石破首相がひめゆりの塔に献花 自民議員の「書き換え」発言で注目 石破茂首相は「慰霊の日」の 23 日、沖縄全戦没者追悼式に参列した後、沖縄戦に動員された女子学徒隊らを慰霊する「ひめゆりの塔(沖縄県糸満市)」を訪れた。 塔に献花し、ひめゆり平和祈念資料館を見学した。 「ひめゆり学徒隊」は、太平洋戦争末期の沖縄戦で日本軍に看護要員として動員された県立第一高等女学校と沖縄師範学校女子部の生徒たちの通称。 犠牲者 227 人を追悼するひめゆりの塔と、証言映像や当時の写真、壕の実物模型などを展示する資料館が隣接している。 過去には、1995 年 6 月 23 日に村山富市氏、96 年 12 月 5 日に橋本龍太郎氏が、2012 年 2 月 26 日には野田佳彦氏がそれぞれ訪れている。 「ひめゆり」を巡っては、自民党の西田昌司参院議員が 5 月に、展示内容を「歴史の書き換え」などと発言。 その後一部を撤回して謝罪した。 西田参院議員の発言については触れず 石破茂首相は 23 日午後、沖縄全戦没者追悼式に出席するため訪れた沖縄県で記者団の取材に応じた。 沖縄戦に動員された女子学徒隊らを慰霊する「ひめゆりの塔」を訪れたことについて、「不戦の思い、戦争の悲惨さ、それをもう一度自分の胸に刻まねばならないという思いで参った」と述べた。 首相は記者団から、ひめゆりの塔を訪れた理由として、西田昌司参院議員の 5 月の発言が関係しているかを問われたが、西田氏の発言について言及はしなかった。 首相は、記者団に問われて、日米地位協定の見直しについても語った。 「日本国における外国軍隊の法的な地位について、他国との比較検討も行いながら、党全体あるいは政治全体で議論を進めたい」としたうえで、「沖縄の負担をいかに減らすかということの中に、地位協定の改定がある。 我々として真剣に取り組まなければならない」と述べた。 (上地一姫、asahi = 6-23-25) ◇ ◇ ◇ 平和を願い「礎」を照らすあかり 沖縄戦犠牲者悼む「慰霊の日」前に 太平洋戦争末期の沖縄戦の組織的戦闘が終わった日から、23 日で 80 年となる。 最後の激戦地となった沖縄本島南端の沖縄県平和祈念公園(糸満市摩文仁)では 22 日夜、戦没者の名が刻まれた「平和の礎(いしじ)」でろうそく 6 千本がともされ、平和への願いを込めたサーチライトが夜空に照射された。 沖縄では 1945 年 3 月下旬に慶良間(けらま)諸島、4 月 1 日に沖縄本島に米軍が上陸。 約 3 カ月にわたり激しい地上戦が続いた。 6 月 22 日または 23 日に日本軍の司令官が自決したとされ、沖縄県は 23 日を「慰霊の日」と定める。 平和の礎には今年、新たに 342 人の名が刻まれ、刻銘数は 24 万 2,567 人になった。 沖縄全戦没者追悼式(県など主催)は 23 日正午前から公園内で開かれるほか、沖縄各地で追悼行事が行われる。 (棚橋咲月、asahi = 6-22-25) 「おしん」の町、10 年余りで約 70 人移住 「住みたい田舎」上位に
記事コピー (4-1-16 〜 6-21-25) 1,340 本のキャンドルに豊作の願いを 丸山千枚田で「虫おくり」 ![]() 三重県熊野市紀和町の丸山千枚田で 7 日、稲の害虫駆除と豊作を願う伝統行事「虫おくり」があった。 棚田の枚数と同じ 1,340 本のキャンドルがともされ、山あいに幻想的な風景が浮かびあがった。 たいまつを持った地元・紀和町の小中学生や関係者らによる虫おくり行列もあり、かねや太鼓を鳴らし、「虫おくり殿のお通りだい!」と声を上げながらあぜ道を練り歩いた。 1953 年まで続いていた伝統の農耕行事。 2004 年に熊野古道が世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道(さんけいみち)」に登録されたことを記念し、その年に復活した。 (菊地洋行、asahi = 6-7-25) 広島電鉄、JR 広島駅 2 階乗り入れの高架区間で試運転開始 広島電鉄(広島市中区)は 6 日深夜から 7 日未明にかけ、JR 広島駅(南区)の駅ビル 2 階に乗り入れる新路線「駅前大橋線」の高架区間で路面電車の試運転を始めた。 広電の路線のうち最も勾配がある区間となる。 8 月 3 日の開通に向けて準備を進める。 最終電車の運行後、高架区間に電車が入り点検作業を始めた。 線路や電気系統の設備に不具合がないか確認し、途中まで往復するなど慎重に走らせた。 7 日午前 0 時 15 分ごろ、駅ビル 2 階のホームに到着すると、作業員や車内の関係者から歓声と拍手が起きた。 試運転を見ようと進学先の大阪から広島に帰省した大学 2 年時永竜樹さん (19) は「電車が高架に乗り入れた瞬間、鳥肌が立った。 一番電車に乗りたい」と開通を心待ちにしていた。 広電は試運転を重ねた後、運転士約 250 人のスキルを高める習熟運転に入る。 駅前大橋線は、広島駅と比治山町交差点(南区)を結ぶ約 1.1 キロ。 広島駅から稲荷町交差点(同)を経て中区八丁堀方面につながり、広島駅と紙屋町東電停(中区)間の所要時間は現在より4分短くなる。 JR の駅ビルに路面電車が高架で乗り入れるのは全国で初めてという。 (伊藤友一、中国新聞 = 6-7-25) コンビニ空白の村に悲願のローソン 誘致できた理由は「脱 24 時間」 村外のコンビニエンスストアまで 30 分弱、スーパーもドラッグストアもない。 そんな山梨県道志村に 6 日、大手コンビニ「ローソン」がオープンした。 「重要な社会インフラ」として村が誘致、県が後押しした。 コンビニ営業の時間短縮化の流れも追い風になったという。 「ローソン道志店」ができたのは、村役場から約 4 キロの国道 413 号沿い。 周辺にはキャンプ場が点在し、バイクや自転車でツーリングを楽しむ人も多い。 店舗と敷地を村が用意し、村が全額出資する企業「どうし(代表取締役・長田富也村長)」がフランチャイズ契約を結んで運営する。 「どうし」は村内で道の駅や温泉施設の運営も手がけている。 県によると、自治体が主導したコンビニ誘致は県内初。 村幹部は「全国でも珍しい取り組みなのでは」と話す。 すぐ買える弁当「ありがたい」 6 日午前 9 時 25 分、村やローソンの関係者によるテープカット後、村民らが次々と入店した。 比較的目立ったのは、弁当を買い求めるお客だ。 近くの山口文代さん (85) はハンバーグ弁当を購入した。 「すぐに弁当が買えるのはありがたい。 毎日食事を作るのも大変。 夫と分けて食べます。」と話した。 近所の山口泰子さん (82) は週 1 回、車で 40 分以上かけて隣の都留市のスーパーで食料品や日用雑貨をまとめ買いしている。 頻繁に利用するネット通販の支払いも、その時にコンビニで済ませていたといい、「これからは楽になります。」 自転車でのツーリング途中に立ち寄った東京都内の大学生、今本未悠さん (21) は「キャッシュレスで食べ物が買える場所ができてよかった」と笑顔を見せた。 営業時間は午前 6 時 - 午後 10 時で年中無休。 今後は生鮮食料品を充実させ、移動販売にも乗り出す予定という。 誘致の壁は「24 時間営業」 「コンビニは村民の悲願だった。」 村幹部はそう話す。 10 年ほど前まであったが、後継者難で閉店した。 村によると、約 40 年前に 20 軒ほど点在していた個人経営の商店は、いまは 3 軒のみで、午後 5 時ごろには閉店する。 夜間も営業するコンビニを望む声は、村政へのアンケートや、中学生の政策提言などでもよく挙がっていたという。 だが、「24 時間営業」の原則が壁だった。 村内で深夜の買い物需要はほとんどなく、人材の確保も難しいからだ。 流れが変わったのは、人手不足を背景に、大手コンビニ各社が「脱 24 時間営業」に傾き始めたためだ。 村幹部は「コンビニ各社に誘致を持ちかけやすくなった」と話す。 約 1 億 2 千万円の事業費は、ほぼ全額を過疎対策事業債(過疎債)でまかなう。 過疎債は国が返済の 7 割を負担してくれるもので、村の実質的な負担は約 3,600 万円という。 県も、村のコンビニ誘致を「県内で優先度が高い事業」として支援した。 県の関口龍海総務部長はセレモニーで「買い物に困る地域は県内にいくつもある」とし、買い物「空白地域」の解消を目指す考えを示した。 村は移住者の受け入れにも力を入れている。 だが、「コンビニやスーパーがないことを理由に移住先の候補から外す人が多い(村の担当者)」という。 ローソンの開店で、「移住・定住の促進につながるよう期待したい(長田村長)」との声も上がる。 (池田拓哉、asahi = 6-6-25) 出生率が 30 年連続全国最下位の県、出生数 3,282 人のみ … 婚姻率やがん死亡率はワースト 厚生労働省が 4 日に発表した 2024 年の人口動態統計(概数)で、秋田県の出生率(人口 1,000 人あたりの出生者数)が 3.7 となり、30 年連続で全国最下位となった。 婚姻率や死亡率もワーストで、全国最悪のペースで進行する人口減少に歯止めがかからない状況が改めて浮き彫りになった。 統計によると、24 年の 1 年間に生まれた子どもの数(出生数)は 3,282 人(前年比 329 人減)で過去最少を更新。 死亡数は 1 万 7,421 人(同 96 人減)で、出生数から死亡数を差し引いた人口の自然減は 1 万 4,139 人だった。 出生率から死亡率を差し引いた自然増減率もマイナス 15.9 (全国平均マイナス 7.6) で、32 年連続で自然減が続いた。 1 人の女性が生涯に産む子どもの推計人数「合計特殊出生率」も 1.04 で過去最低を記録。 婚姻数も前年比 55 組減の 2,247 組で、婚姻率 (人口 1,000 人あたりの婚姻数)は前年と同じ 2.5 で、25 年連続全国最下位だった。 人口減に歯止めがかからない状況に、鈴木知事は「厳しい結果になったと受け止めている。 結婚を希望する方への支援や女性が働きやすい職場環境の推進、地域に根付いたジェンダーギャップの解消など、若い世代の転出に歯止めをかけ婚姻に結びつく取り組みも進め、県民が成果を実感できるよう努める」との談話を発表した。 また、人口 10 万人あたりの自殺者数を示す自殺率は、全国 5 位となった前年から 0.6 ポイント増加し、20.0 (全国平均 16.3) で全国 3 位。 自殺者数は 178 人で、前年から 2 人増加した。24年度は、県の第2期自殺対策計画(計画年度23〜27年度)に基づき、「自殺率17・8以下、自殺者数160人以下」になるよう取り組んだが、いずれも上回った。 県保健・疾病対策課の清野穣課長は「目標に達しなかった上、全国と比べても高い水準になったこと自体は非常に残念。 若者や高齢者など世代に応じた取り組みをきめ細かにやっていきたい」と述べた。 このほか、疾患関連では、がんの死亡率が 28 年連続で全国 1 位。 脳血管疾患が全国 2 位 (前年 11位)、心疾患は全国 11 位 (同 11 位) だった。 (yomiuri = 6-5-25) 桜島で再び爆発的噴火 噴煙は 3 千メートル 鹿児島 鹿児島県の桜島で 30 日夜、爆発的噴火が発生した。 鹿児島地方気象台によると、30 日午後 8 時 58 分、桜島の南岳山頂火口で噴火が発生し、噴煙は火口縁上 3 千メートルまで上がった。 火山灰は、火口から南の方向に流された。 桜島では噴火警戒レベル 3 (入山規制)が続いている。 (日吉健吾、asahi = 5-31-25) 山形県の人口、100 万人割る 約 100 年ぶり、県外流出や少子化で ![]() 山形県は 30 日、5 月 1 日現在の人口が推計で 99 万 9,378 人だったと発表した。 県人口は 1925 (大正 14) 年以降 100 万人以上を維持してきたが、県外への流出や少子化を背景に、約 100 年ぶりに 100 万人を下回った。 人口が最も多かったのは、50 (昭和 25) 年の 135 万 7,347 人。 その後、就職や進学で首都圏などに出て行く人が増え、減少に転じた。 97 (平成 9) 年からは死亡数が出生数を上回る自然減が続いている。 (斎藤徹、asahi = 5-30-25) 落差 100 メートル「仏御前の滝」、歩道通行可に 日本百名山の荒島岳(1,523 メートル)の中腹から流れ落ちる福井県大野市仏原の「仏御前の滝(落差約 100 メートル)」へ向かう遊歩道が 21 日、3 年ぶりに通行できるようになった。 2022 年の大雨で斜面が崩れ、復旧作業が続いていた。 仏御前は、平清盛に愛された舞の名手として平家物語に登場する。 現在は九頭竜川の仏原ダム湖に沈む集落の生まれで、この滝で髪や顔を洗ったと伝わっている。 滝は 3 段からなり、峡谷を豪快に流れ落ちる。 国道 158 号脇の駐車場から滝まで約 300 メートルの遊歩道が整備され、崖に沿った約 250 メートルの区間には転落を防ぐ安全柵が設けられている。 この日は市職員らが倒してあった安全柵を起こしてボルトで固定し、午後から遊歩道を一般に開放した。 (鎌内勇樹、asahi = 5-22-25) コロナで債務超過 → 急回復 民営化の福岡空港、 コロナ禍で航空需要が急減した 2020 年以降、全国の空港は厳しい経営をせまられた。 その代表格が 19 年に民営化した福岡空港で、巨額の債務超過に陥った。 それでも続けた設備投資が、訪日客増加などの追い風を取り込んで業績は急回復に向かう。 専門家は「民営化の長所が出た」と評価する。
福岡空港の運営会社、福岡国際空港 (FIAC) の田川真司社長は 5 月 8 日、決算発表の記者会見で力を込めた。 福岡空港は国管理の空港だが、運営権を民間事業者に売却するコンセッション方式で 19 年 4 月に民営化された。 管制業務は国が担うが、滑走路や空港ビル、駐車場などを一体運営し、着陸料も柔軟に設定できる。 ただ、取得した運営権の対価は 30 年分で 4,460 億円と巨額だ。 そこで一時金を 216 億円に抑え、毎年度 153 億円を払う契約を国と結んだ。 そこにコロナ禍が襲い、民営化から 1 年も経たず苦境に立たされた。 旅客数は半分以下に落ち、収入が激減。 国への支払いが重く、20 - 22 年度の 3 年間は支払い猶予を受けた。 20 年度以降は負債が資産を上回る債務超過の状態が続き、25 年 3 月では債務超過額が 276 億円に上る。 それでも続けたのは、空港の魅力を高めるための投資だ。 一部は後ろ倒ししたが、24 年度まで 6 年間の設備投資額は 700 億円規模。 国が整備した 2 本目の滑走路の利用開始に合わせ、今年 3 月に国際線ターミナルを拡張。保安検査の処理能力を 2 倍に高め、直営店の増収効果が大きい免税店エリアの広さを 4 倍にした。 苦境の中での投資が、今花開こうとしている。 訪日客の回復で、福岡空港の 24 年度の旅客数は 2,712 万人と過去最高になった。 FIAC の最終的なもうけを示す純損益は 25 年 3 月期は 10 億円の赤字だが、26 年 3 月期は 17 億円の黒字を見込む。 実現すれば、民営化以降で初の黒字だ。 債務超過も 30 年代前半の解消が視野に入ってきた。 地域住民の利用も想定、複合施設が 27 年夏開業へ 投資はさらに続く。 27 年夏には、国内線側に 11 階建ての複合施設を開業する予定だ。 ホテルやアジアの料理を集めた飲食エリアに加え、食品スーパーも入る。 地域住民にも利用してもらい、航空需要だけに左右されない収入基盤を築くことを目指す。 熊本も民営化、国内線・国際線一体型ビルを整備 国土交通省によると、全国 97 空港のうちコンセッション方式で民営化したのは 19 空港ある。 その中で債務超過に陥ったのは FIAC だけ。 ただ、他空港もコロナ禍で赤字に陥るなど、苦しい経営を強いられた。 九州では熊本空港も 20 年 4 月に民営化し、三井不動産や九州電力が出資する熊本国際空港 (KKIAC) が運営する。 16 年の熊本地震でターミナルビルなどが損壊し、民営化は熊本県が掲げた「創造的復興」の一環だった。 運営権対価は国に一括で全額の 111 億円を払ったため、この重しからは解放されている。 コロナ禍でも設備投資は止めず、23 年 3 月に開業した新しいターミナルビルは国内線・国際線一体型にして、搭乗前に楽しめる保安検査後の商業エリアを充実させた。 さらに 24 年 10 月には地域住民も利用できる商業棟や公園をオープンさせた。 急回復に対応「民営化の長所が出た」 慶応大・加藤教授 航空政策に詳しい慶応大学の加藤一誠教授は「福岡空港は後払いの分割部分が大きすぎた。 大きな資本がなく、借り入れに頼る外部調達中心の運営はリスクが大きい」と指摘する。 一方、コロナ禍でも各社が設備投資を続け、急回復した需要を受け止めた点を「コンセッション方式の長所が出た」と評価。 「コロナの間も関係者が同じ会社で顔を合わせ、準備したから回復が早まった」と分析する。 その上で、加藤教授は九州の空港のあり方について、航空需要が集中する福岡空港の発着が混雑で制限されているとして、発着回数の増加に向けた調整や他の空港の活用を話し合う協議体の設置を提言する。 関西経済連合会(関経連)が事務局を務める「関西 3 空港懇談会」を先例に挙げ、「九州にとって、どうするのがよいかを考える枠組みをつくるべきだ」と話す。 (江口悟,、asahi = 5-18-25) 中部空港の純利益が 3 倍に 24 年度、訪日客が増え免税店が伸びる 中部空港が 16 日に発表した 2025 年 3 月期(24 年度)決算は、最終的なもうけを示す純利益が、開港以来最高の 66 億円(前年比 3.1 倍)だった。 海外からの旅客が回復する中、コロナ禍を受けて進めたコスト抑制策が利益を押し上げた。 売上高は 528 億円(同 32.2% 増)、本業のもうけを示す営業利益は 77 億円(同 3.7 倍)となった。 中部空港の国際線は、羽田、成田、関西空港などと比べ、回復が遅れていた。 国際線の 24 年度の利用者は外国人は過去最多だが、全体ではコロナ禍前の 19 年度比で約 8 割にとどまる。 日本人の利用者は 6 割にも満たない。 ただ、訪日客が増えたことで、利益率の高い免税店の売上高が 65 億円増えた。 設備や備品の入れ替えを遅らせるなど、3 年連続で赤字に陥ったコロナ時代に始めた施策で、費用が抑えられた。 「選ばれる空港目指す」 こうした傾向は 25 年度も続き、来年 3 月期には純利益がさらに 2 割以上増えると見込む。 とはいえ、これで将来も安泰だとはいえない。 開港から 20 年がたち、更新が必要な設備も多い。 今年 4 月には、226 億円を投じる予定の代替滑走路の工事にも着手した。 24 年度に 90 億円ほどだった減価償却費は、代替滑走路が完成する 28 年度以降には、6 - 7 割以上増える可能性もある。 6 月に退任する犬塚力社長は「トップライン(売上高)をもっと上げなければならない」と課題を語る。 同社は、24 年度は 1,103 万人だった利用者を 30 年度には 2 千万人に増やす目標を掲げている。 国内からの旅行者が伸びていない中では、さらなる訪日客の取り込みが不可欠だ。 「(訪日客や航空会社に)選ばれる空港になるために、地域の魅力を海外に発信する取り組みに力を入れなければならない」という。 (大平要、asahi = 5-16-25) 年 440 校が廃校に キャンプ施設や水族館に活用も避けられない課題
記事コピー (4-1-16 〜 5-11-25) 盗まれ韓国へ 13 年、対馬の寺に仏像引き渡し 「待ちわびていた」 2012 年に長崎県対馬市の観音寺から盗まれ、韓国へ持ち込まれた仏像が 10 日、現地で日本側に引き渡された。 対馬に戻るのは 12 日になる予定。 日韓関係に一時は摩擦をもたらした問題が、13 年を経て決着する。 対馬市役所から車で約 1 時間。 北部の上島にある観音寺の檀家総代長、村瀬辰馬さん (70) は、「帰りを待ちわびていた。 うれしい。 日程がはっきりするまで不安だったが、安心した。」と笑顔をみせる。 この寺の本尊、県指定有形文化財「観世音菩薩坐像」が盗まれたのは 12 年 10 月だった。 村瀬さんは当時、「なんて罰当たりなことを」と感じたという。 盗難後、対馬の人々が仏像の行方を知ったのは翌 13 年 1 月だった。 海を越えた韓国側で窃盗団が拘束された。 仏像は回収され、韓国政府が保管。 だが、すんなりと日本に戻らなかった。 韓国の浮石(プソク)寺が「高麗時代に浮石寺で造られた記録がある」などと主張。 韓国政府が仏像を日本側に引き渡さないように求める仮処分を申請し、同年 2 月、現地の大田(テジョン)地裁が認めた。 揺れた韓国の司法判断、最高裁で決着 浮石寺は「倭寇に略奪された可能性がある」などとも訴えた。 韓国政府に対して浮石寺への引き渡しを求めて提訴。 同地裁は 17 年、浮石寺の訴えを認め、韓国政府は即日控訴した。 大田高裁での控訴審では、対馬の観音寺の住職が 22 年に渡韓し、補助参加人として出廷。 「一日も早く我々のもとに戻ってくることを祈っている」と陳述した。 高裁は翌年、一審判決を取り消し、一転して観音寺の所有権を認めた。 今度は浮石寺側が上告。 日韓の寺の綱引きは注目され、双方の国民感情を刺激する材料になってきた。 決着したのは 23 年 10 月。 韓国大法院(最高裁)は上告を棄却し、観音寺の所有権をあらためて認めた。 その後の調整を経て、今回、対馬に戻ることになった。 この間、対馬と韓国の関係も揺れてきた。 対馬から韓国南部の釜山まで海を挟んで約 50 キロ。 定期航路が運航されており、仏像が盗まれた 12 年には、年間約 15 万人の韓国人が対馬へ入国した。 その後も増加を続け、18 年にはピークの約 41 万人に達した。 だが、歴史問題や輸出規制などをめぐり日韓関係が悪化し、19 年に一部航路が休止や減便された。 翌年のコロナ禍で全面運休となり、21、22 年の韓国人入国者はゼロとなった。 徐々に航路が再開されたのは 23 年から。 翌 24 年の韓国人入国者は年間 19 万人にまで回復した。 港周辺には、韓国人客向けにハングルや英語を記した看板が目立つ。 同年 3 月にオープンした「無印良品」の店舗にも、ハングルの案内表示が掲げられた。 交流が再開するなかで実現した返還。 仏像は日本に戻る前に、対立してきた浮石寺に一時貸し出されてきた。 この間、現地で 100 日間の法要が行われてきた。 3 月には、浮石寺の住職らが対馬を訪れ、観音寺の住職らと懇談した。 10 日も返還を前にした法要があり、渡韓した観音寺の田中節孝前住職 (78) ら日本側関係者も参加。 仏像は午後 0 時半(日本時間同)ごろに日本側に引き渡された。 浮石寺の円牛住職は「今後も対馬と円満に交流し、文化遺産の価値を生かすために話し合い、世界的な模範にしていきたい」と述べた。 観音寺の田中前住職は「やっとこの日が来たかといううれしい気持ちだ。 (浮石寺での) 100 日法要も有意義だったと思う。」と話した。 仏像は、専門の運送業者によって対馬へ運ばれる。 県学芸文化課の点検などを受けた後、12 日午後から観音寺で法要が開かれ、檀家の地元住民らが帰還を祝う。 その後は、再び盗難に遭わないように、対馬の博物館で保管されるという。 (菅野みゆき、瑞山・貝瀬秋彦、asahi = 5-10-25) 前 報 (1-17-25) 貝殻島コンブ漁、ロシアとの交渉が妥結 183 隻が操業へ 北方領土・貝殻島の周辺海域で日本漁船が行う今年のコンブ漁について、北海道水産会(札幌市)は 30 日夜、操業条件をめぐるロシア側との民間交渉が妥結したと発表した。 コンブの採取量は昨年より 300 トン少ない 2,700 トン。 チガイソやスジメを含む褐藻類の採取量としては、昨年を336 トン下回る 3,024 トンと決まった。 交渉は 4 月 28 日から、東京とモスクワをつないでウェブ会議方式で行われていた。 ロシア側に支払う採取権料は、昨年より 803 万 7 千円少ない 7,233 万 3 千円となった。 操業期間は 6 月 1 日から 9 月 30 日まで。 操業隻数は昨年より 12 隻少ない 183 隻となった。 交渉の妥結を受けて、根室市の石垣雅敏市長は「貝殻島のコンブ漁は当市の経済において重要な位置づけを占めている。 無事妥結に至り、安堵している」とコメントした。 (山本智之、asahi = 5-1-25) おいしい牛乳いつまでも 舌が肥えた子どもたちは違いを見抜いた 子どもの頃、給食の時間が楽しみで、牛乳が苦手という友だちに代わって毎日 2 本飲んでいた。 今年 2 月から北海道版で、「おいしい牛乳いつまでも」という記事ワッペン(随時掲載)を始めた。 ポップなタイトル文字に、ホルスタイン柄や、駆けている乳牛をあしらって、デザイン部員が可愛らしく仕上げてくれた。 酪農家や乳製品に関する記事に必ず付けているので、ご覧になった読者もいるはず。 ワッペンを作ったのは、酪農家の経営が危機的な状況、という実態を知ってもらうため。 日本で乳牛から搾る「生乳」は年間約 750 万トンに上る。 うち北海道のシェアは 50% 超。 都府県(北海道以外)が束になってもかなわない。 まさしく「酪農王国」だが、円安や国際情勢で輸入飼料は高騰し、光熱費や輸送コストも上昇する。 そんな取材を始めて数カ月。 最大の収穫は「しべつ牛乳」を知ったこと。 本当は誰にも教えず、独り占めしたいのだが、あんなおいしい牛乳は飲んだことがない。 JA 標津(しべつ)が独自の厳しい品質基準を設けて、酪農家もそれをめざして切磋琢磨している。 地元だけで流通し、町教育委員会は、こども園、小・中学校、高校の給食に約 630 人分を日々提供。 町内のスーパーでも入手できるが、お値段は少し高めだ。 舌が肥えた標津の子らは、家庭の食卓でも、しべつ牛乳をせがむように。 家計をやりくりする保護者は、牛乳の紙パックを使い回し、別の牛乳を入れて冷蔵庫に保管するが、一口飲んだだけでその違いを見抜かれるという。 JA 標津が、お取り寄せの直販サイトを設けている。 "北海道酪農のすばらしさ" を一度お試しあれ。 (松田昌也、asahi = 4-26-25) 1,200 畳、樹齢 160 年の大藤が見ごろ あしかがフラワーパーク ![]() 樹齢 160 年を超える大藤が栃木県足利市の「あしかがフラワーパーク」で見ごろとなり、多くの人でにぎわっている。 藤棚の広さは 2 本で 1,200 畳(約 2 千平方メートル)。 花房は 1.8 メートルまで伸びる。 多い年には 1 本の幹から約 8 万房の花をつけるという。 花々は風に揺られながら、甘いにおいを漂わせていた。 岩手県釜石市から訪れた 70 代の女性は「感動しました。 いつか来たいと思っていました。 来てよかった。」と話していた。 同園によると、天候にもよるが大藤はゴールデンウィーク中は見ごろが続き、長さ約 80 メートルの「白藤のトンネル」はまもなく見ごろという。 園内には約 350 本のフジがあり、次々と見ごろを迎える。 ゴールデンウィーク中は午前 7 時から午後 9 時まで開園しており、夜はライトアップも行われる。 同園では 4 月から 5 月にかけて約 60 万人が来園すると予想している。 近年は外国人旅行客が増えているという。 2018 年に近くを走る JR 両毛線に「あしかがフラワーパーク駅」が開業しており、周辺道路の渋滞を避けるため、鉄道での来場を呼びかけている。(嶋田達也、asahi = 4-26-25) 台湾有事あったら? 火薬庫の用途は? 防衛拠点構想で初の住民説明会 日本製鉄瀬戸内製鉄所呉地区(日鉄呉)跡地に「多機能な複合防衛拠点」を整備する防衛省案について、広島県呉市が 24 日夜、初めての住民説明会を開いた。 住民からは地域の活性化につながると歓迎する声が上がる一方、有事に攻撃対象になると懸念する意見も出た。 説明会は跡地に近い警固屋まちづくりセンターであり、住民 205 人が参加した。 防衛省中国四国防衛局の有賀元宏企画部長、同省東日本協力課の北原由尚企画調整官、呉市の大森和雄総務部長らが出席した。 防衛省の有賀部長は資料を示しながら、火薬庫や水中・水上で使用する無人機の製造整備拠点を設けることなど、跡地への機能の配置を示したゾーニング案を説明した。 有賀部長は「防衛力の抜本的強化のためには、装備品の維持整備、製造、訓練、補給等を一体的に機能させ、部隊運用の持続性を高める必要がある」と防衛拠点整備の必要性を述べた。 住民からは「地域の活性化、経済的な波及効果につながると思う」と期待する意見が出た。 一方で、「台湾有事のようなことがあった場合どうなるのか」との質問も出た。 これに対し、防衛省の北原調整官は「台湾有事といった仮定の質問には答えられない。 日米防衛協力を深化させて、我が国への武力攻撃が発生しないよう抑止力を高めたい」と答えた。 火薬庫の用途を問う質問には、「部隊の活動の拠点として火薬庫は必要。 具体的にどの弾薬をどう保管するかは自衛隊の能力を明らかにすることになるので、明らかにできない。」と答えた。 配置される隊員数や事業費、今後のスケジュールなどの質問が出たが、防衛省から具体的な回答はなかった。 質問のため挙手する住民が多数いた。 当てられないままの人も多かったが、市は今後の住民説明会は予定していない。 終了後、参加した住民の伊藤道子さん (80) は「本当はもっと言いたかったのに質問ができなかった。 引き続きもっと説明会を開いて欲しい。」と話した。 警固屋商店連合会の宮本幹三会長 (61) は地域の活性化に期待する一方で、「ヘリポートができたらやっぱり音の部分が心配。 これからの説明会で説明してくれると思う。」と語った。 (柳川迅、asahi = 4-25-25) 米 100% 「みんなのビール」誕生! アレルギーでも安心、苦み少なく 麦芽の代わりにお米を 100% 使ったクラフトビール「ORYVIA (オリビア)」が、三重県桑名市で誕生した。 グルテンフリーでアレルゲンも動物由来の原料も使わず、ビールを飲みたい大人ならだれでも飲める「BEER FOR ALL」がコンセプトだ。 開発したのは、同市のビール醸造会社「RICE HACK(ライスハック)」代表取締役の道口靖央さん (35)。 同社取締役で、名古屋市の「ノザキ製菓」社長の野崎伸夫さん (48) の支援を受け、お米のビールの着想を得てから 9 年がかりで実現させた。 この間、道口さんはオーストラリアのワイナリーやビール醸造所、福井県の酒蔵で修業を積み、今年 3 月までに酒類販売、酒類製造など、必要な免許や許可を取得した。 こだわったのは、飲みやすさ。 お米が原料なので麦芽由来のえぐみがなく、ビールの苦みが苦手な人でも大丈夫という。 大麦や小麦に含まれるグルテンに加え、アレルギー特定原材料など 28 品目や動物由来の原料も使っていないため、グルテン過敏症やアレルギーを持つ人、ビーガン(完全菜食主義者)でも安心して飲めるという。 コメの需要喚起もめざす めざしているのは、お米の消費アップという。 「米不足が続いているが、もともとは米の消費量が確保できないために、生産意欲が衰えたのが原因のひとつ。 米を原料にすることで、その解決につなげたい。」と道口さん。 桑名特産の米油の生産過程で出る脱脂米ぬかや、粒が割れて売り物にならない米も使い、食品ロスの削減にも貢献したいという。 ラテン語のオリザ(米)にちなんだ「ORYVIA」ブランドで 5 月中に販売を始める第 1 弾は、王道ホップをうたう「雅(みやび、770円〈税込み〉)。」 お米が原料とは思わせない本格的な味わいに仕上がった。 今年中に 5 種類を発表する計画で、さわやかな「爽(そう)」とすっきりした「凛(りん)」を夏ごろ、日本酒感がある「和(なごみ)」を秋ごろ、濃い味わいの「醇(じゅん)」を冬ごろに販売するという(いずれも酒税法上は発泡酒)。 同市長島町にあるビール醸造所は、週に 500 リットルを生産する能力があり、今後の拡大も視野に入れている。 道口さんは「グルテンフリーの市場は世界的に拡大していて、グルテンフリービールの需要も高まっている。 特に国内では、グルテンフリービールを製造している醸造所はほとんど事例がなく、成長の可能性を秘めている」と夢を膨らませる。 (鈴木裕、asahi = 4-20-25) ピーク時は 8,300 人超いた村、初の人口 1,000 人割れ 高齢化率も県内で最高 … 大学教授が指摘する要因は 長野県天龍村の住民基本台帳に基づく人口が 3 月末、1956 (昭和 31)年の 2 村合併で発足して以来初めて千人を下回り、998 人(男 477 人、女 521 人)となった。 2000 年発行の村史からは 1874 (明治 7)年の調査で現在の村域の人口が 2,846 人だったことが分かり、後の記述と合わせると、村は「千人を割るのは明治期以降初めてではないか」としている。 1950 年ごろにはダム建設の労働者が居住 村の発足当初に近い 1950 年の国勢調査によると、現在の村域の人口は 8,337 人。 電源開発のための平岡ダム建設の労働者が多く住み、この時がピークとみられる。 その後、基幹産業の林業が衰退し、人口減少が続いている。 長野県で最も高い高齢化率 村によると、ここ数年は毎年 40 - 60 人ほどの減少が続いている。 15 - 64 歳の生産年齢人口の減少が就職や結婚による転出で著しい一方、今年 3 月末時点の 65 歳以上の高齢化率 (61.42%) は県内で最も高い。 「ダム完成や林業衰退から立ち直れていないのでは」 村内で「買い物弱者」などを研究している長野大の相川陽一教授(農村社会学)は、天竜川下流の佐久間ダムを抱え、かつて林業で栄えた共通点を持つ浜松市天竜区佐久間町も同様の傾向があると指摘。 「地元経済が、ダム完成や林業衰退当時の打撃から立ち直れていないと言えるのでは」と分析する。 村長「千人割れを奮起の契機に」 永嶺誠一村長は、人口減少は避けられないとしつつ「交流人口の増加や子育て支援の充実から若年層の移住につなげたい。 『千人割れ』を奮起の契機にできれば。」と話している。 (信濃毎日新聞 = 4-14-25) 静岡抜いた茶生産量日本一 「真っ赤な機械」、「抹茶ブーム」が後押し 「香りがいいね」、「甘くておいしい」 3 月 19 日、鹿児島空港(鹿児島県霧島市)で開かれたお茶の PR イベント。 入れたての霧島茶を振る舞うと、多くの人が足を止めて味わった。 会場に出されたのぼりに記されていたのが「祝 茶生産量日本一」の文字だ。 収穫後に蒸し、もみ、乾燥を加えた茶葉で製茶前の原料を指す「荒茶」。 この生産量について、農林水産省が 2 月に発表した数字が茶業関係者に衝撃を与えた。 2024 年産の鹿児島県が 2 万 7 千トン(前年比 3% 増)に対し、静岡県は 2 万 5,800 トン(前年比 5% 減)。 鹿児島が 1959年の統計開始以来、初めてトップとなった。 「静岡に追いつけ、追い越せと昔の人から教わってきたのでうれしい。」 県内生産量の 5 割を占める南九州市で「知覧茶」を生産・販売する枦川(はしかわ)製茶の枦川克可(かつか)社長 (45) は話す。 亡き祖父がつくった知覧銘茶研究会の会長だ。 濃くて甘みがある知覧茶は、いまや鹿児島を代表するブランドに成長した。 枦川製茶のお茶は各種品評会で賞を受け、23 年度の農林水産祭では最高賞の天皇杯に輝いた。 半世紀前は静岡が圧倒的な産地で、お茶づくりをしていた祖父はお手本にしていた。 「大事な一番茶の収穫の時期に茶工場を止めてまで、夜行列車に乗って勉強に行ったそうです。」 静岡で学んだ技術を仲間と共有し、品質の良いお茶づくりに励んできた。 「先人の苦労があっていまがある。 祖父や(先代の)父には感謝しています。」 日本一の背景には、平らで広大な茶畑を生かしたお茶づくりがある。 品種が多いため、温暖な気候を生かして春の一番茶(主に急須で飲まれるリーフ茶)から、二番茶、三番茶、四番茶、秋冬番茶まで収穫期間が長いことが奏功した。 そして、最大の要因はペットボトル飲料に使われる二番茶、三番茶の需要が好調だったこと。 品質が高い一番茶は 8,450 トンで静岡の 11万トンを下回ったものの、二番茶以降で巻き返した。 静岡に響いた二つの「減」 静岡側にしてみれば二つの「減」が影響した。 静岡県などによると、一番茶の価格低迷を受けて多くが二番茶以降の収穫を取りやめた。 さらに傾斜地の茶畑が多いため、高齢化などによる担い手不足で栽培面積が減る傾向にあり、24 年は 1 万 2,800 ヘクタールと 10 年前に比べて 30% 減。 一方の鹿児島は 8,150 ヘクタールで静岡には及ばないが、5% 減にとどまっている。 すでに産出額では鹿児島が 19 年に一度首位になっており、鹿児島の関係者の間では「荒茶生産量の逆転も時間の問題」と言われていた。 ただし、鹿児島の関係者も歓迎一色ではない。 値が高い一番茶の生産量では静岡にかなわないばかりか、家庭でのお茶離れが理由とされるリーフ茶の低迷は鹿児島の生産者にとっても痛手だ。 枦川さんは「単純に静岡を追い抜いたわけではないし、茶価が低迷する中では喜んでばかりいられない。 お互いに切磋琢磨してやっていかなければいけない。」と気を引き締める。 広大な緑一色の茶畑に真っ赤な機械が映える。 この機械、人が運転しながら摘み取りをする「乗用型摘採機」という。 鹿児島県南九州市の松元機工が開発し、鹿児島のお茶づくりの発展を後押ししてきた。 松元雄二社長 (51) は「お茶農家と一緒に成長してきた会社なので生産量日本一は感慨深いものがあります」と話す。 7 年前に他界した創業者の父芳見さん(享年 89)が生み出した。 「茶摘みが大変。 機械化できないか。」 農家からの相談がきっかけだった。 最初は持ち運び型の「バリカン刃」。 好評だったが、夏場は重労働だと言われて乗用型を模索した。 昭和 40 年代に完成した初期型は、「労働の省力化につながる」と普及していった。 さらに改良を重ね、昭和 50 年代には現在の型が出来上がったという。 ある時、評判を聞きつけた静岡県の農家がやって来て、静岡でも使える機械をつくってほしいと頼まれたこともあった。 しかし、芳見さんは、こう言って断ったという。 「傾斜地で使えば故障する。 畑を機械に合わせてください。」 年月を経て、機械化による大規模栽培を進めた鹿児島が、生産量で静岡を追い抜く日が訪れた。 「外では言いませんが、うちがなければ日本一はなかっただろうと社員には言っています。」 「鹿児島でとれるの?」 課題は知名度 日本一の生産量となった荒茶には、広く飲まれている煎茶だけでなく、抹茶の原料となるてん茶も含まれている。 そして、てん茶は鹿児島が国内トップの生産量を誇る。 鹿児島県茶生産協会によると、2023 年の生産量は鹿児島が 1,585 トンで、20 年に京都を抜いて以降は 4 年連続で 1 位。 煎茶に比べると量は少ないが、5 年前の 2.7 倍に増えており、970 トンの京都に差をつけている。 追い風となっているのが「抹茶ブーム」だ。 海外を中心に健康食品として人気があり、低迷する煎茶と違って勢いがあるという。 同県志布志市の上室製茶は 9 年前にてん茶づくりを始めた。 煎茶の先行きに不安を感じていた時期に京都の関係者から依頼された。 上室和久社長 (47) によると、抹茶の粉末はスイーツの加工用としての需要が高く、「コロナ禍以降にぐんと伸びた。」 取引先以外からも「分けてほしい」と連絡が相次いでいるという。 てん茶用の畑を徐々に増やし、今年から自社で管理する 18 ヘクタールのほとんどで作る。 鹿児島は加工施設が充実していないため、いまは原料としての出荷のみだが、「将来的には海外から来たバイヤーと直接取引し、加工した抹茶の粉末を輸出できるようになるのが理想」と夢を語る。 JA 鹿児島県経済連も 2028 年度に抹茶加工施設を鹿児島市につくる計画だ。 鹿児島のお茶が飛躍するためには何が必要なのか。 販売する側の鹿児島県茶商業協同組合の澤田了三理事長 (74) = お茶の沢田園会長 = は知名度の低さを課題に挙げる。 1972 年、鹿児島市南栄 3 丁目に新茶市場ができたのと同時に会社の工場・事務所を茶業団地に設立。 業界の成長とともに歩んできたが、「消費者は鹿児島茶といってもピンとこない。 いまだに『鹿児島でお茶はとれるの?』と言われます。」と苦笑いする。 ただ、今回の日本一で「有名になることは間違いない。 より質の高いお茶づくりを続けブランド力を高めてほしい。」 日本一のお茶どころになれるか。 鹿児島茶の底力が試されている。 (仙崎信一、asahi = 4-5-25) |