盛り土 厚さ 15 メートルの計画、実際は 50 メートル 熱海土石流

静岡県熱海市伊豆山(いずさん)地区で起きた土石流災害で、同県の難波喬司副知事は 7 日、緊急記者会見を開き、土石流の起点付近にあった盛り土について「工法が不適切だった。 盛り土の土砂が災害を甚大にした。」と語った。 以前に土地を所有していた会社は 2009 年、厚さ 15 メートルの盛り土をするとの計画を示していたが、20 年の地形データによると、約 50 メートルまで積み上がっていた。 この会社に対しては再三、行政指導をしていたという。

盛り土のあった土地は 06 年、現在の所有者と異なる会社が取得した。 この会社は 07 年、約 3 万 6,000 立方メートルの盛り土をする届け出を熱海市に提出して受理された。 その後、林地開発許可違反が判明し、県は是正を指導。 是正後の 09 年から土砂の搬入を始めたものの、10 年に盛り土に産業廃棄物(木くず)の混入が判明し、県と熱海市が撤去を求めた。 市は工事の中止なども要請していた。 この会社は中止要請に応じないまま、土地所有者は 11 年に別の個人に変更された。

この会社は 09 年、厚さ 15 メートルの盛り土をするとしていた。 しかし県が 20 年にレーザー光の照射で把握した地形データでは、厚さは約 50 メートルに達していた。 県の技術基準では盛り土の厚さは原則 15 メートル以内としている。 難波氏は「厚さ 15 メートルに耐える設計だったものが、50 メートルまで積めば持つはずがない」と説明。 発生後に現地を視察した際、崩落部分から水が出ていたといい「盛り土が(谷筋に)ふたをした形になり水がどんどんたまる」と指摘した上で「長雨で水が蓄積し、耐えられずに落ちた」としている。

周辺では盛り土のほか、宅地造成、太陽光発電施設の設置など計 7 カ所の土地改変、開発行為があった。 太陽光発電施設については傾斜があるため周辺の水が盛り土と反対側に流れていることから、難波氏は土石流との関係について「影響は極めて小さい」と指摘。 「盛り土以外の 6 カ所の影響はあまりない」とした。 地形の電子データから、崩落した盛り土の量は 5 万立方メートル、土石流全体は約 10 万立方メートルと推定されている。 土石流災害による死者は 7 人。 安否不明者は 2 人の生存が確認され、25 人となった。 避難者は 7 日午後 4 時時点で 545 人。 (山田英之、佐々木彩夏、長沢英次、mainichi = 7-7-21)

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熱海の土石流、安否不明者 29 人に 家族ら通報の 5 人増

静岡県熱海市で発生した大規模な土石流で、県災害対策本部は 6 日、県警と消防に通報があった安否不明者 5 人の氏名や性別を発表した。 県警は 5 人について、被災した可能性のある人たちとしている。 住民基本台帳に基づいて安否が確認できていない 24 人と合わせると、不明者は計 29 人となる。 県警によると、5 人とも災害発生後に家族や知人などから通報があったという。 通報者から公表の承諾が取れたため、発表した。 住民基本台帳に基づく安否不明者と重複する分はのぞいている。

県警はほかに 6 人の不明者の情報があり、公表の承諾について通報者と調整中と説明している。 承諾が取れ次第、発表する。 県は 5 日夜、住民基本台帳に基づいて安否が確認できていない 64 人の氏名や性別を公表。 直後から、本人や親類などからの連絡が相次ぎ、不明者は 24 人になっていた。 今回の 5 人の氏名などは県のホームページで見られる。 情報提供は熱海署 (0557・85・0110) へ。 (asahi = 7-6-21)

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最上流に大量盛り土なぜ 「強度十分」施工時から市認識

静岡県熱海市伊豆山で起きた土石流をめぐっては、最上流付近にあった盛り土の崩落で規模が拡大した可能性が指摘されている。 盛り土はなぜ造られ、崩落したのか。 同様の災害は過去にも相次いでおり、対策の強化を求める声も上がる。 「山が膨大な水を持ちきれなくなって噴き出て、その上にあった盛り土を押し流して被害を大きくした。」 静岡県熱海市伊豆山で起きた土石流の最上流付近を視察した川勝平太知事は 5 日、発生の原因について報道陣にこうした見方を示した。 「原因が、長雨の蓄積であることは間違いない。」

盛り土は土砂を人工的に固めたものだ。 熱海市によると、現場はもともと谷だったが、土砂が階段状に固められ、盛り土になったという。 県によると、2010 年以降の国土交通省のデータなどから、盛り土は約 5 万 4 千立方メートルあったと推定され、この盛り土を含めた 10 万立方メートルが崩落した可能性があるとしている。 この盛り土はどういった経緯でできたのか。 市によると、崩落現場を含む一帯の土地(約 116 ヘクタール)を神奈川県小田原市の不動産会社が 06 年 9 月に取得。 「宅地開発をする」などと説明があったという。

約半年後には、崩落現場周辺 1 ヘクタール近くの開発許可を申請した上で、森林の伐採を開始。 谷に土砂の搬入も始めた。 木くずやタイルなどの産業廃棄物も含まれていたことなどから、市は再三にわたり是正するよう指導したが、同社はほとんど応じないまま 11 年ごろには事業から撤退したという。 現場は谷のため、「大雨で流出の恐れがある」と市が懸念するなか、同年 2 月、建設会社を傘下に持つ東京都内の持ち株会社のオーナーが一帯の土地を取得。 オーナーは市の指示に従い、残土を固めて階段状の盛り土にしたという。

この指示について、市の担当者は「残土があまりに大量のため、撤去は不可能と考えた」と説明。 「当時はこれで強度が十分だと判断した」とする。 だが、盛り土の崩落が今回の土石流被害を大きくした可能性がある。 担当者は「現時点で、強度が大丈夫だったと言うことはできない。 当時の対応が適切だったか検証したい。」と話した。 オーナーの代理人弁護士は朝日新聞の取材に「整地や土の埋め立てをしたことはない」と市側の説明を否定。 「二次災害が起きないよう県や市の指導を受けつつ対処したい」と語った。

一方、崩落現場の南側には、このオーナーが作った太陽光発電所がある。 斜面の崩落は確認されていないといい、県は「直接の関係は今のところみられない」との見方を示す。

今回の盛り土、国交省調査の対象外

各地で相次ぐ土砂災害から住民を守ろうと、国土交通省は 18 年に、「大規模盛土造成地」の全国的な調査に乗り出した。 「盛り土などは地震や大雨で崩れるおそれがあり、危険と判断した場合は対策を検討する」ためだ。

同省によると、当該の造成地は全国 999 市区町村で約 5 万 1 千カ所(今年 3月時点)。 調査を始めたのは 63 市区町村 (6.3%) で、うち完了したのは 39 市区町村 (3.9%) にとどまり、同省は 25 年までに 60% の市区町村で調査の開始を目標としている。 しかし調査の対象は、▽ 面積が 3 千平方メートル以上、▽ 傾斜が 20 度以上、▽ 高さ 5 メートル以上などの「宅地」に限られている。 このため今回の盛り土は「大規模盛土造成地」に分類されず、調査の対象にはなっていなかった。

一方、熱海市によると、今回の現場に土砂が運び込まれたのは 07 年で、静岡県が 05 年に「土砂災害警戒区域」指定の前提となる現地調査の後だった。 県は 12 年にこの一帯の警戒区域を設定。 土石流が生じた逢初川の流域一帯は指定されたが、盛り土周辺は対象にはならなかった。 一度区域が指定されれば、災害や大規模開発などで状況が変わらない限り、再調査はされない。 県の担当者は「把握していれば、調査の前提は変わったかもしれない」と話した。 (山本孝興、asahi = 7-5-21)

盛り土をめぐる経緯 (静岡県や熱海市への取材などに基づく)
2005年静岡県が「土砂災害警戒区域」指定の前提となる現地調査を実施
06年神奈川県小田原市の不動産会社が一帯の土地を取得
07年同社が谷に土砂の搬入を始める
11年東京都内の持ち株会社のオーナーが一帯の土地を取得、後に盛り土を形成
12年県が一帯の警戒区域を設定(盛り土周辺は対象にならず)

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熱海の土石流、建物被害は 130 棟か 首相は救助指示

政府は 4 日午前、首相官邸で大雨に関する関係閣僚会議を開き、対応を協議した。 3 日に静岡県熱海市伊豆山で起きた大規模な土石流について、菅義偉首相はこれまで 19 人を救助する一方、死者と負傷者はそれぞれ 2 人を確認し、建物被害は 130 棟に及ぶ可能性に言及。

「安否不明の方も複数いる」と述べ、二次災害に注意したうえで救助活動や被災者支援にあたるよう閣僚らに指示した。 また首相は、梅雨前線が引き続き日本列島に停滞し、各地で大雨を降らせる可能性を指摘。 「危険な場所に近づくことがないよう、気象情報や避難情報などに十分注意し、早め早めに命を守る行動をとっていただきたい」と国民に呼びかけた。 (小手川太朗、asahi = 7-4-21)

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静岡・熱海で土石流が発生 2 人が心肺停止、20 人不明

3 日午前 10 時半ごろ、静岡県熱海市伊豆山で大規模な土石流が発生した。 県によると、複数の家屋が流されたほか、2 人が心肺停止、約 20 人が安否不明といい、現地で消防などが被害を調べている。 県は同日正午、災害対策本部を設置し、自衛隊に救助を要請したという。 気象庁が設置している熱海市網代の観測地点では、3 日午後 0 時 40 分までの 48 時間で雨量 315.0 ミリを観測。 1976 年の観測開始以降、7 月としては最多を更新した。 7 月の 1 カ月間の平年雨量は 242.5 ミリで、2 日間で上回った。  静岡県によると、同県熱海市で土石流が発生。 10 人以上が流された可能性がある。 (asahi = 7-3-21)


山形・酒田の老舗「百貨店」が閉店へ 5 月に社長が急逝

山形県酒田市の中心街にある「マリーン 5 清水屋」が 7 月 15 日で閉店する。 1950 年に清水屋デパートとして創業し、デパートスタイルの営業を続けて、「庄内地域唯一の百貨店」として認知されてきた。 同社社長に内定している堀正彦監査役が 2 日、明らかにした。 閉店セールは 7 - 15 日に開き、16 日ごろには裁判所に自己破産を申請するという。 負債総額は約 10 億円。

清水屋は呉服店が前身。 酒田大火(76 年)からの復興として中心街が再開発され、78 年にショッピングモールが建設されると、キーテナントとして現在地に移転した。 94 年には、ダイエー傘下の中合(いずれも当時)と合併し、「中合清水屋店」となった。 中合の撤退に伴って、2012 年からは「マリーン 5 清水屋」として営業していた。 今年 5 月に社長の成沢五一氏が急逝し、今後の経営についての話し合いが行われてきたが、「これ以上は営業継続が困難」との結論に至った、という。

94 年以降、清水屋は日本百貨店協会に加盟していない。 ただ、堀監査役は「庄内唯一の百貨店であり、酒田大火の復興のシンボルでもあり、酒田のランドマークでもあり非常に残念だ」と強調。 「現在の形態は残念ながら幕を閉じるが、『ランドマークとしての清水屋』は、なんらかの形で、灯を消さないでいって欲しい」と話した。 (鵜沼照都、asahi = 7-3-21)


川口市へ、高収入の若者が続々移住 バブル以来の税収増

埼玉県川口市は 30 日、市民税と固定資産税、都市計画税を合わせた市税の税収が今年度当初見込みより、計 34 億円上回り計 943 億円になることを明らかにした。 コロナ禍で税収減に陥る自治体が多い中で 9 月の補正予算で増額補正する。 年度半ばでの増額補正はバブル期の 1989 年度以来という。

市税は昨年度は 963 億円だったが、コロナ禍で 5.6% 減額していた。 奥ノ木信夫市長は増収の要因について、JR 川口駅周辺が住宅ローン会社が選ぶ「本当に住みやすい街大賞(首都圏)」で 2 年連続グランプリを受賞したことなどを挙げ、「住宅が東京と比較して安いことなどから、東京から移住してくる若い、高収入の市民が増えている」と述べた。 ただ、国からの交付金を減額補正しなければならず、実際に増えるのは 10 億 - 20 億円にとどまるという。

市は「川口モデル」として、新型コロナウイルスのワクチン接種について、医療機関への委託費に独自で倍額以上になるよう上乗せしている。 国からの全額補助で賄っているが、7 月いっぱいで終了する。 国に延長を申請しているが、認められなくてもこの税収の増額分を使い、8 月以降も同様の上乗せを継続してワクチン接種を加速させるとしている。 (堤恭太、asahi = 7-1-21)


ぬるりとした食感 ジュンサイ摘み真っ盛り

ぬるりとした食感が特徴の秋田県三種町の特産品・ジュンサイの収穫が盛りを迎えている。 同町森岳の安藤農園のジュンサイ沼は 24 日、一面が葉で緑色に染まっていた。 四つの沼に分かれた摘み手 6 人は、1 畳ほどの広さの小舟を器用にこぎながら、水面の下にある芽をすくい上げるようにして収穫していた。 農園を営む安藤晃一さん (62) によると、収穫量は平年並みという。

ザルいっぱいに芽を摘み取っていた安藤フサさん (85) は、摘み手歴 50 年以上。 「まだ若いつもりでやっている」と笑顔で話していた。 町観光協会では、六つの農園で摘み取り体験を受け入れている。 新型コロナウイルス感染拡大防止のため、対象は県民に限る。 農園ごとに営業期間は異なるが、安藤農園では 7 月末ごろまで体験できるという。 問い合わせは同協会 (0185・88・8020)。 (高橋杏璃、asahi = 6-25-21)


「神の湯の滝」への道が開通 そこはヒグマ出没エリア

「ヒグマがいます! あなたは大丈夫?」 「カムイワッカ湯の滝」はヒグマが頻繁に出没するエリアにある。 入り口付近にはヒグマに関する注意事項の看板もある。

「川全体が流れる温泉。」 そんな場所が北海道の世界自然遺産・知床にある。 知床を代表する秘湯「カムイワッカ湯の滝」だ。 そこへ通じる道路が今月から通行可能になった。 例年ならこの時期にはどっと観光客が押しかけるが、昨年も今年もコロナ禍で訪れる人は少なめ。 来訪者らは新緑の中を流れ落ちる滝に少人数で足を浸している。 この道は、知床半島の北西側、斜里町の知床五湖付近から約 10 キロの未舗装路。 昨年 10 月 30 日から 5 月 31 日まで冬季通行止めとなっていた。

「カムイワッカ」はアイヌ語で「神の水」を意味する。 知床連山の硫黄山(1,562 メートル)からわき出した温泉が岩盤の上を流れ下っており、まさに「湯の滝」だ。 ただ、水温は 30 度前後で入浴できるほど温かくはない。 このため、滝つぼに足を浸したり、水遊びをしたりする人が多い。 泉質は強酸性で、肌の弱い人は注意が必要だ。 落石の危険があるため、利用できるのは入り口から上流へ 100 メートルほど先の「一の滝」まで。 足元が滑りやすく、知床散策の拠点となる知床自然センターは、「滑り止めのついた靴下」や「かかとが固定できるサンダル」で滝に入るよう勧めている。

また、滝の付近は、ヒグマが頻繁に出没するエリア。 「絶えず周囲の状況を見渡して早めの発見に努める」、「目撃した場合は刺激しないようにしながら直ちに後退・退避する」、「早朝・夕方・霧などで視界が悪い時は立ち入らない」、「ゴミ捨て・食料の持ち込みは禁止」といったマナーを守る必要がある。 今年の通行可能期間は 10 月 3 日まで。 8 月 7 - 16 日と 10 月 1 - 3 日は混雑防止のため、マイカーの乗り入れが規制され、シャトルバスが運行される。 (神村正史、asahi = 6-21-21)


商社の社長やりませんか? 町が公募へ、条件は「移住」

埼玉県小鹿野町は、町内の国民宿舎や農産物直売所など 8 カ所の観光施設の直営を見直し、新たに商社を設立して運営する方針を打ち出している。 その社長を公募するため、人件費として 560 万円を 6 月の一般会計補正予算案に組み込んだ。 赤字が続く観光施設の運営を第三者に委ねて赤字体質からの脱却が狙いだ。

町によると、公募は 7 - 8 月ごろ。 給与は年収ベースで「町の課長クラスの上」になるという。 条件は「町内に移住すること」のみ。 性別や年齢も問わない。 町の担当者は「やはり会社経営の経験がある人が優先される。 施設経営をきちんとできる人物が良い」と説明する。 社長は町の会計年度任用職員となり、「地域プロジェクトマネージャー」として活動することになる。

「地域プロジェクトマネージャー」制度は総務省が推奨し今年度から始まった。 外部の人材と地域、行政、民間などの間を橋渡ししつつプロジェクトをマネジメントできる人材を任用し、人口減が続く市町村で外部からの人材補強を推し進めるものだ。 活性化などを目的とする「地域おこし協力隊」の発展版としての機能もあり、同町で始まれば県内初のケースとなる。

時期は未定だが、商社発足後は森真太郎町長が社長を兼ね、公募で決まった人は 1 年近く社長の見習いをした後、社長として 8 カ所の施設経営を委ねられる。 「もちろん 1 年後に不適切だと判断すれば、契約の打ち切りもあり得る」と町の担当者は話している。 (原裕司、asahi = 6-20-21)


広島城そばから最大級の被爆遺構 スタジアム建設予定地

広島城(広島市中区)の西側で、旧日本陸軍の輸送部隊「中国軍管区輜重(しちょう)兵補充隊」の施設の遺構が見つかった。 15 日、市が明らかにした。 爆心地から 1 キロ以内にあり、原爆では、この場所で 400 人以上が犠牲になったとされる。 過去最大級の被爆遺構という。

市文化振興課によると、見つかったのは建物の基礎や石畳、水路など。 広島城一帯は戦時中、中国軍管区司令部など軍関係の施設が多くあった。 輜重兵補充隊は、弾薬や食料、服などの軍需品を運び補給する部隊で、同課などによると、米軍が原爆投下前に撮影した航空写真などの資料から、軍馬がいた厩舎(きゅうしゃ)や馬が水を飲む水槽、自動車を収める車廠(しょう)、兵舎、弾薬庫など約 30 施設があったとみられるという。 戦後は戦災者向けの住宅が立ち並んだが、その後、中央公園広場として整備されていた。

公園では、2024 年の開業を目指して新サッカースタジアムの建設計画が進んでいる。 これに伴い、市は文化財調査のために昨年 10 月から 22 年 3 月までの予定で、約 1 万 4 千平方メートルの範囲で発掘調査をしている。 市は、遺構を写真で記録したうえで撤去する方針。 市スタジアム建設部の担当者は「建設スケジュールに影響はない」と話す。 スタジアム建設を巡っては以前、調査で広島城の石垣の一部とみられるものが見つかり、建設予定地を西側にずらし現在の位置になった経緯がある。 市は今後、より深く掘り進めて広島城の遺構も調べる。 (比嘉展玖、岡田将平、asahi = 6-15-21)


「咲くまで数十年」といわれる花開花 突然 4m 弱に成長

花が咲くまで数十年といわれるリュウゼツランが、福岡県大任町のサボテンハウスで開花した。 「竜の舌」に見立てられる肉厚の葉が長年、ひざ上ほどの高さに生い茂っていた。4月中旬に突然、茎が伸び始め、20 日ほどで 4 メートル近くに急成長。 5 月末、開花が確認された。 茎の上部から枝がいくつも伸び、バナナの房のような黄色の細長い花が咲いている。

開花に初めて立ち会ったという町教委の学芸員佐々木絵里奈さんは「茎がタケノコのように伸びたかと思うと、花が咲いたので驚きました。 思ったより控えめな花でした。」 リュウゼツランはメキシコ原産の多肉植物。 同ハウスには 20 株ほどあり、これまで何度か開花している。 開花後はまもなく枯死する。 枯死した状態の 2 株が館内で展示されている。 緊急事態宣言のため 20 日まで休館中。 「再開後も開花が続いていてほしい」と担当者は気をもんでいる。(遠山武、asahi = 6-13-21)


利用低迷の芸備線、JR 西日本が地元と存廃視野に協議へ

持続可能な社会の構築

記事コピー (6-8-21)


茨城のビーチ、カリフォルニア化計画 イバフォルニアに

茨城の海岸をカリフォルニアのような魅力あふれるビーチに - -。 そんな青写真を描いて地域の活性化に取り組む団体が5日、阿字ケ浦海水浴場(茨城県ひたちなか市)で飲食店などが立ち並ぶイベントを開いた。6日も午前10時から開く。 企画したのは、市内の旅館業者などの有志でつくる「イバフォルニア・プロジェクト」。 茨城とカリフォルニアをあわせて「イバフォルニア」だ。

プロデューサーを務める小野瀬竜馬さん (35) は、29 歳の時からオーストラリアの海岸で 2 年暮らした。 朝からサーフィンをしたり、夜は夕日を眺めながらビールを楽しんだりするビーチの文化に「自由でのんびりして、ストレスなく暮らせる理想の毎日だ」と感動した。 生まれ育った同市に戻ると、待っていたのは海外のビーチと同じように魅力的な海岸線なのに、閑散とした阿字ケ浦の光景だった。 「ここにも人が自然に集まるビーチを作りたい。」 海岸近くで民宿を営む小池伸秋さん (42) らを巻き込んで活動を始めた。

イベントは 2 年ぶり 2 回目。 飲食店や雑貨店など約 50 店舗が並び、マスク姿の来場客が地元グルメを味わい、買い物を楽しんだ。 小野瀬さんは「イベントだけでなく、阿字ケ浦と外の人をつなぐパイプ役になれれば。 ストレスなく、自由な時間を過ごせるビーチ文化を根付かせたい。」と白い歯をのぞかせた。 (藤田大道、asahi = 6-6-21)


ミカン収穫量、和歌山が 17 年連続 1 位 静岡・愛媛抑え

近畿農政局は、和歌山県の2020年度のミカンの収穫量が 16 万 7,100 トンで、17 年連続で全国 1 位になったと発表した。 2 位は静岡(11 万 9,800 トン)、3 位は愛媛(11 万 2,500 トン)だった。 農政局によると、ミカンは果実数の多い「表年」と少ない「裏年」が交互にあるといい、20 年は表年。 同じく表年だった 18 年産の収穫量と比べると 1 万 1,500 トン増えた。 出荷量は 15 万 1 千トンで 18 年産より 1 万 300 トン増加した。 一方、生産者が収穫するためにミカンを育てた畑の面積は、6,850 ヘクタールで前年と比べると 50 ヘクタール減った。 生産者の高齢化で急傾斜地での廃園や優良品種への植え替えなどが理由という。 (西岡矩毅、asahi = 5-31-21)


北海道・北東北の縄文遺跡群、世界遺産へ 諮問機関勧告

ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に、国の特別史跡「三内丸山遺跡」をはじめとした「北海道・北東北の縄文遺跡群」が登録される見通しとなった。 事前審査する諮問機関が「登録」を勧告した。 7 月 16 日からオンラインで開かれる世界遺産委員会で最終的に判断される。 パリのユネスコ世界遺産センターが 26 日、諮問機関「国際記念物遺跡会議(イコモス)」の勧告内容を日本政府に伝えた。 登録されれば紀元前の遺跡として国内初の世界遺産となる。

縄文遺跡群は、北海道と青森・岩手・秋田の 3 県の 17 遺跡で構成。 ▽ 世界最古級の土器片が見つかった「大平山元(おおだいやまもと)遺跡(青森県外ケ浜町)」、▽ 大規模な集落跡で、土偶の出土など祭祀(さいし)・儀礼の発展もわかる縄文中期の「三内丸山遺跡(青森市)」、▽ ストーンサークルを主体とした祭祀遺跡「大湯(おおゆ)環状列石(秋田県鹿角市)」 - - などがある。

これらの遺跡群は人々が採集・漁労・狩猟で食料を得ながら定住を確立した過程を示し、農耕文化以前の人類のあり方や精緻で複雑な精神文化を顕著に示す物証だとして、日本政府がユネスコに推薦していた。 縄文時代は日本独自の時代区分で約 1 万 5 千年前に始まり、本格的な稲作が始まる弥生時代まで 1 万年以上続いた。 西アジアなどでは農耕・牧畜と定住がほぼ同時に始まり社会が発達していったとされ、狩猟採集の段階で定住した縄文文化は珍しいとされる。

今年の世界遺産委員会では、新型コロナウイルスの影響で持ち越しになっていた 2020 年分の自然遺産候補「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表(いりおもて)島(鹿児島、沖縄両県)」も審査される。 諮問機関は 5 月 10 日、「登録」を勧告した。 世界遺産の総数は、1,121 件(19 年 7 月現在)。 日本からは文化遺産 19 件、自然遺産 4 件の計 23 件が登録されている。 (神宮桃子、asahi = 5-26-21)


旧江差線しのぶ展示館、7 月に閉館 展示物は町が展示へ

北海道の JR 江差線の木古内 - 江差間が 2014 年 5 月に廃止され、その後、旧江差駅の駅名標や鉄道関係の工具などの資料を展示する場となっていた旧江差駅資料展示館・地域交流館が 7 月末限りで閉館する。 展示されていた駅の備品などは、北海道江差町の郷土資料館(旧檜山爾志郡役所)に移され、8 月中旬ごろから再び展示される。 旧江差駅舎は老朽化のため解体され、駅跡地は町営住宅とメモリアルパークになっている。 公園には駅名標や線路の一部が残され、モニュメントが設置されている。

江差町は、かつて駅があったことを記憶にとどめ、地域住民が立ち寄れるスペースとして、旧駅前の空き店舗を借り、2018 年 3 月に展示館を開設した。 開通当時の様子や江差線の列車の写真をはじめ、駅舎で使われていたいすや駅名標、駅員が使用した制服、合図灯、お別れ列車に取り付けられていた行き先表示板(サボ)やヘッドマーク、歴代駅長の名を刻んだ額など約 40 点が展示されている。

展示館は鉄道ファンには知られた施設だが、職員が常駐していない。 展示品について説明できる人がいなかったほか、展示品の安全確保にも課題があった。 学芸員のいる郷土資料館が預かり、展示することで、こうした問題に現場で対応できるという。 町によると、江差線は 1936 年 11 月に全線が開通し、かつては急行列車も運行された。 しかし沿線の人口減少とともに利用者も減り、北海道新幹線の新函館北斗までの開通で並行在来線となる木古内 - 五稜郭間だけが第三セクターに移り、江差 - 木古内間は先行して廃止された。 (三木一哉、asahi = 5-19-21)


「奄美・沖縄」世界遺産へ 再挑戦実り登録勧告 ユネスコ、7 月正式決定

希少種の動植物が多く生息する「奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表(いりおもて)島(鹿児島、沖縄)」について、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関が、世界自然遺産への登録を勧告したことが 10 日、分かった。 7 月にオンラインで開かれる世界遺産委員会で正式決定される見通し。 決まれば文化遺産を含む日本の世界遺産は 24 件目、自然遺産は 2011 年の「小笠原諸島(東京)」以来の 5 件目となる。

「奄美・沖縄」をめぐっては、ユネスコ諮問機関の国際自然保護連合 (IUCN) が推薦区域を調整する必要性などから 18 年に「登録延期」を勧告し、政府がいったん推薦を取り下げて再挑戦した。 だが、新型コロナウイルスの影響で 20 年のユネスコ世界遺産委が延期されたため、さらに 1 年遅れての登録実現となる。

鹿児島県の奄美大島と徳之島、沖縄県の沖縄本島と西表島の 4 島にまたがる推薦区域は計約 4 万 3 千ヘクタール。 黒潮などの影響を受けた温暖・多湿な亜熱帯性気候から、同区域は主に常緑広葉樹の森林に覆われ、アマミノクロウサギやイリオモテヤマネコなど数多くの固有種が生息している。 (sankei = 5-10-21)


まるでウユニ塩湖 空模様映す新名所 名付けて

玄界灘に面する福岡県福津市が、空模様を反射する浜辺を新たな観光名所として PR している。 まるで海の上に立っているかのような光景をひと目見ようと、問い合わせは海外からも。新名所の名前は、打ち合わせ中に担当者が口にした一言で決まった。 「かがみ」が現れるのは、福間海岸、宮地浜、津屋崎海岸の三つの砂浜が 3 キロにわたって連なる海岸線。 遠浅で起伏が少ないため、無風など条件がよければ空の景色が海に鏡のように映し出される。 こうした光景は干潮の 1 時間 - 30 分前から楽しめる。

福津市の観光地としては、夕日が海から一直線に差し込む宮地嶽神社の参道が、CM で取り上げられ有名になった。 さらなるスポットを探していた観光協会の担当者らが目をつけたのが、南米ボリビアのウユニ塩湖を思わせる光景だった。 SNS に地元のゲストハウスが投稿していた。 観光ポスターのロケ地に決まったとき、デザイナーが写真を見て「かがみの海みたいですね」と口にした一言に、担当者も「その名前、いいですね!」 こうして新名所「かがみの海」が誕生した。

観光客向けのサイトを 3 月に開設し、「かがみ」が出現する時間帯や撮影方法も載せたところ、海外から問い合わせがあったほか、地元の人からも「こうやって撮ればいいのか!」と反響があったという。 協会は「多くの人に足を運んでいただき絶景を楽しんでほしい」と話し、「ごみ拾いなど、きれいな海岸を維持する努力があってこの景色が見られることも心にとめてほしい」としている。 (棚橋咲月、asahi = 5-9-21)


太陽の両側に光の塊 北海道・標津で「幻日」現れる

太陽の両側に光の塊があるように見える「幻日(げんじつ)」が 7 日の夕方、知床半島から続く山々を望む北海道標津町の空に現れた。 太陽の光が、巻層雲など高層の雲をつくる氷の結晶に反射し、屈折して起きる珍しい現象だ。

この日の同町の最高気温は 25.7 度と、今年初めての夏日となった。 町北部を流れる忠類川の河口では、漁船のシルエットの上に光の塊がくっきりと浮かんだ。 通常、幻日は 10 分ほどで消えることが多いが、この日は、青空が広がる午後 5 時過ぎから夕焼け、日没へと、微妙に色をうつろわせる光の芸術となり、1 時間以上も人の目を楽しませた。 (大野正美、asahi = 5-8-21)


若者移住する「住みたい田舎」 インスタ改革も連ドラも

ミカン畑のすぐ隣に、ぽつんとロッジ風の建物が立つ。 入り口の看板には「コワーキング」、「移住相談」の文字が見える。 中に入ると、テーブル、いす、カウンター席が並んでいる。 ここは、三重県南伊勢町内瀬地区。 広大な熊野灘は景色の一部だ。 そんな南伊勢町の自然を凝縮したような場所に 2019 年 8 月、さまざまな職種の人が仕事場として使えるコワーキングスペース「しごとば油屋 II」がオープンした。

運営を担当するのは、任意団体「むすび目 Co-working」の西川百栄さん (46) と西岡奈保子さん (33)。 2 人は、町の移住定住コーディネーターとして、移住相談の窓口役も担っている。 西川さんは南伊勢町で育った。 就職を機にいったん町外に出たが、U ターンで戻ってきた。 中学生だったころは、このまま田舎でずっと暮らす自分を想像できなかった。 「就職は県外へ」と考えたのは自然の流れだった。 京都府内の会社に就職。 町を離れて、都会への憧れをかなえた。

しかし、あれほど閉塞感を感じていたのに、たまに故郷へ帰ると違った。 子どものころは当たり前だった自然に囲まれた環境を、とても貴重に感じた。 「目に入る 90% が緑と海。 夜になると、自然と暗くなって、静かになる。」 京都へ戻ると、星が見えない夜に違和感を覚えるようになった。 そして、気付かされた。 「私って地元のこと大好きなんだ。」 高齢化率が 5 割を超える人口約 1 万 2 千人の町への移住者がここ数年、右肩上がりで増えています。 中でも、移住した若者の活躍が目立っています。 なぜこの町を選んだのか。 記事後半で、彼らの暮らしぶりと共に紹介します。 その後、仕事で三重県松阪市や伊勢市に住み、35 歳で南伊勢町に戻ってきた。

西岡さんは名古屋市出身の移住者だ。 大学卒業後、保育園の運営会社に就職。 「社会問題を解決したい」という思いで、働きながら大学院に通った。 研究室では、南伊勢町の空き家調査に関わった。 そこで目にしたのは人口減、高齢化、空き家など、さまざまな問題を抱える町の現実だった。 「この町は問題の最先端にある。」 そんな思いを強くした。 移住したのは 18 年 6 月。 「海が見える場所に住む」という念願もかなえた。

現在、保育園コンサルタントとしてテレワークで働く傍ら、移住相談を担う。 「移住者だから共感できることや、伝えられる魅力があるはず」と言う。 さらに「車が通り過ぎる町から、歩いてみたくなる町へ」をコンセプトに、町の魅力の発信にも力を入れる。 子どもの一時預かり所や図書室の設置など、この町でやりたいことを挙げればきりがない。 「問題を一つでも解決できたら、やりがいにつながると思う。」(大滝哲彰)

インスタ「決裁不要」に

海と山に囲まれた自然豊かな三重県南伊勢町では、田舎暮らしを求め、移住してくる人が後を絶たない。 町まちづくり推進課によると、2020 年度の移住者は 35 人で、5 年前と比べて 3 倍以上増えた。 コロナ禍でテレワーク(在宅勤務)が広がり、都市部に住む人たちの地方移住への関心が高まっている。 町はさらに移住者を呼び込もうと、情報発信に力を入れている。

「南伊勢町には特別有名な灯台はありませんが、リアス式海岸なのでたくさんの灯台があります。」
「毎日の散歩でこんな素敵な風景に出会えるのは、田舎暮らしの特権ですね。」

町が情報発信で活用するインスタグラムには、映える景色とともに地域の情報や、職員が仕事をする風景などの投稿が目立つ。 19 年 1 月にアカウントを開設したが、当初の投稿は多くて 1 週間に 1 回ほど。フォロワー数も伸びず、昨年 5 月までは約 230 にとどまっていた。

「町内にはもっと外に自慢できることがあるはず。」
「町外の人に南伊勢の良さを知ってもらいたい。」

そう考えたまちづくり推進課の森本富由季さん (46) は同じ年の 4 月、役場内の部署を超えて、投稿を担当する職員を幅広く募った。 すると、教育委員会や観光商工課などから、20 - 40 代の男女 8 人が集まった。 まずは投稿までの流れを一新した。 それまでは上司の決裁を受けてから投稿していたため、投稿までに時間がかかり、ボツになったものもあった。 このため、LINE のグループ機能を使い、投稿者が投稿したい内容を全体に共有。 グループ内の過半数が「いいね」を付けると、上司の許可がなくてもすぐに投稿できるようにした。

小山巧町長の弁当の中身を撮影したり、夕日やコスモス畑など自然豊かな町のスポットを載せたりして、投稿の内容も一工夫した。 さらに、ハッシュタグも活用する。 こうした取り組みを続け、伸び悩んでいたフォロワー数は、半年ほどで 1 千人を超えた。

町の支援に「なっとなー!」

SNS を利用しない町内の高齢者への情報発信も欠かさない。 町が月に 1 回発行し、全戸配布する「広報みなみいせ」では、昨年 8 月号から、都会からの U ターンをテーマにした連続ドラマ「U ターンは突然に」をスタートさせた。 地元の方言を使い、結婚祝い金など町の支援制度を紹介しながら物語を展開。 地元のおばちゃん「えっちゃん」が制度を知り、「なっとなー!」と驚くシーンが毎回の見どころだ。 「インスタと広報誌は両輪。 移住はもちろん、外の世界を知った若者が U ターンして活躍してほしい。」 そんな思いで森本さんはこれからも発信を続ける。 (大滝哲彰、asahi = 5-7-21)


結婚 30 万、妊娠 2 万、出産 10 万円 … 市が丸ごと支援金

結婚、妊娠と出産、子育て、子どもの自立までを丸ごと引っくるめて応援する「Marry You (マリーユー) - 結婚するなら、有田市で -」事業を和歌山県有田市が今年度から始めた。 市をあげて家族を支える姿勢を示すことで子育て世代が移り住んでくれることを願っている。 まずは結婚のお祝いについて。婚姻届を出すと、引っ越し代、家賃、新築、中古物件の購入といった住まいにかかる経費を上限 30 万円で支援する。 また、両親や友人ら結婚の感謝を伝えたい人へ、市のカタログから夫婦で選んだ 1 万円までの特産品を贈る。

妊娠を届けると 2 万円分の「スマイルチケット」がもらえる。 買い物にいくタクシーや家事の援助といったサービスを市内の協賛事業者から受けられる。 出産には 1 人目に 10 万円、2 人目に 30 万円、3 人目からは 50 万円のお祝いもある。 さらに出生の届け時には 3 万円のチケットを。 子どもが 1 歳になるまで一時あずかりなどのサービスに使える。

子育て期の支援には、今年度から始めた、▽ 高校 3 年生までの医療費無料化、▽ 共働き世帯の病児を市立病院で一時あずかる無料保育、▽ 小中学校の入学祝いに 10 万円 - - などを用意した。 子どもが成長して仕事をするようになっても定住してもらうため、上限 12 万円の奨学金返還支援が 29 歳までの毎年ある。 勤め先が市内のときは 4 年目から上限 20 万円にアップする。 市秘書課主事の宇恵菜月さんは「市全体で応援する方法を話し合ってきました。 若者や子育てを支えるあたたかい風土になったらいいな。」と話している。 一部は 6 月から始まるものがある。 有田市の代表 (0737・83・1111) へ問い合わせれば担当課を紹介する。 (下地毅、asahi = 5-4-21)


北海道・美深の観光トロッコ、今年も運行 廃線跡を利用

廃線跡を利用した北海道美深町の観光用トロッコが 29 日、今年の運行を始めた。 1985 (昭和 60)年に廃線となった旧国鉄・美幸線のレールを使って走り、地元 NPO 「トロッコ王国美深」が運営している。 ガソリンエンジン付きで、約 5 キロを 30 - 40 分かけて往復する。

今年はレール沿いに雪がまだ残っており、訪れた人たちは雪原の風景や、水辺に顔をのぞかせたミズバショウを楽しみながら、爽やかな風を感じていた。 この日は、町民向けに無料乗車のサービスを実施。 NPO の橋本秀昭理事長は「縮こまった心と体を、自然の中で少しでも伸ばしてほしい」と話している。 (本田大次郎、asahi = 4-29-21)


熊本城天守閣、26 日の一般公開延期 コロナ拡大で

熊本市は 25 日、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、26 日から予定していた熊本城(同市中央区)天守閣内部の一般公開を延期すると発表した。 熊本県では 25 日に 59 人の新規感染者が発表され、前日の 38 人から大幅に増えていた。 天守閣は 5 年前の熊本地震で石垣が崩れるなど被災し、今年 3 月に復旧を終えていた。 公開時期は未定。 熊本城公園も 26 日から臨時閉園する。 (asahi = 4-25-21)

前 報 (9-30-19)