「今は水を集めすぎ」 豪雨時代にふさわしい国の姿とは

相次ぐ豪雨災害を受け、国は「流域治水」にかじを切った。 川だけでなく、まわりの土地全体で水害に備える手法だ。 河川工学者の島谷幸宏さん (66) は、これは国のあり方を変えるかもしれないと言う。 目指すのは、豊かさが続いていく地域づくり。 どうつながるのか。(編集委員・佐々木英輔)

国土の改変の影響が現れた

これまでの治水は、堤防やダムなど川そのものへの対策が中心だった。 しかし、それだけでは水害を防ぎきれないと国土交通省が昨年打ち出したのが「流域治水への転換」。 水が流れ込んでくる範囲を見渡し、様々な対策を組み合わせる考え方だ。 雨水をためたり地面にしみ込ませたりする場所を増やし、森林や農地の機能も生かす。 遊水地に水を逃がし、危ない場所を避けて住むよう促す。 全国各地の水系ごとにプロジェクトが始まり、関連法も成立した。

「今は水を集めすぎているんです」と島谷さんは言う。 都市化で地面が覆われ、降った雨を速やかに流すよう水路が整備されてきた。 このため下流の水位が一気に上がってしまう。 こうした国土の改変の影響が、激しい雨が増えたことで目に見えるようになってきたのだという。 「気候変動と人口減の時代。 堤防とダムだけでは守れず、維持管理も大変です。 健全な水循環を取り戻し、高度成長期型の国土から持続的な形にしていかなければなりません。」

ゆっくり流し、流量のピークを分散させれば水位は下がる。 「都市河川は改変で流量が 3 倍ほど増えたのに対し、気候変動で見込まれる増加は 1.4 倍ほど。吸収できます。 大河川でもある程度対応できるはず。」 雨水タンクの設置や砕石を使った地中への浸透は各戸でできる。 緑地や湿地を生かせば、多様な生物が育まれ、暮らしに潤いももたらす。 島谷さんは「環境と防災を切り離さない」との考えのもと、福岡市の川での流域治水を住民と進めてきた。 この 4 月から取り組んでいるのが、昨年の豪雨で被害を受けた熊本県の球磨川流域だ。 熊本県立大を本拠にし、県が掲げた「緑の流域治水」のアドバイザーに就いた。 引き受けたのは「新しい国づくりのモデルをつくりたい」からだという。

第二の列島改造 「流域ということは国土全部」

第二の列島改造 - - 島谷さんは流域治水をこう位置づける。 「流域ということは国土全部です。 そこに手を付けるのは国の全体を変えること。 国交省が考えているよりも広がりがある政策で、大きな転換です。」 頭にあるのは、治水を通じて持続的に発展する地域の姿。 産業にもつなげたいという。 例えば、住民の手で設置できる水位計や雨量計を開発し、広く設置すれば防災力につながりデータも集まる。 農地や道路など様々な場所での貯留や浸透のノウハウも強みになる。 清流や農林業などの財産を守り、エコツーリズムや環境を重視する投資を呼び込む。 経済界も加わっての仕組みづくりを模索中だ。

「皆さんすごく協力的。 バラバラだった取り組みを流域治水を軸につなげ、いろんな波及効果を狙っていきたい。」 球磨川流域では、支流の川辺川でのダム建設が長く論争になってきた。 県は洪水時だけ水をためる流水型ダムの建設に方針転換したものの、禍根は残り、技術的な課題もある。 一方、流域治水の裾野は広い。 「まず庁舎に素敵な流出抑制の施設ができて、みんながまねしていく。 様々な人が参入し、面白がって新しい産業が生まれる。 それを税制や助成金、表彰などでバックアップしていく。 そんな流れになるのがいい。」

実践を通じ、科学的な裏付けも積み上げていく。 一つひとつは小さくても「『ちりも積もれば』で水が集まっているのだから逆をやれば減る。」 手応えを感じるのが、水田に一時的に水をためる「田んぼダム」だ。 「今年、熊本県は 270 ヘクタールの田んぼダムを実証実験で入れました。 20 センチためられれば 54 万トン、遊水地 1 個分です。 遊水地なら整備に 10 年かかる。 コストも安く、短い時間で一気にできる可能性があります。」

治水をやるのは何のため?

流域治水の参考になるのは、実は江戸時代までの治水なのだそうだ。 利水と治水を一体で考え、自然の特徴に応じて水の勢いをそいだり、あふれる場所を決めたりと工夫していた。 氾濫しても被害を小さくとどめる多重防御の考え方は、気候変動への対処を迫られている現代の最先端でもあるという。 それが明治以降、森林、河川、上水道、下水道など分野ごとに役所が分かれ、学問も細分化してしまった。 流域治水は、この縦割りを乗り越えないと成り立たない。 国交省も「あらゆる関係者の協働」を掲げて各地に協議会をつくったが、旧来の河川行政の延長にとどまるようなら限界も見えてくる。

「いかに参加する人を増やせるかがポイント。 自治体が中心になり、自分の町を良くするためにやるという形になれば。」 環境をベースに防災を考えるのは世界の流れでもある。 東日本大震災後は防潮堤などのハード施設が重視され「一気に揺り戻された」が、近年は自然の機能を生かすグリーンインフラが広がりをみせるなど「やっと追いついてきた」と感じている。 「安全になったけれども流域が廃れて誰もいない、では何のための安全かとなる。 治水をやるのは地域が持続的に発展するため。 そこに戻るべきです。」 (編集委員・佐々木英輔、asahi = 8-20-21)

島谷幸宏 (しまたに・ゆきひろ) 1955 年、山口県生まれ。 旧建設省土木研究所、国交省九州地方整備局武雄河川事務所長を経て 2003 年から今年 3 月まで九州大教授。 現在は熊本県立大特別教授、大正大特命教授、九州大特命教授。日本湿地学会長も務めた。 国交省所長時代に遊水地機能を兼ね備えた自然再生事業を手がけ、17 年の九州北部豪雨では集落ごとの復興計画づくりに携わった。


川辺川ダム巡り市民ら抗議 町長に「自分の考えない?」

昨年 7 月の記録的豪雨で被災した熊本県の球磨川水系流域の 12 市町村長でつくる「川辺川ダム建設促進協議会」が、川辺川への流水型ダムの早期完成を求める要望書を国や県に提出したことに対し、建設に反対する流域の市民団体が 30 日、協議会長の森本完一・錦町長に抗議書を手渡した。 団体は「子守唄の里・五木を育む清流川辺川を守る県民の会(中島康代表)」と「美しい球磨川を守る市民の会(出水晃代表)」。

抗議書は、流水型ダムの早期完成の要望自体が、流域住民の意思に基づかない 12 市町村長の個人的な見解だと指摘。 協議会が要望書の中で「流水型ダムが従来のダムに比べて環境への負荷は軽減される」と断言していることを、「専門家でもないのになぜこのようなことを言えるのか」などと強く批判している。 抗議書を受け取った森本町長は「(協議)会員に伝えておく」と答えたが、約 10 人の市民らが「自分の考えはないのか」などと反発し、10 分ほど言い合いとなった。 (村上伸一、asahi = 8-1-21)


人吉の犠牲「原因は支流氾濫」市民団体が調査結果公表

7 月の熊本豪雨で氾濫した球磨川流域の被害について、熊本県人吉市の市民団体は 11 日、同市内の犠牲者 20 人のほとんどが中小支流の氾濫が原因だったとする現地調査結果を公表した。 団体は「ダムがあっても命は守れない」と主張し、中小支流対策の重要性を訴えた。 調査は「清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会」などが豪雨直後から継続的に実施。 約 50 人から証言を得たほか、痕跡から氾濫流の水位や流れの方向を調べた。

調査結果によると、20 人が濁流にのまれた時間帯は 7 月 4 日午前 6 時半 - 同 7 時半ごろで、発見された場所は屋外と屋内が半々だった。 球磨川本流よりも先に、支流の山田川や万江(まえ)川などが氾濫。 犠牲者は低地に向かって勢いを増した強い流れにのまれたり、急激に水位が上がって逃げ遅れたりしたとみられるという。 同会は、犠牲者の状況も聞き取り調査。 ▽ 「山田川から水が来て避難の途中に流れ溺死(屋外、下薩摩瀬町)」、▽ 「7 時半頃、万江川から浸水。 犬を助けようとして流れる。(屋外、下林町)」 - など詳細に記録している。 木本雅己事務局長は「1 人を除いて球磨川本流の流れで亡くなった人はいない。 この 1 人も球磨川の氾濫か、事故かは不明」としている。

山田川については、県も 10 月に時系列の検証結果を公表。 おおむね同会の調査結果と整合しているが、県は「下流から上流域に越水が進行」とする一方、同会は「上流から氾濫が始まった」と食い違う。 県河川課は山田川の氾濫は、本流の水位が上昇したことで支流の流れがはけきれず、下流からあふれ出す「バックウオーター現象」の影響を指摘。 同会は「バックウオーターの形跡はみられない」とする。 蒲島郁夫知事は「命と環境を両立する」として最大の支流川辺川への流水型ダム建設を進める方針だが、木本事務局長は「大事なのは、死者を出さないためにどうしたらいいのかの検証。 ダムで本流の水位を下げても命は救えない。」と主張している。 (古川努、西日本新聞 = 12-12-20)


川辺川「ダムなし治水」撤回 知事「選択肢から外せぬ」

熊本県の蒲島郁夫知事が、球磨(くま)川の最大支流・川辺川でのダム建設容認を決断した。 12 年間掲げた「ダムによらない治水」を形にできないまま、方針転換に追い込まれた。 菅政権はダム建設に前向きだが、知事が打ち出した「流水型」ダムは実例が少なく、環境保護との両立に懸念もある。 「被害防止の確実性が担保されるダムを選択肢から外すことはできない。」 19 日の熊本県議会本会議場で、川辺川へのダム建設を容認した理由を蒲島郁夫知事は語った。

県南部を流れる球磨川は、氾濫を繰り返す「暴れ川」として知られる。 最大支流の川辺川は、国土交通省の水質調査で 14 年連続「最も良好な河川」に選ばれた清流だ。 その川辺川へのダム建設は住民の反対が強い。 蒲島知事は 2008 年に国の川辺川ダム計画の「白紙撤回」を表明した後、「ダムによらない治水」を 10 年以上にわたり検討してきた。

豪雨で氾濫、知事発言に反発

しかし、国と流域自治体を交えた協議は難航。 堤防を市街地に寄せて川幅を広げたり、洪水時に川沿いで水をためる遊水地をつくったりする案が上がったが、事業費や工期などの問題から着手できなかった。 県幹部の一人は「国は遅々として対策を進めようとしなかった。 県も催促しなかった。」と悔やむ。 そして今年 7 月 4 日、豪雨で川があふれた。 翌 5 日。報道陣に「ダムを造るべきだったとの思いはあるか」と問われた蒲島知事は、「ダムによらない治水を極限まで検討する」と述べた。 この発言に、一部の被災者や県議が反発。 6 日には「新しいダムのあり方についても考える」と発言の修正を迫られた。

このころ、深刻な被害状況が刻々と判明し、県内の死者は 50 人に達しようとしていた。 知事周辺によると「知事は明らかに憔悴していった。」 別の県幹部は「被害を責任として受け止めざるを得ない状況だった」と説明する。 8 月には、知事に「ダムなし治水」との決別を求める動きが顕在化。 流域 12 市町村でつくる協議会が、川辺川ダム建設を含む抜本的な治水対策を求めて決議し、ダム以外の治水策を検討した十余年を「結論さえ見いだせず空白の時間だった」と、国や県を厳しく批判した。 その数日後、蒲島知事はダムを「選択肢の一つ」と述べるなど、方針転換をにじませていた。

「信念をもって一度決断したことを、自分の手で変えなきゃいけない。 それはとてもつらいことなんです。」 19 日の表明後、記者会見で蒲島知事は語った。(安田桂子、伊藤秀樹)

民主党政権で検証のダム、7割が事業継続

「あれだけの豪雨災害が起きたのだから、知事としては放置できなかったのだろう。 やはり国家的にはダムは必要だった。」 政府高官は 19 日、熊本県の蒲島郁夫知事による川辺川ダム建設容認の表明について、こう語った。 事業推進については「ダムで調整できない時の対策はどうするのかなども合わせて考えなければならない」と述べ、検討していく考えを示した。

菅義偉首相は官房長官時代からダムによる治水に前向きな姿勢を示してきた。 電力、農業などの目的で造られたダムの治水での活用を進め、首相として初めて臨んだ先月の所信表明演説でも「省庁の縦割りを打破し、全てのダムを活用することで、洪水対策に使える水量は倍増した」とアピールした。 川辺川ダムについても、7 月に出演したフジテレビの番組で「熊本県の球磨川については、ダム建設でなければ難しいという判断があったが、地元の人たちが反対した」と指摘。 「今回こうした(豪雨の)被害に遭うと、そういう問題を課題に載せなければまずいのかなという思いがある」と発言していた。

川辺川ダム建設の中止が決まったのは 2009 年。旧民主党が「コンクリートから人へ」の象徴として、同年の衆院選で川辺川ダムと、群馬県の八ツ場(やんば)ダムの中止を公約。 前原誠司国土交通相(当時)が就任直後に中止を決めた。 政権は本体工事に入っていない全国 83 ダム事業についても必要性を検証。 国交省によると、今年 3 月末時点で約 3 割の 25 事業が中止になったが、約 7 割の 54 事業が継続となっている。

同じ熊本県に計画された七滝ダムや滋賀県の丹生ダムなど中止になったダム事業への影響について、国交省の担当者は「ダム以外に案があるなど、根拠があって中止になっている。 影響は考えられない。」と話す。 蒲島知事は 20 日に赤羽一嘉国交相と会談し、直接考えを示す意向だ。 同担当者は「国交省としてどうしていくかは、直接話を聞いてからになる」という。

流水型、「環境に配慮」疑問視も

蒲島知事が掲げる「流水型ダム(穴あきダム)」について、国交省は、下流域の洪水の防止を図りつつ環境への影響を抑えられると説明する。「自然に近い状態が維持される」としている。 旧建設省による川辺川ダム計画は従来型の「貯留型ダム」。 発電や生活用水に活用する水をため込むため、「ダム湖」の水質悪化など周囲の環境への影響が懸念される。 「日本一の清流」をうたう川辺川周辺で反対が根強いのもそのためだ。 一方、流水型ダムは、放流口(穴)を設けて普段は水の流れを止めないため、ダム湖ができず水質は悪化しにくいとされる。 大雨時にはダム本体で水をせき止めて水量を減らし、洪水を防ぐという構造だ。

国交省所管のダム 570 基のうち、益田川ダム(島根県、2006 年完成)などまだ全国に 5 基しかない。 それでも、熊本県が 10 - 11 月に流域から意見を聴く会を開くと、「水をためないダムなら賛成(球磨村の住民)」などの容認意見が相次いだ。 ただ、流水型ダムでも周囲の環境への影響を心配する声はある。 ダムの環境問題に詳しい今本博健・京都大名誉教授が益田川ダム周辺を調べたところ、ダム上流に土砂が堆積(たいせき)して土砂の自然な流れが阻まれていたという。下流に流れる砂が減ると、砂に産卵する魚の生態などに影響が出る恐れがあると指摘。 「貯留型より影響が小さいと考えるのは誤り。 たまった土砂を掘削して水量を増やすなど、ダム以外の水害対策はできる。」と強調する。

県幹部も「既存の流水型では環境に十分配慮できているか疑問。 清流の川辺川を守れる、これまで以上の技術を求める必要がある。」 (竹野内崇宏、asahi = 11-19-20)


流域首長、賛成・容認 8 人 触れず 4 人 川辺川ダム

7 月の記録的豪雨で氾濫した熊本県南部の球磨川の治水対策などについて、蒲島郁夫知事が流域などの市町村首長や議会議長から意見を聴く会合が 6 日、熊本県の八代市と人吉市であった。 2009 年に政府が計画中止を表明した球磨川支流の川辺川ダムについて、建設を求める意見が出る一方、賛否に言及しない首長もいた。 出席した12市町村長のうち、川辺川ダムへの賛意や容認姿勢を示したのは八代市や球磨村、ダム計画で一部が水没予定地となった五木村などの 8 人。 ダム本体の建設予定地だった相良村などの 4 人は賛否に言及しなかった。

五木村の木下丈二村長は席上、1996 年にダム本体工事に同意した歴史に触れ、「一番尊いのは人命。 半世紀にわたりダムの有効性、必要性については聞いている」と述べた。 会合後の取材でも「村としてはダムを受け入れる態度は変わっていない」と話し、豪雨災害後で初めてダムへの容認姿勢を明らかにした。 豪雨災害で 25 人が亡くなった球磨村の松谷浩一村長は、村内が賛否で割れているとの認識を示したうえで「ダムを柱として、その他様々な治水対策を行うことで安全度を高めていただきたい」と発言。 球磨川最下流域にある八代市の中村博生市長は、災害で失われた人命や財産に言及して「二度とこのようなことがあってはならない」と訴え、「ダムは必要と考えている」と明言した。

一方、相良村の吉松啓一村長は「住民からは清流を子々孫々までずっと保ってもらいたいという話が出ている」などと発言。 ダムの賛否には触れず、「村民の代表として」と前置きしたうえで、ダム以外の治水策である河道の掘削や堤防のかさ上げなどの早急な実施を求めた。 会合後の取材に、「村民に賛否があることを考慮した」と述べた。 豪雨災害で 20 人が亡くなるなどした人吉市の松岡隼人市長もダムの賛否には触れず、「今後、知事が示される球磨川治水の方針をしっかり受け止める」などと述べるにとどめた。 蒲島知事は年内の早い時期に治水の方向性を表明する方針。 (伊藤秀樹、村上伸一、棚橋咲月)

意見を聴く会、23 回のうち平日が 18 回 「参加難しい …」

蒲島郁夫知事が球磨川流域の住民や団体から意見を聴く会は 6 日までに 23 回開かれ、のべ 447 人が参加した。 流域市町村での会合は 6 日で終了。 ダム問題に詳しい研究者や、県議会の各会派代表らが出席する会が、県庁であと 2 日間開かれる。 知事は治水策について「民意」をさぐってきたが、議論の進め方には不満もくすぶる。 「平日開催は参加が難しい。 やっと休みをとって参加した。」 10 月下旬の金曜日の午後、球磨村で開かれた会で、村の診療所に勤める事務職員の市花保さん (50) が訴えた。 23 回のうち平日に開かれたのは 18 回。 土曜日と祝日だったのは 5 回で、会場はいずれも人吉市だった。

市花さんの自宅は濁流にのまれ、妻と娘の 3 人でみなし仮設に暮らす。 診療所も水につかり、泥まみれの書類をめくってパソコンに打ち直す日々だ。 仕事を休めば作業は遅れるが、参加しなければ、行政が選んだ一部の人の意見に偏るのではと危惧した。 「民意を問うなら、被災者や住民がきちんと参加できるようにしてほしい。 拙速に議論が進められることに怒りを覚える。」 知事は、住民らの意見を「民意」として、年内に示す治水案に反映させる考えだ。 ただ、県が出席を求めた団体の代表からは、ダムの賛否で組織が割れることを懸念し「ここでは意見を言いたくない」との声も。 人吉市では「住民投票で決定することはできないか」などと、広く民意を明らかにすることを求める意見が複数あがった。 (竹野内崇宏、asahi = 11-7-20)

鈴木桂樹・熊本大教授の話

民意の問い方には住民集会や世論調査など様々な手法があり、「これが正しい」という基準はない。 大切なのは首長が政策を決めるにあたり、住民が納得できるプロセスだったかどうかだ。 今回の豪雨を踏まえ、知事がダムを選択肢に含む新たな治水政策を考えるなら、ダムへの賛否の問いかけは重要な要素だ。 だが、明確に問うことを避けたため、何に対する意見を聴こうとしたのか、あいまいだった。 それでは民意を見極めようというより、政策判断の正当性を担保しようとしたように見える。

◇ ◇ ◇

熊本の川辺川ダム計画、再開するかもしれない?

7 月の豪雨被害を受け、地元首長らが建設検討を求めた

Q. 一度は中止になったダムをつくる計画が再開するかもしれないの?

川辺川(かわべがわ)ダムのことだね。 熊本県の南部を流れる球磨川の支流に国がダムをつくる計画だったが、2008 年に蒲島郁夫(かばしまいくお)知事が白紙にして、09 年に国も中止すると発表していた。

Q. どんな計画だった?

球磨川流域で 1963 年から 3 年連続で水害が起きたため、最大の支流・川辺川にダムをつくろうとした。 大雨が降っても東京ドーム 68 杯分の水をためて水害を防ごうとしたんだ。 ただ、川辺川は「日本一の清流」と呼ばれ、漁業や観光業で暮らす人も多い。 流れをせき止めるダムへの反対の声も強かった。 中止を決めた後はダムに頼らないで水害を防止する方法を話し合ってきたけれど、結論が出せていなかった。

Q. なのに、なぜ再開する可能性が出てきたの?

7 月の豪雨で大きな被害が出たからだ。 球磨川流域で 6 千戸以上が浸水し、推定で 50 人が亡くなった。 国と県が「川辺川ダムがあれば」との仮定で検証すると、流域の人吉市周辺で浸水面積が約 6 割減らせる推計が出た。 川沿いの鉄道被害も減らせたというよ。

Q. 地元の人や知事の意見も変わったの?

地元の 12 市町村の首長はダム建設を改めて検討するよう知事に求めた。 知事自身も、豪雨後に「ダム計画を排除しない」と方針を変え、年内に治水対策の方向性を決めるというよ。 ただ、被災者や外部の研究者の意見を聞かないまま検証を終えたため、市民団体から抗議の声もある。

Q. ダムができれば安心できるのかな?

計画を再開しても、完成までには 10 年単位の時間がかかるとみられる。 川辺川ダムがあっても、被害を完全には防げなかったことも検証で分かった。 ダムと関係なく、逃げ遅れを防ぐ仕組みは急いで整える必要があるね。 (竹野内崇宏、asahi = 10-24-20)


防災計画の先進地で起きた混乱、九州豪雨の現場で何が

熊本県を中心に 70 人以上が亡くなった九州豪雨から 4 日で 1 カ月。 多くの犠牲者が出た熊本県の球磨(くま)村と人吉市は、行政が水害時にとる対応を時系列で整理した「防災行動計画(タイムライン、TL)」の「先進地」として知られてきた。 ただ、早期に避難情報を出しても住民の避難につながらなかったり、途中からは計画通りに対応できなかったりと課題も浮かんだ。

避難、すでに終えているはずなのに …

球磨川が氾濫する半日以上前の 7 月 3 日午後 4 時。 球磨村職員たちは、熊本地方気象台や他の流域自治体とオンラインで「球磨川水害 TL」会議を開いた。 梅雨時期に大雨が予想されれば会議を開くという TL に沿って対応を協議した。 3 日午後 6 時からの 24 時間雨量は 200 ミリの予想。 「九州では通常の大雨の範囲(関係者)」とされる。 だが村は午後 5 時、移動に時間がかかる住民に避難を促す「避難準備・高齢者等避難開始」を早めに出した。 これまでに降った雨で土壌に相当量の水分がたまっているとみたからだ。 指定避難所 6 カ所も開いた。

気象台が土砂災害警戒情報を発表した午後 10 時 20 分には、警戒レベルが 1 段階高い「避難勧告」も出し、防災無線で住民に伝えた。 TL 通りの対応だった。 だが、日付が変わると想定を上回る速さで災害発生の危険度が増していった。 雨脚が強まっていた。 4 日午前 2 時の球磨川の水位は、TL ですべての住民が避難を始める目安と位置づける 6 メートル。 だが、午前 3 時 20 分に一気に 8.7 メートルの氾濫危険水位に上がった。 TL では、すでに避難を終えているはずの水位だった。 村は 10 分後、避難の呼びかけとしては最も強い「避難指示」を全域に出した。 そして、午前 5 時 55 分、球磨川が氾濫。 25 人が犠牲になった。

村は 2016 年から TL を運用。 詳細な内容を計画に盛り込むなどした「TL 先進地」だった。 それでも今回、6 段階に分けた TL のうち中盤ごろから現場の対応は混乱した。 村の中渡徹防災管理官は「TL で状況判断する経験を重ねてきたから、早めに避難準備情報を出せた。 それでも救えなかった命があることを受け止め、検証しなければならない。」と感じている。

突然の避難勧告に困惑

20 人が亡くなった人吉市は TL の序盤から中盤にかけ対応が後手に回った。 7 月 4 日午前 2 時までの 1 時間に 68.5 ミリの滝のような雨が降り、球磨川の水位が急激に上昇。 避難準備・高齢者等避難開始を出せないまま、午前 4 時にいきなり避難勧告を発表した。 市役所に近い下薩摩瀬町の町内会長の宮川勝之さん (80) は、突然の避難勧告に困惑した。 TL では、避難準備・高齢者等避難開始が出れば、民生委員らに電話し、一人暮らしの高齢者や障害者ら約 40 人に避難を呼びかけてもらう手順になっていた。 「連絡する前に、自分が逃げ出さないといけなくなった。」

結局、24 時間雨量は予想の倍近くだった。 市防災安全課の担当者は「水位上昇が速く、対応が遅れた部分がある。 計画を見直し改良していきたい。」と話した。(島崎周、渋谷雄介、加治隼人)

マイ・タイムライン作る地域も

7 月 4 日午前 5 時すぎ、球磨村渡地区の荒川昭洋さん (75) は靴下がぬれて浸水に気づいた。 あっという間に畳が浮き、2 階から屋根に上がったが、濁流で家がぐらぐら揺れた。 数百メートル流され、別の家の屋根に移り難を逃れた。 「班長に避難を呼びかけられ防災無線も聞こえたが、大丈夫だと思っていた。 いま考えればダメや。」 約 1 時間半前の午前 3 時半、村は避難指示を出していた。 その頃、6 指定避難所にいたのは 11 世帯 20 人だった。 行政が TL 通りに適切なタイミングで避難情報を出せたとき、住民の早い避難にどう結びつけるか。 一部で始まっているのが「マイ・タイムライン」だ。

茨城県常総市では 2016 年から、市などが TL づくりを住民に勧める。 前年の 15 年、豪雨で鬼怒川の堤防が決壊し、2 人が亡くなった。 ハザードマップの内容を確認しておくことはもちろん、地域で過去に起きた災害を把握する。 そのうえで、行政や気象台が出す情報に合わせて自分が取るべき行動を事前に決め、早期の避難につなげる。

鬼怒川の近くに住む須賀英雄さん (69) は 15 年の水害時、自宅が浸水して 2 階に避難。 17 年に TL をつくり、いつでも目に入るよう印刷して玄関に貼った。

《大雨警報 防災無線などの情報に注意/避難リュックの準備》
《上流域で大雨特別警報 河川水位の確認と家財の保全/避難所開設の確認》

状況に応じて自宅 2 階や娘宅など 3 カ所を避難先に選び、逃げるルートも決めた。 昨秋、台風 19 号が接近した際は TL に沿って 2 階へ。 食料やポータブル電源なども準備し「落ち着いて対応できた」と話す。

18 年の西日本豪雨で 2 人が犠牲になった兵庫県も「マイ避難カード」作りに取り組む。 雨量や水位を目安に避難するタイミングや場所をあらかじめ書き込む。

京都大防災研究所の矢守克也教授(防災心理学)は「マイ・タイムラインのように自分の取る行動を事前に決めておけば、行政の避難情報が住民の行動に結び付きやすくなる」と話す。 住民個人の TL と行政の TL を合わせて訓練を重ねる必要性も強調している。 (竹野内崇宏、安田桂子、asahi = 8-4-20)

タイムライン (TL)〉 台風や水害などの災害時に行政が取るべき行動を事前に時系列で整理しておく取り組み。 自治体が避難情報を適切なタイミングで出し、逃げ遅れによる犠牲が出るのを防ぐのが目的だ。

法的義務はないが、国土交通省は策定を推進している。 全国に 109 ある 1 級水系沿いの全 730 市区町村が、2017 年 6 月までに策定。 国交省は、都道府県管理の河川沿い自治体も来年 3 月末までに策定を終えることを目標にしている。 今年 3 月時点で 1,180 市区町村のうち 819 で策定した。

米国で大型ハリケーンの上陸時、TL に沿い 1 日前に地下鉄を止め、36 時間前から避難を呼びかけるなどして被害を抑えたとされる事例が注目を集め、日本でも 13 年ごろから NPO や国交省を中心に策定する動きが始まった。


「いまさらダムなんて」 五木村民、思い複雑 「川辺川ダム」計画に翻弄 水没予定地には観光施設も

「いまさらダムなんて。」 熊本県南部を襲った豪雨で甚大な被害が出た人吉市は、建設が中止された川辺川ダムの最大受益地とされていた。 水没予定地を抱えていた五木村にとって、国のダム中止を受けて新たな村づくりを進める中、下流域で未曽有の水害が起きた。 今後の治水協議ではダム議論が再燃する可能性もあり、村民たちの心中は穏やかではなく、複雑な思いが交錯する。

「ダムの議論は当然出てくるだろう。」 21 日、人吉市の惨状を目の当たりにした元五木村職員の村口元吉さん (71) はこぼした。 現役職員だった 1998 年ごろ、川辺川沿いの水没予定地から、高台の頭地代替地へ住民を移転させる業務に携わった。 「多くの村民が苦渋の決断をして村外に出て行った」と振り返る。 国は 66 年、ダム計画を発表。 きっかけは、球磨川流域で 63 年から 3 年連続して発生した大水害だった。 村は当初、村中心部が水没する計画に反発。 反対運動も起きたが、村は「下流域のため」と、96 年に本体工事に同意した。

ところが 2008 年、下流域の首長の反対もあり、蒲島郁夫知事がダム計画の白紙撤回を表明した。 09 年、当時の民主党政権が建設を中止。 村はダムによらない村づくりへの転換を迫られた。 村口さんも頭地代替地に移り住んだ。 村役場を退職し、今は地元の区長を務める。 ダムに翻弄された村や自身の歴史を踏まえ、「ダムの話が出ても、もろ手を挙げて賛成する人はいないだろう。」 実際、近くに住む豊原袈年さん (74) は「何かあるたび、『ダムを造る』、『造らない』と議論になるのはおかしい。 今まで通り、ダムによらない治水を考えてほしい。」と訴える。

村は水没予定地に公園「五木源[ごきげん]パーク」のほか、屋外レジャーが楽しめる広場などを整備。 観光客はこの 10 年で 12 万人から 17 万人近くに増え、「もう後には戻れない」との声も聞かれる。 19 年 4 月、水没予定地にオープンした宿泊施設「渓流ヴィラ ITSUKI」営業支配人の福岩博之さん (57) は「ダムがあったとしても今回の水害を防げたかどうかは分からない」と強調。 「ダム計画が凍結されたからこそ、できた施設。 ダム建設には反対だ。」と言い切る。

ただ、豪雨災害を受け、蒲島知事は「ダムによらない治水を極限まで検討したい」とする一方、「どういう治水対策をやるべきか、新しいダムのあり方も考える」とも発言。 県が治水対策の検証対象に、川辺川ダムの治水効果を含めることも判明した。

同じ頭地代替地に住む北原束さん (84) は「ダムがあれば、多少なりとも被害を防げたかもしれない。」 毎年、各地で豪雨災害が起きていることを踏まえ、「今は従来の河川改修だけでなく、ダムを含めたあらゆる手段を考えないと対応できない」と語気を強めた。 木下丈二村長は「今は災害復旧の真っただ中。ダムについて予断を持って言える段階ではない」と説明。 当面、流域自治体の議論の行方を静観する考えだ。 (臼杵大介、熊本日日新聞 = 7-24-20)


「堤防では守れない」梅雨終わりの豪雨、温暖化が影響か

熊本に水害をもたらした線状降水帯が、九州北部にも豪雨を降らせた。 気温も高くなるため、南からの暖かい風が梅雨前線に水蒸気をどんどん供給する。 元下関地方気象台台長で防災 NPO 「CeMI 気象防災支援・研究センター」の田代誠司・上席研究員は「九州では、積乱雲が次々発生して風下に並ぶ線状降水帯が発生しやすい気象条件が 3 日ごろから続いており、4 日には熊本で、6 - 7 日にかけては九州北部で大雨を降らせた」と話す。 もともと梅雨の終わりは夏に向けて太平洋高気圧の勢力が強まる時期。 中国大陸側にある高気圧との勢力が拮抗し、身動きがとれなくなった梅雨前線が九州周辺に停滞しやすい。

2017 年の九州北部豪雨や 18 年の西日本豪雨も梅雨の終わりの 7 月上旬だった。 ただ、山口大の山本晴彦教授(環境防災学)によると、降り方はかなり違うという。 九州北部豪雨では短時間に狭い範囲で 1 時間に 100 ミリを超える強い雨が降った。 一方、西日本豪雨は 1 時間に 30 ミリほどの雨が 2 - 3 日続いた。 山本教授は今回の降り方について、「前線が上下しながら各地で降ったりやんだりを繰り返している。 降水量も 1 時間に 60 - 80 ミリほどで、17 年と 18 年の中間くらいだ。」という。

今年は梅雨前線が中国大陸まで延び、大規模な水蒸気の流れができている。 名古屋大の坪木和久教授(気象学)は「いつもより遠くから水蒸気が九州へと運び込まれている」とみる。 背景の一つが地球温暖化だ。 高い海水温と気温が水蒸気の量を増やしている。 京都大の中北英一教授(水文気象学)は「近年の豪雨は温暖化の影響がないと説明できない。 堤防だけで守れる降水量ではなくなっており、流域全体で水を受け止める仕組みや、一人ひとりの避難行動が重要になっている。」と話す。 (竹野内崇宏、藤波優、asahi = 7-7-20)


熊本・人吉の水害「過去最大級」 55 年前の浸水高超え

豪雨で広く浸水した熊本県人吉市の市街地の浸水高が、昭和 40 年代にあった二つの水害よりもはるかに高かったことが、熊本大くまもと水循環・減災研究教育センターの現地調査で分かった。 浸水した範囲も広く、今回の水害は過去最大級だったとみられるという。 センターは 5 日、球磨川北岸にあたる人吉市上青井町や宝来町などを調査。 下青井町の電柱には、洪水の浸水高を記録した旧建設省名のプレートが取り付けられており、55 年前の昭和 40 (1965) 年に 2.1 メートル、昭和 46 年に 1.1 メートルとあった。 今回は 4.3 メートルの高さまで水が達しており、2 倍以上の浸水高だった。

松村政秀教授(橋梁工学)は「川から離れた場所まで水が来ていて、浸水域の広さに驚いた。 過去最大級の被害だ。」と話した。 小規模な氾濫の場合、あふれた水は川から離れる方向に流れるが、今回調査した地域では、球磨川の流れに沿う方向に物が流されていた。 石田桂助教(水文気象学)は「あふれた水の量がかなり多く、まるで川幅が広がったように物を押し流していったか、支流も氾濫していた可能性がある」とした。 センターは暫定の調査結果を速報として ホームページ で公開した。 (藤波優、asahi = 7-7-20)


自動車メーカーの工場 生産休止の動き相次ぐ

今回の大雨で、九州や中国地方にある自動車メーカーの工場では従業員の安全を確保するため、生産を休止する動きが出ています。 このうちマツダは、従業員と取引先の安全を確保するため、広島県の本社工場と山口県防府市の工場で、7 日午前中の生産を休止することを決めました。 午後の生産については、天候などを確認したうえで、判断するとしています。 また、トヨタ自動車九州は、福岡県宮若市にある車の工場、エンジンや部品を作る福岡県内のほかの 2 工場で、7 日の日中の生産を休止し、夜間の生産については天候などを見たうえで判断することにしています。

化学や食品のメーカーも、福岡県内にある工場では停電や浸水によって操業停止の動きが広がっています。

〈三井化学〉 このうち三井化学は、福岡県大牟田市に工場がありますが、近くの変電所が浸水し、付近で停電が起きていることから、6 日夕方から工場の操業を停止しています。 工場自体には、今のところ浸水の被害は出ていないということです。

〈デンカ〉 化学メーカーのデンカは、大牟田市の工場で自動車向けの電子部品などを製造していますが、工場の一部が浸水し、6 日午後から操業を停止しています。 会社では、天候の回復を待って、設備の点検などを行うことにしています。

〈三井金属鉱業〉 三井金属鉱業は大牟田市にある子会社の工場の敷地が水につかったため、一部の操業を停止しています。 けが人はいないということで、会社では被害の状況の確認を急いでいます。

〈ブリヂストン〉 さらにブリヂストンはタイヤを製造している福岡県久留米市、福岡県朝倉市、佐賀県鳥栖市にある 3 つの工場で、従業員の安全を確保するため、6 日午後から操業を見合わせています。

〈キリンビール〉 キリンビールも従業員の安全を確保するため、福岡県朝倉市にあるビール工場の操業を6日夜から停止しています。

いずれも、雨の状況をみて再開を判断するとしています。 (NHK =7-7-20)


熊本豪雨で 22 人死亡 心肺停止 17 人、行方不明者も

熊本県南部などを襲った集中豪雨で、5 日までに 22 人の死亡が確認された。 県によると、午後 9 時現在、死者は人吉市 9 人、芦北(あしきた)町 9 人、津奈木(つなぎ)町 1 人。 このほか、八代市によると 3 人が死亡した。 また、特別養護老人ホーム千寿(せんじゅ)園が水没した球磨(くま)村で 16 人、芦北町で 1 人が心肺停止。 人吉市と芦北町、津奈木町、球磨村で計 11 人が行方不明になっている。

国土交通省によると、氾濫や決壊が相次いだ球磨川の流域で計 6,100 戸が浸水。 5 日も、自衛隊や消防などがボートやヘリコプターを使って取り残された人の救助活動を続けた。 広い範囲が水没した人吉市街地では住民らが水につかった家具を外に出し、床にたまった泥をかき出す作業に追われた。 県によると、5 日午後 1 時までに橋の崩落が県内で 14 カ所確認されたほか、のり面が崩れたことなどによる道路の通行規制が 57 カ所にのぼった。

気象庁によると、梅雨前線に向かって暖かく湿った風が流れ込むため、7 日夜にかけて再び警報級の大雨となるおそれがある。 6 日午後 6 時までの予想 24 時間雨量は熊本県や鹿児島県、宮崎県の多いところで 250 ミリ。 球磨川流域の被災地では少しの雨でも災害が発生する可能性があり、注意を呼びかけている。 (asahi = 7-5-20)


熊本の豪雨 2 人死亡を確認 県発表では 15 人心肺停止

停滞する梅雨前線の影響で、九州地方では 4 日、各地で豪雨となり、河川の氾濫や洪水、土砂崩れが相次いだ。 熊本県の発表によると、午後 5 時段階で 15 人が心肺停止、1 人が重体となり、11 人の行方や安否がわかっていないという。 一方、同日午後 11 時までに芦北町で 1 人、津奈木町で 1 人の計 2 人の死亡を、それぞれ町が確認した。 県の発表のうち、球磨村では特別養護老人ホーム「千寿園」が水没し、14 人が心肺停止、3 人が低体温症となっている。 津奈木町で 1 人が心肺停止。 芦北町で 1 人が重体。 また、行方や安否が分からなくなっているのは芦北町の 6 人と津奈木町の 2 人、人吉市の 3 人という。

熊本県では午後 5 時現在、避難指示が八代、水俣、人吉など 11 市町村の 9 万 2,703 世帯 20 万 4,567 人に、避難勧告が芦北町とあさぎり町の 1 万 3,149 世帯 3 万 2,201 人を対象に出された。 八代市では坂本庁舎 1 階が水没した。 同市や人吉市などでは洪水や土砂崩れのため、多数の住民が孤立している。 国土交通省によると、熊本県南部の球磨川で決壊 1 カ所、氾濫 11 カ所が確認された。 自衛隊は、熊本県からの災害派遣要請を受け、孤立した住民の救援にあたった。 近県の消防や警察も応援に入った。 鹿児島県では、阿久根市 2,011 世帯 4,216 人に避難指示が、伊佐市全域と鹿児島市などの一部に避難勧告が出された。

4 日午後 4 時までの 24 時間の降水量は、熊本県の湯前町 450.5 ミリ、水俣市 450.0 ミリ、山江村 425.0ミリ、あさぎり町 419.0 ミリ、球磨村 416.5 ミリだった。 また、4 日朝までの 3 時間降水量は、天草市 205.5 ミリ、芦北町 190.5 ミリ、山江村 186.0 ミリと、いずれも観測史上最多だった。 発達した雨雲が次々発生する「線状降水帯」ができたとみられる。 気象庁は午前 4 時 50 分、熊本、鹿児島両県の一部に「大雨特別警報」を発表。 11 時 50 分に大雨警報に切り替えたが、今後も雨は多いところで 5 日午後 6 時までの 24 時間に九州南部 200 ミリ、東海地方 150 ミリと予想され、引き続き洪水や土砂災害への警戒を呼びかけている。

JR 九州は日豊線や肥薩線の一部区間で終日運転を見合わせたほか、九州新幹線などが一時運転を見合わせた。 高速道路や一般道でも通行止めが相次いだ。 熊本、鹿児島、宮崎の各県では大雨による停電も相次いだ。 九州電力によると、球磨村では一時、全戸の97・3%にあたる約 2,450 戸で停電したという。 停電やケーブルなど通信設備の水没によって、携帯電話や固定電話、インターネットの障害が起きた。 人吉市庁舎では一時、停電で電話やネットが使えなくなった。

政府は、新型コロナウイルスの感染拡大が懸念される中でマスクや消毒液などの支援物資を、被災自治体の要請を待たずに送る「プッシュ型支援」を実施する。 内閣府によると、4 日午後の時点で一部の物資については各省庁などへの手配を進めているという。 (asahi = 7-4-20)