技能実習生のベトナム人女性、介護福祉士の国家試験に合格
技能実習生として来日し、盛岡市内の介護施設で働いているベトナム人の女性が、介護福祉士の国家試験に合格しました。 技能実習生として来日した外国人の合格は県内で初めてで、6 日、勤務先の施設で表彰式が行われました。 介護福祉士の試験に合格したのは、ベトナム出身のグエン・ティ・チャンさん (24) です。 4 年前に技能実習生として来日し、盛岡市内の介護施設で働きながら専門知識を学び、1 月に初めて試験を受けて合格しました。
介護福祉士の試験は、去年から技能実習生として来日した外国人も受けられるようになり、こうしたケースでの合格は県内ではグエンさんが初めてです。 6 日は勤務先の施設で表彰式が行われ、技能実習生の受け入れやサポートをしている団体の理事から表彰状を贈られました。 試験には介護の専門知識のほか、高度な日本語の能力も求められるということで、グエンさんは仕事が終わったあと、日本語の勉強を毎日 2 時間、続けてきたということです。
今回の合格で、介護福祉士として県に登録できるようになり、ずっと日本で働くことができるほか、訪問介護などの仕事もできるということです。 グエンさんは「介護と日本語の勉強は大変でしたが、周りの人の支えのおかげで合格できて感謝しかありません。 これからもっと日本語と介護についての知識をつけていきたいです。」と話していました。 (NHK = 4-6-23)
モンゴル出身の特定技能実習生、介護福祉士の国家試験合格 「信じられない」
金沢市長田本町のグループホーム「遊子苑ながた」で、特定技能実習生として働くモンゴル出身のバトサイハン・アマルヒシグさん (29) が 2 日までに、介護福祉士の国家試験に合格した。 施設の運営法人によると、技能実習生として働きながら資格を取得するのは珍しく、アマルヒシグさんは「信じられない。 仲間が支えてくれたおかげだ。」と喜んでいる。 アマルヒシグさんは 2019 年 12 月、当時、介護分野では県内初となるモンゴルからの外国人技能実習生として受け入れられた。 外国人の場合、福祉の専門学校や養成施設に通って試験勉強をする人が多く、技能実習生として試験に合格するケースは少ないという。
1 年前から勉強を始めたというアマルヒシグさんは漢字や法律に苦戦し、何度も諦めそうになった。 ただ、施設の利用者や職場仲間に支えられなが 1 日 4 時間の勉強を続け、今年 1 月の試験で念願の合格をつかみ取った。 アマルヒシグさんは「とてもうれしかった。 これからは認知症の対応について勉強していきたい。」と、さらなるスキルアップに意気込んだ。 (北國新聞 = 4-3-23)
後輩たちの憧れ インドネシア人介護福祉士 猛勉強
技能実習生から全国初の合格 次の目標は「ケアマネジャー」
長野県小諸市の施設で働くインドネシア出身の女性が 2022 年、全国で初めて技能実習生から介護福祉士に合格した一人となりました。 女性の働きぶりと外国人の力を必要とする介護の実情をお伝えします。
■ いたわり 優しく デウィ・アングライニさん
小諸市の介護型老人ホーム「ケアハウスのぞみ」。
「昨夜、よく眠れましたか? (デウィ・アングライニさん)」
「眠れましたよ。(入所者)」
「いつも遅い時間に寝てるじゃないですか! (デウィ・アングライニさん)」
「寝つきが悪くてね。(入所者)」
入所者に優しく話しかけるデウィ・アングライニさん。 インドネシア出身の 29 歳です。
「これから面会に行きますので、家族が来ますよ。 下に行きましょう。(デウィ・アングライニさん)」
「どこ行くの? (入所者)」
「1 階に行きましょうね。(デウィ・アングライニさん)」
■ 介護福祉士の資格を取得
技能実習生として来日して 5 年。 2022 年 3 月、全国で初めて、技能実習生から介護福祉士の資格を取得した一人となりました。 施設が期待を寄せている人材です。
「(資格取得は)うれしいですね。 何も言えないぐらい、うれしいです。 利用者さんは人によって、性格が違って対応する時も違いますから、もっと勉強したいです。(デウィ・アングライニさん)」
■ 家族を支えるため 5 年前に来日
インドネシアで助産師として働いていたデウィさん。 10 人きょうだいの 9 番目で、家族を支えようと 23 歳の時に日本行きを決意しました。
「インドネシアだと助産師として(給料が) 2 万円ぐらいしかもらえませんでしたから、でも日本だと(インドネシアの) 10 倍ぐらいだから、インドネシアにいる家族を支えることができて、小さいころから日本のアニメをよく見てて、他の国より日本の方が安全な国というイメージがあり、日本に来ました。(デウィ・アングライニさん)」
技能実習制度に「介護」が加わり 2018 年、デウィさんは第 1 期生として今の施設にやってきました。
「他の人の役に立っている仕事だから、介護に決めました。 利用者さんから『ありがとう』と言われてうれしいです。(デウィ・アングライニさん)」
■ 努力して勉強 日本語と介護福祉士
来日前に日本語学校で 10 カ月学んでいましたが、やはり、最初は言葉の壁にぶつかりました。
「日本語でコミュニケーションとるのは難しいです。 (どう克服したのですか?)一生懸命、日本語を勉強しました。(デウィ・アングライニさん)」
いずれ帰国して助産院を開きたいと考えていましたが、日本の住みやすさもあって、研修 3 年で受験資格が得られる「介護福祉士」の試験に挑戦することに。 猛勉強が始まりました。
「この本は言葉が分かりやすいですけど、これはもう専門級ですね、難しかったです。 とても難しいです。 仕事終わってすぐ勉強して、毎日 2、3 時間勉強しました。(デウィ・アングライニさん)」
施設のサポートと本人の努力の結果、みごと合格。 「永住」が可能となる在留資格も得られることになりました。
「何も言えないぐらいうれしい。 信じられない、夢みたいですね。(デウィ・アングライニさん)」
流ちょうに日本語を話しながら食事や入浴などの支援をこなすデウィさん。 入所者からも慕われアイドル的な存在です。
「バウムクーヘンです。 おいしいですよ。 息子さんがわざわざ持ってきましたから、どうぞ。(デウィ・アングライニさん)」
「日本に来て日本のことをよく勉強している方で、優しくて、手早くお仕事してます。 今のままで続けていただければ良いなと私は思います。(80 代入居者)」
「よその国から来ているだけあってね、真似はできない。 立派な方ですよ。 なかなか真似できない。」
■ 毎日、家族と電話
忙しくても毎日欠かさないインドネシアへの電話。 介護福祉士になったことを家族も誇らしく思っているようです。
「(お父さん、どんなふうに話していますか?) 私が日本で頑張っていて、(介護福祉士に)合格したのは両親もうれしくて、家族も自慢げ。 他の人の役にもっと立ってほしいと両親が話してくれました。(デウィ・アングライニさん)」
「DEWI Semangat ya! (デウィ、頑張って。)」
■ ユニットリーダーに任命 2 月 9 日
「2023 年 3 月 1 日より、あなたを 3 階のユニットリーダーに命じます。(ケアハウスのぞみ・石原新治施設長)」
これまでの働きぶりが評価され、2 月、施設の 3 階フロアを取り仕切るユニットリーダーに抜擢されました。
「リーダーになるのはちょっと信じられないですね。 信じられないくらい、何も言えない。 これからも頑張ります。(デウィ・アングライニさん)」
「大丈夫です。 頑張ってください。(ケアハウスのぞみ・石原新治施設長)」
「私も、もう 5 年見てきてますけども、努力、努力、努力。 全てにおいて努力をして、ここまで上がってきてくれた人材です(ケアハウスのぞみ・石原新治施設長)」
■ 介護の現場 外国人の力が必要に
介護の現場ではますます、デウィさんのような外国人の力が必要とされています。 要介護の認定者数は増加の一途。 全国で 2019 年度末は 669 万人でしたが、2022 年 11 月末には 698 万人に。 県内も 11 万 2,000 人から 11 万 4,000 人に増えています。 それに伴い介護職員の需要も増え、2019 年度の職員数は県内で 3 万 7,000 人でしたが、2025 年度には 4 万 1,000 人が必要と推計されています。 賃金の問題に加え少子化もあって日本人の担い手が増える見通しは立たず、外国人の力が必要となっています。
「やはり、人手というのは少なくなっています。 半分くらいが外国人の方がきて働いてもらっていて、とても戦力となって助かっています。 (他に)技能実習生が 7 名いますけれども皆さん、デウィさんを慕って、デウィさんにいろいろ教えてもらいながら育ってきております。(ケアハウスのぞみ・石原新治施設長)」
■ 次の目標は「ケアマネジャー」
こちらの施設では介護職員 22 名のうち、8 名はインドネシア、ミャンマー、ベトナムからの技能実習生。 デウィさんは後輩たちの憧れです。
「(デウィさんの)優しいところは、分からないことなんでも聞いていいです。 答えてくれます。 厳しいところは、仕事で間違ったりしたら全然だめです(笑)。 すぐ注意される(笑)。」
「仕事やる時も優しいし、笑顔でやっているから、私もデウィさんのようになりたいと思っています。(ミャンマー技能実習生)」
デウィさんは技能実習生としての期間が終わる 2023 年 8 月以降も「在留資格」を得て、日本で仕事を続ける考えです。 既に次の「目標」を定めています。
「介護福祉士の次は『ケアマネジャー』の資格を、その目的で今は頑張っています。 (外国から働きに来る)皆さんは、何か目的を持って、お金のことだけじゃなくて、他の人の役に立ってほしい、他の人に優しくしてほしい。(デウィ・アングライニさん)」 (NBS 長野放送 = 2-26-23)
外国人美容師、東京で今月「解禁」 実は多い「働けない免許保有者」
今月、東京都内で外国人美容師が働けるようになった。 資格は取れるのに働けない - -。 外国人にとって、実はそんな矛盾が長年続いてきた。 新たな制度で一歩を踏み出そうとする女性がいる。 劉雨(リュウ・ユ)ティンさん (28) は今春、ハリウッド美容専門学校(港区)を卒業し、日本の美容師免許を手にした。 免許は、都道府県指定の養成施設(原則 2 年間)を卒業し、国家試験に合格すれば取得できる。 国籍の規定はない。 なのに、美容師として働く在留資格は原則として得られない。
今月、東京都内で外国人美容師の就労が解禁されました。 しかし、国家資格を取っても働けない職種は他にも多くあります。 記事後段では、栄養士の資格を取った韓国人女性が、日本の外国人政策に疑問を投げかけます。 同じような矛盾を抱えてきた職種は、実は美容師だけではない。 栄養士、保育士、はり師 …。 日本で学び、資格を取得したのに、なぜなのか。
「日本の美容はお客さんを可愛く、笑顔にできると思うんです。」 聞き取りやすい日本語でそう話す劉さんは中国・江蘇省出身。 本来なら日本で働けなかったが、「国家戦略特区」のおかげで道が開けた。 業界団体の要望を受けた都が国に申請し、今月から「日本語能力などの要件を満たした外国人は最長 5 年、美容師としての在留資格を得られる」ことになった。 9 月に大手美容室チェーンの内定を得た劉さんは、ビザの切り替えを終え次第、11 月にも働けるようになる。
美容は幸せを招く。 劉さんは東京で、体感した。 2015 年、劉さんは初めて日本を旅行で訪れた。 日本のファッションが大好き。 流行の発信地、東京・南青山で美容室に入った。 身ぶり手ぶりで「まっすぐな前髪に」と伝えると、「ナチュラルで私に似合う形にしてくれて驚いた。」 なんだか自分に自信が持てたという。 そして思った。 日本の美容技術を学んで私もたくさんの人を幸せにしたい、と。
3 年後、劉さんは本当に東京にやって来た。 高給の鉄道会社員という身分を捨てて。日本語学校で学び、専門学校で学び、新制度ができて東京で働けることになった。 「ラッキーだった。」 いつか中国で自分の店を開くのが夢だ。 ところが道が開かれたのは、美容の世界に限られている。
栄養士の仕事諦め、別の道へ
韓国に住む女性 (24) は 3 年前、割り切れない思いを胸に東京を離れた。 日本の国費留学生として服部栄養専門学校(渋谷区)に入り、2 年学んで栄養士の資格を得たが、それをいかして日本で働くための在留資格は得られない。「日本の国費で留学したのに、働けないのはなぜ」と思いながら帰国した。 「科学分野でノーベル賞受賞者が多い日本で栄養学を勉強したい」と思い立ったという。 せっかく学んだ語学を生かそうと、今、韓国内の外国語大学で日本語を学ぶ。 「超高齢化社会を迎えた日本は病院や老人ホームで栄養士が足りないと聞く。 専門知識を学んだ外国人が働けないのは日本にとっても問題では?」と疑問を投げかける。
服部栄養専門学校では、コロナ禍前は毎年、中国や韓国、台湾からの留学生 20 - 30 人が栄養士科で学んでいた。 調理や給食管理の実習など充実したカリキュラムを求めてやって来た。 栄養士は課程修了と同時に国家資格を取れるが日本では働けず、帰国していった。 台湾出身で同校栄養士科 2 年の陳欣(チンシン)さん (25) も日本の食育を学びたいと思い、昨春に入学したが、栄養士としてではなく、在留資格が得られる外食業従業員などとして働けないか模索中だ。 「高度な知識と技術なのにもったいない」と言う同校の担当者は、美容師の就労解禁に「栄養士に波及してほしい」と期待を寄せる。
はり師やきゅう師、柔道整復師もそうだ。 毎年、数人の外国人留学生が入る日本医学柔整鍼灸専門学校(新宿区)のキャリアセンターの担当者も「資格を取ったなら働いてほしいが、国の仕組みだからどうしようもない。」 取材すると、日本の入国管理行政の「はざま」とも言える職種の存在が見えてきた。
「矛盾」抱える多くの職種 … なぜ?
政府は外国人労働者の在留資格を大きく三つ設けている。 @ 医師や研究者などの「専門的・技術的分野」の人材、A 飲食料品製造や農業、介護など人手不足が深刻な職種、B 技術を学ぶ名目で働く技能実習生 - - だ。 A と B は重複も多い。 該当しなければ、たとえ資格を取得しても在留資格は与えられない。 出入国在留管理庁の担当者は、美容師や栄養士などは「『専門的・技術的分野』と見なされず、就労が認められてこなかった」と説明する。
外国人労働者の問題に詳しい丹野清人・東京都立大教授(労働社会学)に、政府の政策について尋ねると、「日本人の雇用を奪わないことを第一条件としてきた」と指摘した。 在留資格は、高度な専門職や外国料理のシェフなど「文化的な背景を持ち、日本人にはできない仕事ができる人」や、業界団体が要望した介護職など人手不足の分野が対象になったという。
また、就労できないのに外国人が取得できる資格が多い理由については「永住者や日本人の配偶者ら、すでに就労制限のない在留資格を持つ外国人を想定したのでは」とみる。 結果として、専門技術を身につけ資格を取っても働けないという矛盾を抱える職種が複数存在することになった、との説明だ。
都内に住む外国人は約 55 万人で 10 年前の 1.4 倍。 国別では中国 (39%) が最多で、韓国 (15%)、ベトナム (7%)、フィリピン (6%) と続く。 丹野さんは「日本人の職が外国人に奪われれば必ず批判が起きる。 労働市場は都市と地方でニーズが違い、まずは都内限定で専門技術を持つ外国人に働いてもらう制度は合理的」と今回の特区適用を評価した上で、「慎重に外国人を受け入れ、成功とみれば同様な経済特徴を持つ地域へと拡大してみれば良いのでは」と話す。
美容業界は、外国人の就労解禁に新たな成長の可能性も見すえる。 美容室チェーン「TAYA」を展開する田谷(渋谷区)は、外国人の美容師を雇う方針だ。 新藤和久・人事総務本部長は二つの狙いがあると語る。 一つ目はインバウンド需要への対応。 コロナ禍以前は中国人を中心に外国人観光客が多く来店していた。 「観光客が戻ってきた時、外国人美容師がいれば言葉の問題を解消できる」と言う。
二つ目は海外展開の足がかりの効果を挙げる。 同社は 30 年以上前に海外進出したが、撤退。 ただ、劉さんが憧れたように、近年「日本の美容技術」への注目は高いという。 新藤さんは「海外に再進出した時は、現地でスタッフになってもらえるかもしれない。 一緒に日本の美容を世界展開できれば。」と期待する。
都美容生活衛生同業組合によると、コロナ禍以前、国内では毎年 200 人以上の外国人が免許を取得していたが、多くがそのまま帰国していたという。 専務理事の村橋哲矢さんは、日本の美容室の海外進出が進めば、国産の美容商品の販路拡大にも好影響があると強調する。 「日本の美容は世界トップレベル。 韓国が国全体でエンタメ産業を後押しして成功したように、日本は国を挙げて美容を世界に売り出していくべきだ。」 (笠原真、asahi = 10-8-22)
看護師の卵 101 人、日本へ インドネシアから 5 回目
日本とインドネシアの経済連携協定 (EPA) に基づき、日本が受け入れるインドネシア人看護師と介護福祉士候補生の壮行会が 16 日、ジャカルタの日本大使公邸で行われた。 5 回目の今回は、101 人が 17 日に日本へ出発する。 奈良の病院で働くヌルル・ファジャルさん (27) は、日本へ行くために 2 年間務めた病院を辞めた。 「ボランティアで災害地に行った経験があるので、地震や原発の影響は怖くない。 試験に合格して、できるだけ長く日本の病院で働きたい。」と笑顔で話した。
候補生たちは昨年 10 月から半年間、日本語研修を受けた。 富山県の病院で働くディアさん (26) は「語学だけでなく、日本の習慣も学べて良かった。 国家試験に落ちたらどうしよう。 3 回受験できるので、日本で働く夢がかなうように努力する。」と、少し不安そうに話した。 (ジャカルタ = 郷富佐子、asahi = 5-16-12)
来日前の日本語研修支援 政府、ベトナム看護師対象に
野田政権は 17 日、ベトナムから受け入れる看護師・介護福祉士候補者の日本語研修費用を来日前も含め全額負担することを決めた。 今月 21 日に東京都内である野田佳彦首相とベトナムのグエン・タン・ズン首相との会談で合意する。 候補者は、早ければ来年中に受け入れが始まる。
2009 年に日本とベトナムの経済連携協定 (EPA) が発効したのを受け、日本政府内で受け入れ条件を検討。 その結果、▽ ベトナムで看護課程を修了または看護師資格を取得した人、▽ 来日前に日本語研修を 1 年間行い、日本語能力試験で N3 レベル以上を取得した人 - - を候補者の対象とすることを決めた。 現地での研修費用は日本政府が全額負担し、ベトナム政府が施設を提供する。
EPA にもとづく看護師や介護福祉士を受け入れるのは、インドネシア、フィリピンに続いて 3 カ国目。 これまでの候補者は、来日後に研修を受ける日本語の難しさが壁になり、国家試験の合格率が低迷している。 ベトナムとの間では、来日前の語学研修を充実させる方向で調整していた。 (asahi = 4-18-12)
EPA での介護福祉士、36 人合格 合格率 37%
厚生労働省は 28 日、経済連携協定 (EPA) に基づきインドネシアとフィリピンから介護福祉士候補として受け入れた 36 人が今年の国家試験に合格したと発表した。 EPA に基づく外国人の介護福祉士試験の受験と合格者は今回が初めて。 専門学校で学び受験が不要の就学コースを修了した 22 人を含む 58 人が、介護の現場で働くことになる。
日本人を含む全体の合格率は 63.9% だったのに対し、両国の受験者の合格率は 37.9%。 厚労省の担当者は「予想以上に高い合格率。 候補者が働きながら努力した結果だろう。」としている。
介護福祉士は介護現場で、一般のヘルパーのリーダー役として働くことが多い。 EPA に基づく研修生が日本に滞在できるのは最大 4 年間。 受験には介護現場での実習が 3 年以上必要なため、原則 1 度しか受験できないが、今回の結果を受けて、政府は一定の点数に達した不合格者 47 人について、在留資格を延長し、来年も受験できるようにすることを決めた。 (asahi = 3-28-12)
EPA で来日の看護師候補、47 人合格 昨年比 31 人増
厚生労働省は 26 日、経済連携協定 (EPA) に基づきインドネシアとフィリピンから受け入れた看護師候補者 47 人が国家試験に合格した、と発表した。 受験者は 415 人で、合格率は 11.3% だった。 昨年の合格者は 16 人(合格率 4%)だった。
今回は、08 年度に第 1 陣として来日し、滞在期間の 1 年延長が認められたインドネシア人候補者にとって最後の受験機会となった。 27 人が試験に臨み、合格したのは 8 人。 このほかに、帰国後に再来日して受験した人も 4 人おり、うち 1 人が合格した。 この結果、第 1 陣 104 人のうち、最終的な合格者は 24 人となった。 滞在期間を終えるため、不合格者は帰国する。 日本人を含む全体の合格者は 4 万 8,400 人で、合格率は 90.1%。
28 日には、両国から来日した介護福祉士候補者にとって初めての合格発表がある。 (asahi = 3-26-12)
インドネシア人ら看護師試験受験 第 1 陣は最後の機会
経済連携協定 (EPA) で来日し、医療機関などで働いているインドネシアとフィリピンの看護師候補者が 19 日、看護師の国家試験に臨んだ。 2008 年に第 1 陣として来日し、3 年の滞在期間内に合格できず、特例で滞在を延長したインドネシア人の 27 人は最後の受験機会になる。
今年度の出願者は計 5 万 4,270 人。 インドネシアとフィリピンからの出願者は 417 人だった。 試験は昨年に続き、難しい漢字にふりがなを振ったり、病名に日本語と英語を併記するなどの対応が取られた。
EPA の第 1 陣は 08 年、インドネシアから 104 人が入国。 このうち、滞在期限となる昨年度の試験までに合格したのは 15 人。 合格者の少なさなどから、政府は条件を満たす人には 1 年の滞在延長を認めた。 厚生労働省によると、第 1 陣のうち 27 人が国内に残り、受験したとみられる。 (asahi = 2-19-12)
「日本で看護師」今度こそ インドネシア 3 人が再受験へ
国際協定に基づき日本の看護師国家試験を受け、不合格になったインドネシア人 3 人が再受験のために名古屋市で猛勉強を続けている。 両国の民間支援で再来日にこぎつけた。 日本で看護師になる夢をかなえようと 19 日の試験に挑む。 ユリ・フィトゥリヤニ・チャディクさん (27) はイスラム教のお祈りを終えて会議室に戻ると、パソコン画面の問題に向き合った。 「腹臥位(ふくがい)ってわかる?」 講師の問いかけに笑顔で答えた。 「うつぶせ。」 正解だ。
名古屋市の医療法人「偕行会」の事務所で、同じく再受験を目指すウィディヤンティ・ジュリアールさん (31)、ダセップ・サエプル・アンワールさん (30) の男女 2 人とともに朝 9 時から夜 9 時まで勉強を続けている。 インドネシアで看護師をしていたユリさんは両国間の経済連携協定 (EPA) に基づく看護師候補第1陣として 2008 年に来日した 104 人のうちの一人。 愛知県内で看護助手として働き、10 年から 2 年続けて試験に挑んだがかなわず、昨年夏に帰国した。 (asahi = 2-17-12)
外国人の介護士候補、介護報酬対象に 国が支援
日本の介護施設で研修を受けながら介護福祉士をめざすインドネシア人、フィリピン人の受け入れを進めるため、厚生労働省は、研修生を受け入れる施設を介護報酬の面で支援する。 関係団体と調整し、2012 年度中に実施する考えだ。 日本は両国と経済連携協定 (EPA) を結び、08 年度から介護福祉士の候補者を受け入れている。 685 人(1 月 1 日時点)が、各地の施設で 3 年間の実務研修を受けながら資格取得をめざしており、1 月 29 日には 95 人が初めて国家試験を受験した。
こうした研修生を受け入れている施設は現在、254 カ所ある。 研修生には日本人と同等額以上の賃金を支払わなければならない一方、介護職員とみなされないため、介護報酬の対象にはならない。 施設側には「経済的に負担が重い。」との声があり、受け入れ人数も減る傾向にある。 (asahi = 2-15-12)
ベトナムから看護師受け入れへ 政権、関係強化狙う
野田政権は、ベトナムから看護師や介護福祉士を受け入れる方針を固めた。 野田佳彦首相が来日するズン首相と 31 日に会談して合意する。 看護師や介護福祉士の受け入れは、インドネシア、フィリピンに続いて 3 カ国目。
両首脳は両国関係の一層の強化を確認し、看護師・介護福祉士の受け入れを目玉にしたい考えだ。 早ければ 2013 年度にも始める。 両国の経済連携協定 EPA) は 09 年 10 月に発効したが、看護師などの受け入れは妥結せず、協議が続いていた。 昨年までインドネシアから 316 人、フィリピンから 139 人が看護師候補者として来日したが、国家試験合格率は数 %。 合格しないまま帰国するケースが相次いでおり、改善策が必要と指摘されている。 (asahi = 10-19-11)
日本から帰国の看護師候補らに就職説明会 インドネシア
日本で看護師を目指したものの国家試験に合格できずに帰国したインドネシアの看護師候補らを対象に、初めての就職説明会が 14 日、ジャカルタの日本大使館で開かれた。日本での経験や日本語力を生かして母国で就職できるよう、後押しするのが目的だ。
経済連携協定 (EPA) に基づいて 2008 年に第一陣として訪日した 104 人のうち、約 6 割がすでに帰国。 説明会にはこのうち数十人が参加した。 日本語がある程度話せるうえ看護の知識もあるということで、インドネシアにある日系企業や診療所など 28 社の担当者が、雇用条件などを説明した。
参加者によると、日本の国家試験の勉強で一番難しかったのは「医療用語や専門的な日本語を漢字で読み書きすること」だったという。 「日本に行くまで、日本語に漢字が何百もあるなんて知らなかった」、「患者のお年寄りの話す言葉がわからなかった」という声もあった。 (asahi = 10-15-11)
滞在延長対象者の 6 割が帰国 インドネシア人看護師候補
経済連携協定 (EPA) に基づき来日したインドネシア人の看護師候補者のうち、滞在期間が 1 年延長されるのは 27 人にとどまることがわかった。 いずれも 3 年前に第 1 陣として来日、7 日に滞在期限を迎える。 菅政権が認めた滞在延長の対象は少なくとも 68 人いるが、6 割は帰国を決めた。
厚生労働省が看護師候補者の希望を踏まえたうえで、結果を通知した。 受け入れ機関が法務省の入国管理局に申請すれば確定し、来年の看護師国家試験に再挑戦することになる。 第1陣で来日した 104 人のうち、看護師の国家試験に合格したのは 15 人で、1 割強にすぎない。 今年の不合格者は滞在期限が切れるが、菅政権は国家試験で 300 点満点中 102 点以上(不合格者のうち上位 68 位まで)を対象に滞在延長を認める方針を決定した。 (asahi = 8-2-11)
インドネシア人看護師候補 68 人が滞在 1 年延長
経済連携協定 (EPA) に基づいて 3 年前に来日したインドネシア人の看護師候補者について、菅政権は今年の看護師国家試験に不合格だった 78 人のうち 68 人を対象に、滞在期限を延ばす方針を決めた。 ただ、今年の試験後、すでに 25 人が帰国している。 背景には、日本の場当たり的な対応への不信感がある。
2008 年 8 月に第 1 陣の看護師候補として来日したインドネシア人は 104 人。 そのうち今年は 91 人が受験し、13 人が合格した。 菅内閣は今年 3 月、不合格者でも 3 年間の滞在期間について 1 年間の延長を認める特例を閣議決定した。 これを受け、厚生労働省は今月初め、300 点満点中 102 点以上だった不合格者の滞在期間を延長する方針を、候補者を受け入れている医療機関に通知した。 (asahi = 6-14-11)
外国人看護師 16 人合格 挑戦 3 年、猛勉強実り大粒の涙
経済連携協定 (EPA) に基づきインドネシアとフィリピンから受け入れた看護師候補者のうち、16 人が国家試験に合格した。 厚生労働省が 25 日発表。 昨年の 3 人から増えた。 日本人を含む全体では 92% が合格したが、EPA 関係の合格率は 4% にすぎない。
3 年前に第一陣として来日し、この夏に滞在期限を迎える 91 人のインドネシア人では、13 人が合格した。 その 1 人、永生病院(東京都八王子市)のデウィ・セップティヤスリニさん (27) は、図書室のパソコンで合格を確認。 拍手がわき起こり、職員に抱きしめられると、大粒の涙がこぼれた。 「プレッシャーはあったけれど、今は本当にうれしい。 みなさんが応援してくれたおかげ。」と喜ぶ。
中学生のころに入院した病院の看護師に憧れ、母国で 2 年間、看護師として働いた。 来日後、2 回の試験を受けたが不合格。 EPA に基づく滞在期間は 3 年間で、今回が最後のチャンスだった。 昨春から病院の支援も受けて予備校に通い、秋からは 1 日 12 時間の猛勉強。 「今度だめなら、帰国する」と背水の陣で臨み、夢をつかんだ。
外国人には試験問題の日本語が難しいという指摘もある。 今回から病名に英語を併記するなど工夫し、厚労省の担当者は「一定の効果があったと思う」と評価。 ただ、候補者を指導してきた病院側からは「いまの制度では病院の負担があまりにも大きい。 受験機会を増やすなど、環境を改善してほしい。」という声も上がる。 期限を迎える不合格者について、菅内閣は滞在期間の 1 年延長を認めるが、試験結果や本人の意欲など一定の条件をつける考えだ。 (asahi = 3-25-11)
インドネシア人の看護師の卵、滞在 1 年延長へ 政府方針
インドネシアから受け入れている看護師の候補者について、菅政権は 15 日、滞在期間を 1 年間延長させる方針を固めた。 この夏に滞在期限を迎えるのは 91 人。 不合格者の全員を対象とするのではなく、本人の意欲など一定の条件を踏まえて限定的にする方向だ。
2007 年に署名したインドネシアとの経済連携協定 (EPA) では、看護師の候補者について 3 年間の日本滞在を認めた。 08 年 8 月に来日した第 1 陣は、今月 20 日の国家試験に不合格なら帰国を迫られる。 ただ、大量の帰国者を出せば、「平成の開国」を掲げる菅政権のイメージダウンは避けられない。
外務省や厚生労働省など関係省庁の副大臣は 15 日に対応を協議。 滞在期間を 1 年間延長する方向で一致した。 第 1 陣の人を特例として、不合格でも来年の受験機会を与えることで最終調整している。
一方、「日本語が十分にできない看護師が患者や医療者と意思疎通できなければ医療安全面で支障が出る」という慎重な意見も根強く、対象者は絞り込む。 判断材料として、看護師候補者に対して日本国内で就職する意思を再確認したり、候補者を受け入れた医療機関側に本人の勤労意欲を聞いたりする案が検討されている。 具体的な条件を詰めたうえで、6 月までに正式決定する。
看護師国家試験では、日本人の 9 割が合格するのに対し、EPA で受け入れているインドネシア人とフィリピン人の昨年の合格率はわずか 1%。 問題に使われる日本語が難しいとの指摘があり、今年の試験から病名に英語を併記したり、常用漢字以外の漢字にふりがなをつけたりする変更がなされる。 (asahi = 2-16-11)
〈インドネシア人看護師の受け入れ〉日本とインドネシアが結んだ EPA に基づき、看護師候補者を受け入れている。 08 年 8 月の 104 人を第 1 陣に、10 年度までに計 316 人が来日。 3 年間の滞在期間中に日本の看護師国家試験に合格しないと帰国しなければならない。 昨年 2 月の試験で初めて 2 人が合格した。 09 年からはフィリピン人も受け入れ、10 年度までに 139 人が来日、昨年 1 人が合格した。
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