三菱ジェット、ホンダジェットと明暗分けた「鉄則」 三菱重工業が国産初のジェット旅客機の事業化を事実上、凍結する。 日本の製造業再興の夢を乗せた国産ジェット機産業創生の大望は、はるかに遠のいた格好だ。 三菱ジェットはなぜつまずいたのか。 背景を探れば、航空機開発の「鉄則」に背いた迷走劇が浮かび上がる。 三菱重工の泉沢清次社長は 30 日、「開発活動はいったん立ち止まる」と表明した。 事業化に必要な認証取得に向けた事務作業は続けるものの、取得に不可欠な試験飛行は行わない。 事業化は事実上、無期限延期となる。 国産ジェット機事業は行き詰まった。 12 年前の「予言」は最悪の形で現実のものとなってしまった。 「航空機生産は官民にとって長年の悲願。 基幹産業の一翼を担っていきたい。」 2008 年 3 月、三菱重工の佃和夫社長(当時)はジェット機の事業化を決めた際の記者会見でこう強調した。 ただ、その決断にいたる過程では「失敗すれば数千億円規模の損失になりかねない」とも話し、巨大プロジェクトに潜むリスクに身構えていた。 それから 12 年 - -。 最近では旧知の財界人などに対して「失敗」を認める発言を繰り返していたという。 1 兆円規模にのぼる開発費をつぎ込みながら、三菱ジェットの翼を世界の空に羽ばたかせる夢は、風前のともしびとなった。 ジェット機を担う子会社の三菱航空機(愛知県豊山町)は 20 年 3 月期に 5,269 億円の最終赤字を計上した。 失敗の理由を数えればいくつもあるだろう。 1973 年に生産が終了したプロペラ機「YS-11」以来、技能が途絶えてしまったツケは大きい。 この間、三菱重工をはじめ航空機関連メーカーは米ボーイングなどへの部品供給やライセンス生産の域を出なかった。 100 万点もの部品からなる航空機全体を開発・生産する作業は次元が異なる。 空白の 30 年の代償があったのは、航空機造りの現場だけではない。 例えば、航空機を商業化する際に必要な「型式認証 (TC)」。 世界の航空機産業では生産地主義を取り、飛行機を造る国の当局から認証を取り、世界各国に追認してもらう流れを取る。 日本では YS-11 以来、TC を取る必要がなかったため、三菱重工が事業化を決めた時点で「国土交通省には知見のある人が 4 人しかいなかった(三菱重工 OB)」という。 三菱重工ならではの失策があったことも事実だ。 見逃せないのが人事を巡る迷走だ。 ■ ホンダジェットと三菱ジェットの明確な違い この点でホンダジェットの教訓が参考になる。 同じジェット機と言っても 8 人乗りとサイズが全く異なるため、両者の単純比較は難しい。 だが、あえてホンダを例に挙げるなら、三菱重工との明確な違いが一つだけある。 そもそも全く知見のない状態からスタートしたホンダが、30 年もの月日をかけて 15 年に事業化できた背景には、ある不文律が存在するのだ。 「飛行機作りにはジーザス・クライストが必要だ。」 飛行機の「神」。 つまり全権を握る存在が不可欠という意味だ。 これはホンダジェットの開発リーダーである藤野道格氏が、飛行機設計のノウハウをたたき込まれた米ロッキード(現ロッキード・マーチン)の技術者から教わった言葉だ。 ロッキードには「神」がいたという。 それがケリー・ジョンソン氏。 通称、JC ケリーだ。 JC はジーザス・クライストの略である。 ロッキードの精鋭部隊「スカンクワークス」の創設者だ。 後にステルス戦闘機を開発し、JC ケリーの後を継いだベン・リッチ氏は初めてスカンクワークスに足を踏み入れた時のことを「この世界は一人の男、ケリーを中心に回っていることが分かった」と回想している。 実際、スカンクワークスにはすべての連絡事項を JC ケリーに集め、全権を持って決定するための「14 カ条のおきて」が存在したという。 これはなにもロッキードだけの流儀ではなかった。 米航空機の雄、ボーイングが第 2 次大戦後に確固たる地位を築く立役者となったのがジョー・サッターという技術者だった。 超大型機「747」の開発者としても知られ、ボルト 1 本の設計さえサッターの許可が必要だったと言われている。 さすがに電動化が進み素材も多様化した現代の航空機作りではそこまで絶対的な存在を置くのは不可能だろう。 だが、プロジェクト全体を指揮する絶対権限を持つリーダーを置く必要はある。 重要なのは、リーダーを頻繁に変えないことだ。 ホンダの場合、藤野氏が 30 年間、一貫してジェット機開発のリーダーとして君臨してきた。 藤野氏は JC ケリーの哲学を取り入れるため、2 つのルールを自らに課した。 一つは、無駄な全体会議を廃し自分に情報が集まるようにする。 もう一つは「一度決めたら蒸し返さない」だった。 ホンダジェットの開発は米国で進められたが、東京の本社は社長が代替わりしても口出し無用を貫いた。 ■ 三菱重工、リーダーを頻繁に変更 翻って三菱重工はどうか。08 年に開発が始まってから約 10 年で、三菱航空機の社長を 5 人もすげ替えてきた。 迷走が顕著となってきたのは、15 年に 4 代目社長として森本浩通氏が就任した頃からだろう。 森本氏は火力発電プラントの海外営業が長い。 直前も米国法人の社長としてニューヨークに駐在していた。 つまり全くの門外漢だ。 「突然、宮永さんに通告された時は正直、冗談かと思いましたよ」と当時回想していたが、無理もない。 13 年に三菱重工の社長に就任した宮永俊一氏にとって森本氏の起用は、独立心が強くプライドが高いことで知られる航空・防衛部門をけん制する狙いがあった。 根城の名古屋航空宇宙システム製作所は「名航」と呼ばれ、三菱重工の社長も輩出してきた。 三菱航空機でも航空・防衛畑出身の社長が続いたが、機械畑の宮永氏はジェット開発の掌握のため門外漢をあえて起用した。 森本体制で 15 年 11 月に初飛行に成功したが、その 1 カ月後に主翼の強度不足という致命的な欠陥が発覚し、4 度目の納入延期に追い込まれる。 すると宮永氏はわずか 2 年で首をすげ替えた。 後任には航空・防衛畑の水谷久和氏を据えた。 名航にとっては「大政奉還」と言えたが、これがさらなる迷走を助長した。 宮永氏は 16 年 11 月に MRJ 事業を CEO 直轄体制に切り替えると、外国人技術者の活用を拡大した。 18 年にはカナダ・ボンバルディア出身のアレクサンダー・ベラミー氏を開発トップに任命。 ベラミー氏の下で外国人の専門家は次々と採用された。 実質的に現場の権限を名航から奪ったのだ。 ただ、ベラミー氏はもともと認証取得作業のための専門家として雇われた技術者だ。 名航とお雇い外国人チームの「2 つの三菱ジェット」をまとめきる力はなかったようだ。 6 度目の納入延期となり、ベラミー氏は 20 年 6 月、わずか 2 年で退任を余儀なくされた。 戦後の日本は電機と自動車という二大製造業が経済をけん引してきた。 両者と比べてもとりわけ関連産業の裾野が広い航空機の創生は、冒頭の佃氏の言葉を引用するまでもなく、産業界にとっての悲願だった。 それが、大企業に染みついた論理が原因でしぼんでゆくのは、あまりにさみしい結末と言わざるを得ない。 (編集委員 杉本貴司、nikkei = 10-30-20) 三菱航空機、北米 2 拠点を閉鎖 数百人規模を削減 三菱重工業は開発中のジェット旅客機「スペースジェット」事業を手がける子会社の三菱航空機(愛知県豊山町)が北米に持つ 3 拠点のうち、2 拠点を閉鎖する方針を決めた。 閉鎖により数百人規模の人員を減らす計画だ。 三菱重はグループ内でスペースジェットの開発計画を大幅に見直す方針を決めている。 国内の開発体制の縮小に合わせて海外も見直しを急ぐ。 閉鎖するのは三菱航空機がワシントン州レントンに持つ米国本社と、カナダのケベック州で設計などの機能を持つ事務所の 2 カ所。 ワシントン州モーゼスレイクにある試験飛行の拠点は残すが、試験を実施する人員などは大幅に減らす。 米国本社とカナダの事務所はスペースジェットの運航開始を見据え、2019 年に開設したばかりだった。 閉鎖する 2 カ所のオフィスには数百人程度の従業員がいるもよう。 日本などへの配置転換も計画しているが、地元の雇用にも影響しそうだ。 スペースジェットは技術的な問題などで開発が遅れているうえ、新型コロナウイルスの影響で今後の需要の不透明さが増している。 三菱航空機は国内で 1,500 人程度いる人員を今後半減させると決めており、海外でも拠点閉鎖や人員削減などの具体策に着手する。 開発中の 90 席クラスの初号機は 21 年度以降に納入を予定していたが、量産を中断。 23 年をめどに納入を予定する 70 席クラスの次世代機の開発も現在、中断している。 (nikkei = 5-25-20) 三菱重工 国産ジェット開発計画 大幅見直しへ 国産初のジェット旅客機を開発している三菱重工業は、開発の遅れで業績に大きな影響が出ていることから、70 席クラスの機体の開発を当面見合わせるなど、開発の計画を大幅に見直す方針を固めました。 新型コロナウイルスの感染拡大で今後の航空機需要が不透明となる中、開発は厳しい状況に直面しています。 関係者によりますと三菱重工は、子会社が進めている国産初のジェット旅客機「三菱スペースジェット」の開発計画を大幅に見直す方針を固めました。 具体的には、型式証明の取得に向けてすでに飛行試験を行っている 90 席クラスの機体は、量産機の製造を先送りします。 また、今後主力として開発を予定していた 70 席クラスの機体は、当面開発を見合わせるということです。 三菱重工は、ジェット旅客機の開発の遅れによってことし 3 月期の決算で多額の損失を計上し、本業のもうけに当たる「事業損益」が 20 年ぶりの赤字に転落しました。 加えて、新型コロナウイルスの感染拡大で今後の航空機需要が不透明になっています。 こうしたことから会社は、今年度の開発費を従来の半分程度のおよそ 600 億円に減らす方針を決めていて、開発計画を見直すことになりました。 これによって「2021 年度以降」としていた初号機の納入時期は一段と不透明になることになり、国産初のジェット旅客機の開発計画は厳しい状況に直面しています。 (NHK = 5-22-20) 三菱重工、最大 700 億円減損 21 年 3 月期 ボンバル事業買収で 三菱重工業は 7 日、カナダのボンバルディアから買収する小型旅客機「CRJ」の保守部門などをめぐり、2021 年 3 月期に 500 億 - 700 億円程度の減損損失を計上する見通しだと発表した。 新型コロナウイルスの感染拡大で将来収益の見積もりが困難になったため、三菱重工の小型機「スペースジェット(旧 MRJ)」事業に配分するのれんの全額を減損する。 CRJ の保守、カスタマーサポート、型式証明などを 6 月 1 日付で買収する。 米国とカナダのサービス拠点などを引き継ぎ、新たに設立する企業グループ「MHIRJ アビエーショングループ」の下で業務を開始する。 三菱重工は昨年 6 月、CRJ 事業を約 590 億円で買収すると発表していた。 ボンバルディアは小型旅客機事業から撤退し、ビジネスジェットや鉄道に経営資源を集中する。 (nikkei = 5-7-20) 三菱重工、スペースジェット事業で特別損失 1,754 億円 三菱重工業は 6 日、開発を進める国産初のジェット旅客機「スペースジェット(旧 MRJ)」の事業が想定した収益を見込めないとして、同事業に関する損失 1,753 億円を 2019 年 4 - 12 月期決算(国際会計基準)に計上したと発表した。 スペースジェットに関連した減損処理を発表するのは初めて。 初号機の納入時期を 21 年度以降に先送りすることも発表し、開発の遅れが業績に大きく影響を与え始めた。 20 年 3 月期ではスペースジェットの損失額は 2,700 億円に膨らむ。 業績予想の純利益は当初の 1,100 億円から 1 千億円に引き下げた。 将来の利益を前提に税金の前払い分を資産に計上する「繰り延べ税金資産」を計上し、スペースジェット事業の特別損失と相殺したことで純利益を確保した。 スペースジェットをめぐっては、機体の安全性を政府に担保してもらう型式証明の取得が難航しており、納入時期は当初の 13 年から繰り返し延期されている。 直近は 20 年半ばの納入を目指していたが、開発の遅れから 6 度目の延期を迫られることになった。 納入時期の延期に伴い、事業の収益性を見直した結果、巨額の損失を計上した。 三菱重工はこれまでスペースジェットの事業に 6 千億円以上を投じており、投資を回収するために 20 - 30 年間で 1,500 機程度を販売する必要がある。 だが、現時点の受注残高は 307 機にすぎず、投資回収の見込みは立っていない。 納入時期の延期によって投資回収の見込みはさらに不透明になりかねない。 (asahi = 2-6-20) スペースジェット、6 回目の納入延期へ 販売計画影響も 国産初のジェット旅客機「スペースジェット(旧 MRJ)」について、開発する三菱航空機は納入を延期する方針を固めた。 これまで「2020年半ば」を掲げていたが、来年以降に遅らせる。 納入の延期は 6 回目となる。 度重なる納入延期で、航空会社からの受注キャンセルや投資回収計画の遅れが懸念される。 親会社、三菱重工業の第 3 四半期決算会見が予定されている 2 月上旬にも表明する見通し。 スペースジェットをめぐっては、最新の設計変更を反映した試験機が今月完成。 安全性を高めるために電子機器や配線のレイアウトを変更したが、完成は当初の計画より半年遅れた。 そのため、当局から安全性のお墨付きである型式証明 (TC) を得るために米国で続けている飛行試験のスケジュールも遅れたことが響いたとみられる。 スペースジェットは 08 年に正式に開発を始めた、小型のジェット旅客機。 旧名称の「MRJ」はミツビシ・リージョナル・ジェットの頭文字だったが、「客室が狭い」というイメージを刷新するため昨年 6 月に改名した。 当初は 13 年に初号機を全日本空輸 (ANA) に納入する計画だった。 ところが、安全性を確保するための設計変更やソフトウェアの改修などが続き、これまで納期を計 5 回延期していた。 最新の試験機の完成が遅れたのは、部品の調達に時間がかかるなどしたためで、三菱重工の泉沢清次社長は昨年 11 月、「スケジュールを精査している」と述べ、納入延期に含みをもたせていた。 最新の試験機は現在、愛知県で地上試験を行っている。 今後、TC を取得するために米国で続く飛行試験に投入する。 スペースジェットは 300 機ほどを受注済み。 昨秋には米航空会社から受注していた 100 機がキャンセルされるなど、開発の遅れが販売計画にも影響を及ぼしており、6 千億円を超えるとされる投資費用の回収に向け、ハードルがさらに高まるのは必至だ。 (初見翔、asahi = 1-24-20) 開発中の小型ジェット旅客機「スペースジェット」の最終試験機が姿現す "深夜の移動" の目的は? ![]() 開発が進む国産の小型ジェット旅客機「スペースジェット」の最終試験機が、6 日深夜に組み立て工場の外に姿を現しました。 開発の遅れが懸念される中、「ある場所」へと移動するためでした。 移動翌朝から県営名古屋空港で始まった地上試験 一夜明け、エンジンの性能などを確認する「地上試験」が県営名古屋空港で 7 日から始まったのです。 「スペースジェット」を開発する三菱航空機の水谷久和社長は「最終フェーズに向け大きく進捗することとなります」とのコメントを出しました。 スペースジェットは当初、2013 年に初号機が納入される予定でしたが、度重なる設計変更など、開発が難航し 5 度の納入延期に 最終試験機の完成も遅れていたことから、最近では「6 度目の延期があるのでは」と取りざたされています。 県営名古屋空港周辺での飛行試験経てアメリカへ 型式証明取得の鍵を握る最終試験機 こうした中、ようやく完成した「最終試験機」。 今後、県営名古屋空港周辺で行われる「飛行試験」を経て、機体の安全性を担保する「型式証明」を取得するため、アメリカで続いている「飛行審査」に組み込まれる予定です。 開発は正念場 初号機の納入期限は、2020 年半ば。 今度こそ間に合うのか。 スペースジェットの開発は「正念場」を迎えています。 (メーテレ = 1-7-20) スペースジェット「6 度目の延期」も現実味 前向き会見もむしろ「厳しさ」浮き彫り 国産初のジェット旅客機「スペースジェット(旧 MRJ)」の納入がまた遅れるおそれが出てきた。 同機を開発する三菱航空機は 2019 年 12 月 20 日、名古屋市で開発の進捗状況を説明する記者会見を開き、2020 年半ばを予定している初号機の納入時期について、水谷久和社長が「依然として厳しい状況であることに変わりない」と述べ、ギリギリの状況にあることをにおわせた。 関係者からは「6 度目の納入延期は不可避では」との声も漏れ聞こえる。 10 月の会見から「後退」 スペースジェットは当初、2013 年に全日本空輸 (ANA) への納入を目指していたが、開発遅れでこれまで 5 回にわたり納入時期を延期している。 現在は運航に必要な「型式証明」と呼ばれる航空当局の認証取得に向け、米国で国土交通省のパイロットが乗り込んでの飛行試験を実施中。 これまでに 3,000 時間以上の試験が終了し、一般的に型式証明取得に必要とされる 2,500 時間を突破した。 当初は国土交通省や米連邦航空局 (FAA) などから、2019 年のうちに型式証明取得を目指す意向を示していたが、そのスケジュールは頓挫したことになる。 取得遅れの要因は、新設計の試験機(10 号機)の完成遅れだ。 10 号機は飛行制御機器の配置変更などの設計変更をしたうえで、2019 年秋から飛行試験を始める予定だったが、いまだ完成のメドが立っていない。 親会社である三菱重工業の泉沢清次社長は 10 月下旬の記者会見で「(2020 年の)年明けには飛ばしたい」とコメントをしたが、水谷社長は 12 月 20 日の会見で「スケジュール全体を見直している中で、10 号機をいつ出せるかについても言える状況にはない」と説明し、後退してしまった。 強気の姿勢は崩さなかったが … 会見に同席したアレックス・ベラミー最高開発責任者は「これまでの試験機はいわば『プロトタイプ(試作品)』で、型式証明を取るのにふさわしい機体ではなかった。 新設計の試験機は 2017 年以降に行った数々の改良により、型式証明を取れる機体になった」と説明。 「民間航空機をつくれる国は世界に多くないし、つくれる企業も多くない。 いま日本と三菱航空機は、そのわずかな国と企業になろうとしている」と強気の姿勢を崩さなかった。 だが、納期があと半年余りに迫るなか、まだ型式証明が取れていないということは、スケジュール的に追い込まれていることに間違いはない。 会見では「いつまでに型式証明が取れる見通しなのか」との質問に、水谷社長は「試験は当局が行うもので、いつごろ取得できるかということは、我々から言えるものではない」と答えるばかり。 むしろ 2020 年半ばという見通しが厳しいことを浮き彫りにした記者会見だった。 (J-cast = 1-4-20) 三菱航空機、国の試験公開 スペースジェット最終関門 国産初のジェット旅客機「スペースジェット(旧 MRJ)」を開発中の三菱航空機は 10 日(日本時間 11 日)、国土交通省が審査する安全性試験の状況を、米ワシントン州モーゼスレイクの拠点で報道陣に公開した。 試験は、運航に必要な「型式証明」と呼ばれる認証取得への最終関門となる。 開発が難航し、来年半ばを掲げる初号機納入は 6 度目の延期も取り沙汰される。 この日は曇天のため飛行を取りやめ、滑走路での走行試験にとどめたが、試験拠点の岩佐一志センター長は「改善を重ね、安全に効率的に飛ばせるようになってきた」と述べ、早期の認証取得を目指す意向を強調した。 型式証明の試験は今年 3 月に始まった。 90 席級のモデルを用いて霧や吹雪、酷暑など多様な環境下で飛行し、計器の動作などを確認している。 (kyodo= 12-11-19) 三菱航空機、カナダに設計拠点を開設 開発テコ入れ 三菱重工業傘下の三菱航空機(愛知県豊山町)は民間旅客機「スペースジェット(旧 MRJ)」の開発体制を強化するため、カナダのモントリオールに設計拠点を開設する。 商用飛行に必要な型式認定 (TC) 取得に向け米国で試験飛行を続けているが、顧客への納入は 5 度延期している。 現地技術者を増やして遅延の巻き返しを図る。 スペースジェット(旧 MRJ)は納入延期を繰り返している。 三菱航空機は開発拠点として愛知県のほか、米ワシントン州のレントン、試験拠点として同州モーゼスレイクに拠点を持つ。 米ではボーイングなどとの人材獲得競争が激しいが、カナダではボンバルディアが民間旅客機事業を縮小しており、技術者が獲得しやすいと判断した。 三菱航空機は開発中の 90 席クラスの「スペースジェット M90」について 2020 年半ばの初号機納入を目指している。 一方で後継機種として米規制に対応した 70 席クラスの「M100」を開発して北米市場に投入する方針だ。 今後の同市場での事業展開もにらみ開発体制を強化する。 スペースジェットは 08 年 3 月に事業化を決定したが、開発遅延が続いている。 親会社の三菱重工は三菱航空機の資本増強に踏み切るとともに、ボンバルディアの小型機「CRJ」の事業買収で合意し、機体の補修拠点を用意する方針などてこ入れを進めている。 (nikkei = 9-19-19) 三菱航空機、米社から 100 機受注へ協議 三菱重工業傘下の三菱航空機(愛知県豊山町)は 6 日、開発中の民間旅客機「スペースジェット M100」について、米航空会社から 100 機の受注に向けた協議を始めたと発表した。 スペースジェットの開発は 5 度延期が続き、正式な受注を停止しているが、先行して商談を進める。 米規制に対応した 70 席クラスの M100 の大規模な受注協議は初めて。 2024 年の納入開始を目指す。 米国でユナイテッド航空などから地域運航を委託されているメサ航空と覚書を締結した。 現状のスペースジェットの価格は 40 億 - 50 億円を想定しており、すべて受注した場合は 4,000 億円超の取引となる可能性がある。 6 月にも別の北米の会社から 15 機の覚書を締結している。 受注が確定すれば 3 年ぶりとなる。 三菱重工はカナダのボンバルディアの小型機「CRJ」の買収を決めている。 CRJ を使って北米を中心に運航する航空会社も多いことから、近く生産中止となる同機種の代替需要を取り込む。 スペースジェットは当初「三菱リージョナルジェット (MRJ)」の名称で開発が始まったが、「スペースジェット」に名称を変更した。 地域運航用の機体ながら、室内空間を広く取ったのが特徴だ。 当初から開発中の 90 席クラスの「M90」は運航に必要な型式認定取得に向け試験飛行中で、20 年半ばの納入を目指している。 (nikkei = 9-6-19) 三菱スペースジェット(旧 MRJ)、中国製やブラジル製に勝る "ウリ" が何ひとつない 三菱航空機の「MRJ」が「スペースジェット」と名前を変え、ボンバルディアのリージョナルジェット機「CRJ」事業を買収することになった。 さまざまな困難に直面し、経営戦略の立て直しに迫られた結果の通過点といえるが、これによって国産初のジェット旅客機事業は成功するのか、あるいは「YS-11」の二の舞になるのかを検証してみたい。 小型化に方針転換した理由 MRJ はこれまで 90 席仕様の MRJ90 の開発を優先して、米国での型式証明を取得することに力を入れてきた。 しかし、ここにきて 70 席クラスの機種の開発を優先させ、航空会社からの発注があれば 2024 年からの引き渡しができるよう戦略の変更を行った。 その理由は北米市場での特殊な事情があるからだ。 「スコープ・クローズ」と呼ばれるリージョナル機の座席数や最大離陸重量を制限する米国内での労使協定によって、設計変更を余儀なくされたからだ。 その協定は、一般ジェット旅客機とリージョナルジェットの線引きをすることで民間航空のパイロットの待遇を守ろうという目的で結ばれたものである。 そのため、MRJ はこれまでの 90 席から急遽 70 席クラスに力を注いで名称も「space jet M100」に、そしてこれまでの 90 席クラスは M90 とした。 MRJ からスペースジェットへの名称変更は、イメージチェンジを図るもの以外の何物でもないが、私はこれについては関心がない。 なぜ 70 席クラスに落としたのに名称を「M100」としたのかは、M70 とするとイメージダウンと考えたからではないか。 さて、開発から十数年もたち、5 度の納入時期の変更を伴っているのは米国での型式証明取得に相次ぐ設計変更を余儀なくされていることもあるが、労使間の「スコープ・クローズ」という協定の存在と行方を知らずに開発を進めてきた失態が追い打ちをかけたものだろう。 この協定では、座席数では最大 1 クラス 88 席までの航空機でないとリージョナルジェットとして認められない。 そしてここにきてボンバルディアの CRJ 事業の買収だ。 その目的は、すでに各国の航空会社に約 1,900 機が納入されている CRJ のネットワークである。 三菱のリージョナルジェットを販売した後の各地での整備、つまりアフターケアをこのネットワークを使って充実させようとするものである。 航空機の開発は機体の設計、開発だけでなく、販売はユーザーに対するアフターケアも大きな要素であることは論をまたない。 MRJ でもサポート体制には力を入れていくと一応言ってきたものの、今回の CRJ の買収劇を見ていると、当初から本当に十分なサポート体制を構築できる計画があったのかと疑わざるを得ない。 ボンバルディア側は航空事業から手を引いて、今後は鉄道事業だけに経営戦略を変更していこうとするなかで、三菱側の CRJ 事業の買収はいわば渡りに船であった。 それだけに三菱側としては、今回の買収によって今後コスト面で経営にどう影響を与えるかという不安材料も加わったかたちである。 最大の競合相手はエンブラエル、しかしライバル以上の存在 ボンバルディアは C シリーズの開発にコストがかさみエアバスに売却、A220 という名称になった。 今般の CRJ の買収によってリージョナルジェットの分野では、主にエンブラエルが残るかたちとなった。 しかし、このような消去法で、スペースジェットのライバルはエンブラエルになったと考えるのは大きな誤りだ。 MRJ の開発当初には CRJ、エンブラエル、それに中国の ARJ などが主な競合相手とみられていた。 しかし CRJ はすでにピークを過ぎ、パイロット仲間のあいだでも特に優れたシステムはなく、進入時のピッチの低さに弱点があるといわれていたくらいだ。 そして、中国の ARJ については後述するが、中国の国内でしっかりとシェアを確保し、価格の安さもあってそこに切り込んでいくのは難しく、その意味で競合相手ではないだろう。 したがって最大の競合相手はエンブラエルであったはずである。 では、三菱はエンブラエルに勝てるだけの優位性を持った機体の設計や価格について、どういう戦略を持っていたのか。 当初 MRJ の優れた点は、燃費がそれまでより約 20% 向上することとされていた。 しかしそれを実現するための P & W 社のギヤードファンエンジンを、エンブラエルの E2 ジェットがすでに搭載してしまったため、この点の優位性はなくなってしまった。 価格面でも、力を注ぐことになった 70 席クラスのスペースジェット M100 と同じクラスのエンブラエル E170 とを比較すると、E170 は 35 億円と M100 の 50 億円前後と比べてもかなり安い。 客室内の居住性についても、スペースジェットは客室内での荷物の収納スペースの広さを売りにしているが、エンブラエルは胴体のダブルバブル構造による頭上の窮屈感の低減を売りとしているため、大差ないといえるだろう。 エンブラエル E170 は革新的な設計 さて、ここまでの話なら今さら驚くような分析でもないかもしれない。だが、ここからが本題である。 ここで私はまず、エンブラエル E170 を日本で導入当初から操縦してきた経験も含め、その特徴について少し述べてみたい。 日本での就航は、2009 年から日本航空 (JAL) グループのジェイエアとフジドリームエアラインズがほぼ同時に始め、当初はともに 76 人乗りの E170 であった。 それまでボーイング 747 で空の人生の大部分を過ごしてきた私は、1 機 250 - 300 億円もする 747 から、わずか 35 億円の E170 へ移行することになったわけで、ある意味安全性や操縦性についてそれほど期待せず、シミュレーター訓練を受けるまで正直よく知らなかった。 しかし、訓練や 3 年間の乗務を経てわかったことは、特に安全面で革新的な設計とオペレーションが導入されていたことだった。 コックピット内の仕様やコリンズ製の自動操縦システムや FMS などは現代のボーイングやエアバスのハイテク機と変わらないが、設計面で随所に工夫がなされているのである。 それはいずれも過去に世界で起きた大事故の教訓を生かしたもので、ボーイングやエアバスではあまり見られないものだ。 たとえば JAL123 便の御巣鷹山での墜落事故では、すべての油圧が失われて操縦不能状態になったが、それを改善すべく一般に油圧で動かす水平安定板(スタビライザー)を電動にして、万が一すべての油圧を失っても最低限のコントロールを残すようにした。 さらには、2000 年 1 月に水平安定板の機械的トラブルによって急降下して海上墜落したアラスカ航空の MD-83 事故を受けて、水平安定板を動かすジャックスクリューをダブル装備したのも初めてのことである。 2013 年の映画『フライト』のモデルになった当事故は、どのようなパイロットでも生還が難しい水平安定板のトラブルが原因であった。 そのほかにも、離陸時の誤操作を発生させないための「ミスブラジル」の女性の音声による警告システム、警報音スピーカーの共用廃止、それにモードの誤操作を防ぐため「窓」と呼ばれるパネルの変更等、実にさまざまなヒューマンエラー防止のための工夫がなされている。 実際、私自身それらを知って日々安心して乗務できたものである。 加えて搭載のゼネラルエレクトリック (GE) 社製の CF34-8 エンジンは性能も良く、トラブルの少なさで際立っていた。 国土交通省が毎年 7 月に発表する国内航空会社の安全上のトラブルの項目を見ると、トラブルの総件数を機材数で割ったもので比較すると、フジドリームエアラインズがもっとも運航上のトラブルが少ない会社としてランクされているのもエンブラエルだけで運航している結果ともいえよう。 エンブラエルはドイツ製と考えたほうがよい エンブラエルは、ボーイングでもエアバスでもない第三極のメーカーを目指している。 それは設計面で独自性を貫き、今までにないユニークなシステムも導入していることからも明らかだ。 そのルーツは戦後ドイツからブラジルに移住してきたドイツのハインケル社の技術者たちにある。 ハインケルは輸送機や戦闘機の分野でさまざまな傑作機を世に出してきた会社であるが、その技術陣がブラジルの地で航空機の製造にかかわることになったのである。 もちろんブラジルも農業国でありながら工業の分野でも十分な力を持っていて、航空機の製造も可能であるが、背後に元ハインケルの技術陣がついていたためにエンブラエルという優れた航空機の出現につながったといってよいだろう。 以上を総合すると、エンブラエルはスペースジェットにとってもはやライバルではなく、それ以上の存在と思って対応したほうがいいだろう。 スペースジェットに「売り」はあるのか 一方、スペースジェットとはどんな航空機なのか。 三菱航空機は 2015 年 11 月の名古屋空港での初飛行の際にも、軍用機中心の製造歴によるものか、航空雑誌のカメラマン等にコックピット内部を見せないというほどの「秘密主義」によって、設計コンセプトや自動化等の詳細がわからないまま推移したのは残念である。 そのため、これまでに公表されている性能表や電子機器がコリンズ製などという限られた情報からコメントせざるを得ないが、スペースジェットには燃費改善や荷物スペース拡大等以外に、ほかのリージョナルジェットより優位に立つ点が見当たらない。 そればかりか、スペースジェットはその翼型によって進入時に CRJ と同様に機首下げの状態になり、天候によっては着陸操作が難しくなる。 また、同じ理由で巡航速度がマッハ 0.78 と遅いこと、さらに最大巡航高度が 3 万 9,000 フィートに制限されていることも決定的にマイナスだ。 というのもパイロットは乱気流を避けるため時に 4 万 1,000 フィートに上昇することも少なくないからだ。 それは国内線や近距離国際線でも同様で、スペースジェットではそれができないとなると、快適性の追求でハンデが生じることになる。 ちなみにエンブラエルは進入時では機首上げ状態で、巡航速度はマッハ 0.82、最大巡航高度は 4 万 1,000 フィートである。 そして私自身最近知ったことだが、スペースジェットには自動着陸装置がないようだ。 それは視界が悪いときに安全に着陸するための必須の装備であるが、自動ブレーキのように後付けが難しく、コストもかかるので、今後どうしていくのか注目したい点だ。 次に、価格の比較に移るが、スペースジェットはさらに厳しい現実がある。 MRJ の価格は約 42 - 53 億円で、最初に全日空 (ANA) に納入する定価は約 51 億 6,600 万円(4,200 万ドル)と伝えられている。 実際には、国産初のジェット旅客機の ANA や JAL に購入してもらおうと、かなりの値引きを提案したといわれている。 それでもエンブラエル E170 の 35 億円、中国の ARJ に至っては 30 億円前後の安さとあって、MRJ は高いという印象はぬぐえない。 ちなみにボーイング 737-800 の価格が約 51 億円といわれていることから、はたしてスペースジェットはリージョナルジェットの価格帯化なのかと疑問視する見方もある。 三菱と日本国民の「上から目線」が迷走の原因 私は 2008 年秋からエンブラエルのパイロット要員として県営名古屋空港にあるジェイエアで勤務を始め、翌 2009 年 3 月より機長として乗務を開始した。 一方、三菱航空機の MRJ 生産開発拠点はジェイエアの会社からわずか数百メートルの地にあった。 そこで私が仮に三菱航空機のスタッフだとしたら、ライバルのエンブラエルのことは当然気になり、それを実際に操縦しているパイロットや会社から参考になる話を聞こうとするはずである。 私は個人的には国産初のジェット機の開発に日本国民の一人として成功を願っていたし、聞かれれば協力したいと思っていた。 たとえば、せっかく日本人を主にターゲットにした航空機を製造するのであるから、2 人乗務のハイテク機の弱点でもある気圧システム(降下時に特に日本人は耳が痛くなりやすい)の改善や、エンブラエルの良いところなどをアドバイスしようと準備していた。 それによって「MRJ は耳にやさしいオペレーションを可能にしました」などと宣伝できれば、大きな「売り」になっていたことであろう。 しかし私を含め、同僚のパイロットやジェイエアの会社にも一切のコンタクトはなく、のちに三菱のスタッフに聞いたところ、「JAL 本社に一度話を伺ったことはある」との話であった。 さて、三菱という会社は気位が高いというのが、業界の一致した見方である。 よもや技術の高さや伝統にあぐらをかき、ブラジル製や中国製の航空機を軽く見ていたのではないか。 そしてそれをバックアップする日本国民もどうであったか。 三菱の「秘密主義」によって MRJ の設計コンセプトや機材内容があまり表に出されていなかったとはいえ、「日本製だからブラジルや中国の製造する航空機よりもレベルは高いはずである」と思い込み、初飛行のときにはやれ雄姿がスマートだとか、騒音も少ないなどとマスコミもこぞって大騒ぎしていたではないだろうか。 テレビでも、冷静にエンブラエルや ARJ、それに CRJ などと比較分析するような番組を目にすることがなかったのを覚えている。 スペースジェットは国産といっても機体の 70% は輸入品で、電子部品なども米国コリンズ製のものをそのまま装着しているだけである。 しかしそれらを使って組み立てても、日本製に変わりはない。 一方、中国の ARJ については MD シリーズのコピーのような形状から、日本ではこぞって "バカ" にする風潮があるが、電子部品などは MRJ 同様欧米の専門会社から取り寄せエンジンも GE の CF34-10 とあって、機体が不安全なレベルとも言い切れないだろう。 そして仮に米国などで型式証明が取れなくても、中国国内や影響のある国々では飛ばすことができる。 中国の航空需要はアジア太平洋地域の 4 割を占めているので、十分にやっていけると踏んでいることだろう。 何しろ ARJ の価格は 30 億円前後と伝えられるように安い。 スペースジェットは北米や中国でも、それなりの受注が見込まれていたはずである。 はたして今となっては、販売上の「売り」が見当たらない状況で今後順調に受注をとっていけるかどうか。 ボーイングが相次ぐ事故によって 737MAX の呼称をやめ、別のネーミングにしようとしているが、同様に MRJ をスペースジェットと名称変更しただけで、世界各国の顧客の目を向けさせることができるか疑問だ。 今求められているのは安全性、快適性、経済性において他社をしのぐコンセプトと技術である。 その答えが出されないまま、今さら国産発のジェット旅客機の開発をやめるわけにはいかないといった論理で突き進むと、どうなるか。 当面は三菱グループの援助で事業の継続はできても、いずれは国の援助も必要となってくるかもしれず、そうなればツケは国民に回ってくることにもなりかねない。 このような現状から今後を見通すと、残念ながら "勝負あり" といえるのではないか。 ただし、もし三菱がスペースジェットについて世界のユーザーに至急「売り」になるような設計や装置の搭載などを進めることができれば、望みもないわけではない。 まとめになるが、MRJ の迷走がどうして起こったのかを考えると私の意見は次のとおりである。 三菱はこれまで多くの航空機を国内向けに製造してきたが、それは JIS 基準を満足すれば良いというものであった。 しかし今般、米国での型式証明取得で国際基準による設計の壁にぶつかることになった。 それはスコープ・クローズ同様、世界の航空界の情報収集の欠如に由来する。 そして次に情報公開を渋る「秘密主義」によって、識者も国民も真実を十分に知らされず、国産初のジェット旅客機は世界でも通用するはずだとマスコミ挙げての一大キャンペーンが繰り広げられたことがアダとなった。 私の周りにも、米国が型式証明を出さないのは日本に対する嫌がらせではないかと言う人も少なからずいる。 こういう意見を聞くと、まさに先の大戦前夜と同じで、なんとも気持ちが悪くなってくる。 三菱という大企業が情報を十分に出さず、国民はただ日本製の航空機は列強に引けを取らないと思い、マスコミは人気に便乗して一大キャンペーンを展開する。 戦後 70 年、日本人の忘れ癖はそう簡単には変わることはできないだろうが、戦後初めての国産旅客機で名機とまでいわれた YS-11 の失敗があったことも、忘れてはならないだろう。 (杉江弘、Business Journal = 8-26-19) 前 報 (6-25-19) |