日本はまた後塵? 米国「夢の超高速計算機」の驚異 中核的な要素技術を最初に開発したのは NEC |現代社会に新たな突破口を切り開くと期待される夢の超高速計算機「量子コンピューター」。 その開発に拍車がかかってきた。 アメリカの IBM は今年 11 月、基本的な性能の指標となる「量子ビット」の数を 127 個にまで拡張した量子プロセッサ「イーグル」を発表した。 それに先立つ 7 月、日本の「かわさき新産業創業センター」に導入された IBM の量子コンピューターは 27 量子ビットのプロセッサ「ファルコン」を搭載している。 イーグルはその 5 倍近くに達することから、同社の量子コンピューター開発が今、急ピッチで進んでいることがうかがえる。 また IBM と先を争うように、グーグル、マイクロソフト、アマゾンなども軒並み、この分野の研究開発に巨額の資金を注いでいる。 巨額資金を調達するスタートアップが続出 一方、スタートアップ企業への投資も急拡大している。 ニューヨーク証券取引所では今年「SPAC (特別買収目的会社)」と呼ばれる特殊な上場手法を使って、一度に数億ドル(数百億円)もの巨額資金を調達する量子スタートアップ企業が続出。 これらを中心に量子コンピューター関連の投資額は、優に 15 億ドル(1,500 億円以上)を超えるなど史上最大に達した。 難解・深遠な量子力学を理論的な礎とする量子コンピューターの研究開発は、アイデアが発案された 1980 年代から長年にわたって、物理学者らがその実現可能性などをめぐって知的な議論を戦わせては楽しむ「科学の楽園」であった。 それがいつの間にか、そしてなぜ巨大 IT 業界の中核プロジェクトにして、生き馬の目を抜くウォールストリートにおける格好の投資対象へと変貌を遂げたのか。 一大ブームを迎えつつある量子コンピューター開発の歴史や現状などを探ってみることにしよう。 そもそも量子コンピューターとは、20 世紀初頭の欧州を中心に最先端の物理学として確立され、原子核や電子などミクロ世界を説明する「量子力学」を計算の基本原理とする次世代計算機だ。 ちなみに「量子」とはもともと「エネルギー量子」から生まれた物理の専門用語で、ミクロ世界ではエネルギーが連続的に変化するのではなく、飛び飛びの離散値をとることに由来している。 その最小単位が「量子」と呼ばれるものだ。 この「量子」ならでの特徴を生かした本格的な量子コンピューターが開発されれば、その計算速度は異次元の領域に達し、スパコンをはじめ従来の計算機がまるで「原始時代の石器」にも見えてしまうほどだといわれる。 1980 - 90 年代、英国のデイヴィッド・ドイッチュ博士をはじめ先駆的な物理学者らが、量子コンピューティングを実現するための具体的な方式やアルゴリズムなどを提案した。 いずれも「量子並列性」と呼ばれるミクロ世界の不可思議な現象を、超高速計算の理論へと応用したものだ。 「白でもあり、黒でもある」という状態を利用 私たちの生きるマクロな日常世界では、白はあくまで白であり、決して黒ではない。 しかし量子力学によって説明される極小の世界では、「白は白であると同時に、黒でもある」という奇妙な状況が成立する。 要するに、1 つのモノが同時に幾つもの異なる状態を取りうる。 これが「量子並列性」と呼ばれる現象だ。 量子コンピューターでは、この量子並列性を利用して、1 台のコンピューターの内部に自らの分身を無数に作り出す。 これら無数の分身が協力して 1 つの仕事をこなすので、その結果として超高速の計算が実現されるのだ。 量子コンピューターの活躍が期待される分野は、いわゆる「NP 困難 (Non-deterministic Polynomial-time hardness)」などと呼ばれる特殊な問題群だ。 例えば、セールスマンが多数の都市を一度ずつ巡って元に戻る巡回コストの最小値を計算する有名な「巡回セールスマン問題」など、一般に「組み合わせ最適化」と呼ばれる問題が「NP 困難」の一例として、よく引き合いに出される。 一見、簡単そうだが、都市の数が 3 つ、4 つ … と増えていき、ある段階に達したところで、計算量が爆発的に増加するので手に負えなくなる。 これらは、計算方法がわかっても、それに従って実際に計算しようとすると現在最速のスパコンを使っても有限の時間内には解けない問題だ。 このような難問は、IT、金融、自動車、化学、医薬品、航空、軍事などさまざまな産業分野に多数存在し、それらを解くために異次元のスピードで動作する量子コンピューターの出現が待たれているのだ。 一方、もしも本格的な量子コンピューターが実現されれば、公開鍵暗号 RSA など従来の暗号技術が容易に破られてしまうため、IT や金融業界のほか、国防・諜報活動など安全保障の分野でも深刻な懸念を呼んでいる。 このため各国政府は量子コンピューターでも破ることのできない量子暗号技術の開発に躍起だ。 また他国に先駆けて本格的な量子コンピューター開発に成功した国は、産業競争面での強力なアドバンテージを得ることから、いわゆる「経済安全保障」の最優先課題ともなっている。 こうした量子コンピューターの中核となる要素技術が「量子ビット」だ。 パソコンからスパコンに至るまで従来のコンピューターでは、そのデータを表現する各ビットが 0 か 1 かのいずれかを表す。 これに対し、量子コンピューターでは、従来のビットに対応する量子ビットが(ある確率分布に従って) 0 と 1 の両方の状態を取り得る。 この奇妙な二重性が(前述の)量子並列性を生み出す源となっている。 量子ビットを実現するには、「超電導」や「電子のスピン」、あるいは「光の偏光」などさまざまな物理現象が利用されるが、現時点で最も広く使われているのは「超電導」を利用した方式だ。 「超電導量子ビット」は NEC が開発 この超電導量子ビットは 1998 年ごろに、当時日本の NEC に所属していた中村泰信氏(現在は博士、東京大学教授)、蔡兆申博士(現在は東京理科大学教授)らの研究チームが開発した技術だ。 ここで「超電導」とは、特定の物質において、その電気抵抗が低温でゼロになる現象のことだ。 電気抵抗がゼロになると、ループ(環状)回路において電流が永久に流れ続ける。 このループ電流は非常に安定しているので、これを用いれば量子コンピューターに必須の量子ビットを表現できると考えられた。 NEC で開発された超電導量子ビットは、素材的にはアルミニウムと酸化アルミニウムなどから構成され、それらが互いに接する「ジョセフソン接合」という仕組みによって実現される。 アルミニウムは絶対温度 1K (-272.15℃) 近辺で超電導に達するが、そこにはジョセフソン接合によって右回りと左回りの電流が共存する奇妙な量子状態が出現する。 このうち「左回り」の電流を 0、「右回り」の電流を 1 と定めれば、0 と 1 が重ね合わさった量子ビットを表現できる。 このような超電導量子ビットは、量子コンピューターを実現するうえで最も安定した素子として評価され、その後も各国で研究が進められた。 2009 年には、アメリカのイェール大学やカリフォルニア大学サンタバーバラ校などの研究チームが、半導体関連のシリコンやニオブなど標準的な材料や技術で超電導量子ビットを実現した。 これによって「夢の量子コンピューターを本当に作れそうだ」ということを世界に示した。 その結果、2010 年以降、IBM やインテル、グーグルをはじめアメリカの巨大 IT 企業はいずれも自社の量子コンピューターを開発する際に、この方式を採用することとなった。 他方、日本メーカーは超電導量子ビットのように中核的な要素技術で先行しながら、肝心の実機開発でアメリカ勢に後れを取ってしまった。 今は試験機レベルの製品だが … 現在、IBM やマイクロソフト、アマゾンなどは、自主開発あるいはスタートアップ企業などから調達した量子コンピューターを、クラウド・サービスとして提供している。 これを通じてさまざまな業界の企業に量子コンピューターを使ってもらい、その普及を図っている。 日本で今年 7 月、川崎市の「かわさき新産業創造センター」で稼働を開始した量子コンピューター「IBM Quantum System One (IBM Q)」は、東京大学を中心に産業界と共同で設立した「量子イノベーションイニシアティブ協議会」が各界企業による活用を促していく。 同協議会には金融や自動車、エレクトロニクス、化学をはじめ産業各界を代表する主要企業や大学など 14 団体が名を連ねている。 例えば、金融機関ではポートフォリオの最適化やリスク管理、自動車メーカーでは EV 用電池の開発や渋滞回避、化学メーカーでは画期的な新素材の開発などに量子コンピューターが大きな力を発揮すると見られている。 ただし現時点の IBM Q はわずか 27 量子ビットと、実用機というより試験機レベルの製品だ(この点は後述するアメリカの量子スタートアップ企業の製品も同じ)。 したがって協議会の主な目的は、将来量子コンピューターが本格的に普及する時代に備え、今から使い始めることで量子コンピューターに習熟した人材の育成や情報交換を図ることだという。 そうした中、IBM はすでにプロセッサ技術では、冒頭で紹介した 127 量子ビットの「イーグル」の開発に成功し、来年には 433 量子ビットの「オスプレイ」、翌 2023 年には 1,121 量子ビットの「コンドル」をリリースする計画だ。 一般に量子コンピューターがスパコンをはじめ既存のコンピューターを圧倒的に凌駕する「量子超越性」を達成するには、最低でも数百万個の量子ビットが必要と見られている。 しかし、たとえ 1,000 量子ビット程度でも、「AI (人工知能)」や「化学」など一部分野では量子コンピューターが(超越性とまではいかないまでも)優越性を示すようになるとの見方もある。 このため IBM のコンドルがリリースされる 2023 年は、量子コンピューターが実用化に向かうターニング・ポイントになると、同社の上級副社長・研究部門責任者であるダリオ・ジル博士は考えている。 一方、マイクロソフトは 2014 年ごろから、理論物理学が予言する「マヨラナ粒子」と呼ばれる謎の物質に基づく独自の量子コンピューター開発を進めてきたが、最近この粒子に関する研究論文が撤回されたのを契機に開発は難航している模様だ。 同社は現在、アメリカの IonQ やカナダの D-Wave Systems などスタートアップ企業が開発した量子コンピューターを、「Azure Quantum」と呼ばれるクラウド・サービスとして産業各界の企業に提供している。 700 億円以上を調達した IonQ このうち IonQ は、アメリカのメリーランド大学などで開発された「イオン・トラップ」と呼ばれる独自技術に基づく量子コンピューターの開発を進めている。 今年 10 月には「SPAC」と呼ばれる手法を使ってニューヨーク証券取引所 (NYSE) に上場し、約 6 億 5,000 万ドル(700 億円以上)を調達した。 同社の時価総額は約 20 億ドル(2,300 億円以上)に達する。 また同じ月に、アメリカの量子スタートアップ企業リゲッティ・コンピューティングも SPAC で NYSE への上場を果たし、約 4 億 3,500 万ドル(約 500 億円)を調達した。 同社の時価総額は約 46 億ドル(約 5,300 億円)だ。 最後にアメリカのアマゾンは、IonQ やリゲッティ・コンピューティングなどが開発した量子コンピューターを、「Amazon Braket」と呼ばれるクラウド・サービスとして提供している。 さらに今年 11 月には、カリフォルニア州に「AWS Center for Quantum Computing」と呼ばれる研究所を開設し、ここで量子コンピューターの自主開発にも乗り出した。 IBM やグーグルと同じく「超電導量子ビット」方式のマシンを開発していく計画だ。 アメリカでは新旧入り乱れた企業が量子コンピューターの開発を加速しているのに対し、日本企業はその利用に徹するというのでは心もとない。 ここからは日本勢の奮起が望まれるところだ。 (小林雅一、東洋経済 = 11-29-21) ◇ ◇ ◇ 量子コンピューター、日本で初稼働 スパコン超えの性能 米 IBM 製の量子コンピューターが日本で初めて稼働を始め、川崎市のかわさき新産業創造センターで 27 日、記念式典があった。 東京大が中心となってほかの研究機関や企業と連携し、新しい素材の開発や金融のリスク解析、数学などへの活用を検討している。 量子コンピューターは、理論的にはスーパーコンピューターをはるかに超える計算性能を出せるとされる次世代の計算機。 現在のコンピューターが情報を「0」か「1」の組み合わせで計算するのに対し、量子力学の 0 でも 1 でもあるという「重ね合わせ」の状態を利用する。 2019 年には米グーグルが「世界最速のスパコンでも 1 万年かかる計算を 200 秒で終わらせた」と発表した。 実際に使える段階には至っておらず、実用化には 10 - 20 年かかるという意見もある。 東京大の藤井輝夫総長は「既知の問題を高速で解くだけでなく、未到の問題を解く可能性も秘めている。 実証を見据え、歴史的な課題に取り組みたい。」と話した。 (小川詩織、asahi = 7-27-21) ◇ ◇ ◇ 米政府、量子インターネットの開発戦略を発表 米エネルギー省は米国時間 7 月 23 日、量子インターネットの構築に向けた戦略をシカゴ大学での記者会見で発表し、これにより米国が世界の量子技術競争の先頭に立つとした。 エネルギー省所管のアルゴンヌ国立研究所(イリノイ州)はシカゴ大学などの科学者らと協力し、量子コンピューティングをデータ通信に応用する量子ネットワーキングの研究を進めてきた。 同省によると、量子インターネットは「量子力学の法則を活用し、かつてないほど安全に情報の管理と送信を行う」という。 同省が所管する 17 の国立研究所が、科学、産業、国家安全保障に利用できる安全なネットワークの構築を目指す。 「米国はこの新興技術を構築することにより、量子の能力を維持し拡張する取り組みを続けていく」と、同省の Dan Brouillette 長官は述べた。 こうした取り組みは、Donald Trump 米大統領が 2018 年 12 月に署名した「国家量子イニシアチブ法」の一環だ。 科学者らは、量子通信システムの試作品が今後 10 年で構築される可能性があると予想している。 AT & T も、量子ネットワーキング技術の試験的な研究開発に取り組んでいる。 (Corinne Reichert、Cnet = 7-27-20) 前 報 (1-28-20) |