シェール革命、変わる米国経済 コスト減、製造業に恵み 【編集委員 = 有田哲文】 地層深く岩に眠っていたガスが、新たな資源として脚光を浴びている。 シェール革命とも呼ばれるこの「事件」は、米国経済をどう変えようとしているのか。 ■ 原料安で、ものづくり復活 シェールガスの現場を見に行こう、そう考えたのは、バークレイズ証券の山川哲史調査部長のこんな話を聞いたからだ。 「シェールガスは、米国企業のコスト構造を変えつつある。 これまで米経済はサービス化がどんどん進んできたが、そこに、ものづくりの復活も加わっている。 アメリカの強さになっているんです。」 難しい、難しいといわれていたシェール(頁岩 = けいがん)からの天然ガス採掘が商業的に成り立つようになり、いま米国の 30 を超える州で採掘が進んでいる。 100 万 BTU (英国熱量単位)あたりのガス価格は 2008 年ごろに 13 ドル程度だったのが、3 - 4 ドル程度まで下がった。 日本の相場と比べれば 4 分の 1 以下だ。 その安いガスが米国製造業のコストの低下に役立っているのだという。 ガスによる発電が増え、電力料金が下がることも見込まれている。 最も潤っているといわれるのが、化学業界だ。 安い天然ガスを原料にできれば、コストを大きく引き下げられる。 化学原料メタノールの世界最大手メタネックスの動きは、なかでも目立つものの一つだろう。 チリにある二つの工場を解体して船でルイジアナ州バトンルージュ近郊に運ぼうとしている。 メタノールは、平面テレビのパネルや化学繊維の原料にも使う化学原料だ。 訪れたときには、チリからの第 1 便が着いたばかりだった。 コンテナから取り出されたパイプ類が、無造作に並べられていた。 さらに大きなパーツが来るのはこれからということで、ミシシッピ川から陸揚げして運ぶために幅の広い取り付け道路の造成も進んでいた。 牧草地を切り開いたという広大な工場の予定地内では重機が行き交い、基礎工事が進んでいた。 一つ目の工場は 14 年暮れまでに、二つ目は 16 年の早い段階でできあがる。 こんな大規模な工場の引っ越しはまれではあるが、建設コストが抑えられることに加え、安い天然ガスの恩恵が早く受けられるという。 ■ 革命が支える「化学産業ルネサンス」 現場を仕切るグレン・ファンノー氏は、ルイジアナなどメキシコ湾岸の石油化学業界で 30 年間働いてきたベテラン技術者だ。 昨年 11 月にメタネックスに雇われた。 「このあたりは 1960 年代、70 年代に多くの化学工場がつくられ、発展してきた。 それが 00 年代になると、天然ガス価格が上昇したために、縮小傾向になってしまった。 でも、うれしいことに、いま、事情は再び大きく変わったんだ。 多くの企業が、工場の拡大を発表するか、検討するかしている。 私たちは化学産業ルネサンスと呼んでる。」 2 つの工場ができれば 165 人を雇う予定にしていて、人材募集の真っ最中だという。 ファンノー氏の言うとおり、化学業界は設備投資ラッシュだ。 米化学評議会によると、13 年 3 月までに、100 件近い投資案件が発表され、その総額は 717 億ドル(7 兆 2 千億円)におよぶという。 日系でも信越化学工業が 6 月、ルイジアナ州にある米国子会社の生産増強を決めた。 製鉄など他の業界にも生産を拡大する動きがある。 ■ コスト削減効果は年 6 兆円も シェール革命が米経済にどれだけの貢献するかは、識者の間で見方が分かれる。 強気派の代表格は、コンサルティング大手のプライスウオーターハウスクーパース。 シェールにより 100 万人の雇用が生まれるとしている。 同社のロバート・マカッチェン氏は言う。 「シェールによるコスト削減効果は、25 年までに年間ベースで 600 億ドル(6 兆円)以上になるとみている。 原料としてのガス価格の低下、電力などエネルギー価格の低下、それからガスに置き換わることで石炭価格が低下する効果もあるだろう。 米国の製造業にとって、ここ数十年で最大の出来事といっていい。」 特筆すべきなのは、このコスト低下が、中国の人件費が上がるなかで起きているということだ。 製造業の米国回帰は、二重の追い風を受ける。 米化学大手ダウ・ケミカルも、米国を中東と並ぶ生産拠点と位置づけるようになった。 「石油化学のコメ」と呼ばれる主要原料エチレンを増産する方針で、12 年 12 月にはいったん止めていたルイジアナ州の工場を再稼働させ、テキサス州での大型工場の計画も進めている。 ところが、影響は思わぬところに出ている。 米国シフトの流れのなかで、ダウ・ケミカルは愛知県の工場を年内に閉鎖することにした。 多いときには年 5 千万円ほどあったという法人市民税を失うことになる地元・半田市では「残念だ。 支出をしぼるなり、企業誘致につとめないと。(榊原純夫市長)」との声が出ている。 ■ 苦節 20 年でようやく商業化 シェール層にガスや石油が存在することは 19 世紀から知られていた。 しかし、安いコストで掘ることができるようになったのは 2000 年代半ばからだ。 そこには、ある中堅の資源開発会社の努力がある。 ミッチェル・エナジー&ディベロップメントだ。 社長のジョージ・ミッチェル氏 (94) は、ギリシャ移民の貧しい家から身をおこし、ガス・石油開発会社をつくった実業家だ。 シェールを掘ろうとした理由はただ一つ。 契約したガス田の枯渇が心配されたからだ。 テキサス州のバーネット・シェールと呼ばれる場所で、採掘試験を始めた。 「手持ちのガス田が枯渇する 10 年後までに、代わりのガスを見つけなければいけなかった。」 81 年に同社に加わった地質専門家、ダン・スチュワード氏は、当時を振り返って言う。 しかし、実際に商業化するには 20 年余りが必要だった。 資金がかかるばかりの開発にたいして社内でも反対があったが、ミッチェル氏が押し通した。 不動産部門を売却して開発費を捻出した。 倒産か、成功かの賭けだった。 結果は後者になり、ミッチェル氏は今や 20 億ドル(2,000 億円)の資産家だ。 スチュワード氏は言う。 「バーネット・シェールは、神からの贈り物だ。 そして、ジョージは、そこでリスクをとったんだ。」 ■ ゴールド・ラッシュ再来、潤う地元 テキサス州の実績が、全米に広がるまではあっという間だった。 ルイジアナ州北部。 牧草地が広がるデソト郡に、ガス開発会社の人間が押し寄せたのは、5 年ほど前のことだ。 郡の教育委員であるトミー・クレイグ氏 (64) の家にも来た。 妻が所有していた牧草地が目当てだった。 妻側の一族は、合わせて 200 エーカーの土地を持っており、契約料として約 200 万ドル(2 億円)が入った。 その後もガス収入の 2 割ほどを受け取ることができる。 そんなにわか長者が数多く生まれた。 郡内を回ると、牧草地のあちこちに金属の柵に囲まれたガス採掘用の井戸があり、ガスを送るパイプラインも目立つ。 「ここは貧しい地域だったが、シェールで大きく変わった。 私たちは非常に幸運だ。」とクレイグ氏は言う。 開発に伴い、売上税の税収がはねあがり、学校予算は一時は通常の 5 - 6 倍になった。 教員の給料を大幅に引き上げ、郡のあちこちから優秀な先生を集めることができた。 1 人募集すると、200 人も 300 人も応募が来たという。 まるでゴールド・ラッシュのような光景が米国のあちこちで広がる。 ルイジアナ石油ガス協会のドン・ブリッグス会長は「数年前まで、米国の各地で液化天然ガスを輸入する準備を進めていたんだが、180 度変わった。 いま我々は、輸出の準備をしているんだから。」と言う。 ■ 高まる環境へ懸念 順調に進むかにみえるシェール開発にも、アキレス腱がある。 環境問題だ。 ニューヨーク州の大きなホールに、歌声が響く。 「お金より大事なものを。」 ミュージシャンらが、シェール開発を永久に禁止するよう、州知事に呼びかける集会だ。 最後は、米フォークソングの大御所ピート・シーガーから届いたメッセージに会場が沸く - -。 ドキュメンタリー映画「拝啓、クオモ知事」は、この地での反対運動の盛り上がりの大きさを示す。 シェールが埋蔵されながらも開発の凍結が続く唯一の州だ。 反対派が指摘するのは、ガスの成分や、ガスを採掘するときに使う薬品などで、飲み水になる地下水が汚染される可能性だ。 州でなく全米レベルでの規制を求める声もあり、業界には警戒感がにじむ。 反対派には、別の懸念もある。 シェールガスやシェールオイルが、せっかく動き出した自然エネルギーへの芽をつむのではないか。 ニューヨーク州の小児科医キャサリン・ノーラン氏 (57) は言う。 「風力や太陽光などの自然エネルギーへと向かうか、それとも天然ガスへと向かうか。 私たちがとりうる選択は 2 つに 1 つだ。 限られた資金や政治的エネルギーを天然ガスばかりに振り向ければ、自然エネルギーへの投資が滞ってしまう。」 エネルギー問題に詳しいヒューストン大客員教授のスーザン・サクマル氏も「天然ガスは確かに自然エネルギーの発展を阻害するおそれがあると言われている」と指摘しつつ、折衷案を提起する。 「一方で、自然エネルギーが発電できないときの予備発電として役立つ可能性もある。 使い方次第で、敵にも味方にもなり得るのではないか。」 ◇ ■ 石塚博昭・三菱化学社長の話 6 月に米国であった会議でエクソン・モービル社長からシェールガスの感想を求められたので、こう答えた。 「はっきり言ってずるい。 米国はエネルギーも原料も安くなって、それで日本からどう見えるかなんて、聞くことじたいもアンフェアだ。」 私は 08 年ごろから、米国はいずれ、あの硬い頁岩(シェール)から安いコストでガスを取り出すようになると考えていた。 頭のいい技術者たちがひと山あてようとするだろうと。 しかし、それは日本の石油化学業界にとっては黒船が来ることを意味する。 いまエクソンやダウ・ケミカルなどの米石油化学大手は安くなった天然ガスから主要化学原料エチレンをつくる工場を新設しようとしている。 彼らは輸出は考えていないと言うが、米国内の内需で消化できるとは思えない。 いずれ東南アジアにも出てくるだろう。 日本からのアジア市場への輸出はますます厳しくなる。 日本国内のエチレン生産能力は現在約 750 万トンだが、生き残れるのは日本の内需に相当する 500 万トン程度ではないか。 だから、私たちは茨城県・鹿島コンビナートのエチレン工場 2 基のうち 1 基を停止することを決め、旭化成と組んで岡山県・水島コンビナートの生産能力も減らすことにした。 アジア市場向けには、米国よりも安い中東のガスを使った製品で対抗したい。 米国で安い天然ガスによるエチレンの生産が始まるのは 16 年からと言われる。 業界には、まだ 2 年半もあるじゃないかと思っている経営者もいるようだが、甘いと思う。 黒船は必ず来る。 備えが必要だ。 ◇ ■ 田中伸男・日本エネルギー経済研究所特別顧問(前国際エネルギー機関事務局長)の話 国際エネルギー機関も 10 年までは、米国はガス輸入大国になると考えていた。 しかし、その年の暮れあたりから、米国内のガス産出量を見て、どうも違うのではないかという議論になった。 それで 11 年に「私たちはガスの黄金時代に入ろうとしているのか?」という特別報告を出すことになった。 シェールガスの採掘は、50 年前後にかけては、このままのペースが続くだろう。 これほど安くてもガスを掘り続けるのは、一緒に石油が出てくることが多いからだ。 石油が高値で売れれば、ガスは低い価格でもパイプラインを通じて市場に出せる。 シェールからのガスや石油のおかげで米国の貿易赤字は半減するだろう。 好ましいことではあるが、問題は、資源のおかげで国内にお金が落ちるとバブルを引き起こしやすいことだ。 だから、北海油田のあるノルウェーは政府系ファンドを通じて外国に投資している。 米国がこの問題をどう克服していくかが問われる。 シェール革命の最大の敗者はロシアだろう。 国営ガス企業のガスプロムはずっと、シェール革命は環境問題もあるし、たいしたことはないと言っていたが、見誤った。 欧州市場で苦戦するロシアは今、液化天然ガス (LNG) を日本に売りたがっている。 これを機に日本はロシアからパイプラインを引くことを考えるべきではないか。 サハリン島沿岸の海中に敷設すれば千キロメートル前後で済み、LNG よりも安くなる。 (asahi = 7-16-13) |