時期を 45% 下回り、最終的な損益が 24 億円の赤字となりました。

会社では、ファッション業界での経営環境が大きく変わる中、収益力の抜本的な向上を図る必要があるとしていて、今後はネット通販を強化するなどして事業の立て直しを図る方針です。 (NHK = 8-5-20)


米衣料品大手アシナ・リテール・グループ、破産法第 11 章の適用を申請

米国衣料品大手のアシナ・リテール・グループ(本社 : ニュージャージー州)は 7 月 23 日、米連邦破産法第 11 章(日本における民事再生法に相当)の適用を申請した。同社は声明で、事業運営維持に向けて 1 億 5,000 万ドルの資金を調達する一方で、傘下に持つジャスティスやアン・テイラーなどの一部店舗閉鎖などを通じて、ブランド・ポートフォリオの最適化を進めていくとの意向を明らかにした。

実店舗への高依存度に加えて、新型コロナウイルス感染拡大による需要減が影響

同社が裁判所に提出した申立書では、破産申請に至った要因として、オンライン販売への移行が進む中で実店舗への依存度が高すぎたこと、新型コロナウイルス感染拡大を受けた自宅待機令により店舗閉鎖を余儀なくされ、販売目標の未達、在庫の積み上がり、利益率低下につながったことなどが挙げられた。 同社は、3 月中旬から全ブランドの店舗を臨時閉鎖しており、これにより 3 カ月間の総売上高は 45% 減となった。

アシナ・リテール・グループのキャリー・テフナー暫定会長は声明で「当社が持続可能な成長の促進や営業利益率の改善、財務基盤の強化を掲げたことで得られた有意な進展は、新型コロナウイルスの感染拡大によって大きく崩れた」と述べた。 1962 年にアパレルチェーンのドレスバーンとして創業したアシナは、さまざまなブランドを買収する多角化戦略によって成長を遂げてきた。 しかし、若い女性がザラや H & M などのファストファッションやオンラインショップに目を向けつつある中で、アン・テイラーやロフトの高価格帯ブランドを買収(2015 年)したため、熱狂的なファンはいたものの、売り上げの増加にはつながらなかった。

米分析会社 ISS EVA の基礎研究グローバル・ディレクターであるアンソニー・カンパーニャ氏は「アシナの多角化戦略が裏目に出た」と指摘し、「小売業界全体がオンラインに移行する中で、ショッピングモールに出店するようなブランドの占める割合が高く、このような誤算が破産へとつながった」と述べた。 (ニューヨーク・タイムズ、樫葉さくら/JETRO = 8-3-20)


セシルマクビー撤退示す「今後危ないブランド」

渋谷から生まれたひとつの文化が終わった - -。 1990 年代中盤から 2000 年代の "ギャル文化" を牽引してきたレディースブランド「セシルマクビー (Cecil McBee)」を展開するジャパンイマジネーションが 7 月 20 日、全国 43 店舗のセシルマクビー直営店と EC の展開を順次終了すると発表した。 ライセンス事業は継続するものの、渋谷のギャル文化を支えてきたブランドの終焉のニュースに、SNS 上では驚きの声とともに惜しむ声が多く寄せられている。 なぜ、セシルマクビーは店舗事業から撤退するに至ったのだろうか。

経営の観点では評価する声も

同社は撤退の理由として「新型コロナウイルスによる生活様式や消費行動、消費者の価値の変化に対応するため事業の再構築」を挙げる。 しかし、それ以前から業績は低迷していた。 2020 年 2 月期の売上高は 121 億円(前期比 9.1% 減、6 期連続の赤字)で、ピークの 2007 年 1 月期の 242 億円から半減している。

店舗事業からの撤退はセシルマクビーのみではなく、「エージープラス (a.g.plus)」、「ルモアーズ (Rumor.s)」、「カシェック (CACHEC)」など 6 ブランドの事業も終了。 業績が好調な「アンクルージュ (Ank Rouge)」、「ジェイミー エーエヌケー (Jamie エーエヌケー)」、「デイシー (DEICY)」、「スタニングルアー (Stunning Lure)」の 4 ブランドに事業を集約し、子会社のスタニングルアーの元で運営していく方針だ。 社員 570 人のうち主に販売職の 500 人は解雇し、人員は約 8 分の 1 に削減。 事業整理後の売上高は 3 分の 1 ほどになる見込みだ。 かなり思い切ったダウンサイジングだが、経営の観点では評価する声も小さくない。

体を守るという意味での衣服の不足は死に直結するが、着飾るための衣服は不要不急なものではない - -。 新型コロナウイルスがファッション、アパレル業界に与えるダメージは、旅行、飲食、エンターテインメント業界に匹敵するほど大きくなってしまうだろう。 非常に残念なことだが、一時代を築いたセシルマクビーの勇退は "終わりの始まり" となる可能性が高い。

筆者は長年にわたり渋谷の若者文化の生態を観察してきた。 セシルマクビー撤退のニュースを知ったその日、下北沢と高円寺で 2 軒の古着屋を取材し、代々木上原での打ち合わせを終え、渋谷へ向かった。 今のセシルマクビーと今の渋谷 109 をこの眼で確認しておきたいと思ったからだ。 古着屋の取材は、古着雑誌のためのものではなく、某百貨店の催事イベントのためのもの。 百貨店が古着(古靴)を扱うというのも昔では考えられないことで、いかに古着、セカンドハンド市場が注目されているかを証明していると言える。

昔はコアなマニアのためのものだった古着は、ヤフオク! やメルカリなどのフリマアプリが台頭したことで、今やセシルマクビーの主要顧客層である F1 層(20 - 34 歳の女性)にも広がっているのだ。 そんなことを考えながら井の頭線のホームを降りて、徒歩で渋谷 109 へ向かった。 私と渋谷 109 のファーストコンタクトは、1989 年までさかのぼる。 雑誌『ポパイ』や『ホットドッグ・プレス』を通して、渋谷カジュアル = 渋カジが流行しているのを知り、月に数回のペースで渋谷 - 原宿のインポートショップ(セレクトショップ)に通うようになった。 109 の地下にはさまざまなアメリカの商品を扱っているソニープラザがあって、よく立ち寄ったものだ。

1992 年頃に今のギャル文化の原型である "パラギャル" (パラダイスギャルの略)が出現し、翌年に渋谷の女子高生文化の幕が開けると、渋谷 109 はギャルの聖地となった。 そして老舗ティーン雑誌の『ポップティーン』、1995 年に創刊された『エッグ』と『東京ストリートニュース』などの雑誌の後押しを受け、1996 年頃から渋谷 109 に入居するアパレルブランドが爆発的に売れ始めた。 その中でも、強くて大人っぽいギャル像を描いたセシルマクビーは、ギャルのカリスマブランドとして憧れの存在になった。

黒ギャル → 白ギャルの流れに完璧に対応

ギャルのファッションは目まぐるしく変化したが、もっとも特徴的で大人が眉をひそめたのが髪型と肌の色だった。 茶髪に日焼けサロンで焼いた黒い肌という彼女たちの "顔の制服" は、コギャルと呼ばれた時代の 1993 - 94 年頃に一般的になり、年を追うごとに過激に進化。 ガングロ、ゴングロ、ヤマンバと過激化するにつれ離脱するギャルが増え、"黒ギャル" はカルト集団になっていく。 2003 年頃の黒ギャル終焉期の制服は、109 の中では高額なブランドだった「アルバローザ」だった。 アルバローザは黒ギャルがほぼ完全に消滅した 2006 年に店舗事業から撤退し、ライセンス事業に専念している。

そんな黒ギャルと入れ替わるように、2000 年頃から主流になったのが "白ギャル" のカルチャーだ。 セシルマクビーは黒ギャルと白ギャルの入れ替わる時期に、時流をしっかり読んで白ギャル方向にシフト。 1990 年代のギャル文化が 2000 年代のモテ文化に変化する流れに乗り、業績を飛躍的に伸ばしていった。 そうした流れを後押ししたのが、2006 年にスタートした F1 層向けのファッションの祭典「東京ガールズコレクション」だ。

今も多くの若い世代を魅了するイベントとして健在だが、初回から 6 回目くらいまでの熱量はとにかく凄まじいものがあった。 渋谷 109 とモテ服のブランドはこの世の春を謳歌し、セシルマクビーはその中心にいた。

渋谷 109 を視察する時は、いつも少し緊張する。 ほぼ客層が若い女子だから、否が応でも中年男子の 1 人客は悪目立ちしてしまうからだ。 1 階に足を踏み入れた。 東京の感染者数が増えている影響なのか、人はまばらで活気がない。 エレベーターで 2 階に上がると、右手がセシルマクビーの売り場だ。 iPhone を見ているふりをして、しばし売り場を観察する。 人はそこそこ入っているが、やはり覇気がない。 全体的な印象は地味目で、私が知るセシルマクビーとは違うブランドに見える。

店の中に入ってみた。 1 型のデザインが何着もラックに並んでいて、バリエーションが少ない。 セシルマクビーは 2017 年、ギャルという言葉がネガティブに捉えられる時代背景を考慮し、ブランドコンセプトを「モテ服 No.1」に刷新している。 それも上手くいかず、2019 年には「今の私にちょうどいい」を新たなコンセプトに変更したばかりだった。 たしかにちょうどいい服なのかもしれないけれど、中庸で面白みに欠ける印象を受けた。

厳しいのはセシルマクビーだけではない

2 階のフロアを一周する。 セシルと同じように一世を風靡した「マウジー (MOUSSY)」、「ロイヤルパーティ (ROYAL PARTY)」、「エモダ (EMODA)」といったブランドも、以前のような存在感がなく横並びの印象を受ける。 ブランドタグを外したら、どのブランドか見分けがつかないだろう。 8 階までフロアを周遊しても、いくつかのロリータ系のブランドを除けば、みんな同じに見える。 セールのポップ 1 つとっても、店員が手作りしたものが散見し、まるでクオリティの低い学芸会を見せられているような気分になった。 セシルマクビー単体ではなく、109 自体が厳しいと感じた。

ギャル全盛期には、カリスマ店員からデザイナーに昇格したマウジーの森本容子や「スライ (SLY)」の植田みずきなど、圧倒的なカリスマ性を持つデザイナーがいた。 素材は安っぽくても、力強く魅力的な服が店頭に並んでいて、それに熱狂する消費者がいた。 2000 年代前半、世界のトップメゾンの幹部やデザイナーたちは、来日する度にリサーチで渋谷 109 を訪れていたという。 今のマルキューブランドのほとんどは、おそらく商社、OEM、ODM 業者を通して製品を企画しているのだろう。

自社で企画せずともブランドが作れるシステムは、2000 年代に入って確立したが、お手軽さの一方で他のブランドと差別化できない問題をはらんでいる。 このままでは多くのブランドがセシルと同じようになってしまうのではないか … と危惧せざるをえなかった。 セシルマクビーが店舗事業から撤退せざるをえなかった理由はどこにあるのだろうか? 第一に挙げられるのが、ワンピースにヒールパンプスという女性らしい服装がダウントレンドにあることだ。 渋谷や原宿を歩いても、10 数年前に一斉を風靡したエビちゃん的なフェミニン全開の女子はほとんど見かけない。

ここ数年、モードの世界では男女の境のない「ジェンダーレス」なファッションがトレンドになっているが、日本の若い世代では女子が男子に寄せている印象が強い。 ゆったりしたシルエットのジーンズやワークパンツに T シャツをインして足元はスニーカー - -。 こんなスタイルが今時の F1 層の強めの女子(従来のギャルに相当する)の定番的スタイルだ。 セシルマクビーの今の世界観と乖離があるのは言うまでもない。

中庸なアパレルの「末路」

若者のファッションへの熱が薄れたのと、若者人口の減少も大きく影響している。 一部で熱狂的なファッション好きは健在なものの、多くの若者はかつての日本の若者のようにファッションに執着していない。 かつての渋カジ、裏原、ギャル、エビちゃん OL のように、ひとつのトレンドに世代全体が左右されるような現象は完全に過去のものとなり、ファッション好きの嗜好も細分化されているのだ。

ギャル全盛期の 1998 年に 18 歳だった 1980 年の出生数は 157 万人、モテ系全盛期の 2008 年に 18 歳だった 1990 年の出生数は 122 万人で、現在 18 歳の 2002 年の出生数は 119 万人。 1980 年比で約 38 万人も減少している。 ここ数年はインバウンド需要がその減少分をカバーしてきたわけだが、コロナ禍で改めて国内需要が縮小している問題が露呈したと言える。

2010 年代に入ってから、アパレルは上か下かしか生き残れないと言われてきた。 上とは欧米のトップメゾンや生地や縫製にこだわり抜いた上質なブランド、ほかにない圧倒的な個性があるブランドで、当然パイは少ないしライバルとの競争も熾烈を極める。 そして下のマーケットは、ほぼユニクロとジーユーの1人勝ちで、日本には対抗できるライバルは見当たらない。 オンワードホールディングス、TSI ホールディングス、三陽商会などの百貨店アパレルのブランドは「中」の象徴的な存在で、セシルマクビーなどのギャルブランドは「中と下」の中間に位置する存在だ。

中のマーケットは、限られた旬なブランドを除けば、上か下かのどちらかを目指すしかないわけだが、下は圧倒的な覇者がいて勝負にならないから、選択肢は規模を縮小して上のマーケットに挑むほかない。 今回、ジャパンイマジネーションが選択した事業方針はまさにこれで、赤字のメインブランド(セシルマクビー)を切り捨てて、収益性が高くコアなファンがいる 4 ブランドで生き残りをかける、というわけだ。

「次に緊急事態宣言が出て店舗を閉めてしまったら、立ち行かなくなる取引先(ブランドが)が大量に出てくる」とは、前述の古着屋取材で同席した百貨店バイヤーの弁だ。 今春夏の在庫を大量に抱えたブランドの多くは、そんなに遠くない未来に事業の整理や縮小を迫られることになるだろう。 もう一度くり返す。 セシルマクビーの店舗事業からの撤退は、中庸アパレルブランドの終わりの始まりなのである。 (増田海治郎、東洋経済 = 7-24-20)

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CECIL McBEE、渋谷 109 含む全 43 店閉店へ

10 - 20 代の女性に人気のファッションブランド「CECIL McBEE (セシルマクビー)」が、主力の「渋谷 109」の店舗を含め全 43 店を閉じる。 11 月までに順次閉店する方針だ。 1990 年代から若者ファッションの代表格としてブームとなり注目された。 ブランドや店舗を運営するジャパンイマジネーションによると、渋谷 109 の店舗では全盛期には月 1 億円ほどの売り上げがあったという。 だが、比較的低価格なファストファッションの台頭などで客離れが進み、近年は売り上げが低迷していた。

ジャパンイマジネーションはほかのブランドも展開しているが、新型コロナウイルスの影響もあって全体的に売り上げが落ち込んでいる。 セシルマクビー以外のブランドも含め店舗全体の 9 割に当たる計 92 店を閉店する。 これに伴い、全従業員 570 人の大半を解雇し、再就職を支援するという。

ジャパンイマジネーションによると、感染拡大に伴う店舗の休業もあって、業績が悪化した。 営業は段階的に再開したものの、ここに来て再び感染者は増えている。 再度の休業になれば、賃料などの負担に耐えられないと判断し閉店を決めたという。 ジャパンイマジネーションは、扱うブランドをセシルマクビーを含め 5 つほどに絞り込み、ネット通販の強化などで立て直しを図る。 (佐藤亜季、asahi = 7-20-20)


ブルックスブラザーズが国内 10 店を閉店 残る店は継続

米ブルックスブラザーズの日本法人、ブルックスブラザーズジャパンは、国内 10 店舗を 7 月末 - 8 月末にかけて閉店すると発表した。 今回の閉店は、米本社の連邦破産法 11 条の適用申請前から計画していたもので、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で販売不振となった不採算店などを整理する。 閉店するのは、東京大丸ウィメンズ店(東京)や金沢アトリオ店(石川)、博多阪急ウィメンズ店(福岡)など。 残る国内店舗計 72 店は、米本社の経営破綻とは関係なく、今まで通り続けていくとしている。 (asahi = 7-15-20)

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コロナ、ネット通販急伸 … 伝統のブルックス襲った荒波

米ニューヨークで創業してから 200 年余り、米国流スーツスタイルの象徴的存在だったブルックスブラザーズが経営破綻した。 仕事着のカジュアル化と小売業のオンライン化で逆風が強まっていたところに、新型コロナウイルスによる休業が追い打ちをかけた。 米小売業の苦境は深まるばかりだ。 ブルックスブラザーズは 8 日、米連邦破産法 11 条(日本の民事再生法に相当)の適用を米破産裁判所に申請した。 約 7,500 万ドルのつなぎ融資を確保したといい、営業を続けながら債務を整理し、身売りに向けた手続きを進める。

デルベッキオ最高経営責任者 (CEO) は声明で「流行の移り変わりや景気の波、そして二つの世界大戦もくぐり抜けてきた」と同社の歴史を振り返りつつ、「パンデミック(感染症の大流行)で逆風は強まる一方となった」と説明した。 環境変化に対応するための事業売却などを以前から検討していたという。

同社は米国建国から 44 年後の 1818 年、ニューヨーク・ウォール街近くで創業。 米国最古のブランドの一つとされる。 仕立て服から既製服に移り変わる時代のパイオニア的存在で、襟を小さなボタンでとめる「ボタンダウンシャツ」を初めて売り出したことでも知られる。 歴代の米大統領もリンカーンから現職のトランプ氏まで、さらに各界の著名人がスーツやコートに袖を通し、ビジネス界でも愛用者が多かった。

しかし米国では、西海岸の IT 企業を中心に、仕事着がスーツからカジュアルウェアに移っている。 フィットネス向けの軽装やスニーカー姿で通勤する若者も多い。 保守的な金融街のウォール街ですら、服装規定を緩める企業が出ており、「スーツ離れ」が進んでいた。 また、米アマゾンが主導する小売りのデジタル化は衣料品にも及び、実店舗での販売に強かった老舗ブランドは苦戦を強いられていた。 新型コロナの感染拡大で実店舗の大半が一斉休業に追い込まれ、デジタル化は一段と加速した。

米マスターカードによると、4 - 5 月の米小売り販売の 22% はオンライン上で取引され、前年同期 (11%) から倍増。 一方で実店舗の閉鎖はコロナ禍で加速し、今年は前年(9,800 店)を大きく上回る 2 万 5 千店が閉まると米調査会社は予測する。 コロナ問題が深刻化した後、米国では百貨店大手 JC ペニーやニーマン・マーカス、衣料品大手 J クルーなどが破綻に追い込まれ、ナイキ、リーバイス、ギャップといった大手ブランドが軒並み赤字に転落した。

加えてビジネス服が主力のブルックスブラザーズには別の逆風もあった。 在宅勤務が広がったり、結婚式などのイベントが軒並み中止になったりし、通常の衣料品以上に需要低迷が長引く恐れが強まったのだ。 カジュアル向けのブランドやネット販売も強化していたが、売り上げ減を補うまでには育っていなかった。

ブルックスブラザーズは世界 45 カ国で約 500 店舗を展開する。 北米には約 250 店あったが、うち約 50 店を順次閉店すると決めている。 米国内の 3 工場も閉じる方針だという。 身売り先の候補には、昨年夏に経営破綻した米高級百貨店バーニーズ・ニューヨークを買収した米ブランド管理会社オーセンティック・ブランズ・グループなどの名が浮上している。 (ニューヨーク = 江渕崇、asahi = 7-9-20)


高級ブランドすらも … アパレル在庫がレンタルに大量流入 コロナで不振「過剰供給」も背景に

新型コロナウイルスの感染拡大で、春・夏物の販売機会を逸したアパレルメーカーの衣料品が、洋服レンタルや在庫処分を手掛ける会社に大量に流入している。 余った商材の受け皿探しにアパレル各社が躍起になる中、衣料品の「過剰供給」もコロナ禍が改めて浮き彫りにした形だ。 感染を警戒して実店舗での販売が振るわない一方、ネット通販 (EC) でレンタルした商品をそのまま買い取る購入方法もじわりと広がる。

「これまで取引のなかったアパレルメーカーから仕入れの商談が寄せられている。」 女性服レンタルのベンチャー「ブリスタ(滋賀県草津市)」の高橋瑞季社長は話す。 同社は、350 ブランド以上約 4 千着から気に入った服をネットで注文でき、自宅に届けてくれる。 緊急事態宣言が解除された 6 月以降、同社には 10 以上のブランドから仕入れの話が舞い込んでいる。 通常なら取引が難しい高級ブランドも含まれているという。

背景には、4、5 月の小売店の臨時休業によるアパレルの販売不振がある。 京都市内 4 百貨店では衣料品の売上高が、4 月は前年同期比 82.9% 減、 5 月は 75.2% 減(日本百貨店協会調べ)と激減した。 在庫の現金化を急ぐため、アパレル各社は夏セールを 6 月から前倒しで本格化。 その一部がブリスタなどに流れている構図だ。

アパレルの在庫を定価の 1、2 割程度で引き取る在庫処分業「ライクカンパニー(京都市右京区)」では、持ち込まれる衣料品が 5 月ごろから増加。 現在の引き取り数量は前年の 3 倍ほどに膨らんでいる。 「多くが未開封で店頭に並ばなかったシーズン遅れの衣類」と言う。 「メード・イン・ジャパン」の品質などを武器に、中国や香港、東南アジアに格安で輸出することで売り切りを狙う。

経済産業省の 2016 年の報告書によると、国内の 10 年の衣料品市場規模は 10 兆円で 1990 年から 5 兆円減少した。 だが、10 年の国内供給量(輸入含む)は 40 億点と、20 年前から倍増。 流行がシーズンごとに頻繁に移り変わるため、大量の衣類が余って捨てられる「衣服ロス」が問題視されている。 新型コロナの影響で大手のレナウンが 5 月に経営破綻するなどアパレル業界は苦境が鮮明になっている。 感染の再拡大の動向次第では各社の次シーズン以降の商品製造にも支障が出かねず、過剰供給を前提にしたアパレルの戦略は転換を迫られそうだ。 (京都新聞 = 7-14-20)

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百貨店と沈んだアパレル 過剰生産を続ける業界の病理

レナウンや三陽商会の苦境に象徴されるように、アパレル業界が厳しい。 一因はコロナ禍だが、それだけではない。 作り過ぎた衣料品はセールでもさばききれず、「バッタ屋」にも殺到している。 アパレル不況に出口はあるのか。

民事再生の手続きに入っているレナウンの衣料品が、売れに売れた。 6 月第 1 週の既存店売上高は、前年の 1.8 倍。 営業が再開された東京・銀座の百貨店内にある売り場は、「ダーバン」のスーツや「アクアスキュータム」のシャツを求める若者らでにぎわった。 客を呼んだのは、ほぼ半値の「出血セール」だ。 当面の運営資金を確保するため、在庫を現金に換える必要があった。 6 月 15 日午後 3 時、レナウン株の東証での「最後の終値」は 4 円だった。 そこからはじいた時価総額は約 4 億円。 リーマン・ショック前の 500 分の 1 に満たない。

破たんレナウン「切り売り辞さず」

再生に向けたスポンサー探しは、当初めざした 6 月末までの決着はならなかった。 「会社全体の買い手が見つからない場合、ブランドの国内使用権や事業の切り売りも辞さない」と関係者は話す。 レナウンは 1902 年、大阪・船場で創業した。 60 年代からのテレビ CM 「ワンサカ娘」は、一世を風靡した。 86 年にはアメリカンフットボールチーム「レナウンローバーズ」が日本一になった。 しかし、90 年代に入りバブルが崩壊すると苦しくなった。 主な販売窓口である百貨店の地盤沈下とともに稼ぐ力を落とした。 2010 年には中国の山東如意科技集団の傘下に入ったが立て直せず、コロナ禍が追い打ちとなった。

「アパレルの御三家。」 レナウンとともにそう呼ばれた三陽商会とオンワード樫山も厳しい。

三陽商会は、東京・銀座のビルを売り払う検討に入った。 昨秋に改装したばかりの旗艦店だ。 英バーバリーのライセンス契約が 15 年 6 月末で打ち切りになり、次の柱となるブランドは見当たらない。 20 年 2 月期まで 4 期連続で純損失を出した。 「高品質のアパレル製品を生み出す資産を守り活用するためには、より大きな資本の傘下で立て直しを図るべきだ。」 5 月の株主総会を前に、大株主の米資産運用会社 RMB キャピタルから、身売りを求められた。 経営陣は、体制を改めた。 業績不振を踏まえた社長交代は 3 代連続だ。

「23 区」や「組曲」を展開するオンワードホールディングスは、来春までの 2 年間で 1,400 店の閉鎖を進める。 苦しいのは御三家だけではない。 帝国データバンクによると、新型コロナが一因とされる倒産は 8 日までに 322 件。 うち 21 件は雑貨や靴小売業を含めたアパレルだ。 業界に詳しいコンサルタント福田稔さんは「供給が多過ぎる市場で、デジタル化が進まず独自性のない企業は生き残れない。 コロナ禍は、そのことを浮き彫りにした。」と話す。

トレンチコート、税抜き 680 円

トレンチコートが税抜き 680 円、ベルト付きワンピースは 399 円 …。 大阪市に本社を置くショーイチは、ワケありのアパレルを格安で 販売する「バッタ屋」の大手だ。 倉庫には大量の段ボールが積み上がる。 全国の小売り現場で売れ残った衣料品が詰まっている。 扱う数は年に 1 千万点ほど。コロナ禍が起きた今年は、もっと多くなりそうだ。 「ブランド名のタグは切り取って」、「国内では販売しないで」。 ブランドが傷つくことを恐れる取引先からの要望に丁寧に応じ、ショーイチは商売を広げてきた。 「アパレル上位 20 社のうち半分ぐらいと取引がある」と山本昌一社長。 2005 年に設立し、足元の年商は 18 億円にのぼる。

ショーイチのようなバッタ屋が成長した背景には、アパレル業界に根強い過剰な生産がある。 それは「コロナ前」から続く。 経済産業省の 2016 年の報告書によると、国内市場は 10 年までの 20 年間で約 15 兆円から約 10 兆円に縮んだ。 にもかかわらず国内供給の点数は約 20 億点から約 40 億点に倍増した。 なぜ、そんなに作るのか。 レナウンや三陽商会などの老舗アパレルは百貨店とともに栄え、衰えた。 百貨店が消費者の憧れだった時代、アパレル側は、その棚を激しく争った。 商品を店頭に納めた後も自身の在庫として扱う百貨店有利の商慣行を受け入れた。コストは店頭価格に上乗せされたが、それでもよく売れた。

しかし、90 年代前半にバブルが崩壊。 買い手は少子化で減っていき、ユニクロなどのファストファッションに流れた。 多くのアパレルは、それでも売り上げを追った。 郊外に林立したショッピングセンターにも積極的に出店し、中国などの海外製を中心に過剰な供給を続けた。 大量の売れ残りをセールでさばき続け、収益力は低下。 「正価」への消費者の不信も招いた。

価格と価値「バランスとれていない」

「日本のアパレル流通の仕組みは、価格と価値のバランスがとれていない。」 三越伊勢丹ホールディングスの社長を 17 年まで務めた大西洋・羽田未来総合研究所社長はそう話す。 過剰な出店と供給を繰り返したアパレル大手の社員たちは、こう話す。 「店を閉めれば、そこにライバルが出店する可能性がある」、「商品がなければ、売りたくても売れない。 だから大量につくって、売れ残ったらセールで何とかする。」 経産省の 16 年の報告書は、供給の過剰を指摘し、改革の必要性を訴えていた。 残された時間はそう長くはない。 20 年をめどに、この数年をラストチャンスと捉えるべきだ - -。 手をこまねいているうちに、コロナ禍に襲われた。

デジタル化「勝ち組」にも危機感

「勝ち組」のファストファッションも、コロナ禍への対応を迫られている。 衣料品は従来、縫製工場からアパレル企業、小売店へと流れた。 ファストファッションは、これを改めた。 製造から販売まで一手に担い、品質と手ごろな価格を両立。 世界各地で出店を重ね、成長した。 ZARA で知られる欧州インディテックスや米ギャップ、日本のユニクロなどだ。 しかし、コロナ禍に伴う「巣ごもり」はそんなビジネスモデルのリスクと、ネット通販の強さを浮き彫りにした。

欧インディテックスは 6 月、最大 1,200 店の閉鎖計画を明らかにした。 デジタルの強化に今後 3 年で約 1,200 億円を投じる。 「最先端のテクノロジーを導入しアップグレードを図る。」 売り上げに占めるネット通販 (EC) の比率を、2019 年の 14% から 22 年には 25% 以上に引き上げる方針だ。 ユニクロも危機感を隠さない。 運営するファーストリテイリングの柳井正会長兼社長は「コロナ後の 20 年代に消費者に必要とされるため、デジタルのアクセルをさらに加速させる。」 19 年 8 月期の EC 比率は 11%。 これを 30% まで高める。 自前のブランドを立ち上げた米アマゾンも意識し、「お客のニーズにこたえられる企業だけが生き残る」という。

ユニクロは 6 月、「リアルとデジタルの融合」を掲げる店を東京・原宿に開いた。 写真立てぐらいのディスプレー 240 枚を壁一面に並べた。 一般の人から投稿された着こなしを見てもらい、店でもスマホ経由でも気軽に買ってもらう。

リアルは 2 店、アプリ会員は 2 万人

デジタル化の波は、日本発の新たなプレーヤーも生んでいる。 女性ファッションブランド「Juemi (ジュエミ)」は、EC 比率が 60% を超える。 月ごとの売上高は、コロナ禍の中でも伸び続ける。 肩がちょっと見えたり袖口が長かったりといった個性的なデザインが、20 代女性の心をとらえている。 リアル店は東京と名古屋に計 2 店しかない一方、アプリ会員は 2 万人にのぼる。 「テイスト、コーディネートに一瞬でひかれた」、「センスが大好き」。 そんな投稿が相次ぐ。

率いるのは、上海育ちの滝口樹理社長 (25) だ。 渋谷「109」の店員として働いた後の 14 年に起業した。 「自分が着たい服をつくりたい。」 デジタル技術を駆使し、デザイン、モデル、インスタグラムを通じた営業を 1 人で仕切る。 売れ行きを見極めて必要分だけつくり、欠品を恐れない。 価値を吟味した値決めを意識しており、シルエットと着心地にこだわった T シャツは平均 7 千円ほどだ。 セールは、できるだけしない。 滝口社長は言う。 「ユニクロになりたいわけではない。 自分の目の届く範囲に、気持ちをこめて届けたい。」 (佐藤亜季、筒井竜平、asahi = 7-13-20)