習近平の手を逃れ、中国のインテリが東京に大集結 中国国内の政治対立が日本を巻き込み始めた

日本に中国から多くの知識人が押し寄せている。 中国で言論統制が厳しさを増しているためだ。 属性はジャーナリスト、人権派弁護士、ドキュメンタリー映画の監督、出版業者、学者、芸術家と多岐にわたる。 あたかも清朝末期に日本で西洋思想を吸収した後に帰国し、辛亥革命(1911 年)をリードした先人たちのようだ。

そうした知識人の例として真っ先に挙げられるのが、歴史学者で経済学者の秦暉(しん・き)氏だ。 リベラル派の大物で、2015 年には、清朝帝政の呪縛から解き放たれた中国で立憲民主主義が定着しなかった経緯を検証した著書、『走出帝政 (「帝政を抜け出す」 邦訳未刊)』が発売停止に追い込まれた。 現在は東京大学客員教授を務める。 秦氏は都内の大学などで 2023 年から「全球化和亜州(グローバリゼーションとアジア)」と題する連続講座を実施中で、毎回超満員となっている。

「東京で中国を再建する」

近代史に精通した作家の傅国涌(ふ・こくよう)氏も日本に身を寄せる知識人だ。 彼が 2011 年 10 月 10 日に『中国経営報』に発表した「1911 年、清朝滅亡前夜」という記事が中国で注目された。 書き出しはこのように暗示的だった。

「1911 年、北京を支配していた人々は、自分たちの時代がもうすぐ終わるとは一人も考えていませんでした。 (中略)上から下まで全員です。 彼らの日記には食事や贈り物の記録がつづられており、はたからは本当に繁栄している『盛世』のように見えました。」

傅氏も都内で「在東京重造中国(東京で中国を再建する)」というテーマで、清朝末期に日本にやってきた中国人思想家についての連続講座を開いている。 2010 年ごろから中国の知識人の受け入れを積極的に行ってきた東京大学大学院総合文化研究科の阿古智子教授(現代中国研究)も、日本に拠点を移す中国知識人の増加を感じている。 阿古教授は 2022 年に、東京・中野にある自宅の一部を「亜州コモンズ」と名づけて開放し、宿泊者を受け入れている。 かつて政治犯や思想犯が収容された旧中野刑務所(豊多摩監獄)の表門(通称「平和の門」)と中国陝西省の横穴式住居「窰洞(ヤオトン)」をイメージして作られたガラス張りの玄関がトレードマークだ。

ここには言論活動への統制が強まる中国や香港からのゲストが宿泊してきた。 政治的事情で弁護士資格を奪われた女性弁護士、ゲイのジャーナリスト、#MeToo 運動を牽引してきた女性とそのパートナーなどだ。 現在の香港では政治的な講演会などを開催することが難しくなっている。 かつては香港中文大学が中華圏のホットトピックについて忌憚なく議論できる場だった。 「東大をそういう場として提供することで、中華圏の言論活動を活発にし、議論を深めていきたい」と阿古教授は語る。

筆者が 2023 年 11 月に東大で参加したフェミニズムをテーマとするワークショップでは、30 人ほどの中国人学生らがゲストである在米中国人フェミニストの言葉に熱心に耳を傾けていた。 また、同年 6 月に東大でポッドキャスト番組「不明白播客」のファンミーティングの司会を筆者が担当した時にも、大講義室が満員になるほどの盛況ぶりだった。 ニューヨークタイムズ・コラムニストの袁莉氏がホストをつとめ、中華圏で大人気となっている番組だ。

ここ数カ月だけで、筆者は都内で、前出の連続講座以外にも、ビル・ゲイツ財団に勤めたこともある著名教育家の李一諾氏のイベント、香港バプティスト大学ジャーナリズム学院で教鞭を執る、著名ジャーナリストの閭丘露薇(りょきゅう・ろび)氏らのイベントに参加した。 これらのイベントの参加者はほぼ 100% が在日華人だった。 まるで、5 年以上前の香港、そして 10 年以上前の北京の言論空間が今の東京に再現されたかのようだ。

日本における知識人の大集合には、仕掛けられた側面もある。 国際交流基金や外務省のプロジェクトとして、日本とパイプがある人物を日本へ招聘する動きが 2000 年代後半に本格化した。 その後、この取り組みは中国で影響力のある知識人を呼ぶ方向へさらに進化した。 いま中国から拠点を日本に移している著名な知識人には、そうした招聘で日本に足を運んだことがある人が多い。

 

大物外交官によるバックアップ

こうした知識人と強固なネットワークを形成したのが、先ごろ駐中国大使を離任した垂秀夫(たるみ・ひでお)氏だ。 垂氏はメディアで「チャイナスクールでありながら中国に毅然とした態度で臨んできた」と評されることが多いが、同時に中国で人権派を含めた幅広い人脈を築いてきた。 実はそれこそが「垂さんの外交官として最大の功績(外務省関係者)」という評価すらある。

退官したばかりの垂氏は、筆者の取材に対して、日本側が「結果的に共産党を支援する形となった天安門事件以降、民主化志向の強い知識人は日本に対する関心を失っていたが、一連の訪日で民主主義と法の支配が定着した日本を再発見した。 また東日本大震災発生時期に訪日し、日本人の秩序ある行動に深く感動した者もいた。」と話す。 そうした中国の知識人の中には、日本の選挙期間中に訪日し、民主主義の実情に触れる機会に遭遇し感銘を受けた者もいたという。 街頭演説する安倍晋三首相(当時)と握手できたなどと、とても喜んでいる様子だったそうだ。 中国国内では、庶民が最高指導部と直接触れ合う機会はほとんどないからである。

垂氏は、「中国人の日本渡来ブームは、清朝末期と改革開放後についで今回が 3 回目。 今回は中国に対する国民感情が悪い、そして来日する中国人には富裕層が含まれているという特徴がある。 何十年後かに振り返って、『あの時、3 つ目の波を日本社会はきちんと受け入れられていたか』という検証に耐えられるような対応を考えなければならない」と話す。

そこから見えてくるのは、富裕層が知識人を支えて、新たな政治的勢力を育てる可能性だ。 垂氏は「日本に逃げてくる中国人を中国共産党の一味と捉えるべきでなく、こうした人々を逆に戦略的に取り込むくらいの発想や度量が求められるのではないか」と指摘する。 中国の知識人が日本に来る背景には、香港の自由度が低下する中で、中国政府への抗議活動の前線が香港から東京に移ってきているという側面もある。

2022 年 11 月末に中国各地でゼロコロナ政策に異議を唱えた「白紙運動」が起きた際には、東京でも JR 新宿駅南口で数百人が参加する集会が開かれた。 この集会の準備メンバーによると、この集会には香港のデモを継承したところがあった。 例えば、参加者たちは中国当局による情報監視が難しいチャットアプリの「テレグラム」で連絡を取り合い、中国大使館員による監視に備えてマスクをつけていた。 参加者には多様な意見の発出を認め、リーダーを作らず、看板に工夫を施したりしていた。

中国の現状を変えたいと願う人々の集結は、今後長期的に日本、そして中国に何をもたらすのだろうか。 20 世紀初頭のように新たな思想的新潮流が東京で生まれ、やがて中国の体制を変えるほどのインパクトを持ちえるのだろうか。 日本への知識人の招聘を進めてきた東大の阿古教授は「まだまだですね」と話す。 現時点で体制変革にコミットする中国人は多くない。

「中国が経済的にも軍事的にもかなり厳しい状況になった時に、どう声を上げるかですよね。」 たとえば台湾有事などが本当に差し迫った時には、在日中国人により何らかの組織が立ち上げられるのではないかとの見方だ。 清朝末期との共通点を指摘する向きは多いが、違いを指摘する声も聞こえてくる。 そもそも当時と違って、現在の中国の国力は日本を大きく上回る。 ヨーロッパの大国であるロシアに勝った当時の日本は、アジアにおける政治の首都だったといっていいが、今や日本の位置づけは「文化の首都」(「単行街書店」経営者の許知遠氏)である。

そして、中国では情報管理がますます徹底されるようになり、海外からの声が国内に届く状況ではない。 それどころか、中国国内は、ますます体制擁護的で愛国的な声であふれるようになってきている。 さらに、中国の秘密警察が海外在住者にも影響力を及ぼせるようになっている 。日本で学ぶ香港人留学生が地元に帰った際に、留学中の SNS への投稿をめぐり香港国家安全維持法違反の疑いで逮捕され、2023 年 11 月に禁錮 2 カ月の実刑判決が下ったのは記憶に新しい。

体制派も反体制派も存在感高める

中国のネット上で、過激な愛国的主張を繰り返す「小粉紅」は日本にも浸透している。 2023 年 8 月には、福島第一原子力発電所からの処理水放出に反応して「当店の食材はすべて福島県産です」との黒板を掲げた新宿の居酒屋に中国人が突撃した動画が話題になった。 その一方では、そうした店を応援するためにわざわざ食べに行く反体制的な在日中国人もいた。

反体制派の動向に詳しいある東京在住の中国人青年は、「一昔前までは中国人留学生には政治に無関心な層が多かったが、コロナ以降は、留学生の中で愛国的かつ中国共産党に近い立場と反体制派の両極への分断が進んだ」と話す。 国際情勢の変化で、在日中国人コミュニティ内で政治的傾向の違いが鮮明になってきているのだ。 いずれにせよ、東京では体制派と反体制派が共に存在感を示すようになっており、今後何らかのきっかけで摩擦が起きる可能性についても想定しておく必要があるだろう。 日本の国内に「もう一つの中国」が出現しつつあるとすら言える状況なのだ。 もはや日本人は中国政治をめぐる鋭い矛盾に、部外者ではいられなくなってきた。 (舛友雄大、東洋経済 = 2-3-24)


「中国の歴史教育が全て覆った」 日本へ移住の中国人家族、"日本礼賛" の一方で苦しさも

最近、中国人富裕層が日本に移住し、日本の不動産を爆買いしているという記事をよく目にするようになった。「日本が買い占められるのではないか」と心配や不快感を抱く日本人も少なくない。 確かに、コロナ禍を経て中国から日本へ移住する中国人が増えている。 しかしその中心は、富裕層ではなく「中間層」で、不動産購入どころか家族と一緒に賃貸住まいをしている人も多い。 今回、2022 年に中国から日本にやってきた 2 組の家族に直接会い、話を聞くことができた。

社会的地位があり、金銭的にも困っていない 中国人夫婦が、上海から大阪へ移住

昨年 5 月、上海がロックダウンの真っ最中だった頃、厳しい監視をかいくぐって日本に到着した、劉清流さん(仮名、40 代後半)一家。 彼らは大阪に住んで 1 年になる。

劉さんは中国で日本の「経営・管理」の * 在留資格を取得したものの、当時一般市民は自宅から出られない状況だったため、劉さんは防護服を着て、コロナの重病患者を装い、ネットで見つけた白タクで空港までたどり着いた。 途中、警察から何度も車を止められて尋問を受けた。 白タク代は通常料金の 20 0倍だった。 ロックダウン下で日本に来るのがどれほど大変かについては、以前 "「やっと人間の世界に戻った」と涙 … 中国で日本移住の人気が急上昇の事情" という記事で紹介しているので、詳しくはそちらを参照してほしい。

* 「経営・管理」在留資格 … 日本で会社を設立し、事業を興す外国人起業家が、その事業の経営や管理を行うために取得しなければならないビザのこと。

劉さん一家は、劉さんと妻、小・中学生 2 人の息子の 4 人で暮らしている。 劉さんは、車部品の貿易会社を営んでいた。 奥さんは国のラジオ局でバリバリ働いていたディレクターだった。 社会的地位は悪くない。 金銭的にも生活にはまったく不自由はなかった。 それなのになぜ日本に来たのか? と聞くと、答えは一言、「子どもの将来のため」だという。 「最近の息子たちの学校教育や教科書を見ると、愛国教育があまりにも強まり、政治的なプロパガンダのウエートが年々大きくなっていると感じる。 子どもたちが洗脳されていくことを恐れ、何とかしないといけないという危機感を覚えた。」と話す。

日本に来たこともなく、日本語も話せないのに日本に来た理由

一家はこれまで一度も日本を訪れたことがなく、全員日本語が話せない。 「これまで日本とはまったく縁がなかった」と、劉さんはいう。 それなのに、なぜ、日本を選んだのか。 「ずっと日本には興味があった。 何より一番驚いたのは『日本の小学生は通学の際、親が送り迎えしていない』と聞いた時だ。 どれだけ治安が良ければそんなことができるのかと衝撃的だった (笑)」という。

中国の都市部では、小中学生が通学する際、両親や祖父母などが送迎するのが常識である。 日本のように一人、もしくは子どもたちだけでの通学は、まずあり得ない。 まして、小学生が一人で電車に乗って遠距離を通学するのは "信じられないこと" である。 日本の子どもたちの自立性の高さ、それを重んじて支える日本の社会や治安の良さが魅力的に見えたのだろう。

「現在の日本の生活はどうですか」と問うと、劉さんは「日本は想像したよりも本当に素晴らしい国だ」と、目を輝かせながら次のように語った。 「日本語が全然できない私たちが日本に行って、どうやって生きていくのか。 不安がなかったかというと、うそになる。 しかし、想定していた困難は思ったほど深刻ではなく、日本の皆さんに助けていただきながら、乗り越えている。」 さらに「自分が幼少期に受けた歴史の教育をすべて覆されたような感じだ。 僕は今、どういう言葉を選んで自分の気持ちを表現すればいいのか分からないほど、とにかく日に日に楽しくなり、感動することが多い。 もっと早く来たら良かった。」と話す。

劉さんが語る「日本(大阪)のここが好き」

一体、日本のどんなところが劉さんにとってそれほど幸せなのか。

  • 区役所でいろいろ面倒な手続きをする際、日本語が分からない私たちに、職員が親身になって長い時間や手間をかけて、丁寧に対応してくれた。 中国でいう本物の「人民の公僕」とは、こういうことだと思った。 生まれて初めて体験した。
  • 買い物の際に、店員さんがお釣りを見せながら金額を確かめる。 こうした丁寧なサービスを日々享受しており、とても居心地がいい。
  • 日本では冠婚葬祭、学校行事など、日常の中にさまざまなイベントがあり、参加者がきちんと服装やルールを守って参加していて "儀式感" がある。 中国社会ではこうした伝統的な習慣がほとんどなくなっているが、こういう慣習が残っているのはとてもいいことだと思った。
  • 食べ物は何でもおいしい。 特にフグ、すき焼き、お好み焼き、たこ焼きが大好き。

などなど、劉さんから次々と語られる「日本礼賛」は枚挙にいとまがない。 最も重要な「子どもたちのための移住」という目的も順調なようだ。 「2 人の息子は、週に 2 回は大阪市教育委員会による外国人向けの無料日本語教室に通っている。 そして、息子たちが入学した公立の小中学校では、何か連絡を取る必要があるときは、学校側が中国語の通訳を付けて親とコミュニケーションを取るシステムがあり、とても助かっている。」 「子どもたちは給食大好きで、日本の学校に通うようになって、上の子は 5 キロも体重が増えた。」

「振り返れば、1 年前に上海を脱出した時の苦労は並々ならぬものだったが、現在の生活と比べると、そうした苦労に値すると思った。 最近僕のビジネスも日本の取引会社を見つけて順調に進んでいる。 これからはきちんと経済活動し、きちんと納税して、日本に恩返したいと思っている。 そして、家族と一緒に日本社会に溶け込むように頑張りたい。」 劉さんは日本の良い面ばかりをひいき目に見過ぎており、逆に心配になるほどだったが、大阪在住経験がある筆者から見れば、現在、劉さん家族が住んでいる地域は、いわゆる「大阪のおばちゃん・おっちゃん」がたくさんいる。 人情味と面倒見の良い人が多いということもかなり奏功していると感じた。

北京から東京にやってきた、胡さん夫婦の苦労

一方、日本に来てはみたものの、苦労しているケースもある。 昨年北京から来日し、現在、東京都内のアパートを借りて、妻と 2 歳の娘と一緒に暮らしている胡勇(仮名、30 後半)さん家族にも話を聞いた。 胡さんが来日した理由も、先述の劉さんと同じく「子どもの教育のため、家族を守るため」なのだが、胡さんが中国を出た状況は、かなり深刻なものだった。 胡さんは、中国で行っていたビジネスで詐欺に遭った。 その相手のバックに権力者が付いており、解決できなかった上に、家族まで脅迫され、身の危険を感じた。 中国社会に失望して日本にやってきたという。

胡さんは中国の大学で日本語を専攻していた。 また夫婦でフランスに留学したことがあり、英語、フランス語が堪能なため、欧米からの旅行者向けの旅行会社を都内で経営している。 比較的海外生活の経験も豊富な胡さん一家だが、日本での生活は意外にも厳しい状況のようだ。 まず、多くの外国人が経験するように、日本に来てから、一番困ったことは、やっぱり住まい探しだった。 「外国人と聞いたと途端に断られた。 選ぶ権利が全くなく、貸してくれるだけでありがたいという状況だった。 中国人の友人に頼って、やっと 3 階建てのアパートの一室を借りることができた。」

引っ越した後は、デパートで買った品物を持って、隣や上下の階の住民にあいさつ回りをした。 本番の時に緊張して言い間違えないよう、あいさつのセリフは事前に何百回も練習したという。 しかし周囲の住民の様子は、前出の大阪在住の劉さんとは大きく異なるものだった。 「住民たちが見る目線が冷たい」と胡さんは話す。 あからさまに嫌われていると感じることも多いという。

「心当たりはある」という。 「2 歳の娘がよく大声で泣いたり、家中を走り回ったりしている。 アパートの遮音性が悪く、声がよく漏れる。 そして、娘を叱る妻の声がまた大きい。 娘へ大声で叱責する妻を止めるために僕も大声を出し、夫婦げんかになる。 けんかは中国語だから、住民たちにとっては騒音でしかないだろう。 アパートの中には他にも夫婦げんかをしている人がいるけど、日本語だから聞いているほうは(中国語より)気にならないだろうね。」 本来ならば、引っ越しをしたいところだが、外国人だと物件探しもままならない状態だ。

それでも、胡さんは「日本に来て良かった」と実感している。 「たまたま周囲の住民からは冷たくされているが、そうでない優しい日本人も多いことも体験しているから。(胡さん)」 「我々中国人が日本に歓迎されていないことは分かっている。 それでも日本は健全な社会であり、いい面がたくさんある。 日本には助け合いの精神があり、基本的人権も尊重されている。 時には差別されても、日本は法治国家だから、何かあるときには法律が守ってくれる。 だから、日本で頑張って生きていきたい。」

肝心の子育ての面では、うれしいこともたくさんあるようだ。 この点が胡さんの心を満たしている。 「娘が通っている保育園の先生たちがとても優しい。 妻は片言の日本語しか話せないが、いつもゆっくり話したり、筆談したりしてくれる。 何よりも、まだ 2 歳の娘がすでに『あいさつをきちんとすること。 ごはんは残さずに最後の一粒まで食べること。』というような、大切な教育を受けている。 道徳面や子どもの教育を見たら、日本に来て正解だと思っている。」と胡さんは最後に語った。

自国を離れて異国の地で生きるのは、中国人も日本人も等しく大変

同じ頃に中国を出て日本にやってきた 2 組の家族だが、状況はずいぶん異なる。 大阪在住の劉さん家族は、日本に来て大満足、非常に幸せな状況。 東京在住の胡さん家族は、住民には冷遇されてはいるが、それなりに日本という国を信頼し、期待して頑張っているという状況だ。

彼らが日本に来たのは、コロナ禍の中国社会の問題が背景にあり、子どもの将来に不安を感じたからだ。 自国を離れ、異国の地で生きるのは何にせよ大変なことだ。 一生懸命生きようとしている人は、国籍関係なく尊重されるべきだと思った。 これは日本に来た外国人に限らず、日本から海外へ渡った人も同じだろう。 すでに日本には、中国人だけでなく、さまざまな国から来た人がたくさん暮らしている。 どこの国から来た人でも、その人に合った生き方や、現地の人々と協力し合って暮らしていくことが可能な社会を実現させることが、これからは大事になるのではないだろうか。 (王青 : 日中福祉プランニング、Diamond = 6-28-23)