ついに終わる外国人技能実習、30 年の光と影 新制度への真の教訓は

中国、インドネシア、ベトナム - -。 この 30 年、主にアジア諸国から多くの若者が技能実習生として来日し、工場や農家などで働いてきた。 一方で人権上の課題も指摘され続け、ついに今夏、政府は制度解消を表明した。 長年、現場で制度運営にも携わってきた国際労働移動の研究者、万城目正雄さんに、30 年の功罪と教訓を聞いた。 「このままだと実習制度がなくなっても、ベトナム人労働者が多額の借金を抱えて来る実態は変わらない。」 万城目さんが、そう語る理由とは。記事後半では自由人権協会理事の旗手明さんも、新たな外国人受け入れ制度に向けた課題を語っています。

海外への技能移転や国際貢献を目的に掲げつつ、実質的に労働力を補ってきた技能実習制度が始まったのは 1993 年。 今や、外国人労働者の 5 人に 1 人が実習生です。

「技能実習は、各地の商工会議所など非営利組織が『監理団体』として実習生を受け入れ、傘下の企業や農家などで働いてもらう枠組みです。 政府と経済界は円滑な制度運営のため、監理団体や企業・農家の指導、実習生の送り出し国との折衝などにあたる財団法人、国際研修協力機構(現・国際人材協力機構)を設立しました。 私は機構に 97 年から約 20 年勤め、各地の監理団体や受け入れ先の企業などに助言・指導したり、アジア各国との協議に参加したりしました。」

「入った当時はバブル経済の崩壊で景気低迷が続き、実習生へのニーズはそれほど高くありませんでしたが、2000 年代に入ると『いざなみ景気(02 - 08年)』で受け入れ企業が続々と現れ、07 年には新規入国が年 10 万人を超えました。 08 年のリーマン・ショックや 11 年の東日本大震災で一時的に落ち込みましたが、人口減のもとで景気が回復すれば人手不足が成長のボトルネックになると考えられ、『アベノミクス』で外国人材の受け入れ拡大が明確に打ち出されると、14 年以降は受け入れが急増しました。」

なぜ、こんなに受け入れが広がったのでしょうか。

「実習生が働く会社の 9 割は、人手不足にあえぐ従業員 100 人未満の中小・零細企業です。 頼りだった地元志向の強い高校新卒は、2000 年の 24 万人から 15 年には 19 万人に減り、その分を実習生が補いました。」

高校新卒が減った分を実習生が補っている

「中小・零細企業は、多品種・短納期・低コストで受注生産していることが多く、遠い先までは経営を見通せない。 初めて外国人を雇う企業にとって、通常 3 年の実習期間が終われば帰国する実習生は、心理的にも受け入れやすかったのだと思います。」

「広島のカキ養殖や造船、愛知や静岡の自動車部品製造業 …。 全国の監理団体や受け入れ企業に足を運ぶなかで、実習生が地域産業の屋台骨を支えている例を数多く見てきました。 受け入れをきっかけに、作業マニュアルを整備して生産効率を高めたり、実習生の出身国に進出して現地生産を始めたりした会社もあります。 日本で経験を積み、帰国後に日本語を生かした職業に就いたり、起業したりして活躍している元実習生にも、何人も会いました。」

借金問題、必要なアプローチとは

一方、実習生は多額の借金を背負って来日し、過酷な働き方をさせられても返済のために我慢せざるを得ないとして、「強制労働」とも批判されてきました。

「実習生の日本語力では、自分の意思や労働者としての権利を、きちんと主張できない。 『奴隷制度』と言われても、やむを得なかったケースもあります。」

「ただ、必ずしも実習制度だから借金問題が起きたわけではありません。 国際移動する労働者は、渡航先での仕事の情報を仲介・あっせん業者に頼ります。 問題はその手数料の額で、出入国在留管理庁によると、実習生が自国の送り出し機関などに払った平均総額はフィリピンでは平均 10 万円弱ですが、ベトナムでは約 70 万円です。」

経済発展の水準はあまりかわらないのに、差がありますね。

「フィリピンは職業訓練の一環と考えて実習生派遣を始めた経緯があり、渡航する労働者の負担をできるだけ減らすため、日本の受け入れ企業側に多めの負担を求めています。 インドネシアも同じような方針で送り出しているので、実習生の負担は 25 万円弱に抑えられています。 私はこれを職業訓練ルートと呼んでいます。」

「一方、80 年代から労働者を海外派遣して外貨を稼いできたベトナムでは、07 年に世界貿易機関 (WTO) に加盟すると国営企業が独占していた労働者派遣業が民間開放され、大挙参入した利益重視の送り出し機関やブローカーが、様々な名目で実習生からお金を巻き上げるのが常態化しました。 カンボジアやミャンマーも同様に、実習生を海外派遣労働者ととらえています。」

「送り出し国をひとくくりにして考えず、国ごとの事情を踏まえたアプローチが必要です。 職業訓練の担当官庁を窓口とするルートを拡充しながら、手数料が高い国には是正を強く求める。 例えばベトナム人は、韓国や台湾に渡る時も多くは借金をして手数料を払っているといいます。 このままだと実習制度がなくなっても、ベトナム人労働者が多額の借金を抱えて来る実態は変わらないでしょう。 国同士のさらなる協力が必要です。」

いま日本で働いている実習生の半数はベトナム人です。

「実習生の前身制度の研修生は中国人が多かったこともあり、当初は『実習生 = 中国人』の時代が長く続きました。 2003 年に中国で重症急性呼吸器症候群 (SARS) が流行して供給が止まると、中国人実習生に頼っていた縫製業者などの中小企業は、あわてて縫製が得意だったベトナムにシフトしました。 そしてアベノミクスで日越ルートはフル稼働を迎え、ついに 16 年に人数で中国を抜いたのです。」

単に「転籍自由」にすれば OK でもない

原則として職場を移れない「転籍制限」があることも、人権侵害や失踪の原因とされ、政府も見直しが必要と認めています。 企業側は「技能を身につけるには同じ職場で 3 年働いたほうがいい」とする一方、実習生の支援団体は「会社に縛りつけるための強弁」と反論しています。

「私は機構で『実習生の人権侵害などが起きた場合は、転籍を柔軟に認めるべきだ』と主張していた一人です。 鳥取県の縫製会社で残業代の未払いが発覚したときは、転籍を渋る当時の入管に上司と掛け合い、実習生約 10 人を別の監理団体の他社に移しました。 そうした経験から言えるのは、外国人労働者にとって異国での転籍は相当大変だということです。 言葉の壁もある中、賃金や雇用契約の確認・交渉をしなければならない。」

「また受け入れ企業は、政府から『実習生は、帰国するまで責任もって面倒をみるように』と言われてきました。 『転籍制限』は、元々は『雇用維持』なのです。 だからリーマン・ショックの時も、日系人が大量に解雇されたのとは対照的に、職場に残れたのです。 『数年間、預かるからにはしっかり支えたい』と、寮に冷蔵庫やテレビなども買いそろえて迎える会社が大半です。 1 年ぐらいで転籍可能になったら、そうした責任感が薄れないか心配です。」

転籍制限は見直す必要はない、ということでしょうか。

「そうではありません。 職業選択の自由は、大切な権利です。 ただ借金の問題と同様で、技能実習をやめて転籍自由にすれば、人権侵害の問題が起きなくなるわけではありません。 『この職場にはいられない』という外国人労働者の声に早く気づいて転籍させてあげるには、労働者と職場の間に立つ団体が別の職場をあっせんする機能を充実させたり、外国人支援団体と連携したりと、救済の仕組みを手厚くすべきでしょう。 さもないと悪徳ブローカーにひっかかったりして、逆に不利益を被る恐れがあります。」

踏み込み過ぎたアクセル、後追いになった人権対応

万城目さんが所属していた機構は、まさに間に立って指導する役割が期待されていました。

「監理団体や受け入れ企業の管理態勢の強化よりも、技能実習制度の普及・拡大が重視されてきた面があるように思います。 実習生が受け入れ可能な職種は、最初は 17 でした。 政府は、バブル経済時に設計された制度を景気低迷時に根づかせるため『需要』を掘り起こそうと、90 年代後半に職種を一気に増やしました。 00 年には農業が、その後は介護や宿泊といったサービス業も対象となり、今や 88 です。」

「実習期間も延長が繰り返され最長 5 年になりました。 受け入れのアクセルを踏み込み過ぎた結果、景気の拡大局面で実習生が急膨張し、人権侵害への対応が後追いになった面は否めません。」

政府は、技能実習に代わる、人手確保も目的にした新しい受け入れ制度を検討中です。

「旧植民地や近隣諸国から労働者が集まる欧米と違い、日本が韓国や台湾などと競い合いながら優秀な人材を確保するには、魅力が必要です。 これまで日本の企業や地域社会は実習制度を通して、異なる言語や文化の若者と働き、生活するノウハウを積み重ねてきました。 この経験を生かし、新制度を受け入れの『玄関』と位置づけ、日本は外国人の技能育成やキャリアアップを後押しするプログラムを構築して『人材育成力』をアピールしていくべきでしょう。 送り出し国もまた、海外で働く自国民は技能を身につけてほしいと期待しています。」

技能実習制度は日本の「映し鏡」だった

永住への道を広げ、移民国家に踏み出す上での課題は。

「機構時代、実習生と受け入れ企業のトラブルに対応する中で、何度も『らちが明かない』とため息が出ました。 根っこに、日本社会の特異体質があると思い知ったからです。 実習生の受け入れ事業所の 7 割で労働法令違反が見つかったという調査結果がありますが、実は実習生の受け入れの有無にかかわらず、事業所全体の 7 割ほどで法令違反が見つかっています。 長時間労働、サービス残業 … 日本の課題が実習生によってあぶり出されているのです。」

「受け入れ企業の経営者から、下請けいじめの哀切も聞きました。 『元請けから、納品価格の引き下げを迫られる。 外国人を使っているから安くできるだろう、と。』 確かに実習生の大半は最低賃金近辺で働いていますが、そもそも日本人の働き手も 3 割は最低賃金に近いというデータもあります。 この 30 年間のデフレ経済のもと、企業が有期雇用を広げて賃金を抑えるサイクルに、実習生も組み込まれてきたとも言えます。」

「つまり、技能実習制度は日本の課題を照らし出す映し鏡だったのです。 人手不足だからと、受け入れ体制も整えずに外国人をどんどん入れると、ひずみが起きるのは実習制度が示した通りで、外国人が社会の底辺に滞留し、労働市場の二極構造化と社会の分断につながりかねない。 鏡に向き合い、日本社会や産業のあり方を見直す。 その上で、社会的立場の弱い外国人が安心して暮らしていくには何が必要か、議論することが大事だと思います。」

まんじょうめ・まさお 1972 年生まれ。 東海大学教授。 アジアの労働者送り出し国の事情と、日本の中小製造業や地域社会の問題を研究。 政府審議会で委員も務める。 2022 年 4 月から現職。

仲介は公的機関が担うべき 旗手明・自由人権協会理事

外国人技能実習制度が、人手不足の産業や地域を助けてくれた面があるのは確かです。 他方、労働条件が悪くて人が来ない、本来なら市場から退出すべき企業・業種を生き延びさせてきた面もあります。 そうしたところは延命させず、働く人が別の企業・職種にスムーズに移れるようにすべきです。 残業代の未払い、不合理な解雇、労災隠し - -。 過酷な労働環境や人権侵害に苦しむ実習生からの相談は、いまだに絶えません。 問題は、職場として失格の企業をふるい落とす仕組みはあるのに、機能していない点です。

指導する立場の監理団体が、企業の利害を優先して、実習生保護という重要な役割を放棄している例は多い。 実習生の保護強化に向けて 2017 年に外国人技能実習機構が新設され、監理団体や企業の指導を担っていますが、十分チェックできておらず、対応も形式的・表面的で実習生の救済に結びつかない例も少なくない。 「実習生に寄り添って話を聞き、ともに解決を図る」という姿勢がみえません。 「転籍の原則禁止」も、ルール上は人権侵害や人間関係のトラブルがあれば転籍できるのに、そう運用されていない。 そのルールを実習生が知らず、監理団体も理解していないことがあります。 周知不足、あるいは意図的な無視で機能していないわけです。

新たな外国人の受け入れ制度でも、送り出し機関と監理団体が仲介する技能実習と同様の枠組みは維持されそうです。 これでは外国人労働者が多額の借金を背負って来日し、不当な扱いを受ける事態は排除できません。 やはり、こうした構造は一度壊すほかない。 私は、送り出し国でも日本でも、仲介機能は公的機関が担うべきだと考えます。 政府間で直接仲介する韓国では、送り出し国に問題があれば受け入れ人数を絞っています。 日本も、過大な借金問題を解決できない国からの受け入れは制限していくべきだと思います。 (聞き手はいずれも織田一、asahi = 9-26-23)

はたて・あきら 1951 年生まれ。 自由人権協会理事、移住者と連帯する全国ネットワーク運営委員。 80 年代から外国人労働者問題に関わり、技能実習生の支援などにあたっている。 外国人労働者政策に関する著書・論文多数。 2016 年の参議院法務委員会の技能実習法案審議では参考人として意見を述べた。


外国人労働者の場当たり的受け入れは限界 求められる包括的な政策

外国人労働者の受け入れをめぐる議論が続いている。 技能実習制度を見直して職場を移れるようになると、地方の事業者が人手不足になるとも言われる。 どのような政策が必要なのか。 移民研究が専門の高谷幸・東京大学准教授に聞いた。

高谷幸 : 1979 年生まれ。 東京大学准教授(社会学・移民研究)。 著書に「追放と抵抗のポリティクス」、編著に「移民政策とは何か」など。

外国人労働者の受け入れについて見直しが検討されていますが、事業者側には不満の声もあります。

技能実習制度に依存したことで、根本的な解決を先送りにしてきました。 誰かの人権を制限することによる地域の成長は、果たして健全なのか。 特定技能制度の導入は、場当たり的に労働者性をごまかしながら受け入れるのでは持たないという共通認識にもとづいてなされたはずです。 技能実習制度の見直し議論では、転職が自由にできるようになることが、ポイントの一つです。 みんなが東京などの大都市に行ってしまうのではないかという不安の声が、事業者側から聞かれました。

でも、これは外国人に限らず日本の労働者でも同じです。 外国人も日本人も、きちんと働ける体制を地域で作っていくしかない。 それは移民労働者政策としてだけでなく、自治体や産業界も取り組むべき対策であるはずです。 確かに都会の方が給料は高いですが、生活費も高い。 そういうことまで考えると、都会に行くことは必ずしも経済的なメリットばかりではありません。 日系人に限らず定住する大きなきっかけは、魅力的な仕事があることのほか、結婚や子どもの誕生など家族の形成です。

地元住民との関係を保ちつつ、外国人に残ってもらうにはどうすればいいですか。

外国人の流出を防ぎたい自治体の一つの戦略としては、家族も含めてサポートする体制を整えることです。 それが移民をひきつける可能性になる。 群馬県大泉町や浜松市などには、外国人が住んでいくためのインフラがあります。 在日コリアンが多くいた大阪にも、そういう面があると思います。 他の地域に比べて外国人が家を借りやすいなど、差別が少なかったり、エスニック食材店や移民コミュニティーがあったりすることも、暮らしやすさの要素になります。

特定の人の権利だけを制限するのは公正とはいえません。 今は、移動する権利を抑えることによって留め置いているわけです。 逆に、何らかの形でインセンティブを与えることは、考えられると思います。 例えば、U ターン・I ターンなどの移住者に対して住宅や生活支援を行う自治体があります。 外国人に対しても、この地域が魅力的だから住んでいるという層を、どう作っていくかという問題だと思います。

外国人への政策は管理が強化されてきたとも言われます。

日本の外国人政策は、外国人を管理するという基本的な部分については、戦後ほとんど変わっていません。 誰がどんな資格で、いつまで居られるのかを登録し、管理するということが「入管」の権限で行われてきました。 入管はかつては出入国管理局でしたが、現在は出入国在留管理庁です。 この名称変更に、管理の拡大が見て取れます。 いわゆるニューカマーが増えてきた 80 年代以降、行政の縦割りが良い形で機能していた時期もありました。 当時、外国人労働者の多くはオーバーステイで、労災事故などが問題化していました。

これに対して労働省(当時)は、労働法規上は国籍や在留資格は関係なく実態を重視して権利救済するよう通知を出しました。 また、外国人登録は自治体が担当していましたが、在留資格がなくても登録すべきだとされ、一部の行政サービスを受けることができました。 しかし、2012 年の入管法改定により外国人登録証が、入管が発行する在留カードに切り替わりました。 在留資格がなければ持てないカードが行政サービスの根拠になったのです。 これは外国人の生活全般を規定する役所が入管になったことを意味します。 法律上、入管ができることは、どのような種類と期限の在留資格を与えるのか決めることですがその結果が、行政サービスにアクセスできるかどうかを左右するようになりました。

細分化された在留資格

外国人の雇用についても在留資格の複雑さが指摘されています。

外国人政策の大枠は官邸で決め、具体的な制度設計は入管が行います。 そうすると管理が優先されがちになります。 在留資格も細かく分かれ、いろいろな種類や期限がある。 例えば、介護職などでも技能実習や EPA (経済連携協定)に基づくものなど、様々な入り口があります。 本来は統合できるはずですが、制度を積み重ねた末に複雑になりすぎています。

そもそも、「労働」という在留資格に統一してもよいはずです。 そうしないのは、省庁や関係団体の利害のほか、資格をもとに特定の場に居続けさせ、管理しやすくするためだと推察しています。 一方で、そうした在留資格の区分や規定が、外国人の自立的な生活を妨げている面があります。 例えば、「経営・管理」の資格でレストランなどを経営しているとアルバイトなどの副業ができず、結果的に行き詰まってしまうことがあります。

外国人にどのように向き合っていくべきでしょうか。

入管はあくまでも出入国管理の役割に徹し、外国人の政策を担う責任官庁と基本法をつくるべきです。 差別を禁止し、権利を保障して、包括的に生活をサポートする法律にすればいい。 その上で、統合的な政策をきちんとやるべきです。 日本に来た人には、どんな年代の人でも日本語を学び、社会生活を送れるような知識を身につける機会が与えられる必要があります。 (聞き手・岡田玄、asahi = 9-10-23)


日本語指導が必要な子ども 5 万人 学びの場、どう確保

日本で働く外国人が増え、日本語を教える必要がある子どもたちも増えている。 「教育を受ける権利」はすべての子どもたちにあるが、海外から移り住んだ子どもたちを取り巻く教育環境はさまざま。 日本の公教育に溶け込めず苦労する子どもたちも少なくない。 「学びの機会」をどう確保していくのか。公教育と民間、それぞれの模索が続いている。

すぐに小学校には通わず

東京都福生市にあるフリースクールで 9 月、中国から来たジャーレンさん (9) が日本語を勉強していた。 「くがつ ここのか げつようび。」 ホワイトボードに書かれた「9 月 9 日月曜日」の言葉を指さし、斎藤真泉(まさみ)先生が一言ずつ区切って話すと、ジャーレンさんも続ける。 机を並べるのは、ネパールから来た男の子だ。 この日はカタカナの勉強も始めた。 ジャーレンさんは 8 月に来日したばかり。 日本で生まれ、父も日本人のため、日本国籍。 でも日本語は話せない。 生後 8 カ月からずっと、中国の祖父母のもとに預けられていたためだ。

中国人の母は日本に移り住んで 10 年以上になり、姉らも先に来日していた。 ジャーレンさんは小学校 4 年生にあたるが、まだ公立の小学校には通っていない。 ジャーレンさんが住む青梅市の教育委員会が、日本語をある程度、理解できるようになってから編入させる方針をとっているためだ。 青梅市教委は「本市に学籍を置くことは、お断りはしておりません」とした上で、こう説明する。 「日本語が全く理解できない場合、小学校の通常学級に通学させても、かえって学習に遅れが生じる。 ある程度の日本語が理解可能となった時点で、市立小中学校に入ってもらうことを保護者に勧めています。」

フリースクールが受け皿に

では、そうした子どもたちへの日本語教育はだれが担うのか。 ジャーレンさんの場合、その受け皿になったのが NPO 法人・青少年自立援助センターが運営するフリースクール「YSC グローバル・スクール」だ。 姉たちも同じようにフリースクールで 2 カ月ほど日本語を勉強してから公立学校に入った。

フリースクールにはメリットも、デメリットもある。 メリットとしては、短期間で集中的に日本語を学べることが大きい。 半面、デメリットとして、算数や理科など語学以外の教科にはなかなか時間が割けない。 同世代の子どもたちとの交流も不十分になりがちだ。 費用の問題もある。 フリースクールの受講料(全 40 回)は約 10 万円。 青梅市の場合、公費による補助はない。 経済状況に応じた奨学金を NPO が準備しているが、全員が義務教育のように無料とはいかない。

「受け皿」はまちまち

日本語教育の「受け皿」が地域によってまちまち、という実態もある。 青梅市のようにフリースクールに託す自治体はあるが、そもそもフリースクールが近くにない地域では、ボランティアの市民グループが受け皿になることも。 外部に託す場合も、青梅市のように公費が出ない自治体もあれば、国の補助金も含めて、公費を出して地域の NPO などに委託する自治体もある。 公立の小中学校で最初から受け入れて「別教室」のような形で日本語を教えるケースや、教育委員会が「拠点校」や「拠点施設」をつくり、そこに日本語が話せない子どもたちを集めるというやり方をとっている自治体もある。 いずれにせよ、子どもたちがどこに住むかによって、日本語教育を受けられる環境は大きく異なってくるのだ。

外国籍の子どもへの教育は義務?

日本の子どもたちには、どこに住んでいても等しく義務教育を受けられる環境が整えられている。 では外国にルーツがある子どもたちが教育を受ける権利・義務はどうなっているのか。 日本も批准する国際人権規約では、すべての人に教育に関する権利を認め、初等教育は「義務的なものとし、すべての者に対して無償とする」とうたわれている。 日本国憲法や教育基本法で義務教育が保障されているのは「国民」で、外国籍の子どもはその対象に含まれないというのが一般的な法解釈だ。

 

文部科学省は「就学を希望すれば、日本人の児童生徒と同様に無償で受け入れており、日本人と同一の教育を受ける機会を保障している」と説明する。 この 6 月に成立した日本語教育推進法では、国と地方自治体に、日本語を学びたい外国人に日本語を教える義務を課した。 ただ、自治体が子どもの実情に応じてどれだけの教育環境を用意するのか、そのための予算をどう確保するのかなど、課題は山積みだ。

学校に入っても、つきまとう困難

日本語が十分に話せない状態で公立の小中学校に入った子どもたちには、さまざまな困難がつきまとう。 「友達もいなく、楽しくなかった。」 千葉市のかおりさん (15) は、中学校生活をこう振り返る。 タイ人の母親とともに、2018 年 3 月にタイから来日した。 翌 4 月、日本語がまったく分からない状態で千葉の市立中学校に入った。 千葉市では、日本語ができない子どももすぐに受け入れる方針をとっていた。

日本語の特別授業は週に 1 - 2 時間。 あとは学校外の日本語教室や日本語学校などで勉強するしかなかった。 日本語が分からないまま、日本の子どもと同じ授業を受けるため、ついていけない。 話しかけてくれる子もいない。 もう一人、ネパールから来た生徒がいたが、別のクラスだった。 かおりさんはいま、週に 1 度、半日だけ学校に通う。 ほかの日は「多文化フリースクールちば」に通うようになった。 高校進学を目指している。

日本語指導が必要な子ども 16% 増

文部科学省の 18 年度の調査では、日本語指導が必要な子どもは、日本国籍・外国籍合わせて約 5 万人いる。 16 年度の調査に比べ約 16% 増えた。 そうした子どもが住む地域はさまざまで、「一つの学校に、日本語指導が必要な子どもが 5 人未満」は、外国籍の児童生徒が通う小中高など約 8 千校のうち 74% にのぼる。 外国にルーツのある人が多く集まる地域では、教員が多く配置されたり、受け入れのノウハウが共有されたりしているが、多くの地域では、そうした環境を整えにくい。 少人数の子どもに手厚く教えようとすれば、教員を増やすための予算が必要になるが、地域の理解を得られるとは限らない。

自治体の模索、予算がネックに

各自治体では試行錯誤が続いている。 日本語が必要な子どもが 4,586 人で、全都道府県で 3 番目に多い東京都には「集めて教える」という仕組みがある。 各区市町村で、日本語指導が必要な児童生徒が計 10 人以上いた場合、複数の学校区から通える日本語学級の拠点をつくり、そこに子どもたちを集めて教えるというものだ。 各拠点で日本語教育にあたる教員 120 人を配置している。

各市区町村が独自の予算をつけ、日本語教育を支援するところもある。 東京都三鷹市では、国際交流協会の日本人ボランティアに 1 時間 3 千円の謝礼を出し、「おなかが痛い」など生活に最低限必要な「サバイバル日本語」を教えてもらっている。 予算の制約があるため、子ども 1 人につき教える時間の上限は 20 時間で、延長も 20 時間までだ。 市が投じた今年度の予算は 73 万 5 千円で、担当者は「これ以上やるのは予算上厳しい」と話す。

進路、不登校 … 対応は多岐に

日本語を教えれば済むという話でもない。 難民らに日本語指導をしている社会福祉法人「さぽうと 21(東京都品川区)」には、埼玉県や千葉県から電車で 1 時間以上かけて通ってくる子どももいる。 学習支援コーディネーターの矢崎理恵さんは「学校の勉強について行けるような学習支援や、受験対策をふくめた進路相談への対応もある」と話す。 学習面以外でも課題は多い。 子どもが不登校になったり、保護者の不安定な生活環境が子どもに影響したりしたときの対応などだ。 日本の子どもでもそうした状況になることはあるが、外国にルーツがある子どもの場合、教師と保護者の間でコミュニケーションが取りづらかったり、保護者側も日本の制度を理解するのが困難だったりして、子どもへの支援が行き届きにくくなりがちだ。

外国人の人口が全国 3 位という埼玉県川口市。 クルド人も多い地域だが、支援者らによると、中学生になると学校に通わなくなる子どもや、中学生の年齢で来日しても学校に一切通わない子どもがいるという。 平日の昼間に、コンビニや公園、ショッピングセンターで子どもたちがたむろしていることも。 地域で活動する支援者は「排除されたという不満がたまり、いつか爆発する時期がくるのではないか」と心配する。

日本語教育が専門の早稲田大の池上摩希子教授は「中長期を見据えた教員指導と養成が必要だ」と指摘する。 国立の愛知教育大では 17 年度から、外国につながる子どもへの指導を教員免状取得のための必修科目にした。 「どの地域でも外国人の子どもが学べ、教員が教えられる環境を確保するためには、こうした取り組みを教育行政として広げていくべきだ」と、池上教授は話す。 (藤崎麻里、asahi = 10-19-19)


特定技能外国人支援、代行業者が続々 質保てるか懸念も

新たな在留資格「特定技能」を持つ外国人労働者の生活を支援する「登録支援機関」が続々と誕生している。 政府は今後 5 年間で最大 34 万 5 千人の受け入れを見込む。 支援業務が商機になるとみて、企業を中心に各地で 1,800 を超える機関が法務省に登録した。 短期間に大量の支援機関が誕生することで、支援の「質」が保てるのか、懸念もある。

特定技能の外国人に対し、受け入れ企業は出入国時の送迎や住居の確保、銀行口座の開設、携帯電話の契約などで支援することが法律で義務づけられている。 登録支援機関は、そうしたノウハウがない中小企業に代わって外国人支援を「代行」し、1 人当たり月数万円が相場とされる委託費を受け取る。 すでに 8 月 22 日時点で全国で 1,808 機関が登録した。 うち、関東、甲信越の 10 都県を管轄する東京出入国在留管理局には 738 機関が登録。 同管理局の福山宏局長は「半分弱は株式会社。 外国人の受け入れ会社から委託費を受け取れるので外国人支援を『業』として展開できる好機、と踏んで参入している。」とみる。

登録支援機関になった TSB・ケア・アカデミー(東京都調布市)が 6 月に都内で開いた説明会には、外国人労働者の受け入れを検討している介護事業者ら約 40 人が参加した。 アカデミーの親会社は電子部品の商社で、中国や東南アジアに製造・販売ネットワークを持つ。 これを生かし、人手不足が深刻な日本の介護業界で働く意欲のある現地の人材を募集。 すでにベトナムに 3 校、フィリピンとラオスに 1 校ずつ人材養成学校をつくっており、日本語や介護スキルを習得させ、早ければ年内にも日本へ送り出しを始めたい考えだ。 日本の介護事業所で働き出してからも、登録支援機関としてフォローしていくしくみだ。

アカデミーの任博・事業部長は説明会で「日本で唯一、人材教育から支援までをワンストップで提供できる。 皆さんに自信を持って人材を紹介する。」と参加者に語りかけた。 外国人技能実習生の日本側の受け入れ窓口である「監理団体」が登録支援機関を兼ねる例も目立つ。 実習生として 3 年の経験がある外国人は事実上、特定技能の資格が自動的に得られるからだ。

2012 年から主に造船業の実習生をフィリピンなどから受け入れる監理団体「ワールドスター国際交流事業協同組合」(愛媛県今治市)もその一つだ。代表理事の橋田祥二さんは「実習生を抱える企業から『実習終了後も引き続き、特定技能の在留資格で外国人に働き続けてもらいたい』という声があり、そうした企業や外国人労働者を支援するために手を挙げた」と話す。

大手も動き出した。 人材派遣のパソナ(東京都千代田区)は 8 月 9 日に登録支援機関になった。 外国人の活用をめざす企業からの支援依頼が見込まれるためだという。 「登録支援機関になっていないとできない業務にも対応できるようにする(広報)」としている。 企業だけでなく、個人も登録支援機関に名乗りを上げる。 なかでも行政書士は、外国人の在留資格の申請手続きなどに必要な書類を作成しており、登録が相次ぐ。 神奈川県のある行政書士は「いまの仕事量だけでは生活が厳しい」として、外国人ビジネスへの参入を決めた。 業務を通して築いた外国人人脈を生かし、すでに在留している外国人から協力者を募ったりして、支援態勢を整える。

申請書の提出「簡単」

支援機関になるためのハードルは高くない。 医療や防災の情報を提供する態勢や、日本語学習支援の取り組みなどを確認する申請書を法務省に提出する。 だが、「ほとんどがチェックボックス式の回答なので簡単。 拍子抜けだ。」と東海地方の人材派遣会社の幹部は言う。 申請書類には、外国語で対応できる担当者名を明記する必要があるが、「記した人物がどれだけ外国語会話ができるかなど詳細は聞かれない。 架空でも通る。(幹部)。」 一方、法務省は「申請書だけで判断していない。 申請者に関して必要に応じて警察当局をはじめ関係省庁に照会している。 ハードルを低くしていない。(出入国在留管理庁在留管理課)」と強調する。

「大量生産」に伴って懸念もふくらんでいる。 支援機関は、契約先の企業で働く外国人と定期的に面談するが、この場で「残業代をもらっていない」などと訴えられた場合、労働基準監督署などの関係行政機関に通報しなければならない。 だが、支援機関にとって受け入れ企業は、委託費をくれる「顧客」でもある。 その顧客の不正を自ら明るみに出せるのか。 法務省は「まずは通報しないといけない。 できる、できないの話ではない。(在留管理課)」と言い切る。

劣悪な労働環境が批判を浴びている技能実習生の場合、受け入れ企業から集めたお金で運営される監理団体が甘いチェックで不正を見逃す例が数多く指摘されてきた。 支援機関の立ち位置もこの監理団体と同じだ。 現状では、特定技能の資格を得て在留している外国人は 7 月末時点で 44 人と少ないため、トラブルは表に出ていないが、大量にできた支援機関が十分な「質」を伴わず、チェック機能を果たさない事態が相次ぐ可能性がある。

また、急ごしらえで特定技能の仕組みをつくったため、登録支援機関が活動するうえでの詳細なルールが示されておらず、混乱に拍車をかけかねない。 例えば支援機関が外国人労働者を自家用車で送迎する場合、国土交通省によると、支援機関が運送事業の許可も得なければ、白タク行為として道路運送法違反に問われる可能性がある。 当の出入国在留管理庁内でも「白タクになるなんて思ってもみなかった(幹部)」と驚きの声が上がる。

支援機関が問題を起こしてつまずけば、外国人支援をまかせた企業は別の機関を探す必要がある。 外国人の受け入れ制度に詳しい弁護士の杉田昌平氏は、企業は「我が社の外国人従業員の生活をきちんと支援してくれる支援機関を選ぶ」という意識を強く持つべきだ、と指摘。 支援機関に関する情報を業界で共有することなどを提言する。 (榊原謙、滝沢卓、機動特派員・織田一、asahi = 8-25-19)

〈登録支援機関〉 「特定技能」の外国人労働者を受け入れる企業と契約し、生活面での支援の他、事前のガイダンスで業務の内容や報酬など労働条件に関する情報の提供なども手がける。 受け入れ態勢などの面で要件を満たせば、株式会社や個人のほか、法人格がない NPO などの団体もなることができる。


1 か月の給料は「マイナス 2 万円」 ある技能実習生の給与明細の衝撃

国を挙げて行われる不正義、技能実習制度

現在、日本で働く外国人労働者は約 146 万人。そのうち、技能実習生は 32 万 8,360 人、留学生は 29 万 8,980 人である。 いずれもアジアから来た 20 - 30 代の若者が大半だ。 改正入管法の施行に伴い、今後 5 年間で最大 34 万人の外国人労働者が新たにやって来る。

だが、これまで本誌で伝えてきたとおり、すでに深刻な問題が起きている。 技能実習生や留学生は多額の借金を背負い、アジア各国から日本へ出稼ぎに来る。 だが、制度的欠陥や不正の横行により、始まったばかりの人生を台無しにする若者が後を絶たない。 日本人は国を挙げてアジアの若者たちを喰い物にし、安い労働力として使い捨てているのだ。 これは現在の日本社会が抱える最大の不正義の一つである。

ジャーナリズムの使命は国民の耳に届かない「声なき声」を伝えることだ。 そして今、日本社会で最も声をあげづらく、最も助けを求めにくいのは外国人労働者である。 「外国人労働者」という無味乾燥な六文字の裏には、顔と名前を持った一人ひとりの人間がいる。 保守系論壇誌『月刊日本』では、22 日に発売したばかりの 9 月号より、毎号その声なき声を伝えるという。

衝撃の給与明細

ここに一枚の給与明細書がある。 ある技能実習生が実習先の企業から受け取った、平成 30 年 8 月分の給与明細である。 そこに記載されているのは「出勤日数 1 日」、「支給合計 7,141 円」、「控除合計 2 万 7,316 円」、「差し引き支給額マイナス 2 万 0,175 円」。 そう、これは給料がマイナスの給与明細なのである。 技能実習の現場で何が起きているのか。 7 月下旬、ベトナム人技能実習生・留学生を支援している東京都・港区の浄土宗寺院「日新窟」で、実習生 2 人を取材した。

「私たちは仙台の内装・建築会社で働いていました。 これはその時の給与明細書です。」

「会社は嘘つきです。 今はもう日本人が怖い。」

こう話すのは、ベトナム人技能実習生のグエンさん(25 歳男性・仮名)とホアンさん(24 歳男性・仮名)。 2 人はベトナム南部のホーチミン市出身で、本国の日本語学校で机を並べて勉強した仲だ。 彼らは 2016 年に来日後、仙台の内装・建築会社の実習先に配属された。 だが、そこで待っていたのは「奴隷労働」だった。 まず賃金である。 2 人は同社で 1 年半 - 2 年近く働いたが、この間「給料をいくらもらったかは分からない」という。 会社が給与明細書を発行してくれなかったからだ。 昨年、何とか頼み込んで給与明細書を発行してもらったが、そこには衝撃の数字が記載されていた。

ホアンさんが昨年 3 - 4 月、6 - 8 月分の給与明細書を持っていた。 3 月分給与は 14 日出勤で支給額は 8 万 2,362 円、4 月分は 17 日出勤で 8 万 7,627 円だった。 しかし実際の出勤日数は 25 日以上だった。 会社側に抗議したところ、さらに出勤日数と支給額を減らされた。 その結果、6 月分は 1 日出勤で 6,948 円、7 月分は 8 日出勤でマイナス 4,220 円、そして冒頭で紹介したとおり 8 月分は 1 日出勤でマイナス 2 万 0,175 円だった。 さすがにマイナス分は徴収されなかったというが、支給額がマイナスの給与明細書など前代未聞である。

なぜ 5 月分の給与明細書がないのか。 ホアンさんの記憶は定かではなかったが、支給日を確認すると 4 月 27 日に 3 月分給与が、5 月 27 日に 4 月分給与が支払われたあと、6 月 27 日に 5 月分給与を飛ばして 6 月分給与が支払われていた。 さらに詳しく見ると、6 月分給与が 6 月 27 日に支払われたあと、7 月分給与は 7 月 27 日ではなく 8 月 27 日に支払われていた。 おそらく 5 月分給与は元から支払われておらず、その帳尻を合わせるために 7 月 27 日の給料日はなくなったのだろう。

いずれにせよ、ホアンさんが昨年 3 - 8 月の 6 カ月でもらった給与は手取りで 17 万 6,937 円、マイナスを加味した額面で 15 万 2,542 円だった。 毎月 20 日以上、つまり半年間で 120 日以上働いて給料が 18 万円にも満たないとすると、日給は 1,500 円以下である。 「低賃金」どころの話ではない。 2 人は食費にすら事欠き、寮の近くに住む他のベトナム人に食料を分けてもらったり、畑の道端に捨てられている野菜を拾って食べたりしていたという。

「出勤日を 1 日にされてからもう一度抗議したら、部長からもの凄く怒られました。 その後、『切符を買ったからベトナムに帰れ』と言われました。 監理団体にも連絡しましたが、何も言いませんでした。(ホアン)」

その後、本制度を統括する外国人技能実習機構(通称「機構」)が査察に入り、2 人は突然仙台の実習先から群馬の監理団体に預けられたという。

「実習先の会社からは『解雇だ』と言われ、機構と監理団体からは『技能実習は活動停止だ』と言われましたが、詳しい事情はよく分かりません。 とにかく何も分からないまま会社を辞めて群馬に行きました。(グエン)」

本誌はこの点について事実確認をするために機構へ問い合わせたが、「個別の事例については情報を公開していません」の一点張り。 当該企業にも取材を試みようとしたが、すでに倒産していた。

殴る、蹴る、怒鳴る

問題は他にもあった。 技能実習生は制度上、従事可能な職種や作業が定められており、グエンさんとホアンさんは「内装」の職種で技能実習を認められ、会社との契約書でも従事すべき業務は「表装(壁装作業)」と明記されていた。 しかし、実際の労働内容は違った。

「建築現場での運搬作業や解体作業など、職種とは無関係な雑用ばかりやらされました。 日本人がやりたくない仕事ばかり押しつけられる。(グエン)」

「それ以外にも社長や部長の自宅を建てさせられたり、社長が持っている田んぼの田植えをさせられました。 昨年は半月以上かけて手作業で田植えをしました。 どれくらい広いか、ですか? とにかく広かったです。(ホアン)」

労働時間はどうだったのか。

「朝 8 時から現場で仕事をします。 休憩時間は 1 時間。 日本人は昼食をとったあと時間一杯まで休むけど、ベトナム人はご飯を食べたらすぐ仕事に戻る。 仕事が終わるのは夕方 6 時。日本人は定時で帰るけど、ベトナム人は夜中 12 時まで仕事をする。 残業手当はつかない。 現場が遠いと寮に帰るのは朝 2 時。 やっと夕食をとって、次の日のお弁当を作ってから寝る。 起きるのは朝 5 時。 睡眠時間は 1 - 2 時間だけ。(グエン)」

契約書では「休日 定例日 : 毎週土、日曜日、その他」と記載されていたが、休日出勤もざらであり、当然のように休日手当はもらえない。

「でも、それは我慢できる。 辛いのは、日本人の態度が悪いこと。 木材で殴る、安全靴で蹴る、顔に向けて吸い殻を投げる、『アホ』、『バカ』、『死ね』、『現場から出ていけ』、『仕事を辞めろ』、『ベトナムに帰れ』と毎日怒鳴られる。 会社の人はパチンコで勝つと優しくて仕事をくれるけど、負けると厳しくて仕事をくれない。 仕事がもらえず、何もしないで過ごした時間も沢山ありました。(ホアン)」

この実習先では 6 人の実習生がいたが、1 人は帰国、2 人は失踪、グエンさんとホアンさんを含む 3 人は様々な事情から群馬の管理団体に預けられているという。 だが、彼らには借金が残っている。 家族に事情を打ち明け、日本で得た僅かばかりの賃金とベトナムで両親がコツコツ蓄えた貯金を返済に充てているが、完済には足りない。

「私は一人っ子で、両親を支えたくて日本に来ました。 でも、両親は『日本はテレビで観るのとは違って怖い国だから心配している。 いつでも帰ってきなさい。』と言っています。(ホアン)」

「私は 4 人兄弟の長男です。 両親は 65 歳以上の高齢で働けない。 自分が家族の生活を支えるしかない。 30 代の姉は乳ガンで、その治療費も稼がないといけない。 でも、日本でいくら働いても渡航費用の借金すら返せない。 『もう死んだ方がいい』と自殺も考えたけど、家族のことを思ってやめました。(グエン)」

この時、グエンさんのビザの期限は 8 月上旬に迫っていた。 グエンさんは「どうにもならなければ失踪します。 その後のことは分かりません。」と切なそうに微笑んだ。

「日本人は怖い」

後日、日新窟から連絡がきた。 2 人は監理団体からそれ相応の和解金を得て帰国することになったという。 帰国前にもう一度彼らに会った。

「皆さんのおかげで借金の心配はなくなりました。 ベトナムに帰ったらまた勉強します。 『特定技能』の枠でもう一度日本に来て、今度こそ技能を身につけたい。」

と語っていた。 その表情は先日よりも少しだけ明るい気がした。 彼らは日本で何を手にしたのか。 確かに借金の返済に十分な和解金は得た。 しかし家族を支える金額は稼げず、技能は何も習得できなかった。 再び日本に来られる保証もない。 彼らの手元に残ったのは、若い時代の貴重な 3 年間が無駄になったという事実と日本に対する恐怖や不信だけではないか。 取材中、日本人である筆者を前に、彼らは終始怯えるような目つき、弱々しい声音で話をしていた。 「日本人は怖い。」 アジアの若者から言われたこの言葉、その声の響きが忘れられない。 (ハーバー・ビジネス = 8-23-19)