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政府が総額 21 兆円の経済対策決定 物価高対応が柱、コロナ後で最大 政府は 21 日、減税分などを含めて総額 21.3 兆円規模となる総合経済対策を決めた。 物価高対応を柱に、一般会計歳出は前年度の 13.9 兆円を上回る 17.7 兆円とコロナ禍後で最大となった。 政府は財源の裏付けとなる今年度補正予算案の年内の成立をめざす。 経済対策は 3 本柱で、▽ 来年 1 - 3 月の電気・ガス代の補助や子ども 1 人あたり 2 万円の給付などの物価高対策が、減税分を含めて 11.7 兆円程度、▽ 危機管理投資・成長投資が 7.2 兆円程度、▽ 防衛力の強化が 1.7 兆円程度の規模とした。 減税分として、ガソリン税の旧暫定税率の廃止や、所得税の課税最低ライン「年収の壁」の引き上げで 2.7 兆円程度を見込んでいる。 予備費には 7 千億円程度を積み増す。 対策ではほかに、自治体が独自の施策に使える重点支援地方交付金の拡充に 2 兆円を充てる。 半導体や造船業など戦略分野への支援や、国内総生産 (GDP) 比 2% への防衛費の増額なども盛り込んだ。 高市首相は対策の決定後、記者団に、財源が足りない分は国債発行で賄うとしたうえで、「当初予算と補正予算を合わせた国債発行額は昨年度を下回る見込み」と述べ、財政の持続性への配慮を強調した。 (小木雄太、asahi = 11-21-25)
高市首相トップの「人口戦略本部」月内にも新設へ 人口問題の司令塔 政府は、人口減少問題に対応する司令塔機能として「人口戦略本部」を月内にも新たに設置する方針を固めた。 高市早苗首相をトップとし、閣僚らで構成する。 関係する府省庁ごとに取り組んでいる政策を総括する役割を担う。 複数の政府関係者が明らかにした。 人口減少問題をめぐっては、自民党と日本維新の会の連立合意書で、今の臨時国会中に「人口減少対策本部(仮称)」を立ち上げて対策を実行することを明記。 首相は 10 月の所信表明演説で、人口減少を「日本の最大の問題」と位置づけ「子ども子育て政策を含む対策を検討していく体制を構築する」と表明していた。 政府では、子育て支援や少子化対策、東京一極集中への対応といった人口に関わる政策の担当が、複数の府省庁にまたがっている。 首相は政権発足時、総務相やこども政策担当相らに、関係する閣僚と協力して総合的な対策を検討するよう指示を出した。 (原田達矢、小木雄太、asahi = 11-12-25) 高市内閣の支持率 68% 2001 年以降 3 番目の高さ 朝日世論調査 高市早苗内閣の発足を受け、朝日新聞社は 10 月 25、26 日、全国世論調査(電話)を実施した。 内閣支持率は 68% で、不支持率は 19% だった。 発足直後の支持率としては、2001 年の小泉純一郎内閣以降、3 番目に高かった。 支持率を年代別にみると、30 代で 86% に達するなど 50 代以下で 70% 以上となった。 70 歳以上は 54% だった。 「支持する」と答えた人に、その理由を「首相が高市さん」、「自民党中心の政権」、「政策の面」、「他よりよさそう」の 4 択から選んでもらうと、「政策の面」が 37% で最多だった。 女性首相誕生「よかった」 85% 高市氏は、憲政史上初めての女性首相となった。 日本で女性の首相が誕生したことについて、「よかった」は 85% を占め、「そうは思わない」は 7% だった。 一方、高市政権のもとで、男女の格差をなくす取り組みが進むかどうかを聞くと、「進む」 45%、「進まない」 41% と評価が割れた。 女性の首相誕生を「よかった」と回答した人でも「進む」を選んだ人は 50% だった。 首相の保守的な政治姿勢を「評価する」は 57% で、「評価しない」の 25% を上回った。 「評価する」は 30 代では 80% だったが、70 歳以上では 40% にとどまった。 首相の経済政策に「期待できる」は 65% で、「期待できない」は 25% だった。 内閣発足にあたり、自民党と公明党の連立政権が解消し、自民と日本維新の会の連立政権ができた。 一連の動きについて、「よかった」は 59%、「よくなかった」は 20% だった。 首相は、派閥の裏金問題に関与した国会議員を副大臣や政務官、党役員に起用。 自維連立政権をめぐる協議では、企業・団体献金の見直しは事実上、先送りされた。 自民は「政治とカネ」の問題を繰り返してきた体質を「変えられる」が 23% なのに対し、「変えられない」は 69% にのぼった。 政党支持率は前回 9 月調査と比べて、自民が 26% から 30%、維新は 2% から 5% に上がった。 参政は 8% から 4% に下がった。 他の政党はほとんど変化はみられず、立憲 5% → 5%、国民民主 7% → 6%、公明 2% → 2%、れいわ 2% → 2%、共産 2% → 2%、保守 1% → 1% などだった。 (君島浩、asahi = 10-26-25) 合従連衡時代の高市首相誕生 「穏健保守」問われる時 朝日新聞政治部長 戦後 80 年を迎えた日本政治は、多党化の中で新たな再編含みの合従連衡時代に入った。 自民党と日本維新の会による連立政権発足は、憲政史上初の女性首相誕生とともに、歴史的な分岐点に立ったことを意味する。 高市早苗氏が第 104 代首相に選出 憲政史上で初の女性 連立政権の合意文書は、外交・安全保障、外国人政策などでタカ派色の強い政策を並べ、期限を示した。 公明党というブレーキ役が外れた自民党の「右急旋回」は鮮明で、高市早苗首相は維新との連立に加え、参政党、日本保守党との連携も探っている。 立憲民主党や国民民主党が公明党と結集を図り、新たな対立軸をつくれるかが問われる。 与野党、左右の勢力は伯仲している。 政権が定数削減や対決型法案で強引に国会を運営することは許されない。 高市氏は 9 月、朝日新聞のインタビューで自らを「穏健保守」だといい、外国人政策を「排外主義ではない」と主張した。 政権が言葉通り、外国人との共生や多様性を確保し、排外主義と一線を画せるのか、注視したい。 高市早苗氏、外国人政策は「排外主義ではない。不安に向き合う姿勢。」 靖国神社参拝を見送ったのは適切だった。 日本はサンフランシスコ講和条約第 11 条で東京裁判を受け入れ、独立を回復し、国際社会に復帰した。 A 級戦犯を合祀(ごうし)した神社への首相の参拝は、先の大戦に対する反省の上に立つ戦後 80 年の歩みを否定する試みだ。 今秋のみならず、首相在任中の参拝は控えるべきだ。 政治の役割は、分断や対立をあおらず、異なる意見を包摂することにある。 ネットでは高市氏を支持する人と批判する人の応酬が続く。 支持者向けではなく、国民全体の代表として冷静な判断が高市氏と各党首に求められている。 (政治部長・松田京平、asahi = 10-21-25) 自民と維新、連立見据え政策協議 高市氏が首相に選出される公算大 自民党の高市早苗総裁と日本維新の会の吉村洋文代表(大阪府知事)は 15 日、国会内で党首会談を開き、連立政権を見据えた政策協議を始めることで合意した。 高市氏は、21 日召集の臨時国会における首相指名選挙の協力も呼びかけた。 自民は衆参両院で過半数を持たないが、維新が高市氏に投票、または主要野党と異なる投票先となれば、高市氏が選出される公算が大きくなる。 会談は自民側の呼びかけで行われた。 終了後、高市氏は記者団に「連立も含めた協力をお願いした」と述べ、16 日から維新の藤田文武共同代表らと政策協議に入ることで合意したと説明した。 高市氏は「(両党は)基本政策はほぼ一致している」との認識を示し、「首相指名(選挙)の協力と、一緒に政権を担う意味を含めた協力をお願いした」と語った。 対する吉村氏は、記者団に「連立を含む首相指名(選挙)の協力への打診があった」と述べ、政策協議を始める考えを伝えたことを明らかにした。 首相指名選挙は、政策協議がまとまれば、維新は高市氏に票を投じる考えも合わせて示した。 吉村氏は、外交、安全保障、憲法改正など基本政策について「(両党の)共通点は多くある」と述べた。 維新が二本柱とする首都機能をバックアップする「副首都構想」、現役世代の社会保険料の引き下げを含む「社会保障改革」については、「(高市氏から)賛意を示していただけた。 政策協議をする土台はあると判断した。」との考えを示した。 また高市氏は 15 日、国民民主党の玉木雄一郎代表とも党首会談を行い、首相指名選挙の協力を求めた。 玉木氏はその後、記者団に「いきなり連立というよりも、信頼関係の醸成ができれば協力の形も見えてくる」と述べるにとどめた。 一方、維新は 15 日、立憲民主党、国民民主との 3 党による党首会談にも出席し、連携について議論した。 野党第 1 党の立憲は、主要野党で協調して首相指名選挙に臨むべきだと訴えている。 3 党は、幹事長らで協議を続ける意向だが、維新の藤田氏は記者団に「(連携の)大義が整わないと一緒にやっていけない」と述べた。 (asahi = 10-15-25) 高市総裁「一方的に離脱伝えられた」 公明との連立政権めぐる協議で 公明党の斉藤鉄夫代表が自民党の高市早苗総裁に対し、連立政権からの離脱を伝えました。 高市氏は、公明から連立離脱を「一方的に」伝えられたと、記者団に語りました。 各党議員の反応は。 高市総裁「一方的に離脱伝えられた」 自民党の高市早苗総裁は、公明党の斉藤鉄夫代表との会談後、党本部で記者団の取材に応じた。 高市氏は冒頭発言で、会談について、「何かを決めるとかではなく、(公明側の)地方の声を伝えるのが今日の議題だった」とし、「しかしながら、一方的に連立政権からの離脱を伝えられた」と語った。 高市氏は、政治改革をめぐって、会談では公明側から改革案の提示を受けたと説明。 「この場で賛否を示すように」と求められたが、「党内手続きが必要であり、この場でお答えできるものではなく、党に持ち帰って対応したい」と回答したと述べた。 高市氏は、来週にもう一度協議を開く方針を示していたが、「先方からはそれは具体的な回答でないとのことで、一方的に連立政権からの離脱を伝えられた」とした。 高市氏は、公明党の斉藤鉄夫代表との会談で政治改革案の提示を受けたものの「きょう私がひとりで、もしくは私と幹事長だけで政治資金規正法の細部にいたるまで決めて帰ったら、それはまさに独裁でございます。 それは私はいたしません。」と語った。 続けて「やはり党内の手続きをきちっと踏まなければ、他党と協議するにしても責任ある自民党の姿勢は示せません。 特に、政治資金規正法の企業・団体献金の受け手をどこにするかは私ひとりで決めてはいけないし、決められることではない。」と述べた。 公明・斉藤代表「連立関係いったん白紙」 公明党の斉藤鉄夫代表は、自民党の高市早苗総裁との会談後、記者会見に臨んだ。 「自公の連立関係は、いったん白紙」と述べ、自公の連立関係を解消する方針を明らかにした。 斉藤氏は、公明が求めていた企業・団体献金の改革などについて、自民党から十分な回答が得られなかったことを説明。 連立関係を解消し、今後の自民との選挙協力の解消も明言した。 衆院小選挙区について、「我が党候補への自民党からの推薦は求めません。 自民党候補への推薦も行いません」とし、臨時国会での首相指名選挙では、高市氏に投票しないことも明らかにした。 斉藤氏は「公明党は 26 年にわたり、自民党と共に様々な難題を乗りこえてきた」とし、「自民党の皆さまに心から感謝を申し上げたい」と謝意を示した。 その上で、「政治に対しての国民の信頼がなければ、何ひとつ政治を前に進め、課題を解決することができない。 国民の政治への信頼を回復すべく、公明党はこれからも先頭に立って頑張っていきたい。」と語った。 公明党の斉藤鉄夫代表は記者会見で続けて、「自民党と協議を継続する選択肢はなかったのか」と問われた。 斉藤氏は「企業・団体献金の規制強化案を公明党は 1 年以上前からずっと主張してきたが、自民党はいつも『検討する』、『検討する』、『検討する』と。 こういう過去の経緯を含めて『決断いただきたい』と申し上げたが、今回の回答も『これから検討する。 地方議員の声も聞かなきゃいけない。』とおっしゃる。 1 年前から何も行われていない。」と、連立離脱方針を伝えた理由を説明した。 斉藤氏は自民との選挙協力にも触れ、「わが党員が地域の友人に自民党の候補をお願いする。 一生懸命、不記載問題について自民党に代わって説明し、お願いする。」と発言。 参院選後、多くの党員から「『本当に疲れた』という声を全国から聞いた」と述べた。 政界の反応 ◆ 石破首相「申し上げる立場にない」 石破茂首相(自民党前総裁)が首相官邸で記者団の取材に応じた。 自公連立の解消について「自身の責任は」と記者に問われ、石破氏は「いま私自身、自民党の総裁ではございませんので、党と党の話について申し上げる立場にはございません」と述べた。 そのうえで、公明党の斉藤鉄夫代表が連立解消の理由に政治とカネの問題を挙げたことについて「企業・団体献金については『禁止より公開』とずっと申し上げ、いかに透明性、公開性を高めるかの議論を続けていた。 国民の皆さまにもご理解いただけるよう、解を見いだしていくことは我が党の責任ではあるが、『禁止より公開』は私自身、申し上げてきた」と強調した。 ◆ 小泉農水相「人物本位での関係性は続くだろう」 小泉進次郎農林水産相は臨時会見で、「この 26 年間、自公という枠組みの中で、様々な政策実現にご尽力ご努力をいただいた。 そのことに対する感謝と敬意を表すべきだと思う。」と述べた。 臨時会見は、農水省の作物統計調査の発表に合わせて始まる予定だったが、公明党の斉藤鉄夫代表の会見終了後の開始となった。 小泉農水相は、自民党神奈川県連会長として地方での協力のあり方について問われると、「現場現場、地域地域での判断がこれから出てくるのではないか」と語った。 その上で「今後も連立の仮に外であったとしても、人物本位での関係性は続いていくところは、続いていくだろう」とした。 農政への影響については「公明党に限らず、多くの政党と基本的な方向性は一致をみていると、現場にも届けて安心していただきたい」と述べた。 ◆ 自民・萩生田幹事長代行「私を使ってくれた新総裁の決断に …」 自民党の萩生田光一幹事長代行は自らのメールマガジンを配信し、「残念ですが、公明党が連立離脱をする事となりました。 高市執行部としては厳しい船出となりますが、踏ん張ります。」と書き込んだ。 「党役員人事が発表され、幹事長代行を拝命した」とも報告。 「一部の批判を覚悟で処分後の私を使ってくれた新総裁の決断に何としても仕事で応えていく決意です。 先頭は風当たりがきついのは承知しておりますが、仲間の為にも耐えて頑張ります」、「最大の信頼回復は人目を避け、自粛を続けて時間が過ぎるのを待つのではなく、批判に晒されても仕事をもって信頼を取り戻す事が残された唯一の道と信じ職責を果たしてまいります」としている。 ◆ 立憲・安住幹事長「政権交代の可能性が出てきた」 立憲民主党の安住淳幹事長が、国会内で記者団の取材に応じた。 臨時国会の首相指名選挙について、安住氏は「決選投票の組み合わせいかんによっては、十分政権交代の可能性が出てきた」と述べた。 その際の連携について、公明党とは「意見交換していきたい」とし、「与野党に分かれているが、公明党と一番考え方が近いのは我が党だ」と語った。 そのうえで、臨時国会の召集日が決まっていないことに関し「そんな無責任なことをやっているんだったら、政権を渡してもらった方がいいかもしれない」と述べた。 ◆ 維新・吉村代表「遠慮なく高市さんらしさを」 日本維新の会の吉村洋文代表(大阪府知事)は民放の番組に出演し、公明党の連立離脱について「(自民党と公明は)政策理念が根本的に違う」と指摘。 「遠慮することなく、高市さんらしさをこれからどんどん出していけばいい。 そして、それを有権者が選択する政治の方が健全だ」と語った。 また、首相指名選挙が決選投票にもつれ込んだ場合に与野党と連携する可能性について問われ、「副首都(構想)や社会保障改革を実現することを軸として考え、最も実現性が高い選択肢を選ぶ」と述べた。 自民党内の反応 ◆ 「選挙しんどくなる」@大阪 公明党と協力関係にある自民党大阪府連には動揺が広がった。 連立離脱方針を知った府連の幹部は取材に対し、「話がでかすぎて、まだ整理がついていない」と述べた。 これまでの衆院選では、大阪を本拠地とする日本維新の会を相手に公明とともに対峙(たいじ)してきた。 府連幹部は、公明との協力関係が終われば「現実的には選挙でこれまで以上にしんどくなる。 田舎で盤石な選挙をしている(自民の)幹部には理解できないくらいの衝撃だ」と話す。 その上で、「政治とカネ」の問題を理由に公明が連立から離脱したことについても、「『政治とカネ』は国民の政治不信につながっている問題。 その問題で連立を離脱されたとなると印象が悪い」と肩を落とした。 ◆ 「再度、協議申し入るべき」@茨城 自民党茨城県連会長の海野透県議は県議会終了後に報道陣の取材に対応し、「公明と連立できないと高市さんは総理になれないだろう。 連立できる相手は公明しか思い浮かばない。 再度、協議を申し入れるべきだ」と述べた。 政治とカネについて「自民党総裁選でも全然議論になっていなかった。 自民党員から見ても不満があった」と指摘。 「県連としては、公明県本部とこれまで通りの付き合いを続けていきたい」と話した。 公明党内の反応 ◆ 公明・中野国交相「一致団結して進む」 公明党による、自民党との連立政権の解消表明を受け、公明党で唯一の閣僚である中野洋昌・国土交通相は 10 日、「斉藤代表が出した結論を受け止めて、公明党として一致団結して進んでいく」と述べた。 国交省内で報道陣の取材に応じた。 国交相のポストは 2012 年から公明議員が 5 人連続して就任してきた。 中野氏は「白紙ということでございますので、政策ごとの連携をしていくということになるのかなと思います」と話した。 中野氏は昨年 11 月の第 2 次石破政権の誕生時に国交相に就任した。 やり残した点について問われ、「着任してから、それぞれの課題に沿って全力で取り組んで参りました。 そういう意味では残された期間、最後までやりきることだと思っています。」と話した。 ◆ 「整理できていない」@大阪 公明党にとって「発祥の地」とも言われる大阪。 1956 年の参院選で初めて選挙区で議席を得たことを機に「常勝関西」とも呼ばれる一大勢力を築きあげた。 自民党との連立政権の解消表明を受け、藤村昌隆・公明府議団幹事長は取材に「いままさに聞いた段階で具体のことは何もわかっていないというのが現状だ」と語った。 「26 年間続いてきた自公連立がいったん白紙になったことについてまだぼくも整理ができていない」としつつ、「党員の方とか、支持者の方にしっかり説明しないといけない。 これがやっぱり第一だろう」と話した。 ◆ 「我慢の限界だった」@東京 6 月の東京都議選で36年ぶりに全員当選を逃した公明党東京都本部の関係者は、連立離脱が決まり、「もう我慢の限界だった」と話した。 自民党では複数の派閥に続いて、都議会の会派でも裏金問題が発覚。 「東京の支持者はとくに裏金問題に厳しく、支持も離れていった。 支持者の反発を抑えながら協力関係を維持しようと努めてきたが、高市早苗総裁の自民党執行部の人事をみて、「我々と対話できる人もいないし、政治資金の問題を解決する姿勢もみえない」と批判を口にした。 ◆ 「苦渋の決断だったのだろう」@茨城 公明党茨城県本部代表代行の高崎進県議は、「党本部も苦渋の決断だったのだろう」と、連立政権からの離脱を決めた斉藤鉄夫代表をおもんぱかった。 県内から山口那津男元代表らを輩出してきた茨城県。 「先輩議員は安全保障や PKO (国連平和維持活動)など、党を二分するようなことも知恵を出して、苦労しながらやってきた。 苦しいこともあったが、自民党とは 26 年やってきたので、残念だ」と話した。 ◆ 「選挙協力は白紙」@埼玉 参院選で自民党が公明党候補を推薦する代わりに、衆院選や統一地方選で公明が自民候補を支援する「埼玉方式」について、公明党埼玉県本部代表代行の宮崎勝参院議員は「白紙になる」と述べた。 「党対党の選挙協力は白紙になる。 衆議院の小選挙区について、自民党には公明党への推薦は求めないし、公明党としても推薦はしないということだ」と説明した。
北海道では 9 月、衆院の北海道 4 区を自公の選挙協力の象徴区として、公明党候補を立てることを合同記者会見で発表したばかりだった。 阿知良寛美・公明党道本部幹事長は取材に、「道 4 区の自公連携については、この時点で答えが出ているというわけではないが、中央が『いったん白紙』とした以上は、早急に自民党道連と協議しなければならない」と答えた。 経済界の反応 ◆ 経団連会長「誠に残念」 経団連の筒井義信会長は「内外に解決が急がれる政策課題が山積し、重要な外交日程が迫る中、政治の安定は不可欠である。 こうした中、公明党が今般の表明に至ったことは誠に残念であり、政治の不安定化を憂慮している。 政策を着実かつ迅速に推進していく『政策本位の政治』の実現に向けて、安定した政治の態勢が確立されることを強く求めたい。」とのコメントを出した。 ◆ 日商会頭「安定した政治を」 日本商工会議所の小林健会頭は 10 日、都内で報道陣の取材に対応し、「(自公が)安定政権をつくってきたことは多とする。 しかし、制度疲労というか、長年やっていれば、いろんなことがある。 巡り合わせでこうなったのではないか。」との見方を示した。 経済界としては、「国政に遅滞がでることは困る。 政治空白を短くしてもらいたい。 安定した政治を一日も早く取り戻してほしい。」と言及。 政権の枠組みについては「どのシナリオがベストかは申し上げない」としつつ「経済界としては自民党を中心にした政体になじみがある。 経済を早く回して正のスパイラルに入ることでは近道だろう。 さはさりながら、政治は政治。 3 連休を使ってすみやかに(安定政権の枠組みづくりを)やってもらいたい。」と述べた。 (asahi = 10-10-25) 石破首相、戦後 80 年の所感発表 「なぜ戦争を …」個人の立場で検証 石破茂首相は 10 日、戦後 80 年の節目にあわせ、歴史検証と教訓をまとめた首相個人の所感を発表した。 戦後 50 年以降、歴代内閣が 10 年ごとに閣議決定してきた首相談話の歴史認識を引き継いだ上で、「なぜ、あの戦争を避けられなかったのか」を首相個人の立場で検証した。 首相は官邸で記者会見を開き、「戦後 80 年に寄せて」と題する所感を発表した。 所感は、日本による「植民地支配と侵略」に言及して「痛切な反省」、「心からのおわび」を表明した過去の談話の歴史認識を「私も引き継いでいる」とした。 その上で、「過去 3 度の談話においては、なぜ、あの戦争を避けることができなかったのかという点にはあまり触れられていない」とし、「戦後 80 年の節目に、国民の皆様とともに考えたい」として検証した。 政府・議会・メディアの三つの観点で考察 所感では、政治が軍隊より優位でなければならない「文民統制」の原則が制度上存在しなかった戦前の大日本帝国憲法の問題点を指摘。 続いて、「政府」、「議会」、「メディア」の主に三つの観点について、具体的な歴史上の事例を挙げて考察した。 政府については、1935 (昭和 10)年に起きた憲法学者で貴族院議員の美濃部達吉による天皇機関説の問題に言及。 当時の岡田啓介内閣が「軍部の要求に屈して、従来通説的な立場とされていた天皇機関説を否定」し、「政府が軍部に対する統制を失っていった」とした。 議会については、40 (昭和 15)年に戦争を批判する「反軍演説」を行った衆院議員の斎藤隆夫が国会の賛成多数で除名された事実などを挙げ、軍を統制する機能を「議会も失っていった」とした。 メディアは、31 (昭和 6)年に起きた満州事変の頃から「積極的な戦争支持に変わった」とし、関東軍による中国の土地の占領を「新聞は大々的に報道し、多くの国民はこれに幻惑され、ナショナリズムはさらに高まった」と指摘した。 こうした検証を踏まえ、「今日への教訓」を総括。 戦後の日本は、文民統制を整備したとしつつ「あくまで制度であり、適切に運用することがなければ、その意味をなさない」と指摘。 「冷静で合理的な判断よりも精神的・情緒的な判断が重視されてしまうことにより、国の進むべき針路を誤った歴史を繰り返してはならない」と記した。 分量は A4 用紙約 6 ページ分。 戦後 50 年の「村山談話」、60 年「小泉談話」、70 年「安倍談話」のいずれも上回った。 河野教授「退陣する首相が新たな見解、適切と言えない」 河野有理氏(法政大教授、日本政治思想史) : なぜ日本は先の戦争に突入したのか、戦後 80 年の節目に思いをめぐらす意義はあるだろう。 だが首相である以上、どのような立場で述べるのかについては、十分な配慮が必要だ。 退陣を表明した首相が新たな見解を出すことが適切だったとは言えない。 首相は、閣議決定を経ない首相個人の所感であることを強調するが、他国から公式な政府見解と同一視されることは避けられない。 安倍晋三元首相による 70 年談話は、全体的には歴代内閣の歴史認識を引き継ぐ内容だった。 「謝罪」を引き継ぐことに保守派には否定的な意見もあったが、保守派と目されてきた安倍氏のもとで閣議決定した談話だったからこそ、「最後の謝罪」という理屈で、保守派を納得させた側面もある。 70 年談話は有識者会議の議論を経たが、今回は会議体も設置されず、作成過程は不透明だ。 歴史認識を上書きしない内容だとしても、リベラル派とされる首相が、新たな見解を出す以上は 70 年談話を上回る準備をし、反対派を納得させる努力をするべきだった。 (千葉卓朗、聞き手・森岡航平、asahi = 10-10-25)
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