94 万人が宿泊キャンセル = 観光被害 292 億円か - 北海道地震 北海道胆振地方を震源とする大規模地震で、道は 15 日、同日までに道内の旅館・ホテルなどの宿泊キャンセルが延べ 94 万 2,000 人、影響額は 117 億 2,500 万円に上ると発表した。 飲食代や土産物代などを含めた影響額は約 292 億円と推計しており、道内全体の観光業へ大打撃となった。 道が同日まとめたところによると、観光バスのキャンセルが 4,000 台、影響額は 3 億 7,400 万円、観光・体験施設が 6 万 9,000 人、2 億 5,000 万円、フェリー・遊覧船が 2 万 2,000 人、4,000 万円となった。 宿泊や観光施設などはほぼ営業を再開しているが、団体旅行のキャンセルが続いたという。 道観光局によると、道内を訪れた昨年度の観光客は 5,610 万人で、そのうち外国人観光客は 279 万人に上った。 道は訪日客について、2020 年度までに 500 万人に増やす目標を掲げているが、地震の影響が響きそうだ。 道が観光団体、各種業界団体とともに設置した連絡会が調査し、まとめた。 今後も官民が一体となって、正確な情報を発信し、対策を講じたいという。 (jiji = 9-15-18) 「負の連鎖」で物流停止、届かない食品 札幌いまだ混乱 北海道の中心都市、札幌は、寝込みを大地震と全戸停電のダブルパンチに襲われた。 液状化で住宅が傾き、余震が続く。 地震から 3 日目もコンビニエンスストアやガソリンスタンドで物資が不足。 市民生活を直撃しており、人口約 200 万の都市機能は混乱が続いている。 3 日目の 8 日になっても、札幌市など北海道内では各地で食料品やガソリンの不足が続いている。 物流ストップは都市部の生活を直撃した。 「本当はお弁当や牛乳、ヨーグルトなどを買いたかったのだが、売っていなかった。」 札幌市中央区のコンビニから、近くに住む無職の掛端(かけはた)寛さん (67) ががっかりしながら出てきた。 丸 2 日間、カップ麺などでしのいできた。 新鮮な食品を買おうと訪れたが、お弁当や総菜、パンなどが並ぶはずの棚は空っぽ。 とりあえず、おでんなどを買って帰った。 男性店長 (59) によると、コンビニチェーン本部から「北海道内の弁当製造業者の工場が停電で動いていない」と説明されているという。 北海道内に約 1,100 店を構える最大手のコンビニ「セイコーマート」。 運営する「セコマ」によると、卸業者やメーカーの工場が完全に復旧していないため、全店で品ぞろえが元に戻るか、「見通せていない(広報)」状態だ。 北海道内でスーパー「東光ストア」や「ラルズ」などを展開する「アークス」、イオン系のスーパー「マックスバリュ北海道」は大半で営業を再開したが、乳製品や豆腐などは工場が稼働し始めたばかり。 「納品量はよくても週末で通常の 2 割、週明けでも 5 割くらい(マックスバリュ広報)」という。 こうした混乱は、いくつもの要因が積み重なる「負の連鎖」によってもたらされた。 北海道内大手の運送会社「松岡満(まつおかまん)運輸」は 6、7 両日、ほとんどトラックを出せず、荷物を預かることができなかった。 多くの地域が停電したままで、信号機が止まり、道路の安全が確保できなかったためだ。 ガソリン流通も滞った。 貯蔵施設を持つ会社の一つ「苫小牧埠頭」によると、ガソリンは十分な量があった。 ところが、6 日未明の地震発生直後に停電が起き、タンカーで運ばれたガソリンなどを荷下ろしする港の貯蔵施設が一時停止。 ポンプでくみ上げてタンクローリーに移す作業ができず、出荷できなくなった。 7 日から非常用電源を使ってタンクローリーへの出荷を再開したが、いまも丸一日止まった分を補いきれていない。 運送会社はガソリンが足りず、長距離のトラックを出せなくなった。 ガソリン不足は市民の足も直撃した。 札幌市内のガソリンスタンドでは 8 日朝から車の長い列ができた。 中央区のコスモ石油系の北一条サービスステーションでは、1 回の給油を 3 千円までに制限。 ハイオクが入荷できていないため、断る場面も。 住吉隆三マネジャーは「いつタンクローリーがくるのか見通せない」という。 さらに JR 貨物によると、北海道内を発着する貨物列車は地震直後から、すべてストップした。 本州と道路でつながっていない北海道は、貨物列車が通る青函トンネルが大きな役割を果たしている。 この時期、本州に運ばれる荷物は、収穫期を迎えたジャガイモやタマネギといった農作物が多い。 農畜産物の生産が盛んな十勝やオホーツク地方の産地には、農産物が山積みのままだという。 JR 貨物は 9 日未明に運転再開を目指している。 地震と停電で生活に大きな影響が出たことについて、ある大手スーパーの担当者はこう話す。 「電気がとまると、こんなに大変なことになるとは思わなかった。」 札幌・里塚地区「被害はすさまじい」 8 日、新千歳空港の出発ロビーは、足止めを食らった観光客やビジネス客でごった返した。 札幌市中心部ではデパートが営業を再開。 居酒屋やバーの看板も明るくともり始めた。 一方で、8 日午後 10 時の段階で道内全域で約 4 千人が避難所に身を寄せている。 人口約 200 万人の札幌市では、7 日午前 6 時の時点で市内 256 カ所の避難所に 1 万人余りが身を寄せた。 8 日午後になっても約 130 カ所に 2,059 人が避難を続けた。 札幌市内では建物被災の全容がつかめていない。 液状化の甚大な被害を受けた同市清田区の里塚地区や清田地区では、道路がうねり、陥没している。 道路沿いに立つ住宅は多くが傾き、断水も続く。 この地区で、市は 7 、8 日に建物の応急危険度判定を行った。 両日で計 514 件を調べたところ、「危険」が 83 件、「要注意」が 84 件。 ここ以外にも被災した建物は多数あるとみられ、市は「罹災証明の申請を受けなければ、全容はつかめない」という。 8 日、現場を視察した秋元克広札幌市長は、対策会議で「停電解消で市民生活は戻りつつあるが、里塚地区の被害はすさまじい。 市全体で再建に取り組んでほしい。」と呼びかけた。 自宅が被災した人は、避難生活が長期化する可能性がある。 清田区の平岡南小学校には、8 日午後 4 時時点で約 70 人が避難。 校庭には、南区真駒内の陸上自衛隊第 11 旅団が仮設風呂を設けた。 余震への警戒などで避難している人も少なくない。 避難所近くに住むパートの女性 (37) は、小学 5 年生の息子や両親と避難している。 自宅マンションは壊れていないが、電気や水道が止まった。 持病があり、7 階の自宅まで上り下りするのは難しい。 地震が怖いのか、息子も「帰りたくない」と訴えるという。 近くに住む別の女性 (49) も、長女 (25) と孫 (2) と避難所に身を寄せている。 避難所で寝ていても揺れている感覚がある。 自分が住むアパートは無事だったが、向かいのアパートは傾き、家の前の道路は陥没。 「建物を専門家に見てもらわないと、家には戻れない」と言う。 避難所に入らず、車中泊を続けている人もいるとみられる。 札幌市厚別区の主婦は停電が続く間、娘とともにたびたび車内に逃げ込んだという。 ラジオで最新状況をつかめ、エンジンをかければ、スマートフォンも充電できるからだ。 札幌市東区の親子は、自宅の壁に亀裂が入った。 飼い犬がいるため、当初は車中泊でしのいだ。 エコノミークラス症候群の危険性を説明され、避難所に移ったという。 道営住宅への入居受け付け開始 地震など災害後に被災者が一時的に身を寄せる避難所。 心身のストレスや衛生面、食事などの問題が深刻で、「災害関連死」を心配する声も強い。 西日本豪雨の被災地では、段ボールの簡易ベッドを使用する自治体が出てきた。 ただ、プライバシーの確保が難しく、幼い子やお年寄りのいる家族が「車中泊」を選ぶケースも。 同じ姿勢をとり続け、エコノミークラス症候群で死に至った例もある。 自宅で避難を続ける「在宅避難者」もいて、自治体は、適切な運動や栄養・水分補給、情報提供など、避難所内外の被災者に目を配る必要がある。 今回の地震では液状化による住宅被害が出ている。 地震の揺れで押し出された地中の水が地盤を揺さぶり、道路や家屋を損壊する現象で、東日本大震災では千葉県浦安市で約 3,700 棟が全半壊。 都市部での住宅被害を拡大させる要因になっている。 自宅を失った被災者の生活再建には、速やかな住まいの確保が重要だ。 熊本地震では民間物件を借り上げる「みなし仮設住宅」の活用が増加。 今回の地震で北海道庁は 8 日、被災者に向け、道営住宅への入居受け付けを始めた。 (岡戸佑樹、asahi = 9-8-18) 「リアス線」 19 年 3 月に開業 宮古 - 釜石駅間が再開 ![]() 東日本大震災で被災し、運行が止まったままだった岩手県沿岸の JR 山田線(宮古 - 釜石駅間、55.4 キロ)が 2019 年 3 月 23 日から運転を再開する。 JR 東日本が 18 年度中に鉄路や駅舎を復旧。 三陸鉄道(同県宮古市)に経営が移管され、「リアス線」として列車が走ることになる。 三陸鉄道は岩手県や沿線市町村が設立した第三セクターの鉄道会社。 28 日の取締役会で再開の日程が決まった。 来年 3 月に開業するリアス線は、JR 山田線の北側にある三陸鉄道の北リアス線と南側にある南リアス線を結び、北の久慈駅から南の盛駅まで 163 キロとなる。 北リアス線は震災の 2 年後に放送が始まった NHK の朝の連続ドラマ「あまちゃん」のロケ地として話題を呼んだ。 (大久保泰、asahi = 3-28-18) 三陸鉄道「リアス線」に 1 本化 - - 鉄道趣味的に気になるところは? 12 月 25 日、岩手県の広聴広報課の Twitter 公式アカウントが、JR 山田線宮古 - 釜石間の移管にともなう三陸鉄道の新たな路線名を「リアス線」と明かした。 同日に開催された三陸鉄道の取締役会で決定したという。 現在の北リアス線・南リアス線と JR 山田線の移管区間が「リアス線」として 1 本化される。 久慈 - 盛間、全長約 163km の路線で、開業は 2018 年度内の予定だ。 三陸鉄道は岩手県の沿岸部で北リアス線・南リアス線を運行する。 北リアス線は旧国鉄宮古線(宮古 - 田老間)・久慈線(久慈 - 普代間)を移管し、両路線を結ぶ田老 - 普代間を新設して開業した。 南リアス線も旧国鉄盛線(盛 - 吉浜間)を移管し、吉浜 - 釜石間を新設して開業した。 同じ鉄道会社ながら、北リアス線・南リアス線は離れている。 その理由は、2 つの路線の間にある宮古 - 釜石間がすでに旧国鉄山田線として開通していたから。 本来はすべて国鉄の路線として開業する予定だった。 明治時代から「陸の孤島の三陸地域を鉄道で結ぶ」という「三陸縦貫鉄道」の構想があり、仙台から三陸沿岸を経由して八戸を結ぶルートが想定されていた。 三陸縦貫鉄道は国鉄と鉄建公団によって順次建設され、開業した。 しかし国鉄の赤字問題によって、建設中の路線は凍結され、開業済みの路線も廃止が取り沙汰された。 三陸縦貫鉄道は三陸地域の悲願であり、未完成区間はすべて岩手県内だ。 そこで岩手県や沿線市町村が出資し、1981 年に三陸鉄道を設立。 特定地方交通線と未完成の路線を整備して、1984 (昭和 59)年に北リアス線・南リアス線を開業した。 JR 山田線は内陸部の盛岡駅から沿岸部の宮古駅へ、さらに南下して釜石駅に至る路線だ。 明治時代に内陸部の盛岡と沿岸部の陸中山田を結ぶために計画された区間と、沿岸部の陸中山田と大船渡を結ぶために計画された区間の一部が山田線となった。 1939 年に国鉄の路線として開業し、こちらも赤字ローカル線であったけれども、代替交通機関がないという理由で廃止対象にはならず、国鉄分割民営化後は JR 東日本が継承した。 三陸鉄道の開業で、明治時代からの悲願だった三陸縦貫鉄道構想は実現した。 三陸鉄道は開業時から黒字であり「第三セクター鉄道の優等生」のように扱われた時期もある。 その後は乗客数、売上ともに減少傾向でも、なんとか運行を続けてきた。 その歴史は 2011 年に分断された。 東日本大震災で三陸鉄道北リアス線・南リアス線と JR 山田線沿岸区間は壊滅的な被害を受けた。 さらに、復旧の過程で三陸縦貫鉄道は法的な問題に突き当たる。 赤字の第三セクター鉄道だった三陸鉄道は、復旧にあたって国の支援を受けられた。 北リアス線・南リアス線ともに復旧工事が行われ、2014 年までに全線で列車の運転を再開している。 北リアス線は NHK の朝ドラ『あまちゃん』のロケ地となり、観光客でにぎわった。 ![]() 一方、山田線は JR 東日本が黒字だったために国の支援を受けられなかった。 JR 東日本としては、復旧したとしても利用者数が見込めず赤字になるため、運行コストの低い BRT による復旧を提案した。 しかし沿線自治体は反発。 気仙沼線・大船渡線の被災区間が BRT で復旧しても、山田線の海岸区間については復旧の方向性が定まらなかった。 新たな展開は 2014 年 1 月。JR 東日本は山田線の沿岸区間を復旧させ、線路設備を沿線自治体に、列車の運行を三陸鉄道に移管する構想を提案した。 最終的にJR東日本は線路設備の復旧費用として 140 億円を負担し、今後の赤字対策として 30 億円を拠出するなどで合意し、2015 年に復旧工事が始まった。 「リアス線問題」解決も新たな問題が発生? 12 月 22 日には、JR 東日本盛岡支社から山田線宮古 - 釜石間の復旧状況が公表されている。 工事は順調のようで、路線名の決定と合わせて明るい話題となった。 そろそろ鉄道趣味的な話題で盛り上げても良さそうだ。 北リアス線・南リアス線が「リアス線」に統合されるため、路線名のモヤモヤがすっきりする。 じつは、北リアス線の沿線は海岸段丘という地形で、リアス式海岸ではない。 「三陸の海岸はリアス式」とは筆者の小学校時代の教科書にもあったような気がするし、イメージとしては納得だけど、実態は違う。 南リアス線や山田線宮古 - 釜石間の沿線はリアス式海岸だ。 山田線沿岸区間を「リアス線」とし、北リアス線・南リアス線の路線名を残す案もあったというけれど、全区間が「リアス線」となれば「リアス式海岸を通らないリアス線」という矛盾は解決する。 路線名としてはもうひとつ。 「山田線」はどうなるか。 前述の通り、盛岡駅と陸中山田駅を結ぶ路線として建設された経緯から「山田線」だった。 しかし、陸中山田駅を含む沿岸区間は三陸鉄道に移管され、「リアス線」になってしまう。 山岳区間だけの山田線は陸中山田駅を通らない。 「リアス線問題」が解決したと思ったら「山田線問題」という新たな矛盾が発生してしまった。 「山田線」の名前がそのまま残るか、改称されるか。 あるいは「ドラゴンレール」のような路線愛称でお茶を濁すか。 この機会に路線名を公募すれば、観光キャンペーンのひとつとしても盛り上がる気がするけれど、どうだろう。 次に気になるところは、「全区間直通の列車が運行されるか」だ。 東日本大震災で被災する前には、仙台 - 八戸間を三陸海岸経由で結ぶ「リアス・シーライナー」という列車が運行されていた。 もし「リアス線」が復旧しても、気仙沼線と大船渡線は BRT になったため、仙台駅発着は難しい。 そもそも全長 163km もあれば、乗客に都合の良い時間に合わせた区間運転を設定するほうが親切というものだ。 しかし、全長 163km の「リアス線」で直通列車が走ったら、乗りたいと思う人は筆者だけではないだろう。 八戸線も組み入れて、盛 - 八戸間。JR 東日本からちょっといい車両を借りて走らせる。 三陸鉄道が最近流行りの観光列車を作る。 いろいろと妄想がはかどる。 2018 年度開業だから、実際の運行開始は 2019 年春のダイヤ改正からと予想する。 あと 1 年ちょっとである。 運行開始に向けた新しい情報に期待しよう。 (杉山淳一、MyNavi = 12-29-17) === 被災地へのアクセス === 海自の大型輸送艦、仙台港に 灯油・水・食料など積載 東日本大震災による津波で被害を受けた仙台市の仙台港高松埠頭(ふとう)に 19 日朝、海上自衛隊で最大の輸送艦「おおすみ」が入港し、救援物資が陸揚げされた。 積み荷は、飲料水やアルファ米、レトルト食品など。 被災地で不足している灯油もドラム缶 80 本分を運んだ。 福島第一原発のある福島県の沖合で活動する自衛隊員のために、防護マスクも積んでいる。 「おおすみ」は共同訓練のためインドネシアに向かっていたが、震災発生で急きょ帰国。 港湾施設への着岸が可能であれば、今後も物資輸送を続けるという。 (asahi = 3-19-11) ◇ ◇ ◇ 静岡空港拠点の FDA、医師や医薬品輸送へ特別便 静岡空港を拠点にする航空会社フジドリームエアラインズ (FDA) は 18 日、19 日と 21 日に静岡 - 花巻の特別便を 1 往復ずつ運航すると発表した。 静岡県の医師ら約 40 人の移動と医薬品の輸送のため。 2009 年 7 月に新規就航した FDA が災害救援で運航するのは初めて。 (asahi = 3-18-11) ◇ ◇ ◇ 東北新幹線の被害 1,100 カ所 「復旧長期化」と JR 那須塩原以北で運転が止まっている東北新幹線の被害は、大宮 - いわて沼宮内間約 500 キロで、計約 1,100 カ所に上ることが 17 日、分かった。 JR 東日本は「範囲が広い上、社員も多く被災しており、復旧にはかなりの時間がかかる」と説明している。 電柱の損傷が約 470 カ所、架線切断が約 470 カ所、高架橋の損傷約 100 カ所など。 2004 年の新潟県中越地震で脱線事故が起きた上越新幹線は、全面復旧まで約 2 カ月かかった。 この時はトンネル崩落が復旧工事長期化の一因になったが、今回はなかったという。 東北新幹線は 15 日に東京 - 那須塩原間で運転を再開。 上越、長野の両新幹線は全線で運転している。 秋田新幹線は盛岡 - 秋田の在来線区間で 18 日に再開する予定。 (kyodo = 3-17-11) ◇ ◇ ◇ 駅舎・橋げた流失 … 東北の全 67 在来線、復旧めどたたず JR 東日本は 16 日、全 67 在来線の被災状況を発表した。 橋げたの流失は八戸線(岩手県洋野町)、山田線(同県宮古市)、気仙沼線(宮城県気仙沼市)の計 3 カ所を確認。 駅は常磐線坂元駅(同県山元町)など計 3 駅が流され、線路の盛り土の流出や変形などが約 100 カ所あった。 同社によると、被害が大きかった太平洋側は道路が寸断されて調査ができていない路線もあり、「被害の全容がつかめておらず、運転再開には相当な時間がかかる」としている。 (asahi = 3-16-11) ◇ ◇ ◇ バイクやヘリで物資、防疫にも力 スマトラ沖地震活動例 【バンコク = 藤谷健】 東日本大震災の被災地では食料や燃料不足が深刻化している。 死者・行方不明者が 20 万人超、被災者 200 万人以上にのぼった 2004 年 12 月のスマトラ沖大地震・津波でも、水や食糧の不足に直面。 遺体の捜索も難航した。 当時どのような救援活動が展開されたのか。 最大の被災地だったのがインドネシア西部のナングロアチェ州。 主要道路が寸断され、運搬用のトラックや車なども流されてしまった。 緊急食糧支援を担当した国連の世界食糧計画 (WFP) は、協力協定を結んでいた大手宅配会社から提供を受けた倉庫やトラックをフル活用し、ピストン輸送した。 だが交通が遮断され孤立化した西岸地域では、港も破壊されていた。 このため食糧などを積載した船を沖合に停泊させ、はしけで荷揚げし、バイクや徒歩で運んだ。 各国軍のヘリコプターによる食糧投下も行われた。 沖合に停泊した米空母を拠点に、食糧を積み内陸部などに向かった。 ただ現場では食糧の取り合いになる場面も見られ、老人や女性、子供など弱者にきちんと届いたかどうか疑問の声もあがった。 一方で、山あいなどでは支援の届かない「真空地帯」も生じた。 また、避難所にいる住民には食糧や衣類などが配布されたが、自宅や親類の家などに身を寄せる人たちまで行き届かない例も見られた。 都市部では、多数の遺体を収容するのに時間がかかった。 多くががれきに埋もれ、それを撤去するための人員や重機が不足。 一部ではゾウも使われた。 遺体はひと月以上たってからも見つかり、復旧復興作業が妨げられた。 世界保健機関 (WHO) は、水やトイレ不足などによる衛生悪化から、マラリアやデング熱、コレラ、破傷風の流行を警告。 防疫などに力を入れた結果、感染拡大は避けられた。 一方、途上国での未曽有の災害に、国連機関や国際 NGO などが多数支援に駆けつけた。 国連人道問題調整事務所 (OCHA) が中心に調整したが難航し、支援の重複などが起きた。 また NGO が支援を約束しながら、実行しない例も少なからず見られた。 津波が奪ったのは、インフラだけではなかった。 地方公務員や建設業者、教員などの人材が多く失われたことも、復旧・復興を遅らせる一因となった。 (asahi = 3-16-11) ◇ ◇ ◇ 通行可能な道路、カーナビ情報から作成し提供 ホンダ ホンダは米グーグルと協力して、東日本大震災の被災地域(岩手、宮城、福島、青森、秋田、山形)の地図情報をインターネット上で提供している。 被災地を通る道路が通行できるかどうかを分かりやすく表示し、支援活動に役立ててもらう狙いだ(アドレスは、http://www.google.co.jp/intl/ja/crisisresponse/japanquake2011_traffic.html)。 ホンダの会員制カーナビ情報サービス(会員数 = 128 万人)の会員とパイオニアのカーナビを使っている車から集めた走行情報、グーグルが持つ地図データを組みあわせて、24 時間以内に車が通った道路を表示する。 地図上で青く見えるのは車が通った道路で、現在も通行できる可能性がある。 灰色に見えるのは車が通っていない道路。 ホンダこれまでも同様のサービスをグーグルと共同で提供してきたが、大震災を受けて、より簡単に使えるようにシステムを改良した。 (asahi = 3-15-11) ◇ ◇ ◇ 被災地との行き来「日本海ルート」頼り 無理は禁物 東北地方の交通機関は、東北新幹線や仙台空港などが甚大な被害を受け、復旧には一定程度の時間がかかる見通しだ。 被災地と首都圏や関西圏を結ぶ頼みの綱は山形、新潟で動いているバスなどを生かした「日本海ルート」だ。 首都圏などに身寄りのある被災者には避難先へのルートになるが、行政機関や交通各社は「無理な移動は危険。 有効に使って欲しい。」としている。 東北地方ではほとんどの鉄道が動いていない。 山交バス(山形市)は 13 日、山形市と仙台市を結ぶ臨時便を往復 13 本走らせた。 両市間は現在、一般道で 1 時間半程度。 山形市から山形空港(山形県東根市)までは乗り合いタクシーで移動でき、羽田や伊丹行きの日本航空の定期便があるほか、地震後は臨時便も飛んでいる。 山形市内からの高速バスは現在、大阪行きなどは運転を見合わせているが、新潟市との便は通常通り。 新潟からは 12 日夕に再開した上越新幹線で東京に移動できる。 こうした移動手段を山形県がホームページで公表したところ、「問い合わせが殺到している(地域・交通政策課)」という。 同県内は被害が比較的少なかったが、山形新幹線の運転は見合わせている。 バスやタクシーの待ち時間も長くなっている上、山形空港からの航空便は満席も出ている。 山形県の鶴岡、酒田両市、羽田空港に定期便を持つ庄内空港も日本海側の移動拠点になっている。 JR 羽越線は酒田以南で 12 日夕から運転を再開し、酒田 - 新潟間で特急「いなほ」が走り始めた。 14 日始発からは酒田 - 秋田間も再開する予定だ。 秋田新幹線の運休が続く中、JR 秋田支社には「どうしたら東京まで行けるのか」という問い合わせが増えているという。 同支社は「日本海経由で東北と東京をつなぐルートを確保したい」としている。 だが、日本海と東北地方内陸部は、鉄道ではまだつながらない。 酒田から新庄につながる陸羽西線、秋田から新庄、山形、福島をつなぐ奥羽線とも運転再開のめどは立たない。 JR 山形支店は「日本海ルートの社会的使命は承知している。 復旧範囲を少しでも広げていく。」としている。 空港も被害を受けている。 国土交通省によると、東北には空港が九つある。 このうち、津波で滑走路が冠水した仙台空港では復旧の見通しが立っていない。 ターミナルビルの天井が損傷した花巻空港(岩手県花巻市)も定期便の受け入れを中止している。 同空港は 17 日から定期便の運航を再開する予定で、臨時便の受け入れは「検討中」としている。 東北以外では、茨城空港もターミナルビルが損傷し、定期便の運航を停止していたが、14 日から再開することを決めた。 (asahi = 3-14-11) ◇ ◇ ◇ 東北新幹線、早期復旧は困難 栃木以北の状況把握難航 東北新幹線は福島、宮城各県などで設備の損傷が多数見つかり、秋田、山形の両新幹線とともに 12 日も終日運転を見合わせた。 13 日は、首都圏の在来線の多くと上越、長野新幹線で始発から通常通りの運転が再開するが、東北地方では被害がひどく、再開の見通しが立っていない。 東北新幹線では、栃木県より北の被害状況の把握が難航している。 「那須塩原駅より先は、設備点検に着手した段階。 把握には相当な時間がかかる。」 JR 東日本は 12 日夕、こうした認識を示した。 JR 東によると、東北新幹線で 12 日夕の段階で点検をほぼ終えたのは、被害が少なかった大宮 - 那須塩原間だけ。 それでも小山駅で架線を支える柱が 3 本折れたり、小山 - 宇都宮間と那須塩原駅で高架橋の柱にひびが入ったりと、不具合が次々見つかった。 より被害が大きいとみられる福島、宮城、岩手各県での調査は進んでいない。 これまでに郡山駅付近で高架橋の柱のコンクリートのはがれなどを確認しているが、全容把握にはほど遠い状況だ。 JR 東の各地の支社は、社屋の被災や停電で連絡がとりにくいところも出ている。 立ち入り禁止区域のため現場に近づけないことも多く、苦戦しているという。 本社担当者は「復旧にかかる時間は全く見通しがたたない。」と話す。 同新幹線では、地震発生直後に仙台駅で脱線した試験用車両について「停車中」としていたが、その後の調査で、ホームに入線しようと減速運転中だったことも判明した。 東北地方の在来線では、12 日朝の段階で乗務員と連絡がとれない列車が計 4 本あると発表したが、夕方までに所在が確認された。 同社や国土交通省によると、乗客と乗員の安全が確認されたという。 空の便も、羽田や仙台の各空港発着便を中心に、12 日も欠航が相次いだ。 日本航空は国内線 130 便、国際線 17 便を欠航。 約 2 万 3,400 人に影響した。 全日空も国内線 52 便、国際線 32 便を欠航し、約 9,500 人が影響を受けた。 スカイマークは茨城発着便など 49 便が欠航し、約 5,500 人に影響が出た。 国交省によると欠航は計 676 便に上った。 仙台空港の閉鎖を受け、日本航空や全日空、エア・ドゥなどの航空各社は周辺空港への臨時便の運航を 12 日から始めた。 仙台空港は滑走路が浸水し、再開の見通しが立たない。 ターミナルビルの天井が落下するなどしたいわて花巻、茨城の両空港では定期便の運航を取りやめている。 日本航空は 13 日に仙台空港を発着する予定だった国内線 24 便の欠航を決定。 代わりに羽田や大阪(伊丹)から東北方面に向かう臨時便を運航する方向で検討している。 韓国・仁川と釜山発成田行きの 2 便も欠航する。 全日空も仙台発着便を中心に国内線 33 便を欠航する。 東日本高速道路は、関東と東北を結ぶ東北道は浦和 IC (埼玉) - 碇ケ関 IC (青森)で、常磐道は三郷 JCT (埼玉) - いわき中央 IC (福島)で、磐越道はいわき JCT (福島) - 津川 IC (新潟)で、救助や災害復興に向かう緊急車両に限って通行を認める。 一般車両の通行止めは当面、継続される。 電気や水道も復旧が思うように進んでいない。 東北電力によると、東北地方では全域的な停電が続き、12 日午後 9 時現在で延べ約 474 万戸に影響した。 (asahi = 3-12-11) |