種子法廃止が参院選に影響? 根強い農家の反発

米、麦、大豆の種子の生産や普及を都道府県に義務付けてきた主要農作物種子法(種子法)が 2018 年 4 月 1 日に廃止された。 政府は「既に役割を終えた」として、民間参入を促すためと説明するが、産地では、種子の価格高騰や「安定供給に支障が出るのでは」との懸念も根強い。

種子法は 1952 年、食糧増産を目的に制定された。 サンフランシスコ講和条約が発効し、日本が主権を回復した年で、戦中戦後の食糧難を経て、国に国民を飢えさせない責任を負わせたものだ。 国が地域ごとの環境に応じた優良な種を生産・普及するよう都道府県に義務づけ、具体的には国の予算を受け、都道府県の農業試験場が、各地域の気候などに合った品種の開発に取り組んだ。

交配を繰り返して開発した「奨励品種」を選定し、審査に合格した田畑で種を増やして農家に提供してきた。 収穫量の多いことがまず優先されたが、1967 年にコメの自給を達成するなど食糧事情が改善した後は、おいしい品種や病気に強い品種の普及に力を入れるようになっていった。 ブランド米の「あきたこまち」、「ひとめぼれ」などが代表例だ。

「民間の品種開発意欲を阻害している。」 一般に、品種開発には 10 年前後かかり、多くの優れた品種は公的機関の努力の結晶。 例えばもっともポピュラーな銘柄の「コシヒカリ」も、遺伝子レベルでみると、無数の品種系統があり、病気への抵抗力や気象への対応など、地域の事情に応じた改良が各県レベルで行われた成果だ。

しかし、「民間の品種開発意欲を阻害している」として、2017 年の通常国会で法の廃止が決まった。 その発火点は、例によってというか、政府の規制改革推進会議だった。 16 年 10 月の同会議で、種子法が民間の開発意欲をそいでいると指摘された。 様々な議論を経て、最終的な政府方針になったわけだが、その考え方のポイントは次の通りだ。

(1) 生産技術の向上で種の品質は安定し、都道府県への義務付けの必要性が薄れた、(2) 都道府県が選ぶ奨励品種は高価格の家庭用米が中心で、コンビニのおにぎりやファミレスのライスなど外食・中食用の業務米開発は民間企業の力を借りる方が効率的、(3) 種子法で都道府県の品種開発を進めると、民間企業の品種開発意欲を阻害するので、もっと民間のノウハウを活用し、育てる品種について農家の選択肢を広げるべきだ - -。

また、種子法の廃止とセットで農業競争力強化支援法が成立したが、同法 8 条 4 項は都道府県や公的機関に対して「種苗の生産に関する知見の民間業者への提供を促進すること」と謳っている。 民間の意欲をかきたてて多様な品種の開発を進めようという趣旨というが、税金を投入して培った知見が民間企業に提供されるということになる。

公的機関を離れた純民間の種子の値段は数倍の高値に?

民間の活動を奨励すること自体は良いことのように思われるが、それで食料の供給は大丈夫かが問題だ。 これを考えるうえで、種子の供給の仕組みを見ておく必要がある。 コメの場合、まず県の農業試験場などで「原原種」が生産される。 開発した優良品種をまじりっけなしに、公的機関が毎年責任を持って生産し、維持するもので、音楽の CD に例えれば「原盤」にあたる。 これを増やした「原種」は特定の種子農家のもとでさらに増やされ、一般の農家に販売される。

民間の種子の供給は違う。 モンサント(米国)やバイエル(ドイツ)などの巨大企業が世界の種子市場を席巻しており、主要 8 社で世界市場の 8 割を占める。 野菜は種子法の対象ではないが、かつて 100% 国産だったのが、今や 9 割が外国産で、しかも、その大半が「F1 種」といわれるもの。

収穫量の多い品種と特定の病気に強い品種を交配して、収穫量が多く病気に強い種子を作るというように、異なる特性を持つ品種を交配し、「両親」の優れた性質が子の代だけに均質に受け継がれることを利用したもの。 「子」の代を収穫して撒いてできる「孫」の代になると、品質がバラついて使えない。 このため、農家は毎年、F1 種を買い続けることになる。 農業試験場といった公的機関を離れた純民間の種子の値段は数倍の高値になるといわれる。

巨大外国企業の支配が強まると、種子の価格の高騰のほか、遺伝子組み換え作物の栽培に道を開くのでは、という懸念もある。 また、「野菜などの例では、種子と、それに合う農薬、肥料がセットで使わされることになる」と、農業団体関係者は、農薬の拡大にも懸念を示す。

さらに、都道府県の予算や研究体制縮小で、「効率」に合致しないものが切り捨てられる恐れもある。 よく出される例が、愛知県の中山間地域向けの奨励品種「ミネアサヒ」。 流通量が少なく「幻の米」と呼ばれるように、わずか約 1,400 ヘクタールでしか栽培されていない。 民間は、基本的に大量生産による効率化だから、地域の資源ともいえる少量の銘柄の開発は難しくなるのでは、と指摘されている。

独自条例定める自治体も

農家が代々受け継いできた種子が使えなくなるという問題も指摘される。 種子の知的財産権の保護と言えば聞こえがいいが、要は巨大企業が種子を囲い込み、独占することになりかねない。 知的財産権を押さえていない一般農家の種子が、他社(巨大企業)の知的財産権を侵すとして使えなくなるといったことが、ラテンアメリカなどで、すでに問題になっているという。

2017 年 4 月、共謀罪新設の法律や森友問題などで国会が騒然とする中、種子法はあまり世間の注目を集めぬまま、野党の反対を押し切って廃止法案が可決された。 野党は先の通常国会に 6 党共同で種子法復活法案を提出した。 もちろん、廃案になったが、野党は引き続き復活を求めていく方針だ。 また、地方独自の取り組みとして、新潟、兵庫、埼玉の 3 県は種子法に代わって、県がコメなどの主要農産物の安定的な供給の責任を持つ条例を制定した。

2019 年は春 - 夏に統一地方選と参院選が行われる。 16 年の前回参院選の東北など東日本の 1 人区で野党統一候補が多く当選し、健闘したのは、TPP (環太平洋経済連携協定)に盛り込まれた農産品の市場開放への農家の反発が大きな要因とも言われた。 「種子法廃止は地味ではあるが、農家の反発は根強く、与党にボディーブローとして効いてくる可能性はある。(大手紙経済部デスク)」 (J-cast = 8-18-18)


振興協会「総踊り」強行 実行委の自粛要請従わず 両国橋付近

徳島市の阿波踊り 2018

阿波踊りの有名連 14 連でつくる「阿波おどり振興協会」が 13 日夜、徳島市紺屋町の県道交差点から両国橋南詰めまでの区間で、大勢の連員が一斉に踊り込む「総踊り」を行った。振興協会所属連の千人以上が参加し、約 150 メートルの区間を 30 分ほどで踊り抜けた。 阿波おどり実行委員会の「演舞場以外の規制区域での総踊りは危険を伴う」とする再三の自粛要請を振り切り、強行した。 大きな混乱やけが人はなかった。

総踊りが行われたのは、歩行者天国の通称「両国橋南詰めおどりロード」。 午後 9 時以降、振興協会所属連の踊り子らが紺屋町の県道交差点北側に続々と集まった。 振興協会の山田実理事長に口頭で自粛を求めた実行委の市幹部に、観客から「帰れ」と怒号が上がるなど一時騒然となった。 同 10 時 10 分ごろ、鳴り物を先頭に女踊り、男踊りと、総勢千人以上が一斉に踊り込んだ。 現場周辺には大勢の見物客が集まり、振興協会のほか、実行委の関係者も雑踏整理に当たった。

昨年まで阿波踊りを主催していた市観光協会が多額の累積赤字を抱え、今年は市などでつくる実行委が運営。 入場料収入を増やそうと、観客の人気が集中する総踊りを中止し、四つの演舞場に踊り手や観客を分散させる演出を導入した。 実行委は 7 月末以降、総踊りの自粛を文書などで再三要請。 これに対し、山田理事長は 12 日夜、総踊りを 13 日に行うと報道陣に明らかにしていた。

実行委員長の遠藤彰良市長は「演舞場外では大変危険なため、再三実施しないよう求めていたが、無視して行われたことは大変遺憾。 今後の対応は実行委員会で十分協議したい。」などとコメント。 山田理事長は「無事にけがなく終われたことがよかった。 来年はできれば南内町演舞場でやりたい。」と話した。 (徳島新聞 = 8-14-18)

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赤字で揺れた「阿波おどり」開幕 総踊り中止で桟敷席に目立つ空席

徳島の夏の風物詩「阿波おどり」が 12 日夕、徳島市で開幕した。 4 億円超の累積赤字問題で一時、「中止か分裂開催」などと危惧されたが、例年通り 15 日まで開催される。 だが観光客の出足は鈍く、桟敷席チケットの売れ行きは伸び悩んでいる。 市内 4 カ所の有料演舞場には、「連」と呼ばれる踊りのグループが登場。 鉦(かね)や太鼓、笛が奏でる囃子(はやし)に乗って「ヤットサー」の掛け声に合わせ、華やかでしなやかに舞う女踊りと、力強く跳躍する男踊りを披露。 期間中、街は「踊るあほうに見るあほう」で埋め尽くされる。

新しい主催者は、市や徳島新聞社らで作る「阿波おどり実行委員会」。 委員長を務める遠藤彰良市長は、4 カ所の桟敷席チケットの売れ行きに偏りがあるとして、南内町演舞場で午後 10 時から演じられていた踊り子や演奏者ら約 2 千人による名物「総踊り」の中止を決定。 33 の有名連を 4 カ所の演舞場に分散させる新たな演出も企画した。 だが、総踊りを実施してきた「阿波おどり振興協会」は、あくまでも総踊りの実施を要望。 これに対し、遠藤市長は演舞場への振り分けに賛同しなかった振興協会所属の 14 連を午後 10 時以降は演舞場から締め出し、残る 19 連を均等に振り分けることを決めた。

昨年までの主催者は、累積赤字をめぐり市と対立していた市観光協会と、徳島新聞社。 振興協会は、観光協会の破産を回避させるため、資金集めなどで支援してきた経緯がある。 一方、今年の有料演舞場や「選抜阿波おどり」などのチケット販売率は 7 日時点で約 51% で、昨年同時点を 9 ポイント下回っている。 昨年の有料演舞場の初日(12 日)の販売率は、総踊りが行われた南内町演舞場が 100%、4 カ所全体は 99.7%。 4 日間通しの全体販売率は 84.4% だった。

阿波おどり事業の収益(25 - 28 年度)は、チケット収益が約 1 億 8,600 万 - 約 1 億 9,600 万円で、収益全体の 71 - 74% を占める。 今年はチケットの売り上げが伸びず、各桟敷席で空席が目立っており、市民からは「総踊りが中止になったのは残念。 見どころがなくなった影響もあるのか、桟敷席以外でも観光客は減少しているようだ」といった声が聞かれた。 (sankei = 8-12-18)

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阿波踊りフィナーレ「総踊り」、徳島市が今夏中止の方針

今夏の阿波踊りを運営する徳島市は 14 日、一日の祭りのフィナーレを飾ってきた有名連(踊り手のグループ)の「総踊り」を中止する方針を明らかにした。 代わりに、4 カ所の有料演舞場に複数の有名連を配置して盛り上げるという。 演舞場のチケットの販売率を上げるのが狙い。 だが、阿波踊りを象徴する「総踊り」の中止には、批判の声も出ている。

「総踊り」は阿波踊り期間中、連日午後 10 時から南内町演舞場で開かれてきた。 有名連のうち、阿波おどり振興協会に所属する連の約 2 千人が一堂に会する華やかな踊りで、観光客の人気も高い。 一方、総踊りに合わせて有名連が南内町に集まるため、「他の演舞場で見られる有名連が少ない」という声もあった。 市観光課のまとめでは、昨年の阿波踊り最終日(8 月 15 日)の第 2 部(午後 8 時半 - 10 時半)の演舞場ごとのチケット販売率は、南内町が 100% だったのに対し、藍場浜と紺屋町は約 50%、市役所前は約 30% と低迷したという。

総踊り中止の方針は、14 日の市議会産業交通委員会で市側が表明。 フィナーレとして、4 演舞場に有名連を 5、6 連ずつ配置する演出をする計画を示した。 これに対し、委員からは「総踊りをなくすなんてとんでもない」などの批判が相次いだ。 豊井泰雄第二副市長は議会後「今年はすべての演舞場で(最後に)有名連の踊りが楽しめる形にする。 チケットの売り上げの向上につなげたい。」と説明した。

15 日には南内町演舞場の特別席のチケットがインターネットで発売される。 市は「阿波おどりチケットセンター」のホームページ(http://fan.pia.jp/awaodori-kanko/)などで、総踊りがないことを注意喚起している。 ただ、販売価格は昨年と同じ 5 千円(前売り)で、7 月 1 日発売の他の演舞場のチケット(S 席 2 千円など)よりも高額だ。 ある委員は「総踊りを楽しみにチケットを買うファンもいる。 しっかりと周知して、混乱が起きないようにしてほしい。」と話した。 (佐藤常敬、asahi = 6-15-18)

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阿波踊り赤字問題 市観光協会の即時抗告を高裁が棄却

阿波踊りの運営で 4 億円を超える累積赤字を抱えた徳島市観光協会について、高松高裁は、破産手続きの開始を決めた徳島地裁の決定を支持し、協会の即時抗告を棄却した。 決定は 23 日付。 協会と、手続きを申し立てた市双方の代理人が 24 日、明らかにした。 今夏の阿波踊りは例年通り開かれる見通しとなった。

協会は 1972 年以降、徳島新聞社と共に阿波踊りを主催してきたが、雨天中止時の払い戻しや観覧席の改修費などがかさみ、2016 年度末時点で借入金が約 4 億 3,600 万円にのぼっていた。 協会の損失を補償してきた市が申し立て、徳島地裁は 3 月、破産手続き開始を決定。 協会が高松高裁に即時抗告していた。 協会は即時抗告の際、個人や企業などから計約 3 億 3 千万円の協力金が集まり、保有する約 1 億 5 千万円と合わせて市への債務約 3 億 8 千万円を返済できると主張。 市は、協力金は返済が必要で「債務超過の状態は変わらない」と訴えていた。

徳島市は今夏の阿波踊りを、例年通り 8 月 12 - 15 日に開く方針。 新たな主催団体となる実行委員会は 4 月に発足。 市が中心となり、徳島新聞社も市の要請で加わった。 実務は、市の臨時職員として雇用した協会の元職員 1 人を含む 10 人が担う。 協会が所有していた観覧席 1 万 6 千席分の資材は、市が協会の破産管財人から 2 億 1,600 万円で購入しており、例年通りの規模で開催できる見通し。 30 日に 2 回目の実行委を開き、旅行会社向けのチケット予約の受け付けも 6 月 1 日から始める予定で、準備を本格化させる。

協会を支援してきた阿波踊り連(グループ)の組織「阿波おどり振興協会」も、実行委主催の阿波踊りに参加する意向を表明している。 遠藤彰良市長は「(即時抗告が棄却され)ほっとしている。 多くの方の心配を払拭するためにも、関係の団体と協力しながら、市が責任をもって阿波踊りの準備を進めていきたい」と話した。 協会の花野賀胤(よしたね)事務局長は「高裁判決を真摯に受けとめる」とし、最高裁への特別抗告については「混乱を招かないように慎重な対応をとっていきます」とのコメントを出した。 (佐藤常敬、asahi = 5-24-18)

前 報 (4-12-18)


廃線フィーバー、終わりだけど始まり 夕張駅最後の夏

北海道夕張市の JR 夕張駅が鉄道ファンでにぎわっている。 来年 4 月 1 日に廃線になる JR 石勝線夕張支線の終着駅だ。 古くは炭都として栄え、リゾート開発に失敗し、財政破綻して再建に取り組んできた地域の歴史を映す場所でもある。 最後の夏を迎えた夕張駅を訪ねた。

木々の間を走ってきた車両が夕張駅に滑り込む。 1 両編成のワンマン車は終着駅のシンボルの車止めよりはるか手前に停車した。 列島各地が猛暑に見舞われた先月 22 日の正午過ぎ。 夕張の気温は約 20 度で長袖 1 枚では寒いほどだ。 降り立った乗客たちは一眼レフや三脚を手に、被写体を探し歩いている。 駅名標に時刻表、「あと 252 日」と廃線までの日数を知らせる日めくり、風見鶏を載せた、とんがり屋根の駅舎全景 …。 (湯瀬里佐、asahi = 8-10-18)


「かんちがいしないでよね!」 北広島市の PR うちわ話題

「か、かんちがいしないでよね! 北海道なんだから!」 そんな言葉を刷り込んだうちわを北海道北広島市が作った。 プロ野球・日本ハムの新球場建設候補地に決まり、にわかに注目を集めているが、いまだに広島県内の自治体と勘違いされるケースが珍しくない。 「少しでも正しい理解を広げたい」という思いを込めた。

うちわは市の PR 用に、5 年前から作製している。 市内のイベントや道外からの来客、職員が出張する際に進呈してきた。 今回は市政策広報課の山本真伸主査と穂井田夕奈主事が作製を担当。 新球場の候補地決定の際、ネット上で「日本ハムが広島県に移る」と誤った情報が飛び交ったのを見て、「正しく知ってもらうのも使命の一つ」と盛り込むことにした。

歴史にまつわる人物画などとともに 1 万枚を作製。 新球場整備構想の市民説明会の会場でも配ったが、「いいアイデアだね」、「おもしろい」と反応は上々。 山本さんは「みなさんに楽しみながら知ってもらえれば」と話した。 (志田修二、asahi = 8-9-18)


丸栄の閉店で「損害」 美容品販売の元テナントが提訴

6 月末に閉店した名古屋・栄の老舗百貨店「丸栄」から一方的にテナント契約を解約されて損害を受けたとして、岐阜市の美容関連会社が丸栄に約 4,300 万円の賠償を求める訴訟を名古屋地裁に起こした。 今月 6 日にあった第 1 回口頭弁論で、丸栄は「約定に基づく解約で有効だ」などと請求棄却を求めた。

訴状によると、美容関連会社は丸栄から「社運を賭けた事業」などと勧誘を受け、昨年 1 月にテナント契約を締結。 期間を 5 年とし、丸栄 3 階に出店して美容品などを販売していた。 昨年 12 月に丸栄から今年 6 月末で契約を解除するという通知を受けた。

美容関連会社は、出店に際して多額の費用がかかったとし、「短期間では到底回収できないことは明らか」と主張。 「契約期間を 5 年間と定めたのに、経済的損失を一切補償することなく、契約を一方的に解約した」と訴えている。 丸栄は、約定に基づき 6 カ月以上前に解約の予告をしたとして「解約権の乱用はなく解約は有効だ」と主張している。 丸栄は取材に対し「契約にのっとった契約終了だと考えている。 裁判には誠実に対応させて頂く。」としている。

関係者によると、丸栄の閉店を巡っては、名古屋市のフィットネスジム経営会社も同様の理由で約 3,270 万円の賠償を丸栄に求める訴訟を起こし、7 月 9 日に和解。 さらに別の 2 社も丸栄に賠償を求める動きがあるという。 (仲程雄平、asahi = 8-7-18)

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西友、愛知・春日井のモール売却 来春までに営業終了

西友は、「ザ・モール春日井 Part1 (愛知県春日井市)」の土地と建物を大和ハウス工業(大阪市)に売却する契約を結んだ。 7 月 27 日付で、売却額は非公表。 テナント各店は来年 1 月から 3 月の間に営業を終了。 その後、解体して新しい商業施設が建設される予定。

モールは国道 19 号沿いで、JR 中央線春日井駅から約 2 キロの場所にある。 地上 3 階、地下 1 階建てで売り場面積は約 2 万 2,700 平方メートル。 総合スーパー「LIVIN 春日井店」と、衣料品を中心としたテナント 93 店舗が入るが、築 40 年超で専門店街には空きスペースも目立つ。 西友の担当者は「老朽化に加え、収益性の向上が見いだせなかった」と話した。 近くにある家電量販店など 5 店舗が入る「ザ・モール春日井 Part2」は売却せず、営業を続ける。

今後について、大和ハウスの広報担当者は「周辺地域のニーズを満たすような新たな商業施設の建設を考えている」としている。 具体的な内容や開業時期は検討段階だが、西友は新施設でスーパーを出店する見通しだ。 (斉藤明美、asahi = 8-7-18)

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大丸松坂屋、2020 年 11 月に新店開業へ 名古屋・栄

大丸松坂屋百貨店は、名古屋市の中心部「栄地区」に新たな商業施設を開発すると正式発表した。 テナントを募集し、2020 年 11 月の開業をめざす。 出店するのは、栄地区の広小路通と大津通が交わる栄交差点の「日本生命栄町ビル」の跡地。 日本生命が新たに建設するビルを 1 棟まるごと貸りることで、28 日に合意した。 地下 2 階・地上 6 階建てで、延べ床面積は 6,300 平方メートルほど。 地下街の「サカエチカ」とつなげる計画だ。 大丸松坂屋百貨店の広報担当者は「栄地区開発にはこれからも力を入れていく」と話している。 (asahi = 7-3-18)

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名古屋の百貨店・丸栄が閉店 403 年の歴史に幕下ろす

名古屋・栄の老舗百貨店、丸栄が 30 日、閉店した。 会社設立から 75 年、前身の呉服店「十一屋」の創業から数えると 403 年の歴史に幕を下ろした。 この日は、長年親しまれた店舗を一目見ようと、大勢の客が詰めかけた。 午後 7 時過ぎ、浜島吉充社長は「長い歳月、地域の皆様の応援があって続けてこられた。 ご支援頂きありがとうございました。」とあいさつした。

丸栄は江戸時代初めの 1615 年、十一屋呉服店として名古屋で創業した。 1943 年に同業の三星と合併。 「栄地区で丸く栄える」という意味を込めて「丸栄」に社名を改めた。 地元では松坂屋、名鉄百貨店、名古屋三越と合わせて「4M」と呼ばれていた。 1991 年度(92 年 2 月期)は売上高が過去最高の 825 億円に達したが、バブル崩壊後は業績が低迷。 昨年 12 月に閉店が決まった。(斉藤明美、asahi = 6-30-18)


「熊本空港アクセス鉄道」実現か? 一度は「断念」された構想が再浮上したワケ

かつて検討されながら実現しなかった「熊本空港アクセス鉄道」が注目されています。 一度は「断念」された構想であるにも関わらず、なぜ再浮上したのでしょうか。

現在は「阿蘇くまもと空港」という愛称を持つ、熊本空港。 その名の通り阿蘇山の麓にあり、熊本の「空の玄関口」です。 現在、この空港と熊本市を結ぶ鉄道の構想が浮上しています。 実は 10 年以上前にもアクセス鉄道が検討されたものの、このときは事実上断念されています。 一度は結論が出たはずなのに、なぜここに来て構想が再浮上したのでしょうか。

熊本空港は戦時中、現在の熊本市東部の長嶺南地区に陸軍の飛行場として開設。 戦後の 1960 (昭和 35)年に民間空港としてオープンしました。 しかし、周辺の市街地化が進んだため騒音の問題が懸念されるようになり、航空機のジェット化も難しいといった課題を抱えるようになったのです。 このため 1971 (昭和 46)年、益城町と菊陽町の境界線付近に移転し、いまに至っています。

ただ、現在の熊本空港は熊本市の中心部から直線距離でも約 15km 離れていて、アクセスは旧空港より不便になりました。 そこで熊本県は 2004 (平成 16)年、アクセス鉄道の検討を始めました。 しかし、当時の検討では総事業費が 286 億円と試算。

自治体などが線路施設を建設、保有し、列車を運行する鉄道事業者に施設を貸し付ける「上下分離方式」の場合、少なくとも 224 億円は地元負担になることが見込まれました。 地方の自治体にとっては、おいそれと出せる金額ではありません。 また、アクセス鉄道の利用者数も 1 日あたり 5,000 人が必要なところ半分の 2,500 人しか見込めないことが分かり、熊本県は 2008 (平成 20)年に検討の凍結を表明。 アクセス鉄道の建設を事実上断念したのです。

一方、熊本空港の利用客数は検討凍結後の 2009 (平成 21)年度以降、280 万人台で推移していましたが、2012 (平成 24)年度ごろから急速に増えました。 2015 年度には過去最高の約 318 万人を記録。 熊本地震が発生した 2016 年度こそ 300 万人を割り込みましたが、2017 年度は訪日外国人観光客による国際線利用者の大幅増加もあって 334 万人となり、過去最高記録を更新しました。

アクセス鉄道の検討を凍結した 10 年ほど前に比べれば、鉄道でアクセスする人数も増える可能性が高く、採算性の向上が見込めます。 また、熊本市の中心部と空港を直通するリムジンバスは朝夕を中心に遅れや乗り残しが慢性的に発生。 定時輸送が可能な交通機関、つまり鉄道整備の必要性が高まってきたといえます。

こうしたことから熊本県は、2018 年度の一般会計当初予算に空港アクセス改善のための調査費(900 万円)を計上。 空港運営の民営化(2020 年予定)や新しいターミナルビルの完成(2022 年度)を控えたタイミングにあわせ、アクセス鉄道の整備を再び目指すことにしたのです。

熊本県は鉄道によるアクセス改善について、(1) 豊肥本線から分岐して空港まで延伸、(2) モノレールを熊本市の中心部から空港まで建設、(3) 熊本市電(路面電車)の延伸の 3 案を比較検討しています。 ただ、モノレールは建設距離が長くなるうえに、ほかの鉄道路線からの直通運転ができません。市電は普通の鉄道に比べて速度が遅くなる可能性が高そうです。 となると、今回の再検討も、豊肥本線の分岐延伸案を基本に進められているのではないかと思われます。 (草町義和、乗りものニュース = 8-3-18)


桜島が爆発的噴火 鹿児島市街で降灰、警戒レベル 3 継続

16 日午後 3 時 40 分ごろ、鹿児島市の桜島の南岳山頂火口で爆発的噴火があり、噴煙が高さ 4,600 メートルまで上がった。 鹿児島地方気象台によると、噴煙が 4 千メートルを超えたのは 6 月 16 日以来で、今年 2 回目。 鹿児島市では空が黒い噴煙に覆われ、中心市街地でも降灰があった。 同気象台は「通常の火山活動の範囲内」として、噴火警戒レベル 3 (入山規制)を継続している。

第 100 回全国高校野球選手権記念鹿児島大会(県高野連、朝日新聞社主催)が開催中の鴨池市民球場(同市)の応援席では、傘を差して火山灰を避ける観客の姿が見られた。 (町田正聡、asahi = 7-16-18)


8 割未公開、「東洋一」鍾乳洞を調査 … 観光化へ

鍾乳石の種類と数で「東洋一」とも称される観光鍾乳洞「あぶくま洞(福島県田村市)」で、未公開部分の調査に田村市滝根観光振興公社が乗り出した。 安全対策などの課題をクリアし、観光客向けに公開することを目指す。 近年の体験型観光のブームもあり、東日本大震災後に落ち込んだ観光回復の起爆剤にしたい考えだ。

かつて採石場だったあぶくま洞は 1969 年、石灰岩の採石中に鍾乳洞が見つかった。 73 年に洞穴の約 600 メートルが見学用に整備され、一般公開された。 採石場は廃止され、86 年には「探検コース」としてさらに 120 メートルが公開された。 その後は新たな見学ルートは公開されず、3 キロ超にわたる全長のうち、現在も 2.5 キロ以上が未公開のままだ。 公開に向けた調査は今年 5 月末、初めて行った。 日本洞穴探検協会(千葉市)の会員が案内し、同公社の若手職員 4 人が 13 時間以上かけて洞内の最奥部まで入った。

未公開部分で見どころとなる箇所や、所要時間などを確認した。 未公開部分には、曲がりくねった鍾乳石や、水が通った跡が毛細血管のような模様になって浮き出た壁面、針状の結晶で覆われた球状の「あぶくま石」など、珍しいものが数多く見つかっている。 高さ 90 メートル以上の巨大ホールもあり、その壁面には日本最大の高さ 45 メートルを誇る滝のような形をしたフローストーンが観察できるという。

ただ、ルートは未整備で照明もなく、水中をほふく前進したり、岩を登ったりする必要があるため、新たな安全対策が欠かせない。 照明設置やルート整備に向けた掘削、案内人の養成など検討すべき課題は多い。 それでも新たな調査に踏み切った背景には、東日本大震災後の観光客数の低迷がある。 同公社によると、2010 年度に約 30 万 6,000 人だった観光客数は、震災後の 11 年度には約 5 万 3,000 人に激減。 徐々に回復しているものの、直近 3 年間は 20 万人前後で頭打ちになっている。

調査に参加した同公社企画営業課の担当者は「公開に向けて第一歩を踏み出したばかりだが、今後の集客につながる可能性は十分ある」と期待している。 (大月美佳、yomiuri = 7-14-18)


野村の農業、勝算は ICT で効率化 成田は輸出拠点に

証券最大手の野村ホールディングス (HD) が、農業に力を入れている。 ICT (情報通信技術)を使って生産性を高めたり、成田空港を拠点にした農産物の輸出に着目したり。 農業分野への「投資」に、勝算はあるのだろうか。 東京駅から高速バスで 1 時間半弱。 真っ平らな田畑が広がるなかに、野村が出資する「野村和郷ファーム(千葉県香取市)」のトマト農場が見えてくる。

農場では、甘く、高値で売れる「フルティカ」というトマトを栽培する。 2017 年度は計約 4 千平方メートルある 2 棟のビニールハウスで 30 トン超を収穫した。 トマトはスーパーに出荷されるほか、野村の社内食堂でも販売されている。 トマトの苗は高いところでは高さ 2.3 メートルにもなる。 ハウス内での人の動きを分析して踏み台の構造を改良し、高い場所での作業を効率化した。 その結果、1 トンあたりの作業時間は農場開設直後に比べて半分以下となり、パート従業員の労働時間も短くなった。 また、生産量が安定し、黒字化にもつなげた。

最近まで農場の社長を務め、野村では航空機のリース事業などに携わってきた経験を持つ大森栄一さん (59) は「ICT を使って省力化を進められる」と話す。 野村は 10 年、農業のコンサルティングを担う「野村アグリプランニング & アドバイザリー(野村 A & A)」を設立し、農業分野に参入した。 前年に農地法が改正され、企業が農業に参入しやすくなった。 企業の参入が広がれば、農業法人と大手企業の提携を支援したり、農産物の輸出を提案したりするビジネスチャンスが生まれるとみた。 千葉県や北海道に展開する農場で得たノウハウを、コンサルにも生かす狙いがある。

その野村が着目する地が、千葉県成田市だ。 成田市の公設卸売市場は、20 年を目標に成田空港の近くに移転する計画がある。 野村はその計画に参画し、卸売市場の再生を後押ししようとしている。 卸売市場は全国的に苦しい。 成田市場の 17 年度の取扱高も 55 億円と、ピーク時の 5 分の 1 にまで減っている。 飲食チェーン向けの契約栽培など、市場を介さない農産物の取引が増えたためだ。

そんな「斜陽」にもみえる卸売市場に野村がてこ入れするのはなぜか。 成田市にある成田空港が、農産物を海外に輸出する拠点に育つとみているからだ。 千葉県の農業産出額は全国トップクラス。 太平洋岸には水揚げ量日本一の銚子港の水産物もある。 卸売市場が空港の近くに移れば、地場の野菜や果物、水産物の輸出拠点になるという青写真を描く。

新市場は、検疫などの輸出手続きをワンストップでできるようにし、従来なら 1 日がかりだった手続きを 90 分程度で済ませられるようにする計画だ。 成田市の金光公太・経済部卸売市場長は「早朝にとれた野菜や水産物が、空路で同日中に海外のスーパーに並ぶようになれば最高だ」と話す。 海外のバイヤーに成田に常駐してもらうよう働きかけもするという。

成田空港を生かそうという動きは、野村だけではない。 日本航空も空港そばで訪日客らを意識し、イチゴの収穫体験ができる 2 ヘクタールの体験型観光農園を 20 年に開く予定だ。 日本の農業は、高コストや人口減による後継者不足が指摘されてきた。 だが、野村 A & A の太野敦幸社長は「農業は手つかずの部分があり、伸びしろがある。 やりようによっては成長産業になる。」と強気だ。(大隈悠、古賀大己、asahi = 7-13-18)


オウムを追い出した村、代償 9.2 億円 熊本・波野は今

「この村で、核兵器もつくっていたかもしれない。 あれだけの無差別殺人を犯したのだから、死刑執行は当然だ。」 熊本県波野村(現・阿蘇市)へのオウム真理教進出に反対する「波野村を守る会」の中心メンバーで、村長も務めた岩下一之信さん (78) は話す。 教団が阿蘇山のはずれにある原野約 15 ヘクタールを手に入れたのは、1990 年 5 月末。岩下さんは、教団が波野村に先がけて土地を手に入れた当時の山梨県上九一色村を訪ねて調べた。 「許可なく施設の建設を進める。 とんでもない団体だ。」と感じた。

松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚に対する東京地裁判決によると、この年の 2 月にあった衆院選で松本死刑囚らが惨敗、4 月ごろになって無差別大量殺人の実行を教団幹部らに宣言した。 波野村への進出は、その直後だった。 後に、波野村の施設で 90 年秋ごろから、毒ガス「ホスゲン」などの製造工場をつくろうとしていたことが明らかになる。 実際、土地を入手した教団はすぐ、施設建設に着手した。 最も近い場所に農地があった岩下浩徳さん (57) によると、大型トラックが行き来し始め、村が管理する道は勝手に広げられ、プレハブの建物がどんどん建っていった。

村民は 6 月上旬に「波野村を守る会」を結成。 教団に建設計画の説明などを求めたが拒否された。 古くからの住人が大半を占める人口約 2 千人の村は、次々と信徒がやってくる状況を前に、「住民票を移されたら村が乗っ取られて、『麻原村長』ができる」と混乱に陥った。 8 月には、計約 400 人の信徒と村民がもみ合いになり、十数人のけが人が出る事態も起きた。 村は、約 450 人の転入届の受理を拒み続けたが、教団に訴訟を起こされ敗訴。 94 年夏、村が教団に 9 億 2 千万円を払うことで、教団は土地を明け渡すという内容で和解が成立した。 村の年間予算の半分近い金額だった。

守る会の幹部だった飛田祖久美(ひだそくみ)さん (83) には、「もっと額を抑えられなかったのか」という思いもある。 それでも和解によって、村民に死者が出る前に教団は出て行った。 飛田さんは「あの時はあれでしょうがなかった」と振り返る。 死刑執行は「あれだけの罪をしている。 間違いが二度と起こらない社会を実現するには、やむを得ない。」 そう受け止める。 教団施設の跡地はいま、荒れ地になったままだ。 (後藤たづ子、福井悠介、asahi = 7-6-18)


福岡空港「着陸経路」変更案 地場連合が国に提案 発着容量 21 万回超に拡大

2025 年 3 月完成予定の福岡空港の滑走路増設をにらみ、来年 4 月から空港運営事業者となる地場企業中心の企業連合が、航空機の着陸経路の変更を国土交通省に提案していることが分かった。 滑走路南側から着陸する場合、現在は福岡市沖から南下し福岡県春日市付近の上空で旋回しているが、同県久留米市付近から滑走路に直進する経路への変更を想定している。

北風時、久留米付近から直進

これにより、現在は離陸のみに使う予定の増設滑走路が着陸にも使えるようになり、さらに発着容量を増やすことが可能になる。 一方で経路変更には騒音問題などに周辺住民の理解が不可欠で、丁寧な説明と対応が求められる。 福岡空港への着陸は風向きによって南北どちら側から滑走路に進入するかが決まる。 北風の場合は南側から進入。 パイロットは手動運航で春日市付近の上空を急旋回し、滑走路に回り込む。 ただ、北風で視界不良の場合は安全確保のため、久留米市付近まで南下して大きく回り込み、誘導装置の電波に沿って滑走路へと直進する。

増設滑走路を「着陸」にも活用へ

同空港の発着回数増加への対応を巡って国交省は、増設する滑走路を離陸専用としても需要増を吸収できると判断していた。 これに対し、地場連合は航空需要が国の想定より大きく伸びるとみて、増設滑走路を着陸にも使う前提で事業計画を策定。 さらに着陸の際、久留米市付近からの直進経路を常時使えるようになれば、急旋回する現在の経路よりも着陸する航空機の間隔が狭められるため、経路変更の提案を盛り込んだ。

この直進経路に当たるのは久留米市のほか同県小郡市、筑紫野市、太宰府市など。現在は視界不良時に限っているため、この経路の使用割合は着陸全体の 7% 程度だが、経路変更で 25% 前後に増える可能性がある。 春日市付近で急旋回する現在の経路はほとんど使わなくなる。

関係自治体に説明、協力要請

一方、発着容量は拡大する。 福岡空港のスムーズに離着陸ができる発着容量は現在、年間 16 万 4 千回。 国は誘導路の二重化と滑走路増設で 18 万 8 千回に増えると見込むが、地場連合が想定する経路変更も加われば、21 万回以上に増える見通しだ。 地場連合は経路変更で騒音が増える恐れのある関係自治体に説明、協力を要請する方針。 ただ、管制業務は民営化後も国が担うため、経路変更の可否は関係自治体などの意向も踏まえて国交省が最終的に判断する。 (西日本新聞 = 7-2-18)


在沖米軍トップのニコルソン中将、米兵の名も刻む平和の礎に献花

沖縄に駐留する米軍トップのローレンス・ニコルソン中将らが平和祈念公園に姿を見せた。 制服に制帽姿。沖縄戦などで犠牲になった米兵の名前が英字で刻まれた平和の礎(いしじ)の前に花輪を供えた。 記者団に「ここはとても心を動かされる場所。 今日のこの日はとても大切だ。」などと話した。

陸上自衛官有志が慰霊

空が少し明らんできた午前 5 時すぎ、平和祈念公園(糸満市)の中で一番の高台に立つ「黎明之塔」に、制服姿の陸上自衛官約 40 人が現れた。 一団は一言も発さずに花を手向けると、石碑に一斉に頭を下げた。 先頭に立つのは陸自第 15 旅団(那覇市)の原田智総旅団長。 集まったのはあくまで「有志」で、前身の第 1 混成団が沖縄に置かれた 1973 年以来続く「私的な参拝」という。

黎明之塔は、沖縄戦を戦った日本陸軍の沖縄守備軍「第 32 軍」司令官の牛島満中将らの慰霊碑だ。 戦いに殉じた指揮官である一方、司令部を首里から多くの住民がいた南部の摩文仁(まぶに)に撤退させて持久戦を続けたため、住民の犠牲を増やしたとも言われる。 このため、牛島中将の碑を現役自衛官たちが制服姿で参拝することには異論もあり、インターネットなどで議論になることもある。

ただ、2 回目の参加という井筒太介 3 等陸佐は「黎明之塔だけ訪れるのではないのに、そこばかり注目されてしまう」と言う。 実際、隊員たちは約 40 ヘクタールに及ぶ広大な平和祈念公園内を黙々と歩いて回り、一般戦没者を追悼する「しづたまの碑」や、殉職した県職員らを悼む「島守之塔」などにも花を手向けた。 「あくまで戦没者たちを追悼したい。 今日も静かに手を合わせました。」 (asahi = 6-23-18)