お・も・て・な・し
先月、ある茶人がこの世を去られました。 筆者も心の師として深く尊敬しておりましたので、もうお話しのできない寂しさ悲しさが未だ止むことはありません。
屈指の古美術商「山澄」に奉公され、弱冠 10 代で益田鈍翁に可愛がられたという稀有な経験をお持ちのお方でした。 その後、根津嘉一郎、藤原銀次郎、鈴木三郎助(三代目)、武藤絲治などなど、稀代の粋人の知己を得ておられます。 お茶に、又、茶花はお家元として、いくつもの茶室を設計され、身に付けられた全ての技と経験をお弟子さん方に教授しておられました。
先日、舞踊家の奥様から次のようなお話を伺いました。 ある日、著名な方々をご自宅のお茶事にお招きになったそうですが、当時のご自宅は奥沢の古ぼけた木造建て、それも狭い路地を通って裏口から入らなければいけないようなお部屋を茶室にされたそうです。
雪の降るその日、足元の悪い路地には「ござ」が敷かれ、着物のお客様にはとても無理な高い上がりかまちには、手作りの階段が誂えられ、襖の破れた部分には和紙が貼られ、その上には和歌の墨書 ・・。 そこは見栄や雑念に全く縁のないご亭主の結界でした。
お道具はきっと高価で貴重なものを取り揃えられておられたのでしょうが、その日のお茶事の為に、その場は亭主自ら、ぶれることのないお心で準備を整えておられたのです。 当然、お客様方も見事な心配りに気づかれ、女性のお客さまなど、お見送りに同道された奥様に涙をためてお礼の言葉を述べられた、とのこと ・・。
「おめてなし」という言葉は、今年の流行語大賞に選ばれたそうですが、武野紹鴎、千利休以来、真の「おもてなし」は日本人の心の中に脈々と受け継がれ、純粋無垢な心配り、気配りが「おもてなし」の真髄であることを改めて思い知らされた次第です。