アボカドは「悪魔の果実」か? - - ブームがもたらす環境破壊と難民危機
アボカド栽培には大量の水が必要になるため、消費が世界的に増えるなか生産地では水不足が深刻化し、健康被害も出ている。 また、アボカドは熱帯の国で栽培されることが多いため、輸送段階で排出される CO2 が全体的に高く、アボカド・ブームは地球温暖化対策にも逆行する。 豊かな国のライフスタイルによる影響は、アボカド生産国における暴力の増加にも及んでいる。 その栄養価の高さから、アボカドは日本でも急速に普及している。 しかし、その生産・流通は他の多くの農作物と比べても環境への負荷が大きく、さらに中南米での難民危機にも影響を及ぼしている。
「グリーンゴールド」は持続可能か
アボカドは 10 種類以上のビタミンを含む一方、果肉の約 20% が脂肪にあたり、「森のバター」とも呼ばれる。 その豊富な栄養価から日本でも消費が伸びており、主にメキシコから年間約 2 万トンが輸入されている。 これは 10 年前の 4 倍以上にのぼる。 アボカドが注目され始めたきっかけは、1997 年にアメリカがメキシコ産アボカドの輸入を解禁したことだった。 これにより、それまで農作物などの病気を理由に輸入が禁じられていたアボカドが急速にアメリカ市場で広がり、健康志向の高まりやオーガニック・ブームを背景に一気に普及したのだ。
現在、アボカド・ブームは消費量世界一のアメリカからヨーロッパ諸国や中国など各地に広がっており、その市場規模は世界全体で 92 億ドル以上にのぼる。 需要の高まりと価格上昇によって、アボカドは生産国で「グリーンゴールド」とも呼ばれる。 しかし、それとともに欧米では、数年前からアボカド・ブームの問題も注目されている。 結論的にいえば、少なくとも現状のアボカドの生産・消費は持続可能ではない。
水が足りない!
特に多く指摘される問題が、生産地で水不足を引き起こすことだ。 中南米原産のアボカドは、現在もメキシコ、ドミニカ、ペルーなど、中南米をはじめ熱帯地域でそのほとんどが生産されているが、世界の需要の高まりとともに生産量は急激に増加している。 最大の生産国メキシコの場合、この 10 年間で生産量、耕地面積とも 2 倍近く増えた。 ところが、平均的にアボカド栽培には 1 トン当たり 1,800 立方メートルの水が必要で、これはバナナ (790)、オレンジ (560)、スイカ (235) など多くの農作物と比べて、非常に高い水準にある。 メキシコではオリンピックで使用されるプール 3,800 杯分の水がアボカド生産のために 1 日で使用される。
一般的に特定の農作物を大量に栽培し続けると土地が荒れやすいが、とりわけ大量の水を必要とするアボカドの生産量が急に増え、それにつれて違法な森林伐採が増えればなおさらだ。
生活を脅かすアボカド栽培
もともとアボカドは乾燥地帯の作物で、その栽培に適した土地では定期的に雨量の少ない年も発生する。 しかし、取引を優先させると、自然のサイクルを無視してまで無理な散水を行なうことになり、それは現地で深刻な水不足を引き起こす。 こうしたアボカド栽培は、現実に自然災害を増やしている。 主な生産国の一つチリでは 2019 年、アボカド生産地ペトルカでの水不足に非常事態を宣言した。 住民が土地の水をテストした結果、基準値を超える大腸菌が検出されたという。
さらに、水不足は予期しない地震をも引き起こす。 アボカド栽培が盛んなメキシコ中西部ウルアパンでは昨年、地面が何度も揺れる現象が立て続けに発生し、1 カ月に 3,000 回以上も揺れた時期もあった。 現地政府は過剰なアボカド栽培によって地中の水分が減少し、地表のすぐ下の地層に大きな空洞ができていると発表した。
豊かな国の消費者の責任
農作物や畜産物は、ほぼ必ず水を消費して生産される。 これらを海外から輸入することは、現地の水を消費していることにもなる。 これは「バーチャル・ウォーター」と呼ばれる考え方だ。 美容や健康への意識が高まる豊かな国が、熱帯の国からアボカド輸入を増やすことは、バーチャル・ウォーターの量も増やすことになる。 つまり、アボカド生産地の水不足は豊かな国のライフスタイルが一因なのだ。
付け加えると、生産国が熱帯に集中しているアボカドは、その輸送で発生する CO2 の量も多い。 2 個のアボカドの輸送で発生する CO2 は平均 846.36 グラムだが、これはバナナ 1 キロの輸送に必要な 480 グラムの約 2 倍にあたる。 つまり、現状のアボカド・ブームは地球温暖化対策に逆行する側面もあり、この原因の一旦も消費者の行動にある。
アボカド・ブームが生む暴力
最後に、アボカド・ブームは中南米の難民危機の一因でもある。 中南米から難民としてアメリカに入国を目指す人の流れは途絶えることなく、今年 4 月だけで 17 万人以上がメキシコ国境に押し寄せた。 そのなかにはメキシコ最大のアボカド産地ミチョアカン州から逃れてきた者も含まれる。 アボカド・ブームによって産地に資金が流入するにつれ、アボカドの強奪なども増え、それにともない農家に護衛させることを強要したり、恐喝したりするギャングも増えた。 その多くは自動小銃などで武装し、なかにはドローンまで用いて警察や民間人を爆撃するものもある。
農家のなかには自警団を結成したりする動きもあるが、ギャングはこれも攻撃対象に加えている。 ミチョアカン州から娘や孫とともに逃れてきた女性はアメリカメディアの取材に対して、「自警団員だった息子はギャングに殺され、捜査機関などに訴えないようにと自分も脅迫された」と証言している。 中南米諸国では従来、麻薬カルテルの暴力が市民を脅かし、これがアメリカに逃れようとする人の流れを生む一因になってきたが、近年ではここにアボカド・カルテルも加わっているのだ。 これは難民危機をさらにエスカレートさせるものといえる。
「悪魔の果実」ではない
アボカドがスーパー・フードであることは確かだ。 しかし、アボカド・ブームはエコでも持続可能でもない。 そのうえ、健康や美容を意識した豊かな国の過剰な消費は、産地の人々の安心や安全を脅かしてもいる。 2015 年に国連で採択された持続可能な開発目標 (SDGs) では、「持続可能な生産・消費形態」も目標としてあげられている。 豊かな国におけるアボカドの大量消費は、見直すべき一つのライフスタイルといえる。
そのためにはまず、近所のスーパーなどでアボカドがいつでも安く手に入って当たり前という感覚をなくすことから始めるべきなのかもしれない。 アボカドを「悪魔の果実」と呼ぶ人もあるが、問題はアボカドそのものでなく、周囲 5 メートルにしか及ばない関心や人間の欲望、そしてそれらに支えられる経済システムなのだから。 (六辻彰二、Yahoo! = 6-21-21)
【筆者】 六辻彰二 : 国際政治学者、博士(国際関係)。 横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。 アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。 「21 世紀の中東・アフリカ世界(芦書房)」、「世界の独裁者(幻冬社)」、「イスラム 敵の論理 味方の理由(さくら舎)」、「日本の『水』が危ない(ベストセラーズ)」など。
生産性では計れぬもの ビジネス書にない中小企業の真実
「我が国企業の最大の課題は生産性向上だ。」 こう唱える菅義偉首相の下、中小企業の再編を促す議論がにわかに盛んになっている。 生産性で本当にすべてが計れるのだろうか。
会社とは生産性を高めて、事業拡大していくものだ。 こう考える人は多いのではないでしょうか。
それは、間違いです。 かつての日本は大艦巨砲主義で戦争をし、負けました。 大きいことはいいことでしたか? うちのような中小零細の町工場で生産性を気にすると、歯車が狂ってきます。 生産性は統計学や会計学の世界の話です。 それをアップせよというのは、アタマのいい人たちの上からの発想です。 ものづくりの現場は、強いて言えば心理学の世界です。 (中里良一さん)
後半では、父から社長を継いだめっき会社を、取引業界を増やすなどして黒字化した伊藤麻美さん、過去の政府の政策にも「生産性向上論」があったと指摘する一橋大名誉教授の関満博さんに話を聞きます。 (asahi = 12-18-20)
中里良一さん「生産性は統計学、現場は心理学」
生産性の低さを指摘する人たちは最新の機械で、ボタンを押せば、データ通りの部品を大量生産できる、と考えているのでしょうか …。 ものづくりの現場を知りませんね。 原材料などを何度も何度もさわり、微妙な違和感が感じ取れる。 そんな指の腹をもたない社員に生産を任せるのは、不安で出来ません。 短時間に大量生産するために最新の機械を買います。 古くなったら、また最新の機械を買い、また古くなり、また買って …。 町工場が生産性を追いかけると、借金地獄に陥るのが関の山です。
うちでは既存の機械を社員の手で改良し、どんなに難しい注文のバネでも、一品からでも、超短い納期でもつくっています。 生産性は低いかもしれません。 でも、中堅や大手が手を出さない、いや、採算がとれないので手を出せない仕事をすれば、中小零細は生きていけるものです。 うちは、取引先と取引を続けるかどうかを「好き嫌い」で決めます。 多額の取引のある名の知れた大企業でも、社員が理由とともに「あそこ嫌い」と申請し、その理由が妥当であれば取引をやめます。
大切なのは生産性より社員の気持ちだと思います。 社員は「自分の言うことを、会社が聞いてくれた」と感じる。 すると、会社のためならと、どんな仕事でも、喜んで応じてくれるようになります。 うちは群馬の田舎にありますが、全都道府県に取引先があり、800 あまりある全市区の制覇を目指しています。 461 市区まで達しました。 社員のやる気の勝利です。 大企業や中堅企業が採用しない地域の人材を中小企業は採用しています。 「家族」として迎え入れ、幸せにしなくてはなりません。 だから、うちの社員は私が幸せにしたいと思っている 21 人だけです。
会社が下手に大きくなると、生き残るために生産性アップがカギになります。 職人として輝いていた人が、マネジメントという不慣れなことをさせられれば、輝きを失います。 やがて、人間がコストになります。 いらなくなるのはアナタ。 そして、会社も大企業から切り捨てられるかもしれません。 いくらでも取り換えはききますから。 (聞き手 編集委員・中島隆)
<なかざと・りょういち> 1952 年生まれ。 76 年に中里スプリング製作所(群馬県高崎市)に入社、85 年から同社社長。 「嫌な取引先は切ってよい」など著書多数。
伊藤麻美さん「目先のことより未来の生産性が大事」
中小企業の生産性が低い責任は、下請けとして使っている大企業にもあると思います。 自動車メーカーなどは毎年のようにコストダウンを要求します。 これで、生産性が上がるわけがありません。 米国で働くはずだった私は 20 年前、父の死去で、埼玉の、金属などを腐食から守るめっき会社を継ぎました。 売上高の 9 割を時計業界に依存していました。 自社で売り上げやコストをコントロールできず、倒産寸前でした。
あのころ、日本社会には「経営が苦しいときは人員削減」という外資的な考えが広がっていました。 でも私はしなかった。 人は財産だからです。 当時の会社の状況を数字をもとに丁寧に説明し、経費削減につとめました。 取引業界の多様化にも取り組みました。 医療、楽器、精密部品、宝飾品 …。 一業種依存の下請けから脱却して 3 年で黒字化しました。 リーマン・ショックなどの危機を乗り越えられたのも、その努力があったおかげです。
生産性の向上は、いつも意識しています。 ただ、ビジネス書に書いてある大企業の場合、社長は任期中の業績さえ上がればいい。 目の前の生産性を上げればいい。 でも、中小の社長は、目の前の生産性だけではダメです。 10 年後、20 年後、いや一生、経営者でいるかもしれません。 それと、次世代のことも考えなくてはなりません。 やってみたい生産性の向上策を、社長になってから 10 年以上、ガマンしていました。 ベテラン社員たちに気持ちよく働いてもらう方が大事と考えたからです。
ガマンの時を経て、動いたのは 5 年前。 いすを撤廃し、全社、立ち仕事にしました。 打ち合わせはパパッと終わります。 ちょっとした相談は、相手のところにササッと行く。 仕事のメリハリがついて早く帰るようになり、残業が減りました。 朝礼の後、必ず会議をするようにもしました。 不良品が出た理由の究明、営業戦略、経済社会状況などを議論します。 社員に徹底的に考えさせ、発言させています。 会議に時間をかけずにすぐ仕事をした方が生産性が上がる、と思いますか?
それは、目先のことしか見ていない考え方です。 議論を通じて社員に実力がつけば、いずれ新事業を見つけ、生産性を上げてくれる。 未来の生産性こそが大事なのです。 コロナ禍の中で新規投資したアルミニウム関連事業は、社員の提案から生まれました。 私が社長に就任してから新たに 2 分野に進出しました。 新事業が大きくなるかどうかワクワクしています。 いま社員は 80 人弱ですが、大きくなる必要はないと考えています。 みんなで考えるには心地よい規模だからです。 (聞き手 編集委員・中島隆)
<いとう・まみ> 日本電鍍工業社長、1967 年生まれ。 ラジオの DJ などをへて 2000 年から現職。 経済産業省の産業構造審議会の臨時委員なども務める。
関満博さん「企業は生き物 数合わせの合併は不発」
中小企業の生産性を向上させようという政策は、菅政権に始まったことではありません。 政府は 1960 年代から繰り返し、似たような政策を打ち出しましたが、いまに至るまで期待されるほどの成果は上がっていません。 理由はどこにあるのか。 まず挙げられるのが、無理な数合わせにあります。 いまと同様に 60 年前後にも、小さすぎる企業が多すぎる「過小過多」だとの議論がありました。 政府は合併や合同を促す政策を進めましたが、多くは失敗し、その後つぶれました。 企業は生き物であり、数合わせ的な合併などではあまりうまくいきません。
経営者が「安く、大量につくる」という発想から抜けきれないのも一因でしょう。 戦後、日本の中小企業は、くつや日用品、繊維といった軽工業分野を中心に大量生産品を米国に輸出して大もうけしました。 安価な労働力と円安が推進力となりました。 しかし、85 年のプラザ合意後の円高で、このビジネスモデルは成り立たなくなった。 中国に進出した企業もありましたが、多くは日本に出戻りました。 もはや国内に安い労働力はないのに、いまだに成功体験に基づく「安く、大量につくる」体質が染みついてしまっています。 得意な製品や加工技術をもち、もっと価格形成力をもつべきです。
ただ、中小企業には安くせざるを得ない事情もあります。 下請け企業では、元請けの大企業から安い価格を求められているケースが多い。 日本には江戸時代から続く「買い手が強い」という商慣習があります。 下請けサイドの競争の激しさもあり、本来は下請けにも配分すべき付加価値を、大企業が搾取しがちな産業構造にもなっています。 売り手と買い手が対等な欧州ではありえません。 中小企業が変われないのは、地方自治体にも一定の責任があります。 企業の中には社会の変化に対応できないまま存続している企業も多い。 自治体はその意義を見極めて地場産業の将来像を描く必要があるはずです。
しかし、国の補助金をただ地元企業に配分するだけで、カネの使い道までは把握できていない。 将来を見据えて、各企業が事業構造を抜本的に変えるのを支援するところまでは至っていません。 日本の中小企業は、資金を金融機関から借り入れるケースが多いため、資本金が少なくても事業ができます。 小さいけれど、すごい企業が日本にたくさんあるのは、こうした機動力もあるからです。 そのような強みをいかして経営者と従業員は、覚悟を決めて自らを変える必要があります。 これからの日本は少子高齢化が進み、成熟社会になります。 その過程で中小企業が担うべき事業は必ずあるはずです。 (聞き手・湯地正裕)
<せき・みつひろ> 1948 年生まれ。 専門は中小企業論。 一橋大教授などを経て、2011 年から名誉教授。 著書に「日本の中小企業」など。
中小企業は生産性低い? アトキンソン氏 vs 日商、火花
政府は「成長戦略会議」で、中小企業の再編促進策の検討に乗り出す。 狙いは「強い中小企業」の創造。 年末をめどに中間報告を出す方針だが、自民党内などからは「企業の淘汰を生む」との懸念も上がる。 会議内でも見解が分かれており、今後の議論の行方が注目される。 「中小企業改革」は菅義偉首相のブレーンで、同会議有識者メンバーでもある元金融アナリストのデービッド・アトキンソン氏の持論。 新政権発足直後の 9 月、首相は梶山弘志経済産業相に対し「中小企業の再編促進」など、生産性を上げるための政策を検討するよう指示した。 日本企業の大半を占める中小企業が統廃合などで強くなれば、賃上げの余裕も出るとみる。
再編派の主張の一つが、中小企業基本法の改正だ。 同法は業種ごとの資本金や従業員数を定める。中小企業の「枠」を改めることで再編を促し、「成長する動機を作りたい(首相周辺)」とする。 企業の合併・買収などを促す税制も検討課題に挙げる。 首相周辺は「現状では十分な給料を払えない企業まで、中小企業向けの補助金などを頼りに生き残っている」などと指摘。 アトキンソン氏は著書に「低賃金労働に依存した企業は、日本社会にとっても労働者にとってもマイナス」、「倒産をしてくれたほうがありがたいくらい」と記す。 ただ、再編への懸念も根強い。 体力の無い中小企業が有力な中小企業に吸収されることが想定され、その際の人員整理などで「痛み」が生じる可能性があるからだ。
同会議のメンバーでも意見が対立する。先月の初会合ではアトキンソン氏が「中小企業の定義拡大」などと記した提言を提出。具体例として「資本金規制の廃止」などを提案した。会議では、日本企業の労働生産性が低いのは規模が小さいからだと主張し、「企業が成長しやすい環境を作るには、中小企業の定義を拡大するべきだ」と訴えた。 これに日本商工会議所(日商)の三村明夫会頭が反論。 「中小企業の生産性が悪いと言うが、日本は大企業も含めてみんな生産性が劣る」と述べ、企業規模の問題ではないとの見方を示した。
アトキンソン氏は 11 月 6 日の会合でも、中小企業の生産性が大企業よりも低いとする政府資料を提出した。 そもそも同氏と日商は因縁の間柄だ。 同氏は昨年出版した著書「国運の分岐点(講談社)」で、日商を「『賃上げ反対』を掲げる日本最大規模の圧力団体」と記した。 一方、三村氏は先月の会見で著書を読んだとした上で、アトキンソン氏の主張の一部を「全く同意できない」と語った。
議論の行方を与党も注視する。 自民党の甘利明税調会長は先月、朝日新聞などのインタビューで「(中小企業が)統合しやすくするような手だてがあるなら検討してみたい」と述べ、政府を後押しする構えだ。 しかし、中小企業は伝統的に自民党の支持基盤とされてきた。 アトキンソン氏は著書で「小さな企業が日本中に溢れたら、生産性向上などは夢のまた夢となってしまう」と指摘しており、無派閥の若手は「中小・零細企業は雇用の受け皿だ。 手を着けたら大変だ。」と、慎重な検討を求める。
新型コロナウイルス感染症の再拡大も大きな懸念材料だ。 日本経済が「コロナショック」に見舞われる中で、官邸内でも「いまは中小企業改革はできない。 雇用をしっかり守るような施策を打つのが精いっぱい(幹部)」との声も上がる。 野党からも懸念が出る。 6 日の参院予算委員会では国民民主党の舟山康江氏が「中小企業が淘汰の方向に行くのではないか」と質問。 首相は「淘汰を目的とするのではない。 中小企業の生産性を向上させ、足腰を強くする仕組みを構築し、創意工夫する企業を応援していきたい。」と答弁したが、野党は国会でさらなる説明を求める構えだ。 (相原亮、asahi = 11-13-20)
〈成長戦略会議〉 安倍前政権の経済政策「アベノミクス」を議論してきた「未来投資会議」を廃止して、菅政権で 10 月に発足。 議長は加藤勝信官房長官で、菅義偉首相をトップとする経済財政諮問会議と連携し、成長戦略のための具体策を議論する。 対象は、中小企業政策のほか、「ポストコロナ」を見据えたエネルギー政策や新しい働き方など。 有識者委員は 8 人。 アトキンソン氏や三村氏のほか、「パソナ」会長の竹中平蔵・慶応大名誉教授や国際政治学者の三浦瑠麗氏ら。
2020 年、実は日本が「世界最高の国ランキング 3 位」になっていた …! 「生産性」は低いけど、素晴らしい国
日本はいま「生産性が低い」ことが議論の俎上に載せられることが多くなっています。 生産性を上げることが日本の経済力に資することは明白ではありますが、ではどの程度、上げていくことが日本にとっていいのかという議論はおざなりにされています。 いいとこ取りの「生産性改革」はむしろ日本に害をもたらすというのが、実は私の主張です。 今回はそんな「生産性改革」の表と裏を見ていきましょう。
「大量早期退職時代」を迎えて
2 月 26 日付の連載記事(『サラリーマン消滅時代、日本で「低スキル・低賃金」の人が急増する!』)では、生産性を上げると同時に格差をなくす手法として、低スキルゆえに低賃金に甘んじているすべての人々を対象としたスキルアップ教育の重要性について申し上げました。 ところが実際には、小売・飲食・宿泊などのサービス業の現場だけではなく、経済のデジタル化であおりを受けている大企業にも、スキルアップが欠かせない人々が大勢います。
日本の大企業はバブル期の大量採用などで中高年社員の層は厚いので、50 歳を過ぎても管理職になれない人材がこれまで以上に増えてきています。 日本の企業は終身雇用が常識となっているので、スキルが通用しなくなった社員をそのまま抱え込むしか選択肢はありません。 そのようなわけで、日本企業の国際競争力低下の原因は、ホワイトカラーを中心に大量の余剰人員を抱えているということにあります。 しかし、IT や AI を活用した経済のデジタル化の進展によって余剰人員が増える見込みにあるため、余剰人員の問題がいよいよ日本企業の経営を揺り動かす懸念要因として浮上しています。
「社内失業者」は 400 万人以上
その対応策のひとつとして、大企業では近年、定年前の退職を募る早期退職を実施しているところが増えています。 東京商工リサーチの調査によれば、2019 年の上場企業の早期退職者数は、2018 年と比較して 3 倍にも増えているのです。 厚生労働省の賃金構造基本統計調査によれば、大企業で大学・大学院卒の男性の給与が最も高くなるのは 50 - 54 歳で、2018 年の平均的な月額給与は 59 万円です。 団塊ジュニア世代にあたる 45 - 49 歳も 54 万円と高い水準にあり、大多数の企業では中高年の給与が重いコストになっています。
ですから、大企業は業績が好調で余裕のあるうちに、大量に採用したバブル世代や人口が多い団塊ジュニア世代の人員を削減しながら、若い世代をできるだけ多く採用しようとしています。 経済のデジタル化による事業環境の大きな変化に備えるため、企業の年齢別構成の適正化を今のうちに進めておきたいのです。 リクルートワークス研究所の調査によれば、日本企業のなかには社内失業者が 2020 年の時点で推計 408 万人いるとされていますが、中高年を中心にこの人数は今後も増えていかざるをえないでしょう。 そういった意味では、日本企業が今の競争力をできるだけ保つためには、中高年ホワイトカラーへのスキル教育を積極的に進めなければならないということです。
「楽しむ」つもりはありますか?
これまで中高年世代の多くは、終身雇用という制度に安心して、自らの能力を高めようとする動機がありませんでした。 大したスキルを持っていない中高年にとって、これからの新しい経済下で生き抜いていくポイントは、学び直しによって新しいスキルを身に付けて、自らが活躍できる場所を会社の内外に増やしていくということです。 そのうえで、自らがどのような仕事に興味があるのか、どのような職種を選択してスキルアップしていくのかといった視点があれば、いっそう先行きは明るくなるでしょう。 圧倒的多数の中高年にとって、仕事とは「生活のためにするもの」、「つらくて憂鬱なもの」であり、「楽しむもの」だという発想が乏しいのが現状です。
ところが、中高年の人々が自ら興味がある仕事を見つけて、その仕事を楽しむという発想が持てるようになれば、自然と仕事に熱中できるはずなので、スキルは着実に上達していく傾向が強いはずです。 その帰結として、仕事へのモチベーションが上がり、生産性も上がるということは、実証的なデータがなくとも簡単にイメージしてもらえると思います。 要するに、これからの日本経済の生産性の底上げをできるか否かは、仕事へのモチベーションが高い人や、自発的にスキルアップを考える人がどれだけ増えていくかに懸かっているというわけです。
最も生産性が低いのは「永田町」 …?
これは他の連載でも申し上げたことですが、今の日本を見ていて非常に不安なところは、日本で最も生産性が低いのが政治の世界ではないかと思わざるをえないということです。 とりわけ国会議員に求められる基本的な素養は、一般の人々よりも教養や知識、考える力を持っているということです。 そして、そのうえで求められるのが、国民のために一生懸命になって働くという姿勢です。 国民の立場からすれば、基本的な素養がない議員に国の発展を託すことなどできませんし、私利私欲に走っている議員に報酬を支払い続けるのは税金の無駄遣いにほかならないからです。
私が一人の国民として議員の方々にお願いしたいのは、「もっと学び直しをしてほしい」、「もっと仕事に真摯に取り組んでほしい」ということです。 もちろん、日々精進をしている議員の方々がいることは承知しておりますが、全体としてはあまりにレベルも志も低すぎるといわざるをえないのです。 この際ですから、議員の質的な向上をはかるために、選挙に立候補するための試験制度を導入したらいかがでしょう。 それができないようであれば、国からの独立性を保った議員の評価機関をつくるしかないのではないでしょうか。
生産性ばかりにこだわると全体を見失う
私はこれまで複数回にわたって、日本の生産性を引き上げるための問題点や対応策について申し上げてきましたが、経済政策を考える際に、生産性を第一にすることは間違っていると確信しています。 さらに、生産性の数字が他の先進国と比べて低いからといって、日本を必要以上に卑下することは愚かな行為だとも思っています。 なぜなら、国民の生活水準や社会保障制度も含めて、総合的に判断する必要があると考えているからです。
たとえば、アメリカは先進 7 か国のなかで最も経済成長率と生産性が高いにもかかわらず、実に国民の 40% 以上が貧困層および貧困層予備軍に属しているとされています。 また、失業率はコロナ前には 50 年ぶりの低水準にあったにもかかわらず、労働者の 60% は短期契約などの非正規雇用で不安定な生活を強いられているのです。 アメリカのメディアでよく引き合いに出される FRB の統計では、アメリカ人の成人の 50% 近くが 400 ドル(約 4 万 3 千円)の突発的な費用を支払える貯蓄がないと回答しています。 就職しても学生ローンを返済できずに、破産や離婚に追い込まれるケースが当たり前の出来事になっています。
それに加えて、生産性の向上を目的に病院の統廃合が進み競争がなくなった結果、医療費が高騰し、国民の 4 人に 1 人は病院に行きたくても行けないといわれています。 国民の 10 人に 1 人が無保険の状態にあり、高額な医療費を払えないために年間 50 万人が破産するという厳しい状況にあります。 (なお、イギリスでは国の医療制度がコロナ前から破綻しかけており、急患で運ばれた患者が医療を受けられずに死亡するというケースが珍しくはありません。) これらの事実を鑑みて、日本の生活水準や社会保障制度がアメリカ(やイギリス)に劣っているといえるのでしょうか。
いまも「最高の国」と評価される日本
生産性という数字だけを重視するあまり、日本はアメリカ(やイギリス)を見習うべきだという意見が政府内にあるのは、非常に危惧すべきことだと考えております。 アメリカの時事解説誌『US ニューズ & ワールド・リポート』が公表している「世界最高の国ランキング」によれば、2020 年の日本の順位はスイス、カナダに次いで 3 位となっています (2019 年はスイスに次いで 2 位)。 このランキング付けは、ペンシルベニア大学ウォートン校の研究チームなどが開発した評価モデルに基づいて、「ビジネスの開放度」、「生活の質」、「市民の権利」、「政治・経済的影響力」、「文化・自然遺産」など 9 項目について調査したものです。
当然のことながら、私はこのランキングが絶対だとは毛頭思っていませんし、少なくとも国の経済や豊かさを見るうえで、絶対的なランキングなどは存在しないという立場を取っています。 ですから、経済政策を決定する方々には、何かの数字を重視しすぎると何かの数字にしわ寄せが来るという「トレードオフの関係」を見定めながら、国民の多くが納得できる優先順位に基づいた内容を考えてほしいと願っているところです。 (中原圭介、現代ビジネス = 6-5-20)
〈編者注〉 日本の生産性の低さに言及される時、いつも思い浮かべるのは、着物業界を支える多くの職人たちです。 確かに、インクジェットで染め付ければ、原画から一挙に反物が出来上がります。 即ち、これまでの全工程が省略され、当然のことながらそれらに携わっていた全職人が不要となります。 「生産性」という物差しで測れば、彼らが蓄積したノウハウまでもが、価値なきものとして排除されることになります。 結局は、それでもいいのか、という議論に進まなければ、やはり空しさだけが残ります。
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