沖縄モノレール延伸 夜明け前から行列、地元「感無量」

那覇市内を走るモノレール「ゆいレール」が隣接する浦添市(うらそえし)まで約 4.1 キロ延伸され、1 日に運行が始まった。 これまでは那覇空港駅と首里駅を結んでいたが、首里駅の北側に新しく四つの駅ができた。 新しく始発駅となった「てだこ浦西(うらにし)駅」では 1 日、夜明け前の「駅開き」に多くの人が詰めかけ、行列ができた。 先頭にいた那覇市の山川勇さん (55) は、9 月 29 日の夕方から並んだという。 2003 年のゆいレール開業時も首里駅で一番乗りだったといい、「2 度とも一番乗りになれて感無量」と話した。

始発便には報道陣やファンらが乗り込み、午前 5 時 39 分に滑り出すと車内で拍手が起きた。 高校 1 年生の金城美輝さん (16) は、クラスメートの平良莉子さん (15) とそれぞれ新駅から乗車。 これまでは親に車で送ってもらっていたが、延伸でモノレール通学ができるようになった。 早速定期券も購入し、「友達と一緒に通えてうれしいです」と笑った。 ゆいレールは沖縄県や那覇市などが出資する第三セクター「沖縄都市モノレール」が運営。 延伸により、総区間は 17 キロになった。那覇空港駅―てだこ浦西駅の所要時間は約 40 分。 県などは、ゆいレールの利用客を増やし、幹線道路の渋滞緩和につなげたい考えだ。

運賃は 1 日からの消費増税で、乗車区間に応じて一部 10 円値上げ。 初乗り運賃は 230 円で据え置いた。 昨年度の乗客数は 1,905 万 7,176 人(1 日平均 5 万 2,355 人)と過去最高を記録。 観光客の増加も重なり、慢性的な混雑が続く。 これに対応するため、沖縄都市モノレールは 3 両編成に増やす方針だが、実現は 22 年度の見込み。 (藤原慎一、asahi = 10-1-19)

前 報 (5-24-19)


「復興のシンボル」熊本城大天守、10 月から特別公開へ

熊本地震で被災した熊本城の大天守が外観の復旧作業をほぼ終え、10 月 5 日から特別公開が始まる。 これに先立ち 29 日には復旧の様子が報道陣に公開された。 無残に崩れ落ちた瓦は美しく葺(ふ)き直され、石垣の崩落防止などの安全対策も施された。 「復興のシンボル」として着実に歩を進める熊本城の姿が浮かび上がった。

公開されたのは、二の丸広場を起点に、平左衛門丸や天守閣前広場の一部に至る約 450 メートルのルート。 天守閣のうち、大天守は石垣の復旧工事が終了、耐震工事もほぼ完了した。 特別公開では復旧作業が続く内部は見られないが、外観を間近で見学できる。 小天守は石垣の積み上げが完了。 今後は 4 階部分の瓦の設置や内部の工事などを進め、天守閣全体は 2021 年度末までの復旧を目指す。

崩落した西大手門跡からは石垣の石材 1349 個を回収。 残っている石垣の前に、金属製の網に石材を入れて積み上げた「組立網(くみたてあみ)」を設置したり、モルタルを吹き付けたりして安全対策を強化している。 熊本城総合事務所の網田龍生所長 (55) は「漆喰(しっくい)が白く輝き、お色直しをしたいましか見られない、ピカピカの熊本城です。 復旧が一歩一歩着実に進んでいる姿を見てほしい」と話す。 特別公開が始まる 10 月 5 日は正午から式典が始まり、入園開始は午後 1 時から。 問い合わせは熊本城総合事務所 (096・352・5900)。 (白石昌幸)

「心にひび入った」あの日から、職人の思い

真っ白な漆喰(しっくい)と瓦が日の光に輝く。 熊本城大天守の復旧作業に携わった熊本市の左官職人、斉藤健太さん (37) と福岡県大牟田市の瓦職人、友田敬悟さん (49) は「美しい姿を多くの人に見てもらいたい」と 10 月の特別公開に向け、持てる技術を注いできた。 斉藤さんは熊本市の高校を卒業後、器用さを生かして手に職をつけたいと、伝統建築にも力を入れる地元の建設会社に就職した。 ネクタイを締めて初出社した日に連れて行かれたのが、熊本城だった。 小さいころから見続けてきた自慢の城はその日も、いつものようにどっしり構えていた。

翌日から熊本城で先輩職人について現場を覚えた。 こてを持たせてもらえたのはそれから数年後。 城内のやぐらの作業だった。 以来、大雨や台風などで傷んだ城の補修を手がけてきた。 1877 年の西南戦争で焼失し、2008 年に復元された本丸御殿の作業にも携わった。 だが 2016 年 4 月、熊本地震が発生。 テレビに映し出されたのは、石垣が崩れ、瓦が落ちて土煙があがる無残な姿だった。 「これまでやってきたことが崩れ、心にひびが入ったような気持ちになった。」

友田さんは、瓦が落ちて下方の屋根で砕けた大天守の当時の様子を「爆弾でも落とされたのではないかと思うほどの惨状だった」と振り返る。 当時の瓦は土葺(ぶ)きの下地に「乗っている」だけ。 地震の揺れで浮いたりずれたりして落ちたようだった。 復旧にあたっては、地震にも台風にも耐えられるようにと、下地の土をすべてはがし、コンクリート屋根の上に板で下地をつくって瓦を打ち付ける現代の工法を採り入れた。

熊本城の屋根は深い「そり」と、膨らんだように見える「むくり」が組み合わさって美しい曲面を描く。 被災前に撮影された写真を見本に、デジタルの 3D 画像を活用して細部まで目をこらして再現していった。 そうして葺いた瓦の隙間を埋めるように、斉藤さんが漆喰で一つひとつ丁寧に固定していった。 漆喰は、こての上でしっかり練って粘り気を出す。 練っては塗り、塗っては練りを繰り返して縦横に描いた真っ白な線が黒い瓦屋根と鮮やかなコントラストをなしている。 「お互い妥協せず最高の技を駆使して初めて美しい屋根に仕上がるんです」と 2 人は話す。

「お城が元に戻っていく姿を見れば、被災した人の力にもなるはず。」 そんな思いで作業に携わったとも言う。 斉藤さんは「これまで培ってきたすべてをかけて施工しました。」 友田さんも「じっくり見ていたいと思える、恥ずかしくない仕事ができたと思います。」 2 人の技は、城がかつての姿を取り戻すために小天守などで今後も続く復旧作業に生かされる予定だ。 (矢鳴秀樹、asahi = 9-30-19)

前 報 (5-29-19)


東京のごみ、群馬県で燃やします 全国初の取り組み

群馬県桐生市は 10 月から、市内の焼却施設で東京都立川市の事業系一般ごみを受け入れ処理する。 立川市など自治体の事業系一般ごみ回収を請け負う廃棄物処理業の「オリックス資源循環(埼玉県寄居町)」と 18 日、桐生市が協定を結んだ。 ごみ減少で施設に生じた余力を活用したい市と、炉の故障に備え自社施設に余力を残したい同社の利害が一致した。 市によると、民間事業者を介し自治体が区域外の一般ごみを受け入れるのは全国で初めてという。

桐生市新里町野にある市清掃センターの焼却施設は、同市とみどり市、伊勢崎市赤堀の一般ごみを処理している。 年間 10 万 6,500 トンの処理能力に対し、2018 年度の焼却量は 6 万 2 千トンで、稼働率は 60% 弱にとどまる。 センターは現在、3 基の焼却炉のうち点検中の 1 基を除く 2 基を運転させている。 だが、焼却量が年 6 万 3 千トンを下回ると、1 基のみの運転となり、隣接する新里温水プール(カリビアンビーチ)の熱源や、施設で使う電力の安定供給ができなくなる恐れがある。 「現在はぎりぎりの状態(センター)」という。

一方、寄居町にあるオリックス資源循環の処理施設は 70 以上の自治体からごみ処理を受託している。 「炉の故障を考えると、処理の選択肢を増やし余力を残したい(オリックス広報部)」として、桐生市との協定でリスク回避を図る。 立川市から同社が受託している年間 9 千トンの事業系一般ごみのうち、桐生市は今年度、10 月以降に 1,700 トンを受け入れる。 来年度以降は 3 千 - 4 千トンに増やしたいという。 ごみの受け入れ単価は 10 キロあたり 275 円(税込み)で、今年度分の半年で 4,675 万円のごみ処理手数料が市に入る見通しだ。 (長田寿夫、asahi = 9-21-19)


阿蘇くまもと空港で欠航相次ぐ 阿蘇山の噴火続く

阿蘇くまもと空港を発着する便は、阿蘇山の噴火・噴煙の影響で、きのう 9 月 19 日には 12 便が欠航となった。 気象庁によると、阿蘇山では 9 月 10 日に発生した噴火が継続しているとしている。 13 日以降、火山灰を含む噴煙が最高で火口から 1,600 メートルまで上がり、風下側では降灰が確認されている。 19 日に欠航したのは、阿蘇くまもと空港から出発する 5 便と到着する 7 便の計 12 便。 また、大阪/伊丹発の JAL2389 便は出発地に引き返した。 東京/羽田発の JAL637 便は福岡に目的地を変更した。 また、日本航空 (JAL) は、きょう 20 日も遅延・欠航・条件付運航など、運航に影響が出る見込みとしている。 (柴田勇吾、Tracy = 9-20-19)


コスト削減随所に 中部空港 LCC ターミナル 20 日開業

中部空港(愛知県常滑市)に 20 日、格安航空会社 (LCC) 専用の第 2 ターミナルが開業する。 LCC 専用ターミナルは、関西空港と成田空港に続いて国内 3 カ所目。 空港間の競争が激しくなるなか、LCC 路線の新規就航を促し、利用者増をねらう。 新ターミナルの特徴は、建設費をおさえるための簡素なつくりだ。 ボーディングブリッジ(搭乗橋)を設けず、地上を歩いて飛行機に乗る方法を採用。 ラウンジや展望施設もつくらず、天井は配管をむき出しのままにし、飲食店などの商業施設も必要最小限にした。

LCC は運営コストを下げることで、従来の航空会社より安い運賃でサービスを提供する。 1 機あたりの座席数を増やしたり預け入れ荷物を有料にしたりする手法が一般的だが、空港へ払う利用料も大きなコストの一つ。 中部空港会社は利用料の詳細を明らかにしていないが、建設費用をおさえたことで従来より割安にできるという。 LCC 専用ターミナルとしては国内で初めて、無人で手荷物を預けられる機械も導入。 利用者の使い勝手の向上とともに、航空会社の人件費削減に貢献し、新たな LCC 路線の就航につなげたい考えだ。

開業当初は、中部空港に就航する LCC 11 社のうち、ジェットスター・ジャパン(千葉県成田市)、エアアジア・ジャパン(愛知県常滑市)、チェジュ航空(韓国)、ティーウェイ航空(同)、エアプサン(同)の 5 社が新ターミナルを使う。 国際線は台北やマニラなど 6 都市との間の週 45 便。 空港会社広報は「まだゆとりがあり、増築もできる設計にしている。」 ジェットスター・ジャパンの片岡優社長は「機能的かつ利便性が高く、コスト的にも LCC にとって有益な施設だ」と評価。 愛知県によると、ベトナムの LCC も中部空港への新規就航を考えているという。

国内で唯一、開業当初から民間企業が経営する中部空港は商業施設などを充実させ、利用者から高い評価を受けてきた。 ただ、近年は他の空港でも民営化が進み、競争は激しさを増す。 中部空港の航空旅客数は昨年度 1,235 万人と、開港直後の 2005 年度を初めて上回り過去最高を更新。

一方、1,300 万人としていた目標には届かなかった。 国土交通省によると、日本に就航する国際線に占める LCC のシェアは 07 年に 0.4% だったが、17 年は 21.7% まで増加。 中部空港会社も「成長のエンジン」と位置づける LCC が就航しやすい環境を整え、利用者増に弾みをつける狙いだ。 空港全体の便数が増えれば、2 本目の滑走路の整備にも追い風となる。 18 日の祝賀会で、中部空港会社の犬塚力社長は「決して豪華ではないが LCC のビジネスモデルに添ったものをめざしてきた。 訪日外国人に選ばれる空港にしたい。」とあいさつした。 (初見翔、asahi = 9-19-19)


猛暑に耐える高品質なコメ求め … 品種開発、各地で続々

世界平均を上回るペースで温暖化が進む日本。 影響は農業にも及びつつある。 すでに起きている温暖化に対応し、品質や収量を保とうとする動きが広がる。 一面に田んぼが広がる埼玉県幸手市神扇地区。 9 月初旬、農業法人社長の船川由孝さん (68) の田んぼで、県のブランド米「彩のきずな」の稲穂がこうべを垂れていた。 県内の日照時間が平年の約 6 割だった 7 月から一転、8 月の平均気温は平年を 2 度上回る暑さだったが、「例年通り順調。 1 等米の品質を確保できそう。」と話した。

同県熊谷市で当時の国内最高となる 40.9 度を記録した 2007 年夏。 県産ブランド米の開発に取り組んでいた県農業技術研究センターでは、約 300 の新品種候補の稲の大半が、高温障害でデンプンが足りず米粒が不透明になる「白未熟粒(しろみじゅくりゅう)」になった。 そのなかで、1 種類だけ濁りのない粒を付けた稲穂があった。 それが、彩のきずなだ。

暑い日もたくさん水を吸って葉や穂の温度を下げる特徴があり、白未熟粒ができにくい。 14 年に品種登録されると農家に支持が広がり、県内の昨年の作付面積は全体の 12% となる 4 千ヘクタール。 17 年産は日本穀物検定協会の食味ランキングで最高の「特 A」と評価された。 「暑い年が続くなか、安定して良質なので人気が広がっている」とセンターの担当者はいう。 気象庁によると、日本の平均気温は  19 世紀末に比べて 1.19 度上昇、世界平均の約 1 度を上回る。 コメの生育や品質への気温の影響は大きい。 猛暑だった 10 年産の全国の 1 等米比率は 62% と前年より 20 ポイント以上下がった。

農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)のチームが、国連気候変動に関する政府間パネル (IPCC) の想定をもとに予測したところ、今世紀末の世界の平均気温が産業革命前より最大 4.8 度上昇する条件だと、収量は 20 世紀末より 12% 増えるがその 8 割は品質の悪いものが占める恐れがあった。 国は温暖化への対応方針を示した「気候変動適応計画」をつくり、農作物の品質低下を軽減する技術開発の旗を振る。

高温に耐える独自品種の開発は各地で相次ぎ、広島県では農研機構が育成した「恋の予感」が 14 年に県の奨励品種となり、約 100 ヘクタールで栽培を開始。 今年は 1,200 ヘクタールで栽培された。 富山県もコシヒカリを超える食味をうたう県開発の「富富富」を奨励品種とし、今年は 1,100 ヘクタールで作付けされた。

温暖化の影響は果樹でも起きている。 農林水産省のリポートによると、温州ミカンの果肉が皮から離れて隙間ができる「浮皮(うきかわ)」がここ数年、10 件以上(都道府県数)報告されている。 高温により、果肉の成長が止まっても皮が成長を続けることが考えられるという。 ブドウやリンゴでも、気温が高く日光が当たりすぎて皮の着色が悪くなったり変色したりする症状が、十数件(同)発生した。

対策も始まっている。 ミカンの浮皮は皮の成長を遅らせる効果のある溶液の散布が拡大。 リンゴは、気温が高くても濃い赤色になる品種を導入するほか、青森県は中南部で、比較的暖かい地域で育つモモの栽培を推進し、この 10 年で出荷量は 7 倍に増えた。 農研機構の石郷岡康史・上級研究員は「温暖化が進むと、東北で良質なコメが取れなくなるなど作物の適地が大きく変わる恐れがある。 栽培や収穫の時期をずらしたり、暑さに耐える品種の改良を重ねたりする工夫が求められる一方、気温上昇を抑える抜本的な対策が欠かせない。」と話す。 (桑原紀彦、asahi = 9-17-19)


地方空港どこも厳しいのに … 宮古島には二つ目の空港なぜ

観光客が急増している沖縄県宮古島市。 長くパイロットの養成のために使われてきた市内の下地島空港に 25 年ぶりに定期便が就航した。 7 月からは国際線も運航。 全国には経営が厳しい地方空港も多いなか、同じ市内にある宮古空港との 2 空港ですみ分けをめざす。 宮古島にある宮古空港から車で約 30 分。 橋で伊良部島を経て下地島に渡ると、下地島空港が見えてくる。 空港ターミナルの赤い瓦屋根、水上ラウンジやシーサーが目を引く。 整備したのは三菱地所だ。

3 千メートルの滑走路がある下地島空港は 1979 年、供用が始まった。 パイロットの訓練に加え、過去には那覇との定期便もあったが、利用客の減少で 94 年に途絶えていた。 宮古島市は六つの有人島からなり、約 5 万 5 千人が暮らす。 市内には年間で 178 万人が使う宮古空港がある。 国土交通省によると、定期便が飛ぶ二つの空港をもつ自治体は宮古島市のみだ。

沖縄本島と同様、宮古島市は観光客が急増中だ。 2015 年に宮古島と伊良部島を結んだ伊良部大橋の開通がきっかけで、18 年度には 14 年度の 2.7 倍となる 114 万人が訪れた。 中国や台湾を中心に、クルーズ船の寄港も 14 年度の 2 回から 18 年度は 153 回と激増した。 市内ではホテルの建設ラッシュが起きている。 空港や周辺の土地を所有する沖縄県も期待を寄せる。 12 年と 14 年に日本航空と全日本空輸が相次いで訓練から撤退して両社の負担金がなくなり、維持管理費用の多くを税金でまかなってきた。 利活用策を募集し、三菱地所の案の採用が決まったのは 15 年だった。

沖縄県空港課によると、国際線は原則、下地島空港で受け入れる方針だ。 3 月には成田空港と結ぶ定期便が就航。 7 月には関西空港と結ぶ便に加え、宮古空港にはなかった国際定期便の香港便も就航した。 いずれも格安航空会社 (LCC) が運航する。 県観光振興課の担当者も「地元ともタッグを組んで新規の路線誘致に努めたい」と話す。

空港を管理・運営する「下地島エアポートマネジメント」は今年度の利用者を 5.5 万人と見込み、21 年度に 30 万人の目標を掲げる。 平野敦士常務取締役は「空港の能力が上がり、宿泊施設のハード面が整備されれば、観光地としてまだまだ伸びるポテンシャルはある」と話す。 「観光業者や自治体と協力し、新規路線を誘致し、宮古空港との共存共栄を図りたい。」 (角詠之、asahi = 9-14-19)

◇ ◇ ◇

宮古島、家賃バブルに悲鳴 1K が都心並みの 10 万円

沖縄県の離島自治体・宮古島市で、賃貸住宅の家賃が高騰している。 1K で 10 万円といった東京都心に匹敵するものも出回っており、バブルの様相だ。 南の島で何が起きているのか。 昨年 12 月、市中心部にある築 10 年ほどの賃貸アパートの住人に、不動産会社から文書が届いた。 「家賃改定についてのお知らせ。」 3LDK で 6 万 1 千円だったのを、4 月から 9 万円に値上げする内容だった。

近くに小中学校があり、世帯の半数は子どもがいる家族。 住民同士で話し合って弁護士に相談し、値上げ幅の見直しなどを要請しているが、会社側からは値上げに応じられないなら退居するよう求められ、話し合いの席にも着いてもらえない。 30 代男性は「いきなり 3 万円も値上げなんて、ありえない。 生活をする上で不安な金額になるので納得できていません。」と話す。

宮古島市は沖縄本島の南西約 300 キロに位置する。 最大の宮古島を始め、計六つの有人島からなる。 人口は計約 5 万 5 千人だ。 市内の物件 400 件ほどを扱う不動産会社「たけちゃんほーむ」によると、昨年の夏前ごろに家賃相場の上昇が始まった。 1K で 4 万 - 5 万円が普通だったのが、今は 8 万 - 10 万円。 そもそも空き物件がほとんどなく、武島多加雄代表取締役は「東京都心部と同じくらいの相場。 異常な状況です。」 ある不動産業者のホームページでは 7 月、広さ 10.5 平方メートルの新築ワンルームが家賃 9 万円で紹介されていた。

背景にあるのが、観光客の急増に伴う建築ラッシュだ。 沖縄県では、就航する航空路線や海外からの大型クルーズ船寄港の増加などもあって、2013 年度から 6 年連続で観光客数が過去最多を更新。 中でも宮古島市は、無料で通れる橋としては全国最長の伊良部大橋(全長 3,540 メートル)が 15 年 1 月に開通するなど注目を集め、市によると、18 年度の観光客数は 114 万人と 5 年で 2.7 倍になった。 特に国際クルーズ船の寄港回数は、14 年度の 2 回から 18 年度は 153 回と激増した。 空路は宮古空港(宮古島)のほか、今年 3 月には下地島空港(下地島)に定期便が 25 年ぶりに就航するなどしており、今後も増える見込みだ。

同じ離島自治体の石垣市と比べ、宿泊施設が少ない宮古島市内では、リゾートホテルなどの建設ラッシュが発生。 陸上自衛隊の駐屯地建設といった公共工事も重なり、島外から建設作業員が押し寄せた。 このため建設会社がアパートごと借り上げるなど物件の「争奪戦」が勃発し、家賃相場が急騰したという。 島民たちの不安は高まっている。 2 人の子と賃貸アパートで暮らす 40 代の女性も、不動産会社から家賃の値上げを求められている。 物産店で働き、月の手取りは 12 万円ちょっと。 ママ友との会話でも最近は家賃の話で持ちきりだ。 「給料は増えないのに、これ以上家賃が上がると生活は難しい。 引っ越そうにも、島には空き物件もない。 どんどん住みづらくなりつつある。」 (角詠之、asahi = 8-8-19)


別府温泉をおみやげに 熱々の湯、専用タンクで全国配達

別府温泉の湯をど〜んとお土産にいかが - -。 大分県別府市が出資する一般社団法人「ビービズリンク」が、全国の家庭や施設などに温泉の湯を配達する新事業を始めた。 「別府 おんせん おみや」と名付け、源泉から熱々の湯を産地直送で届ける。 使うのは肌にやさしいと人気の「弱アルカリ性単純温泉」。 専用タンクで保温しながら 45 度以上で運ぶ。 湯量は一般家庭の浴槽向けの 200 - 300 リットルから 4 千リットルまで選べ、学生寮や高齢者向けの施設にある大型浴槽にも対応できる。 自ら利用するだけではなく、家族や同僚、利用者らへの「サプライズ」としての需要も見込む。

北海道や沖縄県へ輸送費込みで約 100 万 - 110 万円、他の都府県へは約 10 万 - 数十万円で届ける。 アイデアの元となったのは、熊本地震翌年の 2017 年に始めた「別府温泉の恩返し」だ。 地震の影響で観光客が激減する中で心配して救援物資を届けてくれた人から募り、別府温泉の湯を配達。 届け先は 47 都道府県の 148 カ所にのぼり、話題になった。

事業開始に伴い、来年 1 月末までの期限付きで別府温泉の無料お届けキャンペーンもしている。 今年 5 月以降に別府に来てくれた人が対象という。 観光のエピソードなどを添えてインターネットのサイト (https://onsenomiya.gokuraku-jigoku-beppu.com/) から申し込めば、抽選で 100 人に湯がプレゼントされる。 事業に市の負担金約 1,100 万円を充てた。 ビービズリンクの後藤寛和さん (38) は、「むかし、別府を訪れた思い出のあるお年寄りやグループで来た人たちもどんどん利用してほしい。 自慢のお土産です。」 問い合わせはビービズリンク (0977・76・5205) へ。 (加藤勝利、asahi = 8-31-19)


閉校危機の白馬高が人気復活 視察団が驚く本気度とは?

閉校の危機にあった県立高校が V 字回復を始めている。 舞台は長野・白馬。 多くのスキー選手を輩出し、国内外から観光客が集うリゾート地だが、足元では生徒の数が減り続けていた。 立ち上がったのは地元の二つの村。 全国から訪れた視察団が「椅子から転げ落ちそうになる」本気度とは。そしてそのユニークな手法とは。

学力アップ・全国募集が柱

8 月初旬、長野県白馬村の長野県白馬高校には 20 人を超える大学生が集まった。 信州大や長野県立大とともに、首都圏の法政大からも 11 人が参加。 同高の生徒と一緒に地域の魅力を語り合った。

「田舎なのに外国人が多い。」 「アジサイおじさんがいる。」「野菜がおいしい。」 … 知恵と記憶を働かせて次々に声が上がる。 意見を元にフィールドワークに飛び出した。 「信州大以外の参加は今回が初めて。 高校生はすごく刺激を受けるんです。 目指す大学が決まる可能性もあります。」 交流イベントを主催した平塚茂雄さんが目を細めた。 同高は定時制で 1951 年に開校、63 年に全日制となった。 雪国の高校としてスキー競技が盛んで、卒業生には五輪で活躍した渡部暁斗選手や上村愛子さんらがいる。

同高ではいま、学校の魅力を高めようという独自の取り組みが目白押しだ。 まず、敷地内に塾がある。 「しろうま学舎」だ。 講師は 3 人。 全校生徒の 3 割が通い、学力アップの支えとなっている。 2016 年には国際観光科を新設、全国から生徒を募集し話題になった。 村には外国人が多く在住し、生きた英語が学べる。 「いながらにして留学できる」のが売り物だとか。 今年度は同科の新入生 40 人のうち、22 人が東京、大阪など県外から入学した。 遠くから来る生徒たちのために男女の学生寮もある。 「学力アップ」と「全国募集」を 2 本柱に、人気は着実に上がっている。

寮と塾 予算 2 億円超

5 年前、白馬高は閉校すら考えられるほどの危機に陥った。 再生を語るとき、白馬村とお隣・小谷村の強力サポートは外せない。 北アルプスのふもとにある二つの村。 豊かな自然を生かして観光産業に力を入れるが、新幹線や高速道路はない。 悩みはやはり高齢化で、同高の生徒数も減少の一途だった。 89 年に約 400 人だったが、2013 年には 155 人に。 翌年は 147 人にまで減った。 県の基準では、160 人以下が 2 年続くと再編の対象になる。 考えられるのは閉校や分校化だった。

「満を持して。」 同高の臼井彰一校長はそう表現する。 基準を下回ることは予想されていた。 そのときに備え、二つの村は 93 年から再生計画を練っていた。 再生のコンセプトは「白馬高のためなら何だってやる。」 本気だからカネも出す。 県立高であるにもかかわらず、両村は村立学校並みの位置づけをした。 両村のてこ入れにより、生徒数は増加に転じる。 16 年度が 189 人、17 年度と 18 年度がともに 210 人、19 年度は 206 人。 「ドラマチックですよね。 2 年連続 160 人を切った高校が 200 人を超えたんですから」と臼井校長。

大学生との交流イベントを主催した平塚さんは、白馬山麓事務組合の総括、白馬高校支援局長という肩書を持つ。 ごみ処理のために両村がつくった事務組合だが、現在は規約を改正して同高のサポートを担う。 サポートの象徴は塾と寮だ。 「しろうま学舎」は公営塾で、講師全員が地域おこし協力隊員として白馬村に雇用されている。 寮も両村で抱えている。 今年度は大学のセミナーハウスを購入、寮は 4 つになった。

もちろんカネはかかる。 「まあ見てください」と臼井校長が資料を開いた。 同高への支援予算の概要だ。 今年度は学生寮に 2 億 1,238 万円、公営塾に 1,481 万円など計 2 億 4,800 万円。 人口 9 千人の白馬村と 3 千人の小谷村がその多くを負担している。 「全国から視察に来ますが、この額を聞くと皆さん椅子から転げ落ちそうになります。」 臼井校長が続ける。 「でもね、このくらいお金をかけないと再生はできない。 村と学校との関係の深さは全国一です。」

白馬高校のデータ

  • 19 年度の入学生は 72 人 普通科 32 人、国際観光科 40 人。 県外出身はいずれも国際観光科で、埼玉と愛知が 3 人、東京、新潟、富山、大阪、兵庫が 2 人、宮城、神奈川、石川、京都、岡山、山口が 1 人
  • 生徒に聞く「白馬高を選んだ理由」 : ▽ 英語が学べる、▽ 観光が学べる、▽ 自然豊富、▽ 寮がある、▽ スキーができる、▽ 新たな環境で学べる (入寮生 24 人へのアンケートから)
  • 国際観光科 1 期生を含む 19 年春の卒業生 70 人の進路 : 大学 29 人 (41%)、短大・専門学校 22 人 (31%)、就職 14 人(20%、うち 11 人が県内)

寮の運営 県の支援欠かせぬ

過疎地の公立高校の復活劇としては、島根県の隠岐の島にある県立隠岐島前高校が知られている。 主役は地元の海士(あま)町で、公営塾による学力アップや寮の新設など白馬高と似たサポートをしてきた。 塾を運営する財団には町が年 5 千万円を支援している。 決定的に違うのは寮のシステムだ。 隠岐島前高の男子寮は町が建設し、県が年約 500 万円で借りて運営している。 女子寮はもともと県が建てて、県が運営。 つまり寮の運営はいずれも県が担っている。

対する白馬高の寮は、建物も運営も白馬村と小谷村が担う。 年間の負担額は 1 億円を軽く超え、二つの村にとってはこれが悩みのタネ。 ではどうしたら? 隠岐島前高の寮生は 80 人で、白馬高が 72 人。 白馬高の寮生が多いわけではない。 寮生数の制限よりも、見直すべきはシステムだろう。 県立高らしく、県が寮を運営すれば両村の負担は大きく減る。 白馬高の成功を県全体の喜びとするためにも、県による本気の支援が欠かせない。 (依光隆明、asahi = 8-30-19)


佐賀新聞が大雨で電子新聞無料公開 8月28日付

8 月 28 日朝に佐賀県に大雨特別警報が出されたことを受け、佐賀新聞は会員向けに公開している同日付の電子新聞を無料公開した。 気象庁はレーダー解析から佐賀県内に記録的短時間大雨情報を発表。 佐賀市や佐賀県多久市付近では 1 時間に 120 ミリ以上の猛烈な雨を観測した。 気象庁によると、日本海にある前線を伴った低気圧が発達しながら北東に進行。低気圧に暖かく湿った空気が流れ込み、西日本から北日本の広範囲で大気の状態が非常に不安定となる見込み。 (福井新聞 = 8-28-19)

佐賀新聞 8月28日付


国重文を IT 人材の育成拠点に 辰野金吾設計の旧社屋

明治時代に建てられた国指定重要文化財「福岡市赤煉瓦文化館(同市中央区天神 1 丁目)」が、IT 技術者の交流施設「エンジニアカフェ」に生まれ変わり、21 日にお披露目された。 将来の IT 業界を支える人材の育成を狙う。 同館は東京駅を手がけた辰野金吾らが設計し、1909 年に日本生命保険の社屋として完成。 69 年に国重要文化財に指定され、市に譲渡された。 地上 2 階、地下 1 階のれんが造りで、建築面積は 281.8 平方メートル。 近年は館内を公開し、一般市民が利用できる会議室の貸し出しもしていた。

市は、市内の IT 技術者が求める交流拠点の整備と、文化財の有効活用という目的を両立させようと、改修に着手。 1 階にあった文学関連の展示スペースや地下 1 階の倉庫をイベントや作業ができる空間に変えた。 文化財だけに、壁に穴を開けるといった建物を傷める現状変更は避け、鉄骨製の枠にスクリーンやプロジェクターを据え付けるなどした。 Wi-Fi 環境も整えた。

運営するのは、公募で選んだ IT 人材の育成に取り組む NPO 法人「AIP」など。 専門家を置き、プログラマーやソフトウェア開発者といった技術者を目指す若者らの相談を無料で受けるほか、著名な技術者を招いたセミナーなども開催する。 初年度の運営委託費は約 3,500 万円。 飲食ができるカフェバーも併設した。 利用時間は午前 9 時 - 午後 10 時。 休館日は毎月最終月曜(休日の場合は翌平日)と年末年始。 一般市民向けの 2 階の有料会議室はこれまで通り利用できるという。 (横山翼、asahi = 8-27-19)


浅間山で噴火 噴火警戒レベルは 2 を継続

25 日午後 7 時 28 分ごろ、群馬・長野県境にある浅間山で噴火が発生した。 気象庁が発表した。 同庁は火口縁上で噴煙が約 600 メートルまで上がったのを確認。 噴火警戒レベルは 5 段階のうち 2 (火口周辺規制)を継続し、火口から約 2 キロの範囲で噴石の飛散や火砕流に注意するよう呼びかけている。 浅間山では今月 7 日、小規模な噴火が発生。 同庁はレベル 1 (活火山であることに留意)から 3 (入山規制)へ引き上げたがそれ以降、噴火の確認はできなかったことなどから 19 日、現在の 2 へ引き下げていた。 (asahi = 8-25-19)

◇ ◇ ◇

予兆なかった浅間山噴火 観光シーズンを直撃

7 日夜に小規模な噴火があった浅間山(群馬、長野県)。 予兆がないなかでの噴火で、群馬県嬬恋村と長野県原町では降灰が確認された。 夏休みシーズンで周辺には軽井沢町など観光地も多く、地元自治体は観光客の安全確保へ対応を追われた。

気象庁は発生直後に噴火警戒レベルを 3 (入山規制)に引き上げ、山頂火口から約 4 キロの範囲で大きな噴石などに警戒するよう呼び掛けた。 昨年 8 月には 2 (火口周辺規制)から 1 (活火山であることに留意)に引き下げていた。 登山口は全て封鎖し立ち入りを規制。 過去の噴火の溶岩が広がる観光地「鬼押出し園」周辺を通り、長野と群馬を結ぶ「鬼押ハイウェー」が一時通行止めとなった。 レベル 3 の対象は群馬県が嬬恋村、長野県は小諸市、軽井沢町、御代田町。 両県は安全管理を徹底し適切な情報提供に努める考えだ。 (ZakZAk = 8-8-19)


日韓悪化でも釜山市民 100 人 下関で朝鮮通信使を再現

韓国・釜山市と姉妹都市提携を結ぶ山口県下関市で 24 日、江戸時代に朝鮮王朝が派遣した外交使節団「朝鮮通信使」の行列を再現する恒例行事があった。 日韓関係の悪化で開催が危ぶまれたが、釜山市民約 100 人と日本側から約 60 人が参加。 市中心部の約 3 キロで、パレードを繰り広げた。

下関は、朝鮮通信使が本州で最初に上陸したゆかりの地。 行列の再現は今年で 16 回目で、市民祭「馬関(ばかん)まつり」の目玉の一つ。 今年は日韓関係悪化の影響により、釜山側から今月上旬まで正式な参加回答が届かない異例の事態となった。 例年、釜山の市長や副市長らが正使役を務めていたが、今回は参加しなかった。 華やかな衣装を着た一行は、伝統楽器を奏でながら関門海峡沿いなどをにぎやかに練り歩いた。 正使役を務めた孫在学(ソンジェハク)・釜慶(プギョン)大碩座(せきざ)教授は「両国間の海に波があるからといって別れるのではなく、お互いに交流できるということをしみじみと感じた」と語った。 (貞松慎二郎、asahi = 8-24-19)

◇ ◇ ◇

「釜山市民の真の友情伝えに来た」 今年も共に通信使行列

韓国との国境に近い島、長崎県対馬市で 4 日、江戸時代に往来した外交使節「朝鮮通信使」を再現した市民らの行列があった。 毎夏の「対馬厳原港まつり」の恒例行事。 日韓関係の悪化で、釜山市の職員や国会議員らが来島を取りやめたが、行列には韓国側の約 50 人と日本側の約 250 人が参加し、交流の重要性と継続を確認し合った。 一行は約 1.5 キロを練り歩き、通信使を出迎えた旧対馬藩主、宗家の菩提寺「万松院」に到着。 「国書」に模し、それぞれに「誠信交隣」という言葉を盛り込んだ友好のメッセージを交換した。 対馬藩の儒者雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)が説いた「互いに欺かず争わず、真実をもって交わる」という思想だ。

対馬藩主に扮した陸上自衛隊対馬駐屯地の山口勝司令が「今後も『平和の遺産』である朝鮮通信使の『誠信交隣』の精神を世界に広げていきましょう」と読み上げると、通信使の正使役の南松祐(ナムソンウ)・釜慶(プギョン)大名誉教授が「皆さまに釜山市民の真の友情をお伝えするよう、うかがいました。 民間の文化交流をさらに活性化し、日韓の葛藤解決の糸口を作ることが大事。」と応じた。 まつりの朝鮮通信使行列は 1980 年に始まり、各地の日韓交流イベントへと広がった。 今年のまつりは、通信使の復元船の来航が直前に中止になるなど、日韓関係悪化の影響が出ていた。 (佐々木亮、asahi = 8-4-19)

◇ ◇ ◇

日韓政治対立の余波、九州で続く 高速船の利用者減

日本と韓国の政治的な対立がビジネスに及ぼす余波が、九州で続いている。 JR 九州高速船(福岡市)は 26 日、博多 - 釜山で運航する高速船「ビートル」で、釜山発の 7 月の利用者数が前年同月と比べて約 3 割減る見通しを明らかにした。 8 月も現時点で、前年から約 4 割減ると予測しているという。

韓国人の利用客は昨冬ごろから、現地経済の減速感などもあって鈍くなっていた。 さらに最近、減少傾向が強まっている背景には日韓関係の悪化も考えられるという。 西日本鉄道(福岡市)が展開する国内のホテルでも、韓国人客が減少している。 予約分を含んだ韓国人客の利用室数は 7 月、前年同月より約 3 割減った。 倉富純男社長は 25 日の定例会見で、「当面、注視する必要がある」と話した。 (山下裕志、asahi = 7-26-19)


消費者庁、徳島に戦略本部を新設へ 全面移転見送り

省庁移転

記事コピー (1-15-16 〜 8-19-16)


夏限定のプレミア感、エメラルドに輝く「北陸のハワイ」

敦賀(つるが)湾に浮かぶ無人島に、海水浴客が押し寄せている。 地元は、三日月形の砂浜などその美しさを「北陸のハワイ」と自慢する。 全長 600 メートル。 三日月形の真っ白な砂浜が目の前に延びる。 福井県敦賀市色浜地区の船着き場から渡し船で約 10 分。 無人島・水島に着くと、はしゃいだ男の子が波打ち際を走り抜けた。 海と砂浜のコントラストの美しさから「北陸のハワイ」と呼ばれる島は 8 月上旬、親子連れでにぎわっていた。

ビーチは遠浅で、エメラルドグリーンの海を抱えるようにある。 中央に生えるマツの木の多くは 60 年以上前、対岸の地元住民が植えたという。 奈良県橿原(かしはら)市から家族で訪れた穴田勉さん (44) は「遠浅なので子どもも安心して遊べた。 わざわざ船で渡るところが期待を高めますね。」と喜んだ。 島と対岸の約 800 メートルを往復する渡し船の運航は毎年 7 月中旬から 8 月末まで。 敦賀市によると、夏だけ上陸できるプレミア感が SNS などで受けて海水浴客が年々増え、206 年には初めて 5 万人を超えた。

「北陸のハワイ」の由来は定かではないが、市も 15 年ほど前からパンフレットなどで使うようになり、透明度の高い島のビーチの代名詞としてすっかり定着した。 ビーチを見渡すと、プラスチックなどの漂着ごみはほとんど見当たらない。 美しい景観が保たれているのは、島を所有する色浜、浦底地区の地元住民らによる「水島クリーンアップ作戦」のおかげだ。

20 年以上前から続く海開き前の清掃活動で、今年は地元の中学生を含む 350 人がペットボトルや漁網などを拾い集めた。 また、近年波や風雨などで浸食が進む砂浜に、海砂を戻す保全工事もしている。 両地区は計 47 世帯 125 人の集落。 色浜地区で生まれ育ち、旅館を営む中井健一さん (44) は「夏は貴重な観光資源、冬は防波堤として地区を支える宝の島。 これからも守り続けたい。」 (細川卓、asahi = 8-16-19)