世界遺産の軍艦島、台風により崩落拡大 補修工事できず

世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の一つ、長崎市の端島(軍艦島)で、国内最古の鉄筋コンクリート造りアパート「30 号棟」の崩落部分が台風 10 号によって拡大したと、市が 9 日発表した。 30 号棟では、大雨の影響などで 6 月中旬までに、7 階建ての南側 4 - 7 階、西側 6 - 7階の外壁や床などが崩れていた。 台風 10 号通過後の 8 日に市が調査したところ、同棟南側の崩落は 3、4 階部分の梁にも拡大。 石炭を貯炭場に運ぶベルトコンベヤーの支柱の一部も折れていた。

市世界遺産室によると、市とユネスコが定めた方針として、石炭の生産に関する施設の保全が優先されるといい、ベルトコンベヤーの支柱の補修工事の時期や方法などを文化庁などと協議する。 30 号棟はさらに崩落する危険があるため完全に立ち入りができず、補修工事はできないという。 (弓長理佳、asahi = 9-10-20)


北海道の町が独自の電線 大停電 2 年、電力は自ら守る

マイクログリッドとは

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窮地のブランド和牛 需要戻らず、BSE 以来の原価割れ

新型コロナウイルスの影響で、飛騨牛(岐阜)や松阪牛(三重)といった東海地方のブランド和牛が苦境に立たされている。 外出自粛などで外食需要が大幅に落ち込み、飛騨牛の枝肉価格は一時、通常より 3 割以上も下落。 需要を支えていたインバウンド(訪日外国人客)の回復も当面は難しく、行政や生産農家が試行錯誤を続けている。

「最初は海外や大都市だけのひとごとだと思っていた。 コロナの恐ろしさを思い知った。」

6 月下旬、岐阜県高山市で約 160 頭の肉牛を飼育する「辻畜産」代表の辻直司さん (58) は振り返った。 県産和牛が「飛騨牛」として銘柄化された 1988 年以降、飼育頭数を徐々に増やした。 インバウンド需要の恩恵も受け、2000 年代には現在の頭数を飼育するまでになった。 コロナ禍以前は、飛騨牛の最高等級「A5」の平均枝肉価格は、1 キロあたり 3,500 円前後。 しかし、中国や韓国、米国などが入国制限の対象になった 3 月には 1 キロあたり 3 千円を割り込み、国の緊急事態宣言が出た 4 月には 2 千円台前半まで落ち込んだ。

辻さんによると、子牛の購入費やえさ代など飛騨牛 1 頭の「原価」は約 130 万円という。 4 月には、出荷時の価格が 1 頭 100 万円前後まで落ち込んだ。

「えさ代にもならないくらいだった。」

価格が「原価」を下回ったのは「BSE (牛海綿状脳症)問題の時以来」だったという。 飛騨牛の出荷時期は月齢 30 カ月前後。 エサの種類や量を調整し、肉質のピークを出荷時期に合わせる。 相場の回復を待つ「出荷調整」が行われることも覚悟したが、時期を過ぎると、牛の病気や突然死のリスクが高まる。

「販売金額が下がっても、えさ代などの支出は変わらない。 えさの質を下げて肉質が落ちても、導入頭数を減らして 2 年後に売るものがなくなっても困る。」

と、辻さんは話す。 岐阜県は 5 月 18 日から 7 月 30 日まで、県内 2 市場であった 20 回の競りで、購買補助(飛騨牛購入の事業者に 1 頭あたり最大 10 万円の補助)を行い、市場価格を下支えした。 5 月以降は、飲食店の需要などが一部回復し、家庭内での消費も増え、平均枝肉価格は上昇に転じた。 6 月は枝肉価格が 1 キロ 3 千円台に回復。 肉用牛の販売をめぐっては、販売額が生産費を下回った場合に、赤字額の 9 割を国費と生産者の積立金で補填する肉用牛肥育経営安定交付金制度(牛マルキン)があるが、岐阜県は全国で唯一、制度が発動されなかった(6 月販売分)。

ただ、インバウンド需要の回復は見込めず、今後の見通しは不透明なままだ。 県畜産振興課の担当者は市場価格の回復は一時的とみる。

「今まではインバウンド消費に頼っていた部分がある。 今後は国内消費を拡大する施策をとっていかないと続かないが、どう PR をしていくのか、具体的な方策はまだ決まっていない。」と話す。

三重県の「松阪牛」も、感染拡大のあおりで市場価格が大きく下落している。 「A5」と「B5」の枝肉価格の平均は、東京市場の取引価格で通常 3 千円台半ばだが、昨年 12 月に 3,800 円台のピークを迎えたのを最後に、4 - 5 月は 2,600 円台に下落し、回復の兆しは見られない。

同県松阪市農水振興課の担当者は「外出自粛での影響で流通が止まっても、農家は飼育を続けているので出荷を止めることはできない」と話す。  産地の市町村は、ふるさと納税の返礼品に松阪牛のメニューを設けるなど支援策を進めるが、市場価格には反映されていない。 担当者は「外食産業に活気が出てこないと厳しい状況。 少しずつ人の流れが出てくる中で価格が戻ってくれればいい。」と見守る構えだ。 (松沢拓樹、asahi = 9-6-20)


2,500 円分パスモ、千円で販売 富士の公共交通を支援

静岡県富士市は 3 日、新型コロナウイルス感染拡大の影響で利用が減っている地域公共交通を支援するため、回数券や IC カード、高齢者向け定期券が最大 6 割引きになる補助事業を実施すると発表した。 予算約 1,400 万円には国の臨時交付金を充てる予定。

「市内公共交通共通回数券」はバス、岳南電車、タクシーで使用でき、2 千円分が千円。10 月 1 日から計 1 万冊を販売する。 「高齢者向け路線バス定期券」は富士急静岡バス、山梨交通の路線バス乗り放題定期券が2割引き。 今月 20 日から計 350 枚販売。 全国のほとんどの公共交通で利用できる「PASMO (パスモ)」は 2,500 円分(デポジットを含め通常は 3 千円)を千円で、20 日から 500 枚販売する。 いずれも購入は市民限定。

市外でも利用できる PASMO は市内事業者の支援につながらない懸念もあるが、市では「路線図や時刻表を配って市内利用を呼びかける。 IC カードの普及で将来的な利用拡大にもつながる。」としている。 販売場所などの確認は、市のウェブサイトか各事業者へ。 (六分一真史、asahi = 9-4-20)


大和ハウスが愛知・春日井に大型商業施設 来年秋に開業

大和ハウス工業は 4 日、愛知県春日井市に複合商業施設「春日井商業プロジェクト(仮称)」を建設し、2021 年秋に開業すると発表した。 地上 3 階建てで、スーパーやレジャー施設、生活雑貨店、家電量販店、フードホールなど約 70 店舗が入る。 延べ床面積は約 8 万 1 千平方メートル。 西友が 19 年 2 月に閉店した大型商業施設「ザ・モール春日井 Part 1」の土地と建物を買い取って解体し、8 月 31 日に着工した。 名古屋駅から車で約 40 分の国道 19 号沿いにあり、駐車場は約 2,200 台分用意する。 周辺はファミリー層に人気のあるベッドタウンで、5 キロ圏内に 30 万人が暮らすという。 (近藤郷平、asahi = 9-4-20)


淡路市長「若い方、ありがたい」 パソナの本部機能移転

地方移転・移住/地域再発見

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コロナで牛乳が品不足になる? 頼みの綱は北海道産

「毎日牛乳をもう(モ〜) 1 杯。 育ち盛りは、もう(モ〜) 1 パック。」 牛の着ぐるみ姿の農林水産省の職員が、YouTube で消費拡大を訴えたのは 4 月。 新型コロナウイルスの影響で休校となった学校給食や外食産業への牛乳の出荷が落ち込み、原料の生乳が大量に余りそうになったからだ。 しかし今は一転、それが足りなくなる恐れがあるという。 一体何が起きているのか。

牛乳は、酪農家が牛から絞った生乳を加熱・殺菌処理してつくられる。 チーズなどの加工品と違い、日持ちがしないため、消費地の近くでつくるのが一般的だ。 乳業メーカーは全国各地に工場を構え、酪農家から出荷される生乳を仕入れている。 この生乳の供給バランスが崩れつつある。 広大な土地に恵まれた北海道では生産量が増え、2019 年度は 409 万トンと全国の 55.6% を占める。 ところが北海道以外の地域では酪農家の廃業が加速している。 この 20 年間で北海道の生産量は 1 割増えたが、他の都府県では 3 割以上も減った。

北海道での生産が増えても、生乳の「日持ちがしない」という特性から、北海道以外の生産減少への対応は難しい。 そして、実際に影響が出かねない時期が近づいている。 それが 9 月だ。 乳牛は暑さに弱く、夏は生乳の生産が落ち込むのが一般的だ。 だが、夏休みが終わった小中学校の給食向けの牛乳の需要は増える。 生産減と需要増が重なるのが 9 月だ。 そして、そこへ北海道以外の酪農家の減少も重なってくる。

さらに今年はコロナ禍の影響まで重なってくる。 春先の一斉休校による学習の遅れを取り戻すため、夏休みの期間が短縮され、各地で 8 月下旬から学校が再開し、牛乳の需要増の時期が早まっている。 中堅乳業メーカーの森乳業(埼玉県行田市)の菅原成和・業務本部次長 (48) は「8 月の猛暑で牛のダメージも考えられる。 今年は北海道産がないと乗り切れない」と話す。 同社は埼玉と東京の小中学校に給食用の牛乳を出荷する。 埼玉県内のシェアは 4 割だ。 例年この時期は、生乳の半分近くを北海道産に頼っているが、今年はそれ以上の量を確保する必要に迫られている。

乳業メーカーなどの業界団体「J ミルク」によると、8 月の牛乳の消費量は前年比 3.7% 増で、9 月も同 1.3% 増の見通しだ。 夏休みの短縮に加え、緊急事態宣言の解除後も自宅で牛乳を飲む習慣が根付いているとみているためだ。 このため、今は消費を拡大しすぎないよう、7 月下旬ごろから乳業メーカーを通じてスーパーに牛乳の安売りを自粛するよう求めているほどだという。

こうした状況で頼りにされているのが、酪農が活発な北海道産の生乳だ。 ホクレン農業協同組合連合会(札幌市)によると、北海道と茨城県を結ぶ生乳運搬船「ほくれん丸」や JR 貨物などによる生乳の輸送量は 19 年度は 46.1 万トンと、過去 5 年間で約 1.4 倍に拡大した。 今年 7 月は約 5.5 万トンと前年同月と比べて 3 割近く増え、8 月もフル稼働に近い。

ホクレンはタンクの本数を増やすなど輸送能力を強化しているが、トラックの運転手不足もあり、大幅な上積みは難しい。 「9 月以降も暑さが続き、さらに台風で船便が止まれば、(本州などで)一時的に牛乳が品薄になる可能性は否定できない(担当者)」という。 18 年 9 月の北海道胆振東部地震では、北海道から本州への生乳の輸送が一時ストップし、本州の一部スーパーで牛乳が品薄になった。

生乳の生産増が続く北海道とその他の地域でなぜ、これほどの違いが出ているのか。 キーワードは「大規模化」だ。 広大な土地がある北海道は全国の生乳生産量の半数超を占め、酪農の大規模化が進む。 北海道東部の別海町。 酪農が盛んな当地では、人口の 7 倍超の 11.5 万頭の乳牛がいる。 同町で牧場を営む浦山宏一さん (60) は、16 年に株式会社「大地の雫」を立ち上げ、家族経営から会社組織に衣替えした。 17 年には国の補助金を活用して約 3 千万円の搾乳ロボットを 8 台導入し、乳牛を 400 頭から 1 千頭規模に増やした。 「将来の生産計画などの管理業務が多くなった。 経営者になった実感がある。」

生乳の生産では、1 日 2 回の乳搾りに加え、牛のエサやりや掃除に追われ、365 日休みがない。 こうした重労働は担い手不足の一因になってきたが、ロボットの導入による自動化で大きく変わった。 牛舎の一角に設置したゲート内でエサを牛が食べている間に、ロボットがアームを伸ばして四つの乳頭の位置をセンサーで確認し、吸引管を取り付けて搾乳する。 エサを目当てに牛が自らゲートに入るため、人が誘導する必要はない。 首回りに付けたタグで牛ごとにデータを管理しており、同じ牛が繰り返しやってきても、一定の間隔を空けないとゲートが開かない仕組みだ。

北海道でも人手不足は深刻で、規模拡大に見合う労働力の確保が難しく、ロボットの導入が相次ぐ。 オリックスの子会社で、搾乳ロボットの輸入・販売を手がけるコーンズ・エージー(北海道恵庭市)によると、これまでに販売したロボット約 900 台のうち 8 割近くが道内向け。 北海道の酪農家は 1 戸あたりの牛の数が、都府県の 2 倍超の約 140 頭と多く、巨額の投資を回収しやすい。 規模拡大を後押しする国の補助金制度が始まった 15 年度以降は、年 100 台のペースで売れているという。

一方、北海道以外の地域では大規模化がなかなか進まず、酪農の先細りの傾向が鮮明だ。 農林水産省の統計によると、北海道を除く都府県の酪農家数は 19 年が 9,070 戸で、20 年前(2 万 5,200 戸)の 3 分の 1 近くに減った。 北海道(5,970 戸)も 20 年間で 4 割強減ったが、それを大幅に上回るペースだ。 北海道のようにエサの牧草を自らつくったり、臭いの原因となるふん尿を処分したりする土地の確保が難しい。 大規模経営による効率化に踏み切れず、後継者も確保できずに廃業に追い込まれるケースも目立つ。

そんな中でも活路を見いだしている酪農家がいる。 東京都瑞穂町で牧場を経営する清水陸央さん (62)。 都府県は 40 頭未満の小規模経営が多い中で、北海道の酪農家に匹敵する約 130 頭を飼育している。 06 年に規模拡大に踏み切り、1 億 4 千万円を投じて搾乳ロボットなどを導入した。 都市近郊の酪農でやっかいなのは、大量に出る牛のふん尿だ。 清水さんは同町や青梅市の畑地 9 ヘクタールを借り受けてふん尿からつくった堆肥(たいひ)をまき、牛のエサに使うトウモロコシを育てている。 輸入に頼る牧草も価格の安いものを混ぜるなど工夫するが、それでも広大な土地で大量の牧草を育てられる北海道の酪農家と比べると 2 - 3 割は割高だ。

18 年から息子夫婦が牧場に隣接するジェラート店を開店。 夏場は 50 台以上入る駐車場が満杯になるほど繁盛し、牛乳の売り上げ減を補っている。 「ジェラートの支えがなければ東京で酪農は続けられなかった。 エサだけでなく光熱費や土地代も高く、本州で酪農をするのは明らかに不利だ。」と清水さん。 ある乳業メーカー幹部も「都府県の酪農の立て直しは難しい。 付け焼き刃だが、現状は北海道からの輸送能力を高めるのが現実的だ。」と指摘する。

日持ちがしない生乳を加工し、全国各地に新鮮な牛乳を届け、消費者はおいしく味わう。 これまでは当然のように行われてきたが、酪農を巡る環境の変化で、それもままならない。 コロナ禍が浮き彫りにした課題は今後、徐々に食卓にも影響を及ぼす可能性がある。 (長崎潤一郎、高木真也、asahi = 8-30-20)


西之島、なくなっちゃうかも? 噴火の方式に変化の兆し

西之島、拡大中

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集落で最後の 1 人、浮かぶ「消滅」 もう目指さぬ人口増

消滅可能性国家 - 日本

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北太平洋のサンマ漁 初水揚げも去年比僅か 1% 著しい不漁か

今月解禁されたサンマの棒受け網漁の中型船が 23 日午後、北海道東部の厚岸町の港に戻り初水揚げを行いました。 ただ、全く取れなかった船も多く、漁獲できたサンマの量は去年の初水揚げと比べわずか 1% ほどにとどまりました。 北太平洋でのサンマの棒受け網漁は今月 10 日以降、船の大きさごとに順次、解禁されましたが、小型船が魚群を見つけられず水揚げが全くない状況が続いていました。

こうした中、今月 15 日に出漁した中型船のうち 4 隻が 23 日午後、厚岸町の厚岸港に戻り、このうち 1 隻が公海で取れたサンマを初水揚げしました。 サンマを漁獲できたのは出漁した 12 隻のうち 4 隻だけで、取れた量も合わせて 600 キロほどと、去年の北海道東部での初水揚げと比べて僅か 1% ほどにとどまりました。 漁協によりますと、大きさは平均で体長が 25 センチほど、重さは 110 グラム余りと去年よりも小ぶりなものが目立つということです。

サンマはここ数年不漁が続き、ことしの水揚げは過去最低だった去年をさらに下回ると予想され、これまでにない極めて厳しい漁が見込まれています。 漁労長の 39 歳の男性は「サンマの群れがいなくて想像以上の厳しさだった。 非常に残念だがこれからに期待したい。」と話していました。 水揚げされたサンマは 24 日朝、厚岸町の市場で競りにかけられるということです。 (NHK = 8-23-20)


日本初、木造天守がホテルに 地方都市に新たな息吹き

愛媛県大洲(おおず)市の大洲城に新ホテルがオープンし、観光客にかつてない体験を提供している。 本物の天守で大名さながらの生活を味わえるという趣向だ。 観光客が宿泊できる天守は日本初にして唯一。 日本に残る数少ない木造建築の城のひとつでもある。 大洲城をホテルに生まれ変わらせたこと自体、大変な偉業だが、実はこれは大きな構想の一部に過ぎない。 目標は縮小しつつある地方都市を再生させることにある。

大洲は「伊予の小京都」とも呼ばれ、風光明媚な肱(ひじ)川や歴史的建造物、そして 4 階建ての優美な大洲城で知られる。 江戸時代に政治的な拠点となった後、明治・大正時代には蝋(ろう)や絹の生産および交易で栄えた。 しかし、日本にある他の多くの地方都市と同様、ここ数十年は斜陽が著しい。 1950 年代以降、大洲は大幅な人口減に見舞われ、1955 年に 7 万 9,000 人を数えた住民は 2020 年には約 4 万 2,000 人にまで減った。

「人口減に伴い、企業の閉鎖や家屋の放棄が起こり、より良い将来を求めて若者が街を離れるケースが増えた。」 そう指摘するのは、一般社団法人「キタ・マネジメント」で建築文化研究部門の責任者を務めるディエゴ・コサ・フェルナンデスさんだ。 「若いカップルがいなくなった結果、子どもの出生数も減り、ますます悪循環にはまっている。」 こうした厳しい状況を受け、多くの地主は、経済的価値を失ったとみられる古い家屋の解体を決めた。

フェルナンデス氏は「大半の場合、家屋だった場所は空き地になるか、駐車場として使われている」、「現状を続けるわけにはいかない、何か対策を打たなければ、という思いが地元住民の間に広がった」と語る。 そんな中で解決策の一端を担ったのがキタ・マネジメントだ。 同組織は「急速に姿を消していた」古い家屋の保存に奔走。 持続可能で地域社会に配慮した再利用の取り組みを進める。

スペイン出身のフェルナンデスさんは、2000 年代初めに建築学の学位を取得した後、京都に 1 年間留学した。 「水と建築、歴史」をテーマに博士論文を執筆していた 12 年、再び来日。 大洲に出会ったのはこの時だ。 「この地域は私の研究の柱になった。 少しずつ現地の人脈が広がっていった。(フェルナンデスさん)」

大洲城に宿泊する

現在の大洲城は再建された建物で、ホテルにしつらえる許可が当局から下りたのもそのためだ。 日本の文化財保護法では、天守の多くを含む有形文化財の改修に厳しい制限を設けている。 大洲城の場合、元の建物は 1888 年に取り壊されたが、地域のシンボルを惜しむ声が高まり、1990 年代に入って市が復元を決定。 再建に当たってはコンクリートではなく木材を使用した。

「木造だと何倍も費用がかかるうえ、戦後の建築基準法では高さ 13 メートルを超える木造建築を許可していなかった」とフェルナンデスさんは指摘する。 大洲城天守は高さ 19 メートルだ。 長年にわたる国への働きかけの結果、大洲市はついに木造による天守の建造を認められ、2004 年に復元を完了した。 大洲城は今年 7 月からホテル宿泊客の受け入れを開始。 一般向けの見学時間が午後 5 時に終わった後、宿泊客は天守を独り占めできる。

オープン初年の利用は年間 30 泊のみで、一度に宿泊可能なのは最大 6 人までとなる。 料金は 2 人で 1 泊 100 万円。 追加の宿泊客については 1 人 10 万円かかる。 天守には売店やトイレ、空調施設がないため、敷地内の目立たない場所に宿泊客用の豪華浴室とラウンジを設けた。 宿泊客は城に到着すると、ホラ貝の音やはためく旗、鉄砲隊に迎えられる。 伝統的な着物や武士の甲胄を身につけることも可能だ。

その後は、無形民俗文化財に指定されている地元の神楽でもてなしを受ける。 夕食は敷地内にある 4 棟の櫓(やぐら)のひとつで取り、食後は酒を飲みながらの月見や詩歌の朗唱も行われる。 城で夜を過ごした翌朝、朝食は崖にたたずむ古色豊かな別荘「臥龍山荘(がりゅうさんそう)」でいただく。 肱川を見下ろす茶屋も付設されている。

城下町ホテル

ただ、市内で宿泊先の選択肢となるのは大洲城ホテルだけではない。 「NIPPONIA HOTEL 大洲 城下町」と銘打ったプロジェクトでは、大洲市のあちこちに宿泊地を設けている。 市全体でみると、復元された古民家 3 棟に合わせて 11 室が点在する。 3 棟は大洲藩の藩主にちなんで「SADA」、「OKI」、「TSUNE」と名付けられ、いずれも興味深いエピソードを秘めている。

SADA は 20 世紀初頭に医師が所有していた家で、診療所として使われていた可能性がある。 現在ではホテル群全体のフロントの役割を果たし、宿泊客と一般客の両方に開かれたレストランも備える。 TSUNE にはかつて、400 年の歴史を持つ料亭が入居していたものの、1980 年代初頭に空き家となった。 現在は 2 室と宴会場を完備している。 最後の OKI は「これらの古民家の中で宝石のような存在(フェルナンデスさん)」だ。

「OKI は蝋の生産で富を築いた豪商、村上氏が所有していたものだ。 彼らは OKI を主な住まいとしていたため、地位を誇示する目的で趣向を凝らした。 大洲市内に残る最古の住宅のひとつでもある。」 城下町の民家は 1 泊 1 万 7,000 円から利用できる。 (CNN = 8-22-20)


砂防ダムはできた、人は戻らない 「価値ありゃせん」

77 人が犠牲となった広島土砂災害から 20 日で 6 年となった。 この日未明から、被災地は追悼の祈りに包まれた。 今年 8 月には住民らが待ち望んでいた砂防・治山ダムが全て完成。 「復興はまだ終わっていない」と受け止める住民もいる。

総事業費は約 310 億円

安佐北区大林地区で今月 7 日、最後の砂防ダムが完成し、17 日に現地を報道陣に公開した。 大林地区の砂防ダムは、堰堤(えんてい)の高さ 14 メートル、堤頂の長さ 66 メートル。 受け止められる土砂は約 4 万立方メートルで、25 メートルプール約 130 杯分に相当し、国土交通省中国地方整備局が造った 40 基のなかで最大規模という。

土砂をせき止めるための砂防ダムを 44 カ所、谷に土砂をためて森林を維持し、土石流を起こりにくくする治山ダムを 24 カ所、斜面の崖崩れ対策の工事を 31 カ所で進めてきた。 総事業費は約 310 億円にのぼった。 県の山本悟司砂防課長は「住民の方にとっては早くはないかもしれないが、できる限り迅速に工事を進めることができた」と話す。 国と県、市は発災 4 カ月後の 2014 年 12 月に 99 カ所で砂防・治山ダムなどを整備する計画を策定。 大林地区の砂防ダムができたことで、完成することになった。 同整備局の国時正博副所長は「地元の方の協力なしには完成しなかった。 6 年までにたどり着けて安心している。」と話した。

戻らない地域のにぎわい

砂防ダムは完成したが、地域のにぎわいは戻っていない - - 。 近くに住んでいた兄夫婦を亡くした同市安佐南区八木 3 丁目の立川(たつがわ)新三さん (83) は「復興は遠い」と感じている。 発災翌日から土砂に襲われた町並みを撮り、毎週のように砂防ダムなどの工事現場に足を運び、過程を撮影した。 撮りためた写真は約 1,600 枚にのぼり、一部を 7 冊のアルバムに整理している。 兄洋二さん(当時 81)とサチコさん(同 82)、自身が半世紀暮らした地、「阿武(あぶ)の里団地」。 避難道路や砂防ダムの完成をもってアルバムを完成させようと、最後の見開きページは空けたままだ。

水路や周辺の道路の工事はまだ続く。 狭心症を患い杖なしでは歩けず、「見届けたいけど、アルバムが完結するころに生きとるかね」とうつむく。 アルバムの表紙の裏には「阿武の里の未来、復興はどうなる?」と書いた。 この 6 年、地域ににぎわいが戻るよう願ってきた。 だが、被害が大きかった八木 3 丁目の世帯数は 6 月末で 853 と発災前より約 200 も減った。 団地も空き家や更地が目立つ。 ご近所の人たちは引っ越し、子どもの声も聞こえなくなり、寂しさが募る。 「人がおらんかったら、復興しても価値はありゃせん。」 (比嘉展玖、西晃奈、東谷晃平)

目指す防災意識の向上

「安全性は 100% 近くまで高まった。」 そう語るのは、広島工業大学名誉教授の菅原辰幸さん (73) だ。 60 人以上が犠牲になった同市安佐南区にある梅林小学校区に家があり、「復興まちづくり協議会」会長を務める。 この学区では災害の約 1 年後に有志で勉強会を開催。 16 年 5 月には住民主体で復興を進められるよう協議会を設立した。 5 つの地域部会で議論し、18 年 1 月には「災害に強い」、「人と人がつながる」などを柱とした復興まちづくりプランを作り、市に提出した。

協議会はいま、被災の伝承と住民の交流を目的にした市立施設の建設をめざす。 被災状況を展示し、語り部も配置する構想で、建設予定地も決まった。 菅原会長は「砂防ダムの工事完了によって、安心してしまう側面もある。施設を通じて防災意識を向上させたい。情報発信の場にもなれば」と力を込める。 (asahi = 8-20-20)


「核のごみ」の最終処分場の"応募控えて" 道が寿都町に要請

いわゆる「核のごみ」の最終処分場の選定で、後志の寿都町が調査への応募を検討していることを受けて、14 日午後、道の幹部が町を訪れ応募を控えるよう要請したことが分かりました。 これに対し町はあくまで応募を検討する考えに変わりがないことを伝えたということです。 原発の使用済み核燃料から出る「高レベル放射性廃棄物」、いわゆる「核のごみ」の最終処分場の選定を巡って、寿都町の片岡春雄町長は 13 日、選定の第一段階となる「文献調査」への応募を検討していることを明らかにしました。

これを受けて 14 日午後、道の土屋俊亮副知事など幹部が町役場を訪れ、片岡町長とおよそ 1 時間にわたって面談したことが分かりました。 関係者によりますと、この中で道から町に対し、高レベル放射性廃棄物は道内に「受け入れがたい」とする条例が定められていることを踏まえ、「応募は控えてほしい」と要請したということです。

これに対し片岡町長は「厳しい財政状況のもとでの今後のまちづくりを考えると応募も選択肢の 1 つだ」と答え、あくまで応募を検討する考えに変わりがないことを伝えたということです。 町では今月 26 日に町議会議員や漁協などの団体の代表との意見交換会を開いた上で、来月中旬にも応募するか決めることにしています。 (NHK = 8-14-20)


阿蘇と熊本市結ぶ大動脈「復活」 JR 豊肥線が全線再開 熊本地震から 4 年ぶり

2016 年 4 月の熊本地震で被災し、不通となっていた JR 豊肥線の肥後大津(大津町)−阿蘇(阿蘇市)間 27.3 キロの運行が 8 日午前、4 年 4 カ月ぶりに再開した。 熊本都市圏と阿蘇地域を結ぶ大動脈の復旧で、沿線住民らの暮らしを支える交通手段が回復し、地震や豪雨で寸断されていた観光振興の後押しとなる。 JR 九州によると、同区間は熊本地震の本震とその後の豪雨で被害が多発。 山腹崩壊で線路が埋まったり、流失したりした。

17 年 7 月から復旧工事に着手し、南阿蘇村を中心に計約 10 キロでレールを敷き直した。 立野(南阿蘇村) - 赤水(阿蘇市)間の傾斜地をジグザグに進む名物の「スイッチバック」も復活した。 この日、熊本市西区の JR 熊本駅では午前 8 時 20 分から、関係者が出席して出発式があり、鉄道ファンらが開通を祝った。 地震で地域全体が甚大な被害を受けた立野駅では同 9 時 50 分すぎ、住民たちが熊本発別府行きの観光特急列車「あそぼーい!」を出迎え、乗客たちにおもてなしをした。 (熊本日日新聞 = 8-8-20)


長岡花火、今年は 4 発打ち上げ 慰霊とコロナ終息願う

コロナ禍で中止となった長岡まつり大花火大会の予定日だった 2 日夜、新潟県長岡市で 4 発の花火が打ち上げられた。 75 年の節目を迎えた長岡空襲の犠牲者への慰霊と、新型コロナウイルス終息の願いを込めた。

日本三大花火の一つの長岡花火は、1,488 人が犠牲になった 1945 年 8 月 1 日の長岡空襲の犠牲者の慰霊と復興を願い、毎年行われてきた。 今年は戦後初の中止となったが、主催する長岡花火財団は花火の意義だけは伝え続けようと「慰霊と平和への祈り(3 発)」に加え「新型コロナウイルス感染症犠牲者の慰霊と早期終息を祈願する花火(1 発)」の計 4 発の尺玉(直径約 30 センチ)を打ち上げた。

空襲で父と姉を失った金子登美さん (86) は「長岡花火は年々にぎやかになって慰霊の意味が隠れがちだったけど、図らずもこういう形になり、75 年前のことに思いを巡らす人も増えたのではないでしょうか。」と話す。 4 発の尺玉の後、市民らは自宅前などで「慰霊・復興・平和」の思いを込め、手持ちの花火に点火した。 3 日も行われる。 (伊丹和弘、asahi = 8-2-20)


アクロス福岡、25 年で「まるで山」 鳥が種を運んだ

福岡市の繁華街・天神にある複合施設「アクロス福岡」が開業 25 年を迎えた。緑に覆われた地上 14 階の姿が「まるで自然の森のよう」と SNS で話題になっている。 アクロス福岡は、福岡県庁の跡地に 1995 年に完成し、大型ホールやレストラン、オフィスなどが入る。 建設当時から「自然との共生」をコンセプトとし、階段状になった南側の各階の屋上に厚さ 50 センチの人工土壌を敷いて緑化。 「ステップガーデン」と名付けられた。 その木々が徐々に育ち、今では南側一面をすっかり覆うようになった。 都会のど真ん中にそびえる姿は「アクロス山」とも呼ばれる。

管理会社のエイ・エフ・ビル管理(福岡市)によると、25 年の間に鳥が種を運び、76 種 3 万 7 千本だった植物が今では 120 種 5 万本になった。 クスやビワなど九州らしい植物が増え、自然の山の環境に年々近づいているという。 人工土壌に腐葉土が堆積(たいせき)し、水分を蓄え、地下のタンクに雨水をためて散水するシステムも今はほとんど使わずに済んでいる。

ネットでは「60 年後に森になると言われていた」といったうわさも話題になったが、管理会社の担当者は「60 年という逸話は分からないが、『山を育てる』との理念で取り組んできました」と話す。 ステップガーデンは、雨で滑りやすい日を除いて日中は開放されており、土日や祝日は屋上にも登れる。 管理会社は「さらに 25 年、50 年を目指して豊かな森をつくっていきたい。 ぜひアクロス山に登ってください。」と話している。 (上遠野郷、asahi = 7-26-20)


軟弱地盤の辺野古護岸「震度 1 で崩壊も」 専門家が解析

米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設計画をめぐり、地質学の専門家による調査団が、軟弱地盤の広がる名護市辺野古沖で建設を進めた場合、地盤の改良工事をしても、一部の護岸は完成後に震度 1 の地震で崩壊する可能性が高いとの解析結果をまとめた。 調査団は立石雅昭・新潟大名誉教授ら約 10 人。 2 日付で、解析結果を河野太郎防衛相らに文書で送った。 政府に対し、平常時の護岸の安定性しか解析していないとして、地震時についても解析するよう求めた。

調査団は、防衛省の調査で軟弱地盤が見つかった埋め立て予定海域北東側の護岸を中心に、防衛省が公表しているデータを基に解析した。 その結果、海面下の深いところまで軟弱地盤がある「B27」地点近くで建設を予定する護岸「C1」では完成後、震度 1 の揺れでも、護岸そのものの重みで海底の深い方に滑り落ち、崩壊する恐れがあることが判明したという。 さらに施工中も、震度 3 で崩壊の危険性があると分析した。

B27 地点について防衛省は本格的な調査は必要ないとの立場だが、立石氏は「このまま護岸工事を強行するのは無謀以外の何ものでもない」と取材に話した。 調査団の解析結果について玉城デニー知事は 3 日記者団に「いかに軟弱地盤を埋め立てて工事を進めることが暴挙であるか、(政府に)意見を申し上げていきたい。」と述べた。 (藤原慎一、asahi = 7-3-20)


全国 8 千の中小河川、浸水想定区域の未指定が 5 割超

洪水で浸水のおそれがある区域の指定が必要とされる全国約 8 千の中小河川のうち、半数超が未指定のままであることが朝日新聞の取材でわかった。 一昨年の西日本豪雨や昨年の台風 19 号では、中小河川の氾濫による大規模浸水の被害が目立ち、対策は急務となっている。

水害への備えを定めた水防法は、流域面積が広い約 400 の「洪水予報河川」と約 1,700 の「水位周知河川」で、洪水時に水につかるおそれがある浸水想定区域を指定するよう国や都道府県に義務づけている。 残る中小規模の河川は都道府県が管理する「その他河川」と呼ばれ、指定の義務はない。 だが、昨年の台風 19 号では、決壊した 71 河川のうち、6 割にあたる宮城県丸森町などの 43 河川が「その他河川」だった。 一昨年の西日本豪雨では、岡山県倉敷市真備町で本流のほか「その他河川」の 3 支流が決壊し、51 人が死亡するなど近年、被害が相次いでいる。 このため、周辺に民家や施設がある場合などは都道府県の判断で指定している。

朝日新聞は今月、47 都道府県に 5 月末時点の「その他河川」の状況についてアンケートを実施し、すべてから回答を得た。

それによると、5 月末時点で「その他河川」は全国に 1 万 9,510 あり、浸水想定区域の指定が必要と都道府県が判断したものは 40.9% の 7,977。 だが、このうち 52.7% の 4,206 では、浸水想定区域の指定ができていなかった。 進まない理由は、指定が義務となっている「水位周知河川」を優先していることや予算不足などが挙がった。 15 県が指定の必要な河川を「検討中」、「調査中」などと回答しており、指定が必要な河川数は大きく膨らむ可能性がある。

千年に 1 度の大雨、想定しても … 浸水対策、自治体足踏み

都道府県別の指定状況をみると、「完了」 7 道県、「実施中」 23 都府県、「今後、実施」 17 県だった。 実施中の 23 都府県の完了時期は、今年度中が 6 都県、来年度中が 6 府県、未定が 11 府県だった。 市区町村は、都道府県が指定した浸水想定区域をもとに住民向けのハザードマップを作る。 都道府県に、把握しているハザードマップの作成状況についても確認したところ、7,977 の河川のうち、91.7% の 7,317 で未作成だった。 (asahi = 6-29-20)

「その他河川」の浸水想定区域の指定状況

【完了】(7 道県) 北海道、群馬県、埼玉県、神奈川県、岐阜県、兵庫県、鳥取県

【実施中】(23 都府県) 岩手県、宮城県、秋田県、茨城県、栃木県、千葉県、東京都、新潟県、富山県、福井県、山梨県、静岡県、愛知県、三重県、滋賀県、京都府、大阪府、奈良県、岡山県、広島県、山口県、長崎県、熊本県

【今後、実施】(17 県) 青森県、山形県、福島県、石川県、長野県、和歌山県、島根県、徳島県、香川県、愛媛県、高知県、福岡県、佐賀県、大分県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県

「その他河川」で発生した主な被害

  • 台風 19 号(2019 年 10 月) 宮城県丸森町で内川や新川、五福谷川などが氾濫し、5 人が死亡。 福島県でも新田川水系の川があふれ、死者が出た。
  • 西日本豪雨(18 年 7 月) 岡山県倉敷市真備町で 1 級河川の小田川のほか、「その他河川」の高馬川など 3 支流の堤防が決壊し、51 人が死亡。
  • 台風 10 号(16 年 8 月) 岩手県岩泉町で小本川があふれ、高齢者施設の入居者 9 人が死亡。

北の大地にそびえる 100 メートルの塔、内部はボロボロ

北海道は、老朽化などを理由に取り壊す方針の「北海道百年記念塔(札幌市厚別区の野幌森林公園内、高さ 100 メートル)」の内部を報道陣に公開した。 周辺の内外には朽ちた鉄片や鉄粉が飛び散り、周囲はすでに立ち入り禁止になるなど塔の廃虚化が進んでいた。 一方で、市民の間には存続を望む声もある。 記念塔は北海道開拓使が置かれてから 100 年の 1968 年に着工、70 年に完成した。 高さ 100 メートルは 100 周年にちなんだ。 鉄骨トラス構造 25 階建てで、8 階に展望スペース(高さ 23.5 メートル、すでに閉鎖)が設けられた。 総工費約 5 億円の半分は道民らの寄付でまかなわれたという。

ただ、近年はさびた鉄の破片や粉末が飛散しているほか、台風で金属製部材が外れて落下するなどしており、道は塔周辺を立ち入り禁止にしている。 道の 2017 年 10 月の試算によると、内部に立ち入ることを前提にしないモニュメントとして保存維持する場合でも、今後 50 年間の維持管理に「約 26 億 5 千万円」かかる。 一方、解体は「約 4.1 億円」で済むとした。 ただ、札幌近郊では地域のシンボルとして親しまれてきただけに、存続を望む声もある。 市民らで作る「北海道百年記念塔の未来を考える会」は「現状維持は、解体による道民の精神的喪失感を救う」と、解体に反対している。 (松尾一郎、asahi = 6-28-20)


ゴルゴ 13 に YAWARA !も 15 万枚の原画が秋田に

秋田県横手市は 26 日、増田まんが美術館で多数の原画を預かる「大規模収蔵作家」に、さいとう・たかを氏と浦沢直樹氏が加わったと発表した。 さいとう氏はゴルゴ 13 や鬼平犯科帳、浦沢氏は YAWARA!、20世紀少年などの作品で知られる。 同館は 1995 年に開館し、原画の収蔵や保存、活用にこだわって運営。 他の類似施設にさきがけて、漫画原画に適した体系的なアーカイブ手法を提唱し、取り組んできた。 今回は作家側からの相談で実現した。

昨年のリニューアルオープンで、保存環境を充実、強化させ、原画収蔵可能点数を 70 万点に増やした。全国の原画保存の相談窓口としての機能もあり、同館はこれらの点が両氏に評価されたとみている。 収蔵数はさいとう氏が 11 万点で、浦沢氏が 4 万点。 同館の収蔵作家数は 180 人で、収蔵数は 40 万 6,669 点に増えた。 整理作業を進めた上で、個展などを開催する予定だ。

この日は、高橋大市長とさいとう氏がオンラインで対談した。 高橋市長は「ゴルゴ 13 には知らない世界や知識が込められており、社会勉強になった。 肉筆を間近に見られ、読者が新たな境地を探れる」とお礼を述べると、さいとう氏は「多くの人に見ていただければありがたい」と話した。 (山谷勉、asahi = 6-27-20)