関東甲信・北陸が梅雨入り 九州北部は線状降水帯のおそれも

気象庁は 10 日、関東甲信と北陸地方が梅雨入りしたとみられると発表した。 昨年より関東甲信は 11 日、北陸は 12 日早い。 平年と比べると、関東甲信は 3 日遅く、北陸は 1 日早かった。 本州付近で停滞する梅雨前線に向かって暖かく湿った空気が流れこみ、大気の状態が非常に不安定になる見込み。 すでに梅雨入りした地域を中心に、西日本や東日本では、11 日ごろまで雷を伴う激しい雨が降り、土砂災害や低い土地への浸水、河川の氾濫などに十分注意する必要がある。

特に、10 日夕方にかけ、福岡、佐賀、長崎、大分、熊本の各県では、線状降水帯が発生し、災害の危険度が急激に高まる可能性があるという。 11 日午前 6 時までの 24 時間降水量は、多いところで、▽ 九州北部 180 ミリ、▽ 近畿 150 ミリ、▽ 中国・九州南部 120 ミリ、と予想されている。 (力丸祥子、asshi = 6-10-25)

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鹿児島県で線状降水帯 「顕著な大雨に関する情報」発表

気象庁は 9 日午後 7 時 8 分、鹿児島県(奄美地方を除く)で、線状降水帯による非常に激しい雨が同じ場所で降り続いているとして、「顕著な大雨に関する情報」を発表した。 命に危険が及ぶ土砂災害や洪水などの危険性が急激に高まっているという。 (横山輝、asahi = 6-9-25)

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九州南部が今季初の梅雨入り 気象庁発表 初めて沖縄・奄美より先に

気象庁は 16 日、九州南部が梅雨入りしたとみられると発表した。 昨年より 23 日、平年より 14 日早い。 今季の梅雨入りの確認は全国で初めて。 沖縄・奄美以外の地方が最初に梅雨入りするのは、確定すれば 1951 年の統計開始以降、62 年ぶり 2 回目という。 九州南部が沖縄・奄美より先に、最初に梅雨入りするのは初めて。 気象庁によると、本州の南にある太平洋高気圧が平年より沖縄付近に強く張りだし、梅雨前線を北に押し上げている。 沖縄の平年の梅雨入りは 5 月 10 日ごろだが、向こう 1 週間も晴れや曇りの日が多くなる見通しという。

前線は 17 日にかけて九州北部まで延び、18 日は九州南部で停滞する見通し。 九州南部では 16 日夕方から 18 日にかけて、前線に向かって南から暖かく湿った空気が流れこみ、局地的に積乱雲が発達、警報級の大雨となるおそれがある。 落雷や竜巻などの激しい突風にも注意するよう、気象庁が呼びかけている。 東京大先端科学技術研究センターの中村尚・特任研究員によると、上空の偏西風が日本付近で北上し、前線が平年より北寄りに位置している。 太平洋高気圧もこの時期としては強く張り出し、南から順に梅雨明けして南西諸島で夏が始まる 6 月中旬ごろのような天気図になっているという。

九州以北では、前線の影響を受けて梅雨の後半で起こるような線状降水帯の発生をともなう豪雨に早い時期から見舞われるおそれがある。 また、気象庁の予報でも沖縄の南で海面水温が高い状態が続き、水蒸気も多く雨雲が発達しやすいとされる。 今後も太平洋高気圧が日本付近に張り出しを強めるなど、関東を含む本州付近に梅雨前線が停滞しやすい条件がそろうと、太平洋側を中心に豪雨に警戒が必要という。

一方、沖縄・奄美以外の地方が早く梅雨入りした 63 年は、沖縄の梅雨入りはこの地方としては最も遅い 6 月 4 日となり、15 日には明け、非常に短かった。 今年も入りが遅れる気配があり、中村氏は「渇水にも備えてほしい」と呼びかける。 (力丸祥子、asahi = 5-16-25)


「同じ権利を全ての人に」 虹の旗掲げ 1 万 5 千人行進、東京プライド

性的少数者 (LGBTQ+) や支援者が集い、差別のない社会をめざす国内最大級のイベント「Tokyo Pride 2025」が 7、8 の両日、東京・渋谷で開催された。 8 日のメインイベントのパレードには約 1 万 5 千人(主催者発表)が参加し、性的少数者の象徴である虹色の旗を掲げるなどし、渋谷駅近くや表参道など約 2 キロを行進した。

米国で生まれた性的少数者らによるパレードで、NPO 「東京レインボープライド」が 2012 年に主催するようになってからのパレードは、今回で 12 回目となった。 今年のテーマは「Same Life, Same Rights.」 東京レインボープライドの佐藤ユウコ共同代表理事は「同じ権利を、全ての人に。 全ての人が色々な選択をできるように」と掲げたテーマについて話した。 今回のイベントを通して、「誰しも様々なマイノリティー性があると思う。 この社会の不平等や排除のあり方を、自分事としてみつめてほしい。」と訴えた。 (藤原伸雄、asahi = 6-8-25)


出生数 70 万人割れで過去最少、出生率も 1.15 で過去最低を更新

2024 年に国内で生まれた日本人の子ども(出生数)は 68 万 6,061 人で、初めて 70 万人を下回り、統計がある 1899 年以降で過去最少となった。 1 人の女性が生涯に生む見込みの子どもの数を表す「合計特殊出生率」は 1.15 で、統計がある 1947 年以降で過去最低。 少子化は加速度的に進む。

厚生労働省が 4 日、人口動態統計を発表した。 出生数は前年より 4 万 1,227 人 (5.7%) 減った。 22 年に 80 万人を下回ったばかりだった。 国立社会保障・人口問題研究所の中位推計によると、24 年の出生数は 75 万 5 千人とされていた。 68 万人台になるのは 39 年で、推計より 15 年前倒しとなる。 少子化がより進む想定の低位推計では 24 年は 66 万 8 千人で、実態は低位推計に近い。 低位推計では、35 年に 60 万人を下回る。

合計特殊出生率は前年より 0.05 ポイント下がった。 都道府県別では、東日本で低く西日本で高い「西高東低」の傾向がある。 最も高いのは沖縄 (1.54)、最も低いのは東京 (0.96) だった。 林芳正官房長官は記者会見で、「経済的な不安定さや仕事と子育ての両立の難しさなど、個々人の結婚や出産、子育ての希望の実現を阻む様々な要因が複雑に絡み合っている。 多くの方々の子どもを生み育てたいという希望が実現しておらず、少子化に歯止めがかかっていない。」と話した。

婚姻数は 48 万 5,063 組で前年と比べて 1 万 0,322 組 (2.2%) 増え、離婚数は 18 万 5,895 組で前年比 2,081 組 (1.1%) 増えた。 死亡数は 160 万 5,298 人で前年比 2 万 9,282 人 (1.9%) 増え、過去最多。 出生数と死亡数の差である自然増減は 91 万 9,237 人減で、過去最大の減少だった。 (川野由起、asahi = 6-4-25)


防災庁は「災害政策の司令塔」有識者が提言 被災者「懸命に働いて」

防災庁の設置に向けた政府の有識者会議が 4 日、備える機能や体制について提言をとりまとめた。 同庁を防災政策を推進する司令塔と位置づけ、役所間の縦割りを排するために平時から各府省庁への勧告権を与えるよう求めた。 提言を受けて、政府は 2026 年度中の発足に向けて設置法案の具体化を進める。 提言では、発災後に被災自治体のワンストップ窓口として被災者のニーズを広く把握する役割などを防災庁に求める一方で、事前防災も重視。 デジタル技術によるシミュレーションなどを活用し、地域の災害リスクを評価して対策を立案する機能を強化することを挙げた。

体制については、トップを首相とし、補佐する専任の大臣を置くことを提言。 各府省庁の取り組みが不十分だった場合に改善を求める勧告権も与えるべきだとした。 一方で、設置場所や人員については具体論に踏み込まなかった。 防災庁の設置は石破茂首相の肝いり政策で、政府は設置法案を来年の通常国会に提出する方針。

「被災者に寄り添う姿勢を」

我が国にふさわしい防災のあり方を実現する司令塔 - -。 防災庁の設置に向けた政府の有識者会議は 4 日の提言で、防災庁をそう位置づけた。 政府は年内をめどに具体的な組織設計を固める。 過去に災害を経験した人たちからは期待や注文が相次いだ。 昨年 1 月の能登半島地震の際、石川県輪島市で避難所の運営にあたった元 PTA 会長、沢田英樹さん (63) は、防災庁には「被災者に寄り添う姿勢」と「課題を解決する実行力」が必要だと指摘する。

避難所の小学校には最大約 600 人が身を寄せた。 水や食料の備蓄はなく、トイレからは数日で大便があふれた。新型コロナなどの感染症が広がり、「地獄絵図」のような避難生活を経験した。 過酷な日々の終わりが見えないことが一番つらかったという。 有識者会議の提言では「世界基準を踏まえた避難生活環境の抜本的改善」を推進する、とうたわれた。

避難所では被災者の命を守るため、「トイレ、キッチン、ベッド (TKB)」を整えることが不可欠とされる。 そのために、沢田さんは、防災庁には縦割りを乗り越えて他省庁を動かす権限と、それを支える予算が必要だと指摘。 「被災者からの相談や困りごとについて、上司にいちいち相談していると、解決が遅れていく。 最大のミッションは被災者の命を守ること。 その目的のために、官僚が自ら判断し、懸命に働く役所になってほしい。」と願う。

防災庁には、災害関連死を減らす取り組みも期待されている。 2016 年の熊本地震で困難な転院を余儀なくされ、難病の次女(当時 4)を亡くした宮崎さくらさん (46) = 熊本県合志市 = は「防災庁を設置する流れはいい。 むしろ、遅かった。」と話す。 次女の搬送は、医療機関や自衛隊などの連携がスムーズであれば、より早くできた可能性があったとみている。 どこが責任をとるのか明確でなかった点が課題と考えていて、防災庁が責任を持てば「助かる被災者も出てくるのでは」と期待する。

次女ら災害関連死の事例検証を国主導でやるべきだと訴え続け、昨年に「災害関連死を考える会」を設立した。 「関連死は様々なパターンがあり、一つの対策で防げるものではない。 能登半島地震でも関連死が相次いでおり、検証が明らかに足りない」と指摘する。 どう防いでいくのか。 防災庁の役割について、「具体的に何をするのか示してほしい」とも話した。

教訓の伝承も課題

一方、災害の教訓をどう次の世代につなげるかも課題だ。 東日本大震災で約 700 人が津波の犠牲になった宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区。 ここに立つ「名取市震災復興伝承館」職員の高野俊伸さん (57) は、震災以前に大きな津波を住民たちが経験しておらず、危機感が薄かったことが被害の拡大を招いた、と考えている。 「経験のない人に防災を意識してもらうには、説明だけでなく体験も必要」とし、デジタル技術を活用した体験型の伝承を進めることを望んだ。

また、同県南三陸町にある伝承施設「南三陸 311 メモリアル」顧問の高橋一清さん (64) は、防災庁のめざす方向について「受け身にならず、自分で行動できるよう備えることが大切。 (提言に)『国民一人ひとりが自ら行動できる意識が根付いた防災社会の構築』とあり、まず安心した」と評価した。 一方で、「想定を超えることもあるのが災害であり、防災の考え方の基本」と話し、「想定外があることも意識した防災を進めてほしい」と期待をこめた。 (asahi = 6-4-25)

有識者会議の提言が「防災庁」に求めた機能

・ 事前に災害リスクを評価し、対策を立案
・ 被災自治体のワンストップ窓口として被災者ニーズを把握
・ 国際基準を踏まえた避難生活の環境改善や避難所運営の訓練実施
・ 専門性を持つ民間企業や NPO などとの連携
・ 災害の記録、課題、教訓の伝承
・ 大学などと連携した人材育成


東・西日本の今年最多 210 地点で真夏日 山梨・大月は 34.2 度

20 日は西日本から東日本の広い範囲で高気圧に覆われてよく晴れ、各地で気温が上がった。 気象庁によると、同日午後 3 時すぎに山梨県大月市で 34.2 度を観測するなど、今年最多となる全国 210 地点で真夏日(30 度以上)を記録した。

気象庁によると、本州付近に張り出す太平洋高気圧の縁をまわって南から暖かい空気が流れ込んだことに加え、偏西風に乗って西からも暖かい空気が日本付近に流れ込み、内陸部を中心に気温が上がった。 東京都八王子市で 33.5 度、福岡県糸島市、兵庫県朝来市で 33.0 度を観測するなどした。 東京都心でも 31.1 度となり、今年初の真夏日になった。 21 日以降は前線や湿った空気の影響で全国的に雨の地域が広がるが、気温は平年より高く、蒸し暑さが続く見通し。 23 日以降は北から冷たい空気が日本を覆い、平年より低くなると予想されているという。 (力丸祥子、asahi = 5-20-25)


サッポロ赤星、キリンハートランド 宣伝しないビールがなぜ売れる?

日本のビールは、有名人を CM に起用し、宣伝にお金をかけるもの - -。 そう思っていたら、時流にあらがうように「実質的に宣伝しないのに売れるビール」があるという。 現存する国内最古の銘柄「サッポロラガービール(赤星)」と、キリンビールの「ハートランドビール」だ。 2 銘柄はなぜ、売れるのか。 ビール会社はなぜ、広告を打たないのか。

「赤星は熱処理しているのに味がライトだから、店ではこれしか飲まない。」 そう語るのは、夕暮れ時に東京・大塚のやきとん「富久晴」でもつをほおばっていた男性客だ。 店主の青木武さんは「評判が良かったので十年ほど前、経営を代替わりした際から扱っている」と話す。 別のもつ焼き店関係者は「やきとんには赤星とキンミヤ焼酎(宮崎本店の亀甲宮焼酎)が外せない」と語り、都内の魚料理店主は「キレがある。 つきあいは数十年だ。」と推す。

テレビや新聞といったマス媒体へ広告を出さないサッポロラガーは、1877 (明治 10)年に誕生した。 北海道開拓使のシンボルである北極星を表す赤い星がラベル中央に描かれている。 ビールの早期劣化を防ぐため、88 (明治 21)年に熱処理を始めて以降、味は同じだという。 しっかりした味わいの一方、苦みはそれほど感じない。 いまのラベルは 1992 年から使われている。 コロナ禍で出荷量が一時落ちたものの 2022 年に持ち直し、24 年は 19 年比で約 2.1 倍に伸びた。取り扱いは基本的に飲食店のみ、家庭向けの缶は年 2 回しか出荷しないにもかかわらず、だ。

サッポロビールマーケティング本部の荒木進之介さんは「郷愁を感じさせる『ネオ大衆酒場』が増え、流行に左右されない赤星がマッチした。 変わらないことに価値があり、そのことが支持されているかもしれない。」 商品の PR は、自社サイトなどで取扱店を紹介する程度に抑えている。 「知る人ぞ知るビールでありたいので、マス広告を使った拡大戦略をとらない。 でも、それ故にお客様はビール会社が(マス広告を通じて)打ち出す商品イメージを赤星に抱かず、酒場の雰囲気を重ね合わせている。」

サッポロは年 2 回、赤星缶ビールを数量限定で発売する。 酒場に足を運ばない消費者に知ってもらうためで、直近では 5 月 20 日に売り出す。 前年比 2 割増の受注が入っているという。

キリン、ハートランド 「知る人ぞ知るビール」

ハートランドは、赤星から約 1 世紀後の 1986 (昭和 61)年に発売された。 新しい生活意識と価値観を持ち、キリンブランドでは対応しにくい消費者へ「新しい本物の提供」をめざした。 米ニューヨークの沖合の沈没船から発見されたラベルのないエンボス(浮き彫り)瓶に着想を得て、日本で初めてエメラルドグリーンのボトルカラーを採用。 「聖獣麒麟」のマークはなく、瓶に社名の彫り込みもない。 こちらもキーワードは、赤星に通じる「知る人ぞ知るビール」。 原材料は麦芽とホップ、水のみ。 ホップの香りがたち、穏やかですっきりとした味わいだ。

デザインと製法を変えず、広告も打たない。  にもかかわらず、93 年から 24 年連続で出荷量が増加。 コロナ禍などを経て 2022 年は前年比 31% 増と復調し、以降、3 年続けて前年を上回っている。 「味が評価され、量販店でもあまり販売していないので希少性の高さから支持されている(キリン広報)」という。 東京・湯島の老舗居酒屋「シンスケ」は赤星とハートランドを扱う。 4 代目店主の矢部直治さんは 2 銘柄を推す理由をこう話す。

「赤星は昔ながらのほろ苦い味を今へ伝え、ブランドを大事に育てるメーカーの姿勢に共感を覚えた。 ハートランドの味わいは軽く、どんな客層にも受け入れられ、どんな料理にもあう。 その意味で赤星と対照的だが、両者とも瓶ビールの良さを伝える銘柄なので扱っている。」

「ブランディングの本質示す」 慶大院・井上教授

慶大大学院経営管理研究科・井上哲浩教授(マーケティング論)の話 : ハートランドは「トレンドを追わず、ビール文化を確立する必要がある」という考えに基づいてつくられた。 消費者がビール本来の価値に気づき、本物を追究することを願って「素(そ、もと)」という概念をマーケティング戦略の最上位に掲げた。 ハートランドの価値を体現する「文化の提案」であり、そのことが消費者に受け入れられた。

一方、赤星は開拓使の精神を商品に反映し、いまも守っている。 2 銘柄に共感しているのは、料飲店と消費者が口コミで評判を広げ、知らぬ間にビール会社の「内部資源」になって商品拡大に貢献している点だ。 ブランディングの本質を示す事例といえる。 (橋田正城、asahi = 5-18-25)


西田議員の「ひめゆり」発言 沖縄戦への「修正」が繰り返される背景

自民党の西田昌司参院議員がひめゆりの塔の展示について「歴史の書き換え」などと述べた問題。 後に一部撤回したものの、沖縄県内では抗議や批判の声が収まらない。 琉球大学の山口剛史教授(平和教育)は、西田氏の発言は事実誤認にとどまらない問題をはらんでいると指摘する。 どういうことなのか、話を聞いた。

西田氏の発言をどう受け止めましたか。

「沖縄戦の研究は、生存者やその家族らの体験を研究者らが聞き取り、証言を重ね合わせて『沖縄戦は何だったのか』という『像』を作り上げてきました。 『軍隊は住民を守らない』という教訓はそこから見いだされています。 ひめゆり平和祈念資料館の展示も、元学徒らが『生き残って申し訳ない』という贖罪の思いを抱えながら、当時の体験から沖縄戦の実相を踏まえてつくり出したものがベースにあります。 こうした事実を無視し、特定の見方で『歴史の書き換え』と語ることの方が歪曲であり、厚みのある沖縄戦像を否定するものと言えます。」

戦後、沖縄戦の証言はどう集められたのでしょうか。

「米軍統治下の 1950 年、沖縄タイムスが住民証言を元に沖縄戦を記録した『鉄の暴風』を出版し、続いて『那覇市史』や『沖縄県史』、各市町村での体験記録が編まれてきました。 72 年に沖縄が日本に復帰し、自衛隊が配備されることになると、日本軍とは何だったのかが問い直され、日本軍による住民虐殺の事実が掘り起こされるようになります。 こうした掘り起こしは、軍隊の支配とは何か、人権侵害がなぜ起きるのか、など目の前の不条理と重ねあわせながら進みました。 単なる掘り起こしではなく、その時々の課題とリンクしながら丁寧に聞き取られてきたものなのです。」

「沖縄戦」の問い 作り替えたい人たちが「常に存在する」理由

過去にも、こうした沖縄戦像を修正しようとする動きがたびたび起きています。

「1982 年に高校日本史教科書から旧日本軍による住民虐殺が削除され、2006 年度検定では住民の『集団自決』について、日本軍が『強制した』との記述が削除される動きがありました。 国の歴史観と沖縄の人々の記憶のズレは、今に始まったことではありません。」

「ズレが生じるのは、住民視点の沖縄戦像が軍隊の本質をあらわにしているからでしょう。 国は国民の生命財産を守ると言いながら、国家体制や国益を守る - -。 沖縄戦の経験からは、軍隊との共存はできるのか、という問いもおのずと生まれます。 国のあり方を揺るがす問いであり、だから『住民も協力して戦った』という物語に作り替えたほうが都合がいい人たちが常に存在するのです。」

ひめゆり学徒隊も国のために戦ったといわれます。

「動員されるときは『国のために』と思った学徒もいたと思います。 でも、戦場での現実や、沖縄戦終盤の 45 年 6 月に軍から『解散命令』を言い渡され、戦場に放り出されたという全体を見れば、『彼女たちも国のために戦った』と単純に言うことはできないと思います。」

日本兵にも「いい人」はいた それでも変わらない本質

沖縄戦は「捨て石」と言われますが、「日本軍は沖縄県民を守ろうとした」、「戦艦大和や特攻隊も沖縄に向かわせた」という主張もあります。 「命をかけて戦った先人に汚名を着せるのか」といった意見も聞きます。

「県民を守るために日本軍がいた、というのは、やはり事実と異なります。 沖縄方面の作戦全体の意味や方向性を捉えると、日本軍にとっては沖縄の人を守る作戦ではなく、本土決戦の準備のため、『国体護持』のための時間稼ぎの戦いでした。 少なくとも、沖縄の人たちや財産を守ろうと日本軍が盾になったわけではありません。 もちろん、日本兵の中には『いい人』もいました。 『この戦争は負けるから命だけは大事に』と日本兵が助けてくれた、といった証言も残っています。」

「ただし、それはその兵士個人の側面であり、軍の方針ではない。 沖縄を守備した日本陸軍第 32 軍の牛島満司令官の訓示『一木一草といえどもこれを戦力化すべし』が象徴的ですが、軍の目的は沖縄を灰にしてでも本土決戦を遅らせることでした。 そもそも、一部の兵士の良心的な行為を挙げても、『(日本軍の評価には)賛否両論がある』とはなりません。 なぜ戦争は起きたのか。 住民に戦争への協力を進めさせた力が何だったのか。 そうした大きなメカニズムを見つめないと、次の戦争を止める力にはなりません。」

現代も続く性暴力 「軍隊の本質」を含む沖縄戦の教訓

西田氏の言う「アメリカが沖縄を解放した、という展示がひめゆりの塔にある」というのは誤りですが、「米軍が助けてくれた」との証言自体は、沖縄各地に残っています。

「米軍の艦砲射撃などで多くの住民が殺されたのは間違いない事実。 それと同時に、生きるか死ぬかの選択の中で、日本軍は『生きて虜囚の辱めを受けず』と死を強要し、米軍は戦場において住民を保護しようとした。 その意味で『米軍が助けた』という証言が出てくることは自然なことです。 ただし、その直後から女性への性暴力なども始まり、現代も続いています。 そこにも軍隊の本質が表れており、その点も含めて沖縄では沖縄戦の教訓として捉えられています。」

西田氏のような見方に対して、ネット上では賛同する意見も多い。 西田氏は「自分たちが納得できる歴史を作らないと」とも発言しています。

「今回の問題によって、沖縄で継承される語りに共感する人はより共感し、そうではない人は嫌悪感を募らせる、といったことが起きかねない。 沖縄と本土や社会全体の分断を深めていく可能性があると心配しています。 どちらが好き・嫌いではなく、国民全体が、あの戦争は何だったのか、どう総括するのかが求められています。 今年は戦後 80 年、戦争体験者の話や姿に立ち返りながらみんな一緒に考えていこう、となることを願っています。」 (上地一姫、asahi = 5-17-25)


過去最長の「黒潮大蛇行」やっと終息? カツオ漁や暑さに影響か

気象庁は 9 日、日本の太平洋側を流れる暖流の黒潮が大きく南に曲がる「黒潮大蛇行」が 2017 年 8 月から続いてきたが、終息する見通しになったと発表した。 黒潮とは別の冷たい海水の流れを取り込むなどして蛇行したとみられるが、4 月に入り、この流れが黒潮から離れたという。 専門家は「海面水温などの変化に伴い、気候や漁業に影響する可能性がある」としている。

黒潮は、日本の太平洋側の四国・本州南方を東向きに流れる。 一方、西側から近づく冷たい海水の流れを取り込むなどし、紀伊半島沖から東海沖で大きく南に曲がる状態が 7 年 9 カ月にわたって続いてきた。 気象庁によると、今回を含め記録のある 1965 年以降に発生した計 6 回のなかで、最長になっていた。 冷たい海水の流れが離れ、4 月中旬ごろから黒潮が従来の四国・本州南岸にほぼ沿う流れに変化したという。 冷たい流れが離れた理由については分かっておらず、今後 3 カ月ほど観測を続け、大蛇行が終息したか最終的に判断する。

海洋研究開発機構の美山透主任研究員(海洋物理学)によると、今回の大蛇行により魚の収穫量に影響が出ていた。 和歌山県では黒潮に乗って北上するカツオの漁場が遠くなった一方、東海地方では取れやすくなったという。 蛇行により黒潮の暖かい流れはより東海地方や関東に近づき、夏場は蒸し暑くなり、強い雨が降りやすい状態になるなどしていた。 「このまま終息すれば、大蛇行が起きる前の漁業環境や気象状態に近づくだろう」と話した。 (力丸祥子、浅田朋範、asahi = 5-9-25)


桜前線ゴール、北海道オホーツクの街・網走に 全国で最も遅い開花発表

北海道網走市にある網走地方気象台は 8 日、サクラ(エゾヤマザクラ)が開花した、と発表した。 昨年よりも 10 日遅く、平年より 2 日早い。 気象庁がサクラを観測する全国 58 地点で最も遅い開花発表。 1 月 5 日に那覇市(ヒカンザクラ)をスタートした桜前線は、4 カ月ほどかけて北上し、オホーツクの街にゴールした。 午前 10 時ごろ、網走地方気象台の職員が、市内の公園にある標本木に 5、6 輪以上の花が開いているのを確認した。 気象台によると、「桜前線」の終着地は、稚内や釧路で迎えることが多い。 ただ、今年は積算気温の関係で、道内のほかの観測地点では開花が早まったとみられるという。 網走が単独で終着地となったのは 1993 年以来、32 年ぶり。 (神村正史、asahi = 5-8-25)


激戦地ペリリュー島、遺骨収集加速で協力合意 千人規模の集団埋葬地

太平洋戦争の激戦地・パラオのペリリュー島で戦没者の遺骨収集を加速させるため、福岡資麿厚生労働相は 5 日、パラオの担当閣僚と会談し、協力を得ることで合意した。 島では昨年、千人以上とみられる異例の規模の集団埋葬地が見つかった。

厚労省は関連予算を倍増させ、2027 年度までに収集することを目指す。 ペリリュー島は日本から約 3 千キロメートル南に位置するパラオの島の一つ。 南北約 9 キロで、カニの爪のような形をしている。 第 1 次世界大戦後の 1920 年、敗戦国のドイツに代わり日本が委任統治領として治め、重要な軍事拠点とした。 44 年 9 月 15 日、旧日本軍が守る島に米軍が上陸し、2 カ月以上にわたって激戦が続いた。 旧日本軍は約 1 万人が戦死。 米側も 1,600 - 1,700 人が死亡したとされ、米海兵隊史上、最も激しい戦いの一つとも言われる。 53 年、政府の最初の遺骨収集団が島に派遣され、これまでに 7,800 柱が収集された。 昨年見つかった集団埋葬地は、米軍が旧日本兵を葬った。 終戦後間もなく、米側から存在が知らされていたが、場所を特定できていなかった。

厚労省は機密指定が解除された米軍の記録資料などをもとに現地調査し、昨年 9 月に遺骨の場所を特定した。 米国の資料によると、埋葬者数は 1,086 人。 同島で遺骨が収集できていない約 2,400 人の半数近くが埋葬されていることになる。 現在、遺骨収集を待つ戦没者の埋葬地のなかでは、最大規模で、10 年に硫黄島で約 2 千人の埋葬地が見つかって以来の規模となりそうだ。 パラオでの遺骨収集には現地の法律に基づいて、同国職員の立ち会いが必要となる。 福岡厚労相は担当のニライベラス・メトゥール人的資源・文化・観光・開発相と会談し、立ち会いの人員確保などで協力を得ることを確認した。 会談後、福岡厚労相は集団埋葬地を視察し、戦没者の慰霊碑に献花した。

集団埋葬地の発見を受け、厚労省は今年度、島での遺骨収集の予算として、昨年度の約 2 倍の 9,300 万円を計上した。 現地調査の日数を昨年度から倍増させ、1 回あたり 20 日の調査を今年度は 5 回実施する予定だ。 今回の会談でパラオからより多くの協力が得られる見通しになり、26 年度は遺骨収集の調査団を毎月派遣する予定だという。

浜井和史・帝京大教授「長期ビジョンの策定を」

ペリリュー島における旧日本兵の集団埋葬地での遺骨収集について、厚生労働省の戦没者の遺骨収集に関する有識者会議のメンバー・帝京大の浜井和史教授(日本近現代史)は「遺族への遺骨返還の期待が高まる」と評価しつつ、今回の集団埋葬地の情報が長年生かされなかったことについて「戦後一貫して場当たり的だった遺骨収集のあり方を改めるべきだ」と訴える。 国が本格的に海外での遺骨収集を始めたのは主権回復後の 1952 年。 膨大な遺骨の収集は不可能ととらえ、一部を収集して戦域全体の戦没者とみなす「象徴遺骨」という考えのもとに、50 年代末にいったん区切りをつけようとした。

だが、60 年代に海外旅行の自由化などの流れの中で遺族や戦友が戦地を訪れ、「野ざらし」にされた無残な遺骨を目撃したことで再び関心が高まり、67 年に収集を再開。 ただ、これも戦後 30 年にあたる 70 年代半ばを区切りとして予算規模が縮小され、メディアが報じる機会も減っていった経緯がある。 冷戦終結後の 90 年代に旧ソ連のシベリア抑留者の遺骨が収容されるようになり、2000 年代には DNA 鑑定の導入も手伝って関心が三度呼び起こされる。 16 年に成立した遺骨収集推進法によって遺骨収集が「国の責務」と位置づけられ、23 年には収集の「集中実施期間」を 5 年延長して 29 年度までとすることが決まった。

浜井教授は遺骨収集の意義について「遺族の要請に応えることと同時に、死者の尊厳を取り戻し、国家が引き起こした戦争の責任と向き合うことにつながる」と強調。 時間が経てば経つほど遺族の高齢化が進む一方で、DNA 鑑定の発達により、遺骨返還の可能性も高まっているとして、「長期的に遺骨収集をどうするかあいまいにせず、国民的な議論を経た上でビジョンを描くことが必要だ」と指摘する。 (パラオ・ペリリュー島・足立菜摘、渡辺洋介、asahi = 5-5-25)


子どもの数、初めて 1,400 万人下回る 44 年連続で減少 総務省

総務省は 4 日、4 月 1 日現在の 15 歳未満の子どもの数を発表した。 前年より 35 万人少ない 1, 366 万人となり、比較可能な統計がある1950 年以降の過去最少を更新した。 44年連続の減少で、初めて 1,400 万人を下回った。 総人口に占める割合は 11.1% で、51 年連続で低下した。 総務省が 5 日の「こどもの日」に合わせ、人口推計をもとに算出した。 子どもの数は、2,943 万人だった 50 年と比べると 46% まで減少した。 男子は前年より 18 万人少ない 699 万人、女子は 17 万人減の 666 万人。 年齢別にみると、12 - 14 歳が 314 万人で最も多く、年齢が下がるにつれて少なくなり、0 - 2 歳 は 222 万人だった。

子どもの割合は、50 年に 35.4% だったが、徐々に低下。 第 2 次ベビーブーム(71 - 74 年)でわずかに上昇したものの、75 年から低下が続く。 都道府県別(昨年 10 月 1 日現在)にみると、子どもの数はすべてで前年から減少した。 100 万人を超えたのは東京都と神奈川県。 子どもの割合は、秋田県が 8.8% で最も低く、青森県の 9.8%、北海道の 9.9% と続いた。 最も高いのは沖縄県の 15.8% だった。 総務省が国連の調査をもとに人口 4 千万人以上の国について分析したところ、37 カ国中で子どもの割合が最も低かったのは韓国 (10.6%) で、日本 (11.1%)、イタリア (11.9%)、スペイン (12.9%) と続いた。 (古賀大己、asagi = 5-4-25)


報道の自由、日本は 66 位 順位改善するも G7 で 9 年連続最下位

国際 NGO 「国境なき記者団(本部・パリ)」は 2 日、2025 年の「報道の自由度ランキング」を発表した。 調査対象の 180 カ国・地域のうち日本は 66 位(前年 70 位)で順位を上げたが、主要 7 カ国 (G7) の中では 2017 年から最下位が続いている。 同 NGO は世界的な傾向について、財政難にある報道機関がメディアを利用しようとする政権による支援の制限や広告主の要求などの経済的圧力にさらされていると分析。 メディアの経済的な制約を示す指標が「前例のない深刻な低水準」になり、世界の報道の自由が「困難な状況」にあると警鐘を鳴らした。

日本は、記者に危害が加えられるなどの危険が少なく取材活動をめぐる安全性の指標で高い評価を受けた。 一方、フリーの記者らが政府の会見へのアクセスを制限されている問題を指摘。 同 NGO でアジア太平洋地域の広報を担当するアレクサンドラ・ビエラコフスカさんは朝日新聞の取材に「政府をめぐる取材では、記者が平等に扱われるべきだ」と話した。 1 位はノルウェーで、2 位にはエストニアが入った。 G7 では米国が 57 位(前年 55 位)で、日本に次いで低い順位だった。 同 NGO は、トランプ米大統領による独立系メディアへの支援の削減や記者の排除を例に挙げ、米政府が報道の自由の深刻な悪化を引き起こしていると懸念を示した。 (パリ・宋光祐、asahi = 5-2-25)


各地で真夏日、30℃ 超え この先 1 週間暑さ続く見込み 熱中症注意

19 日は高気圧に覆われ、九州から東北にかけて広く晴れて各地で気温が上昇した。 気象庁によると、午後 5 時現在で、兵庫県豊岡市で 31.2 度、長野県上田市で 30.9 度、島根県川本町で 30.7 度を記録するなど、各地で 30 度以上の真夏日となった。 熱中症への警戒が必要だ。 都市部でも気温が上がり、名古屋市千種区で 29.5 度、大阪市中央区で 28.1 度、東京都千代田区で 27.8 度を記録。 いずれも今年の最高気温だった。

このほか、▽ 甲府市で 30.6 度、▽ 鳥取県倉吉市、兵庫県朝来市 30.5 度、▽ 岐阜県飛?市、鳥取市 30.4 度、▽ 鳥取県岩美町、山梨県甲州市、群馬県館林市 30.3 度を記録した。 気象庁によると、東北地方、東日本、近畿地方、中国地方、四国地方の気温は、向こう 1 週間程度は暖かい空気が流れ込みやすいため高く、その後は平年並みの見込みという。 総務省消防庁は熱中症への警戒を呼びかける。 こまめに水分を補給し、我慢せずにエアコンを使うことを勧めている。 熱中症は急激に暑くなる日に起きやすい。 特に、高齢者や乳幼児は注意が必要だ。 (asahi = 4-19-25)


公園・道路の倒木事故、全国で計 1,732 件 死亡事故受けて国が調査

公園の樹木や街路樹の倒木、枝の落下などにより人に危害が及んだり物が壊れたりした事故が、2021 年 4 月 - 24 年 11 月に全国で計 1,732 件あったことがわかった。 国土交通省が 17 日に調査結果をまとめた。 このうち、人身事故は計 110 件で、死亡事故も 1 件起きた。 調査は、昨年 9 月に東京都日野市の緑地でイチョウの枝(長さ約 5 メートル)が折れ、下敷きになった男性が死亡した事故を受けたもの。 公園や道路を管理する国や自治体を対象に、物損・人身事故の件数や木の種類、原因についても聞いた。 公園の倒木については初めて調査した。

調査結果によると、公園の樹木による事故は 931 件で、うち人身事故は 77 件だった。 木の種類で最も多かったのはコナラで 126 本。 次いでサクラ類(95 本)、ケヤキ(66 本)、アカマツ・クロマツ類(60 本)と続いた。 イチョウは 11 本だった。 原因別では腐朽・病害が 298 件と最多で、強風(台風を除く)が 260 件、台風 102 件、積雪 55件だった。 コナラやクヌギなどの「コナラ類」で詳細が分かるもののうち、43% でナラ枯れの被害が確認できたという。

都道府県でみると、東京(179 件)、埼玉(82 件)、神奈川(76 件)、愛知(60 件)、千葉(49 件)など人口の多い都県が上位だった。 一方、道路の街路樹による事故は 801 件(うち人身事故 33 件)で、ケヤキやサクラ類などが多かったという。 国土交通省の担当者は「公園の樹木は街路樹に比べて大きいものがあり、倒れると被害も大きくなる。 調査結果をもとに、どんな管理や点検が有効か検討していきたい。」と話した。 (贄川俊、asahi = 4-17-25)


日本人、過去最大 89 万人減 総人口 1 億 2,380 万人、外国人は最多

総務省は 14 日、2024 年 10 月 1 日時点の人口推計を発表した。 外国人を含む総人口は前年から 55 万人 (0.44%) 減少し、1 億 2,380 万 2 千人となった。 減少は 14 年連続。 日本人は前年比 89 万 8 千人 (0.74%) 減の 1億 2,029 万 6 千人で、減少数と減少率のいずれも過去最大だった。 13 年連続で減少幅が拡大した。 一方、国内に 3 カ月以上滞在する外国人は 34 万人以上増えて 350 万 6 千人。 3 年連続で過去最多を更新しており、日本人の減少を補う形となっている。

総人口を年齢別にみると、15 歳未満は 34 万 3 千人減の 1,383 万人。 全体に占める割合は 11.2% で過去最低だった。 15 - 64 歳の「生産年齢人口」は 22 万 4 千人減の 7,372 万 8 千人、59.6%。 75 歳以上の人口は 70 万人増の 2,077 万 7 千人、割合は過去最高の 16.8% だった。 第 1 次ベビーブーム(1947 - 49 年)に生まれた人がすべて 75 歳以上となったことが背景にある。

都道府県別にみると、人口が増加したのは 2 都県で、東京が 0.66% 増の 1,417 万 8 千人、埼玉が 0.01% 増の 733 万 2 千人。 45 道府県のうち減少率が最も大きかったのは秋田の 1.87% だった。 東京一極集中の傾向が続いているが、出生数と死亡数の差である「自然増減」でみると全都道府県で減少している。

止まらない少子化「来年効果が出るものでもない」

人口減の主な理由としては、少子化の加速がある。 政府が対策を講じているものの、歯止めがかからない状態だ。 今年 2 月に国が公表した 2024 年の出生数(外国人を含む速報値)は 72 万 0,988 人と過去最少だった。 17 年に 100 万人を割り、以降は前年比 3 - 5% の減少を続けている。 国立社会保障・人口問題研究所(社人研)の将来推計人口(23 年)を参照すると、少子化がより進むと想定した「低位推計」に近い勢いだ。

少子化の要因は複雑に絡み合う。 その一つが未婚化・晩婚化の進行だ。 24 年の婚姻数(速報値)は 49 万 9,999 組と戦後 2 番目に少なかった。 ほかにも、子育てや教育にかかる経済的負担、女性に偏る家事や育児の負担、長時間労働の慣習がある。 社人研の調査では、未婚者の「結婚したら子どもを持つべき」だという意識が薄くなっているという。 政府は 30 年以上前から対策を打ち続け、保育の拡大や幼児教育・保育の無償化などを進めてきた。 だが、効果ははっきり見えなかった。

政権の主な少子化対策と財源

高齢化とも相まって人手不足が生じ、将来的な社会のサービスやインフラの維持も懸念されるなか、政府は 23 年末、「30 年代に入るまでが少子化傾向を反転できるラストチャンス」とし、年 3.6 兆円規模の対策「こども未来戦略」を決めた。 昨年 10 月から児童手当の所得制限を撤廃。 支給期間を中学生から高校生年代まで広げるなど大幅に拡充した。 共働き共育て支援では、今年 4 月から夫婦ともに 14 日間以上の育休を取得すると、給付額が手取り 8 割相当から 10 割相当になる制度を導入した。

「対策を着実に実行することで少子化のトレンドを反転させることを目指す」という政府だが、そもそも政策の効果が表れたとしても時間がかかる。 政府関係者の一人は「今年やったから来年効果が出るというものでもない」と漏らす。

「子どもは親任せ」の為政者が進める少子化対策 小児科医の見方

明治大の金子隆一特任教授(人口学)は、「現時点で、政府の施策が人口減少に歯止めをかける兆候は見えない。大事なのは、長期間にわたり家族支援に加え、雇用・就労環境などを充実させ、『生きやすい国』にしていくことだ」と指摘する。 また、当面の人口構成について「日本人の減少を外国人が補う構造になっている」としたうえで、「外国人をどう受け入れるかという国民的な議論が必要で、国はそれを踏まえた施策の検討を進めるべきだ」と話す。 (古賀大己、川野由起、asahi = 4-14-25)