ミャンマー国軍、民主活動家ら 4 人の死刑執行 ミャンマー国営メディアは 25 日、民主化指導者アウンサンスーチー氏が率いた国民民主連盟の元議員を含む民主活動家ら 4 人の死刑が執行されたと報じた。 国営英字紙「ミャンマーの新しい灯」によると、4 人は「残虐かつ非人道的なテロ行為」を主導した罪で死刑を言い渡されていた。 刑は手続き通り行われたと伝えたが、執行日時や方法などには言及してない。 国軍は昨年のクーデター後、国軍に対する抗議を弾圧。 民主活動家数十人に対し、死刑を言い渡していた。 ミャンマーでの死刑執行は 1988 年以来となる。 死刑が執行された 4 人の中には、前軍政を批判する歌で知られるヒップホップ歌手のピョーゼヤトー元議員が含まれている。 同氏は昨年 11 月に逮捕され、反テロリズム関連法に違反したとして今年 1 月に死刑判決を受けた。 また、「ジミー」の名で知られる著名活動家チョーミンユ氏も、同じく反テロリズム関連法違反で有罪とされていた。 残り 2 人は、軍政に情報を提供したとされる女性を殺害した罪に問われた。 (AFP/時事 = 7-25-22) キリン、ミャンマー撤退 国軍系と合弁解消できず キリンホールディングスは 14 日、ミャンマーから撤退すると発表した。 国軍系企業との合弁会社でビール事業を手掛けてきたが、6 月末までに保有する全株を売却する方針。 昨年の国軍によるクーデターを契機に、合弁を解消した上で事業を継続する道を探ってきたが、相手企業が応じず実現は難しいと判断した。 キリンは 2015 年、約 700 億円を投じてミャンマーのビール最大手、ミャンマー・ブルワリーに出資。 現在は株式の 51% を保有し、クーデター直前には年間 160 億円の事業利益を見込むなど、海外事業の収益の柱の一つとなっていた。 クーデター以降、キリンは国軍系企業に合弁解消を繰り返し働き掛けたが、相手が一方的に合弁会社の清算を裁判所に申し立てるなど事態は難航。 今月の協議で相手に株を手放す意思がないことが改めて確認されたため、撤退を決断したという。 21 年 12 月期にミャンマー事業に関する減損損失を計上したことに伴い、最終的に 416 億円の損失が発生。 今期以降の収益はゼロを見込む。 (jiji = 2-14-22) ◇ ◇ ◇ キリン HD ミャンマー企業の合弁清算申し立て 裁判所が却下 ビール大手のキリンホールディングスは、ミャンマー事業をめぐり提携の解消を求めていた、軍と関係する企業が申し立てていた合弁のビール会社の清算について、現地の裁判所がこれを却下したことを明らかにしました。 ミャンマー事業をめぐって、キリンは現地の大手複合企業で軍関係者の年金の運用などを行う「ミャンマー・エコノミック・ホールディングス」と合弁で現地でビール会社を運営していますが、去年2月の軍によるクーデターを受けて、提携の解消を目指し交渉していました。 こうした中で「ミャンマー・エコノミック・ホールディングス」は、去年 11 月にビール会社の清算を現地の裁判所に申し立て、キリンは「法令や契約に違反し不当だ」などとしてこれを退けるよう求めていました。 会社の発表によりますと、26 日、現地の裁判所は「申し立ての根拠となる法令が誤っている」とするキリン側の主張を認め、申し立てを却下する命令を出したということです。 キリンは裁判と並行して申し立てていた、シンガポールにある第三者機関による仲裁などを通じ解決を図りたいとしていて、相手側の今後の対応が焦点となります。 キリンホールディングスは「合弁解消の手続きが公正に行われるためにも、意見の相違は第三者機関による仲裁か当事者間の協議によって解決されるべきだと確信している」とコメントしています。 (NHK = 1-26-22) ミャンマー軍、住民ら 30 人以上殺害か NGO の 2 人が行方不明 クーデターで国軍が権力を握ったミャンマーの東部カヤー州で、子どもを含む住民 30 人以上が国軍兵士に殺害されたと、複数の現地メディアが 26 日までに報じた。 国際 NGO 「セーブ・ザ・チルドレン (SC)」は 25 日、帰省中の現地スタッフ2人が巻き込まれ、行方不明になっていると発表した。 カヤー州では、現地の武装組織やクーデターに反発する市民と国軍との間で戦闘が続いている。 現地メディアは、国軍が 24 日に複数の車両やバイクを燃やし、遺体はその付近で見つかったと報じた。 戦闘とは無関係の女性や幼い子どもも含まれているとしている。 SNS には、焼け焦げた車両と遺体のような写真が拡散している。 SC によると、行方不明のスタッフ 2 人は近隣での人道支援活動を終えた後、休暇を利用して帰省中だった。 声明で「援助関係者への攻撃は許されるものではない」と国軍を非難した。 国軍はクーデターから 10 カ月以上経った今も弾圧の手を緩めていない。 現地メディアによると、国軍は 12 月中旬以降、中部マグウェーや北西部ザガイン管区、東部カレン州の村などを空爆。 カレン州では住民約 7 千人が家を追われ、そのうちの半数が隣国タイに逃れているという。 (ヤンゴン = 福山亜希、asahi = 12-26-21) ミャンマーで拘束のフリーカメラマン、死亡の報道 拷問の可能性も クーデターで国軍が権力を握ったミャンマーで、取材中に治安当局に拘束されたミャンマーのフリーカメラマンのソーナイン氏が死亡したと、複数の現地メディアが 16 日までに報じた。 死因などは公表されていないが、取り調べで拷問を受けた末に死亡した可能性があるという。 報道関係者の犠牲者はクーデター後、初めてとみられる。 現地メディアによると、ソーナイン氏は 10 日、市民が職場を放棄して家にとどまる「沈黙のストライキ」をヤンゴン市内で撮影中に、別のカメラマンと共に拘束された。 その後、13日に死亡したという知人の証言が報じられた。 一緒に拘束された別のカメラマンの安否はわかっていない。 クーデター後、ソーナイン氏は市民の抗議デモの様子を撮影し、報道機関などに提供していた。 10 日の沈黙のストはミャンマー全土で起き、閑散とした街の様子を国内外のメディアが報じていた。 現地の人権団体「政治犯支援協会」によると、クーデター後に国軍や治安当局の犠牲になった人は 15 日現在で計 1,343 人に上る。 (ヤンゴン = 福山亜希。asahi = 12-16-21) 「沈黙のスト」 人影が消えたミャンマー 国軍の弾圧に反発 国軍がクーデターで権力を握ったミャンマーで 10 日、自宅にとどまって経済活動を止める「沈黙のストライキ」があり、最大都市ヤンゴンでは街から人影が消えた。 5 日にヤンゴンでデモ行進をしていた複数の若者を国軍兵士が車両ではねる事件が起き、国軍への市民の反発が再燃。 SNS で参加が呼びかけられていた。 多くの企業は前日までに SNS 上で休業を知らせ、従業員にも自宅にとどまるよう通知していた。 10 日は、普段は通勤の車でごった返すヤンゴン中心部の交通量はほとんどなく、通りに面した商店はシャッターを下ろしたまま。 銃を構えた兵士を荷台に乗せて、国軍車両が街を巡回していた。 SNS には、静まりかえった各地の様子を捉えた画像が拡散。 「国軍の残忍な弾圧を忘れるな」、「犠牲者を追悼しよう」などの書き込みが相次いだ。 一方、ヤンゴン中心部が見渡せる陸橋では、閑散とした街の様子を撮影していた若者 1 人を私服警官数人が取り囲み、警棒で殴打。 持っていたスマートフォンを取り上げ、連れ去った。 沈黙のストライキは、国軍の武力弾圧が強まった 3 月以降、複数回起きている。 今回のストライキは、デモ行進をしていた若者の後方から国軍車両が突っ込み、数人をはねる映像が SNS で拡散したのをきっかけに呼びかけられた。 その際、現地メディアは市民 5 人の死亡を伝えたが、国軍側は死者はいないと否定している。 現地の人権団体「政治犯支援協会」によると、クーデター後、今月 9 日までの市民の犠牲者は 1,323 人に上った。 (ヤンゴン・福山亜希、asahi = 12-10-21) デモの列に軍車両 発砲も、5 人死亡 ヤンゴン クーデターで国軍が権力を握ったミャンマーの最大都市ヤンゴンで 5 日、国軍兵士を乗せた車両がデモ行進をしていた市民に突っ込み、その後発砲して、現地メディアによると、5 人が死亡した。 大規模デモが鎮圧された後、単発的で小規模なデモを繰り返す市民に、国軍は改めて強硬な姿勢を見せつけた。 現地メディアによると、5 日午前、アウンサンスーチー氏の肖像を掲げて約 20 人の市民がヤンゴンの住宅地でデモ行進していたところ、後ろから兵士を乗せた車両が現れ、速度を上げてデモの集団に突っ込んだ。 数人がはねられ、周りの若者たちが逃げ惑う一部始終の映像が、SNS で拡散した。 路上に倒れた若者の写真も出回った。 さらに兵士は発砲し、現地メディアによると、5 人が死亡、15 人が逮捕されたという。 現地の人権団体「政治犯支援協会」によると、4 日までの市民の犠牲者は 1,303 人。 最近は国軍が無差別に発砲するなどの弾圧は少なくなっていた。 車両でデモの集団をはねるようなことはこれまであまりみられず、改めてデモを厳しく弾圧する姿勢を示したとみられる。 5 日は国軍トップのミンアウンフライン最高司令官がヤンゴンを訪れ、兵士や警察官らが警戒を強めていた。 (ヤンゴン・福山亜希、asahi = 12-6-21) 国連 "ミャンマーで拘束中の全ジャーナリスト 直ちに解放を" 軍が実権を握るミャンマーの裁判所が現地のアメリカ人ジャーナリストに禁錮 11 年の有罪判決を言い渡したことについて、国連は強い懸念を示し、ミャンマーで拘束されているすべてのジャーナリストを直ちに解放するよう求めました。 ミャンマーの裁判所は 12 日、現地の有力英字誌で編集幹部を務めるアメリカ人ジャーナリスト、ダニー・フェンスター氏に対し、虚偽の情報を広めたなどとして禁錮 11 年の有罪判決を言い渡しました。 これについて、国連のバチェレ人権高等弁務官は「絶え間ない抑圧に直面するミャンマーのジャーナリストの窮状を象徴するものだ」と強い懸念を示しました。 ミャンマー軍はことし 2 月のクーデター以降、報道関係者への監視や弾圧を強めていて、国連によりますと少なくとも 126 人のジャーナリストなどが拘束され、このうち 47 人はまだ解放されていないということです。 バチェレ人権高等弁務官は「ミャンマーは過去の軍事政権下でみられた情報統制や検閲が行われる環境に急速に戻ってしまった。 ジャーナリストへの弾圧やインターネットの遮断などにより、人々は命に関わる情報を奪われている」として、拘束されているすべてのジャーナリストを直ちに解放するよう求めました。 (NHK = 11-13-21) ミャンマー犠牲者 1,000 人超す 軍の武力弾圧や拷問で クーデターで国軍が権力を握ったミャンマーで、国軍の弾圧による市民の犠牲が 1 千人を超えたと、現地の人権団体「政治犯支援協会」が 18 日夜、明らかにした。 クーデターから半年余りが過ぎたが、市民らはゲリラ的なデモや、職場を放棄して抗議する「不服従運動」を継続。 国軍側は抗議活動を「テロ行為」などと主張し、弾圧の手を緩めていない。 同協会によると、2 月 1 日のクーデター以降、8 月 18 日までに 1,006 人の市民が犠牲になった。 死者数は同協会が確認できたとする人数で、実際はさらに多い可能性がある。 2 月 19 日に初の犠牲者が出た後、国軍側はデモへの武力弾圧を強化。 無差別な発砲を繰り返し、3 月 27 日の「国軍記念日」には 1 日で 100 人を超す市民を殺害した。 4 月 9 日には中部バゴーだけで 82 人が殺されている。 拘束された後、拷問されて死亡したとみられるケースも少なくない。 犠牲者の中には複数の子どもも含まれる。 厳しい弾圧で大規模なデモは見られなくなったものの、短時間で解散するゲリラ的なデモや、医療関係者などを中心とする不服従運動は今も続く。 一部の市民は武装化し、国軍との間で戦闘も起きている。 国軍関係者を狙ったとみられる暗殺や爆破事件も相次ぎ、国軍側はテロ行為だと非難して弾圧をさらに強化。 8 月 11 日には最大都市ヤンゴンで、兵士らに追い詰められた男女 5 人がビルから飛び降り、現地メディアによると、少なくとも 2 人が死亡した。 地面に倒れている様子を写した写真が SNS に拡散し、市民の反発は高まり続けている。 国軍側は、政治犯支援協会が発表する数字は実際の死者数より多いと主張している。 (バンコク = 福山亜希、asahi = 8-19-21) ミャンマー国軍、為替相場の管理強化 通貨下落止まらず クーデターで国軍が権力を握ったミャンマーで、政情不安から通貨チャットが急落し、経済の混乱が続いている。 国軍側は今月、為替相場の管理強化に乗り出したが、早くも両替商などで二重相場の動きが出てきた。 国軍への不信感がチャット安の背景にあり、小手先の介入で食い止めるのは難しい状況だ。 「チャット安を防ぎたい国軍側の意図とは正反対の現象を、すでに目の当たりにした。 かつての二重相場が再び起き始めた。」 最大都市ヤンゴンの両替商は 11 日、朝日新聞の現地助手にこう語った。 国軍側が管理変動相場制の運用を始めたのは 8 月上旬。 中央銀行が為替介入したレートがドルに対する参考レートになる。 13 日時点では 1 ドル = 1,650 チャットに設定され、銀行などに対して取引はこの値から上下 0.8% の範囲内に抑えなければならないとした。 4 日付の国営紙は、ドル高チャット安が「国の政治的・経済的な安定に影響を与える可能性がある」として、為替相場を管理する必要性を訴えていた。 だが、思惑通りにはなっていない。 現地の事情に詳しい金融関係者は「実勢レートをチャット高にするほどの規模での為替介入は、当局はできないだろう」とみる。 国軍の強引な統治で投資熱が冷え切り、経済に明るい兆しが全く見えないなかで、当局が定めた参考レートはすでに実態にあわなくなっているからだ。 ヤンゴンの両替商は 11 日、「当局のレートでは商売が成り立たない。 多くの両替商が独自のレートを使い、1 ドル = 1,700 チャット程度までチャットは下落している。 チャット安は、さらに 2 割ほど進むかもしれない。 輸入品や商品価格がはね上がらないか心配だ。」と話した。 中にはホームページに当局の定めたレートを示したうえで、SNS を通じて実勢レートを伝えているところもあるという。 別の両替商は 11 日、「1 ドル = 1,712 チャットでドルを売る」と伝えてきた。 市民のドル志向も逆に強まった。 今後もチャットの下落が続くとみられており、ドルを手元に持ち、必要な分だけ闇市場で両替するのが得になるからだ。 コロナ下で業務が制限されている銀行では、現金引き出しに長蛇の列が出来た。 現金を大量に引き出し、依頼した人の口座にある預金と交換し、手数料でもうけるブローカーも現れた。 外資系企業にも打撃になる可能性がある。 金融関係者は「銀行でドルを売買する人が減れば、銀行のドルが不足する。 現地に進出した日本企業がドルを入手しにくくなれば、事業への影響は避けられない。」と指摘する。 そもそも管理強化が機能しないのは、通貨急落の原因が 2 月のクーデターにあるからだ。 それまで 1 ドル = 1,300 チャット台で推移していたが、国軍が抗議デモを武力弾圧し、多くの市民が犠牲になると、先行きの不透明感から外国企業が相次ぎ撤退。 新型コロナウイルスの感染拡大も重なった。 7 月末には 1 ドル = 1,640 チャット台に下落。 ヤンゴンでは食用油が 1 月比で 1.4 倍超、燃料価格は約 1.8 倍に高騰。 世界銀行は 7 月、20 年 10 月 - 21 年 9 月のミャンマーの国内総生産 (GDP) が前年から 18% 減るとの予測を発表した。 国軍が強権的な統治を続ける限り、経済の混乱が収束する可能性は低い。 ミャンマーは 2011 年の民政移管後、固定相場制から管理変動相場制に移行。 その後、二重相場が続いていた。 16 年から政権を担ったアウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟 (NLD) 政権が、実質的な変動相場制を採用し、二重相場が解消していた。 (バンコク = 福山亜希、asahi = 8-14-21) ミャンマー、クーデターから半年 犠牲者は 930 人超に ミャンマーで国軍がクーデターを起こしてから、8 月 1 日で半年になる。 国軍はアウンサンスーチー氏らを拘束し、選挙で選ばれた政権を力で覆した。 市民らは街頭での抗議デモや職場を放棄する「不服従運動」で抵抗。 国軍側はこれに激しい武力弾圧で応じ、現地の人権団体「政治犯支援協会」によると、犠牲になった市民はすでに 930 人を超えている。 昨年 11 月の総選挙ではスーチー氏率いる国民民主連盟 (NLD) が圧勝し、国軍系政党は惨敗。 NLD が今年 3 月から 2 期目の政権を担うはずだったが、国軍側は総選挙で不正があったと主張し、実力行使に踏み切った。 国軍側はスーチー氏ら NLD 幹部を訴追し、すでに裁判が始まっている。 スーチー氏は汚職防止法違反や国家機密法違反など複数の罪に問われており、拘束が長期化するのは必至だ。 また、国軍側は 7 月 26 日、昨年の総選挙結果を無効にすると発表し、NLD が不正に関与したと主張。 NLD を解党に追い込むとみられている。 国軍は民主派を徹底的に弾圧する構えだが、市民の抵抗はやんでいない。 大規模なデモは見られなくなったが、ゲリラ的なデモや不服従運動は続いている。 新型コロナウイルスの感染拡大も相まって、社会や経済の混乱はこれからも続きそうだ。 (バンコク = 福山亜希、asahi = 7-28-21) 拘束した 2 千人超を解放 ミャンマー国軍、統治に自信か クーデターで権力を掌握したミャンマー国軍が 6 月末、抗議デモなどに関わったとして拘束していた 2 千人以上を解放した。これに先立ち、国軍トップが外遊で 1 週間以上も国を空けるなど、統治への自信の現れとみられる動きが目立っている。 ミンアウンフライン国軍最高司令官は、6 月 20 日から 8 日間かけてロシアを訪問。 2 月 1 日のクーデター後、外遊は 4 月にインドネシアであった東南アジア諸国連合 (ASEAN) 首脳会議に次いで 2 度目だが、前回は日帰りだった。 ロシア訪問中は「国際安全保障会議」で演説し、アウンサンスーチー氏が率いる国民民主連盟 (NLD) が勝利した昨年の総選挙で「不正があった」としてクーデターを正当化。 「我々は民主主義のシステムに戻る努力をしている」、「世界のすべての国が、自らの主権を守るためにあらゆることをする権利を持つ」などと持論を展開した。 現地メディアのインタビューでは、市民による抗議デモを「テロ行為」だと非難したうえで、「今ではテロ行為はあまり見られなくなった。 テンポは著しく低下している。 ほとんどのテロ行為は対策が可能だ。」と余裕を見せた。 現地の人権団体「政治犯支援協会」によると、国軍の弾圧による市民の犠牲は 7 月 2 日までに 888 人に上る。 激しい武力弾圧の結果、デモはゲリラ的なものだけになっており、国軍側は抑え込みに自信を深めている模様だ。 6 月 30 日には、拘束していた市民約 2,300 人を解放。 ヤンゴン郊外のインセイン刑務所前などで、家族らと再会を喜び合う映像が SNS に拡散した。 国際社会の批判を和らげる狙いとともに、大勢を解放してもデモの再拡大にはつながらないとの自信もにじむ。 ただ、解放された市民の中に NLD の指導者らは含まれていない。 当局に近い関係者は、朝日新聞の現地助手に「抗議活動の中心人物でなければ、解放しても国軍に害はないと判断したようだ。 市民の武装組織が各地で立ち上がっており、そうしたメンバーを今後拘束するために、刑務所にスペースをつくる目的もありそうだ。」と語った。 解放されたヤンゴンの自営業の女性 (30) は「目隠しをされ、国軍の尋問を 5 時間にわたって受けた。 殴られて顔が傷だらけの女性も見た。」と話す。 解放の際に「次は最低 7 年の禁錮刑にすると脅された人も何人かいた。」と明かし、「一日も早く市民の勝利を見たいが、デモに参加するよりサポート役に徹したい」という。 政治犯支援協会によると、6 月 29 日時点で 5,224 人の市民が拘束されていたという。 同協会は 6 月 30 日の声明で「すべての政治犯が解放され、正義と国民和解が実現するまで民主主義は達成されない」訴えた。 (バンコク = 福山亜希、asahi = 7-3-21) 米国、ミャンマー閣僚ら 22 人に制裁へ 「高い代償を」 米財務省外国資産管理室 (OFAC) は 2 日、ミャンマー国軍によるクーデターと市民への激しい弾圧に関連し、国軍最高司令官をトップとする意思決定機関「連邦行政評議会」のメンバーや閣僚ら 22 人を新たに制裁対象に指定すると発表した。 OFAC は声明で、「国軍の民主主義への弾圧とミャンマー市民への激しい暴力は容認できない」と非難。 「本日の制裁は、米国が引き続きミャンマー国軍に高い代償を科していくことを示したものだ」と強調した。 一方、米商務省は、衛星通信会社キング・ロイヤル・テクノロジーズや銅鉱山開発会社など計 4 社を、ミャンマー国軍を支援しているとして輸出禁止対象リストに追加した。 (ワシントン = 園田耕司、asahi = 7-3-21) ミャンマー市民の「応援歌」に ネット通じた寄付が続々 クーデターを起こしたミャンマー国軍による弾圧に苦しむ市民を助けるため、インターネットを通じて寄付を募るクラウドファンディング (CF) が続々と立ち上がっている。 現地では寄付金による食料配布も始まった。 主催者らは「たとえ少額でもミャンマー市民への力強い応援歌になる」と協力を呼びかけている。 ミャンマーが専門の今村真央・山形大教授や根本敬・上智大教授、NGO 「日本ビルマ救援センター」の中尾恵子代表ら有志が 5 日、CF 「緊急支援 : クーデター下のミャンマー市民へ医療・食料支援を。」を立ち上げた。 寄付金は開始 25 時間で目標の 500 万円を超え、14 日夕時点で 2,106 人から計約 1,934 万円が集まった。 「少しでも力になりたくて」、「命を大切に粘り強く闘って。」 CF の窓口には 2 千件を超える応援メッセージが寄せられている。 寄付金は国軍側の実弾発射で負傷したデモ参加者の治療費や、職務を放棄する「不服従運動」に参加する公務員の生活費、弾圧による避難民の支援費などに充てられる予定だ。 きっかけは今村教授の呼びかけだった。 現地の友人から「死傷者がどんどん増えている。 医療費が足りない。」との相談を受け、CF の立ち上げを急いだ。 国境地帯の研究で培った人脈を生かし、寄付金をタイの慈善団体を通じてミャンマーの複数の市民団体に渡す送金ルートを確保した。 今村教授は「かつての弾圧時にはなかったネットを味方に付け、民主主義を求めるミャンマーの人々を支えたい」と話す。 「少額でも力になる」 今村教授がお手本にしたのは、ヤンゴンに住む会社経営の田村啓さん (36) が 3 月に始めた CF だった。 田村さんが「善意を束ねるような受け皿を」と願った CF には、約 4 週間の期間中に 1,434 人から計 1,557 万円が集まった。 田村さんは地元 NGO と連携し、収入減や物価上昇にあえぐヤンゴン近郊の貧困層に、1 世帯あたり 2,500 円分の魚の缶詰や米などを配布。 既に配布先は 2,400 世帯を超えた。 田村さんは「大卒者の初任給が 1 万 5 千円程度と言われる社会で、2,500 円分の食料支援は小さくない。 少額でもミャンマーの人々を励ます力になる。」と意気込む。 最大の懸念は、国軍の監視だ。 国営紙によると、地元の慈善団体「FFSS」は国内で約 6 億チャット(約 4,600 万円)を集め、公務員 2,008 人に配ったが、国軍側は 3 月 3 日に団体事務所を家宅捜索し、代表者を指名手配したという。 独自の送金ルートがなければ、国軍に差し止められる可能性がある。 現地の人権団体「政治犯支援協会」によると、2 月 1 日のクーデター後、今月 13 日までに 714 人が殺害された。 根本教授は「弾圧の歯止めになり得ていない国際社会と各国政府に、ミャンマー市民は失望を強めている。 そんな今だからこそ、市民が動いて連帯し、応援の気持ちを伝える意味が大きい。」と指摘する。 (バンコク = 乗京真知、asahi = 4-15-21) ミャンマー製衣料品、コロナとクーデターで崩壊寸前
新型コロナウイルスのパンデミックで経営が既に苦境に陥っていたところに、2 月 1 日の国軍クーデターで事態はさらに悪化。 大規模な抗議デモに加え、治安部隊の暴力行為で多数の死者が出る状況が続く。 そうした中で同国では反中国感情が高まり、混乱の中でリーさんの工場は焼き打ちされた。 さらに海外からの受注が停止した。 リーさんが置かれた状況は、ミャンマー経済に極めて重要な衣料品製造業が直面する危機の大きさを物語る。 国連のデータに基づくと、衣料品製造業はミャンマーの輸出全体の約 3 分の 1 を占め、低賃金で 70 万人を雇用している。 リーさんは「次の数カ月で新たな受注がなければ、ミャンマーでの事業をあきらめるしかなくなる」と語る。 工場の稼働率は現在約 20% まで落ち込み、クーデター前に入っていた注文をこなすだけで何とか操業をしている。 既に従業員を 400 人減らしたという。 H & M やプライマークといった世界的な大手アパレルブランドはクーデターに伴いミャンマーとの取引を中止。 リーさんを含めミャンマーの多くの工場経営者は、中国やカンボジア、ベトナムといった生産コストが安い他の衣料品製造集積地に移転することを検討中だ。 ミャンマー衣料品製造業者協会 (MGMA) のデータによると、国内にある 600 の衣料品工場の 3 分の 1 近くが、リーさんのような中国系資本。 中国系は出資者としてずば抜けて大きなグループと言える。 中国投資家にミャンマー事業に関する助言を行っている MyanWei Consulting Group のマネジングパートナー、Khin May Htway 氏によると、既に中国系資本の少なくとも 2 つの工場が閉鎖を決めた。 2 工場が雇用していた人数は 3,000 人に上るという。 <天国と地獄> ミャンマーの衣料品製造業は、過去 10 年間で外国からの投資が急増。 経済改革と当時の西側諸国の制裁解除、各種貿易協定を追い風にミャンマーは製造業の新たな一大拠点として台頭。 特に衣料品はその象徴的存在となった。 国連コムトレードのデータによると、ミャンマーからの衣料品輸出は 2011 年時点で 10 億ドル弱、同国の輸出全体の約 10% に過ぎなかったが、19 年には 65 億ドル強、約 30% にまで成長していた。 しかし、衣料品製造業はパンデミックで痛めつけられることになった。 昨年に世界のあちこちが景気後退に陥り、消費が減退。 その結果、ミャンマーやその他のアジア諸国の衣料品工場で働く何万人もが職を失った。 そこに追い打ちをかけるようにクーデターが発生。 数週間のうちに多くの衣料品工場は、労働者がデモに加わるか、あるいは街頭がまさに戦場と化したために職場にたどり着けなくなった。 工場経営者らによると、クーデターによる混乱は銀行システムにも波及し、原材料を仕入れたり、海外に製品を出荷したりするのも難しくなった。 クーデターには国際社会の非難が高まっているが、欧米のアパレルブランドは 3 月、業界団体を通じた声明で、ミャンマーの雇用を守り、事業契約を継続すると約束した。 ところが、H & M やネクスト、プライマーク、ベネトンを含め、多くのブランドは最近になってミャンマーへの注文を取りやめている。 (Reuters = 4-11-21) ミャンマー、大規模ゼネスト始まる 22222 運動「国軍に不服従」 ミャンマーの各地で 22 日、国軍のクーデターに抗議する大規模なゼネストが始まった。 治安部隊の発砲でこれまでにデモ隊 3 人が死亡するなど衝突が激化する中、市民の反発が強まっており、1 日のクーデター後で最大規模となる可能性がある。 ロイター通信によると、22 日は多くの企業や飲食店などが閉鎖され、労働者が職場を放棄する「(国軍への)不服従運動」を展開している。 また、各地でデモも始まり、数千人が集まっている模様だ。 ミャンマーでは数字の並びを気にする人が多く、1988 年 8 月 8 日に始まった民主化運動「8888」など、社会運動や政変なども数字にちなんで実行されることが多いという。 今回も日付に五つの 2 が並ぶ 2021 年 2 月 22 日を「22222」運動と称して、大規模デモがインターネット上などで呼びかけられている。 (バンコク・高木香奈、mainichi = 2-22-21) 治安当局が抗議デモに発砲、2 人死亡 ミャンマー ミャンマー第 2 の都市マンダレーで 20 日、クーデターで権力を掌握した国軍への抗議デモに参加していた男性 2 人が、治安当局に撃たれて死亡した。 ロイター通信などが報じた。 他にも多くの負傷者が出ているという。 国軍への抗議デモに参加して死亡したのは、これで計 3 人となった。 ミャンマーでは 19 日、首都ネピドーで 9 日にあったデモに参加中に頭を撃たれた女性 (20) が死亡したばかりだった。 治安当局はその翌日に発砲しており、デモに対して強硬な姿勢で臨む国軍側の意思が明確に示された。 20 日には大勢の市民が前日に亡くなった女性を街頭で悼み、国軍に抗議の声を上げた。 新たな犠牲者が出たことで、デモがさらに拡大することが予想される。 また、欧州連合 (EU) のボレル外交安全保障上級代表が「平和的な文民の抗議者に対する暴力を強く非難する」とツイートするなど、国際社会からも厳しい批判が上がり始めた。 報道によると、マンダレーの造船所近くで 20 日、抗議デモに参加していた大勢の市民らに治安当局が発砲した。 ロイター通信は 2 人が死亡し、20 人がけがをしたとの救急関係者の証言を伝えた。 死亡したうちの 1 人は頭に、1 人は胸にけがをしていたという。 負傷者の数はもっと多いとの報道もある。 ロイター通信は、現場に実弾とゴム弾の双方の薬莢があったとの目撃者の証言を伝え、AFP 通信は「負傷者の半数は実弾で撃たれていた」との救急関係者の声を報じた。 地元メディアによると、この造船所には、国軍に抗議して職場を放棄する「不服従運動」に参加した公務員や労働者が集まっていたという。 治安当局が仕事に戻るよう求め、市民らに発砲したとしている。 20 人以上が拘束されたとの報道もある。 マンダレーでは連日、治安当局がデモに参加した市民に殴りかかったり、拘束したりしているとされる映像が SNS を通じて流れていた。 (バンコク = 福山亜希、asahi = 2-20-21) ミャンマーの抗議デモで初の死者 女性の頭部に銃撃か クーデターで権力を握った国軍への抗議デモが続くミャンマーで、デモ参加中に銃撃された女性 (20) が死亡したと 19 日、ロイター通信などが報じた。 治安当局の発砲による犠牲者とみられている。 一連のデモの参加者が死亡したのは初めてで、国軍への反発が強まり、デモがさらに拡大する可能性がある。 女性は 9 日に首都ネピドーであったデモに参加していた。 ロイター通信は、X 線検査の結果から、女性が実弾で頭部を撃たれた可能性を指摘する医師の証言を報道。 SNS には発砲音と同時に倒れる女性の姿が映った映像が拡散していた。 19 日、治療を受けていた病院で亡くなったという。 1 日のクーデターを受けて、ミャンマーでは 6 日から各地で大規模なデモが続いており、拘束されたアウンサンスーチー氏の解放や国軍の独裁への反対を訴えている。 これに対し治安部隊は、放水や銃による強制排除などで対応を強めている。 (バンコク = 福山亜希、asahi = 2-19-21) ミャンマーでクーデター スー・チー氏拘束 軍が非常事態宣言 ミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家顧問や与党の幹部が、去年の総選挙をめぐりミャンマー軍に相次いで拘束され、軍は非常事態宣言を出して政権を掌握したと発表しました。 これに対しスー・チー氏側は、軍事クーデターだとしたうえで「反対する姿勢を力強く示すべきだ」と国民に呼びかけました。 ミャンマーの与党・NLD = 国民民主連盟によりますと、アウン・サン・スー・チー国家顧問やウィン・ミン大統領のほか与党の幹部がミャンマー軍に 1 日、相次いで拘束されました。 スー・チー氏は現在、自宅で拘束されているということです。 ミャンマー軍は 1 日午前、国営テレビを通じて、非常事態宣言を出したと発表しました。 期間は、1 年間だとしています。 理由について、軍は去年 11 月に行われた総選挙での不正や不備を調査するためだとし、1 日から予定されていた総選挙後初めてとなる議会の開会を延期すると表明しました。 そして、ミャンマー軍のトップ、ミン・アウン・フライン司令官が大統領権限を移譲され、国を統治するとし、軍が政権を掌握したとしています。 そのうえで軍の統治のもとで、総選挙を改めて実施するとしています。 これに対して NLD は、スー・チー氏が拘束される前に、あらかじめ用意したものだとする声明を 1 日、発表しました。 この中でスー・チー氏は「人々の支持により選ばれた議会や政府が憲法を無視する軍によって破壊されてしまった」としています。 そのうえで「軍事クーデターは国民が新型コロナウイルスの感染拡大に直面しているときに、この国を軍事独裁政権下に再び戻すものだ。 クーデターに反対する姿勢を力強く示すべきだ。」と国民に呼びかけました。 ミャンマーでは去年 11 月、5 年に 1 度の総選挙が行われ、NLD が改選議席の 8 割以上を獲得して圧勝した一方で、旧軍事政権の流れをくむ野党が大きく議席を減らしました。 この総選挙をめぐって、ミャンマー軍は、有権者名簿に数百万人に上る名前の重複が見られるなど多くの不備や不正があったと主張し、政府や選挙管理委員会に対して調査や対応を迫っており、軍と NLD の間の緊張が高まっていました。 (NHK = 2-1-21) |