リカレント教育(学び直し) 社会に根づかせよう

ねらい通り、社会に根づいたものになるか。 最近、「リカレント教育」に大学や産業界から熱い目が注がれている。 リカレントは「循環する」の意で、社会人が大学などに戻って学び直すことをいう。 岸田首相が唱える「新しい資本主義」の重要な柱として、6 月の骨太の方針に「人への投資と分配」が掲げられた。 リカレント教育の促進もその一つで、政権の肝いりとあって、関連する施策の経費を各省が来年度予算の概算要求に盛り込んだ。

例えば、社会人向けの授業を開発・実施する大学に人件費を支援する。 各大学の授業内容をまとめたウェブサイトを使いやすくする(文部科学省)。 勉学のため社員が仕事を離れる期間も給料を支払う企業への補助金を増やす(厚生労働省) - - などで、関連予算を含めた要求額は 1 千億円を超える。 こうした措置を通じて、デジタルなど成長分野の人材を増やすのが政府の目的だ。

学び直しの意義は大きい。 新たな知識や技術の習得は当人の能力を高め、社会の変化に対応できる人材を増やす。 企業にとって歓迎すべき話だし、少子化が進むなか、新たな年齢層の学生を迎え入れたい大学の思いとも重なる。 だが現実に目を向けると、一般学生の授業と別に、大学が社会人教育のための教員を確保するのは容易ではない。 企業は企業で、どこまでの効果があるか分からないので社員を送り出すのに二の足を踏む。

このため、経済協力開発機構 (OECD) の昨年のまとめでは、大学の学部入学者のうち 25 歳以上の割合は、先進 36 カ国の平均が 16% なのに対し、日本は 1% にとどまる。 今回の政治の側の動きをとらえ、大学は社会人向け授業の充実の検討に、企業は勤務への配慮や受講費の補助など社員が学びやすい職場環境の整備に、本腰を入れてほしい。 コロナ禍でオンライン授業が珍しくなくなり、働きながら学ぶハードルは下がった。

大学と経団連の対話も進み、今年 4 月には、企業側が求める教育プログラムと、大学側が用意している授業とを一覧にした資料が公表された。 双方の認識の重なりと違いを目に見える形で示すことで、改善につなげようという取り組みだ。 ただ、「時代はデジタル」、「成長のかぎはグリーン」とばかりに、同じような能力ばかり求めるのは疑問だ。 変化の激しい時代。 文系理系を問わず多様な人材がいることが、その企業や社会の強みになる。 学び直しを幅広く支えてこそ、「人への投資」の名に値する。 (朝日新聞・社説 = 9-30-22)


「先輩のスキル、通用しません」 DX人材の育成、企業内「道場」で

デジタル化に対応する新しいスキルを、働き手にいかに身につけてもらうか。 新しいビジネスを生むために、何を学んでもらうか。 企業や日本経済の成長のカギを握るのが、そうした人材育成です。 従来の日本型の育成方法からの脱皮に向け、模索が続いています。

社内に「道場」や「大学」

キリンビールのマーケティング部で働く西口裕規さん (34) は昨夏、「DX (デジタル・トランスフォーメーション)道場」の門をたたいた。 全社的なマーケティング戦略を考えるチームの一員。 ビールやチューハイ、洋酒など各製品の担当部署がまとめる売り上げの分析結果を活用するが、集計に手作業が多かったりデータの重複があったりと、無駄が多いと感じていた。

DX 道場は、親会社のキリンホールディングスが昨夏に始めた社内向けの教育プログラム。 既存のデジタルツールでデータを整理・分析する方法を学ぶレベルから、独力でプログラミングできるようにするレベルまで 3 コースあり、「白帯」、「黒帯」、「師範」と名付けた。 期間は 1 カ月半 - 3 カ月ほどで、これまでにのべ約 1,700 人が日々の仕事をこなしながら受講してきた。

西口さんは、海外のグループ会社に出向していたとき、データ分析の基本を独力で学んだ。 帰国してからは情報通信技術の活用を進めるチームのメンバー。 こうした経験があるため、「黒帯」からスタートした。

まずは座学で、プログラミングをせずにアプリを開発する方法や、データを分析するツールを学習。 それを自分の仕事にどう生かせるかを考え、実際の売り上げデータを約 2 カ月間分析した。 「(ツールは)作業を効率化するだけでなく、データを使いやすくできることがわかった。 DX でどんなことができるのかを考える上で幅が広がった。」と話す。 道場を卒業後は、マーケティング部の仕事の一環として、ばらばらだった各部署のデータを一括して誰でも見られるようにしたり、複数の部署にまたがる仕事の進み具合を管理したりできるアプリの開発に取り組んでいる。

「どうしてお客様がこの製品を選んだのか、その理由は我々が考えているものと同じなのか、という内心を深く探らないといけない。」 DX はそのための手法の一つだ、という。 デジタル技術をビジネスの変革に生かす DX。 その重要性は近年高まっているのに、必要な人材を社外から十分に採用できない - -。 それが同社が道場を始めた理由だ。 「採用できないからといって DX を進めないわけにはいかない。 お金をかけて、ポテンシャルがある社内の人材を教育するべきだ。」 磯崎功典社長は、当時執行役員だった秋枝眞二郎常務にそう指示を出したという。

「グループ内でも会社によって DX の生かし方は違う。 グループ全体の効率化につながるアイデアは全体で活用していきたい。」と秋枝常務は話す。 IT 人材は 2030 年に最大で約 79 万人不足する - -。 経済産業省が 16 年に示した調査結果だ。 IT 技術者の獲得競争は激しい。 日本型雇用は、社内での教育訓練を重視してきた。 デジタル化で必要な人材も社内で育てようとする企業が多い。

情報処理推進機構 (IPA) が昨年公表した調査結果(複数回答)によると、日本では「社内人材の育成」で企業の変革を推進するための人材を確保すると答えた企業が 49.1% で最多だった。 中途など社外からの採用は 39.0%。 米国の場合は、社内と社外が約 48% でほぼ同じだ。

空調大手のダイキン工業が 17 年に立ち上げた「ダイキン情報技術大学」。 新入社員の一部を 2 年間、人工知能 (AI) やデータ解析の専門家にするために教育する。 毎年 100 人程度が選ばれる。 「大学を卒業した後、さらに 2 年間勉強できるのか、他社に転職してしまうのでは、という懸念はあった。 それでも 5 - 10 年後に事業の中心になる人材を育てたいという思いだった。」 大学トップの今井達也・人事・労政・労務グループ長はそう話す。

1 年の座学の後、AI 技術の実用化を試みる 1 年を過ごす。 その後、実際に各部門に配属される。 「大学 1 期生」は、入社 5 年目で各部門のリーダーに育っているという。 これまでの退職者は数人にとどまる。 「1 期生」の澤田龍之介さん (29) は、今は空調の商品開発を担当する。 排水が原因で故障しないよう、AI を使った画像認識で汚れや菌の繁殖状況を監視するシステムをつくった。 「職場の人から『こういうことはできないか』という相談を受けると、やりがいを感じる」と話す。

「リスキリング」重要に

デジタル化など新しい技術に対応できる人材の育成で、日本は海外に後れをとってきた。 それが、「GAFA (ガーファ)」と呼ばれる米国の IT 大手などにデジタル空間を席巻される現状につながっている。 日本の企業は長年、人材育成では OJT (オン・ザ・ジョブ・トレーニング)に軸足を置いてきた。 実際の仕事をしながら、先輩が若手に技術や知識を教える方法だ。 一人前になるまでには時間がかかり、日本型雇用の特徴である長期雇用が前提だ。

1990 年代ごろまでは、OJT が製造業を中心とした日本企業の強みだった。 労働経済学の第一人者だった故・小池和男氏は、OJT で身につく現場の対応力を「知的熟練」と呼び、高く評価した。 だが近年はデジタル技術の進展などに伴い、仕事の中身ややり方の変化が速い。例えばモノの売り方が対面からネットになれば、働き手に必要な技能も変わる。

そこで、OJT ではなく、従来の仕事から離れて新しい技能を身につける「リスキリング(学び直し)」の重要性が高まっている。 「先輩の知識がそのままでは通用しなくなっている。 (新しい技能の)基礎を座学でしっかり身につける必要がある。」と、リクルートワークス研究所の石原直子・客員研究員は指摘する。 ただ、日本企業が OJT 以外に従業員の能力開発にかける費用は、海外に比べて少ないとされる。 2018 年版「労働経済の分析(労働経済白書)」によると、10 - 14 年の平均では国内総生産 (GDP) の 0.10% にとどまり、米国の 2.08%、ドイツの 1.20% などを大幅に下回る。 それが低成長の一因とも指摘されている。

こうした状況を受け、政府も対策に本腰を入れ始めた。 「モノからコトへと進む時代。 付加価値の源泉は、創意工夫や新しいアイデアを生み出す人的資本、人です。」 岸田文雄首相は 1 月、国会での施政方針演説でそう述べた。 24 年度までに計約 4 千億円の予算を投入。 企業への助成金などにあて、100 万人規模の働き手の技能向上などを後押しするという。

ただ、実際にどこまで取り組みが進むかは企業次第だ。 リクルートワークス研究所の石原さんは「まずは企業がどんなビジネスをやりたいか、そのためにどんな人材がどれだけ必要かというプランを作った上で、従業員のリスキリングを進める必要がある」と指摘。 「日本ではそうした戦略を考えられていない企業も多く、経営者側の能力開発が大事になる。 政府もそこをどう支援できるかを考えるべきだ。」と話す。

リスキリングをより広くとらえて、社外で本業とは違う仕事や勉強をすることを社員に促し、新しい気づきを得て本業に生かしてもらおうとする企業の動きも広がる。 塩野義製薬は今年度、社員が希望すれば週休 3 日を選べる制度を始めた。 大学院進学や資格の取得などを支援する狙いだ。 広報担当者は「イノベーション(技術革新)を起こすには社外の知識や経験が欠かせない。 外の空気を吸うことで仕事の幅が広がる。」と話す。

大日本印刷は副業や兼業を積極的に認めている。 趣味が高じて恐竜イベントの企画を個人で請け負う社員もおり、「消費者と直接向き合い、世の中で求められるものは何かをつかむきっかけになる(広報)」としている。

訓練の機会少ない非正規

一方、企業内での教育訓練の対象から外されることが多いのが、非正規労働者だ。 厚生労働省の昨年の調査によると、正社員に対して計画的に OJT を行った事業所は 6 割近いが、正社員以外に対して行った事業所は 3 割を切る。 非正規は雇用期間が短いことが多く、企業にとっては訓練にお金をかける動機付けに乏しい。 だが、訓練の機会が十分ない非正規の働き手は、正社員との処遇格差がさらに広がる。 また、非正規が働き手の 4 割近くまで増えた中では、日本全体で「人への投資」を増やすことが経済成長にとって必要だ。

そのためには、政府など公的な機関が行う職業訓練も大事になる。 非正規労働者が安定した正社員に転職したり、離職時に再就職したりしやすくする狙いだ。 ただ、その際には、受けた訓練を、会社の枠を超えて評価する仕組みも重要だ。 そこで厚生労働省が 2008 年に導入したのが「ジョブ・カード」だ。 非正規労働者らが職業訓練の経歴などを書いて就職活動などに使う仕組みで、約 280 万人が作成したとされる。

しかし、これまで十分に活用されてきたとは言えない。 ジョブ・カードの「普及サポーター企業」は約 2,800 事業所あるが、実際に求職者からの応募書類として認めているのは約 400 事業所にとどまる。 なかには数年前の回答も含まれており、厚労省の担当者は「すべてが今も活用されているか調査していない」という。

求職者が自分が持つ技能を整理するために役立つという指摘がある一方、カードは A4 判で 6 枚以上あり、内容が複雑すぎるという批判が根強い。 かつてカードを活用していた東北地方のある会社の人事担当者は「技能の有無は採用時の判断基準の一つだが、協調性やコミュニケーション力も大事。 カードを使わずに面接してしまった方が手っ取り早い。」と話す。

労働政策に長く関わった厚労省の元幹部は「日本の会社は、訓練や教育の結果を重視していない。 実際に人を見て判断する採用方法のままでは、政策にできることは限られる。」と、企業が姿勢を変えることも必要だと指摘する。 (橋本拓樹、平林大輔、asahi = 9-17-22)