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当サイト「田畑敏雄さんの戦場スケッチ」のご案内

大東亜戦争(第二次世界大戦)後期、インド北東部の都市インパール攻略を目指した「インパール作戦」のスケッチによる記録です。 ビルマのほぼ全土が戦場となりました。

水彩画 4 葉を含む、計 88 葉の田畑敏雄さんの作品を掲載しています。 全 5 ページに分け、第 1 編「インパール作戦(21 葉)」、第 2 編「戦闘(21 葉)」、第 3 編「撤退(21 葉)」、第 4 編「戦死(12 葉)」、第 5 編「復員(13 葉)」で構成しています。

この貴重な作品が出来るだけ多くの人々の目に止まりますよう、「戦場スケッチ」と題してブログも開設しました。 少々荷は重いのですが、この戦場に立たれた先輩諸氏のお気持ちに少しでも近付けるよう書き綴る心づもりです。

作者、田畑敏雄さんについて

祭 60 連隊、田畑様は京友禅の絵描きさんでしたが 3 年前に死去されました。 古参兵で 90 歳くらいのお年の方でした。 生前スケッチの利用をお願いしたところ、快くご本人の承諾を得ることが出来て、少通 10 期会、32 対無戦友会など私達の会報誌の挿絵などに利用させていただいております。 川畑武和 さん (1-17-06) ≫

歩兵第 60 連隊(祭)の足跡

昭和 19 年(1944 年)、第 15 師団は第 15 軍に編入され、ビルマ方面に転進し、インパール作戦に参加。 同年 3 月 15 日、チンドウィン河の渡河では先頭部隊となり進撃。 アラカン山脈を 4 日で越え、3 月 18 日にはビルマ、インド国境線を突破。 4 月上旬にはインパールへ数十キロの地点まで肉薄。

しかし、例年より早い雨季のため補給が完全に絶たれる。 アメーバ赤痢、悪性マラリア、飢えと疲労のため完全に孤立。 7 月 7 日、撤退命令により悲惨な "白骨街道" を撤退。 12 月 28 日、イラワジ河畔に集結したが兵員は 600 名にまで激減。

12 月 29 日、イラワジ河を渡り対岸の防衛に付く。 昭和 20 年(1945 年) 1 月 17 日、追撃してくる英印軍と激戦(イラワジ河の会戦)。 少ない兵力で 4 ヶ月に亘る攻防戦を展開するが、命令によりタイへ転進。 8 月 11 日、タイ国バンポン・タモアン地区に集結、同地で終戦を迎えた。≪「ぶらり重兵衛の歴史探訪」サイトより ≫