中国、今年は 1 万 3,500 人の富裕層が海外移住か = 人気の国は… - 香港メディア

中国から今年、海外に流出する富裕層が 1 万 3,500 人に上り、昨年に続き世界最多であるとの予測が立てられた。 香港メディアの香港 01 が伝えた。 記事は、米ブルームバーグの 14 日付記事を引用。 それによると、コンサルティング会社のヘンリー & パートナーズは 13 日に発表した報告書で、2023 年に海外に「移住(6 カ月以上滞在)」する中国の富裕層が 1 万 3,500 人に達すると予想した。 2 位はインド(6,500 人)、3 位は英国(3,200 人)だった。 富裕層は 100 万ドル(約 1 億 4,100 万円)以上の投資可能資産を保有すると定義されている。

シンガポール華字紙・聯合早報によると、ニュー・ワールド・ウェルスのリサーチ責任者であるアンドリュー・アモイルス氏は「過去数年間、中国の全体的な富の伸びは鈍化している。 これは、最近の資金流出がこれまでよりもさらに破壊的になる可能性があることを意味する」と指摘している。 一方、富裕層の流入が多い国はオーストラリアが UAE (2 位)を抜いてトップとなり、3 位はシンガポールだった。 中国には 80 万人超の富裕層がいるとみられているが、近年続く流出傾向は中国経済の成長鈍化をさらに悪化させることになるとみられている。

また、こうした傾向は香港でも見られるといい、今年は 1,000 人が海外に移住すると予測されている。 台湾メディアの中央社は香港のヘンリー & パートナーズ幹部の話として、「中国の富裕層はビザなしで重要な地域に行くことができる手段の獲得を求めており、流動性を改善したり、より良い医療環境を確保したり、政治的な安定を享受したいと思っている」と伝えた。 記事によると、中国で新型コロナウイルスによる都市封鎖が解除されて以降、移住の問い合わせが激増している。 中国の富裕層に最も人気の移住先はシンガポールで、中でも資産運用のためのファミリーオフィスを設置する方法が人気だという。 (北田、Record China = 6-16-23)

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自国に失望した中国の超富裕層、目指すはシンガポール

[シンガポール] 中国の富裕層の多くは、家族の資産を移す理想的な場所はシンガポールかもしれないと考えている。 大学院生のザイン・ジャンさんもその 1 人だ。 アジアの金融ハブであるシンガポールの大学で学んでいれば永住権の取得につながるのではないか、とジャンさんは期待している。 26 歳の彼は勉学に忙しいが、彼の妻は 500 万 - 700 万シンガポールドル(約 4 億 9,600 万 - 6 億 9,400 万円)もするペントハウスを物色している。

「シンガポールは素晴らしい。 安定しているし、投資機会もたくさんある。」 昨年この地で開かれたビジネスと慈善活動に関するフォーラムに参加したジャンさんは、ロイターにそう語った。 ジャンさん一家は今後の資産運用のため、いわゆる「ファミリーオフィス」をシンガポールに設けるかもしれないという。 シンガポールのシャングリラホテルで開催されたフォーラムでは、家族の資産運用や持続可能な投資といったテーマが議題となり、富裕層の人々が大勢参加した。 多くは、エルメスのベルトやグッチのショール、クリスチャンディオールの最新のバッグといったデザイナーブランドで装っていた。 中国系の参加者の中には、最近シンガポールに移住してきた、あるいは移住を考えているという人も複数見られた。

負担の軽い税制や政治的な安定というイメージが手伝って、シンガポールは以前から外国の超富裕層にとっての安息の地となっていた。 だが 2021 年以来、シンガポールには新たな富の流入が見られる。 背景には、アジア諸都市の先陣を切って新型コロナウイルス関連の規制を大幅に緩和したこと、そして多くの中国人が自国の厳格なコロナ対策にうんざりしていることが挙げられる。 2021 年に香港の居住権を得たジャンさんがシンガポールに目を向けるようになったのも、そうした自国政府に対する幻滅が理由だ。 ジャンさんは香港と中国本土を行き来する際の隔離期間の長さに触れ、「だんだん我慢できなくなってきた」と言う。 香港での政治的な混乱にも失望したと話す。

「ファミリーオフィス」設立がブームに

超富裕層のために投資や税務、資産移管その他の金融関連業務を行うのが「ファミリーオフィス」だ。 シンガポールでは 2021 年に 400 社から約 700 社へと急増した。 シンガポールでファミリーオフィスといえば、掃除機メーカーで有名なジェームズ・ダイソン氏、ヘッジファンド経営者レイ・ダリオ氏、中国の飲食チェーン「海底撈火鍋」の創業者、張勇氏が設立したものが有名だ。

最新の統計は入手できないものの、業界関係者らは、2022 年にはファミリーオフィス設立への関心が高まり、今年もその勢いは続きそうだと指摘した。 中国は「ゼロコロナ」政策を放棄したが、このトレンドは変化しないと予想されている。 中国の富裕層の間では、習近平主席が格差縮小を目指す「共同富裕」という目標を掲げていることへの懸念があるからだという。 ファミリーオフィス設立支援業務に携わる弁護士のチュン・ティンファイ氏は、2022 年末には、シンガポールに 2,000 万ドル(約 26 億円)以上の資産を移したいという人たちからの問い合わせが週に 1 件はあったと話す。 これだけでも月 1 件ペースだった 2021 年よりも増えているが、今年 1 月になると、さらに週 2 件ペースへと加速した。

同氏によれば、多くは子どものための永住権取得を模索する親たちだ。 また中国人に加え、日本やマレーシアの潜在顧客からの問い合わせもあるという。 富裕層がシンガポールにひかれる理由の 1 つは、政府が主管するグローバル投資家プログラムだ。 企業やファンド、ファミリーオフィスに少なくとも 250 万シンガポールドルを投資すれば永住権を申請できる仕組みだ。

シンガポールに 2 つあるグローバル投資家プログラム対象ファンドの 1 つを運営するフィリップ・プライベート・エクイティーでエグゼクティブディレクターを務めるグレース・タン氏は、年明け以来、投資希望者とのミーティングで忙しいと話す。 そのほとんどは中国人だ。 ファミリーオフィスを設立するという人もいるが、それ以外は、シンガポールへの企業の本社移転か、シンガポール拠点のファンドへの投資だという。

資産運用の中心地に

シンガポールで運用される資産は、最新の入手可能なデータである 2021 年には、前年比 16% 増の 5 兆 4,000 億シンガポールドルに上った。 そのうち 4 分の 3 以上はシンガポール国外から流入した資金であり、3 分の 1 弱が他のアジア太平洋諸国からだという。 資産流入の背景には、コロナ禍の中で流出した移住者が再びシンガポールに戻りつつあるという大きな流れがある。 昨年、シンガポールでは永住者が 3 万人、就労ビザその他の長期ビザで滞在する外国人が 9 万 7,000 人それぞれ増加し、総人口は 564 万人となった。

人口増加に伴い、シンガポールの賃料は昨年 1 - 9 月に 21% 上昇した。 住宅価格もこの 2 年間で急騰している。 高額な民間物件を最も多く購入しているのは、引き続き中国本土の顧客である。 民間資産の流入を示す有力な手がかりがもう 1 つある。 ゴルフ会員権価格の急騰だ。 クラブ会員権を扱うシンゴルフ・サービシズによれば、シンガポールの名門セントーサ・ゴルフクラブの外国人向け会員権価格は、2019 年の 2 倍以上、88 万シンガポールドルに達した。

コンサルティング会社 EY でアジア太平洋地域ファミリーオフィス部門を率いるデズモンド・テオ氏は、こうした資産の流入がシンガポールの金融部門とスタートアップ企業を支えており、新たなステークホルダーにとってこの国の魅力をさらに高める「豊かな生態系」を生み出している、と説明する。 「ある種のクリティカルマス(臨界量)に達すれば、そのクリティカルマス自体が1つの魅力になる」とテオ氏は言う。 (Xinghui Kok、Chen Lin、Reuters = 2-4-23)


悲観論広がる中国 Z 世代、「コロナ後」の習近平政権に難題

[上海] 中国で新型コロナウイルスの感染を徹底的に封じ込める「ゼロコロナ」政策が解除されてから迎えた最初の週末。 上海のある小さなライブハウスで開催されたヘビーメタルバンドのコンサートでは、薄暗い中で数十人に上る観客の若者がひしめき合い、汗や強い酒のにおいが漂っていた。 これこそが、昨年 11 月終盤に中国全土へと波及したゼロコロナに対する抗議行動で若者たちが求めていた自由の一端だ。 抗議行動はまたたく間に拡大し、習近平国家主席が権力を掌握して以降、10 年間で国民の怒りが最も大規模に表面化する事態になった。

中国で 1995 年から 2010 年までに生まれた 2 億 8,000 万人の「Z 世代」は、3 年にわたるロックダウン(都市封鎖)や検査、経済的苦境、孤立といった試練を経て、新しい政治的な意見の表明方法を発見し、共産党のお先棒をかついでネットに愛国主義的な書き込みするか、そうでなければ政治的には無関心、という従来のレッテルを貼られることを否定しつつある。 一方、指導者として異例の 3 期目に入ったばかりの習氏は、過去最悪に近い失業率と約 50 年ぶりの低成長に直面する Z 世代を安心させる必要があるものの、それは難しい課題となっている。

なぜなら、若者の生活水準を改善することと、これまで中国を発展させてきた輸出主導型の経済モデルを維持することは、社会の安定を最優先とする共産党と政府に対し、本来的な矛盾を突き付けるからだ。 各種調査によると、Z 世代は中国におけるどの年齢層よりも将来に対して悲観的になっている。 そして、何人かの専門家は、抗議行動を通じてゼロコロナの解除早期化に成功したとはいえ、若者が自分たちの生活水準改善を実現する上でのハードルは今後高くなっていく、と警告する。

精華大学元講師で今は独立系の評論家として活動しているウー・キアン氏は「若者がこれから進める道はどんどん狭く、険しくなっているので、彼らの将来への希望は消えてしまっている」と指摘。 若者はもはや、中国の指導者に対 する「盲目的な信頼と称賛の気持ち」を持ち合わせていないと付け加えた。

実際、ロイターの取材に応じた若者の間からは、不満の声が聞こえてくる。 先の上海のコンサートにやってきたアレックスと名乗った 26 歳の女性は「もし指導部が(ゼロコロナ)政策を変更しなければ、より多くの人民が抗議に動いただろう。 だから、結局は軌道修正するしかなかった。 若者が中国で悪いことなど絶対に起きないという考えに戻ることはないと思う」と述べた。

寝そべり族

特に都市部の若者が抗議活動の先頭に立つのは、世界的な傾向と言える。中国でも 1989 年の天安門事件につながった最大の民主化運動を指導したのは学生たちだ。 ただ、複数の専門家は、中国の Z 世代が習氏にジレンマを与えるような特徴を備えていると分析する。 近年では、中国のソーシャルメディアを利用している若者が、ゼロコロナを含めた同国の政策に批判的な意見に激しくかみつく様子が国際社会の注目を集めてきた。

彼らは、愛国主義的なウェブサイトの背景色にちなんで「小粉紅 (little pinks)」と呼ばれるようになり、中国政府が展開する「戦狼外交」や、毛沢東時代に文化大革命の推進役となった紅衛兵に比すべき存在とみなされている。 ところが、パンデミック発生以降、各種規制の下で経済が減速するとともに、そうした猛烈な姿勢のアンチテーゼ的な動きが出現した。 ただし、それは西側諸国のようにナショナリズムの台頭に反対するリベラル派とは異なる。多くの中国の若者が選択しているのは「●(= 身偏に尚)平(何もしないで寝そべること)」で、「社畜」としてあくせく働くことを否定し、手に入る物で満足するという生き方だ。

本当のところ、こうした生き方に傾いている若者が、どれくらい存在するのかを示すデータは見当たらない。 しかし、ゼロコロナへの抗議の前に水面下で醸成されていた要素はただ 1 つ。 つまり彼らが予想する経済的な将来に対する納得いかない気持ちだ。 コンサルティング会社のオリバー・ワイマンが昨年 10 月に実施し、12 月に公表した中国の 4,000 人を対象に行った調査に基づくと、Z 世代はどの年齢層にも増して中国経済の先行きを悲観している。 彼らの 62% は雇用に不安を抱え、56% は生活が良くならないのではないかと考えている。

これに対して10月に公表されたマッキンゼーの調査を見ると、米国の Z 世代は 25 歳 - 34 歳を除く他のどの世代よりも、将来の経済的機会に明るい展望を持っていることが分かる。 中国でも習政権の始まりのころは、若者の見通しはもっと楽観的だった。 2015 年のピュー・リサーチ・センターによる調査では、1980 年代終盤に生まれた人の 7 割は経済環境に肯定的な見方をしており、96% が親世代よりも生活水準が上がったと回答していた。

中国の若者のトレンドを調査している企業の創設者、ザク・ディヒトワルド氏は Z 世代について「学習による悲観論だ。 これは彼らが目にしてきた事実や現実を根拠にしている」と解説。 ゼロコロナに対する抗議は 10 年前なら起こらなかっただろうが、今の若者たちは上の世代が行使しなかった手法で、自らの声を届ける必要があると信じていると述べた。 ディヒトワルド氏は、近いうちにさらなる社会的騒乱が発生する公算は乏しいとしつつも、共産党は今年 3 月の全国人民代表大会(全人代)で若者に「何らかの希望と方向」を提示することを迫られていると主張。 そうした解決策を打ち出せないと、長期的には抗議の動きが再び活発化する可能性があるとみている。

難しい政策対応

習氏は年頭の演説で、若者の将来を改善することが不可欠だと認め「若者が豊かにならない限り、国家は繁栄しない」と言い切ったが、具体的な政策対応には言及していない。 何よりも社会の安定を専一に思っている共産党が、Z 世代により大きな政治活動の余地を提供するとは考えられない。 その代わりに当局は、若者のために高給の仕事を創出し、彼らが親世代と同じように経済的に繁栄する道筋を確保しなければならない、と専門家は話す。

とはいえ、経済成長が鈍化する状況でその実 現は難しくなる一方だ。 しかも、政治アナリストやエコノミストによると、若者の生活水準を引き上げるための幾つかの政策は、過去 20 年間にわたって中国経済を 15 倍に拡大させる原動力となったエンジンを維持する、という別の優先項目とは相いれない。 例えば、Z 世代に賃金が上がると期待させると、中国の輸出競争力は低下する。 住宅価格をより手ごろな水準に下げれば、近年は経済活動全体の 25% を占めてきた住宅セクターが崩壊しかねない。 習氏が 2 期目にハイテクや他の民間セクターに対する締め付けを強化したことも、若者の失業や就職機会の減少を招いた。

カリフォルニア大学バークレー校の都市社会学者、ファン・シュー氏は、中国政府がいくら「共同富裕」を唱えても Z 世代のために格差を解消するのは、事実上不可能だと言い切る。 シュー氏によると、彼らの親は住宅市場や起業を通じてばく大な富を築くことができたが、そうした面での資産形成は再現されそうにないと強調。 格差をなくすとは不動産価格を押し下げて若者が住宅を購入できるようにするという意味で、これは上の世代に大打撃を与えると述べた。

国外に希望

こうした中で一部の若者は、中国国外に夢や希望を追い求めつつある。 大学生のデンさん (19) はロイターに、もう国内で豊かさを手に入れる余地はほとんどないと語り「中国で暮らし続ければ選択肢は 2 つ。 上海で平均的な事務仕事に就くか、親の言うことを聞いて故郷に戻って公務員試験を受け、向上心もなく無為に過ごすかだ」と明かした。 彼女はどちらの道も嫌って移住する計画だ。

バイドゥ(百度)のデータによると、上海で 2,500 万人の市民が 2 カ月間ロックダウンを強いられた昨年の海外留学の検索数は 2021 年平均の 5 倍に達した。 11 月のゼロコロナ抗議騒動の期間も、同じように検索数が跳ね上がった。 アレックスさんは「中国の体制を受け入れるか、いやなら出ていくしかない。 当局の力はあまりにも強く、体制を変えることはできない」と達観している。 (Casey Hal、Josh Horwitz、Yew Lun Tian、Reuters = 1-21-23)


中国脱出の波 狭まる自由、ゼロコロナで加速

中国で「新移民潮( ブーム)」が起きている。 南京出身の何培蓉(ホーペイロン)さんに東京で会った。 1972 年生まれ。 英語教師を経て、四川省など西部の貧困家庭の教育を支援する NGO を組織していた。 出国は 10 月。 タイにしばらく滞在した後、11 月初めに来日した。 数年前の日本訪問時に、何度でも出入りできる査証(ビザ)を取得していたことが役立った。

「とにかく自由な空気を吸いたい。 最終的にどの国で住むかは決めていませんが、中国に戻るつもりはありません。」

彼女は 10 年前、盲目の人権活動家、陳光誠さんを支援していた一人だ。 陳さんは「一人っ子」政策のもとで強制的な中絶や不妊手術が横行していることを告発し、捕らえられた。 長く軟禁されていた山東省の自宅から逃げ出した彼を、何さんは北京まで車で届けた。 陳さんは米国大使館に保護され、今は米国で暮らす。 彼女も当局に拘束されたこともあった。 だが、「人々が変化を求める限り、中国の民主化は一歩一歩進む」と希望を捨てなかった。 国内にとどまり、その一歩の後押しをしてきたつもりだ。 「楽観的すぎましたね。」

自由は想像を超えて急速に狭まった。 例えば、理由は明らかにされないまま高速鉄道のブラックリストに入れられてしまい、身分証の番号が必要となる切符は買えなくなった。 さらに「ゼロコロナ」で動きがとれず、NGO の活動まで難しくなった。 政治的に重要なイベント、3 月の全国人民代表大会の会期中は、公安に「観光」を名目に強制的に省外に連れ出された。 当局者数人と車に乗り、奇妙なドライブが続いた。 SNS などで意見を発信できなくするためである。

中国政府は出国制限を強化している。 往来を抑えるコロナ対策を理由にするが、人材や資金の流出への警戒と受け止められている。 「出るなら早い方が良い。」 中国共産党大会の直前に中国を離れた。 箱根、京都 - -。 本物の「観光」を味わいながら、日本で暮らす知人を訪ねて将来に向けて意見交換している。

もうひとり、上海から知り合いの女性が近く、大阪にやって来る。 30 代半ばの会社経営者。 お金持ちだ。 ロックダウンで「心が折れた。 人間らしい生活がしたい。」 夫と別れて一人で育ててきた 2 人の子供は、英国の寄宿舎付き学校へ送る。 自らは「何度も旅行して文化が大好きになった」日本で、知人の会社に身を寄せる予定だ。 マンションで感染者が出ればいっせいに封鎖される。 受診を拒まれたお年寄りや妊婦が亡くなる。 モノがあふれる上海で飢える人も出た。 自殺者のうわさも絶えない。 気持ちはどんどん沈んでいった。

習近平(シーチンピン)体制で言論弾圧が強まった 5 年ほど前から、人権活動家、作家や記者などが追われるように母国を離れる動きが加速した。 そして、コロナ禍の今。 脱出の波は、都市部に住む富裕層を中心とした「ノンポリ」にまで広がる。 「勝ち組」が国を離れたがっている。 デジタル技術を駆使した徹底的な管理で自由が奪われる日常は、民主派だけのものではなくなったからだ。

「解放されたい。」 そう願う人たち向けに、移住先の比較や資金の移し方を指南するオンラインの番組がたくさんある。 日本は「欧米よりも会社を立ち上げやすくビザが得やすい」、「漢字文化圏で、食べ物など生活もなじみやすい」などという理由から、人気の目的地の一つにあがる。 「潤」という言葉が中国ではやっている。 この字の中国語のローマ字表記は「RUN」。 「逃げる」という意味である。 国家に自分の人生の手綱を握られたくない人たちが、自らの「足」で習氏への不信任の票を投じ始めている。(編集委員・吉岡桂子、asahi = 11-19-22)


中国人の「祖国脱出」が静かに進む … 人気移住先・日本を中国資本が席巻か

昨年までの "帰国熱" から一転して "出国熱" に

中国で "移住願望者" が増えている。 祖国への不信感を募らせているのだ。 振り返れば 2020 年以降、新型コロナウイルスの世界的感染拡大に伴い、「中国は世界一安全な国」だと、海外から多くの中国人が先を競って帰国したものだった。 わずか 1 年で正反対の動きが始まった。

中国から大挙して押し寄せるのか

戦前から戦後にかけて上海で高い人気を博していた小説家に張愛玲(アイリーン・チャン)がいる。 最近上海市民の SNS に、彼女がよく登場するようになった。 知日派の上海の友人は「日本で言うなら林真理子さんのような人」だという。 香港中文大学の資料によると、アイリーン・チャンは 19 歳の若さで名をはせ、1940 年代初頭の上海で最も人気のある女性作家だったという。 しかし、1949 年に中華人民共和国が誕生すると、中国共産党下の空気に耐え切れず、1952 年に香港に向けて脱出した。

70 年以上も昔の人気作家が再び注目される背景には、上海市民の中国からの脱出願望がある。 今、上海市民は香港に逃げた女性作家に自分を重ねているのだ。 脱出願望が高まる理由として、今年春に上海で断行された都市封鎖がある。 上海のみならず中国という国に、このまま居続けるリスクを不安視する人もいる。 上海に親戚を持つ都内在住の孔慶さん(仮名)は「今逃げないとヤバい、と脱出を考える人が増えました。 移住への関心は間違いなく高まっています。」と話す。 「上海ロックダウン」の後遺症が決して軽微なものではないことがうかがえる。

移住と言っても、簡単なことではない。 仕事の問題、子どもの教育、親の面倒をめぐっては熟慮を要する。そもそも資金を海外に持ち出しにくいのも難点だ。 外貨準備高の減少に神経をとがらせている中国当局は海外送金に制限を設けているが、この送金問題を打破しない限り、移住への扉は開かない。 とはいえ、孔さんによれば「海外在住の中国人に金を借り、借りた金を貸し手の中国の口座に振り込むといったやり方がまかり通っている」とも言う。 送金問題は中国人ネットワークである程度は解決がつくようだ。

移住の目的地は日本、変わってきた中国人

孔さんは「目的地を日本に選ぶ人が多い」という。 6 月 1 日から上海ではロックダウンが解除され、日本も 1 日当たりの入国者数の上限を 2 万人に引き上げたが、これを契機に来日した中国人留学生もジワリと増えた。 これは "大失業時代" を迎えた中国からの脱出と見ることもできる。 国家統計局が 2022 年 7 月に発表した数字によると、都市部の 16 - 24 歳の失業率は 19.9%。 5 人中 1 人に職がない状態だ。

また、留学先でさえ、欧米に行きにくい状態が発生しているようだ。 2 カ月前に来日したある中国人留学生は、日本を選んだ理由について「アメリカはアジア人にとって危険、イギリスは雨が多く食事が合わない。 香港は狭すぎるし、他のアジアの国は知名度が低い。 消去法で残ったのが、円安傾向が続き、祖国にも近い日本でした。」と語っている。 アジアの高度人材事情に詳しい日本人コンサルタントの一人は、「確かに『移住ブーム』が始まっている」と言い、次のように語る。

「上海でのロックダウンを契機に、中国を逃げ出してくる人材が目に付くようになりました。 驚いたのは履歴書に『今の中国で未来を展望することができない』といった来日動機がはっきりと書かれていることです。」

祖国の政治については「ノーコメント」に徹してきた中国人が、心中を吐露するようになったのは大きな変化だ。 中国出身の大学教授は「往時のような魅力を失いながらも、日本が再び一部の中国人の間で注目されているのは、中国で高まるリスクと比較しての "安心安全" が得られるからです」と話している。

わずか 1 年で正反対の動きに

この数年を振り返れば、上海人は非常に自信を深めていた。 「上海は欧米の先進国以上に便利で、所得水準も高い」と自画自賛をはばからず、「独裁政治といっても自分の生活までは影響しない、政治批判さえしなければ大丈夫だ」 - - と口癖のように繰り返していた。 しかし、上海はやっぱり "中国の上海" だった。 上海市民もまた例外なく中国共産党の支配下に置かれ、その号令にはまったく無力であることを、この都市封鎖で思い知らされた。 "例外的な地位" を自負してきた上海人にとってこの挫折感は大きい。

日本に帰化した東島龍彦さん(仮名)は、帰化したことを後悔した時期があった。 出張で上海の取引先を訪れるたびに、「なぜ日本なんかに移住したのか」となじられた経験がある。 全身エルメスで固めた取引先の "上海人" 社長の、「時代は中国だ」と繰り返す "説教" を何度も聞かされてきた。 しかし、その社長も「今ではすっかり無口になってしまった(東島さん)」という。

わずか 1 年前、中国人の祖国に対する信頼と忠誠心は最高潮に達していた。 中国は 2020 年 4 月の時点で、新型コロナウイルスの封じ込めにいったんのめどをつけたが、この頃には欧米が大混乱に陥っていたのである。 「中国は世界で最も安全な国」だと信じた在外の中国人は続々と帰国の途に就いた。 留学生だけでも、2021 年には 100 万人超が帰ってきた。 ところがこの潮流は続かず、人の行動や心理は、それとは正反対の方向に進み始めている。

「祖国離れ」は日本にも影響が及ぶのか

秋の共産党大会が目前に迫る。 習近平政権が 3 期目も続けば、"暗黒時代" は続き、時計の針は逆回転を進め、"祖国離れ" を増やすことにもつながりかねない。 出入国在留管理庁の数字によれば、日本に在留する中国人は 2012 年の 65 万人からから 2019 年には 81 万人に増加した。 その後はコロナで移動が制限され、この数字に伸びはなかった。 ただ中国人は、戦乱や貧困を乗り切るために、外国に移住するという傾向が強い。 長い歴史を見れば、リスク回避のために祖国を離れることは、"機を見るに敏" な中国人の一つの特徴でもあるといえる。

わずか 1 年で "帰国熱" から "出国熱" に切り替わったのは興味深いが、これに対して人ごとではいられないのは、彼らには「移民先を市場として繁栄させる力」があるためだ。 不動産購入にとどまらず、中国資本は日本のあらゆるビジネスや取引に浸透していくだろう。

「一条龍(イーティアロン)」と呼ばれる、産業の川上から川下まで丸ごと中国資本で囲い込んでいくやり方はインバウンド全盛時代の観光業でも見られた。 2020 年代について言えば、円安傾向が続き、人件費も中国都市部と差がなくなる中で、日本の製造業に向けてより多くの中国資本が流れ込む可能性がある。 この "出国熱" はどの程度の高まりを見せ、どの程度のインパクトを日本経済にもたらすのか。 今後の動きを注視したい。 (姫田小夏、Diamond = 9-2-22)


中国で広がる「国潮」 自国の文化やブランド重視 国への自信背景に

中国西南部の四川省成都市は、日本人が抱く「中国といえば」が詰まっている街だ。 パンダの繁殖基地があり、街角には火鍋の店やマーボー豆腐の店、雀荘(じゃんそう)がたくさんある。 日本でも人気の三国志では蜀の首都でもあった。 そんな街で、着る人が少なくなっていた中国の古代の民族衣装「漢服」が若者の間で流行し、漢服の中心地に なっているという。 背景をさぐると中国で広がるある現象が見えてきた。

漢服は中国の人口の 9 割以上を占める漢民族の伝統的な服装を意味する言葉だ。 中国メディアなどによると、主に漢代、唐代、宋代、明代のものがあり、それぞれデザインや色などに特徴がある。 上下に分かれ、和服よりもスカートのように裾が広がっている。 漢服にあわせる髪形もお団子頭のようなものなど様々で、かつらをかぶることもある。 布の靴を履き、扇子や笛のような小道具、かんざしのような髪飾りなども使うようだ。

若者の間で流行する漢服は古代のものを古着のように着るのではなく、現代のデザインも取り入れた新しいもので、ブランドも次々に生まれているという。 百聞は一見にしかずと、成都を実際に訪れることにした。 中心地にある繁華街の近くの商業施設内には、漢服ストリートといえる場所があった。 10 店ほどの漢服の専門店が並び、漢服を着た若者が買い物に訪れていた。 買い物を終えて友人と店から出てきた会社員の女性 (26) は、元々は時代劇のテレビドラマをみてきれいだと思ったのがきっかけだという。 「最近周りでも着る人が本当に増えた」と話す。

成都の人気観光地の一つで三国志の蜀の軍師、諸葛亮孔明をまつる「武侯祠(ぶこうし)」を訪れると、実際に漢服を着て歩いている人に出会うことができた。 友人と歩いていたインテリアデザイナーの李四芳さん (25) が、宋代のデザインで紫色のきれいな上着を着ていた。 最初はコスプレ気分だったが、今は 10 着以上持っているといい、以前の職場では毎日漢服を着て出勤していたというほどのはまりっぷりだ。 漢服を着る理由について「中国人の美的センスにあっていて、すごくきれい。 それに機能的なところもある。」 さらにこうも話した。 「総合的な国力が増す中で、漢服には国の民族文化へのアイデンティティーを感じる。」 ファッションの話かと思ったら、ナショナリズムの話が出てきて少し驚いた。

四川伝統文化促進会の漢服文化専門委員会副主任を務める陶柳嘯ウん (27) に話を聞いた。 陶さん自身も漢服を結婚式向けに貸し出すビジネスを手がけている。 陶さんも、若者は漢服を仙女のような美しいファッションとして捉えているとした上で、「民族のアイデンティティーに対する一種の覚醒だと思う」と分析する。 中国といえば漢服よりも世界的にはチャイナドレスが有名だ。 しかし、満州族の民族衣装を改良して1920 年代に生まれたもので、陶さんは「一種の時代の服装であり、我々漢民族のものではない」と言い切る。 満州族が中国を治めた 17 世紀半ばから 20 世紀初めの清代に、弁髪などの文化が強要され、漢服を着る習慣もなくなったとされ、「漢民族の文化を途絶えさせた」との認識があるという。

漢服が再び注目されるきっかけは 2003 年 11 月。 河南省鄭州市の男性が漢服を着て街に出たところ、メディアに「漢服が再び街角に現れた」と取り上げられた。 この頃からネット上で漢服の「復興」についての議論や動きが出てくるようになり、成都では 07 年ごろから愛好者らの集まりが開かれるようになった。 それでも漢服を着るのはかなりの少数派だったが、政府や中国メディアも漢服を取り上げるようになり、徐々に認知が広がってきたという。 成都以外でも、政府が主導して漢服街とも呼べるような場所が作られ、西安や杭州も漢服の街として取り上げられている。 陶さんは「政府やメディアの支持には感謝している」と話す。

漢服の流行は、最近中国で広がっているキーワード「国潮」の一環とされる。 国産ブランドや中国独自の文化をかっこいいと好む風潮を意味する。 中国のシンクタンク「艾媒諮詢」の調査によると、19 年に漢服の市場は前年の 4 倍に急拡大。 その後も伸び続け、21 年は 100 億元(約 1,800 億円)を突破するとの見通しだ。 中国が経済大国に成長する過程で消費の主役に躍り出た 90 年代、00 年代生まれの若者を中心に、国家と民族に対する意識が日増しに高まり、国産ブランドや伝統的な文化への支持が広がっていると分析する。

「国潮」の下で人気が高まっているのは漢服に限らない。 スマートフォンの華為技術(ファーウェイ)や小米科技(シャオミ)、スポーツ用品の安踏(アンタ)、スニーカーの回力、化粧品の花西子や完美日記、キャラクター商品を売るポップマートなど様々だ。 中国で最大のセールイベントになった 11 月 11 日の「独身の日」では、アリババ集団の通販サイトでのブランド人気ランキングで、昨年は女性向け衣服の部門でユニクロを抑えて中国ブランドの「ITIB」が首位に立った。 紙おむつでは、人気とされてきた日系各社を抑えて中国の「bc babycare」が 3 位に入った。

検索履歴から見た中国の消費者のブランドへの関心度

中国で「国潮」が広まり、中国メディアも大きく取り上げる背景には、習近平(シーチンピン)指導部の方針がある。 中国は 20 年から「双循環」と銘打った政策を掲げた。 これまでは世界の工場として製造業を中心に輸出が経済を引っ張ってきた。 だが、経済発展が進む中で、インターネット企業の成長やサービス業が発展して経済の構造が変化してきた上、米中対立で製造業を中心にサプライチェーンを切り離そうとする動きが続いている。14億人の人口を抱える巨大な消費市場をさらに発展させ、経済成長のエンジンを消費に切り替えようというものだ。習国家主席は 20 年 11 月、「発展の立脚点を国内におかなければならない」と強調した。

その一つの方策として、重視されているのが国内ブランドの育成だ。 昨年 3 月の全国人民代表大会(国会に相当)で決まった 25 年までの第 14次 5 カ年計画と 35 年までの長期目標では、「中国ブランドの創設運動を展開し、影響力と競争力を引き上げる」と言及。 具体的に化粧品、衣服、電化製品などの消費財の分野でハイエンドのブランドをつくりあげるとも宣言した。 他にも中国政府は「ブランド強国」とのフレーズを掲げて様々な活動を展開している。

外資ブランド、強まる風当たり

ただ、自国の文化や国産ブランドを重視する官民の動きが強まる裏で、外資ブランドや他国の文化への風当たりの強さも目立っている。 「中国の顔に泥を塗っている。」 昨年 3 月、中国政府やメディアは一斉にスウェーデンの衣料品大手 H & M を批判した。 新疆ウイグル自治区の強制労働問題に絡み、半年も前に出した、新疆綿を使わないとする同社の声明を突然取り上げ、不買運動など排除ともとれるようなキャンペーンを展開した。 もうすぐ 1 年が経とうとしているが、中国ではいまだに地図アプリなどで H & M の店舗を探すことはできず、通販アプリでも同社の商品は売っていない。

H & M のあとは独アディダスや米ナイキ、日本の無印良品やユニクロなど様々な外資ブランドの新疆綿への対応を中国メディアやネットユーザーが問いただすなど、他の企業にも踏み絵を踏ませるかのような動きが続いた。 半導体大手の米インテルも昨年 12 月に発表した声明で、新疆でつくられた製品を使わないと触れたことでネット上で炎上。 カナダの高級ダウンジャケット、カナダグースも、上海市の女性が商品の不具合を訴えて返品しようとしたら拒否されたという件を取り上げられ、「中国の消費者を見下している」との批判が起きた。

標的にされているのは、ブランドだけではない。 中国メディアは昨年 8 月、福建省アモイ市で和服を着て PCR 検査を受けに行った日本料理店の従業員が、会場でボランティアに検査を拒否されて追い返される事件があったと報じた。 料理店が入っているホテルなどに対して臨時のPCR検査を受けるよう通知があって受けに行っただけだったが、ネット上では「仕事の制服なのだから、愛国心があればいいじゃないか」とかばう声がある一方で、「中国製のワクチンを打ち、中国の服を着るべきだ」との声が多く書き込まれた。

米中対立による経済安全保障も国産優先の動きを加速させている。 中国政府は昨春、病院で使う医療機器などの政府調達品をめぐって、国産品の調達を優先するよう、地方政府などに秘密裏に指示する文書を出した。 すでにプリンターなどの複合機でもこうした動きが広がっており、日本の業界関係者は「中身は日本の企業がつくった物でも、中国でつくり、中国ブランドにして売るしかなくなるかもしれない」と危機感を募らせる。

記者から 自信は良いが、過信は禁物

国産ブランドは品質が悪いから、日本や欧米のブランドを欲しがる - -。 若者を中心に、かつてよく見かけた中国人は少なくなったように感じる。 高品質な製品を出す国産ブランドが出てきて、わざわざ高価な国外製品を買わなくてもよくなった。 いまや世界第 2 位の経済大国。 新型コロナウイルスの感染拡大をいち早く抑え込んだ。 「自分たちの国はうまくやっている。」 こうした出来事が人々に自国への信頼感を生み出し、国潮が広がっている背景にある。

一方で自信が強すぎるのではと感じることも増えた。 一部の政府調達から国外製品が排除されたり、国外ブランドの不買運動を展開したり。 「中国で金を稼ぎたかったら言うことを聞け。」 改革開放をうたいながら、こんなフレーズが中国社会で飛び交う現状には、暗い気持ちになる。 自信を持つのは良いことだ。 ただ、過信は禁物だと思う。 (成都 = 西山明宏、asahi = 2-6-22)

にしやま・あきひろ 1983 年生まれ。 経済部などを経て中国総局員。 中国経済を担当。 ツイッターは @akhrnsym