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秋田県で記録的大雪、災害派遣を要請 住宅倒壊のおそれ

秋田県の南部を中心に記録的な大雪が降り、佐竹敬久知事は 5 日、陸上自衛隊に同県横手市への災害派遣を要請した。 陸自は 6 日から高齢者世帯などで除雪にあたる。 同県が大雪で自衛隊に災害派遣を要請するのは 2006 年 1 月以来。

気象庁によると、午後 2 時現在の積雪は、横手市横手で 171 センチ、湯沢市湯沢で 154 センチで、いずれも平年の 4 倍以上。 県は 5 日に開いた災害対策本部会議で、横手市では屋根に積もった雪の重みで倒壊のおそれがある住宅が増えており、住民の人命、財産を保護する差し迫った必要があると、派遣要請を決めた。 要請を受け、陸自は高齢者が住む住宅や、木造の小学校校舎の除排雪にあたるという。

県によると、5 日午後 3 時半現在の今季の雪による被害は人的被害が死者 5 人を含め 88 人。 うち横手市は 38 人、湯沢市は 20 人。 湯沢市では 5 日午後 1 時 35 分ごろ、2 階建ての車庫兼小屋の近くを除雪していた男女 2 人が、屋根から落ちたとみられる雪の下敷きになった。 湯沢署によると、うち 40 代男性は意識不明の重体という。 大仙市では 4 日夜、無職の女性 (85) が自宅の軒先にできた雪山に埋もれる形で倒れていたのが発見され、病院に運ばれたが死亡が確認された。 (佐藤仁彦、野城千穂、asahi = 1-5-21)


津波対策の高台移転 「実施・計画」が 4 割超 朝日調査

今後 30 年以内に 70 - 80% の確率で起きるとされる南海トラフ地震。 その津波被害が特に懸念される太平洋側の 139 市町村のうち、4 割超の計 62 市町村が東日本大震災後、公共施設の高台移転を実施、または計画していることが、朝日新聞のアンケートでわかった。 国の想定では、南海トラフ地震が起きた場合、最悪でマグニチュード 9.1 の地震が起き、津波などによる死者・行方不明者数は最大で約 23 万 1 千人に上る。 東日本大震災の津波で危機管理対応の要となる庁舎の浸水が相次いだ教訓から、国は庁舎建設の財政負担を軽減する制度を設けるなど、高台移転を推し進めてきた。

朝日新聞は今月、「津波避難対策特別強化地域」になっている千葉から鹿児島までの 14 都県 139 市町村にアンケートを行い、すべてから回答を得た。 2015 年にもこの地域に同様のアンケートを実施している。 15 年時点では、43 市町村が 129 施設の移転を実施、または計画していた。 その後、計画変更や施設の統合などで移転計画がなくなった自治体もあるが、今年 12 月時点では 62 市町村で 191 施設まで増えた。 施設別では、元々多かった消防施設が 73 施設から 86 施設に増加。 増加幅が最も大きかったのが小・中学校で、前回 8 施設から 3 倍近くに増えて 22 施設となった。 次いで自治体庁舎(出先庁舎も含む)が、13 施設から 26 施設と倍増した。

移転を実施しない理由についても尋ねた。 実施予定のない 77 市町村のうち、23 市町村は「移転が必要な施設がない」と回答したが、17 市町が「費用が十分確保できない。」 11 市町が「移転先に適した土地がない」を選択。 「住民の理解が得られない」とした自治体も 2 市村あった。 また、国が事前防災の一環として推進する「防災集団移転促進事業」は、進んでいない実態が明らかになった。

この事業は、災害危険区域などに住む複数の住民らに集団で移転してもらう事業だ。 市町村が土地の買い取りや移転先の宅地造成、住宅建設の費用を住民に助成するなどし、その大部分を国が負担する。 東日本大震災以降、被災自治体以外に実施例はなく、国は今年から要件を緩和している。 だが各自治体に検討状況を聞いたところ、「検討中」は鹿児島県西之表市のみ。 「検討したが断念した」も 5 市町にとどまり、残りは「検討したことはない」とした。 (asahi = 12-21-20)

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津波 34m の想定に衝撃 … 高台移転、進む地域と悩む地域

2011 年 3 月に起きた東日本大震災の教訓から、各地で公共施設の高台移転が進んでいる。 震災からの 10 年近くで新たに実施、計画する自治体は着実に増えているが、安全な土地の確保や財源などが壁となって移転を見通せない自治体もある。

津波の想定「全国最大」に衝撃

高知県西南部にある人口 1 万人余りの街、黒潮町。 約 3 年前に海の近くから高台に移転した町役場の横で、同じように高台移転する町営住宅と駐在所の建設が進んでいる。 町では役場を含め、すでに高台移転した公共施設は 7 施設に上り、建設中や移転予定のものも 6 施設ある。 同じように津波の危険にさらされている自治体から視察が絶えない、高台移転の「先進地」だ。

きっかけは、多くの自治体の庁舎が被災した 2011 年の東日本大震災と、翌年に国が公表した南海トラフ地震の新たな被害想定だ。 津波の高さは町の一部で全国最大の約 34 メートルに達するとされ、衝撃が走った。 町は津波の浸水想定区域内にあった役場を、敷地をかさ上げしたうえでほぼ同じ場所に建て替える計画だったが、方針を転換。 高台を造成して役場と町営住宅を移転し、防災広場も設けることにした。

その際、避難場所や避難路の整備に補助が出る国の事業を活用した。 防災広場は山を切って出た土で谷を埋めた場所につくり、切った跡地に役場や町営住宅を建設。そこに至る取り付け道路を避難路にした。 役場一帯の移転計画を進める一方、消防署や消防団の屯所、災害時に避難所になる地域の集会所の移転も実施。 役場近くの高台に昨年 3 月に完成した 9 戸の団地は、すぐに完売した。 今後の課題は、個人の住宅の移転をどう進めるかだ。

かつて、災害の危険性のある区域から住宅を移転するための事業費を補助する国の「防災集団移転促進事業(防集事業)」に申請することも検討したが、住宅や土地の購入費の補助が限定的で住民の負担が大きく、断念した経緯がある。 町の人口はこの 10 年で 2 千人以上減少した。 今月あった町議会では、議員が質問で「若者が住宅を持ちたいと考えた時、津波や宅地の問題を考え、(隣の)四万十市に転出している現状がある」と指摘。 安全な宅地の整備を求めた。 町情報防災課の宮川智明課長補佐は「高台の宅地の需要は相当ある。 防集事業の要件緩和など、国は自治体を後押しするよう制度を拡充してほしい。」と語る。(千種辰弥)

浮かんでは消えた移転候補地

国による南海トラフ地震の被害想定で、最大 33 メートルの津波に襲われるとされる伊豆半島南端の静岡県下田市。 津波の浸水想定区域にある市庁舎を区域外に移転する方針だが、構想からおよそ 10 年。 移転はいまだに実現していない。 市庁舎本館は耐震基準を満たしておらず、今の場所で建て替える検討が 09 年に始まった。 だが、東日本大震災や被害想定の公表を受け、候補地を高台に変更。 そこから移転を巡る議論は二転三転する。

市によると、移転の候補地は、@ 標高 50 メートルの市内の高台、A 利便性を重視し、津波の浸水想定区域内の伊豆急行下田駅との合同施設、B ぎりぎり浸水想定区域外だが、津波や土砂災害の懸念がぬぐえない民有地 - - の順番で浮かんでは消えた。 市の担当者は「比較的平坦な場所は津波。 高台に移転すれば土砂災害。 『ある程度の広さがあり、道路が通ってアクセスできる場所』となると安全な場所が全くなかった。」と話す。

迷走した候補地は 17 年 12 月、今の庁舎から内陸に 2 キロほど入った津波の浸水想定区域外の民有地に落ち着いた。 議会の承認も得られたが、今度は近くを流れる川の洪水の浸水想定が変わり、候補地が最大 2.2メートル浸水するとされた。 計画の一部を変更するなどの対応をとったが、その後も用地取得の遅れや入札不調で、着工は当初予定から大幅にずれ込んだ。 そしてコロナ禍。 移転のための財源確保が難しくなり、着工はまったく見通せない。 担当者は「決まった後に『津波が来るから』、『洪水が起きるから』と、ハザードエリアが広げられていった。 言い方は悪いが、振り回されている部分もある」と話す。(山本孝興)

移転しようにも高台が … ない

リアス式の海岸が広がる三重県志摩市阿児町。 沿岸部の 5 地区にあった小学校 5 校を統合し、東海小学校が 18 年 4 月に開校した。 南海トラフ地震で想定される津波の最大の高さは、周辺で 5 - 10 メートル。 新校は標高 20 メートルほどの高台にある。 「子どもの声が聞こえんようになって寂しいという声は聞くけど、安心したという思いの方が、みんな強いのでは。」 5 地区のうち、最も遠い安乗(あのり)地区の男性 (50) は話す。 通学は同地区からでもスクールバスで約 10 分という。

市が 09 年に立てた再編計画では、5 校を 2 校にするはずだった。 しかし、2 校ともに低地を想定していたため、東日本大震災を受けて住民が高台移転を嘆願。 12 年 11 月に高台の 1 校への集約に計画を見直した。 民有の山林や田畑、谷だった高台を造成し、排水路も整備。学校が遠くなっても地区の拠点として愛着を感じてもらうため、校舎の設計や業者の選定には5地区の住民がかかわり、児童も「子ども建築家」として設計課程に加わった。 校舎内には 5 地区を見渡せる「物見台」を設けた。 同市では、東海小のほか、幼稚園や保育所など 8 施設も高台に移転。 ほか 2 施設でも計画している。

ただ、同じ三重県内でも移転が進まない自治体もある。 朝日新聞がアンケートした同県内の 16 市町のうち 7 市町は、移転の実績も計画も「ない」と答えた。 松阪市は「移転に必要な費用がない」として、津波避難タワーの設置など避難対策を優先しているという。 全域が海抜ゼロメートル地帯にある川越町は「移転しようにも適当な高台がない。」 担当者は「移転よりも土地のかさ上げが現実的だが、進んでいない」と嘆く。(土井良典)

「浸水前提」で進める自治体も

高台移転を断念し、浸水を前提に新庁舎建設を進める自治体もある。 大分県津久見市は庁舎が老朽化し、1996 年の耐震診断で、震度 6 強の地震で倒壊のおそれがあるとされた。 2016 年の熊本地震では市内で震度 5 弱を観測。 庁舎が被災して行政機能がまひした自治体もあり、本格的に建て替えの検討を始めた。 南海トラフ地震の対策を検討した国の有識者会議は 13 年の最終報告で、役所などを危険性の低い場所に移転することも検討するよう求めた。

だが、津久見市は海に面し、背後を険しい山に囲まれた地形。 高台移転を検討したが、適した土地がなく、最終的には見送った。 新たな庁舎の建設予定地は海に面した埋め立て地で、付近は県の想定で 2 - 5 メートル浸水する可能性がある。 担当者は「浸水想定区域内に建てるのはどうかという声はあると思うが、場所がないというのが実情」と語る。 現在の庁舎は駅や商店街に近く、にぎわいの拠点の一つでもある。 新庁舎の建設予定地は約 500 メートルの距離。 遠くに移転すれば、まちづくりにも影響が出るという事情もある。

市街地には津波から避難できる高い建物がない。 そのため、新庁舎には津波避難ビルの機能をもたせる予定だ。 ▽ 庁舎に外階段をつける、▽ 浸水を防ぐため 1 階部分を柱のみにする - - どの案が出ている。 今年度に基本設計を作成し、25 年の完成をめざしている。 (棚橋咲月、asahi = 12-21-20)


「完成堤防」半数超が豪雨で決壊 千曲川では盛り土も

昨年 10 月の台風 19 号や今年 7 月の豪雨などで決壊した計 147 カ所の河川堤防のうち、6 割弱の 84 カ所は必要な強度を満たした「完成堤防」だったことが、国土交通省への取材でわかった。 気候変動による記録的な大雨は今後も予想され、国や自治体の担当者は「堤防だけでの治水は難しくなっている」と話す。

国交省によると、台風 19 号やその後の大雨、今年 7 月の豪雨で決壊が確認された東日本や九州の 75 河川の堤防 147 カ所のうち、阿武隈川上流(福島県)や吉田川(宮城県)、球磨川(熊本県)などの 84 カ所はいずれも計画された高さを満たし、整備が完了した状態だったという。 台風 19 号で約 70 メートルにわたって決壊した千曲川(長野県)の堤防は 1984 年に完成し、強度を維持する盛り土工事もされていた。

河川を管理する国や都道府県は洪水対策として、過去の降雨量を参考に 100 年や 200 年に 1 度の洪水に耐えられる強さの堤防などを整備し、河川に水を封じ込めようとしてきた。 だが、近年は気候変動の影響で記録的な大雨が増加。 国交省によると、1 時間に 50 ミリ以上の「非常に激しい雨」は約 30 年間で約 1.4 倍になり、堤防の耐久性を上回る降雨が相次ぐようになった。

堤防の決壊で大規模な被害が起きた 2018 年の西日本豪雨などを受け、国交省は堤防を強化する緊急対策を実施し、全国約 2 万 1 千河川を調査。 国交省のまとめでは、台風 19 号や 7 月豪雨で決壊した 147 カ所の大部分は、「対策の緊急性は低い」などとして対象から外れていた。 ある県の担当者は「堤防だけを強化しても今の洪水には対処できない」と打ち明ける。 「どこで決壊するかはピンポイントで予測できない。 周辺の住民や企業など、流域の力を合わせて被害を減らしていくしかない。」と話す。

台風 19 号 1 年、仮設なお 7,895 人

東日本を中心に大きな浸水被害が起きた台風 19 号の上陸から、12 日で 1 年。 内閣府によると、1 日時点で、仮設住宅には 11 都県で計 3,485 世帯 7,895 人が暮らす。 総務省消防庁や都道府県によると、死者は少なくとも福島、宮城、長野、神奈川など 13 都県で計 105 人(関連死を含む)。 3 人が今も行方不明のままだ。 全半壊した住宅は 17 都県で計 3 万棟以上にのぼっている。 (山本孝興、渡辺洋介、asahi = 10-12-20)


濁流直撃でも犠牲者ゼロ 「白馬の奇跡」命救ったルール

昨年 10 月の台風 19 号で千曲川の堤防が決壊した長野市に、濁流の直撃を受けながら直接の犠牲者が出なかった地区がある。 1 人の女性が、住民同士で声をかけ合い、早めに避難を終わらせる地区独自のルールをつくっていた。 浸水被害から 1 年。 命を救った避難方法に、少しずつ注目が集まり始めている。 昨年 10 月 13 日に決壊した堤防から数十メートルしか離れていない長野市津野。 2 メートルの濁流に丸ごとのみ込まれ、当時、約 90 世帯 250 人が暮らしていた家屋すべてが全壊判定を受けた。

台風が日本列島に上陸する直前の 12 日夕、地区内唯一の民生委員を務める笹井真澄さん (68) の自宅に、副区長がかけこんできた。 「深夜に千曲川が越水するかもしれない。」 笹井さんはすぐに、用意してあった名簿と地図を取り出して 1 軒ずつ電話をかけ始めた。 「なんとか逃げてね。」 何度も念を押し、さらにこう伝えた。 「お隣が車で迎えに来てくれるから。」 あらかじめ、隣近所や仲のいい人同士でペアをつくっておき、非常時は一緒に車で逃げる。 それが、津野での避難ルールだ。 2 時間かけて高齢者や支援が必要な人、そのペアの自宅や携帯に約 40 件の電話をかけた。 避難所に向かうと、顔なじみが集まっていた。 堤防が決壊したのは、翌 13 日未明のことだった。

笹井さんがルールをつくったのは台風が来る 2 年前。 避難に支援が必要な人の情報を、市が民生委員に渡すようになったのをきっかけに、災害が起きた時のことを考え始めた。 地区内は高齢化率が 4 割を超え、高齢者のみの世帯も多い。 そしてここは、過去に何度も水害に襲われた地区。 「私 1 人でみんなを運ぶことはできない。 助け合えるようにしておかないと。」

参考にしたのが、長野県北部で 2014 年にあった最大震度 6 弱の神城断層地震だった。 被害が大きかった白馬村では、避難で支援が必要な人の情報をふだんから地区で共有していた。 住民同士も近所の家の寝室の場所まで知っていて、倒壊した家屋からすぐに助け出すことができた。 死者はなく、「白馬の奇跡」と呼ばれている。 笹井さんは地区の区長らとも話し合い、ペアを引き受けてくれた人の家には、毎年顔を出した。 ルールは、長野県内を中心に人づてに知られるようになってきた。

今年 6 月には、市社会福祉協議会に請われ、長野市の住民ら 300 人を前に被災当時の状況や、避難の詳しい経緯などを話した。 参加していた長野県松本市の民生児童委員からは改めて依頼があり、津野を一緒に歩きながら詳しく説明した。 民生児童委員は、担当する地区が松本城近くを流れる川の両岸に位置するため、水害が起きたときの避難方法を考えていたところだった。

1 年が経ち、津野では家屋の解体が進む。 90 世帯のうち 30 世帯しか戻ってこないのでは、とも言われている。 笹井さんは更地が増えた風景を眺め、「戻ってきてくれたらいいなあ、とは思うけどね。」 それでも、月に 1 回のお茶のみ会には、みなし仮設住宅や引っ越し先から被災前と同じ顔ぶれが集まる。 「どれだけ人が少なくなっても、助け合えるまちのままであってほしいね。」 (田中奏子、asahi = 10-12-20)


最上川氾濫、早めの避難で死者ゼロ 地域絞った勧告奏功

山形県の最上川などが氾濫した 7 月末の豪雨で、同県内では住宅約 700 棟が浸水被害を受けたが、亡くなった人はいなかった。 人家を巻き込む大規模な土砂災害が起きなかったことに加え、行政と住民の素早い避難行動が奏功した。 河川事務所が通常伝えるより先の水位予測を伝えてもいた。 全国各地で多数が犠牲になる災害が相次ぐ中、専門家はコミュニティーの力を評価する。

7 月 28 日からの豪雨により、最上川流域 3 地点で 24 時間降水量の観測史上最大を更新。 最上川の大規模な氾濫は、1967 (昭和 42)年の羽越水害以来だ。 最初に水があふれたのは同日午後 2 時過ぎ、山形県中央部の大江町左沢(あてらざわ)の百目木(どめき)地区だった。 町はその 1 時間前、同地区の 17 世帯 49 人に絞って避難勧告を発令。 五十嵐大朗・町総務課長は「危機が迫っていることを強く意識してもらうため、ピンポイントで出した。」

同地区が含まれる左沢 1 区の鴨田徳康区長 (66) は、避難対象の家々を回って口頭で避難を呼びかけた。 2 年前に自主防災組織が作られ、日頃から避難訓練を続けていた。 住民も「いつもの大雨とは違う」と感じたため、全員が避難したという。 鴨田区長は「町と一緒に迅速に動けた結果」と振り返る。

下流にある大石田町では、翌 29 日未明から朝にかけて最上川が 3 カ所で氾濫し、住宅約 100 棟が浸水被害を受けた。 町は 28 日夕方、最上川付近の住民約 3 千人に避難勧告を出し、1 時間半後に避難指示に切り替えた。 だが消防団員から「明かりのついた家が見える」との報告があり、町は切迫した状況を伝えようと、防災無線のスピーカーでサイレン音まで流して避難を促した。 大蔵村では戸別に電話で避難を呼びかけており、東北大学災害科学国際研究所(仙台市)の佐藤翔輔准教授(災害情報学)は「コミュニティーの日頃のつながりが生きた」と評価する。

大石田町が危機感を募らせた背景には、最上川中流を管理する国土交通省新庄河川事務所からの情報提供があった。 通常、自治体に伝えられるのは 3 時間後の水位予測。 しかし、同事務所は深夜の避難になることを懸念し、「先の予測だから外れる可能性もあるが、避難の判断に役立ててほしい」と電話連絡した上で、28 日朝から6 時間後の水位予測もメールで伝えていた。 「事務所の判断で『取扱注意』として提供を決めた(川口滋・副所長)」という。

山形県の須藤勇司・防災くらし安心部長は、こうした住民や行政の取り組みに加え、70 人以上が亡くなった熊本県南部を中心とした九州の豪雨災害で、住民や自治体職員の防災意識が高まっていたことも挙げる。 「今回のことを高齢化や人口減でさらに厳しくなる今後の地域の避難に生かしたい。」 一方、同研究所の森口周二准教授(地盤工学)は「土砂の崩落などはかなり発生しており、人が多く住む所で起きても不思議ではなかった」と指摘する。 山形県内の総雨量は多い場所で 200 ミリ台だったことから、「九州の豪雨よりかなり少なかったことも心に留めてほしい」と話した。(江川慎太郎、鷲田智憲、三宅範和、asahi = 8-10-20)

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最上川、4 カ所で氾濫発生 29 日夕にかけて警戒が必要

国土交通省新庄河川事務所と山形地方気象台は 29 日午前 0 時 10 分、山形県大石田町横山の最上川で氾濫(はんらん)が発生したと発表。 朝までに、同町と大蔵村の計 4 カ所で氾濫を確認した。 県によると、同日午前 7 時までに、最上川以外にも 41 河川の計 44 カ所で水があふれるなどした。

県によると、大江町で床上・床下浸水が計 29 棟など計 88 棟の住宅が被害を受けた。 また、酒田市内の 90 代女性が、避難途中にひざの骨が折れるけがをしたとの情報があるという。 午前 8 時半現在、31 市町村の避難所 180 カ所に計 2,438 人が避難しているという。 気象庁によると、山形県では 28 日に記録的な大雨となり、24 時間降水量は長井市で 206.5 ミリにのぼるなど、3 カ所の観測点で観測史上最大を更新した。

雨のピークは 28 日だったが、上流で降った雨が下流に達するまで時間がかかるため、雨がやんだ後に中流や下流で氾濫が起きることがある。 山形地方気象台は 29 日夕にかけて、河川の氾濫に厳重な警戒が必要だとしている。 (asahi = 7-29-20)


記録的大雨、飛騨川が氾濫 国道 41 号崩落 岐阜

活発な梅雨前線の影響で東海 3 県では大気が非常に不安定な状態が続き、岐阜県内は 7 日夜から 8 日朝にかけて広い範囲で記録的な大雨となった。 気象庁は 8 日朝から昼にかけ、大雨・洪水警戒レベルで最も高い 5 に当たる大雨特別警報を下呂、高山など 6 市に発表。 死傷者は確認されなかったが、飛騨地域を中心に住宅への浸水が相次いだ。 幹線道路の崩落など交通網にも大きな被害が出ており、高山、下呂両市で約 900 世帯、約 2,200 人が孤立状態となっている。 県は 9 日中に孤立が解消する見通しだとしている。

下呂市萩原町中呂の飛騨川のほか、加茂郡白川町の白川、美濃市立花の長良川など 7 河川が氾濫した。 下呂市小坂町では飛騨川沿いの国道 41 号が約 300 メートルにわたって崩落した。 下呂市を中心に浸水被害も相次ぎ、県内で床上浸水は 31 棟、床下浸水は 124 棟が確認された。 加茂郡八百津町や高山市では突風により住宅などが損壊した。 JR 高山線の美濃太田 - 猪谷、樽見鉄道の神海 - 樽見などは終日運休した。 東海北陸自動車道の荘川 - 飛騨清見が通行止めとなるなど、雨量規制や災害のため県内各地の道路に影響が出ている。

県は、大雨特別警報が発表された下呂、高山、中津川、恵那、飛騨、郡上の 6 市に災害救助法を適用した。 避難所の設置や食品の供給などに必要な費用を国や県が負担する。 岐阜気象台によると、今月 3 日の降り始めからの雨量は、下呂市萩原で 740 ミリに達した。 9 日も再び大雨が予想されるとして、警戒を呼び掛けている。 8 日午後 3 時現在で、避難勧告は関市など 11 市町の約 9 万 4 千世帯、約 23 万人に、避難指示は中津川市など 5 市の約 8 万 2 千世帯、約 20 万人に出た。 県によると、計約 360 人が避難した。 (岐阜新聞 = 7-9-20)



八ツ場ダム群、台風 19 号で効果 「水位 1m 下げた」

台風 19 号の記録的な大雨による利根川の増水について、国土交通省が利根川上流ダム群の治水効果をまとめた。 試験貯水中だった八ツ場(やんば)ダム(群馬県長野原町)にためた分も含め、上流と中流の境目にあたる観測地点で水位を 1 メートル下げたという。 このため、避難勧告などの目安となる氾濫危険水位は超えず、「治水効果を発揮した」と国交省はみている。 検証対象のダムは試験貯水中の八ツ場のほか、矢木沢、奈良俣、藤原、相俣(いずれも群馬県みなかみ町)、薗原(同県沼田市)、下久保(同県藤岡市・埼玉県神川町)の計 7 ダム。 利根川中流で合流する渡良瀬川の草木ダム(群馬県みどり市)は除いた。

国交省関東地方整備局によると、検証した観測地点は八斗島(やったじま、同県伊勢崎市)で堤防高は左岸 8.07 メートル、右岸 8.1 メートル。 堤防の安全性が保てなくなるとされる計画高水位は 5.28 メートルで、氾濫危険水位は 4.8 メートルだった。 台風 19 号が関東地方を縦断中の 10 月 12 日午後 11 時半、八斗島では最高水位の 4.07 メートルを記録した。 一方、上流のダム群は計 1 億 4,500 万立方メートルの水を台風 19 号でためた。 整備局が雨量、河川流量、ダムの貯留量などを基に試算した結果、7 ダムがなければ八斗島の水位は 1 メートル上昇して 5.07 メートルとなり、氾濫危険水位を超えていたという。

整備局河川計画課の担当者は「計画高水位よりは低かったとしても、予想外の大雨がもっと降り続いたかもしれず、ダムがなくても安全だったと言える結果ではない」と分析している。 半面、ダムも余裕があったわけではない。 利根川上流のダム群は一般的に、雨量の多い 7 - 9 月は治水のためにダムの容量を空けておく。 だが今回の台風は想定外の 10 月の大雨。 整備局は利根川上流 8 ダムのうち草木は 12 日午後 11 時から、下久保は 3 日午前 1 時から、容量不足で緊急放流の可能性があると発表。 ともに回避されたが、草木では一時、緊急放流の操作に移行するとも発表していた。

中下流域に対する上流のダム群の治水効果は未知数だ。 渡良瀬川との合流点で、利根川中流の観測地点の栗橋(埼玉県久喜市)では 10 月 13 日午前 3 時に最高水位の 9.61 メートルを記録。 栗橋の堤防高は左岸 11.45 メートル、右岸 12.17 メートルで、一時は氾濫危険水位の 8.9 メートルを超え、計画高水位の 9.9 メートルに迫った。

国交省利根川上流河川事務所の担当者は「下流は支川からの流入や降雨の影響などがあり、調節池の果たす治水の役割が大きくなる、」 栃木、群馬、茨城、埼玉の 4 県にまたがる渡良瀬遊水地は 1 億 6 千万立方メートル、江戸川との分流点より下流の茨城県や千葉県にある菅生、稲戸井、田中の 3 調節池は計 9 千万立方メートルの水をため、4 カ所で過去最大の計 2 億 5 千万立方メートルを貯留した。 こちらの効果の検証もこれからだ。 整備局河川計画課は「流域雨量の全体像も含め、様々なデータ収集の必要がある。 検証には相当時間がかかる。」という。 (丹野宗丈、asahi = 11-14-19)

台風 19 号から一夜明け、試験貯水中にほぼ満水になった八ツ場(やんば)ダム(群馬県長野原町)の様子は、にわかに SNS などで治水論争を巻き起こした。 台風から 1 カ月がたち、専門家はどうみるのか。 水源開発問題全国連絡会(水源連)共同代表の嶋津暉之さん (76) と、元国土交通省河川局長の竹村公太郎さん (74) に聞いた。

水源開発問題全国連絡会共同代表で八ツ場あしたの会の嶋津暉之さん (76) の話

八ツ場ダムの効果はないとは言わないが、過大評価は疑問だ。 上流のダム群の機能と限界を見つめなければ、台風の被害を教訓に防災を考えることにはつながらない。 台風 19 号の大雨では、中下流の遊水地の働きも重要だった。 過去の国土交通省のデータで、今回の台風で八ツ場が中流の栗橋の水位をどれだけ下げたのかを私が試算した結果、八ツ場がなくても計画高水位を超えず、堤防高より 2 メートル程度低いため、氾濫はなかったと考えられる。 計算上は、河床の上昇で川が流れる容積が低下し、水位が上昇しやすくなっていた可能性もある。

たまった水の量ばかりに注目が集まるが、上流のダムの効果は下流に行けば行くほど小さくなる。 ダムの機能上、計画以上の水が来て緊急放流となれば、かえって下流を氾濫させかねない側面もある。 八ツ場には地域振興の費用も含めて計約 6,500 億円が投じられ、地元住民の生活も犠牲にした。 そうして得られた治水効果は、費用対効果として適当だったのか。 その分の費用を堤防強化などに回せたのではないか。 今後の治水を考える上で、国はより多くの科学的データを公表し、議論していくことが求められる。

利根川は広大な一方、治水対策に割ける金は限られ、時間はかかる。 治水施設の効果や優先順位を見極め、河床掘削や堤防のかさ上げ、耐越水堤防の導入など様々な手法を検討していくべきだ。

元国交省河川局長で日本水フォーラム代表理事の竹村公太郎氏 (74) の話

堤防の負荷を減らし、河川の水位を 1 センチでも下げるのが治水の原則だ。 一つの治水施設だけでは限られた力しかないが、現時点では八ツ場を含むダム群や渡良瀬遊水地、堤防などがチームで機能したと言える。 風などで川の流れが勢いづくこともあり、1 センチでも水位を下げるよう努めることは重要だ。 特に異常気象が起きる昨今、首都圏を抱える大河川の利根川では様々な治水の手法を総動員しなければならない。

最も原始的な手法は、どこかであふれさせることだ。 水位が下がり、あふれた地域以外は守られる。 だが、社会的強者のために弱者が犠牲になるこの手法は、現代では合意を得られない。 新たなダムや遊水地の建設には膨大な時間がかかる。 既存ダムのかさ上げや、最新の気象予測を反映した施設の運用見直しなどの必要がある。 堤防の強化や川底の浚渫も大切だ。 だが、大規模な浚渫は海からの潮の逆流を防がなければならないなど、治水の手法にはそれぞれ一長一短があり、王道はない。 今回大活躍したダムも一時的に水をため、川の水位を下げ、下流域がその恩恵を受ける効率的な手法だが、用地を提供する地元住民の家や田畑は金銭で補償できても、水没で失われた思い出は補償できない。

国はあらゆる手法の長所と短所を明確に伝え、流域の人々の意見や思いに共感を示し、責任をもって何かの手法を決断しなければならない。 河川ごと、時代ごとで水位を下げるのにより良い方法を選ぶしかない。

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