風力発電が脅かすイヌワシの聖域 ESG 経営「二律背反」のリアル
再生可能エネルギーの「推進役」として期待される風力発電所に、逆風が吹きつけている。 地球温暖化を防ぐ再エネの試みが、生物多様性を脅かしかねないと、自然保護団体や地元から反対の声があがる。 守るべきものは、温室効果ガスの削減目標か、それとも身近な生態系なのか。(堀篭俊材、東谷晃平)
約 3 年前に閉鎖されたゲレンデに、桃色のタニウツギの花が咲き誇る。 新潟県関川村にある元スキー場。 「開けた土地は空から獲物がみえる。 イヌワシの狩り場になっている可能性が高い。」 現地を視察した日本自然保護協会の若松伸彦博士 (46) がつぶやいた。 環境省などによると、この周辺は絶滅の恐れがある国の天然記念物、イヌワシの生息が確認されている。 貴重な繁殖地で、風力発電所の建設計画が持ち上がっている。
■ 国立公園内に建設「なし崩し的に広がる恐れ」
事業主の東急不動産は、国立公園と重なる約 678 ヘクタールに最大 11 基、同約 4 万 7,300 キロワットの発電所を建てる計画だ。 2027 - 28 年度の間に着工し、30 年度の完成をめざす。 翼を広げると約 2 メートルになるイヌワシは風車の羽根に衝突する恐れがある。 日本自然保護協会は 4 月、中止を含め見直しを求める意見書を東急不動産に提出した。
食物連鎖の頂点に立つイヌワシは豊かな生態系が存在する指標だ。 若松氏は「生物多様性を守る目的の国立公園内に大型の風車を建てるのは異例だ。 今回の計画が認められれば、なし崩し的に国立公園に風車が乱立する恐れがある」と話す。 東急不動産が風力発電所の建設を計画する予定地には、風速などを分析する風況観測塔が立っていた。 晴れた日には福島、山形、新潟 3 県にまたがる飯豊連峰が見渡せる(新潟県関川村)。 環境省によると、環境アセスメントの実施を義務づける環境影響評価法の対象に風力発電が加わった 12 年以降、国立公園で大規模な風力発電所が建設された例はない。
東急不動産は「計画中の案件なので回答は控える。(広報室)」とする。 自然環境への計画の影響を懸念する新潟大の関島恒夫教授(生態系管理学)は「グローバルな温暖化対策とローカルな生物多様性の保護がトレードオフ(二律背反)の関係に置かれてしまっている」と指摘する。 所属する日本生態学会自然保護専門委員会でも、建設の見直しを求める意見書を出す方向だ。 関島氏は環境省の検討会で、風力発電の環境影響評価制度の見直しにもかかわる。 風力発電の現状を「建設ラッシュで適地が少なくなり、事業者間で陸地の奪い合いが起きている」とみる。
■ 地域別に多いのは東北、北海道、九州
政府は 2050 年に温室効果ガスの排出を実質ゼロにする目標を掲げる。30 年度には電源構成のうち、風力をはじめ再エネの割合を 36 - 38% にする目標だ。 再エネブームにのって風力発電所の建設ラッシュが続く。 日本風力発電協会のまとめでは、昨年末で全国に 2,626 基ある風車のうち、最も多いのは青森県で 387 基 (14.7%)。 次いで秋田県 325 基 (12.4%))、北海道 318 基 (12.1%) と続く。 地域別では東北、北海道、九州が多い。
やはりイヌワシの生息が確認されている岩手県は今春、環境影響評価のガイドラインに重要な生息地域を「レッドゾーン」として示し、風力発電の事業者に建設を原則避けるように求めている。 岩手県は「手続き中の風力発電所計画が増えており、イヌワシを含め環境への影響を避けたい」とする。 宮城県は4月、風力や太陽光など再エネ設備の所有者から税金を徴収する「再エネ新税」を全国で初めて導入した。 市町村が認定する再エネ事業などは非課税にすることで、再エネ推進と環境保全の両立を図る。宮城県は「風力発電の適地は県内には森林以外にない。だが、保水力のある森林などは守りたい」。青森県でも同様の検討が始まった。
風力発電の適地をめぐる争奪戦は「幻の魚」といわれるイトウが生息する国内最北端の地でも起きている。 今年 3 月、豊田通商の子会社、ユーラスエナジーホールディングス (HD) は、絶滅危惧種であるイトウの生息地周辺にある北海道稚内市、豊富町、猿払村などの 2 カ所の丘陵地で、最大 160 基をつくる計画を公表した。 最大出力は原発 1 基分に匹敵する 100 万キロワットにも達する。 「かつてない規模 (同社)」の計画だが、発電した電力は道内ですべて消費するのではなく、本州と道内を結ぶ送電線の建設を前提に進められている。
■ イトウの聖域にも最大 160 基の計画
イトウはサケ科の国内最大級の淡水魚で、大きなものは 1 メートルを超す。 かつて北海道や東北に生息していたが、天然では北海道の十数河川でしか繁殖していないとされる。 この地域では別の計画も進む。 石油元売り大手グループの ENEOS (エネオス)リニューアブル・エナジー (ERE) は昨年 9 月、最大 59 基、同 35 万 4 千キロワットの風力発電所を建てる計画を打ち出した。
日本生態学会北海道地区会は、イトウの生息地で相次ぎ出された二つの計画に対し、建設に伴う土砂の河川への流入などで「イトウの絶滅を招く」と中止を含め再考するよう要望している。 5 月 15 日にユーラスエナジーに北海道地区会が出した意見書では、道内にすでに設置された風車の半数を超す大規模な計画に対し、「風車数の増加による累積的影響で、野生動植物の種・生態系・景観レベルで大きな影響を引き起こす」と警告する。 同会の露崎史朗・北大教授は「道北では風力発電を増やす余地はもうない。このままでは河川の水質が変わり、イトウが絶滅する恐れがある。 鳥の抜け道もなくなってしまう。」と語る。
最北端の宗谷地方は風向きや風速が良好なばかりでなく、なだらかな丘陵地で風車を建設しやすいとされている。 イトウへの影響について、ユーラスエナジーの秋吉優副社長は「産卵床を把握できたところは計画から外したが、今後も専門家の意見を聴きながらイトウに影響があれば計画を見直す。 基数なども絞り込みたい。」と語る。 競合する ERE も計画を縮小する方向だ。 それでも地元にとって不安は消えない。 計画に反対する地元有志でつくる「猿払イトウの会」の男性は「原発で発電するよりは再エネの方がいい。 そう考えて地元には風力発電に賛成する人も少なくない。」と明かす。
「でも、大都市で使うエネルギーをつくるために田舎が犠牲になるのは納得できない。」
■ 企業の再エネ事業、背景に株主の視線
企業が温暖化対策を急ぐ背景には、環境や社会問題などに取り組む「ESG 経営」を重視する株主たちの視線がある。 再エネの中でも風力は夜も発電でき、太陽光に比べ設備利用率が高い。 再エネによる電力は、国が定める固定価格で電力会社が買い取る。 電気料金に上乗せされる費用は国民負担だが、確実に収益を見込める。 非政府組織 (NGO) の豪マーケット・フォースと気候ネットワークらは 4 月、メガバンク 3 行などに昨年に続き、6 月の定時株主総会で、株主提案すると発表した。
昨年は、温室効果ガス実質ゼロをめざす政府の目標に向けて計画の策定を求めた。 さらに今年は取締役会が気候変動対策について適切な監督能力があるかも開示するよう要望する。 気候ネットワークの鈴木康子氏は今回の提案は情報開示の次のステップとして「対策の実行を後押しするためのものだ」と話している。 株主総会で議決権を行使する運用会社も気候変動対策に前向きだ。 三井住友 DS アセットマネジメントは今年から、工場やオフィスなどから企業が直接排出する温室効果ガスや他社から供給を受けた電力について数字での排出量の開示を求める。
同社の坂口淳一氏は「まだ開示していない会社に取り組みを求めるのが狙い」と説明。 一方、生物多様性の確保については「企業の開示が進まず、議決権行使基準に取り入れるには時期尚早」と慎重だ。 先行する気候変動対策の試みが、株主以外のステークホルダー(利害関係者)から批判される構図は、ESG 経営が直面するジレンマともいえる。
■ 「経営者は危機感を持って全社で対応すべき」
ERE の親会社、ENEOS ホールディングスの ESG 担当者は「ESG や SDGs の対象は広く、全てに対応しようとすればジレンマを生じる。 リスクを抑え、ビジネスチャンスを最大化するには優先順位の高いものから取り組み、負の影響を小さくする努力をするしかない」と話す。 消費者の自覚を促す声もある。 国立環境研究所の日比野剛氏は「気候変動は世界で共通の『温度』という目標が掲げられ、投資のものさしにもなりやすい」と指摘。 生物多様性の保護には「企業は消費者が受け入れないものはつくれない。 消費者のマインドが変わることが求められる。」
ESG 経営への投資熱には一服感も漂う。 世界持続可能投資連合 (GSIA) の調査によると、22 年の世界の ESG 投資額は調査開始以来、初めて減少した。 世界をリードした米国で実態を伴わない環境対策を除外したためだ。 先行きにも暗雲が立ちこめている。 米大統領選をにらみ温暖化対策に否定的な議員が多い米共和党内で、ESG に反発する動きが強まっている。 なお投資熱が続く日本でも、改めて ESG 経営の中身が問われる。
地元で合意を得られず、中止になる風力発電計画も相次ぐ。 昨年は、総合商社の双日が北海道小樽市などで進めた計画や、ユーラスエナジー HD が青森県八甲田山系周辺で予定していた事業などが取りやめになった。 日本自然保護協会によると、昨年中止になったのは 11 件に及ぶ。 情報開示の対象を生物多様性への取り組みにも広げ、投資判断に役立てようと、国際的な「自然関連財務情報開示タスクフォース (TNFD)」の枠組みづくりが進む。
森林や土、水、大気、生物などの「自然資本」なくして経済活動は成り立たないからだ。 TNFD の日本人メンバーである MS & AD ホールディングスの原口真氏は「森林を切り開いて再エネ施設をつくれば、温室効果ガスを吸収している森林を減らし、気候変動を加速することにもなりかねない」と警鐘を鳴らす。 「現場の担当者レベルでは事業を止めてまで自然に配慮するなんて判断はできない。 気候変動と生物多様性の問題はコインの両面。 同時に解決しないといけない課題だ。 経営者が危機感を持ち、会社全体の問題として両立に取り組む必要がある。」と訴える。 (堀篭俊材、東谷晃平、asahi = 5-26-24)
だからドイツは「脱原発」に突き進んだ … 過激な環境左翼にドイツ政府が牛耳られている本当の理由
天気予報からは「よいお天気」という表現が消えた
ドイツは 2011 年の福島第一原発事故をきっかけにエネルギー政策を転換し、今年 4 月 15 日に原発ゼロを達成した。 ドイツ在住作家の川口マーン惠美さんは「政府が政策転換をした背景には、巨大な環境 NGO 団体の存在がある。 ドイツ最大の NGO には 60 億円規模の予算が組まれており、政府の意思決定に多大な影響を及ぼしている」という - -。
* 本稿は、杉山大志(編集)、川口マーン惠美、掛谷英紀、有馬純ほか『「脱炭素」が世界を救うの大嘘(宝島社新書)』の一部を再編集したものです。
巨悪に立ち向かう弱小組織というイメージだが …
2021 年 4 月 30 日、独大手紙『ディ・ヴェルト』のオンライン版に、「過小評価されるグリーン・ロビーの権力」という長大な論考が載った。 綿密な取材の跡が感じられる素晴らしい論文で、久しぶりにジャーナリズムの底力を感じた。 著者はアクセル・ボヤノフスキー氏とダニエル・ヴェッツェル氏。 この論文には啓発されるところが多く、ドイツのエネルギー政策の謎が少し解けたような気がした。
巨悪に立ち向かう弱小な組織といったイメージの環境 NGO が、実は世界的ネットワークを持ち、政治の中枢に浸透し、強大な権力と潤沢な資金で政治を動かしている実態。 多くの公金が NGO に注ぎ込まれている現状。 そして、批判精神を捨て、政府と NGO を力強く後押しするメディア。 本稿では、二人の著者が取材したそれらショッキングな内容を随時紹介しながら、私なりにドイツ政府の進める危ないエネルギー政策を検証してみたいと思う。
発電の 4 割「石炭と褐炭」を終了させる
環境 NGO は地味な草の根運動を装っているが、エネルギー政策、および地球温暖化防止政策に与える影響力という意味では、今や産業ロビーを遥かに凌いでいるという。 2011 年の福島第一原発の事故の後にドイツ政府が招集した倫理委員会では、電力会社の代表や科学者ではなく、聖職者や社会学者が加わって 2022 年の脱原発を決めたが、7 年後の 2018 年、脱石炭について審議するために招集された「成長・構造改革・雇用委員会(通称・石炭委員会)」では、NGO の代表者が聖職者に取って代わっていた。 脱石炭を審議する会議なのに、石炭輸入組合の代表は傍聴することさえ叶わなかったというのが信じ難い。
ドイツは伝統的に石炭をベースに発展してきた国で、発電は今も 4 割を石炭と褐炭に依っている。 長年続いたこの産業構造を、突然トップダウンで終了させるのは、かなり無謀な計画だ。 性急な脱石炭は、企業の株主の権利を侵し、また、何万もの炭鉱や関連業種の労働者から生活の糧をも奪うことになる。
そこで石炭委員会は各方面への補償と影響を受ける州の産業構造改革のため、2038 年までに少なくとも 400 億ユーロを投下するとした。 今やエネルギー転換には、お金はいくらかかっても構わないというのが政府の基本方針のようだ。 ただ、財源のめどは立っておらず、代替産業が何になるのかもわからない。 しかし、石炭委員会のメンバーも政治家も、山積みの問題はあっさりと無視し、"遅くとも" 2038 年の脱石炭が決まった。
政治とがっちり手を組んでいる
それに異議を唱えたのが緑の党で、彼らは、脱石炭の期日をもっと早めるべきだと主張した。 そして、その緑の党と心を一にしているのが、ドイツ全土にもあるという自然・環境 NGO だ。 登録されている 1,100 万人の会員が、今やドイツの世論形成を牛耳る一大勢力となっている。 NGO を味方につけ、脱炭素の大波に乗った緑の党は、2021 年 9 月の総選挙後、与党入りも夢ではないと言われ始めた〈追記 : 同年 12 月に発足したショルツ政権で実際に与党入りを果たした〉。
政治と NGO のタッグはすでに堅固だ。 NGO は政府の専門委員会に加わり、政治家の外遊にもしばしば同行、国際会議ではオブザーバーとして常連席を持っている。 2019 年、シュルツェ環境相はマドリッドでの国連気候行動サミットに出席中、「NGO の人たちとの会話は私にとって非常に重要だ。 我々は同じ問題のために戦っている。」とツイートした。 選挙で選ばれたわけでもない人間が税金で行動し、国政や法案の策定にまで口を挟むことについての合法性はかなり希薄だが、今のドイツではすでにそれが当たり前。 しかも、その NGO の財政を強力に支えているのが、国、州政府、そして EU なのだ。
巨額の予算がついても実態は「明らかな欠落部分がある」
ベルリンに本部を持つBUND は会員 58 万人で、同組織が 2014 年から 19 年の 6 年間に公金から受けた補助の総額は、2,100 万ユーロ(約 27.3 億円)に上る。 一方、ドイツ最大のNGOである NABU (会員 62 万人)は、同じ期間にやはり 8 つの公的機関から 5,250 万ユーロ(約 68.3 億円)の補助を受けた。
NABU は動植物の保護を活動の主体とし、近年は風車に巻き込まれて死ぬ野鳥の被害を訴えている。 NABU の受けた補助金の内訳は、最高額 3,600 万ユーロ(約 46.8 億円)が環境省からで、その他、経済協力開発省、労働社会省、教育研究省、外務省からも出た。 また、それに続く 2020 年から 2023 年までの 4 年分の補助金としては、すでに 4,700 万ユーロ(約 61.1 億円)という破格の予算が組まれている。
ただ、同論文の著者らによれば、NGO の決算報告には、「申告と実態との間に明らかな欠落部分がある。」 2016 年、欧州議会の予算委員会が、EU が援助している NGO の財務監査を専門家グループに依頼したが、NGO は複雑に絡み合い、さらに、資金は環境や自然保護だけでなく、教会の慈善事業や中国との共同プロジェクトなど広範に拡散されており、結局、どの NGO が、どこで、どの活動に従事し、互いにどういう関係にあるかが掴めず、調査は徒労に終わったという。 この事実をどう解釈すべきかが私にはわからない。 専門家グループが無能だったのか、NGO がプロフェッショナルだったのか、あるいは、実態を隠したい勢力が存在したのか?
「儲かる仕事」は風車の事業者を訴えること
NGO による疑問符のつく資金調達方法は他にもある。 ドイツには現在、国民の代表として企業や自治体を訴える権限を持つ NGO が 78 組織あるが、NABU と BUND はその権限も存分に利用する。 ディ・ヴェルト紙曰く、やり方は「実にクリエイティブ」。 魅力的な資金調達法の一つが、風車による野鳥の被害を理由にウィンドパーク(風力発電所)の事業者を相手取って訴訟を起こすことだ。 ただし、被告が原告の指定する機関に指定した金額を寄付すれば訴訟は取り下げるというから、どことなく免罪符を思い出す。 いずれにせよ、これは「儲かる仕事(ディ・ヴェルト紙)」で、NABU の得意技となりつつあるという。
NABU の自然保護基金に 50 万ユーロ(約 6,500 万円)を寄付したヘッセン州のウィンドパーク経営者は、「抵抗することなど、どの企業にも絶対不可能」とコメントしている。 ただ、寄付した後には、鳥に優しいウィンドパークというお墨付きが与えられるそうだ。 このやり方は、しかし、NABU の内部でも問題になっており、鳥の保護と風力発電の拡大は両立できないとする会員が、風車の建設規制を訴える NGO に移り始めているという。 幹部の一人は、「我々は、今も起こっている恐ろしい野鳥の死を、過去の話だと説明している」として、NABU のプレジデントに抗議文を送りつけたという。
壮大なエネルギー転換政策を掲げた財団の正体
環境相のシュルツェ氏も NABU のメンバーだ。 日頃 NGO を称賛しつつ、しかし、脱炭素達成のためには、風車は立てられる場所には隈くまなく立てるべきだと主張しているくらいだから、当然、風力発電事業者との距離も近い。 結局、どちらからも重宝されているのがシュルツェ氏の正体かもしれない。 これでは NGO 幹部に対する不信がますます募る。
ディ・ヴェルト紙の論考の中で、何といっても興味深かったのは、この壮大なエネルギー転換政策が、いったいどのように始まったかという点だ。 それによれば発端は米国。 2007 年、「勝利のためのデザイン 地球温暖化との戦いにおける慈善事業の役割」という研究レポートが完成した。 依頼したのはヒューレット財団(ヒューレット・パッカード社の創立者の一人ヒューレットが 1966 年に作った慈善財団)。 財団のお金をいかに活用すれば、一番効果的に温暖化防止政策を構築し、遂行できるかということが研究目的だった。
ブルームバーグ、ロックフェラーも投資
レポートには、年間 6 億ドルを投資すれば、2030 年までに全世界で 110 億トンの CO2 を削減でき、地球の温度の上昇を2度以下に抑えられるということが明記された。 さらに、温暖化対策をいかにして政治案件とし、国民の間に社会問題として定着させることができるか、あるいは、米国、EU、中国、インドなど、地域に特化した対策の形はどうあるべきかなどが提示された。 いずれにせよ、ここで遠大な脱炭素計画にスイッチが入り、このレポートが世界のマスタープランとなったのだ。
翌 2008 年、ヨーロッパでこれらのプランを実行に移すため、オランダのデン・ハーグに欧州気候基金が設立された。 出資者は、米国のヒューレットとパッカード両財団、ブルームバーグ、ロックフェラー、イケア財団、ドイツのメルカトル財団など。 支部は間もなくベルリン、ブリュッセル、ロンドン、パリ、ワルシャワへと拡大し、頂点にはそれぞれ、ヨーロッパの選り抜きのトップマネージャーや元政治家が、莫大ばくだいな報酬で引き抜かれて就任した。 現在、ヨーロッパで脱炭素やエネルギー転換を謳う NGO のほとんどは、この欧州気候基金か、もう一つの巨大財団であるメルカトル財団のどちらかから、あるいは、その両方から援助を受けている。
脱炭素の旗を掲げて皆が群がってくる
ただ、ヨーロッパでの気候政策に本当の弾みがついたのは、福島第一原発の事故の後だという。 ようやく機は熟した。 脱炭素の青写真を世界中に広めるのは今だ。 政界、産業界、財界への浸透、新しいテクノロジーとアイデアの実践。 成功は、強力な資金を持つ自分たちの手の内にあると、彼ら「Change Agents(変革の推進者)」は確信したのだろう。
以来、時は流れ、変革はその設計図どおりに進んでいる。 2019 年一年で、欧州気候基金とメルカトル財団が、脱炭素につながる活動をしている NGO やシンクタンクに拠出した補助金は 4,220 万ユーロ(約 54.9 億円)。 ちなみに、メルカトル財団の資本金は、2019 年の決算報告によれば 1 億 1,650 万ユーロ(約 151 億 5,000 万円)。 こうなると皆が、脱炭素の旗を掲げて群がってくる。 一方、この輪の中に入らず、中立な立場を維持したい研究所は、当然のことながら苦戦を強いられている。 例えば、RWI のライプニッツ経済研究所は、エネルギー転換政策は、貧困層から富裕層への資本移転になると警告した。
この迷走を日本人には他山の石としてもらいたい
付け加えれば、環境相は、発生した CO2 を地下や海底に押し込む CCS 技術も毛嫌いしており、水素は、純粋に再エネの電気で作ったグリーン水素以外は蹴っ飛ばすつもりだ。 ドイツのエネルギー政策ではイデオロギーが一人歩きしている。 日本人にはドイツで進行しているこれらのことを、是非とも他山の石としてもらいたい。
2023 年現在、ウクライナ戦争のせいでロシアからのガスが途絶えたドイツでは、電力不足解消のため石炭ルネッサンスが起こっている。 それどころか、これまで絶対にタブーだった褐炭の採掘までが復活。 当然、CO2 排出は急激に増えているが、CO2 フリーの原発は 4 月 15 日で終了した。 緑の党が与党になって以来、エネルギー政策の迷走にさらに拍車がかかっている。 ちなみにドイツの天気予報では、「明日は全国的に晴れのよいお天気」という表現が消えた。 気候変動で旱魃が起こっているのだから、晴れがよいお天気であるはずはない! なんだか不思議な国である。 (杉山大志、川口マーン惠美、掛谷英紀、有馬純、President = 5-7-23)
ライチョウ復活作戦、ついに最終局面 動物園育ちが木曽駒ケ岳お散歩
中央アルプスで半世紀前に絶滅したとされる国の特別天然記念物・ライチョウ。 環境省が中央アルプスで進める「復活作戦」が最終局面を迎えています。 木曽駒ケ岳(標高 2,956 メートル)で 8 月、動物園育ちのヒナたちがヘリコプターで山頂付近に運ばれ、放鳥されました。 現地で取材した山岳ジャーナリストの近藤幸夫さんが作戦について解説します。
8 月 14 日、ライチョウは野生に放たれた
8 月 10 日、動物園で繁殖させたヒナを含む 22 羽をヘリコプターで現地に移送、保護ケージに収容して同 14 日までに放鳥しました。 ヒナたちは秋に親離れし、来年には繁殖が可能となります。 登山でいえば、いま頂上目前まで到達しました。 1980 年代の調査でライチョウの生息数は約 3 千羽と推測されました。 しかし、最近は 2 千羽以下に減少。 高山の環境変化とテンやキツネなどの天敵の増加が原因と考えられます。
野生化に必要なのは、母鳥の「ふん」
環境省は、ライチョウを「守り、増やす」ため、2014 年から「第 1 期ライチョウ保護増殖事業実施計画」をスタートさせました。 18 年、中央アルプスで 1 羽のメスが確認され、計画は大きく動きました。 20 年から始まった「第 2 期計画」で中心となる事業は、中央アルプスのライチョウ復活作戦です。 ライチョウが絶滅した山域で、繁殖個体群を新たに作り出そうという夢の計画です。
目的は、レッドリストの格下げです。 現在、ライチョウは、近い将来に野生での絶滅の危険性が高い「絶滅危惧 IB 類」です。 これを絶滅の危険が増大している「絶滅危惧 II 類」にダウンリストさせるのです。 ライチョウの生息地は、北アルプスや南アルプス、頸城(くびき)山塊(火打山を含む)など 5 地域。 ダウンリストに必要な条件は 6 地域以上となっています。 絶滅地域の中央アルプスが生息地に加われば、達成可能になります。
20 年夏、復活作戦が本格的にスタートしました。 北アルプス・乗鞍岳から 3 家族 19 羽を移送して創始個体群の確立に成功。 昨年、初めて中央アルプスでヒナが誕生しました。 さらに、茶臼山動物園(長野市)と那須どうぶつ王国(栃木県)へ 1 家族ずつ移送して繁殖に取り組みました。 復活作戦は、動物園で繁殖させた個体の野生復帰を目標の一つに掲げた初の試みです。
ライチョウが餌となる高山植物の毒素などを分解するには、母鳥が出す盲腸糞(ふん)を、孵化(ふか)直後のヒナが食べて腸内細菌を獲得します。 現在、各施設で飼育するライチョウは乗鞍岳から移送した卵を孵化させ、人工飼育した個体が由来のため、必要な腸内細菌を持っていません。 野生復帰には野生の個体が必要なのです。 今年、中央アルプスに生息する成鳥は約 40 羽とみられ、順調に繁殖が進みました。 私は復活作戦スタート時から環境省の生息調査に何度も同行取材し、今回の移送にも立ち会いました。 年々、生息数の増加を実感しています。
120 羽が生息の可能性か
昨年 6 月の環境省の調査では、成鳥 18 羽の生存が確認されました。 でも、広大な中央アルプスで、たった 18 羽です。 繁殖期の生息調査では、なかなか見つかりませんでした。 ところが、今年 4 月下旬の調査に同行取材すると、初日にオス 2 羽を確認。 昨年より生息数が倍増したことで、ライチョウが見つけやすくなりました。 復活作戦で目標とするライチョウの生息数は 30 - 50 つがい(60 - 100 羽)です。 すでにヒナを含めて 120 羽を超えている可能性はありますが、生息数は来年 6 月の繁殖可能な成鳥の数です。 ヒナたちの多くが生き残れば、来年はかなりのつがい数が期待されます。
復活作戦の現場で指揮を執る中村浩志・信州大名誉教授は「動物園で繁殖させたライチョウ家族を現地に移送する、最も困難な挑戦を無事に終えられた。 今後は中央アルプスで普通にライチョウが見られる状況にしたい」と話しました。 (近藤幸夫、asahi = 8-28-22)
筆者紹介 : 1959 年生まれ。 信州大学農学部を卒業後、86 年に朝日新聞社に入社。 初任地の富山支局(現富山総局)で山岳取材をスタートする。 大阪本社運動部(現スポーツ部)に異動後、南極や北極、ヒマラヤなど海外取材を多数経験。 2013 年、東京本社スポーツ部から長野総局に異動し、山岳専門記者として活動。 山岳遭難や山小屋、ライチョウなど山を巡る話題をテーマに記事を執筆した。 2022 年 1 月、退社してフリーランスに。 長野市在住。 日本山岳会、日本ヒマラヤ協会、日本山岳文化学会に所属。
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