ミャンマー被災地で日本の医療チーム始動 「多くの人に救いの手を」 大地震で多数の死傷者が出ているミャンマーの被災地で、日本政府が派遣した国際緊急援助隊の医療チームが 4 日、始動した。 国際協力機構 (JICA) 職員や医師・看護師ら 32 人で構成。 一次診療が主な役割で、負傷者の診療や感染症の予防、持病のケアなどを担い、まずは 2 週間をめどに活動する。 4 日午後、震源地から近いミャンマー中部マンダレーの市役所敷地内に、白いテントが複数張られていた。 待合用の椅子にはミャンマー人の患者や家族らおよそ 20 人が並ぶ。
国軍統治下、活動には困難も 患者を日本人医師らが診察していく。 地震で転倒し、肩や背中に痛みがあるというキンミンさん (65) は「ミャンマーに来て私たちを助けてくれて『ありがとう』と言いたい」と安心した表情を見せた。 初日は約 40 人が診療を受けた。 日本政府は 3 月末から医療ニーズや活動地などを調査するための先遣隊を派遣。 医療チームは今月 2 日未明に日本を発ち、翌 3 日、被害が大きいマンダレーに到着した。 災害医療を専門とする国立健康危機管理研究機構の大場次郎医師は初日の診療後、「地震で負傷した骨折や切り傷、打撲などが多い。 今後は避難生活の長期化による感染症の蔓延が懸念される。」と話した。 ミャンマーで全権を握る国軍は 4 日までに、地震の死者を 3,301 人、負傷者を 4,792 人と発表。 実態把握は困難とみられ、全容は不明だ。 外務省の矢間(やざま)秀行団長は「街を見ると建物の倒壊が目立ち、通常の医療行為が受けられない方がたくさんいる。多くの方に救いの手を差し伸べ、日本の心を伝えたい。」 一方、国軍統治下にあるミャンマーでは国軍が国際社会からの人道支援を制限するなど、活動に困難も予想される。 矢間団長は「検問が多く物資が届かないなどの問題があるかもしれないが、できる限りのことをやる」と話した。 (マンダレー・笠原真、ashi = 4-5-25) 高層ビルの屋上つなぐ通路が一部崩落 未経験の地震、震えるバンコク ミャンマーを震源とする地震は、約 1 千キロ離れた隣国タイの首都バンコクの高層ビル群を直撃した。 地震の経験がほとんどなかった人口 1 千万人の大都市に混乱が広がっている。 日本人が多く住む市東部のトンロー地区で、3 棟が立ち並ぶ 59 階建てのマンション「パーク・オリジン」。 3 月 28 日に起きた地震の激しい揺れで各棟の屋上をつなぐ通路の一部が崩落し、近所のビルの屋上プールの水が揺れであふれ出した。 その様子を居住者が撮影した映像が SNS で拡散し、バンコク住民が味わった地震の恐怖を象徴する建物になった。 33 階に住む日系企業駐在員の男性 (29) は今月 1 日、避難先から自室に立ち寄り「もう別の場所へ引っ越そうと思います」と話した。 発生当時、男性は仕事で不在で、妻が室内にいたという。 「感覚的に揺れは震度 3 から 4 程度」だったが、廊下の天井が落ち、柱に大きなヒビも入った。 今も一部の棟は居住できない状態だ。 管理会社は、男性が住んでいた棟について居住可能と判定したが、部屋の壁に亀裂が残り、水道の水も茶色く濁ったまま。 不動産会社と連絡して転居先を探し始めたという。 地震後に連絡を取り合っている同じマンション内の日本人 10 人のうち、住んでいるのは 1 人だけになったという。 マンションの入り口には、荷物を運び出す住民の車がひっきりなしに乗り付けていた。 建設中の高層ビルが倒壊した現場近くにある 44 階建てのマンション「ライフ・ラップラオ・バレー」では、1 階の太い柱の 1 本が激しく損傷し、安全確認できるまでの間、居住が禁じられた。 損傷した柱に鉄板を巻く耐震補強工事が行われ、建築士は「もう大丈夫。 住めるようになる。」と断言する。 ただ、32 階に住む銀行員のパンさん (30) は「地震に遭ったのは初めて。 マンションを買った時は耐震性など考えもしなかった。 部屋にひび割れがあり、とても不安。 100% 直るまで部屋に戻りたくない」と話す。 南東部の郊外にある 48 階建て 4 棟の大型マンション「スカイライズ・アベニュー」は、昨年末に居住が始まったばかりの新築だ。 地震の際、1 棟が左右の 2 棟に触れそうになるほど大きくたわむ映像が TikTok で拡散した。 その後の検査で、中層階の外壁に鉄骨がむき出しになるほどの大きな亀裂が確認され、全住民の立ち入りが禁じられた。 地震の 3 日後に住民説明会を開き、当面の借家を紹介しているが、今後は全く見通せないという。 28 日に起きた地震では、建設中のビルの倒壊で 15 人が死亡したほか、別の建設現場や高層マンションなど 7 カ所で計 7 人が亡くなっている。 首都バンコクの行政当局に寄せられた建物の亀裂など不安を訴える相談は、3 日までに 1 万 7 千件に上った。 このうち 1 万 3 千件余りは安全性が確認されたが、点検要請があまりに多く、専門家の派遣が追いついていない。 タイ構造工学協会のアモン・ピマンマス会長は「建物の耐震基準は 2007 年に定められ、21 年に改訂された。 07 年より前の基準は風害を念頭に置いたものだったが、今回よくもちこたえた。 深刻な壊れ方をしたのはごく一部だ。」とみる。 「ほとんどのヒビや亀裂は構造に問題がないものの、タイの国民は地震になれておらず、不安が先走っている」という。 地元紙バンコク・ポストによると、地震発生後、最初の月曜日となった 3 月 31 日には、入管当局などが入る総合政府庁舎に出勤した職員が亀裂を見つけ、職員全員が退避する騒ぎになった。 その後、亀裂は新しいものではなく、建物は安全だと確認された。 政府系金融機関の本部では、17 階で「揺れを感じる」という声が上がり、職員や顧客が全員避難した。 バンコクの知事はこの日だけで約 20 カ所で退避騒ぎがあったと明らかにし「みんな心配しすぎている」と語った。 (バンコク・武石英史郎、asahi = 4-4-25) ミャンマー地震の死者 3,085 人 4 日で発生から 1 週間、少ない支援 3 月 28 日に起きたマグニチュード 7.7 のミャンマー地震は、4 日で発生から 1 週間となる。 国軍は 3 日、これまでに死者が 3,085 人、負傷者が 4,715 人に達したと発表した。 内戦下の同国で、被災者支援が進まないなか、国軍は 2 日、「22 日までの一時停戦」を宣言した。 今回の地震はミャンマーの中部平原を貫く断層が 400 キロ以上にわたって動いたと指摘される。 大きな被害は、震源に近い第 2 の都市マンダレーや首都ネピドーを含む南北数百キロの広範囲で確認された。 ミャンマーでは 2021 年の軍事クーデターで国軍が実権を握り、対立する民主派や少数民族の武装勢力と内戦状態にある。 国軍は対立勢力を抑え込むため、通信や報道を厳しく規制しており、被害の全容も見えにくい。 支援の少なさも目立ち始めている。 国軍の外交的な孤立状態を反映して、国際支援の出足は遅い。 国軍の支援要請に応じて救援隊や支援物資を送ったのは中国、ロシア、インド、タイなど限定的。 他国の地震被災地に比べて、重機の活動や物資の配布は限られ、倒壊した家屋を手作業で掘り起こす人の姿が目立つ。 被災者の救援活動を行うため、民主派と主要な少数民族の武装勢力は1 日までに、相次ぎ一時停戦を発表した。 しかし、国軍は地震後も空爆を継続し、1 日には武装勢力支配地で、中国赤十字の救援車両を銃撃する事件も起こした。 2 日夜になって「被災者の支援や復興、平和と安定を保つため、22 日まで一時停戦する」と宣言した。 国連は、ミャンマーでは長引く内戦で国内避難民が 350 万人、支援を必要とする人が 1,990 万人に上るとしていた。 国連人道問題調整事務所は、地震によって「悲惨な人道状況がさらに悪化した」と指摘。 生活インフラの破壊と医療資源の不足で、感染症が広がる危険性が高まっているほか、経済状態の悪化で児童婚や児童労働が増えたり、地震で動いた地雷や不発弾による事故が起きたりすると警鐘を鳴らしている。 (バンコク・武石英史郎、マンダレー・笠原真、asahi = 4-3-25) ミャンマー地震、死者 2,700 人超に 「91 時間ぶり」救出情報も ミャンマー中部を震源とした地震を巡り、ロイター通信は 1 日、国軍の情報を元に、国内の死者が 2,719 人になったと報じた。 震源に近い第 2 の都市マンダレーなどで倒壊した建物が多く、犠牲者は 3 千人を上回る恐れがあるという。 地震による負傷者は 4,500 人以上になり、約 440 人の安否が依然として分かっていないという。 一方、現地メディア「ビルマ民主の声 (DVB)」は 1 日、国軍の説明のほか現地での情報などを元に、死者は 3,643 人に上ると報じた。 中国やインドなど各国の救助隊も捜索活動を続けているが、炎天下での作業は難航。 国軍と対立する民主派の「国民統一政府」は、被災者が約 850 万人に上るとしており、食料や支援物資の確保も課題になっている。 一方、AP 通信によると、首都ネピドーの消防当局は 1 日、倒壊した建物の中から 63 歳の女性を発生から約 91 時間ぶりに救出したと発表した。 (バンコク・石原孝、asahi = 4-1-25) ミャンマー地震、死者 1 千人超と軍発表 日本人 2 人がけが ミャンマー中部を震源に 28 日発生したマグニチュード (M) 7.7 の地震で、ミャンマー国軍は 29 日、死者が 1,002 人、負傷者が 2,376 人になったと発表した。 さらに、30 人が行方不明という。 在ミャンマー日本大使館によると、中部の第 2 の都市マンダレー在住の日本人 2 人がけがをして病院で治療を受けたが、入院はしておらず、命に別条はないという。 在留届ベースでミャンマー国内には約 2 千人の日本人がおり、そのうち十数人がマンダレーと近郊に在住。 現地では電話やインターネットがつながりにくい状況が続いており、大使館は安否確認を進めている。 マンダレーやザガインでは、建造物の倒壊や道路の陥没、橋の崩落などの深刻な被害が報告されている。 29 日も断続的に余震が起き、予断を許さない状況が続いている。 震源から約 1 千キロ離れた隣国タイの首都バンコクでも、建設中の高層ビルが 28 日に倒壊。 タイ警察によると、29 日午前までに 8 人の死亡が確認され、作業員ら 80 人が行方不明となっている。 (マニラ・大部俊哉、asahi =3-29-25) ミャンマーで M7.7 の地震 144 人死亡 732 人負傷 タイも被災 ミャンマー中部を震源に 28 日発生したマグニチュード (M) 7.7 の地震は、隣国タイまで広範囲に被害が及び、タイの首都バンコクでは死傷者が出ている。 ミャンマーで全権を握る国軍は震源地に近い第 2 の都市マンダレーなどの被災地に非常事態を宣言。 同日夜に「144 人が死亡し、732 人が負傷した。」などと発表したが、被害の全容は分かっていない。 米地質調査所 (USGS) によると、地震は現地時間の午後 0 時 50 分ごろ発生。 震源はミャンマー中部マンダレー付近で、震源の深さは約 10 キロ。 ミャンマー国軍は声明で、多数の負傷者が病院に搬送されているとして、緊急献血を呼びかけた。 地元メディアによると、マンダレーではかなりの被害が起きているようだ。 同市内のミャンマー最後の王朝コンバウン朝の王宮内で建物や外壁が崩れたほか、市内の 5 階建てほどの住宅が複数倒壊している。 英 BBC は川にかかる大きな橋が崩落している映像を流した。 マンダレーに住む女性 (39) は「アパートが大きく揺れ、棚も何もかもが倒れた」と振り返る。 市内では地震の影響でインターネット通信と電気が止まっているという。 強い揺れに記者も遭遇 複数の被害情報 震源地に近い中部メティラーの女性 (45) は電話取材に、付近の縫製工場が倒壊したと明かした。 閉じ込められた人々の救出作業が続いているが「死者は 20 人を超えた」という。 発生当時、記者はミャンマーの首都ネピドーからヤンゴンに向かう車中にいた。 走行中に突然運転手がハンドルを取られ、路肩に急停止した後、1 分近く強い揺れを感じた。 周囲では大型バスから降りて、戸惑う団体客の姿のほか、地震の影響とみられる亀裂が入った橋も複数みられた。 ネピドーで暮らす 20 代女性は「冷蔵庫や棚が倒れ、恐ろしかった」と話した。 ネピドー中心部では建物が損壊しているという。 ☆ 震源から 1 千キロほど離れたバンコクでは、建設中だった 33 階建ての政府機関のビルが倒壊し、公共テレビ PBS によると 7 人が死亡、作業員ら約 90 人ががれきの中に閉じ込められたとみられている。 PBS の映像では、ビルは数秒で完全に崩れ落ち、叫びながら走って逃げる作業員らが、砂煙に包まれる様子が見える。 別の場所でも建設用クレーンが建物から落ちるなどして 1 人の死亡が確認されたという。 バンコク中心部では地震発生の現地時間午後 1 時 20 分ごろに中程度の揺れが2分近く感じられ、オフィスビルやデパートなどにいた人たちが一気に屋外へ避難し、路上にあふれ出た。 PBS は、高層マンションの棟と棟をつなぐ上層階の通路から壁などが落下し、屋上のプールの水が大量に周辺に飛び散る映像を流した。 病院では、担架などで入院患者を外に避難させている。 バンコク市内では、高架鉄道や地下鉄が運行を停止し、道路も渋滞で車が動かなくなった。 バンコク都知事は同日午後、首都全域を「被災地域」に指定。 帰宅困難者のために市内の公園を開放すると発表した。 バンコク中心部にある朝日新聞アジア総局では揺れで棚の本が落ち、引き出しが開くなどした。 隣のデパートの壁には小さな亀裂が入った。 バンコクで地震の揺れを感じるのは非常にまれで、会社員の男性 (25) は「生まれて初めて地震の揺れを感じた」と話した。 中国の中央テレビによると、ミャンマー国境に近い中国の雲南省各地でも揺れを感じた。 (ミャンマー中部・笠原真、ニューデリー・石原孝、バンコク・武石英史郎、asahi = 3-28-25) |